日本の新しいアート写真カテゴリー クールでポップな マージナル・フォトグラフィー(6) 写真の見立て方を考える

いままで写真の新しい楽しみ方として、限界芸術と民藝の写真版であるクール・ポップ写真を紹介してきた。過去5回ほど書き続けながら考え方を展開してきた。興味ある人はぜひ読んでみてほしい。これは、写真家が雑念を捨てて撮影した作品と、買う側、評価する側の”見立て”がセットとになって成立する。今回は写真の”見立て”サイドを掘り下げていきたい。
欧米のギャラリー店頭では、作品テーマ、ヴィジュアル面の優劣、写真家の将来性、海外での評判などがセールストークとして語られる。そこには写真は資産価値を持ち、将来的に価値が上昇する可能性を持つものだ、という大きな前提がある。実際に優れた写真作品の市場価値は歴史的に上昇してきた。日本のギャラリーでも、欧米同様のセールストークが行われてきた。しかし日本では写真家のアート市場での成功例が非常に少ないので、前提となる写真の資産価値を誰も信じていない。私はこれが日本で写真が売れない理由の一つだと考えている。
日本でも、海外の延長上に資産価値を持つ作品の市場は存在する。しかし、残念ながら多くの日本人写真家はその範囲外にいる。ぜひその分野に果敢に挑戦して欲しい。
一方で、まったく別に日本独自の価値基準を構築しようというのが私が行っている主張。一般の人が写真を評価して買うときに、表層的な業者情報に頼ることなく自らが能動的に写真に接して見立てればどうかというものだ。写真の新しい楽しみ方、買い方の提案なのだ。
実は見立てには、様々な項目に対するものが重層的に存在する。今まで色々な人たちに、この新分野の啓蒙活動を行ってきたが、私の印象では作品に潜むテーマ性の見立ての理解が一番難しいようだった。ここの部分は、見立てる側のアート写真リテラシーの高さが求められる。これができる人は制作する側にも、見立てる側にも少ないのが現実だ。それゆえに日本では写真がアートとして認知されないともいえるだろう。広く浸透していくには継続的な啓蒙活動が必要でかなり時間がかることが想定される。これでは、写真界に潜在的に存在しているクール・ポップ写真はなかなか発見されないだろう。
最近は見立てには様々な難易度を持つ段階があり、まずはもっと敷居の低いところからスタートしていいのではないかと考えている。 一般の人は、テーマ性の見立ての前に、まず作品が無意識の上で制作されているかを見極めればよい。これは作家の”作品制作意図の見立て”と呼ぼう。作品が写真家のエゴで作られたのか、それとも自分を無にして作られたのかということだ。複雑に絡み合った社会で生きる人間がそのような精神状態で作品を作り上げるのは簡単ではない。テーマ性はいったん置いておいて、まずはその点を評価するのだ。邪念を持たないアマチュアの中に、このような優れた作品を制作する写真家が見つかることが多い。
もう少し具体的に説明しよう。
デザインやテクニック重視で制作された写真に惑わされないことが重要だ。写真家が何かを感じて撮影しているかを重視するのだ。また見立ては、ここで終わりではないとも考えている。どの写真を選んで、額装するのかフォトフレームに入れるのかなど、展示方法を考える”設えの見立て”、それがどのようなスペースに合うのかまでを考える、”空間取り合わせの見立て”がある。最初に展示場所があって、写真セレクションと設えを考えても良い。このような過程は写真を素材とした見立てる側による総合的な自己表現でもあるのだ。日本で真に写真が売れるには、欧米とは全く違う上記のような買う側と写真との関係性が構築され、定着しなければならないと考える。ここまでが見立ての第1段階だ。自分のライフスタイルを意識して、その一環としてカジュアルに行えばよいと考えている。

ほとんどの写真は一人や少数の人の見立てでで終始するだろう。しかし、もし複数の人が認めるようになれば、第2段階の”テーマ性の見立て”へと展開していく。優れた作品ならば結果的に複数の人が見立てることになるはず。またエゴが消えて作品制作に取り組めるまでの過程には、社会との何らかの関係性があるはずだ。この段階では作品の社会との関わりのあるテーマ性が発見される可能性が出てくる。結果的に写真家のブランドが構築され、値段も上昇すると想定している。日本の写真界を見渡すと現在の人気写真家はこのような過程を経て評価されてきたと感じている。

世の中には、写真撮影しない写真の楽しみ方があるのだ。他人が撮影した写真を、上記のような”作品制作意図の見立て”、”設えの見立て”、”空間取り合わせの見立て”を行うことでも可能なのだ。作家の作品でなくても、フォウンド・フォト(作者不詳の古写真)でも見立ては可能だろう。これらの行為はある種の写真での自己表現にもつながる。

写真を撮らない写真趣味が浸透することで、日本でも真に写真が売れるようになるのではないか。そして、見立ての勉強と経験を積むことで、間違いなく写真が上手くなる。その場の考えや思いつきだけではない、より能動的な写真撮影ができるようになるからだ。