東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13 東京都写真美術館 21世紀東京の表現アプローチを探る!

21世紀のいま、写真家にとって”東京”をテーマに作品制作するのは極めて難しいだろう。それは展示企画するキュレーターにも当てはまる。世界中の大都市と同様に、東京には無数の問題点が横たわっている。しかし戦後の昭和のように、経済成長優先という多くの人が共有できた大きな価値観はもはや社会に存在しない。したがって、多くの戦後に生きた写真家がテーマにした、社会のダークサイドなどはもはや明確ではない。定常型社会化した東京では、多くの人とコミュニケーションが交換出来るような作品制作は非常に困難なのだ。
実際この地で暮らす人々には東京というキーワードは既に無意識化しており、それぞれが日々の生活に追われている。大都市であるがゆえに多種多様な価値観を持つ人が生活しているわけで、個別になされる問題提起も大都会の片隅に存在するわずかなノイズでしかありえない。それが偶然に見る側とコミュニケートする確率はもはや非常に低いと思われる。
一人の写真家の叫びも、価値が多様化した世界では激しい反発にあうことなどなく、ただスルーされるだけだ。東京をテーマにする写真家は、そのような表現者にとって最も残酷な状況に直面する可能性が高いといえるだろう。
いまそのような状況で多くみられるのは、様々な撮影技法や画像処理を駆使したもの、デザイン的感覚を重視した写真だ。見る側が少なくともその撮影アプローチやビジュアル自体に関心を示すからだ。いわゆる方法論の目的化で、それらはどうしても表層的で深みがない東京の作品になってしまう。それはパリやプラハの中世の面影が残る風景を撮影しても作品になり得ないのと同様の構図だ。

 

本展では上記のような方法論が目的化してない、誰もが違和感を感じない写真がセレクションされている。参加者は強いテーマ性を提示することなく、パーソナルな視点で東京という場所で淡々と写真を撮影している。大都市に横たわる局地的な現象や価値観を提示している作品をキュレーターがすくい上げているともいえるだろう。
個人の興味の違いによって、被写体は都市の風景、生活する人間、ヌードなどに、またプリントはカラーとモノクロ、制作手法はアナログとデジタルと、見事にばらけてセレクションされている。彼ら自体が現在の東京の多様な価値観そのものを反映させている存在だ。見る側は個別の写真家の作品に能動的に対峙するのではなく、展示全体がキュレーターが創作した一つの作品ととらえるとわかりやすいだろう。
ただし参加写真家の人数がやや少ないのではないかとも感じた。今回は新進の写真家を選出するという展示の性格上難しかっただろうが、東京はもっと多種多様なので紹介する写真家の人数を増やした方がより面白い展示になったのでないか。
それは同時開催されている「TOPコレクション展」のような様々な時代に生きた約40名もの写真家の展示ではなく、現代に生きる写真家10~15人展くらいが適当ではないかと考える。将来的により多数の写真家が参加する何らかの企画展に発展することを望みたい。
本展では、現在の東京における価値観の流動化もしくはカオス化が提示されている。21世紀東京の表現に挑戦した優れた企画だと思う。企画者の独断的な視点の押しつけがないことが展示全体の調和を見事にもたらしていた。
しかし、それが高度であるがゆえに文脈の説明を少し丁寧かつ明確に行ってほしかった。
東京の写真なので、一般来場者も感情的には親しみを持ちやすい。きっかけが提示されれば、さらに意識のフックへの引っ掛かりがもたらされるかもしれない。そこに新たなコミュニケーションが生まれる可能性があると考える。このあたりが現代社会でアートが果たすべき役割でもあるだろう。
・展示写真家
小島康敬、佐藤信太郎、田代一倫、中藤毅彦、野村恵子、元田敬三
・開催情報
11月22日(土)~17年1月29日(日)
10:00~18:00 (木金は20:00まで) 入館は閉館の30分前まで、 休館日 月曜日
・料金
一般 700円/学生 600円/中高生・65歳以上 500円