前回まではロシア出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、写真家、教育者で、20世紀グラフィック・デザインの元祖として伝説化されているアレキセイ・ブロドビッチ(1898-1971)を紹介した。
ブロドビッチは1934年から1958年まで米国ハーパース・バザー誌のアート・ディレクターとして活躍している。ほぼ同時期にライバルのヴォーグ誌のエディター、アート・ディレクターなどとして活躍していたのが、同じくロシア出身のアレキサンダー・リーバーマン(1912-1999)だ。
彼は、ロシア革命後に国外に亡命した白系ロシア人で、ロシア、英国、フランスで教育を受けている。ブロドビッチと同様に、1924年にパリに移り住んで、同地でキュービズム画家のアンドレ・ロート(André Lhote、1885-1962)に絵画を、オーギュスト・ペレ(Auguste Perret、1874-1954)に建築を学んでいる。
彼は、1933年~1936年にかけて、1928年創刊の初期ヴィジュアル雑誌「Vu」で出版キャリアをアート・ディレクターとして開始する。1941年にドイツのパリ占領によりニューヨークへ移住。その後、ヴォーグ誌を発行するコンデ・ナスト出版での仕事に携わる。1944年から1962年まで約21年間アート・ディレクターを務め、1994年までの32年間はコンデ・ナスト出版のエディトリアル・ディレクターとして長年にわたり活躍を続ける。
ファッション雑誌業界では、エディター、アート・ディレクター、写真家はまるで消耗品のような存在だ。時代の変化の先を走り続けるのは極めて困難なので、常に人材の新陳代謝が必要だともいえる。その中で、リーバーマンの長年にわたるコンデ・ナスト出版での存在は極めて異例だといえるだろう。あのブロドビッチでさえハーパース・バザー誌で活躍したのは約24年間だった。
彼の伝記「Alex: The Life of Alexander Liberman」(Dodie Kazanjian/Knopf 1993年刊)では、この点を以下のように分析している。「ひとつ考えられる説明は、リーバーマンには明確に定義するようなスタイルがなかったことだろう。彼がディレクションした雑誌に特徴的な視点がなかったこと、そして時代遅れだと決めつけられるものが何もなかったことが挙げられる。リーバーマンのスタイルは変幻自在であり、無限に継続可能だった。彼は常に、アート・ディレクターが追求する「グッドデザイン」を犠牲にしてでも、ジャーナリスティックな多様性を追求してきたのだ。彼はあらゆる種類の変化(社会的態度の変化だけでなく、写真やアート、ビジュアル・コミュニケーションの変化)に直観的かつ敏感に反応した。彼は自分の分野では、いつも誰よりも一歩も二歩も先を行っているようだった、そのせいで 彼がディレクションした雑誌は、常に新鮮で革新的で生き生きとしていた」
同書の分析は見事で、極めて的確だったといえるだろう。写真家の起用にもこの特徴が現れている。彼は1940年代に天才のアーヴィング・ペンを見出している。しかし、その後も定期的にアーウィン・ブルーメンフェルド、セシル・ビートン、ウィリアム・クライン、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートン、デビッド・ベイリー、デボラ・ターバヴィル、シーラ・メッツナー、アニー・リーボヴィッツなどを起用している。自分のいったん成功したフレームワークに固執することなく、常に変化を求め続けた姿勢こそが彼が活躍し続けられた秘訣だと思う。これはすべてのクリエイティブな仕事において、最も重要な資質だと私は考えている。でも一般的には自分の直感を信じてそれを追求することが重要だと勘違いされている。それは各分野の超ベテランと天才のみに当てはまるのだ。
1940年代のころ、リーバーマンは当時のファッション雑誌を以下のように批判している。「私はファッション誌でアートとして言われている言葉に憤りを感じていた。アート・ディレクターという言葉でさえ気取って使われている。エリクソンやウィヨメズのようなイラストレーターを相手に仕事をするのが、アートのディレクションではない。それらはカタログ的なファッションだ。私は何気ない感じに興味があった。この作り物(ファッション誌)の世界に生命力を吹き込みたかったのだ」また以前の(連載3)でも紹介しているが、リーバーマンが理想のファッション写真だとしているのは「最高のセンスをもったアマチュアで、カメラマンの存在を全く感じさせない(写真)」だった。新人編集者に、それに当てはまるアーティストの自己表現とファッション情報の提供がバランスしている2枚の写真を紹介しているのはあまりにも有名だ。
何度も紹介しているのでここでは簡単に触れておく。1枚目がエドワード・スタイケン(1879-1973)によるヴォーグ誌1927年5月号に掲載された初期のセレブ・スーパーモデルだったマリオン・モアハウス(Marion Morehouse/1903-1969)をモデルとした写真。流行りのシェルイ(Cheruit)のドレスが写されているものの、女性に敬意を表し彼女の最高の魅力的な瞬間を表現している、としている。1920年代に欧米で流行した革新的なフラッパーの要素を従来の婦人像と融合させている写真といえるだろう。2013年に世田谷美術館で開催された「エドワード・スタイケン/モダン・エイジの光と影 1923-1937」にも展示されていたので、見覚えがある人も多いと思う。ちなみに同作“Cheruit Gown (Marion Morehouse) (Mrs. E.E. Cummings), 1927”は、フリップス・ニューヨークで2017年4月3日に行われた“THE ODYSSEY OF COLLECTING”オークションで、5万ドル(@110円/約550万円)で落札されている。スタイケンのファッション写真は「Edward Steichen In High Fashion: The Conde Nast Years, 1923-1937」(W W Norton、2008年刊)と上記展覧会のカタログで見ることができる。
もう1枚はファッションとは縁遠いと思われがちなウィーカー・エバンス(1903-1975)の作品。彼がキューバのストリートで1923年に撮影した白いスーツを着た男性のドキュメント写真をあげ、「これは明らかにファッション写真ではないが、私はこれこそが根源的なスタイルのステーツメントだ」と語っている。同作“Citizen in Downtown Havana,1932”の大判サイズのエステート・プリントは、2019年10月2日にボナムス・ニューヨークで開催された“Photographs”オークションで17,575ドル(@110円/約193万円)で落札されている。同作品を含むキューバで撮影された一連の作品は写真集「WALKER EVANS: HAVANA 1933」(Pantheon、1989年刊)、「Walker Evans: Cuba」(J Paul Getty Museum、2001年刊)で見ることができる。
(Part-2)に続く
・「WALKER EVANS: HAVANA 1933」(Pantheon、1989年刊)
絶版、相場は8000円~
・「Walker Evans: Cuba」(J Paul Getty Museum、2001年刊)
絶版、相場は4000円~、ペーパー版の新品は購入可能
・「Edward Steichen In High Fashion: The Conde Nast Years, 1923-1937」(W W Norton、2008年刊)
絶版、相場は12,000円~