トミオ・セイケ写真展 見どころを解説!「Julie – Street Performer」
10月3日スタート!

ブリッツ・ギャラリーでは、海外を中心に活動する写真家トミオ・セイケの「Julie – Street Performer (ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展を10月3日から開始する。本展では、若きストリート・パフォーマーであるジュリーを中心に撮影された1982年の作品が世界初公開される。昨年に当ギャラリーで開催して好評だったリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」と、本作はセイケが80年前半に英国で出合った若者たちをドキュメントしたシリーズの2部作となる。
ⒸTomio Seike 禁無断転載
ストリート・パフォーマーは大道芸人と日本語に訳される。外国ではライブ演奏も含まれる。ロンドンでは、行政からライセンスを得たパフォーマーが指定された路上で、歌、踊り、演技、演奏、アートなどのパフォーマンスを行い、観光客を楽しませてくれる。
1982年10月、セイケはロンドンで、カナダから来た若き4名のストリート・パフォーマーに出合う。彼らは男女二人ずつのグループで、ギターなどでの演奏をバックに男女のペアがダンス・パフォーマンスを行っていた。セイケは、彼らに興味を持ち、約1週間にわたりグループと行動を共にする。コヴェント・ガーデン、カムデン・マーケット、ポート・ベロー・マーケットで、主に女性ダンサー・ジュリーのパフォーマンスや私生活を集中的にドキュメントした。セイケのカメラがとらえたのは将来の大きな希望と現実の不安の中で揺れ動く若者たちの表情や態度。前作のリヴァプールの若者たちと同様に、青春の光と影が表現されている。
この80年代初頭の2作では、ともに厳しい環境下で暮らす若者たちが撮影されている。リヴァプールの若者は、常にジョークを言い合い、表情は明るかったという。少なくとも彼らには、十分ではないにしても行政の支援があり、親元にいたので住む家はあったのだ。英国経済は79年~81年にかけて高インフレの進行と景気の後退に直面していた。当時の若者たちは、自分たちの現状は変わらないという一種の諦観があり、そんな自分たちを俯瞰して笑い飛ばすようなシニカルな緩い表情が見受けられる。
一方で、カナダ出身で、旅の中で暮らすストリート・パフォーマーたちの生活環境は、リヴァプールの若者よりも厳しいと思われる。しかし、彼らの表情からは凛としたような強い意志が感じられる。たぶん自己表現の道を歩むという、将来の目標を自らで考えて、決断を下したことによる覚悟がその背景にあるのではないか。
このあたりは、社会階層の変動が乏しい英国と、努力すれば自分の可能性は開ける、と考える新大陸の北米との考え方の違いなのだろう。80年代前半の北米では、まだアメリカンドリーム的な考えを持つ若者が多かったのだろう。セイケは長年英国に暮らし、同国文化をよく理解している。彼が感じた、ストリート・パフォーマーとリヴァプールの若者との生きる姿勢の違いが本作制作の動機の一つだと思われる。
いまや北米社会は超格差社会になってしまった。21世紀のいまあえて本作をセイケが発表するのは、努力すれば自分は変わることができる、という楽観的なアメリカンドリームの勘違いの行く末を提示したかったのではないか。そして、北米と英国の二つの全く違う生き方の姿勢を示し、幸せな人生とは何かをいまの日本人、特に若者に考えて欲しいのだろう。
判断は写真を見るそれぞれの人に任せるとして、私の個人的な意見を述べておこう。たぶん、この二つの考え方の中間がバランス的にが良いのではないか。重要なのは、現実検討能力だろう。米国文化に影響された日本人にも、積極的な思考を追求する人が多くいる。日本人は欧州・英国よりもアメリカ的な考えを持つ人が多いと思う。しかし、彼らはうまくいったらその原因を自分に求め、失敗したときの原因を外部に求める傾向がある。ポジティブな姿勢は良いのだが、同時に客観的に自分の能力を見極めて、自らの判断に全責任を負う覚悟を持つことが重要なのではないだろうか。頑張る一方で諦める、そのバランス感覚だと考える。

