2019年オークション高額落札ランキング 20世紀写真が大健闘 ニュートンが第1位!

毎年、この時期に発表しているアート写真オークション高額落札ランキング。2019年の集計が終了したので結果をお届けしよう。ただしオークションは世界中で開催されている。わたしどもの集計から漏れた高額落札もあるかもしれない。その点はご了承いただくとともに、漏れている情報に気付いた人はぜひ連絡してほしい。

最初に、ここで取り上げるアート写真の定義を確認しておく。いま写真を取り扱う定例オークションは大きく19~20世紀写真系、現代アート系になる。前者は主に「Photographs」、後者は業者ごとに「Contemporary Art」、「20th Century & Contemporary」、「Post-War and Contemporary Art」などと呼ばれている。それ以外に、複数カテゴリーをまたがる独自企画系に写真が出品されることがある。それらは定例以外の時期に行われるオークションで、19~20世紀写真系、現代アート系、デザインなどが混在する。クリスティーズで行われた「Masterpieces of Design and Photography」などだ。
2019年はこれらのカテゴリーから、米国、欧州、英国で開催された45オークションをフォローした。2018年はオンライン・オンリーの9オークションを取り上げたが、2019年は1オークションにとどまった。低価格帯中心のオンライン・オンリー・オークションは、専門業者の開催が一般的となり、大手での開催が減少したことによる。またいまでは公開オークションも電話、オンラインと同時に行われるのが一般的。オンライン・オンリーだと、どうしてもコレクターの関心が盛り上げらない。話題性のある企画を考えようとすると定例オークションとの差別化が不明瞭になるのだ。

2019年の高額落札では、現代アート系の高額落札件数が大きく減少している。2018年の現代アート系1位は、ササビーズ・ニューヨークで11月に開催された“Contemporary Art”に出品されたリチャード・プリンスの“Untitled (Cowboy), 2013”で、約169.5万ドル(@110/約1.86億円)。同作は総合ランキングでも1位だった。2019年の現代アート系1位は、ササビーズ・ロンドンで6月に開催された“Contemporary Art”に出品されたギルバート&ジョージの”Bugger, 1977″で、約79.5万ポンド(@140/約1.11億円)だった。しかも同作は、総合ランキングでは第4位となる。
なんと2019年は、総合の高額落札ベスト10のうちの20世紀写真系が1位を含む7作品を占めた。現代アート系の高額作品のオークション出品は、1年から6か月くらい前の経済環境に大きく左右される。アート相場に影響を与える主要国の株価は、2018年末に下落してその後は回復基調を続けていた。しかし米国経済自体は比較的堅調だが、中国や欧州では弱い経済指標が発表されており、株価も景気の先行き不安を受け、頭打ち感が強くなっていた。そのような状況から、コレクターはリチャード・プリンスやアンドレアス・グルスキーなどの高額作品の出品に消極的だったと思われる。

総合順位

1.ヘルムート・ニュートン
「Sie Kommen, Paris (Dressed and Naked), 1981」
フィリップス・ニューヨーク、2019年4月4日
約2億円

2.エル・リシツキー
「Self-Portrait (“The Constructor”), 1924」
クリスティーズ・ロンドン、2019年3月6日
約1.42億円

3.アウグスト・サンダー
「70 Portraits from “Menschen des 20. Jahrhunderts”, 1912-1932」
ヴィラ・グリーゼバッハ・ベルリン、2019年11月27日
約1.25億円

4.ギルバート&ジョージ
「Bugger, 1977」
ササビーズ・ロンドン、2019年6月26日
約1.11億円

Gilbert & George “Bugger, 1977” Sotheby’s London, Contemporary Art 2019/June/26


5.シンディー・シャーマン
「Untitled Film Still #21, 1978」
ササビーズ・ロンドン、2019年3月5日
約9,225万円

6.エドワード・ウェストン
「Circus Tent, 1924」
フィリップス・ニューヨーク、2019年4月4日
約8,668万円

7.エドワード・ウェストン
「Shell(Nautilus),1927」
クリスティーズ・ロンドン、2019年3月6日
約7,728万円

8.ティナ・モドッティ
「Telephone Wires, Mexico,1925」
フィリップス・ニューヨーク、2019年4月4日
約7,612万円

9.アンドレアス・グルスキー
「May Day V, 2006」
フィリップス・ロンドン、2019年3月7日
約8,349万円

10.リチャード・アヴェドン
「Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque d’Hiver, Paris,1955」
クリスティーズ・ニューヨーク、2019年4月2日
約6,765万円

