アート&トラベル
岡田紅陽「湖畔の春」撮影地
本栖湖/中ノ倉峠展望デッキ

風景写真が趣味の人は、機会があれば名作が生まれた撮影場所を訪れてみたいと思うものです。
北海道にはイギリス人写真家マイケル・ケンナが撮影した写真愛好家の聖地が点在しています。洞爺湖のおすすめフォトスポットでもある「ケンナの桟橋」、またいまは伐採されてしまった屈斜路湖畔のミズナラの木は「ケンナの木」と呼ばれていました。

岡田紅陽「湖畔の春」、1935年

今回の「アート&トラベル」は、東京からも日帰りが可能な、岡田紅陽(1895~1972年)が撮影した富士山撮影の聖地を紹介します。財布に入っている2004年に発行された1000円札の裏面には、桜越しの富士山と湖に映る「逆さ富士」の絵柄が描かれています。またいまは見られなくなった1984年の旧5千円札にも湖畔の松の木越しの富士山が描かれています。
これらお札に描かれたデザイン図のもとになっているのが、山梨県の富士五湖の一つ本栖湖(もとすこ)で岡田紅陽が1935年に撮影した「湖畔の春」なのです。お札の富士山は写真をベースに桜や松を加えたりしてデザインされているのです。

撮影地は本栖湖の北西湖岸の身延町にあり、実際のポイントは青湖峠の頂上のにある岩の上で撮影されたとのことです。さすがに一般の人が行くには危険が伴うので、近くの中ノ倉峠(標高1082m)に2016年11月に展望デッキが整備設置されています。いまでは湖畔の駐車場から山道を約30分登ると到達できます。

ここが湖畔の駐車場横にある登山道入り口。看板の裏側を登っていきます。

ここへはJR「下部温泉駅」からバス、タクシーでのアクセスも可能ですが、クルマが便利だと思います。東京方面からは中央自動車道河口湖IC経由で国道300号を西に進んで、中ノ倉トンネル手前を県道709号へ左折します。所要時間はICから約35分程度です。本栖湖畔の浩庵セントラルロッジ、公衆トイレが登山道入り口に近いので、ここを目指すとよいでしょう。 周りに駐車場がありますが、スペース数は多くなく、休日にはすぐに満車になりそうです。
ちなみに浩庵キャンプ場や公衆トイレ前のベンチは、アニメ『ゆるキャン△』第一話に登場した聖地とのことです。

この中ノ倉峠展望デッキとそこに至る山道については現地のパンフレットやガイド本を調べてもあまり詳しい情報がありませんでした。入り口で山から降りてくる女性を含む若者グループに出会いました。どのくらいかかりますかと聞いてみたところ、約20分くらいで行けますよと平然と言っていたので、初心者向けのハイキング・コースのようなイメージを持って出発しました。

このような急斜面のワイルドな登山道が続きます!

しかし、登り始めるとそのような甘い気持ちはすぐに吹っ飛びました。道は最低限の整備しか行われてなく、かなり急こう配が多く、またゴツゴツとした岩場や足場の不安定な場所をぬう細い道でつづら折りで登りが続くという状況で、完全に登山でした。急な山の斜面を登るので、靴が滑ったり、体のバランスを崩すと転げ落ちそうなスリルがあります。しかし、一本道なので道に迷う心配はないでしょう。
当日はローカットのソールが柔らかいスニーカー着用でしたが、登山靴・トレッキングシューズの方が登りやすいでしょう。また、ペットボトルを持って行かなかったのも失敗でした。ハードな運動で汗をかきまくるので、水分補給は絶対に必要です。私の当日の服装は半袖のカジュアルウェアでしたが、道中には大きな岩や倒木もあるので危険です。長袖、長ズボンの方が賢明、短パン、サンダルは絶対にやめた方が良いでしょう。

約30分のかなりハードな登山ののち、展望デッキに到着です。
厳しい肉体運動で日常の邪念は完全に消え去り、真っ新な心で富士山や本栖湖と対面できます。デッキは木製の階段状の作りになっており、座って景色を堪能できます。
ここから見られる、濃い緑の山肌、ブルーの本栖湖、そして壮大な富士山の風景はまさに絶景。疲れも吹っ飛んでしまいました。かなり寒いと思いますが、富士山の山頂に雪が残っている季節に来てみたいと、すぐに邪念がわいてきました。平日だったこともあり、展望台には外国人カップル一組がいただけ、登山、下山の途中に誰とも会いませんでした。

湖畔の駐車場の周りでも、十分に美しい富士山と湖の風景は満喫できます。しかし、峠の高い位置にある展望デッキから風景は全く違って感じられました。ちなみに、スマホの運動データを確認したところ、当日の歩数は5500歩くらいでしたが高低差はなんと38階と出ていました。

本栖湖畔の看板を改めて確認すると、「中ノ倉峠登山道」展望地まで680m(約30分)と記載されていました。これは楽なハイキング30分ではなく、ハードな登山30分だったのです。

実際に撮影地に赴くと名作が生まれた背景に思いを馳せることができます。当時40歳くらいだった岡田江陽は、まだ山道が整備されていなかった戦前に、それも雪が残る寒い時期に大型カメラを背負って、常宿にしていた民宿の浩庵と峠を何度も往復したのだと思います。ちなみに逆さ富士は年間を通して春に1~2回くらいしか見られない稀な現象とのことです。
富士山の名作を撮影するための写真家の並々ならぬ執念が感じられます。撮影と登山は一体で、それ自体が一種の修行のような行為であり、作品コンセプトの一部だったのです。

身延山ロープウェイ、奥に富士山の頂が見えます。

本栖湖がある山梨県身延町には東京から日帰りは可能です。もし時間的余裕があれば日本の名湯百選にも選出された下部温泉郷に一泊して、歴史と文化が息づく日蓮宗総本山身延山久遠寺も訪れたいです。

身延山久遠寺と身延山山頂・奥之院思親閣を結ぶ関東一の高低差763mを誇る身延山ロープウェイもお薦めです。全長1,665m、片道所要時間約7分で、富士山や南アルプス、八ヶ岳連峰や駿河湾までの絶景の大パノラマを満喫できます。

岡田紅陽(おかだ・こうよう)OKADA,Koyo
1895(明治28)年~1972(昭和47)年
1895年、新潟県十日町市中条生まれ。1918年、早稲田大学法律科を卒業。早稲田大学在学中からライフワークとして約60年以上に渡り富士を撮り続けた富士山写真の第一人者。富士山に関わる多数の写真集があります。最初は富士の秀麗な姿、美しいフォルムを追求していましたが、50歳を超えたくらいから撮影スタンスが変化。次第に自分の精神状態や心が反映した富士を撮影するようになります。1935年に本栖湖で撮影された作品「湖畔の春」は旧五千円札、千円札の図版デザインのベースになっています。

(参考記事)
新旧お札・逆さ富士の不思議
日本富士山協会のウェブサイト