平成時代のアート写真市場(4)
写真集ブーム到来と終焉 

90年代から2000年代にかけて、当時の主流メディアだった雑誌媒体で写真集特集が繰り返し組まれていた。そして、記事で紹介された写真集の実物は、現物を撮影用に提供した洋書専門店や古書店の店頭で手に取り見ることができた。当時の若い世代の人たちはそれらの情報を通して自分の好きな写真家やカテゴリーを絞り込んでいった。マーケティング上の世代区分では、1961年生まれから1970年生まれの「新人類世代」くらいの人が主に含まれると考える。
いま思い返せば、洋書店や古書店の店頭はメディア的な機能を果たしていた。各店には写真集情報に詳しいカリスマ店員や店主がいたものだ。過去に出版された写真集の情報も豊富に紹介されていた。それが自分の興味ある写真家がどのような影響を受けてきたかの興味につながり、フォトブック・コレクションに目覚めた人が生まれてきた時代だった。「高度な知的遊戯としてのフォトブックのコレクション」というセールス・トークはこの時代に生まれた。

2000年代前半の日本は、洋書写真集コレクションのミニ・ブームに沸いた時代だったといえるだろう。ブームのきっかけは、上記のような90年代以降に雑誌メディアなどにより多種多様な写真集情報が豊富に消費者に提供されことにあると考える。これにより興味を持つ人が増え、潜在的な需要が拡大した。その様な状況下でネット普及によりアマゾンなどで洋書が割安で購入可能になったことでブームに火が付いたと分析している。
90年代、洋書店で売られていた写真集は高額の高級品だった。よく雑誌のインテリア特集や広告ページ内でお洒落な小物として使用されていた。興味があっても気軽に何冊も買えるものではなかった。私は30年くらい洋書を買っているが、かつてのニューヨーク出張ではスーツケースの持ち手が破損するくらい膨大な数の重い写真集を持ち帰ったものだ。
アマゾンの登場は衝撃的だった。とにかく重い写真集が送料込みで、ほぼ現地価格で入手可能になったのだ。最初は欧米のアマゾンでの購入だったが、2000年11月に日本語サイト「amazon.co.jp」が登場する。日本の一般客も今まで高価だった洋書写真集がほぼ現地価格で購入可能になったのだ。2008年のリーマン・ショックくらいまで続いたブームは、かつて高価で高級品だった洋書写真集が信じられないような低価格で買えるようになったから起きたのではないか。今まで高額だったカジュアルウェアをユニクロが高機能かつ低価格で発売してブームになったのと同じような現象だろう。新刊が売れたことで、顧客の興味が絶版写真集いわゆるレアブックにも広がった。

ブリッツは90年代から絶版写真集の海外からの輸入販売を積極的に行っていた。ネットが普及する前の時代には、年に何回もニューヨークを訪れて古書店で仕入れを行った。また各地の古書店が制作する在庫カタログを送ってもらい、FAXで注文していた。手間はかかったが業者と顧客との価格情報の大きな格差があった。顧客が求める本の的確な仕入れができればビジネスとして魅力的だった。
2000年代以降は、前回に紹介したように海外でフォトブックのガイドブックが相次いで販売されたので、それらに収録されているレアブックを積極的に取り寄せた。この時期、ギャラリーでは将来を見据えたつもりで日本人写真家の写真展を中心に行っていた。残念ながらこの試みは失敗、写真の売上が低迷していたことから、レアブックに力を入れたという経緯がある。

2004年から2010年までの7年間に渡り、5月の連休明けや夏休み期間の約2週間、渋谷パルコパート1地下1階のロゴスギャラリーで洋書のレアブックとオリジナルプリントを展示販売する「レブック コレクション」の企画運営を手掛けた。

2004年~2009年、ロゴスギャラリーで開催された”レアブックコレクション”のDMの一部

同ギャラリーの隣には写真集の新刊を販売する洋書ロゴスがあった。目黒のギャラリーよりはるかに集客が多い好立地。当時は、場所が良ければ偶然通りがかった富裕層の人が興味を示してアート写真を買うようなことがあるかもしれないと想像していた。この企画では集客が多いことを生かし、レアブック販売と共に、会場の壁面を使用して顧客の興味を探るために様々な実験を行った。ストレートに資産価値の高い額装写真の展示、日本人写真家のミニ個展開催、8X10″サイズのフレームに入れた額装1万円のミニプリント約60点販売、額装したフランスのファウンドフォトの販売、額装ポスター、ポストカード、ヴィンテージ・ファッション・マガジンの販売も行ってみた。
2009年には「渋谷・アート・フォト・マーケット」と称して、会場全体を一種のフォトフェアとブックフェアの合体したようなスペースにプロデュースした。1万円から100万円越えまで、様々な価格帯と多種多様なジャンルの写真作品を展示。しかしいくら立地が良く来店客数が多くても、イベント会場に来る一見客には写真作品は売れないことがよくわかった。アート作品を取り扱う商業ギャラリーは立地がすべてではないのだ。たぶんインテリア向けのアート写真の場合はショップの立地は極めて重要だろう。

“レアブックコレクション2009″渋谷パルコ・ロゴスギャラリーの展示風景

写真は売れなかったものの、レアブックはかなり売れた。当時はこのイベントのために1年間かけて在庫の仕入れを行っていた。しかし2000年代後半になるとインターネットが広く普及し、世界中の業者在庫の価格が比較可能になった。それまでは神田神保町と田舎の古書店では、同じ写真集でも家賃や運営費の差が販売価格に反映されていた。ネット上では経費に関わらず完全な値段勝負となる。
そしてプラットフォーム企業のアマゾンでも絶版写真集が販売されるようになるのだ。業者と顧客の情報格差が縮小していき、人気本は個人がネットオークションで販売するようにもなる。次第に業者の利益率、売り上げは減少していき、レアブックの販売は単体では事業として成り立たなくなった。

その後の状況をまとめておこう。時間経過とともに、洋書写真集が安く買えるという当初の驚きがなくなり、次第にコモディティー化し始める。そのような時期にリーマン・ショックが起き市場が一気に縮小するのだ。ブームが過ぎ去ったもう一つの理由は、欧米ではアート写真コレクションの一分野として写真集(フォトブック)が存在しているが、日本では自分の感覚にあったビジュアルが収録されたお洒落なファッション・アイテムとして買われていた面があっただろう。消費財としてみると、アート系商品は、心は豊かにするが、お腹を満たしてくれない、不要不急の典型的商品だ。
2010年代には、アベノミクスによる円安で洋書の輸入価格が上昇して、景気の長期低迷とともに市場規模は縮小均衡してしまった。いまや、本当にアート写真が趣味の人が、自分が好きなアーティストの本を購入するという従来のパターンに戻ってしまった。
これから新しい市場の中心となっていくミレニアル世代の動向は気になるところだ。しかし彼らは「シェアリング・エコノミー」を好み、モノの所有に関して消極的と言われている。スペースを占有する写真集コレクションにはあまり魅力を感じないかもしれない。

平成時代のアート写真市場(5)に続く