定期的に開催されている東京都写真美術館のコレクション展。毎回、約3万7000点の収蔵作品を利用して、様々な切口で、色々な層の来場者を想定して写真展が企画されている。膨大なコレクションの中から自由な組み合わせが可能なだけに、担当する学芸員の発想力が問われる展示になる。
今回のコレクション展は、子供層への美術教育を意識して構想されたと思われる。日本での美術教育充実の必要性は多くのところで語られている。“13歳からのアート思考”(末永幸歩/ダイヤモンド社、2020年刊)でも、日本の美術教育は「技術/知識」偏重型であると分析している。
学芸員の武内厚子氏は、“美術館は「学習の場」、「社会情勢や現代の諸問題を知る場所」という役割が強くなった”と、本展カタログの解説文で現状分析を行い、その他の数々の役割の可能性に言及している。その新たな試みが今回のコレクション展なのだ。
本展には、もっと自由にアートに接して、感じてほしいとの狙いが隠されている。その意図が象徴的に表れているのは、参加写真家の吉野英理香が飼う小鳥のジョビンとエドワード・マイブリッジの展示写真から飛び出してきた子犬のマギーが、イラストで描かれて登場し、閉館後の美術館の展示を見て回るという設定が行われている点だ。これだけだと、まだ展示やカタログを見ていない人には全く意味不明だと思われるので、少しばかり説明を加えたい。
参加している写真家の吉野英理香は、2022年の外出制限されていたコロナ禍に、飼っている小鳥のジョビン(JOBIM)をインスタントカメラで撮影。今回そのシリーズから11点が展示されている。そのペットの小鳥ジョビンがイラスト化されているのだ。(上のカタログ表紙に描かれている) エドワード・マイブリッジは、連続写真で知られる19世紀の写真家。本展では走る犬の姿をとらえた1887年の連続写真作品が展示されている。そこから、飛び出してきたというシュールな設定で、ジョビンの相方として、子犬マギーのイラストが生まれているのだ。
会場内の壁面には、作品を鑑賞しているマギーとジョビンのイラストが所々に描かれている。明らかに子供受けを意識した設えだろう。また同展カタログ内の巻頭には、写真作品の前で自由に自分の感じ方を語り合っているマギーとジョビンの会話とイラストが「ジョビンとマギーの素敵な探検」として、まるで絵本のように紹介されている。たぶん ジョビンとマギーの 存在は、来場者の子供たちと重なっていて、彼らにも同じような姿勢で美術館で作品に向かい合って欲しいという意図だろう。
一方展示会場内には、床に座って壁面の作品と向き合うように、人工芝やクッションが置かれる仕掛けも考えられていた。
日本では、自分が作品をどのように感じているかを、言葉にして誰かに伝えるような美術教育は行われていない。子供は、作品に対しては、親、先生、友達に対しては言えないことでも、自分の気持ちを自由に主張できる。相手が作品なので誰も傷つかない。そして自分の気持ちを言葉にするのは、かなり難しい行為だという事実に気付くのだ。最初は自分の気持ちが伝えられないことをもどかしく感じるだろう。しかし、これは経験を積めば段々うまくできるようになる。実はこの行為こそはアーティストが何で自分が作品を制作しているかを説明する行為につながるのだ。
子供に、そのきっかけを与える願いが込められた、小鳥のジョビンと子犬のマギーを取り入れた企画はとても斬新だ。大人たちは、ぜひ子供とともに鑑賞に来て、彼らに作品に対しての自分の気持ちを自由に語らせてほしい。また自分の感じを子供にも伝えてはどうだろうか。
出品作家は以下の通り。膨大な収蔵作品から幅広い年齢の人の写真作品がセレクションされている。
(参加者)
相川勝、石川直樹、井上佐由紀、今井智己、潮田登久子、葛西秀樹、
北井一夫、牛腸茂雄、齋藤陽道、佐内正史、島尾伸三、鈴木のぞみ、
中平卓馬、奈良美智、畠山直哉、浜田涼、本城直季、ホンマタカシ、
山崎博、吉野英理香、エリオット・アーウィット、エドワード・マイブリッジ
タイトルのSerendipityは、思いもよらない素敵な偶然との出会いや、予想外の新しいものを発見すること。余談になるが、私はこの言葉から、ニューヨーク市にある有名なスイーツ・ショップを思い出す。90年代に、巨大サイズのデザートを食べに現地の友人に連れられて訪れたのだが、店名が特異で発音が難しかったのでよく覚えている。ここは予期せぬ素敵なスイーツを提供して来店者をもてなしていた。
本展のサブタイトルは“日常のなかの予期せぬ素敵な発見”となっている。これは写真家が日常生活で素敵なシーンを発見したという意味のようだ。しかし、私は一見は統一性がないのように感じるものの、妙に全体のおさまりが絶妙な、本展の参加写真家や作品のセレクション、そしてイラスト化された本展の影の主役である子犬のマギーと小鳥のジョビンの存在にセレンディピティを感じた。
もちろん、子供だけでなくアマチュア写真家やコレクターなどの大人でも十分に楽しめる展示内容だ。貴重で市場で高価なヴィンテージ・プリントなどの展示はないが、見どころは満載。ちなみに、本展フライヤーに掲載されている白い猫の組写真は、アジアを代表する画家の奈良美智の作品になる。プリント・クオリティーも非常に高い。彼は、写真を「その時感じた気持ちを思い出すための「記憶の栞」」であり、「後でそれを見ながら自分の感性チェックをする」ためと語っている。(図録 P-109) 有名画家の感性に写真で触れることができる貴重な機会といえるだろう。
今回の斬新な展示方法の評価は人によってかなり分かれると思う。個人的には、日本の美術館ではあまり見られない、作品展示の方向性や学芸員のメッセージが明確に感じられる優れた企画の写真展だと評価したい。