
前回、2024年のオークション高額落札ランキングで上位を占めたリチャード・プリンスのカウボーイ・シリーズの市場人気の背景を考えてみた。
実はもう一人忘れてはいけない重要なアーティストがいる。2024年のランキングで「Untitled #94, 1981」が8位の$806,400.(約1.23億円)で落札された、米国人女性アーティストのシンディ・シャーマン(SHERMAN, Cindy)だ。写真関連作品オークション歴代高額落札でもベスト10に2作品が入っている。6位が「Untitled #96, 1981」で、2011年5月8日にクリスティーズ・ニューヨークで$3,890,500、そして7位が「Untitled #93, 1981」で、2014年5月14日サザビーズ・ニューヨークにおいて$3,861,000で落札されている。
この上記3点はいずれも80年代初頭に制作された「Centerfolds」(Untitled #85–#96)シリーズの約61X120cm サイズ、エディション10のカラー(color coupler print)作品となる。ちなみに2014年5月12日にクリスティーズ・ニューヨークで落札された、リチャード・プリンスのカウボーイ・シリーズの最高額落札「Untitled (Cowboy), 1998」は、$3,749,000.で、歴代9位なのだ。

シンディ・シャーマンは1954年ニュージャージー生まれ。現代社会を取り巻くマス・メディアの状況に対応したピクチャーズ・ジェネレーション(リチャード・プリンス、ルイーズ・ローラー、シェリー・レヴィン、ロバート・ロンゴを含むグループ)の最も重要なアーティストの一人だ。彼女を有名にしたのが23歳のときに始め、1977年から1980年まで主に野外で制作されたモノクロ写真の「Untitled Film Still」(アンタイトルズ・フィルム・スチール)シリーズ。 スチール(still)とは、動画に対する語で、動きのない静止画のこと。これは仮想のスチール映画写真で、50年代のハリウッドやヨーロッパのB級映画のワンシーンを想像させる設定で、彼女がマリリン・モンローやソフィア・ローレンなどのような様々な出演女優そっくりに扮装して自らを撮影した8×10インチサイズのモノクロ写真シリーズ。B級映画に描かれている多様な女性のステレオタイプのアイデンティティを自分自身で演じることで表現、当時のアート界で高く評価された出世作だ。1995年にはニューヨーク近代美術館が「Untitled Film Still」シリーズのAP(アーティスト・プルーフ)を一括購入しており、その後は作品価格が上昇傾向をたどってきた。2014年11月12日のクリスティーズ・ニューヨークのオークションでは、8X10“インチサイズの本シリーズからの21点が$6,773,000で落札されている。

彼女の作品の市場での高い評価には時代背景が大きく関係しているので確認しておこう。1960年代後半から1970年代前半にかけて、女性解放運動が世界中で広まった。フェミニズムの意味をネットで調べると”政治的・経済的・個人的・社会的な面におけるジェンダーの平等を確立することを目指す一連の社会運動と思想のこと”と書かれている。いまの時代の女性には当たり前なのだが、実際のところ80年代までアメリカでも、フェミニズムは一部の女性たちのもので、公的な場で問題にすべきことではないという考えが強かったのだ。シンディ・シャーマンの作品が、まだ保守的な考えが残っていた時代の米国で生み出された点は押さえておきたい。
1980年代初頭、シャーマンは影響力のあるアートマガジン「Artforum(アートフォーラム)」掲載用に新作の制作を依頼される。彼女は横長フォーマットの、「プレイボーイ」のような男性向けエロティック雑誌のセンターフォールドを参考にした作品制作に取り組み、合計12枚の大型カラー写真(Untitled #85–#96)が「Centerfolds」シリーズとして制作される。前作の「Film Stills」シリーズとは異なり、この作品に映し出されているのは、男性視線を意識して用意されたセクシーで魅惑的な女性ではなく、感情的に曖昧な思春期の少女である。イメージをティーンエイジャーの生活でのスナップ写真のように作りこんでいる。シャーマン自身が、空想、憧れ、プライベートやメランコリックな心理的瞬間の若い女性を演じて、時に身体がリクライニングしているフォームで撮影されている。視点が定かでなく、ただ宙を見つめていて表情が読み取れない作品もある。通常は男性写真家が男性目線で女性を撮影するところ、ここでは女性が写真家とモデルのピンナップの両方の役割を担っている。フェミニズム的な要素を取り込んで、男性向けのセンターフォールド写真の要件を満たしたイメージを作り上げるという手が込んだ仕掛けのある作品なのだ。

