カルロス アイエスタ +
ギョーム ブレッション 写真展
「Retrace our Steps/
ある日人々が消えた街」

日本人は過去を忘れやすい国民性を持つと、メディアなどでいわれることが多い。原発事故後の福島の報道は、5年が経過したいまは以前よりもはるかに少なくなってきている。
今回、銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催されている、ベネズエラ出身の写真家カルロス アイエスタ(Carlos Ayesta)とフランス人写真家のギョーム ブレッション(Guillaume Bression)による写真展「Retrace our Steps ある日人々が消えた街」は、原発事故後の福島を多方面からドキュメントしたものだ。この写真家デュオは、津波と原発事故が環境や人間生活にどのように影響を及ぼしたかを多様に表現するために、福島第1原発周辺の無人地帯に何度も訪れたという。
展示は「光影」、「悪夢」、「不穏な自然」、「パックショット」、「回顧」の5つのパートで構成されている。各内容を簡単に説明しておこう。
「光影」」(2011-2013)、避難地域の人気のない夜の街並みをフラッシュを利用して撮影。展示空間では暗闇を再現している。
「悪夢」(2013-2014)、放射能のような不可視のものを明らかにするために演出写真の手法を取り入れている。汚染地の境界線のあいまいさを表現するためにプラスチック製の巨大泡やセロハンを利用。
「不穏な自然」(2014-2015)、放置された地域が廃墟と化し、人工物の多くが木や草に覆い尽くされている状況を撮影。
「パックショット」、立ち入り禁止区域内のスーパーで見つけた、賞味期限が切れて遺物と化した食品などを現地のアスファルト上で撮影。
「回顧」(2014)、被災された人たちとのコラボ作品。帰宅困難地区の様々な場所に立ち入ってもらい、和食屋、ミュージックストアー、スーパー、美容院、パチンコ屋、オフィス、店舗などで、被災前に戻ったかののように振るまってもらい撮影。
本作の本質は現代社会における現象を伝えるドキュメンタリー写真だろう。アート的な様々な方法論が用いられているが、それらに特に目新しいものはない。
ギョーム・ブレッションは、インタビューで「どんなことが起きているのかを伝えることが僕たちの役目だと考えています。それを見た人たちが自分たちは何をしたのか、何をすべきかを考え始める。それが僕たちの狙いなのです」と語っている。またプレス資料やフライヤーの巻頭にも「僕たちの目的は、福島第一原発事故によって周辺地域に起きた影響を、つぶさに記録することだった。」というメッセージが引用されている。

アートの解釈法にもよるが、少なくとも制作者二人は現代アート的な意識で制作しているわけではないと思う。メイキングの映像を見るに作品はデジタルカメラで撮影され、展示作はインクジェットで出力されていると思われる。アート系の人はプリントの完成度を高めるために、デジタル技術に過度に頼ることなくもっと現場のライティングに技巧を凝らす。あえて大型フォーマットのアナログカメラを使用するかもしれないだろう。
だいたい現代アート系アーティストは積極的に大震災や原発事故を取り上げない。作品テーマの社会的インパクトが強すぎるので、その前にはどんな作家性も色あせてしまからだ。しかし、今回の展示会場がシャネル・ネクサス・ホールであることから、アート的な作品提示は絶対に必要であった事情はよく理解できる。

会場内の展示作品には一貫したトーンが感じられた。(真っ暗な空間で展示されていた「光影」シリーズ以外の作品)ただしこのあたりは技術的なイッシューだと解釈する人もいるかもしれない。私には現実というよりも、何か夢心地のようにシーンを見ている気分があった。それを伝えるのにどのような言葉が的確か考えてみた。もしかしたら死者が現社会に舞い戻ってかつて自分が存在した場所をみたら、このような感じになるのではないかと思いついた。私たちは死んだ後に霊になるのか、また霊界から一時的にかつていた場所に戻れるかなどは生きている限り知る由もない。しかし、生きている人間の想像できるのは、たぶん現実のリアリティーをあまり感じられない風に見えるだろうということだ。死んでいるがゆえに同じ場所でも存在する次元が違うはずだからだ。

