“BOWIE : FACES”展は4月2日(日)まで開催 いよいよ最終週

1月6日から代官山 蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場を巡回してきた”BOWIE : FACES”展。早いもので、いよいよ最終週に突入した。展示主要作品は同じなのだが、会場ごとにかなり大胆に壁面展示を変えてきた。現在のブリッツでは、1967年~2002年までの47点の作品を、作家、撮影年代、作品サイズなどをあえて混在させて、壁面全体をフルに利用して展示している。

キャリアを通してボウイは各時代の才能ある写真家、デザイナーなどのクリエーターを多数起用し、彼らとコラボレーションして自らのビジュアル・イメージをセルフ・プロデュースしてきた。その多様さは驚くべきもので、ボウイを知らない子供が会場に来ると、全く違う複数の外国の人のポートレートだと信じているくらいだ。言葉で説明すると回りくどいのだが、その歴然たる事実が今回の展示により、来場者は直感的に理解できるのではないだろうか。
たとえば、若手や新人が今回のような展示を行ってもヴァリエーションが少なく単調になる。いくら作品数が多くても見ていて直ぐに飽きるのだ。しかし、ボウイの複数クリエーターとコラボレーションして制作された作品だと展示にリズムが感じられる。これは想像だが、ボウイの一見ばらばらな姿には適度な規則性があり、壁面の空間周波数は1/fゆらぎにちかくなっているのではないか。様々なクリエーターを採用しているものの、彼らが勝手に創作するのではなく、すべてボウイのディレクションの範囲内に収まっているという意味だ。会場内に身を置くとそのような印象が直感的に湧いてくる。それが理由かは不明だが、本展来場者の滞在時間が普段よりかなり長いのだ。私は約3か月に渡り作品とともにいたのだが、まったく飽きることがなかった。
本展では、このようなボウイの各時代の代表的な写真作品がすべて購入可能なのだ。ここからは、少しばかりセールストークを展開してみよう。
ポップ・アルバム・カバーのモナ・リザといわれるダフィーの”アラジン・セイン”。本作のLPサイズ判のマット入り作品などは、オープンエディション、アーカイブのスタンプ付きで約2万円で買える。
また、今年発売40周年を迎える”ヒーローズ”。1977年の同じセッションからセレクションされた鋤田正義の小さめの8×10″(約20X25cm)作品はエディション100、作家サイン入りで額装しても約3万円くらいで入手可能なのだ。こちらの販売開始は”BOWIE : FACES”東京展からなので現時点ではまだ予約可能だ。鋤田はこれから、ベルリン、イタリア、ロンドンでの個展開催が予定されている。写真は外国の方が売れるのでこれから完売する可能性もあるだろう。エディションは多く感じるかもしれないが、世界全体で100枚なのだ。
テリー・オニールの”ダイアモンド・ドッグ”プロモーション用に1974年に撮影された大型犬が吠えているアイコニックな作品もまだ購入可能。大判サイズは完売しているが、12X16″(約30X40cm)サイズなら30万円程度。また私がお買い得だと考えるのが、”ダイアモンド・ドッグ”のコンタクト・シート作品。セッションの9作品がグリッド状に配置されている。こちらは最近に販売開始されたので、16×20″(約40X50cm)作品がまだ22万円程度で入手できる。テリー・オニール作品はすべてエディション50、作家サイン入りだ。
エディション付きの写真作品は1枚ごとの受注生産となる。展覧会開催時は注文がまとまるので写真家も快く制作してくれる。展示作品以外でも入手可能なのだ。

会期はいよいよ4月2日(日)までとなる。アートとしてのポートレート写真コレクションの考え方や購入後の展示方法など、相談があれば遠慮なく問い合わせてほしい。

(*作品サイズは印画紙サイズ、価格はフレームは別)
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“BOWIE : FACES”展
4月2日(日)までブリッツで開催
Open: 13:00-18:00

参加写真家
ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、
テリー・オニール(Terry O’Neill)、
鋤田正義(Masayoshi Sukita)、
ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、
ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、
マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、
ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)

