トミオ・セイケ写真展いよいよ最終週!個別作品の見どころを解説

トミオ・セイケの「Julie – Street Performer」展は、いよいよ今週末の12月2日まで。どうぞお見逃しがないように!今回は、写真展をより楽しめるように個別作品の見どころを紹介しておこう。
Ⓒ Tomio Seike 禁無断転載
 地下鉄の入口付近に座ってジュリーが大判の新聞を見ている作品がある。紙面サイズからして、大衆が読むタブロイド判の夕刊紙ではなく一般紙だと思われる。
紙面から、「Dancer」、「Perfection」などの文字が読み取れ、縦位置のダンサーの写真が確認できる。ジュリーが読んでいるのはアート・文化欄だと思う。ストリート・パフォーマーが一般紙を読むのはやや意外な感じがするが、インテリ層が読む英国の一般紙は、バレー、演奏会、舞台などの公演の論評に大きく紙面スペースをさいている。
私がロンドンに住んでいた時に驚いたのは、公演記事の迅速性だった。前の晩に見た公演の評論と評価が、早ければ翌日の朝刊、もしくは数日のうちに紙面に掲載されていた。それを見て、自分が実際に鑑賞した演奏などの印象と専門家の評価との違いを確認し勉強していた。ジュリーは、当時はストリート・パフォーマーだったが、バレーを幼少時から学んでいて、将来は舞台などでの表現者になるのを夢見ていたという。それゆえ、毎夜ロンドンで開催される各種の公演(たぶんダンスやバレー系)の専門家の意見に関心が高かったのではないか。
偶然、ギャラリーでこの作品を見ていた人が新聞社に勤めていて、日本と西洋との一般紙のアート欄の違いへと話題が展開した。一般的に、海外の記事は過去のその分野の実績の積み重ねとの比較で優劣の判断を下す傾向がある。日本のアート記事は、プレスリリースの内容そのままの紹介である場合が多い。今年話題になったキュレーションサイトのアート版に近いともいえるだろう。小説家や評論家が文章を寄せる場合もあるが、それらは本人が好き嫌いの理由を探して書いている場合が多い。好き嫌いは本来言葉で簡単に表せない。それを無理に語ろうとすると感想文的になってしまう。どうしてこのような違いが出てくるかというと、西洋では長年にわたり業界の動きをフォローする専任の記者が存在するものの、日本では文化欄の担当者が頻繁に内部移動するからだと思われる。またアートについてコメントする作家は文章執筆には慣れているが、決して一分野の専門家ではない。アートや文化分野はあまり専門知識や経験の蓄積が重要視されないのも背景にあるだろう。海外の読者は、公演などを判断する上での専門的な視点の提供を求めるが、日本の読者は小難しい文章よりも、よい情報を選んで整理整頓して伝えてほしいという要望が強いのだと思う。結局、新聞自体ではなく一般大衆の求める情報の違いが日本と西洋の文化関連の記事に反映されているのではないだろうか。新聞社の人との止めどない会話はこのような結論となった。
Ⓒ Tomio Seike 禁無断転載
進行方向が違う2台の車が画面上ですれ違い、車道の向こう側の左側にジュリーと友人の姿が小さく写っている作品がある。彼らの後ろの壁面には「Second Hand Bookshop」という古書店の看板が見られる。画面右側後方にはロンドン・バスの停留所があり、ロンドンで撮影された作品であることがわかる。本作は3種類あるミニ・プリントにセイケがセレクションした本人お気に入りの1枚だ。写真の中の車は、欧州フォード社製のカプリ・クーペと、GM資本のボクスホール社製のカヴァリエⅡハッチバックだ。ダンサーのジュリーが北米のカナダ人であることは前にも触れたが、本作で撮影された2台もアメリカ資本による欧州製の乗用車なのだ。
今回の展示作品は、昨年リヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)と対になっている。英国では、伝統的にその人が育ってきた家系や地域が重要視されてきた。「自分の未来を簡単には変えられない」という認識がある。リヴァプールの若者グループの明るさや笑顔は、現状は変わらないのだから、今を楽しく生きようという諦観が根底にあるのだ。それに対して、アメリカンドリームを信じる北米の人は「未来は変えることができる」と考える。英国のロンドンで、米国資本の会社の自動車と明るい未来を信じるカナダ人のストリート・パフォーマーを撮影した本作は、セイケの本展の作品テーマを象徴的に表しているのだ。たぶん、当時のセイケは、階層社会が残っていて閉塞感が漂う英国よりも、北米のポジティブな考えに魅力を感じていたのだと思う。
次回作の「Portraits of Zoe」のモデルになったのはゾイという米国人女性だ。作家活動には高いテンションの維持が必要だ。ポジティブな姿勢を持つ人と組むほうが、相乗効果で新たな創作が生まれやすい。英国に在住しているセイケが米国人を被写体に選んだのは、この辺の心理が影響しているのではないか。
本作は、写真撮影と発表時期の関係性が作品テーマに大きく関わる事実を示してくれる。ちょうど撮影された80年代の前半はポスト工業社会、いわゆるニューエコノミーが北米と英国で始まった時期にあたる。リヴァプールの若者グループに象徴される英国の労働者階級は、その後にニューエコノミーの結果による経済グローバル化の影響を受けることになる。工場移転、移民増加、緊縮財政などに直面して、厳しい生活環境を強いられるのだ。作品中の看板があった古書店も、ニューエコノミーと同時進行したIT社会化によるオンライン・ブック・ショップの乱立に直面する。資本の原理が働き、結果的にコストのかかる多くの業種が廃業に追いやられるのだ。
それが2016年になり、ついにグローバル化の欧州版であるEUからの英国離脱決定(ブレグジット)へとつながっていく。グローバル化によって置き去りにされた、リヴァプールの若者たちに重なる先進国の労働者階級が、ついにエリート層に対して反旗を翻したのだ。
本作が2017年に公開されたのは非常に重要な意味がある。セイケの1982年撮影の写真作品には、世界でその後に起きた35年のストーリーの原点がある。35年前の作品には、21世紀社会の時代性が反映されているのだ。また日本で公開されたことで、日本人(特に若い層への)、今後の生き方を考えるきっかけにしてほしい、という問いかけも含まれている。
優れた写真作品に能動的に接すると、このように様々なストーリーが読み取れる。つまり、作品のテーマ性の見立てが可能なのだ。
トミオ・セイケの「Julie – Street Performer(ジュリー –
ストリート・パフォーマー)」展は、12月2日(土)まで開催。うまい写真を撮りたい人はもちろん、写真で自己表現したい人にとっても必見の写真展といえるだろう。

