ROCK ICONS展が3月29日からスタート
鋤田正義/グイード・ハラリ 珠玉のポートレート

ブリッツ・ギャラリーは、鋤田正義とイタリア人写真家グイード・ハラリによる20世紀ロックの伝説的ミュージシャンたちのポートレート写真展を3月29日(木)から開催する。

鋤田は日本、英国、米国、ハラリは欧州と活躍の地域は違うものの、70年代から90年代までの20世紀ロック黄金期のロック・アインコンを撮影してきた。撮影スタイルは違うものの、お互いの仕事をリスペクトする友人同士でもある。
二人は、ハラリが運営するイタリアのギャラリーでの写真展の際に知り合った。お互いにミュージシャンのポートレートを撮影してきたことからすぐに親しい関係となった。ハラリは熱心な音楽ファンの多い日本での作品展示を熱望して、今回の二人展開催となった。
本人は来日予定だったが、体調悪化でドクターストップがかかり急遽中止になってしまった。

鋤田正義といえば、デヴィッド・ボウイのポートレートを約40年にもわたり撮影し続けてきた写真家として知られている。本展でも、彼の膨大なアーカイヴスの中から、未発表を含む多数のボウイ作品が展示される。彼が時に語るボウイとのエピソードは二人の関係性が読み取れて興味深い。鋤田が撮影したボウイのポートレートが別格である理由がよくわかる。若かりし鋤田は、広告の仕事で資金稼ぎを行って、その時にしか撮れない被写体を求めて世界中を旅したいと考えていた。しかしボウイは、広告の仕事をあまりやるなと、よく鋤田にアドバイスしていたという。そういうボウイ自身は広告に出たりしていたので、鋤田はやや違和感を感じていたという。ボウイの80年の日本での広告の仕事では、最も信頼する写真家のはずの鋤田をあえて指名しなかったという。それは。ボウイが鋤田はアーティストであり、広告写真家ではないという、高いリスペクトを持っていたからだと思われる。

この辺りの価値基準は非常に分かりにくいので説明しておこう。欧米ではファインアート系と広告系の写真家は全く違うキャリアを歩み、仕事が重なり合うことはない。日本ではお金を稼ぐ広告写真家の社会的地位が高い。一方で欧米ではファインアート系の人は、お金よりも自由な表現を追求し、世の中に新しい視点を提供する存在として、社会的に尊敬されている。当然、鋤田は日本をベースに仕事をしており、当初は広告優先の価値観を持っていた。ボウイの広告撮影に指名されなかったときは残念に感じたそうだ。鋤田はボウイの趣旨を後になってから理解したという。彼はボウイとの付き合いの中で、アーティストとして社会で生きていく姿勢を学び実践していったのだ。
その結果、いまや彼のポートレート写真家としてのポジションは日本人としては別格と言えるだろう。海外の一流写真家は、どんな有名人を撮影してもそれは本人の作品として扱われる。それは両者は平等にアーティストだと考えられるからだ。作品は自由に発表できるし、ギャラリーではアート作品として取り扱われる。日本人写真家の場合は、ミュージシャンの方が地位が高く、写真家はただ指示通りに撮影するだけの場合が多い。テレビ局のカメラマンと同じような感じだ。もちろん写真を自由に使用することはできない。鋤田はただ単にボウイのヒーローズのLPジャケットを撮っただけの写真家ではないのだ。日本人で数少ない業界でアーティストとして広く認識されている写真家なのだ。