Helmut Newton “Sie Kommen, Paris (Dressed and Naked), 1981”, Phillips New York, Photographs 2019/April/4

2019年のトップは春のフィリップス・ニューヨーク“Photographs”オークションに出品されたヘルムート・ニュートンの“Sie Kommen, Paris (Dressed and Naked), 1981”だった。
オリジナルは、1981年のヴォーグ・フランス版に見開きで掲載。つけられたタイトルはドイツ語だったが、英訳すると“they are coming”だったとのこと。本作は2点の対作品で、4人のモデルが全く同じポーズで、1作はハイファッションに身を包み、もう1作はハイヒールのみを履いて全身ヌードで撮影されている。ニュートンは自立した女性像を既に80年代から作品で提示していた。本作は、背が高い女性モデルたちが白バックを背景に強い視線で遠くを見つめながら大胆に前進しているイメージ。ヌードでも、男性目線を意識したようなエロティシズムを強調した作品とは一線を画している。洋服を着ている作品は、社会的な女性の役割、そしてヌードはその本質を暗示しており、新時代の女性はハイファッションをまとっているが、中身は自立しているという意味で、戦後社会の新しい女性像を表現したニュートンの代表作。本作はその中でも美術館などでの展示用の197.5X198.8cmと196.9X183.5cmサイズの巨大作品。落札予想価格60~80万ドルのところ182万ドル(約2億円)で落札されている。もちろん、ニュートンのオークション最高落札額で、フィリップス写真部門での最高額記録とのことだ。
従来のアート系ファッション写真の範疇というよりも、ニュートンの作家性と巨大サイズの組作品とが現代アート的な価値基準で評価されたと考えるべきだろう。総合10位のリチャード・アヴェドン作品も124.5 x 101.6 cmサイズの巨大作品。同様の視点から評価されての高額落札だろう。いま市場では、ファッション写真と現代アートとの融合が進行中なのだ。

(1ドル/110円、1ポンド/140/150円、1ユーロ/132円で換算)

展覧会レビュー
ニューヨークが生んだ伝説の写真家
永遠のソール・ライター
@Bunkamuraザ・ミュージアム(渋谷)

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで、「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」展が開催中だ。
ソール・ライター(1923-2013)は、長きにわたりモノクロ中心だった写真の抽象美を、すでに40年代からカラーにより表現していた写真家として知られている。彼は元々抽象絵画の画家で、色彩感覚が優れていた。カラーは広告やアマチュアが使用するものだと思われていた時代に、写真での抽象表現の可能性に挑戦したと思われる。また日本美術にも造詣があり、浮世絵の構図にも多大な影響を受けている。画面で被写体を中心に置いてフォーカスするのではなく、見る側の視点の動きを取り入れたような映画的なヴィジュアルも特徴だ。
2017年に同ミュージアムで開催され(その後国内各地を巡回)「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」は、観客数約8万人を動員したという。彼の色彩豊かでグラフィカルなカラー作品は、写真を叙情的に捉えがちな日本の観客の感性との相性が良かったのだ。

ソール・ライター 《帽子》 1960年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《バス》 2004年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《赤い傘》 1958年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation

ソール・ライターは89歳で亡くなっている。死後に約8万点にも及ぶ未発表のカラー写真、モノクロ写真、カラースライドなどが残されていた。2014年、彼の自宅兼アトリエにソール・ライター財団が設立され、それらの発掘調査を現在進行形で行っている。

今回の続編となる大規模展覧会は、モノクロ、カラー、ファッションなどの代表作を展示する「PartⅠソール・ライターの世界」と、「PartⅡソール・ライターを探して」の2部で構成されている。
見どころは第2部で、いままでの財団による調査結果の披露を目的とする、未発表作中心の展示内容になっている。それらは、セルフポートレート、デボラ(ライターの妹)、絵画、ソームズ(ライターのパートナー)、写真撮影時の創作の背景が垣間見えるコンタクトシート、ソール・ライター自らがプリントした名刺サイズの複数の写真をコラージュのように組み合わせた「スニペット(Snippets)」などのセクションで構成されている。


さらに2018年に開始された アーカイヴのデータベース化プロジェクトにより 、新発見のスライドによる初公開のプロジェクションも含まれる。また会場内にソール・ライターが長年住んだ、 ニューヨークのイースト・ヴィレッジの仕事場一部も再現されている。