(作家来廊予定)
セイケ氏は最終日の午後1時30分くらいに来廊予定。

マン・レイ作品がクラシック写真の
世界最高落札額!
欧州英国オークションレビュー

11月、大手業者のアート写真オークションは舞台を欧州英国に移して開催された。
まず2日にロンドンでフリップスの”Photographs”が開催。続いてパリフォトの開催に合わせて、クリスティーズとササビーズが、それぞれ単独コレクションと複数委託者のセールを開催した。ちなみに春には、大手3社ともにフォト・ロンドンに合わせてロンドンでオークションを開催している。
合計5セールの総出品数は486点で前年同期より約3%減。しかし落札率は約58%から約64%に改善した。売り上げ高は、ロンドンのフィリップスが約43%も減少したものの、パリの2社合計は約64%増加。トータルではユーロとポンドを円貨換算して合計すると約12.56億円となり、昨年同期を約33%上回る結果となった。
各社の売上結果を見る比べると、クリスティーズは約71%増、ササビーズが約57%増。数字からは、市場の中心地がロンドンからパリに移りつつある印象を受ける。
今回のロンドン・パリの結果は、2017年に回復傾向を示し始めたニューヨークと同様といえるだろう。景気が順調に回復して、株価も1年前と比べて上昇している状況が素直に反映しているのだろう。ちなみに為替レートは対ポンド・ユーロ共に昨年と比べて円安になっている。
最高額は、クリスティーズ・パリの”Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”に出品されたマン・レイの”Noire et Blanche, 1926″。落札予想価格上限の150万ユーロを大きく超える268.8万ユーロ(3.57憶円)で落札された。(上記のカタログ表紙作品)
クリスティーズによると、これはオークションでのマン・レイ作品の最高額であるとともにクラシック写真の世界最高額とのことだ。クラシック写真の時期の定義は難しいのだが、もちろん現代アート系の写真作品は含まれない。続いたのは同じオークションに出品されたダイアン・アーバスの双子を撮影した代表作”Identical twins, Roselle, N.J, 1966″。落札予想価格の範囲内の54.75万ユーロ(約7281万円)で落札されている。

