アート&トラベル
杉本博司 小田原文化財団
江之浦測候所

ブログのカテゴリーに「アート&トラベル」を新たに追加した。いま日本各地で地域振興のために現代アートを紹介するイベントが開催されている。また美術館の展覧会も東京中心ではなくなってきた。ファインアート写真のコレクターやアマチュア写真家の、写真趣味を刺激する旅の参考になるようなカテゴリーがあってもよいと考えた。ここではメディア取材のような情報提供ではなく、観客目線のよりパーソナルな感想を書きたい。

最初は日本を代表するアーティスト杉本博司(1948-)が手掛けた「小田原文化財団 江之浦測候所」を取り上げる。
杉本は、2009年に伝統芸能の次世代への継承と現代美術の振興発展に努め、世界的視野で日本文化の向上に寄与することを目的とする小田原文化財団を設立。2017年には箱根外輪山を望む小田原江之浦の地に、ギャラリー、茶室、庭園、光学硝子舞台、石舞台、門などを含む総合施設の江之浦測候所を開館した。同測候所は、なんと現代文明が滅びた後も古代遺跡として残ることを想定して作られているとのことだ。この地の詳しい見どころ/観光案内は、雑誌などいろいろなメデイアで取り上げられているのであえて触れない。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

まずアーティストの頭の中にある様々な作品制作意図や世界へのまなざしなどが、実際の地球上の小田原の地に物理的に出現して、可視化されているいる事実に感動を覚えた。これは2016年に東京都写真美術館で開催された「ロスト・ヒューマン」展にかなり近い発想で作られていると感じる。同展では、いま私たちが直面している現実をもとに、最終的に文明が終わるというストーリーを想像し、杉本自身のコレクションや作品を組み合わせてインスタレーションで表現したもの。「江之浦測候所」は、美術館の枠をとびだし、小田原の約1万坪の広大な土地の中で、自らの想像力を思う存分展開させ「人類とアートの起源」という大きなテーマに取り組んだのだ。全体が杉本ワールドを総合的に表現したテーマパークで、一種のインスタレーション作品なのだ。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

代表的建築物が「夏至光遥拝100メートルギャラリー」だ。
その中心線は夏至の太陽軸と同一線上にある、日の出の光は先端の展望台に直接当たる。現在、内部には杉本の代表作「海景(Seascapes)」の大判作品が展示してある。この作品制作の発想の原点となるのが、杉本が幼少の時に熱海から小田原に向かう湘南電車から見た相模湾の大海原のシーンだったという。100メートルギャラリー先の展望台からは、幼いに杉本が見たのと同じ海景が広がっていた。

もう一つの注目作の「冬至光遥拝隧道70メートルトンネル」は冬至の太陽軸上にあり、冬至の朝日はこの普段は暗いトンネル内を一直線に照らし、出口にある巨石に当たる仕掛けなのだ。受付時に入り口で配られるパンフレット表紙にその写真が紹介されている。
春分、秋分の日の出の方向には、古墳時代の石像鳥居、そして巨石で作られた石舞台の軸線が合わせて立てられている。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

古の日本人は森羅万象に神が宿るという「八百万の神」の精神を持っていた。太陽の高度変化の周期で季節の移り変わりを意識していたのだ。北半球球にある日本では、夏至の頃に太陽の高度が高くなり、それだけ地表面が熱くなり夏になり、冬至の頃は反対に太陽高度が低くなり、地表面が冷えて冬になる。夏至、冬至、春分、秋分を意識する感覚は、農作業など生活に密着した自然歴に繋がっているわけだ。現代日本人が忘れ去っていた自然や太陽とともに生きるという感覚。この地の構造物と一種のインスタレーションは、来場者がその中に身を置くことで、直感的に昔の日本人の持っていた自然と共に生きる感覚を蘇らせて欲しいという、杉本の意図なのだろう。夏至方向の100メートルギャラリー棟のかなり下に、冬至方向の70メートルトンネルがあることは、「夏至の日」には太陽高度が高く、逆に「冬至の日」の太陽高度が低い事実にも気付かせてくれる。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

ちなみに2022年の冬至は12月22日。天候が良くて冬至の朝日がこの中を貫く光景を見たいものだ。今年は日の出の6時48分ごろに合わせて、ライブ配信が予定されているとのこと。
https://www.odawara-af.com/ja/news/wwn2022winter/

広大な測候所の敷地内各所には長い時間が刻まれた様々な石材や石塔などが設置されている。それらはすべて、杉本が長年にわたり蒐集してきたものなのだ。パンフレットで石材の年代や来歴を確認すると、それらは、明治、江戸、室町、鎌倉、平安、白鳳、天平、飛鳥、桃山、縄文、古墳などの時代にまたがる。外部環境から隔離された美術館のような屋内ではなく、野外の自然環境で自分のコレクションを展示している。石材はこの地の自然環境の中で、さらにその歴史を積み重ねていくのだ。

