ソール・ライター
見立ての積み重ねで評価された写真家(2)

・未発表ヌード/ポートレート作品が写真集化
前回、ソウル・ライターが50年代後半~80年代初めまでの期間に生活の糧としていたファッション写真との関わりについて触れた。
一方で彼のパーソナル・ワークは、ニューヨーク市の自宅周辺のストリートで撮影されたカラーのスナップが有名だ。自由に表現できない仕事の写真による精神的ストレスを解消する意味合いが強かったのだろう。当時は写真、特にカラー写真は広告写真用で、ファイン・アートではないと考えられていた。彼は、21世紀になってそれらのカラー写真のアート性が絶賛されるとは全く考えていなかっただろう。
しかしライターのパーソナル・ワークはほかにもあったのだ。ファッション写真家として活躍する以前の1940年代後半から、彼は親しい女性たちのヌードとポートレートも撮影していた。彼の死後、数千点にも及ぶ女性のヌードとポートレート写真がアパートから発見された。また90年代に制作されたアクリル絵の具で着色されたヌード作品も約数百点見つかったという。

今回刊行された”WOMEN ソール・ライター写真集”は、1960年代後半までの20年間に撮影された女性ヌード作品約90点と、着色写真の”Painted Nude”作品6点が収録されている。

“Woman Saul Leiter”(SPACE SHOWER BOOKS, 2018年刊)

被写体は、2002年まで約50年近く人生を共にしたパートナーでファッション写真でモデルも務めたのソームズ・パントリーや妹のデボラ、また親しい友人たち。ほとんどの写真は自らのニューヨーク・イーストヴィレッジの自宅アトリエで撮影されている。70年代に編集者ヘンリー・ウルフによる写真集化の企画があったが実現しなかったそうだ。
本書収録作品の一部は”ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)にも収録されている。こちらの本には、珍しいカラーのヌード作品”Lanesville, 1958″(Page 200)も収録。また作品タイトルに、バーバラ、イネス、キム、ドッティ、ジェイ、リン、フェイ、マリアンヌ、ジーン・ピアソンなどの女性の名前が記されている。

カルチェ=ブレッソンは、写真はスケッチ・ブックのようで、絵画は瞑想のようなもの、と語っていたという。ライターにとって、今回のヌード・ポートレートも絵画のための下絵のスケッチ的な意味合いが強かったのだろう。一部の写真は文字通り下絵となり、経済的に苦しかった90年代に着色されて新たな作品として蘇っている。彼にとってヌード・ポートレート作品は、カラーとモノクロのファッションやストリートなどの写真、絵画作品、スケッチなどと全く同等の表現だったのではないだろうか。彼の作品はカテゴリー分けするのではなく、すべてを織り交ぜて提示するのが一番適切だと思う。そのようなライターの世界観を提示する見せ方は”Saul Leiter:Retrospektive”(KEHRER、2012年刊)が最も的確に行っていると考える。

“Saul Leiter:Retrospektive”(KEHRER、2012年刊)

今回のヌード・ポートレートの写真集には新たな発見があった。それらには女性フォルムの探求を目指すような強い創作意図が感じられず、非常にカジュアルな雰囲気で撮影されている。結果的に、女性のファッション、ヘアスタイル、メイク、インテリアの背景などから、撮影された1940から1960年代の時代の気分と雰囲気がとても色濃く伝わってくるのだ。広義のアートとしてのファッション写真に当てはまるといえるだろう。それらは、光の使い方、構図、被写体との関係性など、ルネ・グローブリの”The Eye of Love”(1954年)を思い起こす人が多いだろう。またテーマ性が異なるが、撮影アプローチはトミオ・セイケの”ポートレート・オブ・ゾイ”(1994年)に近い作品もある。
今後、ライターの時代性を切り取った広義のファッション系作品にフォーカスした展覧会や写真集を企画するときは、ストリート作品はもちろんだが、ヌード・ポートレート作品もその一部として提示されるべきだろう。

次回は”日本のアート写真の新価値基準”とのかかわりを見てみたい。

(3)に続く