アーヴィング・ペンの”The Hand of Miles Davis (B), New York, 1986″も人気が高く、落札予想価格上限の10万ユーロの2倍近い19.95万ユーロ(約2653万円)で落札された。

今シーズンは、ペンのスティル・ライフや花などの作品の高額落札が多くみられた。ササビーズ・パリの”Collection Europeenne de Photographies”では、ダイ・トランスファー作品の”STILL LIFE WITH WATERMELON, NEW YORK, 1947″が、落札予想価格上限の8万ユーロを超える15万ユーロ(1995万円)、プラチナ・プリントの”PICASSO (B), CANNES,1957″が11.87万ユーロ(約1578万円)、”FROZEN FOODS, NEW YORK, 1977″が8.75万ユーロ(約1163万円)で落札されている。

フリップス・ロンドンでも、写真集”Flowers”に掲載されている”Single Oriental Poppy, New York, 1968″(上記画像の作品)が落札予想価格上限の7万ポンドを超える11.87万ポンド(約1780万円)で落札されている。今年はペンの生誕の百年を祝ってニューヨークのメトロポリタン美術館で大規模回顧展が開催された。ここ数年はやや上値が重かったペン作品だったが、再び注目が集まるようになったのだろう。

欧米では美術館での展覧会開催は作家の相場に大きな影響を与える。現代アート分野では2017年2月~6月にかけては、ウォルフガンク・ティルマンスの回顧展”WOLFGANG TILLMANS:2017″が英国ロンドンのテート・モダンで開催された。今年になって彼の巨大抽象作品は急騰しているのだ。

フィリップス・ロンドンで、6月29日に開催された”20th Century & Contemporary Art”では、彼の”Freischwimmer #84,2004″が、落札予想価格上限の約2倍の60.5万ポンド(約9075万円)で落札。ちなみに、同作は2012年10月フリップス・ロンドンでわずか3.9万ポンドで落札されている。4年間で約15倍に高騰したのだ。
現代アート分野の写真作品の動向は機会を改めて分析してみたい。
(1ユーロ/133円、1ポンド/150円)

アート系ファッション写真の
フォトブック・ガイド(連載3)
ファッション雑誌の中だけではない
幅広い分野にあるアート系ファッション写真

前回から人気の高いアート系ファッション写真のフォトブックのガイドが出版されていない理由を考えてきた。
ファッション写真自体の評価の難しさも、いままでにガイドが制作されなかった背景にあると考えている。ここからはやや小難しい解説になるが、どうかご容赦いただきたい。
つまり、ファッション写真には、単に洋服の情報を伝えるだけのものと、ファッションが成立していた時代の気分や雰囲気を伝える、アート系と呼べるものが混在しているのだ。たとえば現代アート作品の場合、写真家は時代が抱える問題点をテーマとして見つけ出し、それに対する考えをコンセプトとして提示する。アート系ファッション写真は、頭でテーマを考えるのではなく、各時代を特徴づける言葉にできないフィーリングを写真家が感じとり、ヴィジュアルで表現することになる。分かり難いのは、その時代に生きる人が共有する未来の夢や価値基準の存在が前提条件となることだろう。アート系ファッション写真は、それらが反映された時代性を写真家が抽出しているわけだ。
例えばヘルムート・ニュートンは、早い時期から、男性目線ではない自立した女性を意識した作品を提示してきたのが評価につながっている。見る側にこの部分の明確な認識がないとファッション写真の区別や評価はできない。

時代性が反映された写真という前提に立つと、アート系ファッション写真の定義は従来のステレオタイプ的なものよりかなり広範囲になってくる。

80年代を代表する米国人写真家ブルース・ウェバーは、”私は新聞に掲載されている消防士の写真や、30年~50年代のパリのドキュメントやストリート写真にファッション性を感じる”と”Hotel Room with a View”(Smithsonian Institution Press, 1992年刊)掲載のインタビューで語っている。
“Hotel Room with a View”(Smithsonian Institution Press,  1992年刊)

