「DUFFY… FASHION / PORTRAITS」開催!
ダフィーによる60~70年代の珠玉のファッション/ポートレイト

ブリッツ・ギャラリーは、主に60 ~ 70年代にかけて、ファッション雑誌、広告、ボートレイトの分野で活躍した英国人写真家ダフィー(Brian Duffy 1933-2010)の写真展「DUFFY… FASHION / PORTRAITS」(ダフィー…ファション/ポートレイト展)を2024年10月から開催する。本展ではダフィーのキャリアの軌跡を本格的に紹介。彼の作品をパート1ではファッション写真中心に、パート2ではポートレイト写真を中心に展示する。彼は、デビット・ベイリー、テレス・ドノヴァンとともに60年代スウィンギング・ロンドンの偉大なイメージ・メーカーだった。また彼ら自身も、被写体の有名俳優、ミュージシャン、モデルと同様のスター・フォトグラファーだった。3人の写真家はそれまで主流だった、ライティングで厳密にコントロールされた写真スタジオでのポートレイト撮影を拒否。ファッション写真にドキュメンタリー的な要素を取り込んで、業界の基準を大きく変えた革新者だった。彼らこそは、いまでは当たり前のストリートでのファッション・フォトの先駆者たちだったのだ。

ダフィーのキャリアは、ザ・サンデータイムズの仕事から始まる。その後1957~1963年まではブリティシュ・ヴォーグ誌で仕事を行い、ジーン・シュリンプトンなどのトップ・モデルを撮影。60年代はフランスのエル誌など英国以外の雑誌、新聞で活躍する。70年代以降は、ベンソン&ヘッジス、スミノフの広告キャンペーン、2度に渡るピレリー・カレンダー(1967年、1973年)の仕事で知られている。本展パート1では、これらのファッション写真を中心に約28点を展示する。特に、時代の憧れであったスポーツカーとファッションの斬新な融合が見どころだ。ジャガーEタイプ、アストン・マーチン、メルセデス・ベンツ、ミニ・クーパー、アルファスッドなどが積極的に作品に取り上げられている

またダフィーは時代を代表する、シドニー・ポワティエ、マイケル・ケイン、トム・コートニー、サミー・デイヴィス・ジュニア、ニーナ・シモン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、チャールストン・ヘストン、ウィリアム・バロウズ、アーノルド・シュワルツェネッガー、ブリジッド・バルドーなどのセレブリティーを撮影している。特にミュージシャンのデヴィッド・ボウイ(1947.1.8 – 2016.1.10)と深い交流があり、70年代には“ジギー・スターダスト Ziggy Stardust”(1972年)、“アラジン・セイン Aladdin Sane”(1973年)、“シン・ホワイト・デューク The Thin White Duke”(1975年)、“ロジャー Lodger”(1979年)、“スケアリー・モンスターズ Scary Monsters”(1980年)の5回の撮影セッションを行っている。特にアラジン・セインのアルバムジャケットに使用された写真は極めて有名で、「ポップ・カルチャーにおけるモナリザ」とも呼ばれている。これらの珠玉のポートレートはパート2で約25点が展示される。ボウイの特集コーナーも設置する予定だ。

ダフィーは、撮影に多くの自由裁量が与えられたファッションやポートレイト写真の延長線上にアート表現の可能性があると信じていた。しかし彼の活躍した時代のファイン・アート写真界では、モノクロの抽象美やプリントのクオリティーを愛でるものが主流だった。作り物のイメージであるファッション写真にアート性はないと考える人も多かった。ファッション写真家が繊細な感性から紡ぎだす、時代の気分や雰囲気はアート表現だとは認識されていなかったのだ。彼は、「In my time there was no such things Art photography(私の時代にはアート・フォトグラフィーのようなものは存在していなかった)」と語っている。アート志向が強いダウィーは写真表現の未来に絶望する。そして1979年には写真撮影の仕事をやめてしまい、スタジオ裏庭で多くのネガを燃やしてしまう。ファッションやポートレートがファイン・アートとして業界や市場で認識されるのは1990年代になってから。いまでは最も注目されるコレクション分野に成長している。

しかしこれには後日談がある。2006年から息子のクリスがダフィーの資料精査を開始するのだ。幸運にも全てのネガが消失していないことが判明し、新たに多くのネガが再発見された。その後2011年に、ダフィー作品は「DUFFY… PHOTOGRAPHER」(ACC Art Books)として写真集化が実現するのだ。その後、60年代ブームの訪れとともに、当時に活躍したベイリー、ドノヴァンに次ぐ第3の男として再注目され、写真展が世界中で数多く開催されるようになる。2013年夏、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された“DAVID BOWIE is”展では、ダフィーのアラジン・セイン・セッションでのボウイが目を開いた未使用カット作品がメイン・ヴィジュアルに採用され大きな話題になり、ダフィー人気が再燃するのだ。(同展は2017年東京で巡回開催)。

