アートのコレクションは、単に自分の感覚に合ったアーティストの作品を表層の好みで買う行為ではない。また資産家が業界や市場の評判をたよりに、高級外車や腕時計などと同じように、資産ポートフォリオの一部として資金力に任せて短期間に買い集めるのでもない。よく混同されるが、特定のファッションやカルチャーのアイテムに熱狂的に興味を持ち、それらを収集している、いわゆるハイプビースト・コレクターとも違う。地道に専門書を読み、情報を収集し、美術館やギャラリーを回り経験を積み重ね、色々と自分自身に問いかけていくことが必要。様々な努力を通して自らのアート理解力を高めていかなければならない。そのように獲得した自らの視点を頼りにアート作品を購入していく行為なのだ。
それはビジネスと同じで、厳しい自己管理能力が求められる。いまは自由に生きるのが当たり前の時代、昔のようにだれも厳しい指導やアドバイスなどしてくれない。すべて自分でやり方を学んで、判断を下して、実践しなければならない。そのためには無駄になるかもしれない膨大な時間と多額なお金を投入する必要がある。
きわめてタイパやコスパの悪い、とてつもなく面倒な行為なのだ。しかしもしうまくいけば、自分のアートの評価軸が生きる指針のひとつになりうる、数少ない人のみが持てるライフワーク的な極上の趣味になるかもしれない。企業家に真摯なアート・コレクターが目立つのは、起業や経営とコレクションに親和性があるからだと思う。
ブリッツで開催中の「Blitz Photo Book Collection 2024」では、特に若い人はさらっと展示作品を見て帰っていくことが多い。これは単純に展示している1点の作品、1冊のフォトブックの背景に横たわる情報を持ってなく、それらの価値を知らないからだと思う。声をかけてきてみると、私の世代では誰もが知っている超有名写真家の名前する知らない人が多いのだ。自分の感覚に合わない写真家には興味があまりないようだ。
多くの若い人はどのような音楽を聴くかと同じようなスタンスで、ただ自分好みの写真を求めているのではないかと思えてくる。ただ感覚的に好きなイメージを探し、その連なりを追い求めるのはイメージの消費行為でしかない。なかなかコレクションへと興味が展開していかない。主観による表層的な好みの追求では、常に新しい誰かのイメージを求める行為の繰り返しになる。暇つぶしのような行為になってしまう。個性だと思っている自分の写真に対するテイストだが、実は様々な社会からの影響を受けて成立している事実にも気づかないだろう。耳に心地よいヒット曲を追い求めて聴くだけでは、すぐに飽きて次の新しい刺激を求める行為の繰り返しになるのと同じ構図なのだ。
いまアート写真やフォトブックも、他分野と同様に情報量が増えすぎている。写真関連の表現はデジタル化で制作コストが下がり情報発信の敷居も低くなった。厳しい編集者、ギャラリスト、デザイナーの目を通さずに、誰でも自由に創作できて発表できるようになった。かつては、専門家が認めたものだけが作品として発表された。その評価はコレクションの際に参考になったものだ。いまや写真関連の表現の質は本当に玉石混交になっている。情報量があまりにも多いので、いくら専門家でも、すべてに目を通すことなど不可能な状況といえるだろう。
コレクションは一人の写真家の一枚の写真との運命的な出会いからはじまり、そこから展開していく。では何を手掛かりにコレクションに値する自分好みのアート写真やフォトブックを膨大な数の中から見つけ出せばよいのだろうか?コレクターの理想は、まだ誰も知らない隠れた才能を見つけ出していち早く購入することだろう。しかし、それは運が良いコレクション上級者のみが可能な夢物語。
初心者がコレクションを始める際には、まずはキャリアの長い写真家により創作されて、社会で多くの人に共感されているものの中から、自分好みを見つけ出すことを薦めたい。フォトブックのガイド本に掲載されたもの、老舗ギャラリーの企画展で複数回紹介されている人の作品に注目してほしい。
こちらは古書になっているが、私が書いた「アート写真集ベストセレクション101」(2014年/玄光社刊)には、洋書のフォトブックガイド本のガイドがリスト化して掲載されているので参考にしてほしい。単純に言えば、上記のような作品やフォトブックは、売れている、客がついていると判断できるのだ。