鋤田はただミュージシャンの写真撮影だけを行っているのではない。たぶんこの点もボウイからアーティストとして認められた理由なのだろう。俳優、文化人から一般人まで幅広い人を被写体にするほか、長年にわたりランドスケープやシティー・スケープの写真にも取り組んでいる。優れたアーティストは、マンネリに陥ることを恐れて、常に新しいテーマを追い求める。彼らは写真での表現者であり、お金稼ぎは重要と考えるが最優先順位ではないのだ。現在は、ボウイが亡くなったことから、ミュージック系のポートレート写真を撮影してきた写真家だと思われがちだ。しかし、彼には過去に撮影した膨大な作品アーカイヴスがある。いまその整理整頓に真剣に取り組んでいる。
過去に撮影した作品の現在の視点での再解釈も行っている。それには彼の代名詞のボウイのポートレートも含まれる。最近フィーチャーされる機会が多い、”Heroes”と同じく1977年に撮影された”Just for one day”。(本展でも展示中) 同作は長らく未発表だった。それは、ロックミュージシャンである強いイメージのボウイの表の顔の緊張が途切れて、リラックスして優しい表情を見せた瞬間をとらえた写真。ロックのカリスマの顔をしている”Heroes”のLPジャケット写真とまさに表と裏の作品だ。鋤田はずっとそれはボウイのイメージに似つかわしくないと考えて発表してこなかった。しかし、長い時間が経過し考え方が変化したという。いまではボウイの好きな写真の1枚だと本人が語るようになっている。

今後は、ミュージック系だけにとどまらないポートレート、そしてランドスケープやシティー・スケープの見直しや編集作業と共に、精力的に新作にも取り組んでいる。4月3日から5月20日、地元福岡県の直方谷尾美術館で鋤田正義 写真展「ただいま。」が開催される。同展では、彼のキャリアを網羅する展示が試みられる。どのような視点で彼のキャリア全体を一貫性を持って提示するか。今後は国内外の様々なプロジェクトで試行錯誤が行われるだろう。

本展は、日本におけるグイード・ハラリ作品のギャラリー初展示となる。彼は自らのギャラリーを設立して写真を販売するとともに、デザインにも関わって写真集やカタログまでを製作してしまう。実は本展のカタログ、ポスター、案内状のデザインも彼のスタジオが手掛けている。
彼のロック・ミュージシャンのポートレートは、いくつかのおおきなカテゴリーに分類できる。ボブ・ディラン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトンなどのカリスマ性を持つ強い被写体の時はモノクロのストレート写真で表現している。それ以外では、ミュージシャンに様々なポーズや動きを提案したり、様々な場所に連れ出したりして撮影。さらに写真をべースにして画像・色彩を重ねたりして全く新しい作品を作り上げている。それらは被写体との信頼関係がないと制作できない一種のコラボレーション作品とも解釈できる。撮影後に作品に手を加える作業や、被写体に過度の指示を与える撮影に対しては、様々な意見があるだろう。ミュージシャンのポートレートは、音楽が存在していた時代性がイメージに反映されると、見る側にはより魅力的な作品となる。優れた写真家は、被写体をストリートに連れ出したり、一緒に長期間行動することで、そのような作品を制作している。しかし、相手に信頼されないと、なかなか時代性が反映された写真は撮影できない。ミュージシャンの写真がアート作品になるか、単なるポートレートで終わるかは両者の関係性に強く影響される。ロックがビッグ・ビジネスなりに従い、かつてのように写真家に多くの自由裁量が与えられるケースは少なくなっている。ハラリ作品は、このような創作に厳しい状況であっても、写真家に作家性を発揮する可能性があることを示している。被写体の動きや、撮影のバックグラウンド、そしてポスト・プロダクションを駆使することで、音楽が奏でられていた時代の気分や雰囲気が表現可能なのだ。彼のミュージシャンへのリスペクトと、音楽への高い理解力がこれらの作品を製作可能にしているのだろう。単にデザイン性、奇抜さ、目新しさを追求したのではないと感じる。彼の様々な作品から音楽の背景にあった時代を感じられるか、ぜひ来場者自身の目で判断してほしい。

本展で紹介されるミュージシャンは、鋤田が、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、YMO (イエロー・マジック・オーケストラ)、忌野清志郎、シーナ & ロケッツ、SUGIZO(スギゾー)など、ハラリが、ピーター・ガブリエル、ボブ・ディラン、トム・ウェイツ、ルー・リード、ローリー・アンダーソン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトン、パティー・スミス、ケイト・ブッシュ、イギー・ポップ、坂本龍一、ジョニー・ミッチェルなど。モノクロ・カラーのよる様々なサイズの約45点を展示する。