「小田原文化財団 江之浦測候所」


測候所の案内では、この広い敷地内をすべて見て回るのには2時間から2時間30分くらいかかると書かれている。 ギャラリー棟から、茶室を回り、さらに榊の森の斜面を下っていくと道具小屋を改装した「化石窟」にいたる。そこには文字通り多種多様な化石や桃山時代の秀吉軍禁令立て札などがある。竹林エリアを更に下ると片浦稲荷大明神に行きつく。そこからみかん道を上って、展望台を経てギャラリー棟に戻ることになる。急こう配の上り下りがあるので、ここまでの全工程で60~90分となる。未舗装道なので、来場者はスニーカーなどを履いたほうが良いだろう。またトイレは待合棟にあるが、離れた竹林エリアにはない。スマホを確認したら歩数は全部で約7000程度だった。しかし高低差があったので、もっと歩いた感じだった。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

多くの人は、点在する展示物をパンフレットの記載をみて、製作意図や年代などを頭で確認する。これは美術館でのアート鑑賞と同じ構図だろう。しかし高低差のある土地を長時間にわたり歩き筋肉を酷使すると、しだいに疲労が蓄積されてくる。しだいに様々な邪念が消えて、頭の中が空っぽになって杉本作品/コレクション/インスタレーションと無の境地で対峙できるようになるのだ。自然の中を歩き回って見る行為も杉本の仕掛けなのではないかと感じた。
100メートルギャラリー棟の下の崖部分はいま工事中だった。そこには2025年に新展示施設がお目見えするという。杉本の頭の中の創造の世界は今でもさらに広がっているようだ。

小田原文化財団 江之浦測候所

エドワード・スタイケンの
ヴィンテージプリントが
1184万ドルで落札!
故ポール・アレン・コレクション・オークション

クリスティーズ・ニューヨークは、11月9日に故マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン(1953-2018)の「Visionary: The Paul G. Allen Collection」オークションを2回のパートで開催した。
アレン氏は1975年、高校時代からの友人ビル・ゲイツ氏とマイクロソフトを設立。その後、IT業界の先駆者として活躍したが、2018年にがんによる合併症で65歳で亡くなった。今回のオークションでは、ゴッホ、セザンヌ、スーラ、ゴーギャン、クリムトなどの傑作5点の絵画が1億ドル以上で落札され大きな話題となった。最高額はジョルジュ・スーラの「Les Poseuses, Ensemble (Petite version)」で、1億4920万ドルで高額落札された。第1部、第2部と合わせると合計売上高は16億2224万9500ドル(約2271億円)に達し、これは単一のオークションでの最高の合計売上だと発表されている。

実はこのオークションには、第1部にエドワード・スタイケン、2部には、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、ポール・ストランド、アーヴィング・ペン、アンドレアス・グルスキー、トーマス・シュトゥルートの合計7点の写真作品も出品されている。世界的コレクションの中に写真作品が当たり前に含まれている事実は、写真はもはや独立したカテゴリーではなく、アート表現の一形態になっていることを意味すると思う。

Christie’s NY, EDWARD STEICHEN ,”The Flatiron, 1904″

最高額はエドワード・スタイケンの有名作「The Flatiron、1904」。1905年にプリントされた正真正銘のヴィンテージ・プリントで、落札予想価格200~300万ドルのところ、なんと1184万ドル(約16.57億円)で落札された。これは今年の5月に1240万ドル落札されたマン・レイの「Le Violon d’Ingres」に次ぐ、写真のオークション高額落札ランキングの第2位の記録となる。同オークションでは、ちょうど同じころに活躍した画家ジョージ・オキーフ(GEORGIA O’KEEFFE /1887-1986)の油彩画“Red Hills with Pedernal, White Clouds”がほぼ同じ価格帯の1229.8万ドル(約17.21億円)で落札されている。有名写真家の貴重なヴィンテージプリントは、1点ものの絵画と同じ価値があるのだ。いまやアート史では、写真家と画家が同じアーティストとして取り扱われるようになってきたといえるだろう。

有名写真家スタイケンの貴重な有名作が高額落札された一方で、本オークションに出品された他の写真作品の落札結果にはとても興味深い傾向が見られた。やや数字が細かくなるが、以下にその落札データを紹介しておこう。

Christie’s NY, ANDREAS GURSKY,”Bibliothek, 1999″

アンドレアス・グルスキー(ANDREAS GURSKY, 1955-)
“Bibliothek, 1999”
インクジェット・プリント/diasec表面加工、
(179 x 320.7 cm.)、エディション3/6
落札予想価格 180,000~250,000ドル
落札価格 604,800ドル

Christie’s NY, IRVING PENN, “12 Hands of Miles Davis and His Trumpet, New York, July 1, 1986”

・アーヴィング・ペン(IRVING PENN, 1917-2009)
“12 Hands of Miles Davis and His Trumpet, New York, July 1, 1986”
セレニウムトーン・シルバー・プリント
落札予想価格 30,000~50,000ドル
落札価格 195,300ドル

