写真展レビュー
アジェのインスピレーション
ひきつがれる精神
東京都写真美術館

本展は、フランス人写真家ウジューヌ・アジェ(1857-1927)の20世紀写真史への影響を多角的に考察するもの。東京都写真美術館(以下、都写美)のプレスリリースによると、”アジェがこの世に遺した20世紀前後に捉えたパリの光景の写真が、なぜ現代も多くの写真家たちに影響を与え、魅了してやまないかを考察します”と書かれている。
アジェを評価した、マン・レイ(アーティスト)、ベレニス・アボット(写真家)、ジュリアン・レヴィ(ギャラリスト)、ジョン・シャーコフスキー(NY近代美術館ディレクター)の4人のアメリカ人の視点を通して、アジェの写真界への影響を探求。展示は、同館収蔵の12人の写真家の作品158点と写真集などの資料で構成されている。同展カタログに掲載されている学芸員の鈴木佳子氏の解説では、”ジャーコフスキーはアジェとウォーカー・エバンス以降のアメリカ写真家たちをリンクさせ、写真史の大きな流れを作り出すという、偉大な偉業を成し遂げている”と語っている。また、アジェが何で写真史で高く評価されてかの解説を前記の4人の言葉を引用して的確に行っている。
本展は、アジェを近代写真の元祖としているシャーコフスキーの写真史へのまなざしを、都写美のアジェ・コレクションをベースとしてその他収蔵作品を有効的に利用して再解釈したといえるだろう。アジェの影響をやや拡大解釈している印象はあるが、たぶん展覧会実現のために確信犯で行っている考える。

展示の見どころ解説は様々なところで書かれているので、ここでは展示されている個別作品に触れてみよう。アジェの詳しいプロフィールやキャリアは、展覧会カタログに掲載されている写真評論家の横江文憲のエッセーを参考にしてほしい。

まず本展の主役であるアジェの100年以上前に制作されたオリジナルの薄茶色の鶏卵紙作品は必見だろう。同館は開館時に114点を購入し、現在までに150点を収蔵しているとのこと。その中から約38点がセレクションされている。それと比較して展示されているのがベレニス・アボット制作のアジェの銀塩写真。黒白のトーンが強調されて感じられオリジナルとは印象が全く違う。しかし、モノクロームの抽象美が表現された作品群はアボットがアジェのプリントを再解釈して制作した全くの別物として鑑賞したい。

マン・レイの、カメラを使用せずにオブジェを感光材の上に置いて露光したレイヨグラム作品も必見だろう。これは同館が1990年にプレ開館するときに約8億円の予算をかけて収集した名品の一部。当時は“有名作品 買いあさり?”などと一部に批判があったものの、写真の相場はこの27年間で高騰している。買いあさりどころか、先見の明があったと高く評価できるだろう。1990年4月11日の朝日新聞の記事によると、同作品の購入費用は570万円だったいう。

ちなみに以前に紹介したが、今年の11月のクリスティーズ・パリで行われたアート写真オークションでは、マン・レイの“Noire et Blanche, 1926”が、落札予想価格上限の150万ユーロを大きく超える268.8万ユーロ(3.57憶円)で落札された。これはオークションでのマン・レイ作品の最高額となる。都写美のレイヨグラム作品の市場評価もかなり高価になっていると予想できる。写真の右下の黒い部分にはマン・レイの直筆のサインがあるので、じっくりと鑑賞してほしい。その他、同展では日本ではめったに鑑賞できない貴重な作品が目白押しだ。シリアスな写真コレクターは各コーナーごとに展示されている数々の名品に、唸ってしまうのではないだろうか。アジェ以前の19世紀の都市整備事業のパリ改造を記録撮影したシャルル・マルヴィル、アルフレッド・スティーグリッツの美しい銀塩作品“Poplars、Lake George、1920”とフォトグラビアの“The Steerage(三等船室)”、ウォーカー・エバンスの20年から30年代の12点の作品は必見。彼の“Flower Pedder’s Pushcar, 1929”には、右下のマット部分に直筆のサインが見られる。見逃さないようにしたい。
現代アメリカ写真ではリー・フリードランダーによる、おもに60年代に撮影された代表作が10点展示されている。
日本人写真家、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久、清野賀子の同時展示には違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、これはアジェとMoMAのジョン・シャーコフスキーとのかかわり、そして、彼とカメラ毎日の山岸章二とが1974年に同館で開催した「ニュージャパニーズ・フォトグラフィー展」でつながってくる。ちなみにMoMAでの展示には、深瀬、森山が選出。展覧会カタログも資料として展示されている。そして、出品日本人写真家は、みな自らのアジェからの影響を声高に語っていると紹介されている。