展示予定作の一部は以下からご覧いただけます。
・鋤田正義 作品
http://blitz-gallery.com/sukita.html
・グイード・ハラリ 作品
http://blitz-gallery.com/Harari.html

なお本展ではブリッツは19時まで営業、日曜日もオープンする。ただし、月曜に加え火曜水曜も休廊なのでご注意ください。(ゴールデン・ウィーク中も同様)

(開催概要)
ROCK ICONS SUKITA X HARARI 鋤田 正義 / グイード・ハラリ
2018年3月29日(木)~ 5月20日(日) 1:00PM~7:00PM
休廊 月・火・水曜日
入場無料

ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064  東京都目黒区下目黒6-20-29  TEL 03-3714-0552

日本の新しいアート写真カテゴリー クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(10) なんで日本で写真が売れないのか Part-2

前回のパート1では、なんで日本で写真が売れないのかその理由を分析してみた。

繰り返すと、欧米のファインアートの世界では、写真展開催や写真集製作は、自分が社会に対するメッセージを伝える手段である。しかし、日本では制作側、見る側ともに写真を撮影して発表する行為自体が目的で、それがアート表現だと考えている。両者の価値基準が全く異なるということだ。
海外をベースに活動する日本人写真家が評価されたケースはあるが、世界で認められる写真家が日本から出てこないのは当たり前だといえる。評価されるべきメッセージ自体が発信されていないからだ。日本では、プロの写真家、先生の写真家、アマチュア写真家は、表現者としてみんな同じフィールドの中にいる。様々な価値基準を持つ集団が存在しており、その勢力拡大を目指すとともに、狭い範囲内で切磋琢磨しているのだ。
このような現状認識の上での、日本の新しい写真の価値基準の提案なのだ。

第3者による「見立て」は海外でも行われている。ただし、それに対する受け止め方が日本とは違う。西洋では新たな創作を行うためには、アーティストは自らがとらわれている思考のフレームワークの存在を意識して、それを破らなければならないと考えられている。
そのためには、多種多様な作品テーマに挑戦してマンネリに陥らない努力を行う。
優れた写真家はキャリアを通して変化しており、多種多様な作品の中に代表作があるのだ。またそのために、様々な意見を外部から取り入れ、自らをできる限り客観視して新たな視点を獲得するように努力する。
第3者の「見立て」は、作品アドバイスと同様の意味で、作品が無意識的に持つテーマ性に気付くきっかけになる。それが意識化されてアイデアやコンセプトに展開していくことが多い。

日本では、人間の本来持っている、思い込みや考えのフレームワークから抜け出すという意味が理解されない。第3者の「見立て」は作品のテーマ性発見にあまり役立たないのだ。同じテーマを長きにわたり追及する人が多いと感じている。

現代社会のシステムでは、一般論として、私たちは年齢を重ねるに従い能力や家庭環境などにより選別されていく。社会に出る段階ではすでに皆が違うスタート地点に立っている。どうしても自分の能力に近い人間関係の中で社会生活を送り、その世界にどっぷりとつかることになる。しだいに自分の知らない世界が存在するという意識が消えてなくなる。そして比較対象が少ないことから、狭い枠の中で自分はそこそこイケていると考えるようになり、人間の成長は止まってしまうのだ。西洋でアーティストがなんで尊敬されるかというと、その枠にとらわれないように悪戦苦闘している人だからだ。彼らの存在が人間社会の未来の多様性を担保すると考えられている。

日本は全く逆で、パート1でも触れたように、自分の持つフレームの中で表現を追及するのが作家活動だと思う人が圧倒的に多い。第3者からの「見立て」が自分の枠から外れている場合は重要視しないのだ。「見立て」を通しての写真家への働きかけは短期的には有効には働かない。
戦後日本には平等幻想があるとともに、いまでも共同体社会のセンチメントを無意識に持つので、周りも自分とたいして変わらないと考える傾向が強いからではないかと私は疑っている。

