80年代にアフリカ系米国人の希望を作品化
中村ノブオ「ハーレムの瞳」

今年はアフリカ系米国人に対する警察の残虐行為に抗議して、米国各地でデモが相次いだ。その後、非暴力的な市民的不服従を唱えるブラック・ライヴズ・マター (BLM)運動が世界中で注目されるようになった。また全米オープンテニス優勝者の大坂なおみ氏が、黒人襲撃の抗議のために過去の犠牲者の名前を記したマスクを着用したことも大きなニュースとして紹介された。
私が少し驚いたのは、多くの企業が自らの政治的な立場を明らかにしたことだった。従来は、異なる考えを持つ関係者への配慮から、企業は社会的な問題にはニュートラルな立場を貫いていた。つまりなにも発言しないということだ。アート業界でも差別に反対する声明が多くのアーティスト、ギャラリー、美術館から発せられた。私のもとにも自らの立場を明確にするメッセ―ジが書かれたメールが各所から数多く届いた。沈黙することは現状容認を意味するという強い意思表示が感じた。

私はこの一連の動き見て、即座に中村ノブオの写真作品「ハーレムの瞳」を思い出した。そして、どんな形でもこの時期に日本の人に彼の作品を見せなければならないと考えた。

ⓒ Nobuo Nakamura

同作は80年代にニューヨークのハーレムで暮らす人たちの日常を、社会の内側からディアドルフ8X10”大型カメラでドキュメントしたもの。アフリカ系米国人たちへの高いリスペクトが感じられる作品としていま現地でも再注目されている。作品が永久保存されているブルックリン国立博物館が最近発行した、ブラックコミュニティーと権利を主張する為に「みなで選挙に行きましょう!」と呼び掛けるニュースレターにも、中村の作品が紹介されている。

ⓒ Nobuo Nakamura

中村ノブオは、1946年福島県三春町出身。東京写真専門学校卒業後、1970年に何もコネクションを持たずにプロの写真家を目指して無謀にもニューヨークへ渡る。写真で独立するという自らの強い信念が幾多もの幸運を呼び寄せ、広告写真家のアシスタントに採用される。その後、写真撮影の経験を積み1981年にはフリーカメラマンとして憧れの地で独立する。
30歳代の中村が写真家の可能性を試すために行なったのが、当時は治安が極端に悪かったアフリカ系米国人が多く住むハーレムでの写真撮影だった。若きチャレンジ精神豊かな中村は、大胆にも誰も行なっていない8X10”の大型ビューカメラでの撮影に挑戦する。ハーレムでの撮影といえばブルース・デビッドソン(1933 – )の「East 100th Street」(1970年刊)が有名だが、彼はリンホフ・テヒニカの4X5”カメラを使用している。中村によると、ハーレムのストリートで三脚を立て、暗幕の中でピントを合わせるときは、緊張で心臓の鼓動が聞こえ、冷や汗が流れたそうだ。どこからともなくブルースが流れるハーレムの町中での撮影中、中村の頭の中では日本ブルース、演歌のメロディーが流れていたそうだ。色々な幸運に恵まれて週末のハーレムでの撮影が数年間続く。治安が悪いことを恐れて隠し撮りしなかったこと、奥さん、子供を同伴させたこと、撮影した被写体の人には後日写真をプリントしてプレゼントしたこと、などが住民の暖かい撮影のサポートが得られた理由だったかもしれない、と中村は語っている。

ⓒ Nobuo Nakamura

様々な努力の結果、彼はハーレムの住民のコミュニティーの中に見入り込むのに見事に成功している。彼の作品のモデル達は皆リラックスしている。その表情には緊張感を全く感じられないどころか、笑顔が見られる作品も多い。中村のカメラはハーレムの人々の隠された穏やかな人間性までも引き出しているのだ。当時の事情を知らない若い人は、作品を見て「笑顔が絶えないハート・ウォーミングな街ハーレム」のような印象を持つのではないだろうか。中村の作品は、当時の「危険で怖いアフリカ系米国人が住む街ハーレム」は、アップタウンに住む白人や旅行者の抱いていたイメージだった事実を明らかにしてくれる。
またハーレムに住む人々のドキュメントは、まるで綿密に何気なさが計算された高度なファッション写真のようにも見えてくる。いや1980年代のニューヨークの雰囲気、気分、スタイルをとらえた一流のアート系ファッション写真としても通用するだろう。

ⓒ Nobuo Nakamura

1980~1984年に撮影された一連の作品はニューヨークの写真界で高く評価され、ブルックリン国立博物館、ニューヨーク市立図書館ショーンバークセンター、ニューヨーク市立博物館などでコレクションされている。また中村が1984年に帰国後、1985年に写真集『ハーレムの瞳』(築摩書房刊)としてまとめられている。80年代中ごろに帰国し東京に事務所を開き、その後は広告分野で活躍。2000年に新宿コニカ・プラザで個展「MIHARU」を開催している。
ブリッツでは、アート・フォトサイト・ギャラリーで2004年に「New York City Blues」、2006年に「How’s your Life?」を開催。「Pictures of Hope」展では、中村ノブオ「ハーレムの瞳」を特別展示。代表作と貴重なヴィンテージ・プリントを特集して展示している。80年代にいち早くアフリカ系米国人の未来への「Hope(希望)」を意識して作品制作を行っていた中村の業績にぜひ再注目したい。

「Pictures of Hope」-ギャラリー・コレクション展 –
2020年9月18日(金)~ 12月20日(日)
予約制で開催/1:00PM~6:00PM/休廊 月・火曜日/入場無料
ブリッツ・ギャラリー

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