セイケの代表作はアメリカ人女性のゾイを20歳から約5年間にロンドン、パリ、ニューヨーク、東京で撮影した「ポートレート・オブ・ゾイ」シリーズだ。「Julie – Street Performer」は、ちょうどそれを開始する1年前の1982年に取り組んだ作品となる。カメラはライカM4とライツ-ミノルタCL、レンズはズミルクスの35mmと50MM、ズミクロン90mm。そしてあのノクチルクス50mmf1.0が使われている。特に本作はセイケがノクチルクスを使用して撮影を行った初めての作品となる。レストランパブ、地下鉄などの光が弱い環境のポートレート撮影ではレンズの能力が見事に発揮されている。それらはセイケ写真の特徴であるモノクロームの抽象美を追求する作品スタイルへの展開を予感させる。

また次作の「ポートレート・オブ・ゾイ」撮影の発想の原点だと思われる作品も発見できる。鏡を見ているピエロの化粧を落としたジュリーの素顔の表情は、ゾイ・シリーズの未発表作と勘違いしてしまう印象だ。一部には、ドキュメント的、また中望遠で撮られた作品が見られる。またセイケ作品は、洗練された、静的な雰囲気のものが多いのだが、本作中にはカジュアルで動きのある写真も発見できる。写真家がどのようにオリジナリティーや撮影スタイル確立に試行錯誤したかの痕跡だといえるだろう。

このように、同作には見どころが満載だ。セイケ写真の原点ともいえる、ファンには非常に興味深い展示だといえるだろう。本展では、デジタル・アーカイヴァル・プリントによる作品21点が展示される。昨年限定発売して好評だったフレーム入りミニプリント。今年も販売する予定だ。こちらは店頭のみの販売となる。トミオ・セイケは土曜の午後に来廊する予定。来廊予定は、ギャラリー・ホーム・ぺージやツイッターを参考にしてほしい。

 トミオ・セイケ 写真展
「Julie – Street Performer」

コンテンポラリー・アートを恐れるな!
難解な現代アートのシンプルな解説書
“Who’s Afraid of Contemporary Art?”

いまやブームは去ったが、かつては男性誌、ライフスタイル系雑誌では現代アート特集が盛んに行われていた。その少し前は、東京でも国際的フォトフェアが開催されていたこともあり、写真がアートになるような特集も見られた。仕事柄、それらの特集にはだいたい目を通す。しかし、現代アートがどのような表現なのか、的確に語られていた特集はほとんどなかったと記憶している。それらは、一時期に話題になったキュレーションサイトの雑誌版のような印象が強かった。雑誌作りの経験豊富なエディターや専門家が、アート関連情報を幅広く収集して、巧みに編集して作られたものだった。つまり、コンテンツ全体への目配りがされていないのだ。たとえば海外の専門家の解説やコメントが掲載されている。それらは様々なアートの前提を理解している人向けに語られている場合が多い。それが和訳され掲載されても、知識を持たない人には内容が理解できないのだ。現代アートはテーマやアイデア・コンセプトが重視され、その理解には経験や知識が必要となる。一般大衆向けの単純なわかりやすさが求められる雑誌とは相性が良くないのだ。アート特集として成立するのは、見てきれいな印象派絵画や、とっつきやすいポップアートくらいまでではないだろうか。