ブリッツでは、2014年の「DUFFY… PHOTOGRAPHER」(ダフィー・フォトグラファー展)、2017年の「Duffy/Bowie-Five Sessions」(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ展)以来の開催となる。本展で展示されるのは、作家の意思を受け継いだ息子クリス・ダフィーが運営するダフィー・アーカイブが監修/制作したエステート・プリント作品。また日本のコレクター向けに、今回のブリッツでの写真展限定プリントもリーズナブルな価格で特別販売される。サイズ約31 X 21cm/27 X 27cm、プリントにアーカイブのエンボス/サイン入り作品証明書付きとなる。コレクター初心者には最適の写真作品だろう。60年代~70年代の気分や雰囲気が楽しめる、ダフィーによる珠玉のファッション/ポートレート作品をぜひご高覧ください。

DUFFY…FASHION/PORTRAITS ダフィー…ファッション/ポートレイト展
Part 1 FASHION : 2024年10月16日 (水)~12月22日 (日)
Part 2 PORTRAITS : 2025年1月15日 (水)~3月22日 (土)
1:00PM~6:00PM/休廊 月・火・/入場無料


ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064  東京都目黒区下目黒6-20-29  TEL 03-3714-0552
JR目黒駅からバス、目黒消防署下車徒歩3分 / 東急東横線学芸大学下車徒歩15分

公式サイト

細江英公さんを偲ぶ
Eikoh Hosoe, 1933 – 2024

ソウル・フォト2013年

写真家の細江英公さんが、2024年9月16日(月)、91歳で永眠されました。私は生前の細江さんに何回か会って話をしたことがあります。
最初は、たしかファインアート写真市場についての業界団体の講演会にともに参加した時でした。君の話は講義だな、と言われた記憶があります。たぶんまだ若かった私の話の内容が小難しかったのだと思います。その時の、自身の体験がもとに話された写真プリントに関するトークは経験の浅いギャラリストには非常に参考になりました。
細江さんが海外で展覧会を開催した時に、先方が写真を買い上げてくれたことになったそうです。帰国後に、プリントして万年筆でサインをして現地に送ったところ、インクは色が抜けたり変色するので鉛筆でサインするようにと返却されてきたというエピソードはいまでもよく覚えています。私の記憶は定かではないのですが、たぶんそれは1969年に米国スミソニアン博物館で開催された海外初個展の「Man and Woman」の時のことではないかと思います。

おとこと女 : 細江英公 写真集、カメラアート社、昭和36年刊

そして写真撮影から数年以内にプリントされたヴィンテージ・プリントの価値とそれらの保存の必要性についても語られたと記憶しています。
20世紀写真の場合、写真撮影時の感覚が一番的確に写真に反映されているのが撮影時に近いときにプリントされたものという考え方です。時間経過に従い、当初の感動してシャッターを押した感覚が薄れてしまうという解釈です。いまでは、撮影時のプリント制作データはきちんと記録されています。これは写真がファインアートとしての認識が薄かった時代の価値観でした。特に日本ではネガがあればいつでもプリントできるという考えが主流で、ネガは大事に収蔵するが、プリント自体は重要視にされていなかったのです。引っ越しの際には紙の印画紙は大きな荷物になるので処分することも多かったそうです。細江さんは海外との交流から、その価値に気付き、ガレージを写真プリントの収蔵庫に改装して保存したと語っていました。実際のところ日本の写真界の重鎮といわれる木村伊兵衛などの写真家でもヴィンテージ・プリントはほとんど残っていないと聞いています。

たぶん細江さんこそが海外での経験から日本の写真家で初めて写真プリントがアート作品になりうると気付き、公共機関でのコレクションの必要性を意識した人だと思います。それがのちの 東京工芸大学のコレクション、清里フォトアートミュージアムの設立、またワークショップの開催につながったのでしょう。

清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)

細江さんの功績のひとつは1995年に清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)設立に尽力されたことです。ブリッツ・ギャラリーは、2013年の韓国ソウルで開催されたフォトフェアのソウル・フォトに出品しましたが、細江さんもKMoPAのフェアでの展示に合わせて参加されていました。細江さんは美術館の「ヤング・ポートフォリオ」プログラムを通して、世界の多くの若い才能を発掘し育成することに力を置いてきました。韓国からの参加者募集のためにソウルに来たとのことでした。私どものブースにも気さくに来てくれ声をかけてくれましたので、その時の写真を紹介しておきます(最初の写真)。その際、細江仕様にカスタマイズされたリコーGRカメラにみんなの目が釘付けでした。ネーム・タグには、Hosoe Toshihiro(ほそえ としひろ)と本名が書かれていました。

細江さんとお会いできて、お話をきくことができ本当に光栄でした。彼こそは日本に写真がファインアートとしてコレクションになりうることを紹介し、写真市場の発展に尽力した最初の写真家でした。細江さんの写真家の多方面にわたる業績はこれからも語り継がれることになるでしょう。ご冥福を心からお祈り致します。

清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)
略歴などが紹介されています。