デヴィッド・ボウイのビジュアル・ワーク アート系ファッション写真との共通性

私は決してボウイ専門家ではないが、学生時代の1978年に武道館で開催されたボウイ日本公演に行ったファンの端くれだ。ここでは、専門のアートとしてファッション写真の見地からボウイを評価してみたい。

まず、”ポップ文化のモナリザ”と評価されることもあるという、1973年のアラジン・セインのカバー写真を見てみよう。

“Aladdin Sane” いまではこのヴァージョンの写真は”クラシック”と呼ばれている

本作を撮影したブライアン・ダフィーは、ロンドンで当時すでに有名ファッション写真家だった。実はこの作品、1973年用に前年に制作されたタイヤメーカー・ピレリの販促用カレンダーとの関わりがあるのだ。写真ファンなら知っていると思うが、ピレリ・カレンダーはその時代の最高の写真家とモデルを起用して制作される販促物。1964年から現在まで長きにわたり制作され続けている。販売用でなくVIPや重要顧客に配布されることから、入手困難なコレクターズ・アイテムとしても知られている。

その50年以上の歴史の中で極めて話題性が高かったのは英国人ポップ・アーティストのアレン・ジョーンズ(Allen Jones、1937- )が起用された上記の1973年判なのだ。彼がデザインとアートディレクションを手掛け、ブライアン・ダフィーが写真撮影、映画”時計じかけのオレンジ”のポスター手掛けたフィリップ・カストルがエアブラシを使用してその二つを合体させて制作したという異例のカレンダーなのだ。ファイン・アートが写真カレンダーの世界を侵略したとも言われた。制作過程でアーティスト間で様々な確執があったことや、発売わずか1か月前に社会に誤解を生む可能性があるとのことで一部写真作品が不採用になったエピソードなどでも知られている。当時アレン・ジョーンズを取り扱っていたマルボロ・ギャラリーは、販促用に無料配布されたカレンダーを求める多くの人々にとり囲まれたそうだ。ボンテージ、フェティシュ系の写真作品は、いま見るとたいしたことはない。しかし70年代としてはかなり斬新かつ挑発的だったようだ。
ピレリー・カレンダー関連の写真集は多数出版されている。興味ある人はアマゾンや洋書店で探してほしい。
さてボウイのアラジン・セインだが、全体のアートディレクションはダフィーがボウイと相談の上で行っている。カメラは中判のハッセルブラッド、コダック・エクタロ―ムというリバーサル・フィルムを使用。フィルムの特性上やや青白い仕上がりになっているが、逆にそれがヴィジュアルのシュールな雰囲気を高めている。稲妻のメイクもダフィーの発案。彼はローリングストンーズの1970年に制作された赤い舌のロゴマーク「tongue」を意識したらしい。
メイク自体はピエール・ラロシェが担当、鎖骨の水の滴はピレリ・カレンダーで一緒に仕事をしたフィリップ・カストルによりエアブラシを使用してイメージ上に描かれている。LP内側の見開き部分では、ボウイの全身のイメージが収録されているが、胸から下部分はエアブラシのデザインワークが見て取れる。同様のスタイルはピレリーカレンダー6月の写真にも発見できる。
英国ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された”DAVID BOWIE is”展では、メイン・ヴィジュアルに2011年に再発見されたアラジン・セインのセッションでのボウイが目を開いた未使用カットが使用され話題になった。この2枚の大きな違いは、目開きの写真の方には、涙がなくボウイの胸毛が見られることだ。1973年のクラシック・イメージではこの部分はエアブラシで修正され白くなっている。顔の部分も目閉じがやや赤らみ、クラシックはやや白い。たぶんここにも加工がされているのだろう。目開きの写真は、フィリップ・カストルの手が入っていないダフィーによるオリジナル写真なのだ。こちらの方がボウイの肉体の生々しいリアルさが感じられる。実はカストルの匠の技は細かいところまでなされている。クラシック・イメージの目を閉じたボウイのまつ毛のマスカラ部分は彼の手で書き加えられているという。アイラインも描かれているようで、作品を近くから見るとその痕跡が発見できる。
ブリッツで開催中の写真展では2枚が同じ壁面に展示してある。ぜひじっくりと見比べて欲しい。
私が最もファッション写真らしく感じるのは、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴが撮影したボウイ初のカバー・アルバム”Pin Ups”(1973年制作)のジャケット写真だ。
実はそう感じるのも当然、この写真は当初はヴォーグ誌の表紙用に制作されたものだったのだ。写真家のヴィルヌーヴは、ボウイと一緒に写っている元祖スーパーモデルのツイッギーのマネージャーでパートナーだった人物だ。彼は、ロサンゼルスで歌手ピーター・フランプトンがLPのアラジン・セインを持ってきたことでボウイの存在を知る。一部の歌詞にツイッギーを連想させる部分があり、彼はロンドンに帰るとボウイと面会してヴォーグ誌のカバー撮影の提案をしている。ボウイとツイッギーのヴォーグ・カバー案は早々に認められ、撮影はボウイが”Pin Ups”のレコーディングを行っているパリで行われた。撮影時のエピソードも面白い。ちょうど、ツイッギーはカリブ海のバハマ帰りで日焼けしていった一方で、ボウイの肌は真っ白だったのだ。そこでメイク・アーティストのピエール・ラロシェが二人の顔に同じ色のマスクを描くことでこの有名作品が完成するのだ。ボウイはテスト用のポラロイド写真をたいへん気にいり、レコーディング中の”Pin Ups”のジャケットに使用したいと提案。ヴィルヌーヴは悩んだものの、ボウイのLPは百万以上の販売見込みがあり写真は歴史に残る、一方でヴォーグの発行部数8万で発売後すぐに写真は忘れ去られることを熟考して提案を受け入れたのだ。しかし、彼には二度とヴォーグ誌の仕事の依頼はなかったとのこと。21世紀の現在でも”Pin Ups”の写真は多くのボウイ・ファンに愛でられている。結果的に、彼が1973年に下した判断は正しかったのだ。