また、”被写体となる人間自身が最も重要で、もし彼らが自らのライフスタイルを表現して、とてもパーソナルな何かを着ていれば、私にとってそれらの写真は人生の何かを伝えている”とも発言。評論家のマーティン・ハリソンは、ウェーバーはキャリアを通して、確信犯でファッション写真を次第にブルース・ウェバーの写真に展開させてきた。と評価している。

ハリソンは彼の著書”Appearances”でヴォーグ誌のアート・ディレクターのアレクサンダー・リーバーマンが理想としているファッション写真を紹介している。それは、最高のセンスを持つアマチュアで、写真家の存在を感じられない写真、だとしている。1940年代に新人編集者にそれに当てはまる、アーティストの自己表現とファッション情報の提供がバランスしている2枚の写真を紹介している。

 

最初の1枚は、エドワード・スタイケンによるヴォーグ誌1927年5月号に掲載されたマリオン・モアハウス(Marion Morehouse)をモデルとした写真。
“Appearances”page 47 掲載のエドワード・スタイケン作品 
リーバーマンは、その写真は流行りのシェルイ(Cheruit)のドレスを明確に撮影しているものの、女性に敬意を表し彼女の最高の魅力的な瞬間を表現している、としている。ハリソンは、この写真は1920年代に欧米で流行した革新的なフラッパーの要素を従来の婦人像と融合させている、と評価している。
もう1枚はファッションとは縁遠いウィーカー・エバンスがキューバのストリートで1923年に撮影した白いスーツを着た男性のドキュメント写真。
“Appearances”page 46 掲載のウォーカー・エバンス作品

彼は”これは明らかにファッション写真ではないが、私はこれこそが根源的なスタイルのステーツメントだ”と語っていると引用されている。これも上記のウェバーと同じ意味だ。本稿の中でセレクションしていくアート系ファッション写真も同様の基準で行われることになる。つまり、雑誌用などでファッション写真として制作されたもの以外にも、時代性が反映されたドキュメント系、ストリート系、ポートレート系が含まれることになる。

次回は時代で移ろうアート系ファッション写真の前提条件に触れる予定だ。もう少しで具体的なフォトブックの紹介となる。

トミオ・セイケの初期作品発見!
カメラ毎日76年3月号・山岸章二との出会い

トミオ・セイケ写真展に和歌山から来廊されたT氏が、カメラ毎日1976年3月号を持参してくれた。そこには当時新人だったセイケによる初期のカラーとモノクロの風景作品が“Landscape”というタイトルで10ページに渡り紹介されていた。これらは、1974年9月から1975年5月までの在英中に撮影された作品で、写真家自らがカメラ毎日の山岸章二(1930-1979)に売り込みに行って、採用されたとのことだ。

カメラ毎日76年3月号 98ページ Ⓒ Tomio Seike

最初の5ページはセイケでは珍しいカラー作品が紹介されている。

カメラ毎日76年3月号101ページ Ⓒ Tomio Seike

それらはリバーサル(ボジ)フィルム「コダクローム」と望遠レンズを使用して、手持ちの多重露光で撮影された、センチメンタルで絵画的な作品だ。50年代前半のアーヴィング・ペンの風景から人物が消えたような雰囲気に感じられる。