・オフィシャルサイト

展覧会レビュー
MEMENTO MORI
ロバート・メイプルソープ写真展
シャネル・ネクサス・ホール

ロバート・メイプルソープ(1946-1989)は、エイズでわずか42歳で亡くなった伝説の米国人写真家。80年代に写真をファイン・アートのコレクション対象物に広めたことで知られている。彼は、当時はタブーだった黒人メールヌードやSMなどをテーマにするとともに、自らがエイズで若くして亡くなったことからスキャンダラスな写真家の印象が強い。アート性の評価は、ゲイの美意識により制作された、モノクロの抽象美を追求した高品位のファインプリント作品のというものだった。フォーマル・デザイン、被写体のディーテールや対称性、フレーミングへのこだわりが結合して、耽美なメイプルソープの写真世界が構築されていた。

彼の作品相場は、エイズであることが明らかになった1986年ごろから大きく上昇した。しかし1989年の死後の価格上昇は穏やかなものだった。当時の写真としては斬新だったものの、現代アートが市場を席巻するのに従い、表層重視の20世紀写真カテゴリーの人という評価から抜け出せなかったのだろう。
しかしメイプルソープの近年の展示は、美術史との新たな関係性発見を試みるようなものが多くなっている。特に2004年にグッゲンハイム美術館ベルリンで開催された展覧会は、メイプルソープの写真作品と古典芸術、特に16世紀のマニエリズムの木版画、銅版画彫刻との関連を探求したもので印象深かった。ロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館の版画、彫刻などのマニエリズム作品と、グッゲンハイム・コレクションのヌード、花などのメープルソープ作品の多くがセットで紹介。表現方法や場所を超越した、過去から現在につながっているアート史との関連性が見立てられていた。
近年行われたその他の紹介は、作品カテゴリー別の編集、評価による企画が多かった。それらには、ポラロイド写真、セルフポートレート、SMやフェティズム、フラワーシリーズなどが含まれる。
いまメイプルソープ再評価の試みが世界中でゆっくりと着実に進行中なのだろう。もしかしたら最近の彼の相場は過小評価なのかもしれないと感じている。
今回のシャネル・ネクサス・ホールでの展示は、シャネルとかかわりが深い有名建築家のピーター・マリーノによるコレクションからの出品とのこと。ちなみに会場のあるシャネル銀座ビルディングは同氏の設計なのだ。プラベートな収蔵作なので新たな視点でメープルソープ作品の再評価を試みるような展示ではない。展示数はホワイトギャラリー1が26点、ホワイトギャラリー2が22点、ブラックギャラリーが43点の合計91点。リストによると5点がプラチナ・プリント、残りがシルバー・プリントだ。
彼は1976年からハッセルブラッドを入手してネガフィルムでの作品を制作している。本展ではそれ以前の、自作フレームを利用した作品、インスタレーション、ポラロイド、またカラー作品は含まれていない。日本での本格的な作品展示は2002年に大丸ミュージアム(東京)などで開催された回顧展以来とのことだ。
セレクション的には、モノクロのポートレート、花、黒人ヌードが中心に編集されている、1992年に刊行された”Mapplethorpe” (Random House Trade刊)に近いだろう。同書には、より衝撃的な部分的ヌードやハードなSM作品が収録されている。ちなみに日本版は1994年にアップリンク社から刊行された。想像するに、ピーター・マリーノのコレクションにもその種の作品は当然含まれているが、本展では総合的な判断から比較的穏やかな印象の作品がセレクションされたのだろう。
とても印象深く感じたのは銀塩やプラチナプリントで制作されたモノトーンな美しさだ。特に被写体の肌の部分の中間トーンの諧調の再現力は秀逸だった。最近の写真はモニターで見る機会が圧倒的に多い。特にそれに慣れた若い世代の人はコントラストが強めの写真プリントを制作しがちだ。それ自体が、何らかの作品テーマとの関わりがあれば問題ないのだが、最近の写真は私たちの実際に見て感じている世界とはかなり違っている。本展ではファイン・プリント写真のモノクローム表現の美しさを再発見させてくる。

カタログの紹介文でシャネルのコラス社長は、メイプルソープとシャネルの革新性を指摘し、「メイプルソープもシャネルも、物議を醸しだしたり、ルールを破ったり、予想を裏切ることを恐れませんでした」と書いている。しかし、死後約28年が経過し、メイプルソープの革新性はもはやクラシックになったのではないだろうか。私は、本展は現代アートが市場を席巻する前夜の、アナログ写真の歴史と伝統の集大成を見ているように感じる。それは老舗シャネルのブランド・イメージとも重なるだろう。

