写真展レビュー
テリ・ワイフェンバック「The May Sun」 IZU PHOTO MUSEUM

米国人女性写真家テリ・ワイフェンバック(1957-)の「The May Sun」展がIZU PHOTO MUSEUMでスタートした。彼女は写真で表現するアーティストとして20年以上のキャリアを持つが、国内外の美術館では初個展とのことだ。

本展は、4つのパートから構成されている。導入部分で初期作品の紹介的な意味合いで「In Your Dreams」などのフォトブックを紹介している。続く2つのメインギャラリーでは「The May Sun」と「The Politics of Flowers」を展示。出口近くのスペースでは彼女の新しい試みの映像作品やインスタレーションを展示している。同作はデジタルカメラ使用で制作可能になった動画作品の可能性を探求した実験的な要素が強い。
本展の中心展示は「The May Sun」、「The Politics of Flowers」となる。前者は数年前の伊豆滞在時にデジタルカメラで撮影された、デジタルCプリントとアーカイバル・ピグメント・プリントで制作されたカラーによる自然風景の大判サイズ写真。後者は2005年にフランスの出版社onestar pressに招待されて制作したフォトブックからのセレクションとなる。現在でも紛争が絶えないパレスチナの地。19世紀、聖地巡礼者の間では、同地で咲く花で制作された押し花帖がエルサレム土産として人気があったという。展示作品は、ワイフェンバックがネットオークションで購入した押し花帖からスキャニングされて制作された小ぶりのモノクロのアーカイバル・ピグメント・プリントだ。この制作アプローチは現代アート分野の表現で見られる、ファウンドフォトを再解釈して作品化する方法に近い。
この二つはあらゆる面で全く性格の違う種類の写真といえるだろう。それゆえ本展全体のテーマとコンセプトがやや分かり難くなっている。彼女の写真を知らない人は、まったく関係のない2作品の展示と受け取るかもしれない。
4月9日にワイフェンバックと写真史家の金子隆一氏のトークイベントが開催され、上記2作について本人の口から断片的かつ間接的に展示意図が語られた。ここでは、私なりに彼女が本展で何を表現しようとしているのかを分析してみたい。
「The Politics of Flowers」は、21世紀の現在でも世界中で紛争が絶えない状況を暗喩した作品ではないか。彼女は母親の死をきっかけに同作制作を思いついたという。押し花帖を手にとることで、彼女の思いは母との死別で精神的に打撃を受けている自分と同じように、家族、友人、仲間、親戚の死や負傷に直面しているパレスチナの地の人々の存在へと及んだという。
海外のアーティストは、自由平等、差別反対などの様々なメッセージを世界に対して作品や行動で発信する人たちだ。ワシントンD.C.在住のワイフェンバックも、女性に差別的な発言を繰り返してきたトランプ氏に抗議するデモに参加したという。最近でも、世界各地で発生するテロ事件、シリアやアフガニスタンでの紛争のニュースがマスコミで報道されている。彼女が本展を構想し始めた時期よりも世界の状況は混迷を深めている。彼女が理想としている状況が遠のいているといえるだろう。彼女はモノクロは破壊や衝突を表すとしている。色のない押し花作品はまさにこのような状況が現存するという問題点の提示なのだ。
「The Politics of Flowers」が破壊なら、「The May Sun」はそれに対する再構築を意味すると語っている。つまり前者で行った現状認識および問題提起に対する彼女の回答だと理解したい。ワイフェンバックは場所の持つ気配を感じ取って写真で表現するのを得意とする。それはオランダ北東部のフローニンゲンで制作された時代の変遷により歴史から消えた場所の残り香を紡ぎだした”Hidden Sites”(2005年)などで見ることができる。
私は本作を見て、彼女は歴史を大きく遡って古の日本人が伊豆の山河に感じた神々しさ、言い方を変えると八百万の神を表現していると直感した。
それは自然を神の創造物ととらえ、人間が支配し管理するものだという西洋の考え方への疑問符なのだ。一方で日本では、優美という価値観を持ち、自然に神の存在を感じて共に生きるというメンタリティーを古来から持っていた。天然資源を消費することで経済が発展し人類は豊かになったものの、世界的な環境破壊、それが原因とみられる気候変動も引き起こした。いま西洋の合理主義的な考え方に多くの人が限界を感じ始めている。それに対して様々な対処方がある。自然とともに生きるという考え方の採用も一つの選択肢として説得力を持つだろう。ワイフェンバックは、その思想が文明が犯してきた破壊に対しての再構築の意味合いを持つと考えているのだ。
「The May Sun」の多くの写真はクレマチスの丘で撮影されている。その広大な庭園の美しい自然は多くの人によって手入れがされて育まれている。このような配慮が生まれてくる背景にある哲学が、自然との一体感だと彼女は見ているのだ。ただし彼女の伝えたいメッセージは100%の西洋否定、東洋称賛ではない。アーティストは決して夢見るロマンチストではなく、現実的に世界を見ているのだ。つまり極端に行き過ぎないバランス感覚を持つことが重要ということだろう。
歴史的背景の違う西洋人のメンタリティーが急に変わることはない。また今まで続いてきた経済成長優先の社会システムも同様だ。しかし彼らでも、自然を愛して共存する感覚を持てれば、考えが違う人に対する配慮が多少なりとも可能になるのではないかというメッセージなのだ。もちろん、それはトランプ大統領にも向けられているのだろう。
これは本人の意図はともかく、日本人に対してのメッセージだとも受け取れる。私たちは自然を愛する感覚やメンタリティーも持つが、感覚や共同体の空気に流されがちで、自ら考えることができないという欠点も持つ。私たちも西洋人とは逆の方向で、意識的にバランス感覚を持たなければならないのだ。
本展は非常に大きいテーマを取り扱っている。オーディエンスは作品の表層を鑑賞するだけでなく、意識的にアーティストのメッセージを読み解く努力が必要になる。それができれば、彼女が長年にわたり植物、自然を被写体として作品を制作してきた理由を理解できるだろう。もしかしたら、ウェイフェンバックは無意識のうちに撮影していたのが、本展企画に際して日本の山河を初めて本格的に撮影する機会を得て、新たな気付きがあったのかもしれない。そうであるならば美術館のキュレーションが見事だったということだ。
また同館が彼女のカラー作品と比べて地味な印象だった「The Politics of Flowers」に光を当てた点も重要だ。同作は彼女のカラーの風景作品と対をなして存在する事実が見事に提示された。かつてギャラリーの来場者から、彼女の明るくカラーフルな写真に何か怖さを感じる、デヴィット・リンチの映画ブルーベルベットを思いだしたという意見を聞いたことがある。彼女の中での「The Politics of Flowers」の意味を知ると、そのような印象を持つ人がいるのに納得できるだろう。

本展は、ワイフェンバックのキャリアの中で極めて重要な展示になっている。

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