 後半5ページは「イルフォードHP4」で撮影されたモノクロ風景。近景を撮影した作品は、フランス人写真家エドワール・ブーバ(1923-1999)を思い起こさせてくれる。この当時のセイケは、まだ30歳代前半。カラー、モノクロ、そして広角、標準、望遠と様々なレンズを使って、自らのオリジナリティーを探そうとしていた様子が垣間見れる。ちなみに使用していたカメラはニコンF2だ。セイケは、“ファッショナブルではなく、美しさと洗練さを兼ね備えた写真”を目指して取り組んだと同誌に記している。
カメラ毎日76年3月号105ページ Ⓒ Tomio Seike
山岸は1960~1970年代に活躍した伝説的な写真編集者。当時は、欧米で「ライフ」などのグラフ雑誌が衰退し、自己表現としての写真が注目されてきた時代だった。山岸は欧米の最前線の現代写真を雑誌で次々と日本に紹介していった。若い才能ある写真家の発掘にも力を発揮して、20歳代の森山大道、篠山紀信、立木義浩を雑誌でいち早く取り上げている。
また写真展の企画も手掛けており、ダイアン・アーバス、リチャード・アヴェドン、J-H・ラルティーグ、ピーター・ベアードなどを日本に紹介。海外への日本写真紹介も行っており、1974年には、ニューヨーク近代美術館で“New Japanese Photography”展、1979年にニューヨーク国際写真センタ―(ICP)で”日本の自写像”展をキュレーターとして開催しているのだ。ネット上では、写真評論家の飯沢耕太郎氏が“Photologue – 飯沢耕太郎の写真談話”で詳しく語っているので参考にしてほしい。
私は窓社の西山俊二社長が手掛けた“写真編集者 山岸章二へのオマ―ジュ”(西井一夫 著、窓社 2002年刊)を読んで、山岸の極めて個性的な人物像を知ることができた。著者の西井一夫(1946-2001)は、山岸の部下として一緒に仕事をした人物で、85年4月号で休刊になったカメラ毎日の最後の編集長。同書には、山岸の写真界での功績や、彼と森山大道、東松照明らとの興味深いインタビューも収録されている。興味ある人は一読を進めたい。
若かりしセイケが、カメラ毎日の山岸によりデビューの機会を得たのは新たな発見だった。山岸は1976年から編集長になるが、3月号の編集長は北島昇となっていた。セイケが会った時はまだ副編集長だったと思われる。セイケによると、売り込みに行ったら、山岸はいきなり10ページを与えてたという。山岸が初対面だった森山大道の持ち込み写真の雑誌掲載を即断したエピソードは伝説になっているが、同じようなことがセイケにも起きていたのだ。
この号の多くの掲載写真の中で、セイケの実験的要素があるが洗練された作品は全く異質に感じられる。たぶん山岸には、外国人写真家を紹介するようなニュアンスがあったと思われる。またセイケの欧米写真家的な写真への取り組み姿勢を評価して発表の場を与えたのだろう。山岸は、約40年以上前にセイケの現在の写真家としての成功を見事に見抜いていたのだ。
同誌は、セイケにとって初めての雑誌掲載だった。雑誌の刊行を待ちわびていたセイケは山岸に連絡をとったという。直ぐに編集部に来いといわれて訪問すると、編集部用の早刷り雑誌をセイケに渡してくれたとのことだ。セイケがこのようなエピソードを話すのは珍しい。山岸の何気ない厚意にとても感動し、その人間性に魅了されたのだと思う。
参考のために同誌「今月登場」のセイケのコメントの最終部分を転載しておく。
「渡英中、日本の写真雑誌を見ては、流行ではない、洗練されたきれいな写真を撮りたいと思っていたという。コンポラでもない大型カメラでもないもの、そういう写真を掲載してくれる雑誌は、もう日本にはないのか、と思っていたが・・・・・・・。」
山岸は1979年に初老性鬱病を患い自死している。その後、日本はバブル経済へと進んでいく。ここから日本の写真は欧米と全く違う方向に進むのだ。写真でのパーソナルな表現よりも、好景気でお金が流れてくる商業写真が中心となる。多くの写真家がその延長線上に自由な自己表現の可能性があると信じた。しかしバブル崩壊によりあっけなくそれが幻想だと気付かされるのだ。2000年、上記の編集者の西井は山岸を約20年ぶりに振り返り、“遂に、日本には、写真雑誌は根付かず、写真エディターも育たず、写真批評の地平線も生まれなかった。山岸章二はいまだ必要なのか?”と記している。
欧米の写真状況を熟知しているセイケも、山岸の死後、日本の写真状況は悪化していると語っている。
この国では、いまだに欧米のような「写真」での表現は生まれず、「写真」はその領域の中で様々な価値基準とともに存在している、という意味だと理解している。日本で写真作品が売れない理由もここから来ているのだ。

アート系ファッション写真の
フォトブック・ガイド(連載-2)
玉石混交のファッション系の写真集

いままでに刊行されたフォトブック・ガイドはだいたい次のように分類できる。
著者の個人的な好み、刊行年代別、国や都市や地域別、カテゴリー別、単独コレクションの紹介などだ。最近はマグナム・フォトの写真家だけのフォトブック・ガイド“MAGNUM PHOTOBOOK”(Phaidon Press、2016年刊)も発売されている。
“MAGNUM PHOTOBOOK”(Phaidon Press、2016年刊)