Christie’s NY, MAN RAY,” Swedish Landscape, 1925″

・マン・レイ(MAN RAY, 1890-1976)
“Swedish Landscape, 1925”
1点ものシルバー・プリント
落札予想価格 300,000~500,000ドル
落札価格 189,000ドル
(購入履歴)
“Photographs from the Collection of 7-Eleven, Inc., Sotheby’s, New York” 2000年4月5日、lot 26.
落札価格 258,750ドル(落札予想価格 120,000~180,000ドル)

Christie’s NY, ANDRE KERTESZ, “Cello Study, 1926”

・アンドレ・ケルテス(ANDRE KERTESZ, 1894-1985)
“Cello Study, 1926”
シルバー・プリント
落札予想価格 300,000~500,000ドル
落札価格 226,800ドル
(購入履歴)
“Christie’s, New York”
2000年4月5日、lot 214.
落札価格 314,000ドル(落札予想価格 180,000~220,000ドル)

Christie’s NY, PAUL STRAND, “Mullein Maine, 1927”

・ポール・ストランド(PAUL STRAND, 1890-1976)
“Mullein Maine, 1927”
プラチナ・プリント
落札予想価格 300,000~500,000ドル
落札価格 126,000ドル
(購入履歴)
“Phillips de Pury & Luxembourg, New York”
2002年4月15~16日、lot 42.
落札価格 607,500ドル(落札予想価格 250,000~350,000ドル)

Christie’s NY, THOMAS STRUTH, “Stellarator Wendelstein 7-X Detail, Max Planck IPP, Greifswald, Germany, 2009”

・トーマス・シュトゥルート(THOMAS STRUTH, 1954-)
“Stellarator Wendelstein 7-X Detail, Max Planck IPP, Greifswald, Germany, 2009”
タイプCプリント、エディション2/10、サイズ約165X214cm
落札予想価格 80,000~120,000ドル
落札価格 50,400ドル
(購入履歴)
“Sotheby’s, London, 2 July 2015, lot 413.”
2015年7月2日、lot 413.
落札価格 87,500ポンド(落札予想価格 70,000~90,000ポンド)

まず、スタイケン、グルスキー、ペンは落札予想価格上限を超えて落札されている。しかしそれ以外の、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、ポール・ストランド、トーマス・シュトゥルートの作品は、今回クリスティーズが設定した落札予想価格下限以下での落札だった。本セールのすべての収益は、まだ指定されていない慈善団体に送られと発表されている。落札最低額のリザーブは、通常は落札予想価格下限の近くに設定されている。今回はセールのチャリティーの趣旨から、リザーブはかなり低く設定されていたか、未設定だった可能性がある。通常のオークションだったら不落札になっていただろう。

そして、これら4作品は、いずれも過去のオークションで落札されコレクションに加わっている。そして過去の落札履歴を調べてみると衝撃的な事実が明らかになった。なんと今回の4点すべての落札価格は取得価格よりも低くなっていた。つまり今回の売却で損失が出ているのだ。ポール・ストランドなどは2002年に約60万ドルで購入したのが12.6万ドルで落札されている。

今回の結果は現在のファインアート写真市場の状況をかなり的確に反映していると考える。有名写真家の貴重なヴィンテージ・プリントでも、コレクターが有名作/代表作を好むという傾向が明らかに見て取れるのだ。ヴィンテージ・プリントの中でも、スタイケンの「The Flatiron、1904」のような、ひと目で“あの写真家の作品”とわかる写真史に残るアイコン的な作品には人気が集中する。高額落札されたアンドレアス・グルスキー、アーヴィング・ペンの作品も人気のある絵柄だ。一方で、20世紀写真界の重鎮、マン・レイ、ポール・ストランド、アンドレ・ケルテスであっても、あまり知られていない絵柄の作品は骨董的価値はあるものの市場ではコレクター人気があまりないようだ。

今回は現代アート系のトーマス・シュトゥルート作品も出品されていた。2015年の落札価格はポンド建てなので、単純に当時のドル/ポンドのレート約1.5で換算すると約13.1万ドルとなる。為替レートは大きく変化しているものの今回の落札予想価格80,000~120,000ドルは購入価格を考慮した妥当の評価だろう。
一方で落札価格50,400ドルだった。本作はシュトゥルートの代表作とは言えないだろう。どうも現代アート分野においても、アーティストの代表作に市場の人気が集中する傾向は変わらないようだ。

市場での作品価値は、1.作家のアート性、2.作家の有名度/人気、3.絵柄の有名度/人気、4.希少性(エディション等)、5.プリント自体の歴史的価値(ヴィンテージ・プリント)、6.作品コンディション、7.来歴、などが総合的に吟味されて評価が下されている。最近は、その中でも”絵柄の有名度”の比重がかなり高くなっているようだ。

今回の結果に、あまり絵柄が知られていない貴重なヴィンテージプリントや現代アート系作品を持つ美術館やコレクターは動揺したと推測される。
(1ドル/140円で換算)