これだけの貴重なメイプルソープ作品を一堂に鑑賞できる機会はめったにない。写真ファン、アートファンは必見の展覧会だろう。なお同展は4月開催の「KYOTOGRAPHY 京都国際写真祭」のメイン展示にもなるそうだ。
「MEMENTO MORI ロバート・メイプルソープ写真展 ピーター・マリーノ コレクション」
3月14日~4月9日、12:00-20:00、無休無料
シャネル・ネクサス・ホール
東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4階

写真展レビュー
“山崎博 計画と偶然”は限界写真か?
東京都写真美術館

いままで日本における新たなアート写真のカテゴリー創出を提案してきた。現在、東京都写真美術館で開催されている”山崎博 計画と偶然”を鑑賞して、彼こそはこのカテゴリーの写真家ではないかと直感した。
少しばかり長くなるが、いま一度新カテゴリーの概要を説明しておこう。過去に書いた解説と重なる部分があるのはご容赦いただきたい。
現在の写真カテゴリーを大きく分けると、制作者のオリジナルな創造性を愛でるファイン・アート系と、実用的なデザインやインテリアを重視した応用芸術系がある。ファイン・アートは元々は欧米から輸入された概念であり、日本では感覚やデザイン性の追求がアート行為だと拡大解釈されてきた。写真表現もファイン・アートというよりも応用芸術系が中心になっている。
ファインアート系には、かつて20世紀写真という分野があった。20世紀には、写真はアナログ制作の特殊性によりアート界でも独立して存在していた。そこでは印刷で表現できないファインプリントの美しさと、モノクロの抽象美が追求されていたのだ。しかし21世紀になり現代アートの市場規模が急拡大し、また写真のデジタル化進行で技術的な敷居がなくなり誰でも制作できるようになった。この大きな変化により、写真は大きな現代アート表現の一部になって、現在の状況に至るのだ。従来の20世紀写真の流れを踏襲する写真家は、写真分野のアルティチザン(職人)のような存在となった。
しかし、そのような写真独自の美学や技術を追求している人が、無意識のうちに時代特有のメッセージが反映された作品を提示している場合も少なからず存在している。それらは意識的に行われるのではないので、現代アート分野の写真ではない。しかし、デザインや感覚を重視するインテリア系写真でもない。
これらは全く新しい分野というよりも、従来の日本の美術・文化史とのつながりから見出すことが可能なのだ。かつて評論家の鶴見俊輔が提唱した限界芸術という考えにかなり近い。彼は著書「限界芸術論」(1967年、勁草書房刊)で以下のように定義している。「今日の用語法で『芸術』と呼ばれている作品を、「純粋芸術」(Pure Art)とよびかえることとし、この純粋芸術にくらべると俗悪なもの、非芸術なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品を『大衆芸術』(Popular Art)と呼ぶこととし、両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品を『限界芸術(Marginal Art)』と呼ぶことにしよう。」
限界芸術の一部だと鶴見が指摘している分野に、柳宗悦が提唱する「民藝」がある。柳は優れた美であれば、鶴見のいう純粋芸術にあたる「作家性のあるもの」とともに、無名な職人の作品を積極的に評価してきた。
欧米の価値観では分類できない多くの日本の写真家の作品群は、この限界芸術ににかなり近いとのでないかというのが私どもの気付きなのだ。そしてこの限界芸術や民藝の写真をクール・ポップ写真と呼ぼうと提案してきた。新しいカテゴリー分けを行うことで、いままですっきりしなかった日本のアート写真の分類がわかりやすくなると主張してきたのだ。
ファイン・アート系写真家の場合、その最終的な評価は死後にセカンダリー市場で取引が成立するかどうかだ。つまり歴史に多少なりとも存在の痕跡が残せるかにしのぎを削っている。限界写真(マージナル・フォトグラフィー)のクール・ポップ写真では、写真家が作品販売のしがらみから解放される。写真家にとって、写真は市場の評価を得るものではなく撮るもので、社会とのコミュニケーションを交換する手段となる。アーティストとは写真を販売して生活する人ではなく、写真撮影をライフワークとする人になる。それは人生を通して能動的に社会と接する一種の生き方を意味する。どれだけ心を開いて世界を真剣に対峙したうえで撮影されたかが重要視される。逆説的だが、作品を売ろうという気持ちが消えた時にクール・ポップ写真は生まれるのだ。