それゆえに日本では「見立て」は写真家を離れて第3者が独自に行う行為となる。多くの写真家は天才ではないので、ここの意識の違いはキャリア展開に非常に大きな影響を与える。
海外では、「見立て」やアドバイスがきっかけに若い写真家が優れたテーマ性の提示に成功することがある。しかし、日本では通常キャリアの後期になって複数の人からの「見立て」が積み重なることで、写真家の作品のテーマ性が徐々に認識されるようになる。時に数十年以上の長年にわたる作品制作の継続が必要となる。それが可能なのは、自らの写真表現が社会と何らかの関りがあり、継続するモーチベーションになっているからだと思われる。これはアマチュア写真家のように長期にわたってただ写真を撮影しているという意味ではない。ここでの作品継続の意味とは、何かに突き動かされて、被写体と一体になって一切の邪念を持たずに写真を撮影し、定期的に作品発表する行為のことだ。作品制作には、膨大な時間と資金が必要になる。社会的また金銭的な評価を求める人だと、短期的に結果が伴わないと継続するのは難しい。多くの人には、個展開催や写真集出版はキャリア上の思い出作りなのだ。

このように、日本の写真家の中には、自らがモーチベーションを持って作品制作を続けられる人と、写真を仕事や趣味で撮っている人が混在している。社会との関りから写真撮影を継続する人はいるのだが、彼らの多くは自らがメッセージを発信しない。誰かが隠れたテーマ性の「見立て」を行わないと、優れた才能は埋もれて忘れ去られてしまうだろう。
特に、広告写真家やアマチュアの中には、優れた作家性が発見されずに消えていった人が多数いるのではないかと疑っている。日本独自の新しいがアート写真が認知されないと、彼らを評価する価値基準が存在しないのだ。

最近は、「見立て」の行為に興味を持つ人への啓蒙活動がより重要だと感じている。日本には写真家はあまたいるが、「見立て」ができる人は圧倒的に少ないのだ。「見立て」には、その人の経験と知識の蓄積が重要になる。それなくして、作家性や作品のテーマ性に気づくことはないからだ。これは写真分野における、知的好奇心を刺激する高度な趣味的な行為だと思う。撮影はしないが、写真を通しての自己表現でもある。
おかげさまで、「写真の見立て教室」開催への問い合わせを数多くもらっている。どうも興味を持つ人がある程度の数はいるようだ。今後は、「見立て」ができる人を養成するような全く新しい写真のワークショップを春以降に開催したいと考えている。

日本の新しいアート写真カテゴリー
クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(9)
なぜ日本で写真が売れないのか Part-1

いまや写真界では日本で写真は売れないというのが一般論になっている。私どものギャラリーの経験でも、特に日本人写真家による自然や都市の風景がモチーフの写真が売れ難いのは明確な事実だ。
私がよく引き合いの出す例は、アート写真のオークション規模の違いだ。ちなみに欧米では2017年に現代アートを除くアート写真だけのオークションが45回程度開催され、総売り上げは約79億円になる。日本にはアート写真だけのオークションはなく、SBIアートオークションのモダン&コンテンポラリー・アート・オークションのごく一部に写真が出品されるにとどまる。ちなみにギャラリーの店頭市場の規模は、オークションと同等から2倍程度といわれている。

その理由は、日本と欧米の住宅事情に帰せられる場合が多いが、状況を分析すると売れないのは当たり前なのがわかってくる。私はその状況を踏まえて、日本では全く新しい価値基準のアート写真カテゴリーが必要だと意識した。なんで写真の評価に第3者の「見立て」が必要なのか。本連載の読者により理解を深めてもらうために、今回は写真が売れない理由の説明を行いたい。

まず作家活動の意味や定義が海外のファインアートの世界と日本は全く違う事実を指摘しておきたい。念のために最初に述べておくが、これは日本と西洋とを比べてどちらが良いとか上だとかいうことではない。ただ価値基準が違うということ。この点を誤解しないでほしい。そして日本ではこの二つの全く違った価値観が混同されているという事実を伝えておきたい。

