テリー・オニール追悼
アート系ポートレート写真の元祖

病気療養中だったテリー・オニールが11月16日ロンドンの自宅で亡くなった。81歳だった。

ブリッツでは、過去に何度も写真展(個展)を開催している。ギャラリーが広尾にあった1993年に「TERRY O’NEILL:Superstars of 70s」、目黒に移ってからは 「50 Years in the Frontline of Fame」(2015年)、「All About Bond」(2016年)、「Rare and Unseen」(2019年)を行っている。
2015年には初来日している思い出深い写真家だ。世界的に知名度があり、華麗なキャリアを持つ人なのに、偉ぶることなく誰にでもとても気さくに接してくれていた。かなりの冊数の写真集のサインにも嫌がることなく笑顔で応じてくれたのが印象に残っている。たぶんどんな有名人に対してでも、同じように普通に接することで被写体の自然体の表情を引き出したのだろうと感じた。

Terry O’Neill “Diamond Dogs, London, 1971” (C) Iconic Images

テリー・オニールには、デヴィッド・ボウイの「ダイヤモンドの犬」(1974年)リリースの際に撮影した有名なアートワークがある。同じくボウイの「ヒーロズ」(1977年)のジャケット写真を撮った鋤田正義との写真展会場での出会いは感慨深いものだった。

二人は同い年ということもあり初対面に関わらずすぐに打ち解けた。後日、友情の印として互いにボウイの写真作品の交換まで行っている。その後も二人の交遊は続き、昨年にはロンドンでの再開が実現している。

Terry O’Neill “Brigitte Bardot, Spain 1971” (C) Iconic Images
Terry O’Neill “Faye Dunaway, Beverley Hills Hotel, 1977” (C)Iconic Images

テリー・オニールは、私にとって思い入れがある写真家だ。実は初めて買った写真がテリー・オニールのブリジット・バルドー「Brigitte Bardot, Spain 1971」とフェイ・ダナウエイ「Faye Dunaway, Beverley Hills Hotel, 1977」のアナログ銀塩作品だった。ロンドンのポートベロ・マーケット近くにあったThe Special Photographers Companyという写真専門ギャラリーで1987年に購入している。

30年前、ファッションやポートレート写真のアート性はまだ市場で全く認識されていなかった。販売価格はバルドー作品が185ポンドと驚くほど安かったと記憶している。亡くなる前の彼のギャラリー店頭価格は16 x 20″サイズで最低1750ポンドからだった。約30年間で相場が約9.5倍に上昇したことになる。ただし上記の2点のような代表作は既に完売している。既に生前からオークションで高額で取引されていた。

かつて有名人を撮影したオリジナルプリントは、有名人のブロマイド写真と同じでアート性が低いと考えられていた。しかし世の中の価値観の変化により、いまでは時代性が反映されたファッション・ポートレート写真にはオリジナリティーとアート性があると認識されるようになったのだ。それらは大手のアート写真・オークションでも頻繁に取引されている。テリー・オニールは、その分野における先駆者だったといえるだろう。作品人気の理由やアート性の詳しい分析は次回に行う予定だ。

今後、テリー・オニール作品は、オークションでの取引が中心になると思われる。代表作は完売しているが、それ以外の作品はロンドンのギャラリーに在庫が残っている場合がある。生前の価格で買える可能性もあるかもしれない。興味ある作品がある人はできるだけ早く問い合わせてほしい。アーティスト本人が亡くなってもその作品は永遠に残るのだ。

なおブリッツではテリー・オニールの代表作「Brigitte Bardot, Spain 1971」、「Faye Dunaway, Beverley Hills Hotel, 1977」の特別展示を行っている。どうぞお見逃しなく!

テリー・オニール氏が安らかな眠りにつかれるよう、心よりお祈りしたい。

写真展レビュー
「山沢栄子 / 私の現代」
@東京都写真美術館

山沢栄子(1899-1995)は、日本における女性写真家のパイオニア的な存在として知られている。戦前のアメリカで写真を学び、1930年代からスタジオを開設して主にポートレート写真分野で活躍し、キャリア後半には写真作家に転じている。