1月9日には、ソール・ライター財団創設者でディレクターのマーギット・アープ氏とマイケル・バリーロ氏による記念講演会が開催された。マーギット・アープ氏は、もともとニューヨークのハワード・グリンバーグ・ギャラリーに勤めていた。1997年に同ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、彼のアシスタント的な仕事を行っていた。彼の死後には財団立ち上げに関わっている。

講演では、ソール・ライター財団のミッションと今までの仕事の成果の解説が行われた。その主要目標は、残されたプリント、スライド、ネガ、絵画などのすべての作品の完全カタログ化。最終的にカタログ・レゾネ(総作品目録)を完成させ、ソール・ライターの仕事の全貌を、アート研究者、作家、キュレーター、学生に明かにしたいとのことだ。

まず実際に仕事を共に行っていたアープ氏からソール・ライターのキャラクターが語られた。洞察力があり、おかしく愛らしい、スマート、自分の意見を持っている、写真家というより基本は画家、アート史の深い知識を持つ、好奇心のかたまり、ただし仕事場はカオス状態(モノの定位置は決まっていた)という、印象が語られた。
また新しいテクノロジー好きで、早い段階からデジカメを使用していたという。本展ではキャリア初期に撮影されたカラー作品とともに、2000年代に撮影されたデジタル作品が同じ壁面に展示されている。両作のカラーのトーンが見事に揃っているので、見逃してしまいがちだ。写真撮影に興味ある人はキャプションを注意深く確認して見比べてほしい。展示作品は「発色現像方式印画(Chromogenic print)」と記載されているが、いわゆる、デジタル・タイプC・プリント。画像はヴィンテージ・プリントを目標にデータ作りが行われている印象だ。

続いてキャリアの説明が行われた。いまや広く知れ渡っているので簡単に触れておこう。詳しくは、展覧会ウェブサイトのなかの「ソール・ライターのこと」で、企画協力の㈱コンタクトの佐藤正子氏が書いているので参照してほしい。

ソール・ライターは、1923年にピッツバークのユダヤ教の聖職者の家庭に生まれた。両親は彼が宗教家の道を進むことを望んだという。16歳で絵画をはじめ、独学で美術史を徹底的に学んでいく。その後、親の意向に反して画家を目指してニューヨークに行き、抽象表現画家のリチャード・プセット・ダートとの出会いがきっかけで写真に興味を持つ。ウィリアム・ユージン・スミス(1918-1978)にカメラをもらい、ニューヨークのストリートで写真を撮り始めている。
強調されたのは、彼は基本的に画家であり、それを意識して写真も見てほしいとのこと。ソール・ライターは、そのキャリアを通して写真と絵画の両分野で表現を行っていたのが特徴だ。それは生活のためにファッションや商業写真の仕事を行っていた時期も変わらなかった。50年代後半から80年代はじめまで、彼はファッション写真家として、ハーパース・バザーやエスクアィアなどの雑誌の仕事で活躍し、経済的に比較的安定した生活を送っている。ストリートの写真と同じスタンスで野外でのファッション撮影を好んだ。野外で起こる様々な偶然性が写真にリアリティーを与えると考えていた。
ファッション写真は、自己表現を追求したい写真家と服の情報を最大限に強調したいクライエントやエディターとのせめぎあいの歴史だ。50~60年代ごろのファッション写真には、写真家に比較的多くの自由裁量が与えられた。しかし70年代以降は消費社会の拡大に伴い、クライエントやエディターの撮影への要求や指示がどんどん強くなっていく。この時期には、ファッション分野での写真によるアート表現の可能性に限界を感じて活動を休止した多く人が多くいた。リリアン・バスマンの夫のポール・ヒメール、ルイス・ファー、ギイ・ブルダン、ブライアン・ダフィーなどだ。ソール・ライターも絶望した写真家の一人だった。1981年、彼の我慢は限界に達し、5番街156番地にあった写真スタジオを突然閉鎖してしまう。その後、彼は隠遁生活に入り経済的に厳しい時期を過ごすことになる。
そして80歳を超えてから写真集「Early Color」が刊行。一気にそれまでの仕事が再評価されて人生が急展開するのだ。その後、世界中の美術館やギャラリーで数多くの写真展が開催されるようになる。バリーロ氏は、彼の亡くなるまでの最後の7年間は最も幸せな時期だっただろうと語っている。