いま海外のファインアート分野で活躍する写真家は、社会の中で何らかの問題点を見つけ出して、それを写真を通して表現したり解決策を提示するアーティストなのだ。作品が売れるとは、そのメッセージの意味をコレクターが受け止めて、両者にコミュニケーションが生じることなのだ。日本でも、写真家は表現するという意味でアーティストといわれるが、それは海外とはやや意味合いが違う。アート系の学校の出身者や、海外べースで活動している人を除くと、最初に社会に何か伝えたいメッセージがあって写真を撮影する場合は圧倒的に少ない。また世間一般は、写真家は写真家であり、ファインアートのアーティストとは考えていない。多くの写真家にとって、自分の興味ある対象の写真撮影し、展覧会を開催したり、写真集を出版するのが作家活動なのだ。
また最近は、海外の現代アートの影響で、アイデアやコンセプトを撮影後に探してきて後付けする人も若い人中心に増えている。これは本質が伴わない、外見だけを現代アート風に仕立てた作品となる。
見る側の認識も同じで、展覧会に見に行って芳名帳に記載し、余裕があれば写真集を購入することが作家支援なのだ。

写真家は何もメッセージを発信していないし、見る側も何らかのメッセージを読み解こうという意識がない。だから写真が売れる、つまりアートコレクションの対象になるはずがない。日本では写真はアート作品ではなく商品なのだ。売れるのは、インテリア向けの飾りやすい絵柄の低価格帯の写真、商業写真家のクライエントや関係者が仕事上の人間関係で買う場合。親族・友人が社交辞令で買う場合などだ。しかし、コレクターとして作品のアート性を愛でて買うわけではないので、ほとんどが1回限りとなる。
そこには欧米的なアート史と対比してオリジナリティーを評価するような客観的な価値基準は存在しない。すべてが見る側のあいまいな感覚もしくはフィーリングでの判断となる。写真がアートになる以前の20世紀写真の基準がいまだに反映されがちだ。きれいな写真、うまく撮影された写真、クオリティーの高い写真、銀塩写真なのだ。また作品の客観的な基準がないことから写真家の知名度や経歴によって大まかな差別化が行われる。
それ以外にも撮影方法の目的化や学閥など、複数の価値基準が存在している。それぞれの人が自分の価値基準が普遍的だと考える傾向が強く、どうしてもそれぞれの基準に準じたコミュニティーが生まれやすい。

まとめてみると、欧米のファインアートの世界では、写真展開催や写真集製作は、自分が社会に対するメッセージを伝える手段である。しかし、日本では制作側、見る側ともに手段自体が目的で、それがアート表現になっている。両者の価値基準が全く異なるということだ。海外の基準やデザイン性で評価された日本人写真家は何人かはいるが、日本から世界に認められる写真家が出てこないのは当たり前なのだ。認められるためのメッセージ自体が発信されていないからだ。
これはアマチュア写真の世界と全く同じ構図となる。日本ではアマチュアの個展開催や出版もアート活動だと考えられている。プロの写真家、学校の先生の写真家、アマチュア写真家は、表現者としてみんな同じフィールドの中に存在している。このような現状認識ができて、初めて日本では欧米と違う新しいアート写真の基準が必要なのだと理解できるのだ。

次回は、日本と欧米の創作における決定的な考え方の違いなどに触れたい。

(Part-2 に続く)

2018年アート写真のオークションがスタート! アイコン的作品の人気が続く

今年のライブによるアート写真オークションは、2月15日に米国ニューヨークの中堅業者スワン(Swann Auction Galleries)の”Icons & Images:Photographs & Photobooks”でスタートした。出品作品の約86.6%が落札予想価格上限1万ドル以下の低価格作品中心のオークションとなる。落札結果はほぼ予想通りで、落札率は約73%、総売り上げは約166万ドル(約1826万円)だった。
ちなみに2017年の同オークションも、落札率は約73.9%、総売り上げは約158万ドルとほぼ同等の結果だった。

