写真展レビュー
“愛について アジアン・コンテンポラリー”
@東京都写真美術館

本展はアジアン・コンテンポラリーとして高い評価をえているという、アジア出身の女性アーティストのグループ展。企画立案は、4月まで東京都写真美術館でキュレーターを務め、社会における女性の地位やジェンダーのあり方にこだわった展覧会を行ってきた笠原美智子氏による。

キム・インスク(在日コリアン3世)の、“ハイエソ:はざまから”は、在日家族史を収めた映像と日常のポートレートによる作品。
キム・オクソン(韓国)の“ハッピー・トゥゲザー”、“ノー・ディレクション・ホーム”は、グローバル化、多文化がテーマ。国際結婚している女性や国外居住者、外来植物を撮影。
ホウ・ルル・シュウズ(台湾)は、“A Trilogy on Kaohsiung Military Dependents’ Villages”で、戦後の新しい移民集落が姿を消す前の最後の姿を”二重視線”の手法で作品化している。
チェン・ズ(中国)は、自傷行為をテーマに作品を制作、内省的なドキュメンタリーの“我慢できる”と、被写体と交わした各種コミュニケーションを写真作品化した“蜜蜂”を展示。
ジェラルディン・カン(シンガポール)は、自らの家族や親戚にまつわる写真や記憶をもとに、祖母、家族兄弟らと架空のファミリー・ポートレートを撮影した“ありのまま”を展示。
須藤絢乃(日本)は、性別にとらわれない理想の姿に変装した自分自身や友人を撮影した“メタモルフォーゼ”、実在する行方不明の女の子に扮して撮影したセルフポートレート“幻影”などを展示している。

複数文化の中での様々な葛藤と調和、生きるための自傷行為、パーソナルなセルフポートレート、作られた家族写真、忘れられつつある歴史の提示などがテーマの展示は、カタログの“ごあいさつ”で書かれているように、家族、セクシュアルティー、ジェンダーの在り方など、女性が関心を持ちやすいテーマが取り上げられている。
それぞれの作品の制作年を見てみると、かなりばらつきがある。古い作品は、キム・オクソンの2002年制作の作品から、須藤絢乃の2018年制作の作品までが含まれる。“アジアン・コンテンポラリー・フォトグラフィー”ということだが、その意味は現在中心ではないようだ。21世紀最初の18年間における、時代ごとの価値観に影響を受け翻弄されたアジアの女性作家たちの多種多様な作品を展示する意味合いが強いと思う。この期間に世界は、グローバリゼーションと新自由主義の考えが一世を風靡した後に、リーマン危機などを経て一般市民層の経済格差が拡大した。結果的に米国のトランプ政権誕生や英国のEU脱退などに見られるように旧来なナショナルな方向への大きな揺れ戻しが起こっている。それぞれの展示作は、アーティストの出身国独自の問題点や、パーソナルな関心をテーマに、時代ごとの社会の価値観に影響を受けながら制作されているという印象を持った。

コンテンポラリーの日本をテーマにした展覧会のキュレーションは極めて難しいだろう。20世紀後半の一時期のように、多くの人が同じような価値基準や将来の夢を持つような状況ではないからだ。どうしても、狭い範囲内の局地的な視点を掘り下げて提示するものになる。それは、現代アートの世界での問題点やテーマの提示と何ら変わらなくなる。女性やフェミニストやジェンダーのテーマ自体もかなり多様化している。アーティストは、表層的で抽象的な問題にとらわれると自己満足してしまい、思考停止状態に陥ることが多い。21世紀のアーティストは、大きなテーマの中でそれぞれがより内面深く思索を行い、問題点を掘り起こし個別に興味あるテーマを提示しなければならない状況にある。
今回の展示を見て感じたのは、アジアや女性作家を切り口にしても、このような基本的な状況は変わらないことだ。その中で何らかの傾向を提示するのが極めて難しくなってきたのだと感じた。この辺のところはキュレーターの笠原氏の理解も同じで、カタログ巻頭で“このグローバル化し価値観が多様化した情報社会において、国や地域でアーティストを区切り、一つの傾向を示すのは不可能になっているのではないか”と記している。
しかし、美術館の展覧会では何らかの方向性を提示しないわけにはいかないだろう。海外で開催されている若手のグループ展でも、例えばICP(国際写真センターニューヨーク)の“A Different Kind of Order”のように抽象的なキーワードを採用したり、撮影者の世代でグルーピングするものが多くなっている。
本展でも、女性が持つ感性に注目して“愛について”とタイトルを付けたと解釈したい。

しかしながら、各アーティストの国内(ナショナル)に根付いた事柄への関心の高さは、いまグローバル化が転換点を迎えていることが無意識か意識的かわからないが反映されている印象を持った。たぶん10~15年前であったら、グローバルな視点による共通の作品テーマが各国のアーティストから提示され、それらを傾向としてキュレーションすることが可能だっただろう。本展からは、現在のアジアの女性の国内を向きがちなパーソナルな関心を感じ取ることができる。数多いアジアの女性アーティストの中から、彼女たちが選出された理由もそこにあると解釈できるだろう。世界の趨勢とは違い、日本ではまだ反グローバル的な動きは強まっていない。また、フェミニズムに対しても、個人の主観だととらえるような風潮が見られるという意見も聞く。日本から選出された須藤の作品は、自分の内面を掘り下げ、類まれな想像力を駆使して生み出されたセルフポートレートだ。それらは、見事に現在の日本の状況が反映されている。

本展は、かつてのように女性のジェンダー的なこだわりを中心に提示するのではなく、タイトルが示すように、日本を含む現在のアジアの、まとまりのない、ばらけた状況を提示する展示になっている。笠原氏のいままでの仕事の区切りとなる展覧会ともいえるだろう。

愛について
アジアン・コンテンポラリー
東京都写真美術館

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3096.html