村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―
横浜美術館
展覧会レビュー

世界の現代アート市場で活躍する数少ない日本人アーティストの村上隆(1962-)。現在、森美術館で「村上隆の五百羅漢図展」が開催中だ。村上隆は、アーティストとして精力的に活躍する一方で、キュレーター、ギャラリスト、プロデューサー、コレクターなどとしても活動している。
本展は 1950年代から現在までの国内外のアート作品、縄文時代の古陶、朝鮮・中国の陶磁器、桃山期の茶陶、ヨーロッパのスリップ・ウェアやアンティーク、現代陶芸、生活雑器、書、骨董品、古道具などにおよぶ、多様かつ膨大な村上隆コレクションを本格的に紹介するもの。ちなみに写真では、スターン・ツインズ、リチャード・プリンス、ヴォルフガング・ティルマンス、テリー・リチャードソン、藤原新也、荒木経惟、篠山紀信、畠山直哉、ヒロミックスなどが含まれていた。

村上隆は、コレクションはアートを理解するためのトレーニングだとしている。その意味あいは一般のアート・コレクションとは違うようだ。蒐集品を周りにおいて楽しむことはせず、買ったら倉庫へ直行とのこと。本展の提示に際して、学芸員は膨大な数の梱包用木枠の中身の照合に多大な時間を費やしたそうだ。
村上隆の公開された本展のコメントによると、彼はライフワークとして「芸術とは何か?」を追求してきたという。一部を転載すると、
「芸術はなんで高額で取引されるのか?」
「古いものはなぜ、高額になってゆくのか?」
「古くて、かつ、芸術的に高い価値のもつものとは何か?」
「有名な名物の古いものと、無名なものとの間にある差とは何か?」
「芸術における良し悪しとは何に起因しているのか?」
などだ。

その一環として、アーティストだけにとどまらず、コレクター、ギャラリスト、企業家などとして行動してきた。彼の人生での基本姿勢は、体験、体感しないと理解できない、というもの。今回のコレクションも、購入することが芸術をたしなむ行為だ、という認識のもとに、 作品の価値体系を把握するとともに、アート・コレクターの価値観を知るためにコレクションを行ってきたのだ。
行き当たりばったりで買っているというが、作品技巧、テーマ性やアイデア・コンセプトの直感的な評価で購入しているのだろう。最初は自らのフィールドの現代アートを購入していたのが、最近は陶芸や書のコレクションが中心とのこと。頭をこねくり回してテーマやアイデアを絞り出す現代アートから、自然世界のゆらぎとシンクロして無意識で作られる、民藝、工藝、現代陶芸へと興味がシフトしていったようだ。

そして作品価値が構築される過程の、見立てや目利きにも関心を持つようになった。彼は、千利休や柳宗悦らの上流階級の目線による見立てのさらに先にある可能性まで追求している。その極端な展示例が、アート界や骨董界では価値がない、雑巾と、コーヒー用の布製のフィルターの展示だろう。ともに使い古されてボロボロの状態なのだ。これは東京目白にある「古道具坂田」店主で、骨董界のカリスマといわれる坂田和實氏が見立てたものらしい。彼は富裕層出身ではない。裕福で趣味のよい金持ちでなくても、エゴを持たずにモノを素直に能動的に見ることができれば、そこに独自の美の見立ての可能性があることを提示している。

私たちは資本主義体制の高度消費社会というシステムの中で生かされており、今回の展示物はその中で価値が与えられ値段がつけられ売買されている。しかし、システムから一歩離れると、それらのモノは何ら本質的な価値を持つものではない。ボロ雑巾とコーヒー用の布製のフィルターをガラスケースの中で骨董やアート作品と同じ空間に展示することでその事実が見事に暗示されている。
最初は誰にも価値のないものなのだが、まず誰かがそれを見立てる。それをありがたがる人があらわれて初めて価値が創造されるという事実に気付かされる。 このようなコミュニケーションが成立してアート作品が出現する。また見立てる人がブランド化すると、その人が選んだだけでありがたがる人が出てくるというわけだ。
一方で、世の中は本質的に実体がないといっても、私たちにはそこで生きるしか選択肢はない。村上隆は、それを承知の上でシステムに乗っかって確信犯でアーティスト活動していることを意思表示しているのだ。

これらのコレクション展示はまさに彼の頭の中で考えていることそのものであり、ライフワークの「芸術とは何か?」をテーマとした村上隆作品とも理解できるだろう。 展示の一部に、雑多なものを等価に混在させた「村上隆の脳内世界」というパートがあるが、実は全体の展示が本人の脳内世界なのだ。アーティスト活動もその一部であることから、森美術館で開催中の「村上隆の五百羅漢図展」も含まれると解釈できる。
ちなみに横浜美術館の会期は4月3日までなのに、展覧会カタログは3月下旬に発行予定とのこと。通常なら、展覧会はカタログ印刷に合わせて3月下旬に開始されるものだろう。しかし森美術館の会期は3月6日までなのだ。彼が同時開催にこだわったのは、両方の展示でより大きな作品を形成するからと解釈できる。記者会見では、若手に対してのいまのスタンスにも触れていた。彼は参加型アートイベントのGEISAI(ゲイサイ)を長年にわたり企画開催して、若手を熱く支援してきた。しかし、「一緒にがんばろー」的なイベントは、世界的に成功したアーティストの上から目線の行動だったと反省しているという。村上自身は、世界で一流を目指すキャリア形成が重要だと考えるが、いまでは日本的な狭い範囲内で、少ない収入と支出のなかで活動を行うようなアーティストの生き方も否定してはいない。もはや期待もしないし無理強いもしない、また嫌われることを気にせず厳しく接するようにしているのだ。「共感」ではなく、一歩離れた「思いやり」の姿勢が重要で、その方が本当にやる気と才能のある人のためだということだろう。この展覧会はコレクション展示をアート表現とした、前代未聞のスケールを持つ村上隆の作品でもある。そうだとすると、総制作費はアート史上最もかかっているのではないか。世界の現代アート最前線で活躍する村上隆の圧倒的な存在感を実感させられるものだ。 たぶん彼のキャリア上の重要作と評価されるだろう。

現代アート、写真、骨董、陶芸などのファンはもちろんのこと、世の中の仕組みを理解したいというような、哲学的な興味を持つ人にも鑑賞を奨めたい。