ルイジ・ギッリ「終わらない風景」
写真展レビュー@TOP MUSEUM

この世の中には客観的な現実の環境などなく、私たちはそれまでの人生で認識してきたものを積み上げて、それぞれが個別の世界を構築している。言い方を変えると、私たちは私的に作り上げた幻想を持っており、自分の見たいものだけを見ているのだ。これは動物行動学者の日高敏隆、心理学者の岸田秀をはじめ、近代以降の多くの哲学者が語っている見方だ。たぶん、ルイジ・ギッリは人間の存在について、このような世界観を持っていたのではないだろうか。彼の何気ない特徴がない風景写真には、私たちが普段は見過ごしがちなシーンが切り取られている。彼はそれらの作品を通して、私たちは様々な思い込みにとらわれて社会で生きている事実に気付かせようとしているのではないか。つまり人の目を引くような特徴的な被写体がセンターに写された風景写真は、思い込みにとらわれた人に見えている世界なのであえて避けて、逆説的な写真を提示しているのだ。

私は写真家の中に、風景写真を長年撮影しているが、自らが作品制作の背景にあるアイデア、コンセプト、テーマなどのメッセージを語らない人が多く存在する事実に注目している。ルイジ・ギッリもそのような写真家の一人だと認識している。それらは、アマチュア写真家が目指す、きれいな写真、グラフィカル/色彩的にデザインされたものと真逆な写真で、写真家からそれらのエゴ/邪念が消失した無心状態で心が動いた瞬間に撮影される。また偶然から生まれた奇跡的なシーンに美を見出すような作品が多いと分析している。

現代のアート界で求められる作品テーマやアイデア、コンセプトは、自分の外部に広がる社会文化の中に求めるものと、人間の内側を志向するものの2種類がある。現代のアート界では思考から生まれる前者が中心だ。自分の心の内面を向いた作品は、本人がそれに気づいていない場合が多く、また語りにくいことから見過ごされてしまいがちだ。これらの風景写真は、人間の本源的な存在に関わる内面を向いた表現だと評価している。仏教には「諸行無常」という基本の考えがあり、人間は空蝉(うつせみ)のような空虚な存在だと言われる。これらの風景写真は、実態がない世界に生きていくしか選択肢がない人間の存在に気付かせてくれる。これがこれら風景写真に隠された語られない作品メッセージだと見立てている。ここに分類できる写真家の撮影の実践自体が、彼ら自身を客観視する行為であり、作品コンセプトと重なるともいえるだろう。このような作品は忙しい日常生活で様々な思い込みにとらわれて生きる現代人を客観視させ、違う視点から自らを見直すきっかけを提供してくれる。ちなみに私は写真家自身が自作を語らない場合、第3者が作品のテーマを見立ててもよいと考えている。

彼らが無意識に求めているシーンは、以前にも紹介したネイチャー・ライティング系作家アニー・ディラードは「ティンカー・クリークのほとりで」(1974年刊)で、“美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです”。と的確に表している。創作の背景に、いま存在する宇宙や自然界、また都市のストリートのどこかで、誰も気付かない、見たことがない、心が揺さぶられるシーンが発生しているはずというアーティストの認識/感覚があるのだ。キーワードは「禅/Zen」、写真撮影自体が、瞑想や座禅のように、思考にとらわれずに「今という瞬間に生きる」禅の奥義、マインドフルネス的アプローチにつながる。

このカテゴリーの風景写真は、接写/近景/中景/遠景を撮影している人に分けられる。大きく平面の2次元空間と広がりのある3次元空間という分け方もある。セミナーや学校の講義では、アーロン・シスキン、アンソニー・ヘルナンデス、ジャン=マルク・タンゴー、ウィリアム・クリステンベリー、エドガー・マーチン、ヘンリー・ウェッセル、ソール・ライター、ウィリアム・エグルストン、ヴィム・ヴェンダース、テリ・ワイフェンバック、百瀬俊哉などの風景写真の一部がこのカテゴリーに当てはまると解説している。
ルイジ・ギッリとの関係では、ウィリアム・エグルストンと映画監督のヴィム・ヴェンダースが興味深い。エグルストンはギッリが影響を受けた可能性がある写真家だと言われている。彼の写真スタイルは既存の価値観(画面の真ん中に人やモノが写っている)を無効にするパーソナルな視点で世界を切り取る「デモクラティック」だと評されている。人は見たいモノしか見ていないし、それで安心しており、各種バイアス、ヒューリステック(経験則)にとらわれていることを暴いている。彼の視線は、外の世界ではなく、内側を見ている。それは鋭い「ミクロ」を追い求める視点/まなざしなのだ。
また、ヴェンダースはギッリの著作『写真講義』(邦訳:みすず書房)の帯に「私の机の前には、ルイジ・ギッリの写真がかかっている。私は彼の写真が好きだ。そして写真と同じくらい、彼が書くものにも心動かされる。ルイジ・ギッリは最後の、真のイメージの開拓者だった。そして間違いなく、20世紀写真の巨匠のひとりだ」とコメントしている。
ギッリを含む彼らの写真には、人間の存在をリアルにとらえた人たちのクールかつ覚めた視点が感じられる。だからそれらの普通のシーンは私たち見る側の心に沁みるのだろう。

