リチャード・プリンスのカウボーイ・シリーズ
オークション高額落札の背景を考察する

2024年の写真関連オークション。最高落札額は、既報のようにリチャード・プリンス(1949 – )による1997年のカウボーイ作品だった。クリスティーズ・ロンドンで209.7万 ポンドで(ドル換算260万ドル強)で落札、プリンスのカウボーイ作品は2年連続の1位獲得となった。また2024年の2位と3位もプリンスのカウボーイ作品だった。

ちなみにこのシリーズの最高落札額は、2014年5月12日にクリスティーズ・ニューヨークで落札された「Untitled (Cowboy), 1998」の$3,749,000。プリンス作品の最高落札額は、同じく2014年5月12日にクリスティーズ・ニューヨークで落札された「Spiritual America, 1981」の$$3,973,000.となる。

いまでは「Cowboy(カウボーイ)」は、「Nurse paintings(ナース)」、「Girlfriends(ガールフレンド)」、 「Joke paintings(ジョーク)」と並んで、彼を代表する長寿の人気シリーズとなっている。本作はマルボロ・タバコの広告を複写して拡大したシリーズとなる。実際のところ、何でこのシリーズのコレクター人気がこれほど高いのか、多くの日本人のアート写真ファンは不思議に思っているだろう。今回は、高額落札の背景を検証してみよう。

Christie’s NY, Richard Prince「Untitled (Cowboy), 1998」

まずマルボロのキャンペーンについて確認しておく。カウボーイの「マルボロ・マン」キャンペーンは、1955年から1999年まで展開されたもの。世界で最も成功した広告手法のひとつといわれている。この広告戦略のおかげで、1972年に同社は世界ナンバーワンのタバコブランドとなり、以来その地位を維持している。今日、マルボロは世界中で230億ドルを稼ぎ出し、もちろん健康被害が知られているタバコ製品を販売している。

1970年代半ば、リチャード・プリンスは、タイムライフ・パブリケーションズ(現タイム社)に勤務し、毎日出版物に目を通していた。彼はアメリカ文化の原型をシンプルかつ喚起的に描いたマルボロの広告に創作の可能性を見出すのだ。プリンスは元の広告に微妙な変更を加え、画像を拡大して、文字部分を切り取った後、再び写真撮影した。
彼は広告作品を商業的な文脈から取り出し、自身の「Untitled (Cowboy) 」シリーズとして再ブランディングし、ギャラリーで紹介することにより「アート」作品に作り変えたのだ。

1980年代に発表された初期「カウボーイ」シリーズにより、プリンスはポストモダン表現として知られるアプロプリエーション・アートの代表的なアーティストの一人として評価されるようになる。
アプロプリエーション・アートとは、人間が作り出した視覚文化の表現を適切に採用、借用、再利用し、それらをサンプルとして利用して表現すること。プリンスはいまでは、「Untitled Film Stills」シリーズで知られるシンディ・シャーマンやジョン・バルデッサリらとともに、ピクチャーズ・ジェネレーションと呼ばれるアーティスト・グループの主要メンバーであり、アメリカのメディア文化を批判的に分析するアーティストだと知られるようになっている。

Christie’s London, Richard Prince「Untitled (Cowboy), 1997」

このマルボロ・マンの広告の複写である「カウボーイ」シリーズは、アメリカの白人男性の男らしさを理想化したものといわれている。ラルフ・ローレン・ブランドは象徴的なポロ用の小馬のイメージを使用してブランドを識別させ、関連付けているが、マルボロ・マンもそれと同様の戦略なのだ。プリンスのカウボーイたちは、ブーツにテンガロンハットをかぶり、ステレオタイプのカウボーイ像をイメージさせるあらゆる典型的な道具を身につけた男たちとして描かれている。広告の舞台はアメリカ西部で、サボテンや転がる草に挟まれた石の露頭がある乾燥した風景で、夕日が背景であったりする。マルボロの広告はディテールにまで細心の注意を払って演出されているのだ。

時代的な背景を見てみよう。20世紀になり、カウボーイは神話的なオール・アメリカン・ヒーローとなり、男らしさ、逆境への勝利、勇敢さの象徴として、ハリウッド映画や人気のコミック・ブックに登場するようになる。風景の美しさを背景にした孤独なカウボーイの大規模な映画的表現が、乗り越えられない困難にもかかわらず、たった一人でそれらに立ち向かう逞しい理想的なアメリカ白人男性の理想像を提示しているのだ。そしてこのイメージはマルボロ・タバコ会社によって、無骨で個性的なアメリカン・ヒーローの典型的な男性像はとし流布されるようになる。そのような理想像を支持しあこがれる男性はマルボロ・タバコを好むという広告戦力なのだ。