作者たちがこのようなことを意識してプリント制作したかは不明だ。しかし、テーマが非常に重いものであるがゆえに、今回展示されていたやや現実とずれたトーンは単純なドキュメント写真ではないことを暗示している。作品テーマとの関連を語れると直感した。そう解釈すると、プラスチック製の巨大泡やセロハンを利用した演出写真の「悪夢」シリーズは、単独のシリーズにしたほうがよかったのではないか。これが本展に含められたのは、やや写真家たちの独りよがりのように感じさせられた。
アート的な作品提示は、それっぽい方法論のアプローチがなくても機能するのだと思う。しかし、非常に繊細なテーマを取り扱った写真作品であり、諸事情から確信犯で行ったとも解釈できる。
本展では、色々な展示方法や撮影アプローチに目を奪われることなく、彼らが慎重に計算した上で提示している原発事故が巻き起こした悲劇の本質をしっかりと受け止めたい。
 

2016年春 欧州アート写真オークション 元気のない低価格帯カテゴリー

アート写真オークションは、4月のニューヨーク、5月のロンドンが終わり、6月にかけて、欧州各都市で低価格帯中心(約7500ユーロ以下)の中堅業者であるVilla Grisebach(ベルリン)、Kunsthaus Lempertz(ケルン)、WestLicht(ヴェストリヒト・ウィーン)によるオークションが開催された。
今までの動向を見るに、大手業者が取り扱う中間、高額の価格帯は比較的堅調、中堅業者が取り扱う1万ドル(約105万円)以下の低価格帯は出品数は増加しているものの低迷しているという構図だった。最近はドル・ユーロ・ポンド・円の為替が大きく変動しているが、とりあえず、アート写真市場では、1万ドル、5000ポンド、7500ユーロ以下を低価格帯としている。
ロンドンで5月20日に行われた低価格帯中心のDreweatts&Bloomsburyの”Smile-Photographs and
Photobooks from 1960s”オークションでは落札率は約35%、総売り上げ10.5万ポンド(約1742万円/@165)とかなり厳しい結果だった。
さて3社の結果だが、昨年同時期と比べると、今回はオークション開催数が4から3に減少していることから、総出品数は約18%減少して651点だった。総売り上げはKunsthaus Lempertzが伸ばしたものの他の2社は減少。全体では約4%微減の約186万ユーロ(約2.195億円)。落札率はVilla Grisebachが減少したが他2社は改善。全体では約56%から61%にわずかだが改善した。
2016年の複数市場における落札率を比較すると、大手業者はニューヨーク約67.8%、ロンドンが約64.4%。一方で中堅はニューヨーク約62%、欧州約61%という結果だ。今回の欧州動向を分析するに、全体的には予想通りの元気がない低価格帯市場が続いているという印象だった。翻って先週に開催された47回目の伝統のある世界最高峰のアート・フェアのアート・バーゼル。メディア・レポートによると、事前の予想に反して100万ドルを超えるような高額作品の売り上げが好調だったという。改めて資産価値の高い有名作品の人気が強く印象付けられた。いまのところアート市場の2極化傾向には変化がないようだ。
ベルリンのVilla Grisebachでは6月1日に”Modern and Contemporary Photographs” を開催。こちらは91%が低価格帯。総売り上げは、約63.4万ユーロ(7481万円)、落札率は58.9%だった。最高額はピーター・ベアードの”Andy Warhol at Home in Montauk, Church Estate, New York, 1972″。落札予想価格の上限の7万ユーロ(約826万円)で落札された。
ケルンのKunsthaus Lempertzでは6月3~4日に、”Photography and Contemporary Art”を開催。こちらも94%が低価格帯。総売り上げは、約57.8万ユーロ(6820万円)、落札率は56.3%だった。最高額はアルベルト・レンガー=パッチェのヴィンテージ・プリント”Natterkopf, 1925″。落札予想価格のほぼ上限の7倍以上もする14.88万ユーロ(1755万円)で落札された。
今回はレンガー=パッチェ作品が、予想落札価格を大きく超える事例が多くみられた。他のヴィンテージ・プリントと比べると過小評価されており割安感があったということだろう。
ウィーンのWestLicht(ヴェストリヒト)では6月12日に”14th Photo Auction” が行われた。こちらも90%が低価格帯。総売り上げは約65万ユーロ(7670万円)、落札率は約68%だった。最高額はバート・スタンによるマリリン・モンローの56点のポートフォリオ“The Last Sitting,LA,1962”。死後55年経過しても彼女の人気に変化はない、落札価格上限の12万ユーロ(1416万円)で落札された。