Swann Auction Galleries, Robert B. Talfor

今回注目点ははフォトジャーナリズムのルイス・ハイン (1874-1940) の24作品が出品されたこと。注目されていたカタログの表紙を飾るハインの代表作”Mechanic at Steam Pump in Electric Power House, Circa 1921”。落札予想価格は7万~10万ドル(770~1100万円)のところ、8.125万ドル(約893万円)で落札された。
最高額だったのは19世紀の英国出身写真家Robert B. Talforによる113点の歴史的写真アルバム “Photographic Views of Red River Raft, 1873″。(上の画像)
落札予想価格は1.8万~2.2万ドルのところ、9.375万ドル(約1031万円)で落札された。アートコレクションとというよりも歴史的な資料の価値が強い作品。美術館や公共機関が購入したのではないだろうか。

2月15日には、ササビーズ・ロンドン”Erotic: Passion & Desire”オークションが開催された。リチャード・アヴェドン、ロバート・メイプルソープ、ヘルムート・ニュートン、マン・レイ、トーマス・ルフなどの高額評価のヌード写真が絵画、版画、ドローイング、彫刻などとともに出品された。
総売り上げは約371万ポンド(5.56億円)。写真関連作品は18点が出品された。全体の落札率は約70%、写真は約77%だった。

写真の最高額はクリス・レヴィーンの、ケイト・モスをモデルにした立体感のあるレンティキュラー・プリントのライトボックス作品”SHE’S LIGHT (LASER 3), 2013″の7.5万ポンド(約1125万円)だった。(下の画像)

Sotheby’s London, “Erotic: Passion & Desire”, Chris Levine SHE’S LIGHT (LASER 3), 2013

レヴィーンは、ロンドンを拠点に活躍しているカナダ出身のアーティスト。セントラル・セント・マーチンズを卒業してから、光とアートを融合した“ライトアート”作品を制作。最新テクノロジーを駆使して光や画像を形にして、レーザー、LED、レンズ、ライトボックス、写真などによる斬新な官能的作品を作り上げている2004年、エリザバベス2世のホログラム(レーザー光線によって作られる3次元の立体写真)撮影に指名される。20世紀に最もアイコニックなイメージと言われるこの3Dポートレートシリーズがレヴィーンを一躍著名なアーティストにした。今回のケイト・モス作品は彼の代表作。100X150cmの大判サイズでAPを含めて2点しか制作されていない写真だが絵画に近い貴重な作品。

ササビーズ・パリは、低価格帯から中間価格帯までの比較的買いやすい価格帯の現代アート、家具などのデザイン、アート写真をまとめ販売する”NOW!”を2月28日に開催。住空間の中でのアートや関連商品を新しいコレクター層に提案するオークションとなる。総売り上げは約179万ユーロ(約2.32億円)。

写真関連作品は現代アート系から銀塩20世紀写真まで約60点が含まれた。全体の落札率は約75%だったが写真は約58%にとどまった。最高額はドイツ人写真家ギュンター・ザックス(1932-2011) の、1点102X102cmの大判カラー作品の8点組”Hommage a Warhol, 1991″で、3万ユーロ(約390万円)で落札。ナン・ゴールディンの69.8 x 101.5 cmサイズのチバクローム作品”GREER AND ROBERT ON THE BED, NYC, 1982″は、2.357万ユーロ(約306万円)で落札された。

2月28日には、ヘリテージ・オークションが約170点の”Online Photographs Auction”を開催。こちらは1000ドルから1万ドルの作品が中心、総売り上げは約14.2万ドル(約1562万円)だった。今後は、このような低価格帯の20世紀写真はコストのかかるライブ・オークションからオンライン・オークションにシフトしていくと思われる。

2月になって1月の米国の雇用統計のよるインフレ懸念と長期金利上昇を受けて、景気回復、低インフレ、低金利が続く適温相場が変調の兆しを見せてきた。金融市場では相場の乱高下が続き、どうも低ボラティリティーの時代は終焉を迎えてようだ。金利上昇などがアート相場に与える影響にについては皆がまだ予想できないでいる。先の見通しが不明確だとなかなか参加者も入札に強気になれないだろう。作品の選別化が進行していたアート写真市場にはどのような影響が出てくるのだろうか?今週ロンドンで行われる現代アート・オークションとともに、来月のニューヨークのアート写真定例オークションが注目される。

(1ドル/110円、1ポンド/150円。1ユーロ/130円)