感動を起点にディープなテーマ探求を始動させる
丸山 晋一の写真世界

いまや写真は広い意味での現代アート表現のひとつになっている。現代アートでは表現者は作品を制作する理由や考え方を自らが語ることが求められる。いわゆる、作品のテーマ性の提示であり、これが社会でどれだけ共有されるかで評価が決まる。このような状況で、多くのアーティスト志望者は世の中を驚かすような斬新なアイデアをひねり出そうと頭でっかちになる。どうしても色々と考えすぎる傾向が強くなるのだ。
ところで、私たちは本当に誰も思いつかないようなオリジナルな何かを生み出せるのだろうか。私たち思い浮かべる考えの多くは、すでに社会で一般的に共有されているのではないか。また日本で生まれ育った人は、どうしても日本の文化/習慣や歴史の影響から逃れることはできないだろう。資本主義世界に生まれたら、微塵も疑うことなく、周りの人と競争してお金儲けを目指す。そしてそれらの思考や行動の背景にある自分の個性や自由な想像力だと思っていたものは、おおむね社会や組織での役割や関係性の中でしか存在しない。自分が気付かないだけで、子供からの成長過程に環境に影響を受けて作り上げられた私的な幻想、つまり思い込みにすぎないのだ。

だから作品作りでは、最初から何か新しいものを生み出そうと、いろいろとアイデアを考えすぎてはいけない。
美術家の杉本博司は、人類誕生前、そして人類滅亡後の世界にも存在する普遍的な風景として代表作「海景」を制作している。これは人類が存在しない、つまり「思考」が存在しない世界のシーンの表現を目指しているのだろう。頭で「思考」に依存しない作品の可能性を考えているのだ。非常に高レベルの創作だといえるだろう。

私がワークショップなどでいつも引用するのは、米国人写真家ジョエル・マイロウィッツさんの言葉だ。仕事のインタビューで若手/新人へのアドバイスを求めたとき、彼は米国の学生がテーマ性やコンセプト重視により頭でっかちになっている事例を挙げて、一番重要なのは、感動なのですと明言した。私は、米国では若手や新人アーティストは自分が作り出したテーマで見る側を説得しようとしていて、作品の説明がまるで相手を論破するディベートのようになっているのだ、と理解した記憶がある。
彼はまず頭で考えるのではなく、心で感じるのが重要だと指摘したのだ。つまり感動を起点にして思考を展開していくことで、過度の思い込みにとらわれない自由な創作の可能性が開かれるかもしれないということ。そして次に、一般的な創作の過程へと移っていくのだ。つまり表面的な関心を探究したいテーマへと展開していき、関連情報の収集・調査そして整理・分析を行い、作品制作へとつなげていくのだ。

“Ryoanji, 2010”

私は丸山晋一は、過度に思考にとらわれずに作品の課題を見つけ出し創作につなげている写真家だと理解している。彼は、“肉眼では見えない、儚すぎる、そのような隠れた美を発見し捉えたい”という撮影意図があると語っている。これまでの作品は人間の目では見られない美を写真というテクノロジーによって可視化する挑戦だったといえるだろう。
“空書”では、空間に水と墨を放つことで、肉眼では捕らえられない瞬間的に浮かび上がり消えていく造形をハイスピードストロボを駆使して写真で捉えている。
“Water Sculpture”は、空中に撒かれた水が形成する一瞬のフォルムを彫刻に見立て表現する試み。
“Nude”は、踊る女性の連続する動きとフォルムの美しさを可視化しようとした作品。
“Light Sculpture”は、虹の発生する原理を利用して、そこから生まれる美をとらえる長期プロジェクト。水玉に光が当たって色が現れる現象に注目して水滴の中の色の可視化する究極のビジュアル制作にも挑戦。その一貫として、誰も見たことがない、満月の真夜中に滝にかかるきれいな虹の風景撮影を厳密な計算と周到な準備の上でニュージーランドで行っている。

・「AIでなんでも画像が作れる時代に、あえて真夜中に虹を撮るためにニュージーランドで30時間挑戦した話

“Light Sculpture #31 Wishbone Falls, 2020”

