若いとき、ケニア、ザンビア、ジンバブエなど通貨価値が安いアフリカの国々へ貧乏旅行でよく行った。現地では、ニコンの一眼レフ・カメラを携えて、広大なサバンナでのサファリ・ドライブによく出かけた。
ザンビアで英国人自然保護活動家のノーマン・カー(Norman Carr)に、「写真ばかりを撮るのではなく、自分の目で自然を見ろ」というお叱りに近いアドバイスを受けた。この言葉がずっと私の心に引っかかっていたのだが、やがてすっかりと忘れ去っていた。それが最近になって、当時の紙焼き写真をスキャニングしていると、望遠鏡で野生の動物を観察しているノーマン・カーの後ろ姿のカットが出てきた。
再び当時に聞いた彼の言葉が思い浮かんだので、改めて色々とその意味を考えてみた。ノーマン・カーの言葉を思い返すと、彼は自然風景の写真撮影が目的化し、ただ感覚的にカメラを向けシャッターを押しまくる旅行者のいわゆるカメラ・サファリの行為をたしなめたのだろうと、感じている。まず自分の目で風景をきちんと観察して、何か心動く発見があればカメラを構えて撮ればよいというアドバイスだったのではないだろうか、といまでは解釈している。そのような写真には、撮影者がその時に何に心動かされたかが残されている。時間が経過すると、それらの写真の蓄積は自分が何に反応して世界を見てきたかの記録の連なりになる。当時を振り返ると、感覚重視の写真も多いのだが、中には何か心が動いた結果に撮られたような写真も発見できた。私がよく撮っていたのは、目の前のまなざしの先に展開する何気ないシ-ン。そして、道具として使われつくした古い車、壁の劣化したポスターや看板、現地の人の引きの後ろ姿の写真などだ。自分が当時は何に反応していたのか、それがどのように今につながるかの思いが蘇ってくる。ただぼんやりと風景を眺めているだけだと、すぐに忘れ去っていただろう。
よく混同されるのが、日常生活のなかフィーリング任せでカメラを構え、意識的に「良い写真」を撮ろうとする行為だ。そのようなストリート写真の極みは、アレックス・ウェブの写真集「Dislocations」などで見られる。
目の前に展開する世界から、都市の断片、看板、サイン、光の影/反射、建造物の部分、人のファッションやジェスチャーなどのありとあらゆるビジュアルの断片や色彩の要素を1枚の写真の中に巧みに組み合わせて構成を追求する行為だ。
最近はSNSで多くの人がその巧みさを競っているように感じるが、これには経験と熟練が必要だ、下手すると陳腐なわざとらしい写真になってしまうリスクがある。
アレックス・ウェブほど巧みな写真でなく、第3者が平凡な風景写真と感じても、本人にとっては意味があるイメージであるかもしれない。それを知る手掛かりになるのは、撮影者がどのような世界観や哲学をもって生きているかによる。例えば映画監督ヴィム・ヴェンダースの風景写真。写真集「Wim Wenders:4
Real & True 2! Landscapes. Photographs」には代表作がセレクションされている。彼は人生のおける明確な生きる指針もって、映画を制作してきた。見る側がそれを意識して接すると、彼の本当に何気ない普通の風景写真が何か心に沁みて感じるようになる。
自分の中に何らかの基準がないと、どうしても目の前のシーンから感じるフィーリングやイメージ感覚を起点とした写真撮影になりがちだろう。ではどのような姿勢で撮ればよいか? 理想的には、ファインアート写真の作品テーマが明確にある、また人生における明確な生きる指針を持っていて、目の前に展開する世界でそのようなビジュアルを追求することだ。しかし、誰もが感動するような作品テーマなどは簡単に見つかるものではないし、確固とした人生の世界観構築も容易ではないだろう。
そこで何をどのように撮ったらよいかわからない多くの人に提案したいのが、いままでに紹介してきた定型ファインアート写真であり、Zen Space Photographyもそのひとつなのだ。興味ある人は詳しい取り組み方などは過去の一連のブログを読んでほしい。
そのようなアプローチで撮影された写真が蓄積されてくると、自分の過去から現在への意識の連なりが可視化される。これは、紙焼きの写真をアルバムなどで見てもあまり実感できないが、デジタル化された写真を、大きめのモニターを使いスライドショー形式で見ると効果的に振り返れる。写真をキーワードや、同じ感情の連なりなどの一定の方法で編集やグループ化していくと、自分が何に反応してきたのか、また何も考えていなかったなど、写真により可視化されるかもしれないのだ。もしかしたら、ファインアート写真制作のヒント、テーマが見えてきて、その先に自分が想像できなかったような視点を持った作品が生まれるかもしれない。
最近、写真を通して行うこの作業は人生の究極の暇つぶしではないかと感じている。写真は取り組み方によっては趣味を超えて、人の心を豊かにしてくれるライフワークになる可能性を持つのだ。