本シリーズの写真にはヌードや明らかに性的なものはない。シャーマンは、エロティシズムを直接的感じないイメージをあえて提示し、そのなかに見る側が反応する様々な構成要素を確信犯で仕込んでいる。色彩、光、トリミング、空間、アイコンタクト(またはその欠如)、服装、髪型、姿勢、背景の細部などだ。そして期待と違うようなイメージを見せることで、伝統的な淫らでエロティックな想像や衝動を持つようなセンターフォールドの見方への誘いを中断させ、代わりに、描かれた女性の内面を熟考するよう見る者を誘うのだ。作品の様々な要素を見る側に読み解かせることで、メディアにおける女性の描かれ方を批評。また同時にそれがいかに現代社会でのジェンダーの前提、女性への期待、女性らしさの認識が作られてきたかを明らかにしている。私たちが無意識のうちの持つ、これらの前提や思い込みに疑問を投げかけながら、アート作品での提示を通して、見る側に気付かせようとしているのだ。
本作では、彼女自身がモデルで、演技をし、演出をして、写真家として撮影している。彼女はその役割に最大限の注意を払いながら、さまざまな装いを練り上げ、それぞれの写真作品を作り上げていく。スタジオセットを設営し、衣装を制作し、照明をデザインし、そして最終的には、アシスタントを使うことなく、孤独な世界で、完全に一人で写真作品を完成さている。作品制作のあらゆる側面をコントロールすることで、写真が「真実」のメディアであるという思い込みに挑戦しているともいえる。今では写真はパーソナルな表現であることは当たり前の認識だが、当時は写真が真実を提示するメディアであるような幻想がまだ残っていたのだ。

作品を依頼したArtforum誌の編集者は、当時の社会状況から本シリーズが社会から誤解されるリスクが高いと感じ、雑誌への掲載を見送った。その後、1981年11月にニューヨークのメトロ・ピクチャーズ・ギャラリーで本シリーズが初公開された時、編集者の予想通りに様々な議論が巻き起きたとのことだ。ある批評家は、ソフトコア・ポルノのフェミニズム的パロディと評価、また女性を被害者として描き、見る側に同一視や興奮を誘うものだという批判もされたという。シャーマンは、逆にこの話題性豊富なシリーズによりアート界で大きく注目するようになり、特に「Untitled #96」は象徴的な作品となったのだ。実際、1997年にロサンゼルス現代美術館とシカゴ現代美術館が主催したシャーマンの主要な巡回展のカタログの表紙画像に選ばれている。また2021年にはニューヨーク近代美術館がアート市場で有名作品を特集して本形式で紹介する「MoMA One on One Series」で取り上げて「Cindy Sherman Centerfold (Untitled #96) 」を刊行させている。シャーマンのキャリア上では、「Centerfolds」シリーズは、映画での役割を演じるアーティストの初期の作品と、その後に彼女が取り組み続けてきた他の多くの複雑な主題との間の方向転換が行われた重要作品と見なすことができると評価されている。オークション市場での高額落札にはこのような背景が関係しているのだ。
1985年以降、シャーマンは恐怖を表現する作品を制作、扮装もマスクやシリコンを使うなどより大胆にグロテスクになり、映画から離れてジャンキー、フリークス、死体まであらゆるタイプの人物に変身していく。その後、「Fashion Series」、「Fairy Tales Series」、「History Portraits Series」、「Sex Pictures Series」、「Society Portraits Series」に取り組んでいく。彼女の一連の変身する写真はウォーホールらのポップ・アーティストの流れをついでいると考えられている。映画、広告、ポルノ、ファッション、歴史などを作品に取り込むことでマス・メディアが作り上げた女性に対する固定観念を自らの肉体と変身を通してアート作品化し、世の中に提示し続けているのだ。