評価は第三者の直感による見立てにより行われる。現代アートのようにテーマやアイデア・コンセプトは写真家自身から語られない。民藝が職人の手作業に注目したように、クール・ポップ写真では写真家が心で世界を見る行為に注目する。しかしそれは評価者の主観的な好き嫌いや思いつきでは行われない。また瞑想のような見る行為自体に安易に価値を見出すのには注意が必要だろう。それは優劣がない感覚自体の評価と表裏一体だからだ。またインテリア写真のようにデザイン的視点からだけの評価でもない。「直感」は見る人の美術・写真史や各種情報の集積、様々な感覚に対する理解の結果もたされる。写真家が無意識のうちに提示しようとしている新たな組み合わせ、融合された視点に気付くこと。そしてそれが時代の中にどのような意味を持つかの判断だ。

内在しているアート性のヒントは、写真家が無意識のうちに写真り続けるようになったきっかけや、その背景に隠されていると考える。そこに至るまでの過程には現代社会における何らかの価値観との関係性があるはずだ。
以上のように、写真家以上に見立てる人の実力が問われると考える。
さて、山崎博の写真展”計画と偶然”をみてみよう。
同展では、45年を超える作家活動の軌跡を初期作から新作までの182点の作品展示で回顧している。新カテゴリーの写真との類似性を見てみよう。
カタログの資料によると、彼の創作は「被写体を探して撮る」ことの否定、作為性を排した自身の新たな写真行為の実践であったという。また、写真はコンセプトに従属せず、コンセプトは写真に奉仕する、と山崎は述べていると紹介されている。同展キュレーターの石田哲朗氏は、”彼はいわゆるコンセプチュアル系の美術家がコンセプトの提示ために写真を用いるスタンスとは全く異なっている”と指摘している。山崎の写真制作のアプローチは、民藝などの陶芸作家の創作に近いという印象を持った。彼は、当時主流だった20世紀写真の価値観の、ファインプリントの美しさとモノクロの抽象美の追求を意識的に避けてきたのだ。それ自体を現代アート的に、方法論自体を作品コンセプトにしていると解釈できないことはない。
ここからは私の想像だが、どちらかというとカメラの構える方向などの撮影方法は大まかに決定されているものの、その後の創作過程は本人の内側から湧き出た衝動により突き動かされ、無意識に近いのではないか。それを抽象的写真と呼ぶ人もいるのだが、陶芸家と同じように真に心を開いて、無心の境地で世界と真剣に接したうえで撮影しているとも解釈可能ではないか。そして彼は従来の写真美の追求を避けてきたものの、完成した作品群は非常に美しいのだ。陶芸家が無心の境地から美しい作品を生みだすのに近い。それならば限界芸術の写真版と言えないことはないだろう。

限界写真のクール・ポップ写真では、アーティストとは、ライフワークとして能動的に社会と接する人の生き方を意味する。カタログのプロフィールを見るに山崎は作品の評価や市場性を求めることなく、写真を教えながら約45年も制作を継続している。彼の人生はまさに上記のようなものだったと解釈可能だろう。カタログでは石田氏が、山崎のフィルムの時代のケミカル・プロセスへのこだわりも評価している。ここも手作業に価値を置くクール・ポップ写真の評価と重なる。

新分野の写真は、誰かが見立てを行うことで評価される。今回の展覧会開催で美術館が見立てを行ったということだろう。山崎作品の評価は、20世紀写真の美意識にこだわる人や、現代アート的なテーマ性、アイデア、コンセプトを重視する人にはすんなりと理解できないかもしれない。しかし、日本の美術界に限界芸術や民藝が存在していたように、写真界にも独自の価値基準が存在していたことが本美術館展により明らかにされたのではないか。私どものような単なる業者が主張するのとは重みが違う。
同館での展示方針は、現代アートと20世紀写真の基準が混在した形式だと理解している。世界的にも珍しい”写真”の美術館であるから、このような展示スタイルになるのは自然だと感じている。しかし、海外から日本は特殊だと指摘される可能性もある。誤解を避けるために、将来的にはどこかの段階で日本独自の写真カテゴリーの提示は必要だろう。今回の展覧会を、その価値観を発信するきっかけにして欲しいと願っている。