本展は彼女の生誕120年を記念して行われる大規模な展覧会で、現存する70~80年代の代表作を中心に、約140点を全4章で紹介。
第1章「私の現代」では、1986年の個展に展示された、彼女が「抽象写真」と呼んでいたモノクロ・カラーの長辺が最大100cmにもなる大作28点を展示。シルバーのフレームも当時に特注されたものとのこと。
第2章「遠近」では、1962年に刊行された同名写真集に収録された1943年~1962年までに撮影された77点を紹介。モノクロ、カラー、抽象写真が含まれ、ニューヨークでのドキュメントから静物など、山沢の興味の対象の流れがみてとれる。すでにプリントやフィルムが現存していないことから写真集のページを額装して展示している。
第3章「山沢栄子とアメリカ」では、山沢に大きな影響を与えた20世紀前半のアメリカ写真の代表作を、同館のTOPコレクションから紹介している。
第4章「写真家 山沢栄子」では、「私の現代」、「遠近」以前の、仕事を、「ポートレート」、「疎開中の写真」、「商業写真」の3部構成で紹介している。

山沢栄子は、2014年に開催された「フジフィルム・フォトコレクション展 (日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」)」でも「What I Am Doing No.24, 1982」が選出されている。私は抽象的な写真を研究しており、縁があってカタログのテキスト執筆を担当している。

数多くの古本屋を回って、「遠近」を含む4冊の写真集を執筆用資料として収集した。当時は、彼女の存在を知る人は非常に少なく、写真集探しは困難を極めたことを記憶している。作品解説では、写真という狭いカテゴリーの中でのアート性追求にとどまらず、「写真としてのアート」の幅広い可能性にいち早く挑戦している、と書いている。

さて山沢の写真を写真史/アート史のどの流れで評価可能かを考えてみよう。写真集「遠近」の収録作品には、アーロン・シスキン、ラルフ・スタイナー、エルスワーズ・ケリ―のような、自然世界の抽象性に注目した写真作品が散見される。これらは多くの表現者が行ったように、彼女も写真による絵画表現の可能性を考えた痕跡だと考える。しかし、彼女はドキュメント写真の視点で、フォルムを優先させた抽象的作品制作の追求は行わなかった。様々な、フォルムや色彩のオブジェを用いて被写体自体を作り上げて撮影する方向へと進んでいく。
山沢の写真をコンストラクテッド・フォトもしくはステージド・フォトの流れで評価が可能だと思いついた人は多いと思う。コンストラクテッド・フォトは、写真の客観的な記録性への信頼が崩壊していった1980年代にアメリカではじまった撮影に作り込む美術的要素を合体させた新分野の写真表現だ。
ちなみに写真家バーバラ・カステンが1987年に山沢のインタビューを行っている。会場内で映像が紹介されており、生前の彼女の姿を見ることができる。実はカステン自身もこのコンストラクテッド・フォト分野の代表作家だった。ちなみに同展カタログでは、キュレーターの鈴木佳子が同じく同分野の代表者ジャン・グルーヴァ―が山沢と類似する作品を制作していると指摘している。

その後、コンストラクテッド・フォトの多くの表現者たちは制作する行為自体にアート性を見出そうとする。いわゆる方法論が目的化されるようになったのだ。山沢が呼んだ「抽象写真」自体も、抽象的な雰囲気の写真を制作する行為が目的化されていると解釈される可能性はあるだろう。写真集「私の現代3」に掲載されている、京都大学教授 乾 由明のエッセーでも、「フォルムと色彩の抽象的なイメージを追求すれば、写真は余りにも絵画的な表現におちいる危険を孕んでいる。それは写真からそのメディアの固有性を失わせ、安易に現実によりかかかった芸術性に乏しい写真とは逆の意味で、写真を絵画の領域に従属する、堕落した状態に置くことになる」と指摘している。
しかし彼女の作品のアート性をこの方面から論ずるのはあまり意味がないのではないか。私は、彼女がいま再評価されているのはその生き方自体によると考えている。山沢は、明治、大正、昭和という男性優位の考えが残る時代の日本において、商業写真家、作家とし社会で自立した女性のキャリアを追求した。それを実践した彼女の人生/生き方そのものが大きな作品テーマなのだと理解し評価すべきだろう。

同展のもう一つの見どころは第3章「山沢栄子とアメリカ」で紹介されているTOPコレクション。まさに、20世紀前半のアメリカの写真史をコンパクトに紹介する教科書的な展示内容だ。アルフレッド・スティーグリッツ、ポール・ストランドなどの写真雑誌「カメラ・ワーク」に収録されたフォトグラビア作品、イモジェン・カニンガム、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、ポール・アウターブリッジ・ジュニアなどの珠玉の作品も何気なく展示されている。ポール・アウターブリッジ・ジュニア(プラチナ・プリント)は小さなサイズで見過ごしがちだが、おそらく極めて貴重かつ高価なヴィンテージ・プリントだと思われる。
ファッション写真ファンは、ヴォーグ誌で活躍したジョン・ローリングスやセシル・ビートンの戦前の作品も見逃さないように。なんと山沢はジョン・ローリングスのポートレートも撮影している。