本書“Who’s Afraid of Contemporary Art?”は、このようなわかり難い現代アートの入門書。著者はグッゲンハイム美術館ニューヨークのアシスタント・キュレーターのキョン・アン(Kyung An)と、Carroll/Fletcherギャラリー・ロンドンの展覧会マネージャーのジェシカ・セラシ(Jessica Cerasi)。現代アートとは何か、どのような表現が現代アートになるのか、誰のためにあるのか、何で高額なのかなどのアートの部外者が持つ素朴な疑問に対して非常にわかりやすくかつ丁寧に解説している。
私は夏休み用の本として買い求めた。この手のアート本は難解な場合が多いのだが、非常にわかりやすく書かれていたので約3週間で読破できた。また英語の文体もとてもシンプルで、難しい単語も少ない、ほとんど辞書を引かなくても理解できた。
私が興味を持った箇所をいくつか紹介してみよう。
本書では、何がアートなのかという基本的な疑問に対しても丁寧に解説している。アート作品はアーティストによる提案だとし。作品の各部分の総体での提示というよりも、アートとして何かを見る一種の誘いである。何かを新しい見方と違うパラメータ―で把握するもの。アーティストは作品がアート表現だと信じ、その意図が見る側に作品(それが何であっても)から何らかの意味を引きだすことを強いる、としている。アートの認識は時代の価値とリアリティーとともに変化する。世代によっても無価値だと思われていたものに突然価値が見出される例もあると指摘。重要なのは”それはアートなのか?”という問いかけではなく、”それが優れた作品なのか”だと説明している。
アーティストのブランド化、つまり市場価値構築にアート界の誰が影響力を行使しているのか、どのように注目されるようになるのかを説明した章も興味深い。ここでは、サーペンタイン・ギャラリー・ロンドンのハンス・ウルリッヒ・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)などのスーパー・キュレーター、メジャー・コレクター、アート批評に関わる評論家・歴史史家・ブロガーなど、主要な美術賞とそれを決める人たちなどが挙げられている。
一般にはあまり知られていない、アート・ギャラリーや美術館の多様な仕事や社会的役割についても書かれている。
現代アート表現の広がりを示すために、パフォーマンス・アート、インスタレーションアート、パブリック・アート、ストリート・アートなどにも触れている。
個別のアーティストが評価されている理由などにも踏み込んでおり、コンセプチュアル・アートのピエロ・コンゾーニ、パフォーマンス・アーティストのマリーナ・アブラモヴィッチ、タニア・ブルゲラ、ミニマムアートのカール・アンドレ、パブリック・アートのクリスト、バンスキー、シカゴ「ドーチェスター・プロジェクト」のシアスター・ゲイツなどが紹介されている。世の中には本当に自由な発想をもつ数多くのアーティストがいるのだ。写真の世界の人は、とてつもなく刺激的で新鮮に感じると思う。
多くの人が直面するのは、一見では何が表現されているか理解できない現代アート作品をどのように個人的に扱うかだろう。ここの解説が個人的には最も興味深かった。
まず、世の中には膨大な種類と数の作品が存在していて、いま見ているのはその僅かな一部にしか過ぎない事実に思いを馳せろと提案。現代アートは、挑発、挑戦、意外性に関するものなので第一印象は良くないことが多い。また、すべてが新しい表現なので、時間的にまだ何が良くて悪いかの基準ができていない場合がある。新しい表現に関しては絶対的なルールがあるわけではなく、何が良いかを私たちが考えなければならないとしている。現代アートの価値基準は表現と同様に現在進行形で構築されているわけだ。
ただし、一般的なコンセンサスはある。それは良いアートは、アートの歴史に新しい展開をもたらす、いままでと全く違う感情を呼び起こす、最初の出会いの後にも強く印象に残るなどだ。そして、現代アートがわからなくてもあなたが愚かだということではなく、逆に理解できないアートが馬鹿げたものだという意味でもないと主張している。
続いて語られる、現代アートの理解力を高めるアドバイスは意外なほど目新しさはない。好きな作品やアーティストからその背景を掘り下げ、情報収集に励むこと。アートに対して関係者に質問したり、友人たちと語り合うことを提案している。
本書は、英国の大手Thames & Hudsonにより出版されている。最前線のキュレータによる現代アートのわかりやすい解説書なので、たぶん日本語版が出るのではないだろうか。もしかしたら翻訳が進行中かもしれない。ただし現代アートは英語で語られるのが主流なのでアーティスト、キュレーター、ギャラリストを目指す人は原文で読むことを薦めたい。
“Who’s Afraid of Contemporary Art?”
Kyung An/Jessica Cerasi
ハードカバー: 136ページ
出版社: Thames & Hudson (2017/3/21)
言語: 英語 発売日: 2017/3/21
商品パッケージの寸法:  15.2 x 2 x 20.6 cm

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フォトマルシェ4が今週末開催!ミュージック系~アート系まで幅広く展示