写真集レビュー : ウィリアム・エグルストンは何ですごいのか “The Democratic Forest: Selected Works”

ウィリアム・エグルストン(1939-)は、ときに”シリアス・カラー写真の父”と呼べている現代アメリカを代表する写真家。大型カメラを使ったシャープ・フォーカスで色彩豊かなカラー写真で、アメリカ南部土着の風景や人々の生活を感傷的に撮影している。彼は、生まれ持った洗練された色彩、フォルム、構図の際立った認識力を駆使して、何気ない日常風景を巧みに詩的風景へと高めていく。多くの人は彼の作品の中にアメリカの原風景の残り香を見出し共感してきた。 市場での評価も非常に高く、最近では2015年秋のフィリップスNYのオークションで代表作”Memphis, 1969-1970″が30.5万ドル(約3500万円)で落札されている。

エグルストンは、80年代に撮影した作品を1989年に”The Democratic Forest”(Doubleday刊)として発表している。”その他より違う特定の重要な主題は存在しない”と語るように、彼は高尚な主題に対するのと同様の複雑さと重要性をもって、非常にありふれたものにも取り組んでいる。同シリーズは、彼の民主的なヴィジョンを示唆した代表作品として知られている。

2015年ドイツのSteidl社は、この”The Democratic Forest”シリーズから約1000点以上がセレクションされた10分冊の豪華本を刊行。本書では、このエグルストンの代表プロジェクトの中から特別な作品68点をセレクション。2016年秋にニューヨークのギャラリーDavid Zwirnerで開催された写真展の際に刊行されている。
本書の序文はスタンフォード大学のアートと美術史を専門とするアレキサンダー・ネムロフ(Alexander Nemerov)が担当。今回はエグルストン写真に対する彼のエッセーを取り上げてみたい。
アーティストのアイデアやコンセプトのオリジナリティーの評価は歴史との対比で語られる。ネムロフ氏のエッセーで興味深かったのは、作品に対する感覚的な印象やフィーリングも、多方面の歴史との対比や類似性で語られていることだ。既に多くが語られつくした感のあるエグルストンに対する新たなアプローチといえるだろう。本人の感覚と豊富な知識が駆使されて書かれた文学的な内容の文章なので、はっきり言ってよく理解できない面もある。しかし、ただ単に自分の感想を述べるのではないのだ。作品を感覚的に述べる際に参考になるだろう。
まずエグルストンの写真が持つカラーの効用について。それが米国文化で一般的な祭りやフェア、大行進のフィーリングを醸し出しているのを、画家ウォルト・クーン(Walt Kuhn)作品を引用して指摘している。また彼の作品の持つ”空虚感”を、ルネッサンス期のイタリア人画家ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)と類似していると指摘。米国人画家エドワード・ホッパー(Edward Hopper)作品の無人のインテリア図版が紹介されているが、彼の絵画は人の気配を感じるのでエグルストン作品とは違うとしている。また現代アートの先駆け的な作品で知られるマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)からの影響にも触れている。

引用の範囲はミシシッピィ出身の小説家のウィリアム・フォークナーにまでおよぶ。彼の自分を見下げたような感覚をエグルストンの写真にも見ている。エグルストン作品の持つ不完全さ、緩い感じにフォークナー作品の諦観力との類似性を発見し、それが作品の永遠性を呼び起こすと指摘。このあたりの分析は、両者の作品に精通したネムロフ氏ならでは。ある程度の前提知識を持たないと理解し難い箇所だろう。