今回の展示作品のなかで、やや趣向が違うのが小さいサイズの28点をタイポロジー的に展示している“Japanese Beer、2014”だ。他とは制作アプローチが違い、思考から作品テーマが導かれたように感じられる。しかし、ビールの作品に取り掛かるきっかけは、当時アメリカに在住していた丸山が感じた驚きにある。それは日本の成熟した消費社会の先進性、タレントを起用した商品差別化のマーケティング技術、優れた製造開発力、微妙な違いを味わうことができる日本の食文化への感嘆なのだ。アメリカには日本のような税率で区別された膨大な種類のビールは市場に存在しないのだ。

本作では、多くのブランドの多種多様のビールをグラスに注いで撮影している。丸山は、それぞれの銘柄の色味や質感の特徴や違いが可視化できるのではないかと予想して取り組んだのだと思う。様々なビール缶のパッケージを撮影してグリッド状で提示する可能性も考えたそうだが、あえて中身のビール自体を同じグラスに泡と液体を同じ比率で注いで撮影して、タイポロジー的に表現する方法を採用している。今回の展示は28点だ、総作品数はなんと80点もある。完璧な泡の比率のビールを繰り返し同じ手法で撮影し続ける行為は、一種の修行のような厳しい行為だったことが容易に想像できる。当時の撮影現場を知る人の話によると、集中している丸山の姿に狂気を感じたという。
その結果は展示作品を見てもらえば明らかなのだが、中身の色味には際立った違いが出現しなかったのだ。多くのビールは全く同じものにさえ見える。ちなみにギャラリー内では、QRコードが掲示されており、個別作品の展示画像をスキャンすると缶の画像が重なりビールの銘柄がわかるというARの仕掛けも用意されている。

あれだけ缶のパッケージデザインでは自己主張しているビールなのだが、その中身自体には大きな違いがない事実が視覚的に浮かび上がってくる。もちろん、ビール会社はそれぞれには微妙な味の違いがあると主張するだろう。しかし、多少味が違うこれだけの多くの銘柄が存在する理由を誰も明確に説明できないだろう。結果的に本作では日本という高度消費社会で、企業が商品の僅かな差別化で競い合って利益追求している状況が可視化されているのだ。
地球規模の持続可能な社会作りや環境保護問題を考えたとき、私たちは市場での過度の競争追求を問い直さなければならないという事実を直感的に思い知らされる。丸山は本作で“肉眼では見えない、隠れた社会の真実”を可視化しているのだ。このような、誰も否定できないような地球規模の大きな作品テーマを取り上げるのは極めて難しい。丸山は、本作でも感嘆を起点に実験的手法の実践を通して見事に作品メッセージを私たちに伝えてくれる。

丸山の創作では、完成した作品自体に意味を見出すのではなく、作品制作への取り組みを通して、自分発見や自分探しの追求を目指そうとする姿勢が見て取れる。“肉眼では見えない、隠れた美や真実”の可視化を目指す創作行為自体が大きなテーマとなっているのだ。また制作に取り組む際の尋常でない執念と行動力、その結果生まれる美しいビジュアルにギャラリー来場者は心動かされる。それとともに、彼が自らの感動/感嘆を起点として試行錯誤を行い、探し当てた宇宙観をもとに、思考にとらわれない科学的アプローチで創作を実践している点も見逃せないだろう。いま停滞している現代アート表現の新たな展開の可能性を秘めていると思う。彼の創作のこの部分が的確に理解されると、市場での作品評価はさらに高まっていくのではないだろうか。

日本での久しぶりの個展となる。ぜひ丸山晋一の“空書”から進化していった一連の創作の軌跡を堪能してほしい。

「Shinichi Maruyama Photographs 2006-2021」
丸山 晋一 写真展
2023年 4月22日 ~ 7月30日
1:00PM~6:00PM / 木曜~日曜
(月/火曜休廊/ ご注意 水曜予約制)/ 入場無料

https://blitz-gallery.com/exhi_096.html