フォトブック評価の場合、私が参考にしているのが、写真家が過去に出したフォトブックの古書市場での評価だ。毎年膨大な数のフォトブックが刊行される。残念ながらほとんどは売れ残って、しばらく時間が経過しても、新品で購入可能な状況が続く。時間経過とともにしだいに取り扱い業者が減少していき、それらは中古市場では二足三文で売られるようになる。それでも売れ残っている場合は、書店/古書店も店頭やサイトで取り扱わなくなる。本を検索しても出てこなくなるし、だいたい検索する人もいなくなるだろう。
一方で、完売して古書市場で高額で売られている写真家のフォトブックも存在する。それは、最初は一部の人の主観的評価だったのが、より多くの人の評価につながり、需要が存在しているということ。自分の好みの写真を撮る人がみつかり、過去のフォトブックが高価な場合は、更なるチェックをしてみよう。
フォトブックが高価な理由は、市場ではそれらは本ではなくアート写真表現のフォトブック形式のマルチプル作品だと認識されているからなのだ。本ではなく作品だと認識すると見方が変わるだろう。
ではどのようにアート・コレクションを展開すればよいのだろうか。気になった写真家の作品やフォトブックがみつかったら、次のステップとして意識的にその人の一連の作品集を買って見てみよう。何冊か本を見ると、しだいにその人の写真スタイルが把握できるようになる。そして、その人が誰に影響を受けたか、また同様のスタイルの人の存在を調べてみる。これは写真史/アート史でのその人の位置づけを把握することだ。更に好きになるかもしれないし、やや自分の感覚とは違うと感じるかもしれない。自分の興味が続かず、投入した時間やお金が無駄になる可能性もある。コレクションの入り口はその繰り返しになるので、極めてタイパとコスパの悪い趣味の世界なのだ。
もし更に写真への関心が高まった場合、次のステージでは制作の背景にある写真家のメッセージに注目し、何でその本が市場で評価されているかの読み解きを行ってみる。ここが気に入ったイメージを繰り返し消費するのとは大きく違う点になる。まずその人が作品を制作している背景を能動的に読みとこうとするのだ。
写真はいまや現代アートにおける表現方法の一部になっている。たぶん聞いたことがあるだろうが、写真家が追求してきた作品のアイデア、テーマ、コンセプトなどのことだ。
これからは、従来の「20世紀写真」は伝統的な写真表現として残るものの、それ以降の現代写真での表現は全く違う分野になる。従来の「20世紀写真」でも、写真家が表現するその背景にどのような当時の社会との接点があったかが再評価の基準になっている。ぜひ写真の表層を感覚的にとらえるだけでなく、写真のポートフォリオやフォトブックを通して写真家が何を社会で感じて見る側に伝えようとしているかを、能動的に読み取る努力を惜しまないでほしい。
そして次のさらに高度なステップとなる。
写真家が問題提起しているメッセージが自分のエゴの押し付けや自己満足であっては、多くの人に共感されない。社会における、一般の人が見落としている、もしくは気づかない様々な価値観との関係性が重要になる。写真作品により、私たち見る側は新たな視点を獲得して、社会生活で思い込みにとらわれている自らを客観視するきっかけを与えてくれる。コレクションを続けていると、多くの人が一生気づかない、自分独自の世界を評価する視点が獲得できるかもしれない。これこそがアート・コレクションが高度な知的遊戯と言われる理由であり、現代写真の面白さであり魅力なのだ。このあたりの状況は「ファインアート写真の見方」(2021年/玄光社刊)で詳しく書いているので、興味ある人は参考にしてほしい。
ギャラリーが今回のような雑多な写真作品とフォトブックを展示する企画を行う意図に触れておこう。展示されている写真作品は、かつて国内外のギャラリーの個展で発表後に、オークションなどのセカンダリー市場で取引されているもの。
フォトブックは新刊で発売され、完売後に市場での評価を獲得した末に古書市場で高価になっているもの。このイベントではギャラリーがセレクションしたこのような時代の評価の荒波の中で生き残ってきた写真作品とフォトブックが展示されている。コレクションに関心のある人に自分好みの写真作品との出会いの場を手っ取り早く提供をしているのだ。取り組みがやや面倒なアート・コレクション、それでも興味ある人はぜひ本展を見に来てほしい。知らないこと、不明な点があれば勇気を出してギャラリーの人に質問してみよう。その方が自分で全部の情報収集をするよりもはるかにコスパ/タイパが良い。
「Blitz Photo Book Collection 2024」
2024年5月8日(水)~7月7日(日)
13時~18時、月/火曜 休廊