写真家では、フランス人のウジェーヌ・アジェ(Eugene Atget)がエグルストンの先例として紹介されている。典型的アメリカンの対象物とパリの街並みという、まったく違うモチーフが撮影されている。しかし二人の写真は一連の大きな流れで撮影されていると指摘。それらは、写真家の内側から出てきた衝動というよりも、彼らの置かれた世界の環境により駆り立てられた面が強いのではないかと分析。それにより、共に写された世界の永遠性の気分を強く感じる写真にしているということだ。私は、当時の二人の写真家の背景にあった時代や社会が激動する予感が、作品制作に駆り立てたと理解した。ネムロフ氏のいう永遠性は、その価値観がもはや存在しないから感じたのだろう。エグルストンやアジェの写真でよく言われる、懐かしい感じや古き良き時代の残り香などと近いニュアンスではないか。
エグルストンが何ですごいのか。今回は一例だが、それは彼の作品のなかに上記のような極めて多様な分野の歴史との対比、分析、見立てが可能だからだ。ネムロフ氏のエッセーのように、優れた作品の場合はその印象を語るときさえも、それが可能になる。このようなエッセーは、比較対象される歴史の知識を持たないと難解となる。写真なのだが絵画の評論とまったく同じなのだ。
誰かがこの役割を果たさないと、写真は単に物質的な意味にとどまる。表層が語られるだけで、アート表現の一部には含まれないのだ。特に日本では写真はアートとは別の独立した存在だと考えられている。ここの部分の仕事が成立しない状況にもなっている。写真と関係のない、美術史専門家や文芸作家ならば、より自由に興味深い視点や感想を提示できるのではないだろうか。

写真集の紹介は以下からどうぞ

アート写真オークションの25年
激動する20世紀写真の価値

オークション資料の調査で、1991年10月のニューヨーク・ササビーズで開催された写真オークションのカタログを偶然に見直す機会があった。ちょうど手元に約25年後の2016年10月のニューヨーク・ササビーズのカタログがあったので2冊の内容を見比べてみた。詳しく分析したところ、約4半世紀でアート写真の世界で起こった様々な変化が、この2冊の内容の違いに凝縮されており非常に興味深かった。
まずカタログ内容の印象が全く違う。1991年のものは、だいたい年代順、写真家ごとに写真が並べられているが、全体のエディティングがあまり行われていない。委託者が売りたい作品全部が単に整理されて詰め込まれている印象だ。
それに比べ現在のカタログでは、掲載作品のセレクションは専門家の好みや見立てがかなり反映されており、多くの写真分野や時代などを網羅した、非常に洗練されバランスの取れた内容に仕上がっている。作品単価がはるかに高くなっているのも影響しているだろう。市場性が高い作品が中心に出品されているとも解釈できる。いまや市場性の低い作品は大手では取り扱わず、中小業者のオークションに振り分けられているのだ。
出品数も大きく変化している。1991年は534点だったのが、2016年には178点に減少。これは、必ずしも市場規模が縮小したのではない。当時のアート写真取り扱いは、春と秋のニューヨークのササビーズ、クリスティーズ、スワンくらいしか行っていなかった。いまは、開催都市が欧州にも広がり、取り扱い業者も大手フィリップスなどが加わり増加している。
オークション出品作家数も237名から78名と大幅に減少している。当時は、アート写真オークションは他分野のアートとは全く独立して存在していた。コレクター層もあまり他分野と被らなかった。それ故に、モノクロームの抽象的な美しさとファインプリントの高い表現力を持った作品は写真家のアート性とはあまり関係なく出品されていた。
その後は、写真も幅広いアート表現の一部であるという認識が一般的になり、高い作家性が求められるようになったのだ。2016年では、20世紀写真でも現代アートの視点で再評価が行われたうえで出品が決められている。
1991年に出品されていた多くの19世紀~20世紀の中堅写真家のうち、従来の写真独自の美学しか認められない人たちは市場から淘汰されてしまったようだ。
有名写真家も再評価を避けて通れない。1991年と比べて、アンドレ・ケルテス、エドワード・スタイケン、ウォーカー・エバンス、クラレンス・ジョン・ラフリンらの出品数は大きく減少している。ロバート・メイプルソープも激減しているが、ちょうど彼が1989年にエイズで亡くなったので、当時は利益確定の売りが多かったのだろう。出品数があまり変わらないのが、アンセル・アダムス、ロバート・フランクなど現代アートの視点からも評価されている写真家たちだ。