唯一のカラーが清野賀子の作品。シャーコフスキーが引用されているので、一部にアメリカのニューカラー作品を展示すれば、展示作の関係性がより重層化したのではないかと感じた。

フォトブックの展示にも注目したい。数ある有名フォトブック・ガイドに例外なく収録されているのが、“Atget Photographe de Paris”だ。ニューヨークの有名なウエイー・ギャラリー(Weyhe Gallery)で1930年に開催された写真展に際して、米国版、フランス版、ドイツ版が刊行。本展の展示物はドイツ版だと紹介されている。アメリカ版はワイン・レッドの布張りで知られている。同書のタイトル・ページ左側には、アボット撮影のアジェのポートレートが収録されている。本展でもこの見開きページが展示されている。

シャーコフスキーが1981年から1985年にMoMAで4回開催した“The Works of Atget”展の4分冊のカタログも展示されている。もっとも忠実にアジェの鶏卵紙プリントを印刷で再現しているといわれている。アジェのファンなら全4巻揃えたいだろう。実はこれらの本は出版数が多いので、いまでも古書市場で比較的容易に入手可能。一番人気が高く高価なのが第2巻の“The Art of Old Paris”だ。

アジェの写真が初めて印刷物で紹介されたのが、
“LA REVOLUTION SURREALISTE(シュルリアリズム革命)”の1926年刊の第7号。”バスティーユ広場で日食を見上げる人たち”が表紙に掲載されている。アジェの写真にシュールレアリスム的な要素を見出して初めて評価したのがマン・レイだった事実は広く知られている。その時にいつも同書が引用される。私も初めてオリジナルを見たが、現在のニュースレターや冊子に近いのがわかった。(写真は上記美術館チラシに掲載のものと同じ)

アジェのストレートな写真とシュールレアリスムとの関係性はややわかりにくいかもしれない。同展カタログに掲載されている学芸員の鈴木佳子氏の解説は非常にわかりやすいので紹介しておこう。一見まったくかけ離れている2種類の作品について、「ストレート写真にこそ現実を超えた世界がある、というシュールレアリスム本来の概念に注目する必要があるだろう」と説明している。

本展は、都写美の珠玉のコレクションを有効利用した、写真史の教育的な要素も持った優れた発想の企画だと評価したい。アート写真やフォトブックのコレクション、写真でのアート表現に興味ある人には必見の展覧会といえるだろう。様々な写真家や関係者たちの影響が複雑に提示されているので、写真史の知識がない人はつながりが見えない場合もあるかもしれない。関係性が不明だと感じたら、ぜひその部分の写真史を詳しく学ぶきっかけにしてほしい。
個人的には、現代アート系のアーティストたちも展示して、アジェの美術界全体への関わりを提示して欲しかった。
本展はコレクション展なので、同館にはその関連性を提示するような適当な収蔵作品がなかったかもしれない。現代アート分野は20世紀写真と比べてもかなり高額になっている。現在では、このカテゴリーの優れたコレクション構築は極めて困難だと思われる。コレクション展の枠の中ではなく、作品を他美術館から借りたりして、アジェの影響をもっと大規模に展開したような展覧会企画を将来的に期待したい。

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アジェのインスピレーション ひきつがれる精神
東京都写真美術館

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