2016年のいままでの落札率は約64.4%。昨年の全平均の約63.5%とほぼ変わっていない。アート写真市場は、とりあえず二極化傾向が続きながら今のレベルで留まっている印象だ。

(1ユーロ/118円で換算)

AXISフォトマルシェ3
同床異夢の参加者による写真イベント

欧米の写真界では、ファイン・アート系のフォト・フェア、写真家が集うフォト・フェスティバル、インテリア・デザイン系の商品見本市が全く別に行われている。今回のフォトマルシェはそれらの個別分野のイベントが一体化して開催されたと理解すればよいだろう。まさに日本の写真の現状を見事に表しており、共通項は写真というメディアを使用しているという点だけだ。
参加者には、ファイン・アート系、現代アート系、インテリア・デザイン系、写真家のプロデュース系、個別の写真家系、日本独自のレンタル・ギャラリー系などが見られた。それぞれの目指す目的や夢、価値観が全く違う。同グループ内では交流するものの、違うとまったく互いに関心を持たず交流もない。
それら参加者のカテゴリー別のシェアー比率もまさに日本の写真の現状が反映されていた。中心となるのはインテリア・デザイン系、個別写真家系、レンタル・ギャラリー系となる。ファイン・アートや現代アート系は少数で、ほとんど存在感がない。
今回は4日の会期中に約1300名が来場したという。各カテゴリーの観客動員をみてみよう。それは膨大に存在しているアマチュア写真家との関連性で決まってくる。アマチュア写真家を多数取り込んでコミュニティーを作っている個別写真家系、写真展示の場を提供するレンタル・ギャラリー系、幅広い商品の品揃えを目指してアマチュア写真家を含む若手写真家をリクルートしているインテリア・デザイン系の観客が多くなっている。
アート系はそのギャラリーの特色を生かした少数のコレクターを意識した展示を心がけている。アマチュアは相手にしないので、動員力は他のカテゴリーより著しく劣る。

2000年代になってアジアでも、パリ・フォトやフォトグラフィー・ショー(NY)のような海外のフォト・フェアを意識したイベントが開催されてきた。しかし、コレクターがいないのに表層だけ海外のフェアの真似をしても長続きしない。市場規模が小さいアジアでは海外のギャラリー参加が必要不可欠となる。しかし彼らは純粋に利益目的で参加する。最低でも経費が出るほどの売り上げがないと、二度とフェアに戻ってこない。海外参加者は回を重ねるごとに、激減していったのだ。

写真が売れない現状を踏まえて、フェア主催者も新たな可能性探究を行ってきた。東京・フォトもソウル・フォトも、販売目的のフォト・フェアと写真家が集うフォト・フェスティバルを融合したイベントを試みた。しかし、方向性が違う写真を無理やり融合させたイベントは中途半端なものになってしまった。うまく機能しなかった原因は、アート系の市場規模を大きく見積もり過ぎていたからだと解釈している。アジアでの現実的なイベントは、もっとアート系の比率を落として、写真家やアマチュアの取り込みを中心としたスタイルだろう。そして欧米的基準の価格帯の写真が売れないことを前提に、参加費を安くすることが現実的な主催者の運営方法と考える。
今回のフォトマルシェは、このような日本写真の現状が見事に反映された、様々な写真がサラダボール的に展示された現実的なイベントだったといえるだろう。3回目のイベントにして、かなり”写真の蚤の市”に近いものになっていた。
様々な意見があるだろうが、もし参加者が現状を正しく認識していれば(これが難しそうだが)、私はこのような日本およびアジア独自のイベントがあってよいと考える。来年以降の更なる展開に期待したい。