ニューヨークの株価は3月中旬の大きな急落から持ち直している。米連邦準備理事会(FRB)が大規模金融支援の発表し、企業の資金繰り不安が収まったことによる。新型コロナウィルスの感染拡大のピークは過ぎたとして、全米で経済活動が再開しつつある。しかし、このところ非常に厳しい経済指標の発表が続いている。4月の鉱工業生産指数は前月比11.2%低下、これは過去100年で最大の落ち込みとのこと。小売売上高も前月比16.4%も減少。5月に入り、百貨店大手JCペニー、ニーマン・マーカス、衣料品チェーンのJクルーが相次いで経営破綻している。経済活動再開で、7~9月期の経済成長はプラスに転じそうだが、新型コロナ感染第2波のリスクもあり、当初言われていたよなV字回復は難しそうだ。
アート写真市場で、今回のコロナウィルスが従来の景気悪化と違う点は、美術館、ギャラリーなどが長期にわたり閉鎖されていること。美術館は閉鎖期間の入場料収入が蒸発する、ギャラリーは売り上げが減少する。ともに経営が非常に厳しくなる。一部では従業員のレイオフが始まっているという。従来、美術館はオークション市場を通してアート史での重要作品を購入し、コレクション充実を図っていた。ギャラリーは、在庫の仕入れ元だった。このような状況だと、彼らの新規購入は難しく、今後は逆に運転資金確保のためのコレクション、在庫の売却に動く可能性もあると考える。
さて参考のために2008年の金融危機後の市場動向を振り返ってみよう。
2008年にはニューヨークの大手3社の年間売り上げは約1.22億ドルだった。明らかにバブルの様相を呈していた。それが2009年には1980万ドルと、約83%も減少。その後、2013年には約4782万ドルまで回復したが再度低迷する。2019年の売り上げは約3528万ドルと、ピークだった2008年の28%にとどまっている。
売り上げが回復しないのは、写真表現においても現代アート系作品の存在感が増してきたことが背景にあると考える。つまり、現代写真は“Photographs”ではなく、他のアート作品と共に“Contemporary Art”系カテゴリーでの取り扱いになる場合が多くなっている。
さて既にレポートしたように、通常は3月下旬から4月上旬にかけて行われる大手業者によるニューヨークの公開アート写真オークションは全て中止となった。各社、開催時期の変更やオンライン・オークション開催で、コロナウィルス感染時の市場動向を探っている状況だ。
大手3社の対応方法は全く違う。既報のようにササビーズは3月24日から4月3日までの期間に、ほぼ公開オークションと同じ内容で“Photographs”を開催。結果は122点が入札されて落札率は約61.3%、総売り上げは約299万ドル(約3.29億円)を達成している。
クリスティーズは、メインの“Photographs”をオンライン・オンリーに変更して、5月19日~6月3日にかけて238点のオークションを行う。フィリップスは、開催時期を変更して“Photographs”236点の公開オークションを7月13日に開催、同様にスワン・オークション・ギャラリーも、6月11日に324点の“Fine Photographs”の開催を予定している。公開オークションでも、入札の中心はオンラインや電話になると予想される。
一方、クリスティーズは4月末から5月にかけて取扱い分野を19~20世紀写真に絞った二つのオンライン・オークションを行った。4月21日~29日にかけて、“Walker Evans: An American Master”、4月30日~5月13日にかけてピクトリアリズムからモダニズム関連のモノクロ写真を集めた“From Pictorialism into Modernism: 80 Years of Photography”を開催。作品の詳細をみるに、両方ともほとんどがニューヨーク近代美術館収蔵という最高の来歴の作品。たぶん海外でよくある、新規コレクション購入のための重複コレクションの売却なのだろう。
両オークションともに全作品が落札されたものの、その詳細は驚くべきものだった。どうも今回は最低落札価格が設定されていないか、極端に低い金額に決められていたようだった。“Walker Evans: An American Master”では、落札39点のうち落札予想価格下限以下での落札が36点に達した。総売上げは9.1875万ドル(約1010万円)。1000ドル以下も4点あった。
“From Pictorialism into Modernism: 80 Years of Photography”では、89点中78点が落札予想価格下限以下の落札。総売り上げは約30.5375万ドル(約3359万円)。出品写真家は、エドワード・スタイケン、アルフレッド・スティーグリッツ、イモージン・カニンガム、イルゼ・ビング、ベレニス・アボット、ドロシア・ラング、アンリ・カルチェ=ブレッソンなど一流どころ21名。ただし、写真家の代表的作品は非常に少なかった。スタイケンやカルチェ=ブレッソンのような有名写真家の多くの作品も、最低落札予想価格下限の数分の一という、通常なら不落札の信じられない低い金額で落札されていた。1000ドル以下は26件だった。
最高額は、エドワード・スタイケンの“Heavy Roses, Voulangis, France, 1914”。落札予想価格4~6万ドルのところ2.75万ドル(約302万円)で落札。アンリ・カルチェ=ブレッソン“Madrid, 1933”も、落札予想価格3~5万ドルのところ、同額の2.75万ドル(約302万円)で落札された。
もともと新世代のコレクターにあまり人気がなかった19~20世紀写真。有名写真家の代表作以外は動きが極端に鈍くなっていた。写真表現でも現代アート系作品が市場の中心になる中で、もし19~20世紀写真にアート的価値を見出すのなら今回のオークションでの買い物はバーゲン価格だっただろう。しかし、それらに古い骨董品や伝統工芸の写真版の価値しかないと認識する人には適正価格ということではないか。今回は、大手オークション会社の、有名写真家の、最高の来歴の作品だったから低価格でも落札されたと考える。それ以外の作品の評価は本オークション結果が既成事実となり、かなり厳しくなると予想できる。この分野の在庫を抱えるディーラーは肝を冷やしているのではないだろうか。
いま市場では、アート性がある人気アーティストとそれ以外、重要作と不人気作、という二つの2極化が同時進行している。今春のいままでのオークションではこの傾向が強まった印象だ。しかしそれらは世界的な緊急事態下という極めて特殊な時期に開催された。多くの参加者は、健康を第一義と考え、決して冷静に作品を総合評価していなかったと思う。
これからのコロナウィルスとともに生きる新しい時代、はたしてこの流れが続いていくのだろうか?初夏に予定されている、各社の“Photographs”オークションの動向に注目したい。
(1ドル/110円で換算)