Christie’s NY, Richard Prince「Untitled (Silhouette Cowboy), 1998」

プリンスはこのような神話的なアメリカ西部のカウボーイなどの探求を続け、作品でこのステレオタイプの「馬に乗ったマッチョな男」という商業的描写が、本当に独創的でリアルであるかを私たちに問いかけているわけだ。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館の写真学芸員であるマリア・モリス・ハンブルクは、「彼は 、メディアがいかに 現代の社会において絶対不可欠な存在であり、私たちの生活に徹底的に浸透しているかを、より早く非常に早熟な方法で理解したのです」と発言、またソロモン・R・グッゲンハイム美術館のナンシー・スペクターは、「プリンスが既存の写真を流用することは、決して単なるコピーではない。むしろ、イメージから一種の写真的無意識を抽出し、その意味と制作に関する抑圧された真実を前面に押し出している。」と評価している。(N. Spector, in Richard Prince: Spiritual America, exh. cat., Solomon R. Guggenheim Museum, New York, 2007, p. 26)。

また21世紀のアメリカでは、中間層が没落し、格差が拡大したことで、このような理想的なマッチョで強い自信にあふれた男性などは存在しないだろう。今はなきかつての古き良き時代の憧れの存在が作品で表現されているからこそ、多くの人がプリンスの「カウボーイ」シリーズに魅了されるのだと思われる。

このような過去を懐かしむメンタリティーは高額な作品が買えない一般人にも見られるようだ。人気はフォトブック市場にも波及している。2020年にプリンスのカウボーイ・シリーズを収録した「Richard Prince: Cowboy」( Prestel 刊)という分厚いフォトブックが刊行された。発売当時、アマゾンでは7,600円程度で購入できた。その後、瞬く間に完売してレアブックとなり、今では古書市場で最低でも500ドル(約7.5万円)もする高騰ぶりだ。

作品サイズも「カウボーイ」シリーズの魅力のひとつだ。1位作 (127 x 191.6cm.)、2位作 (123.5 x 185.5 cm.)、3位作 (121.6 x 182.8 cm.)の絵画同様の大判サイズで制作されている。またエディションが2点、アーティスト・プルーフ1点という希少性が極めて高い作品でもある。これも高額落札の背景にあるのだろう。
「ファインアート写真の見方」(玄光社刊)で分類したように、写真家の創作に対するアイデア/コンセプトが明快なファインアート分野の現代写真のうち、サイズが巨大で、エディションが少ない作品は「現代アート系」、サイズが従来の20世紀写真と同様でエディションが多めの作品は「21世紀写真」としている。

クリスティーズのオークションカタログの解説では2位の「Untitled (Cowboy)、1999」を取り上げ、カウボーイ・シリーズで展開されアメリカ西部の壮大なスケールのパノラマ的シーンは、トーマス・コールなどアメリカ風景画家のグループによる、19世紀中頃の美術運動ハドソン・リバー派の偉大な風景画を思い起こさせるとしている。作品中に存在するカウボーイを通して、圧倒的な自然の素晴らしさの中では人間は取るに足らない存在であることを伝えていると指摘している。自然を人間が支配するという西洋の合理主義的な発想に疑問符を投げかける、環境保護的な文脈での作品評価の可能性を示している。これは、3位作品の
「Untitled (Silhouette Cowboy), 1999」にも当てはまるだろう。

Christie’s NY, Richard Prince「Untitled (Cowboy), 1998」

アート市場の中心地はアメリカ市場である。どうもプリンスのカウボーイ人気は、彼の広告目的のメディアが作り出したステレオタイプのカウボーイ像に対する批判精神とともに、古き良き時代を象徴したそれらの懐かしいイメージが圧倒的に数が多い白人のアメリカ人男性コレクターの心に刺さるからのようだ。
またトランプ大統領が再選出されたように、中間層が没落して格差が拡大し、明るい未来像が描けなくなったような社会的背景、また環境問題への配慮の視点も影響しているのだと思われる。日本人には今一つ人気の背景がわかりにくいのも当然だろう。

2024年ファインアート写真・オークション落札ベスト3

1.リチャード・プリンス「Untitled (Cowboy), 1997」
クリスティーズ・ロンドン、“20th/21st Century: London Evening Sale”
2024年10月9日
£2,097,000 (約4.14億円)

2.リチャード・プリンス「Untitled (Cowboy), 1999」
クリスティーズ・ニューヨーク、“Christie’s 21st Century Evening Sale”
2024年11月21日
$1,865,000.(約2.84 億円)

3.リチャード・プリンス「Untitled ( Silhouette Cowboy), 1999」
クリスティーズ・ニューヨーク
“Post-War and Contemporary Art Day Sale”
2024年11月22日
$1,744,000.(約2.66億円)

(為替レート/ドル円152.58円、ポンド円197.70)
三菱UFJリサーチ&コンサルティングによる2024年の平均TTS為替レート