続いて、アープ氏とバリーロ氏から以下のような最近までの発掘作業の成果が展覧会の見どころとして紹介された。

ソール・ライター財団ディレクターのマーギット・アープ氏(左)とマイケル・バリーロ氏(右)による記念講演会

・初期写真
ソール・ライターは1930年代、10代の時に母親にデトローラ社製のカメラを買ってもらいモノクロ写真の撮影を開始。母親は、写真が子供のその後の一生を変えてしまうとは思いもよらなかっただろう。財団の調査により今まであまり知られていいなかった、10代の「初期家族写真」が発見されている。主に2才違いの妹のデボラを被写体にしている。デボラは、ライターの撮影での数々の試行錯誤に協力している様子が見て取れる。また、大胆かつグラフィカルな構図やモデルの動作を写真で表現するアプローチなど、彼のその後の特徴的な写真の原点といえる作品も発見されている。絵画や写真など、デボラ関係は約100点が発見されている。本展ではそのうち23点が「デボラ」のパートで紹介されている。

・スニペット(Snippets)

ライターは名刺サイズのモノクロ写真を偏愛していたという。被写体になっているのは、家族、パートナー、友人の女性たち。プリントされた膨大な数の写真は手で破られ、またコラージュのように一つの塊としてがガラスケースの中に展示されている。自らの親しい人間関係を写真によって可視化した作品だと解釈できるだろう。アープ氏は大きな展覧会の中のミニ写真展という説明をしていた。

・コンタクトシート
今回初公開となる、彼の一連の写真撮影の流儀を垣間見ることができる作品。質疑応答時間に質問があったが、撮影時のショット数に関しては特に特徴はないとのこと。2~3ショットのこともあったが、かなりの枚数のショットの場合もあったそうだ。アナログ時代から、成功した写真は撮影時に既に認識していたということ。

・ヌード作品の発見
彼はファッション写真家として活躍する以前から、親しい女性たちのパーソナルなヌードとポートレートを撮影していた。死後にモノクロ作品約3000点見つかっている。それらは、モデルとアイデアを出し合って制作された一種のコラボ作品だと評価できるという。その中でも主要な被写体は長年にわたりパートナーだったソームズ・パントリーだった。彼女は様々な役を演じ、二人は様々な実験を行っている。本展ではソームズ・パントリーのセクションで、ストリートでのカラー/モノクロ写真やインクによる絵画など約34点が展示されている。ヌード作品は、70年代に編集者ヘンリー・ウルフにより写真集化の企画があったものの実現しなかった。2018年に、Steidl社から「In My Room」として刊行されている。

・ペインテッド・ヌード
アクリル絵の具で着色されたヌード作品も1000点以上が発見された。抽象的な絵画のような趣で、それらは本の中で発見、ブックマークとして使用されていた。

・スケッチブック

財団の人たちは「Daily meditation(毎日の瞑想)」と呼んでいる。生前のソール・ライターはそれらを最高作だと語っていた。

・カラースライド

4~6万枚のスライドが発見された。ソール・ライターは自宅で友人たちの前でスライドショーを行って作品を見せることがあったそうだ。調査およびデータベース化は現在進行形で行われている。それらの中には、例えば写真集「Early Color」表紙作品「Through Boards, 1957」の前後に撮影されたと思われるバリエーション・ショットも見つかっている。多くが初公開作品となるスライド作品のプロジェクションは本展の見どころのひとつだ。参考ヴィジュアルとして、アパート周辺のストリートシーンとアトリエのインテリア画像も同時に紹介されている。

・写真集「Early Color」の制作経緯
これは質疑応答の中で語られた。表紙作品「Through Boards, 1957」は最初から、ライターの希望で決定していた。その他の収録作品のセレクションは、すべて写真史家のマーティン・ハリソン氏が行い、ライターは全く注文を付けなかった。1997年のハワード・グリンバーグ・ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、出版社を探し続けたとのこと。最初に決まっていたニューヨークの出版社は倒産、次に手を挙げたロンドンの出版社も動きが非常に鈍かったという。結局、ドイツのSteidl社から2006年に「Early Color」として刊行された。アープ氏は、カラー写真を取り巻く環境変化が出版につながったと分析している。90年代後半のアート写真はソール・ライター以外はすべてモノクロだったという。その後、ドイツのデュセルドルフ・クンスト・アカデミーでベッヒャー夫妻に学んだアーティストたちが登場。2000年代になってから絵画のような大判作品を制作する、アンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ、トーマス・シュトルートなどが活躍して、カラー写真のアート性が本格的に注目されるようになるのだ。その流れで、写真史におけるシリアス・カラー作品の本格的な再評価が開始された。