いまなんでロック系のミュージック写真が売れるのだろうか。
それは、90年代くらいまでは音楽が時代の気分や雰囲気作りの一翼を担っていたからだ。つまり優れたロック系ミュージック写真は、アート系ファッション写真と同じといえるのだ。この時代を生きた人は、自分が愛聴していた有名ミュージシャンの1枚の写真から過去の記憶が蘇る。当時はいまのような音楽配信ではなく、LPが中心だった。楽曲やミュージシャンの思い出はいま以上にヴィジュアルとともに強く残っている。これは日本だけではなく、世界的な現象になっている。市場規模はファッション写真よりも大きいと思われる。過去の良き時代を懐かしむ流れの一環なのだろう。
しかし、それは単にブロマイド的な有名ミュージシャンの写真が売れるのとは意味が違う。やや分かり難いので、ファッション写真に置き換えてさらに詳しく説明しよう。アート作品にならないファッション写真は、単に服の情報を提供しているだけだ。ミュージック系でも、スナップ、ライブ、広報用などの写真はミュージシャンの情報を提供しているだけなのだ。これらのヴィジュアルにはドキュメント性はあるが写真家やミュージシャンの創造性が作品に反映されていない。
アートになり得る優れたミュージック系写真が生まれるには、写真家とミュージシャンとの深い関係性が非常に重要となる。それは才能を認めあった両者によるコラボ作品なのだ。そのような、作品はLPジャケットでのセッションやプライベートでの撮影の中から生まれることが多い。
市場には、アート系とブロマイド系が混在している。ミュージック系の作品をコレクションする際は注意してほしい。アート系は一般的に限定数の販売で価格が高い。しかし、アート作品なので資産価値を持つ点が大きく違う。
例えば、昨年にデヴィッド・ボウイが亡くなったことで、彼と人間関係が深く、数多くのセッションを行っていたブライアン・ダフィー、テリー・オニール、鋤田正義らの作品相場は大きく上昇した。ボウイ作品でも、スナップ、ライブの写真の価値に変化はない。
さて、今週末から始まるフォトマルシェ4のテーマはMUSUICだ。
メイン展示では、鋤田正義が、デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、マーク・ボラン。
グリード・ハラリが、ボブ・マーレー、ルー・リード、フレディ―・マーキュリー、エリック・クラプトン、ケイト・ブッシュ、パティー・スミス、ジョニー・ミッチェル、デヴィッド・ボウイのポートレートを展示する予定となっている。
ボウイのようなビッグ・ネームは多くの人が時代性を共感する。しかし、いまほどでないにしても70~80年以降には上記のような数多くのミュージシャンが活躍している。それらのヴィジュアルに感銘を受けるかは、見る側がその時代をどのように生きたかによる。アート系でも、ミュージシャンや写真家の知名度によりお求めやすい価格の作品も数多くある。今回のフォトマルシェでは、来場者がかつて自分が生きた時代を思い起こす写真との出会いが数多くあることを願っている。写真がきっかけで、好きだったミュージシャンを語る場になってくれたら本望だ。
○ブリッツ・ギャラリー展示予定写真家
ブライアン・ダフィー、テリー・オニール、スティーブ・パーク、テリ・ワイフェンバック、鋤田正義、杵島 隆、新山 清、高橋和海、伊藤雅浩など。
○トミオ・セイケ写真展の案内状を配布!
ブリッツでは10月3日からトミオ・セイケ写真展「Julie – Street Performer」を開催する。毎回、好評の展覧会案内状。いつも会期開始直後になくなってしまう。本展のA5サイズカードを、フォトマルシェ4のブリッツのブース内のみで限定数無料配布する。希望者はブースのスタッフに声をかけてください。
○アート・フォト・サイトとJPADSも参加。
約15年にわたり開催しているファインアート・フォトグラファー講座。以下の参加した写真家の作品が展示される。
大塚卓司、橋村豊、柳田友希、今野光、藤原感市、安部礼子、伊藤雅浩。
今回はすべて小ぶりでお求めやすい価格の作品を展示している。私は日本の新しい分野の写真家に育つ可能性を持つ人たちだと評価している。週末には参加写真家も会場にいる予定だ。
○トークイベント開催
・「写真の見立て教室@フォトマルシェ」開催
ここ数年に渡り、ブログで提案している日本の新しいアート写真の価値基準。限界芸術や民藝の写真版としてクール・ポップ写真と呼んで普及に努力している。
7月29日は、初の「写真の見立て教室」を開催して、非常に好評だった。今回はその考え方のエッセンスを実例を提示しながらコンパクトに紹介していく予定。全く新しい枠組みで、現在の日本の写真の世界を分析していく。ブログを読んで興味を持って興味を持った人、写真家、コレクター、キュレーター、写真鑑賞が趣味の人はぜひご参加ください。
・伊藤雅浩(写真家)トーク・イベント
「宇宙の営みを可視化する」
伊藤雅浩(1983年生まれ)は、写真での現代アート表現に挑戦し続けている新進気鋭作家。これまでに、空間周波数に注目して写真のビジュアル分析を行い、ゆらぎ理論を用いたアート写真の客観評価の探求などを行っている。
今回フォトマルシェでは最新の2作品を公開。「陽はまた昇る(The Sun Also Rises)」で、目に見えない大地震のヴィジュアルによる可視化に挑戦。また「Life is a series of choices」では、カオス図形による抽象作品に取り組んでいる。
本トークでは、ユニークな作品メッセージの背景にある発想法やアイデアの見つけ方について本人が語る予定。
聞き手:福川芳郎
○テリ・ワイフェンバック初期作のコレクション相談会を実施
2017年10月1日より、アナログの写真用紙で制作されていたワイフェンバックの初期3作品の販売価格が改定されることになった。残念ながら従来の用紙がデジタル化進行により、生産が中止となり新たに作品制作ができなくなったことによる。エディション数が残っている作品も現在までに制作されたプリント数で制作終了となる。作品の希少性を鑑み、今回は40~50%の大幅な価格改定となる。
In Your Dreams、Hunter Green、Lana/Snake Eyesの作品購入を考えている人は、ぜひ価格改定前のこの機会に作品のコレクションを検討してほしい。会場では、ワイフェンバック作品も一部展示する予定。ブリッツのブースでは作品にご興味を持つお客様向けに随時相談会を開催する。既に売り切れの人気作品もあるが、まだ購入可能な素敵な彼女らしい作品も残っている。
期間中は購入可能作品を旧価格にて提供する予定。ただし、海外でも販売していることから人気作売り切れの場合はご容赦いただきたい。
私はだいたいブリッツのブースにいる予定だが、打ち合わせなどで席をはずすこともある。ご興味のあるお客様は、もし可能なら事前にお出でになる日時をメールで連絡してほしい。フォトマルシェに来場できない人に対してはブリッツで随時相談会を開催。(メールで予約受付中)旧価格でのご提供は9月30日受注分までとなる。

