有名アーティストのフォトブックを真似る
共感する人の世界観での自己表現

今春にオープンする予定のブリッツ・アネックス。いま膨大な冊数の写真集の整理整頓に悪戦苦闘している。ほとんどが絶版本で、棚に並べるかどうかの選択規準は、あえて単純に古書市場での評価にした。ただし、専門分野であるアート系のファッション、ポートレート写真では、独自の規準で主観的にセレクションしている。
作業を進めていくと、膨大な数の自費出版本の存在を意識せざる得なくなった。その中には、様々な種類の写真を掲載した本が混在しているのだ。膨大な冊数に直面し途方に暮れながら、気付いた点をまとめてみた。写真集の制作を考えている人、コレクションしている人は参考にしてほしい。

まずデジタル時代になって、とてつもなく印刷クオリティーが悪い写真集があることにも気づいた。アナログ時代のフィルムを、的確をスキャニングして高レベルの印刷を行うのは極めて難しいことは知られている。しかし、デジタル・カメラで撮影されたと思われる写真でも同様の状況が見られるのだ。そこには、プリンティング・ディレクターが関わっているはずなのだが、どうも的確に色味がコントロールされていないと思われないものが散見される。アナログのフィルム製版の時代にはそのような酷いものはあまり見た記憶がない。
デジタル時代は、アナログ時代よりはるかに低価格で写真集が制作できる。以前は存在しなかった劣悪なものまでが制作されたのかもしれない。印刷はオリジナル作品と比べてその良し悪しが判断されるはずだ。しかし、デジタル時代のオリジナル・プリント制作には、写真家が明確な基準を持つことが必要だ。それを持たない人が多いのではないかとも思う。それでは、印刷で目指すべき規準も存在しない。個々人の感覚的な判断によっているのではないだろうか。
逆に、どう見てもオリジナル作品よりもクオリティーが高いと感じる印刷もある。本だけでなく写真展の案内状にもみられる。これはプリンティング・ディレクターが撮影した写真家より優秀ということなのだろうか? デジタル時代の作品クオリティーはどのように担保していくのか。大きな問題だと改めて気づかされた。

またデザインを重視した写真集も数多くみられる。これらの中心はデザイナー、もしくはデザイナー的な意識を強く持つ写真家の場合もある。抽象的な写真を、グラフィック・デザインや装丁を重視して編集制作された本のことだ。綺麗なパッケージのように、デザインのサンプルのような存在。外観やデザインがすべてで、中身の写真がそのための素材になっている。これは写真を見せるフォトブックではなく、別の目的を持った出版物になってしまう。

何度も解説しているように、写真集の中には撮影者が読者に伝えたい何らかの時代性を持つメッセージを伝えるために制作されたものがある。いわゆる、フォトブックと呼ばれるもので、海外では写真が収録されただけのフォト・イラストレイテッド・ブックと区別されている。またアート写真の一つの表現方法として認知されている。フォトブックでは、伝えたい内容を明確化し、それを写真で伝えるために、編集者、デザイナーが写真家と共に様々な試行錯誤を行う。彼らも単に編集やデザインを行うのではなく、フォトブック専門の知識、経験、ノウハウを持っていることが必要となる。編集者は、内容を的確に伝えるテキストも用意しなければならない。日本では、このようなフォトブックへの理解度が非常に低い。ベテラン写真家の中にも、写真が良いか悪いかがすべてで、編集者やデザイナーは必要ないと発言する人も少なくない。写真は伝統工芸の職人技のカテゴリーで理解されており、アート表現だと考えられていないのだ。
残念ながら、このようなフォトブックのプローチで制作された写真集は私どもの手元にはなかった。もしかしたら、的確に写真家のメッセージが伝わってこなかったのかもしれない。

否定的なことばかり書いてきたが、最後に希望が持てる事象を発見したことも記しておこう。私が可能性を感じたのは、誰か好きなアーティストがいて、その人の世界観に共感してそれを自分の視点で表現する人だ。本来は自分で社会に横たわる問題点を見つけ出し提示しなければならない。しかし、彼らは既にそれを行っているアーティストの世界観を自分なりに解釈して、自らの写真集として提示しているのだ。ただし、これは有名写真家のヴィジュアルの表層を感覚的に真似することではない。この点は重要なので勘違いしないでほしい。それでは前記の職人技を持った写真家の技術の模倣に陥ってしまう。またこれは商業写真で時に問題となるパクリではない。敬意を表するアーティストからの影響を認め、それに対するオマージュ的作品を確信犯で制作する人である。
初期のロバ―ト・フランク、ロバート・アダムス、テリ・ワイフェンバック、現代アートのベッヒャー夫妻などの世界観を意識していると感じる作品などがある。私は、このようなアプローチの創作の先に、自分独自の視点を持ったフォトブックが生まれる可能性があると期待している。特に若手や新人は、自分の尊敬できるアーティストを探し当て、詳細に研究を行い、それを真似るところから表現を開始するばよいと考える。いきなり、誰も見たことがないような独創的な表現などできるはずない。

このように様々な種類の写真を収録した、多様な形式の写真集が存在する。しかし素材はすべて写真と紙。一般の人はそれらの違いが非常にわかり難いだろう。違いを見分けるには、繰り返し述べている“見立て”の技術が必要だと考えている。別の言い方をすると、アーティストの視点を、技術や知識を持つ人が分かりやすく提示すること。最近、私は“アート・コンセプト・エンジニアリング”と呼んでいる。フォトブックに興味ある人は、ぜひ”見立て”を学んでほしい。
今後に開催する、“ファインアートフォトグラファー講座”などでもこの点は重点的に解説していく予定だ。