アート写真コレクションに興味ある人は、珠玉の20世紀写真が展示されたこのセクションは時間をかけて鑑賞してほしい。それぞれのプリントの質感を、近くからじっくりと味わいたい。

「山沢栄子 私の現代」
2020年1月26日まで開催
東京都写真美術館 3階展示室

デジタル時代における写真表現の最前線 「snap+share」展覧会カタログ

 アナログからデジタル時代になり、私たち一般人にとっての「写真」の意味合いが大きく変わってきた。それがどのような変化なのか、どこに向かっているかの個人的な感想を述べる人は数多くいる。しかし現状の客観的な分析と考察はあまり見ることがない。
 2019年3月30日~8月4日まで、サンフランシスコ現代美術館でシニア・キュレターのクレマン・シェルー(Clément Chéroux)企画により開催された「snap+share」展では、いまの「写真」の現状分析を「写真をスナップして/送る/シェアする」という視点からかなり突っ込んで行っている。本書は、同名の展覧会のカタログ。サブタイトルは、「transmitting photographs from mail art to social network」。


 同展では、ダゲレオタイプ、スナップ写真、ポストカードなどを郵送する行為を原点として、その延長線上に現在の写真撮影とSNSでの画像シェアーの行動をとらえて分析している。
 本書による「写真」の変化の変遷と分析を見てみよう。
まず写真流通がデジタル時代に革命的に変化したという認識が前提としてある。巻末資料によると、2018年時点で、毎日9500万点以上の写真と動画がインスタグラムでシェアされ、3億点の写真がフェイスブックにアップロードされているという。
 写真の進歩をイメージの即時性の追求という視点からとらえ、歴史的にはコダックにより写真を早く撮れるようなり、ポラロイドによりすぐに見られるようになり、インスタグラムにより他人とシェアするようになったと分析。現在は写真の第3革命期だとしている。そして現代の「写真」は、「snap+share」で象徴されるように、スナップと拡散で特徴づけられると定義。デジタル技術により、写真に物理的な重さがなくなり膨大な数の写真が制作可能となる。そして、個人のアドレス化、スマートフォンやタブレット端末での持ち運び、短期間の流通が可能となったとし、写真は一般的な言語性を獲得したと解釈。つまり写真撮影は、しゃべること、会話/言葉になったという意味だ。そして、イメージは言葉と同じように、人間のエゴを表現し、自撮りなどは、見る人の関心、承認、認識を求めており、写真は社会的な存在として、コミュニティー所属の確認、自分の状況や居場所を主張し自尊心と関係づけて提示されていると分析している。
 以上の状況を俯瞰して、本書では「写真」がもたらす現代社会の問題点として、自己中心的傾向、繋がりたがる願望、繋がりの存在を感じるためにシェアーを求めること、の3点を問題点だと指摘。現代のアーティストによる、それらの問題点をテーマとした作品を紹介している。

 美術館の仕事は、今まで関連性が気づかれなかった歴史上のアート表現を抽出して新たな視点から規定していくことにある。本展でも、各時代における写真を郵送する行為に触発されて行われてきたアーティストの表現を、広義のメール・アートから、現代の「snap+share」時代のものまでを関連付けて紹介している。「写真」のことが語られているのだが、前衛芸術の流れをくむパフォーマンス・アートなどの文脈で語られているのでアート系写真分野の人にはややわかり難いかもしれない。しかし、新たな視点から語られる写真表現の歴史は、無理なこじつけなどを一切感じさせない。とても分かりやすく多くの人が納得できる内容だと言えるだろう。現代社会で「snap+share」で象徴される「写真」をテーマにしたアーティストの表現は、アートの歴史的とのつながりが明確だと見事に定義されているのだ。

 本書では、現代社会に生きる一般人には、もはや「写真」は物理的な存在ではなくなっているという認識が示されてる。それではモノとしての「写真」はどのようになっているのだろうか?もちろん広告宣伝、医療用など用途が明確な写真は物理的に存在する。写真を使用してアーティストが制作したものも、アート作品として存在する。もし写真家が自らの表現について何も語らず、第3者が見立てを行わない場合は、写真作品は伝統工芸の職人技の一つのカテゴリーのものとして存在する。いわゆる、陶芸などの工芸品の一部ということだ。この分野の市場も存在するが、アート作品ではないので値段はリーズナブルとなる。しかし、私が「写真の見立て」でしつこく語っているように、このような作品でも写真家が長年にわたり制作を継続できれば、第3者が見立ててアートとして取り扱われる可能性があるのは言うまでもない。