ボウイはその時代の才能ある写真家、デザイナーなどのクリエーターを見つけ出して、彼らとコラボレーションすることで自らを作品として提示してきた。結果的に、自らをモデルとしたヴィジュアルは時代の気分や雰囲気を色濃く反映された作品に仕上がっていた。彼の関わった写真をいま多くの人が懐かしく感じるのは、それを通して当時の自分を思い起こしているからに他ならない。まさにアート作品として認められているファッション写真と同じコミュニケーションが起きているのだ。
ボウイの関わったヴィジュアルの変遷を見ると、彼が決してマンネリに陥ることなく、果敢に変化してきた過程がよくわかる。アーティストは、いったん成功するとその体験にとらわれて変化を避けるようになる場合がある。そのような人は一発屋としてすぐに消えてしまう。また変化を目的化し、自己満足を追求し奇をてらった表現に陥る人も多くみられる。ボウイのヴィジュアルは明らかにそれらとは違う。彼のような長年にわたってブランドを確立してきたアーティストは、自分の見立て力を生かして多くの才能を積極的に取り込み、新しいボウイのスタイルを作り上げてきたのだ。この点が非常に重要だと考える。

アーティストを目指す人、とくに独りよがりになりがちな若い人には、ボウイのキャリア分析は非常に参考になると思う。

ボウイは、自分自身のブランディングへのヴィジュアルの効果を誰よりも理解していて、キャリアを通してそれを的確に利用してきたアーティストなのではないだろうか。

“BOWIE:FACES”展と、”Duffy Bowie Five Sessions”展は、その軌跡を垣間見ることができる展示になっている。ボウイのファンはもちろん、アート系のファッション写真に興味ある人もぜひ見てほしい写真展だ。
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1.”BOWIE : FACES”展
1月6日から4月2日までの期間に、代官山蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場で開催
参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、
鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、
ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、
ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。
・オフィシャルサイト
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2.ブライアン・ダフィー写真展
“Duffy/Bowie-Five Sessions”
(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ)
2月5日まで、ブリッツ・ギャラリーで開催
本展ではダフィーによる、デヴィッド・ボウイの5シリーズからのベスト作品約18点を展示。
参考図書
・Duffy Bowie Five Sessions、ACC、 2014
・BOWIE:FACES Exhibition Catalogue、2017
・The Pirelli Calendar Album、Pavilion、1988