本展カタログ掲載のエッセーで、財団の二人は「私はシンプルに世界を見ている。それは、尽きせぬ喜びの源だ」というソール・ライターの言葉を締めくくりに引用している。またソール・ライターは「仕事の価値を認めて欲しくなかった訳ではないが、私は有名になる欲求に一度も屈したことがない」(”ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)211ページ)、別のインタビューでは「無視されることは、大きな特権です」とも語っている。今回のアーブ氏の話から、彼は写真史での正当な評価が受けられず、また金銭的に恵まれなかった時期でも、自分のために真摯に創作を継続していた事実が伝わってきた。他の多くの同じ環境の写真家のように、絶望し自暴自棄に陥ったり、周りの人に悪態をつくことはなかったようだ。ライターの関係資料には、彼が禅的な思想をもって生きていたと書かれている。たぶん浮世絵などの日本文化を研究するとともに、アメリカ社会に禅思想を広めた鈴木俊隆の「禅マインド ビギナーズ・マインド」(オリジナル版1979年刊)などを愛読して心の支えにしていたのではないだろうか。海外の宗教では、時間は過去、現在、未来と継続していて、将来に天国に行くことを目指して現在を生きるという考えがある。ライターは厳格な宗教家の家庭に生まれている。彼はそのような考え方を不自由さを感じ、強い違和感を感じていたと想像できる。写真を撮る行為、絵を描く行為は、「いまに生きる」つまり座禅のような精神を安定させる行為だったではないか。
ソール・ライターは、写真や絵画などを、評価を受けるために人に見せたりしなかった。また作品制作の意図や目的もいっさい語らなかったという。彼は今に生きる行為としてひたすら自己表現を行ってきたのだ。わたしは、資本主義の中心地である米国ニューヨークでの、このようなアーティストとしての生き方の実践自体がソール・ライター作品のメッセージだと理解している。そして結果的に、彼は多くの人たちに愛されながら幸せな人生を送ったのだ。
ソール・ライター財団の二人は、本展と講演で、そのような彼の生きざまの的確かつ丁寧な提示を心がけていると感じた。

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)
公式ページ

以下もご覧ください(当ブログの過去の関連記事)

2017年6月 写真展レビュー ソール・ライター展  Bunkamura ザ・ミュージアム

2018年4月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(1)

2018年5月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(2)

2018年6月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(3)

令和時代のアーティスト・デビュー
メッセージの明確化と継続的情報発信

2020年代を迎えたいま、写真とアートとの関係性は大きく変化した。写真がデジタル化したことで、だれでも写真が簡単に上手に撮れるようになり、同時に現代アートの市場規模が急拡大した。アナログ時代にはアート界で独立して存在していた「写真」は、現代アート表現の一つの方法となった。かつては、何かに感動して写真を撮影して、印刷で表現できない高品位のプリントを制作したものがアート写真だった。今やそれだけでは表層の情報提供に過ぎないと考えられるようになった。「写真」そのものだけではなく、その中身も問われるようになったのだ。自分が何に心動かされて作品作りに取り組んでいるかを意識して、関連情報を収集して、そこに共通項を見つけ総合化して、社会と接点を持つテーマやコンセプトとして提示することが求められるようになった。
アート・フォト・サイトで行っているアート写真の講座では、デジタル時代の現代アート的要素を含んだ作品を「21世紀写真」とよんで、それ以前の「20世紀写真」と明確に区別している。

このような環境下で、新人アーティストがデビューするにはどのような努力が求められるだろうか?まず作品で伝えたい感動にどのような社会的意味があるかを明確化しなければならない。そのコアとなるメッセージを意識して作品タイトルやアーティスト・ステーツメントとして提示することが重要となる。見る側を刺激する何らかの感情のフックがないと誰も振り向いてくれないのだ。写真表現でも、アーティストに求められる素養が変化した事実を理解しなければならない。

表現者の中には優れた感性を持つものの、自分の感動を客観視して、社会と接点を持つテーマとして展示することが不得意な人も多い。作品を制作して、その意味を後付けする人も多く見られる。これは体裁を整えるだけなので注意が必要だ。できない人は、専門家の力を借りることを検討してほしい。
私は、作品制作は企業活動のイノベーションを起こす行為に似ていると考えている。新しい発見や、道を極めるにはアドバイザーが必要なのはいつの時代も変わらないのだ。しかし、それは自分の言うことをきいて応援してくれる人探しではない。アーティスト自身が気付かない作家性を見立てて、言語化して世の中に伝える語り部となる人探しのことだ。