秋のニューヨーク・アート写真オークション クリスティーズがMoMA所蔵品セール!

今秋のニューヨーク定例オークションでの大きな話題になっているのは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の所蔵品がクリスティーズで競売されることだ。
まず10月10日に“Photographs From The Museum of Modern Art”のデイ・オークションが開催。続いて同月の“MoMA: Pictorialism into Modernism”、“MoMA: Henri
Cartier-Bresson”を皮切りに、12月に“MoMA: Women in Photography”、来年1月に“MoMA: Garry  Winogrand”、”MoMA: Bill Brandt”、4月の“MoMA: Walker Evans”まで、テーマやアーティストを絞って複数回のオンライン・オークションが行われるという。オークション前には全米各都市で内覧会が行われるという。写真部門ではとても珍しく、クリスティーズの本セールへの異例の力の入れようがわかる。
ちなみにササビースは、オンラインのみのオークションの落札手数料の廃止を発表したが、クリスティーズのポリシーに変更はない。
美術館がコレクションをオークションで売却するのは、日本人にはやや違和感があるかもしれない。しかし、欧米の主要美術館だと、複数のプライベート・コレクションから節税目的で作品が寄贈される。当然のこととして、特に写真の場合は有名作品が重複する場合もでてくる。また、コレクションには各館の方針があり、それ以外のカテゴリーの作品の収蔵数が意図せずに増える場合がある。その場合は、将来の収蔵予算捻出を理由としての作品売却が可能なのだ。決して経営が苦しくて運営費用のためにコレクションの切り売りをしているのではない。
今回は約400点が売却され、落札予想価格は1000(約11万円)~30万ドル(約3300万円)まで、総額約360万ドル(約3.96億円)の売り上げを見込んでいるとのことだ。出品されるのは、20世紀初期から戦後にかけて活躍した写真史を代表する人たちが中心になる。アルフレッド・スティーグリッツ、エドワード・スタイケン、マン・レイ、エドワード・ウェストン、アンリ・カルチェ=ブレッソン、ウォーカー・エバンス、アンセル・アダムスなど。
目玉になるのは、1923年と1928年にマン・レイにより制作されたともに1点もののレイヨグラフ作品。20~30万ドルと、15~25万ドルの落札予想価格になっている。前者はマン・レイの友人の、詩人、ダダイズムの創始者のトリスタン・ツァラ(Tristan Tzara)が寄贈した作品とのことだ。

ニューヨーク近代美術館同館は1940年に全米で初めて専門部門を設立している写真コレクションの殿堂。同館でコレクションされていたことは、作品評価上で最高の来歴となる。世界中の美術館、企業や個人コレクションが強い興味を示すと思われる。

(為替レート 1ドル/110円換算)