本書に紹介されている作品を簡単に紹介しておこう。

Unknown Me, Collection of Peter J. Cohen 

Peter J. Cohenは、作者不詳のファウンド・フォトのポートレートのなかに「Me(私)」とペンで書かれたものをコレクションしている。まさに自撮りセルフィーの原点だ。

Stephen Shore, Greeting from Amarillo, “Tall in Texas”, 1971

写真家のスティーブン・ショア―の「Greeting from Amarillo, “Tall in Texas”」では、アメリカの西部と南部の交差点として有名なルート66の主要都市アマリロ・テキサスが舞台。ショア―は、この地の様々な建物を撮影して、大量生産のポストカードを商業的に制作した。彼は、自らの全米のロードトリップの際に各地の店のポストカード・ラックにそれらを入れていった。カードには意図してアマリロを記載しなかったことから、それらは各地におけるアメリカの原風景の写真となったという。どの地でも画一的な建築が多い事実が明らかになる。

On Kawara, 29,771 days I Got Up… 1975

コンセプチュアル・アートの第一人者として知られる河原 温の「29,771 days I Got Up… 1975」も取り上げられている。彼は1968年から1979年にかけて継続的にメールアートに取り組んでいた。毎日、朝起きると、起きた時間を記したツーリスト用カード2枚を友人や同僚に郵送し続けた。このシステマチックな仕事の記録は、時間の経過と人間の存在の証拠を提示しているという。

Thomas Bachler, From Frankfult to Kassel, 1985

ドイツ出身のThomas Bachlerは、カードボード・ボックスでピンホール・カメラを制作して様々な都市から自宅へそれらを送付している。発送時にボックスには穴が開けられ、配送中は露光が行われ続ける。到着しだい、パッケージは閉じられて現像される。そこから生まれた奇妙な画像の写真は都市間の移動の痕跡になっている。

Ken Ohara, Contacts, 1971-76

ニューヨークで撮影されたポートレート写真集「ONE」で知られる小原健も紹介されている。グッゲンハイム奨学金を得て行った「Contacts、1974-76」では、彼はフィルム入りのオリンパスRCカメラを、見ず知らずの無作為の人々に指示書ともに送り付けている。それには、カメラの使用法や、自分の周りの人を撮影して返送してくれと書かれていた。返送されると、小原はコンタクトシートを制作している。アメリカ社会のより正確な現実が提示できると考えたという。

Erik Kessels, 24HRS in Photos, 2011

オランダのアーティストErik Kesselsによる膨大なインスタレーション「24 HRS in Photo, 2011」では、24時間にイメージ・シェアリング・サイトと、ソシアル・ネットワークにアップロードされた画像すべてをプリントアウト。同館の展示ではそれらからの数千枚の写真を展示会場内に山のようにうず高く積み上げている。インターネット時代の画像の洪水を視覚化し物理的作品として提示。物として感じられる写真と、ネット上のはかない存在の写真との緊張感を表現している。

Corinne Vionnet, Agra,Paris, Beijin, and San Francisco,from the series Photo Opportunities, 2006-07

Corinne Vionnetの「Agra,Paris, Beijin, and San Francisco,from the series Photo Opportunities, 2006-07」では、彼女はエッフェル塔、タージマハル、天安門広場、ゴールデンゲイト・ブリッジなどの有名観光地のオンライン・キーワード検索を行い、数千点にも及ぶスナップ・ショットを収集。それらを合体させ重ね合わせて精妙な構造の1枚のヴィジュアルを制作。写真をシェアする文化において、有名な場所では多くの人は執拗に同じような写真を撮影していることを提示している。

Eva and Franco Mattes, Various iteration of the orijinal ceiling cat meme

本書の表紙に掲載されている。天井から頭を出して覗いている子猫の作品は、イタリアのカップルEva and Franco Mattesによる作品「Various iteration of the orijinal ceiling cat meme」。作品には「天井の猫があなたを監視している」というテキストが書かれている。猫はSNSで最も多くシェアーされている画像の一つ。作品の猫はインターネット自体の暗喩の意味を持っており、ウェブの総監視システムを非難している。

その他、19世紀から21世紀までの写真を使用した様々なアート表現41点が収録されている。テキストは英文だが、非常に分かりやすくスラスラ読めてしまう。最先端のアート表現に興味ある人はぜひ手に取ってほしい。間違いなく知的好奇心を刺激してくれるだろう。

「Snap + Share: Transmitting Photographs from Mail Art to Social Networks」
Clément Chéroux (著), Cernunnos 2019年刊, 参考価格 3600円

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