現代の情報社会では、この部分の理解が極めて重要になる。人間は簡単に想像できることは、現実になりやすいと感じる心理的な特性を持つ。成功しているアーティストの情報は話題性があるので数多く提供される。しかし世の中で全く認知されずに消えていく膨大な人たちの情報などはどのメディアも紹介しないのだ。また写真のデジタル技術の進歩で、いわゆる上手い写真を撮影するのが極めて簡単になった。画像の補正もアプリで簡単にできる。結果的に、多くの人が自分の感覚で好き勝手に表現するのがアーティストだと勘違いし、積極的に生きれば自分も成功すると思い込んでしまう。また情報を持たない経験が浅い人ほど、学ぶべき情報量を過小に考えがちだ。以上から、特に学生や新人やキャリアの浅いアマチュアは自らを過大評価しがちになる。思い込みに囚われると、その時点で成長や進歩が停止してしまう。できる限り自分を客観視する姿勢を持つように心がけてほしい。

21世紀になりメディア環境も大きく変化した。インターネットの普及で、誰でも簡単に情報発信が可能になった。世界的に生成されるデータ量が急増し、個別情報の価値がはるかに薄まっている。アート関連情報も同様で、いまや新人賞受賞、美術館やギャラリーでの個展やグループ展選出に対して世の中の関心度はかつてのように高くない。それだけだと単なる情報の断片でしかなく、世の中が瞬間的に注目してくれきっかけにはなりうるがキャリアが大きく変化することはない。
もはや突然の大成功は起きない、それは宝くじが当たるようなものだ。新人デビューはますます困難になっているといえるだろう。したがって新人の行うマーケティングも従来のメディアや関係者への「売り込み」のような努力だけでは効果が上がらなくなった。売り込み先だったメディア自体の影響力も低下しているのだ。さらにオーディエンスの価値基準も多様化、細分化している。アーティスト情報を求めている人まで届けるのが極めて困難な時代となった。

アーティストは、前記のように特徴を明確化した次のステップとして、自らでそのまわりに共感するコアとなる人を囲い込む地道な努力が求められるのだ。コーリー・ハフ(Cory Huff)著の「How to sell your art online」には、50対50の法則が紹介されている。アーティストは、50%の時間を作品制作に使い、残りの50%を自らのマーケティングに費やせという意味だ。このルールは今やすべての新人アーティストに当てはまるだろう。自らの特徴を伝えるために、展覧会開催、フォトブック出版などの従来の方法だけでなく、SNSなどで情報発信を続け、できるだけ多くの支持者を集めファンを固めていくのだ。繰り返しになるが、マーケティングは自分のコアのメッセージを伝える手段だ。その行為自体を目的化しないように注意して欲しい。
もし社会との接点を持つメッセージを長期にわたり提示し続けたら、キュレーター、ギャラリスト、編集者、美術評論家など、誰かが必ず見立ててくれる。複数の人からの見立てが積み重なることで情報発信が重層的になり、アーティストとしてのブランドが次第に確立していくことになる。
新規参入するギャラリー、ディーラーなどの販売業者も全く同じ努力が求められる。独自の極を作り上げるために尽力しなければならない。その特徴に合致したアーティストを見立てて情報発信を行うのだ。複数の特徴が育っていけば、共感するファンとなる顧客が集まってきて経営が成り立つだろう。

成功するかどうかは誰もわからない。アーティストもギャラリーもまずは仕事の継続に挑戦てほしい。もし続けられるのであれば、伝えたいメッセージの内容に何らかの社会との接点があるということ。独りよがりだと、社会とのコミュニケーションは成立しない。ポジティブな反応がないのでモーチベーションを保つことができないだろう。令和の時代、やり方は多少変わったものの、アート表現と情報発信の地道な努力が続けられる人が成功をつかむのだ。たぶん、同じ種類の情報発信を行うアーティストとギャラリーの、互いにリスペクトしあうコラボレーション成立が「21世紀写真」の理想の展開だと思う。
私はいつも新人に対して次のようなアドバイスを行っている。アーティストとは社会に対して能動的に接する生き方を実践している人のこと。そして、短期的な成功を求めることなく、ライフワークとして継続するのが成功の秘訣だと理解しようというものだ。