20世紀の写真ギャラリー経営
アナログ時代の仕事術(1)

ロンドンの老舗フォト・ギャラリーのハミルトンズ

私どものギャラリーは開業以来、主に海外アーティストの作品を日本に紹介してきた。ネットが存在しなかった20世紀後半にどのように仕事を行ってきたかを記録を残す意味も込めて紹介しておこう。

すべてはニューヨーク、ロンドンなどの気になる写真家の作品の取り扱いギャラリー訪問から始まる。日本の新設ギャラリーが信用を得る方法はただ一つ、何回か現地を訪問して、そのたびに作品購入して顔を覚えてもらい個人的な信頼関係を構築していくのだ。
日本での写真展開催には、海外から作品を借りてくる必要がある。信頼されることで作品を提供してくれるようになるのだ。通常は、ギャランティーという、作品の一部買い取りが借りる条件となる。

NYで開催される世界最大のフォトフェアのフォトグラフィー・ショー


いまは海外のギャラリーやアーティストのスタジオとの連絡はeメールだが、インターネット普及前の連絡はFAXだった。事務の流れは、まずワープロでレターを書くことから始まる。翻訳ソフト/サイトなどないので辞書片手に悪戦苦闘したものだ。文章をプリントアウトしてFAXで先方に送る、そして返答も同じくFAXでの受け取りだ。写真作品を取り扱うので、画像を先方に送る機会も多い。それもすべてモノクロのFAXでの時間もコストもかかる受送信だった。毎朝の送られてきた受信FAXの確認、機械のロール紙管理は重要な仕事だった。その上、FAXはすべてアナログなので、膨大な量の紙が残ることになる。毎日、送受信しているeメール、受信トレイやフォルダーに保存されているものすべてが紙として物理的に残ることを想像して欲しい。いまのメールと同様に5年くらいは保存していたので、その量は膨大になった。保存方法も物理的なフォルダーやファイルに紙を入れて残していた。

NYの書店Rizzoli、ちょうどアヴェドンの写真集” An autobiography”が刊行された時

海外の最新写真展情報を得る手段は、実際に現地に行くしかなかった。現地ギャラリーに行って、お願いすると日本にも写真展のDMを郵送してくれた。彼らも情報提供の手段はDM郵送しかなかったのだ。それも顧客に存在感をアピールするためにデザインやサイズにはかなりこだわりがあった。海外の家庭では、美しいデザインのカードはインテリア内に飾る習慣があり、それを意識していると聞いたことがあった。それらのカードは今でも保存している。機会があれば展示やブログなどで紹介したいと考えている。

ファインアート写真の中心地はNYだったので、春か秋のオークションやフォトフェアーには可能な限り出張して情報収集と作品/フォトブック仕入れを行っていた。90年代前半、ドル円の為替レートは125~140円程度に推移していたが、その後は円高になって少し仕入れが楽になった。いまの為替レートは当時以上にドル高/円安だ。海外から作品を輸入するには厳しい環境だといえるだろう。業界を見渡すに、最近は外国人写真家の日本での展示が美術館、ギャラリーでも減ってきている。東京都写真美術館では、いまアレック・ソスの展覧会を開催中だが、外国人写真家の個展は約5年ぶりだそうだ。 

90年代、広尾時代のブリッツの展示風景、デボラ・ターバヴィル展

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  20世紀には写真展をアピールする方法もいまとは全く違っていた。ギャラリーは公式サイトやメールマガジンなどのメディアを持たなかったので、既存の新聞や雑誌メディアに情報拡散を依存していた。写真展のプレスキットは、展示内容を紹介するプレスリリースと代表的ビジュアルを紹介するプレスプリントによる。プレスプリントは、オリジナル作品を複写して、封筒に入るサイズのサービス版くらいの紙焼きを用意していた。それらを思いつく限りのメディアに郵送していたのだ。特に新しいギャラリーは、どこかのメディアで紹介されない限り誰にも存在が知られることがなかったのだ。したがってギャラリー来廊者の個人情報は非常に貴重だった。
若い人は芳名帳という言葉を知っているだろうか。ギャラリー来場者が名前や住所などの個人情報を記載する一種の名簿で、ギャラリーの入り口付近には必ず置かれていた。レンタルギャラリーが多い日本では、知り合いが見に来たことを主催者の写真家に伝える意味で用意されていた。来場者の情報収集のために芳名帳は必需品で、店頭では次回展の案内のDMを郵送するので、と伝えて名前と住所を書いてもらうように営業したものだ。そして、実際に写真展のDMはすべての芳名帳記入者に郵送していた。来廊者にも自分の個人情報公開に関する意識は今のように高くはなった。カメラ付き携帯電話など存在しないので、芳名帳の記載者情報が外部に漏れる心配もあまりなかったのだ。

次回、アナログ時代の仕事術(2)に続く