市場価値はどうだろうか?同じ作品はアンセル・アダムスの”Winter sunrise. Sierra Nebada, From Lone Pine,1944″を発見した。サイズ、プリント年ともほぼ同じだった。1991年は5000~8000ドルだったが、2016年には25,000~35000ドルになっていた。中間値で比較すると約4.6倍の価値上昇だ。アンリ・カルチェ=ブレッソンのボトルを抱えた少年をとらえた代表作”Rue Mouffetard,1954″は、サイズが2016年の方が多少大きいが、2000~3000ドルだったのが、15,000~25,000ドル。こちらは約8倍になっている。アルフレッド・スティーグリッツのフォトグラヴュールの代表作”The Steerage”は、5000~7000ドルだったが、15,000~25,000ドル。こちらは控えめの約3.3倍になっている。作品の骨董品的価値が強いものはあまり上昇していない。

ロバート・メイプルソープの花作品だが、まったく同じ絵柄はなかったが、エデイション10で19.25X19.25インチ・サイズ作品を発見できた。7000~9000ドルだったのが、15,000~25,000ドル。こちらも控えめの約2.5倍になっている。彼の相場は、亡くなる前のエイズ公表時点に当時のピークをつけていた。
驚いたのはロバート・フランク。当時はドキュメント系の評価は低かったのだ。同じ作品は発見できなかったが、写真集”The Americans”に収録されている一般的作品が1991年には、だいたい2000~3000ドルくらいの評価なのだ。いまなら、間違いなく15,000~25,000ドルだろう。こちらも約8倍くらい上昇している。
カタログ表紙を飾ったリチャード・アヴェドンの名作にも触れておこう。代表作“Dovima with elephants” (1955)は、ディオールの黒いドレスが有名だが、実は白いドレスのヴァージョンも存在する。1991年の作品は8X10″サイズの1点もののヴィンテージ・プリント。本作のネガはいまや存在しないそうだ。評価は20,000~30,000ドルで、18,000ドルで落札されている。2010年11月に、クリスティーズ・パリで黒いドレスのヴァージョンの1978年プリントの216.8 x 166.7cmサイズの作品が$1,151,976で落札されている。当時は円高時で1ドル82.50円くらいだったので、円貨だと約9503万円となる。1991年はまだファッション写真がアートとしては市場では広く認知されていなかった。ペンもアヴェドンも出品されてはいたが、ファッション系の評価は低く、ポートレート、静物、ヌードなどが中心だった。25年の間にファッション写真は時代の気分や雰囲気を表現したアート写真の人気カテゴリーへなった。この貴重な1点ものは当時明らかに過小評価されていたといえよう。
25年間を比較するといくつかの興味深い事実が明らかになる。例えオークションに出品された作品でも、いまや市場価値がつかない数多くの作品が存在する。これはアート一般で言われることで、ドン・トンプソン氏の市場分析を行なった著作によると、現代アートの世界では25年のうちにオークション出品作でさえも生き残るのは約半分とのこと。写真でその比率がさらに低くなっているのは、途中で市場の価値観の変化があったからだろう。
個人的な印象では、もともと知名度と価格が低かった人の方が市場から消え去る確率が高かったように感じる。ここでも現代アートの世界でいわれる、”低価格作品は個人が好きで楽しむもので価格が上昇する確率が低い”という一般論が当てはまる。当時、既に写真史で名前が知られていた人は、いまでもほとんどが生き残っている。ただし人によっては価格上昇率が高くない場合があるだけだ。逆にその後にアート性が認知された人の作品、特にその代表作の価値は大きく上昇している。いまや20世紀写真の大御所のヴィンテージプリントよりも、現存する現代アート系アーティストの写真作品の方が高額であるケースは珍しくない事実は広く知られているだろう。
今回の比較結果は、これから写真を買う人の参考になるだろう。アート・コレクションの基本は、気に入った作品をパッションと自らの目利きを信じて買うことだ。それらが生活の質を高めてくれることは間違いない。しかし、もし投資的な視点を加味して写真を買うならば、それに加えていくつかの留意点があるようだ。それは予算の範囲内で最も高額な、知名度が高い人の、代表作の購入を心がけることだろう。
1991年の平均為替レートは 1ドル/134.7067円