そのなかで、種類が少ないのがカテゴリー別だろう。ヌード系をまとめた“Book of Nude”(Alessandro Bertolotti、2007年刊)があるくらいだ。

“Book of Nude” (Alessandro  Bertolotti、2007年刊)私が個人的に発刊を待ち望んでいるのが、アート系ファッションやポートレート分野のフォトブック・ガイドだ。ファッション写真自体だけなら、写真家、歴史、ヴォーグ/ハーパース・バザー/ザ・フェイスなどの掲載された雑誌メディア、またブランドやデザイナー、ファッション・エディターごとにまとめられて刊行されている。しかし、写真家のモノグラフの包括的なガイドブックは私の知る限り存在していない。

 この分野は、アート写真コレクターだけでなく、ファッション業界の人にもアピールできる。出版すればかなりの売り上げが予想できると版元も考えるはず。不思議に感じたので、いくつかその理由を考えてみた。
一番単純なのは、各時代を代表するファッション写真家のキャリアを回顧したフォトブックのガイドを制作することだろう。しかし、それだとすでに引退したり亡くなった人が対象になり、本の数があまり多くないのだ。ファッション写真のアート性が認められたのが比較的最近であることも影響している。それ以前に活躍した人の再評価は現在進行形なのだ。現役のファッション写真家の場合は、キャリアの途中でそれまでの仕事を回顧するケースは稀だと思われる。

また現役写真家の本の場合、かなりの数の自費出版が含まれているのが状況を複雑化していると思う。広告で稼いだ写真家が経費を思う存分に使って自分の広告写真のアザー・ショットやヌード、スナップ、風景などのプライベート写真を大手出版社を通して写真集化する場合が多く見受けられるのだ。それらは、仕事上のクライエントや広告代理店へのアピールが主目的で制作されるのだが、時に豪華本で、有名出版社から刊行される。広告業界で知名度が高いファッション写真家も含まれる。表面上は自費出版かどうかが非常にわかり難い。

“Understanding Photobooks” (A Focal Press Book、2017年刊)

以前のブログで紹介したヨーグ・コルバーグ(Jorg Colberg、1968-)著の、フォトブック解説書“Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book) ”によると、いまほとんどのフォトブック出版では写真家が資金を出しているという。それゆえ、フォトブックを出している出版社からも、ファッション写真家の写真を本形式にした、自費出版本は刊行されているのだ。厳しい経営環境の中、有名出版社でも長い物には巻かれよになってしまうのは理解できる。またコールバークの本では、フォトブック制作では写真家は独裁者ではなく、多くの関係者間のコーディネーターの役割を果たすべきだとしている。しかし、上記のファッション系の本では、写真家が独裁者となりすべて自分の思い通りにする場合が多い。残念ながらアマチュア写真家の本作りと同じ構図になっているのだ。

それらはもちろんフォトブックではなく、ファッション写真家による写真集形式の作品カタログとなる。現存の写真家なので資料的な価値もない。
このように制作意図が全く違うファッション写真家の写真集が世の中には混在している。外見は豪華なのだが、内容が伴わない写真集が非常に多いのだ。膨大な数のなかから、アート系のフォトブックを区別するのはかなり難しい作業になるのだ。ファッション写真家による作品カタログのガイドブックをわざわざ制作しても、それは職業別の写真家ガイドでしかない。アートに興味を持つコレクターは全く面白味を持たないだろう。これこそがアート系ファッション写真のフォトブック・ガイド制作を考えるときに真っ先に直面する大問題なのだ。
アート系を分別するには、すべての刊行物を購入して内容を吟味するのが理想だ。しかし昨今の出版物の洪水のなかでは費用的、時間的に実際的ではない。私が判断する際に参考にしているのは、刊行後の古書市場での相場動向だ。アート系ファッション写真のフォトブックはプレミアムが付くが、それ以外は当初販売価格以下で売られている場合が多いのだ。また洋書店のバーゲンセールで売られている場合も多くみられる。ファッション雑誌の売り上げが落ちているように、ファッションのカタログ的な写真集も消費者になかなか買ってもらえないのだ。

次回の第3回では、アート系ファッション写真の評価基準を少しばかり小難しく解説する。