TOP MUSEUM 展覧会カタログ

さて今回の展示では時代が経過した70年代~のプリントと思われる小さめなサイズのカラー作品を鑑賞できる。「第1章」ではChromogenic Printのほか一部にインクジェット・プリントがあり、色味を当時のものに合わせていた。両者の違いはキャプションを見ないとわからないくらいだ。会場には来日中の写真家のお嬢さんも来ていた。作品制作の監修ができる直系の親族がいるのなら、次回の展示では、デジタル化してオリジナルのネガからギッリがファインダー越しに実際に見た当時の色味を再現したプリントを、大きなサイズで見てみたいものだ。しかしこの一種のリマスター作業は膨大な費用がかかるので、作品にあまり市場性がないと難しいかもしれない。
展示作品では、初期のコダクローム・シリーズと市場人気の高い画家ジョルジュ・モランディ―のアトリエを撮影した人気シリーズは必見だろう。また彼の代表作が掲載されたフォトブックで入手可能なものは少ないので、展覧会カタログはぜひ入手したい。なぜだか意図は不明だが、写真家ホンマタカシ氏のギッリに関連したフィクションも掲載されている。

Sotheby’s Paris, 2014-11「Photographies 」, Luigi Ghirri 「Atelier Morandi, 1992」

ファインアート写真市場では、20世紀美術史上で重要なイタリア人画家ジョルジュ・モランディ―(1890-1964)の創作が生まれた美意識や気配が感じられるアトリエ・シリーズの人気が高い。オークションでは、2014年11月のサザビーズ・パリ「Photographies 」 で、1992年にエディション・コントルジュール・パリで制作された「Atelier Morandi, 1992」のポートフォリオ23点が、落札予想価格3~4万ユーロのところ、51,900ユーロ(当時のレート/1ユーロ/145円、約752万円)で落札されている。ギャラリーでは、ニューヨークのMatthew Marksで、2023年に「Luigi Ghirri : Mediation」、2020年に「Luigi Ghirri : The Idea of Building」が開催されている。プライマリー市場では1970年から1991年に製作されたType C-print、Chibachrome printによるヴィンテージ作品が約1~2万ドルで販売されている。オークションでの出品は多くないが、だいたい1000~5万ドルのレンジの評価がなされている。

よくコレクターや学生から、何でルイジ・ギッリは評価されているのですか、という素朴な質問を受ける。このあたりの明確な解説はあまり見られないからだろう。まず人気の高いモランディ―のアトリエを撮影したシリーズは、写真家個人とともに、画家モランディ―の評価が市場価値に影響している。ギッリの1970年代のカラー作品は21世紀になって欧州以外でも再評価されるようになった。そのきっかけは2004年刊行のフォトブックガイド「The Photobook: Volume I」(Phaidon)。著者のマーティン・パーとジェリー・バジャーは、彼を「戦後ヨーロッパにおける創造的なカラー写真の先駆者の一人」とし、1978年のフォトブック「コダクローム」を、「ウィリアム・エグルストンのフォトブックのエグルストン・ガイド(MoMA、1976年刊)と同じくらい重要で、またウォーカー・エバンスの“American Photographs”の、写真は世界をドキュメントする行為ではなく、世界を見る視点が写真により形作られる、というテーマと間接的につながっている」と評価している。しかし、これはあくまでの20世紀カラー写真としての再評価だ。2004年以降は写真がデジタル化し現代アートと写真表現が一体化していく。あのエグルストンも2012年春のクリスティーズ・ニューヨークでの有名な大判デジタル作品による単独セールの完売をきっかけに現代アートの視点から再評価された。しかし、このような市場環境の大変動にかかわらず、ギッリはその後もヴィンテージ写真の展示が中心だった。評価もプリントの希少性と表層にとどまり、社会との接点を持つ背景にあるメッセージ性が十分に語られていなかった。この辺が現代アート表現の写真が中心になった最大市場の米国での評価が盛り上がらない理由だと思う。私はコダクローム・シリーズやイタリアの風景シリーズなどの風景写真を、上記の説明のように人間の存在を直視し、自分の内面に創作動機を求めたと作家のテーマ性を見立てるべきで、その上で現代アートの文脈や他のカラー写真との比較を行い、再評価すべきだと考えている。

総合開館30周年記念
ルイジ・ギッリ 終わらない風景
東京都写真美術館
会期・時間:7月3日(木)~9月28日(日)、10:00~18:00(木金は20:00まで)

海外オークション情報@ロンドン
サザビーズでマン・レイの代表作が高額落札!

Sotheby’s London, “Modern & Contemporary Evening, Contemporary Day Auctions”, Man Ray 「Noire et blanche (Black and White), 1926」

6月24~25日にサザビーズ・ロンドンで開催された“Modern & Contemporary Evening, Contemporary Day Auctions”で、シュルレアリスムの象徴であり、20世紀で最も称賛されているアート作品の一点と言われているマン・レイの「Noire et blanche (Black and White), 1926」が、2,114,000 ポンドで落札された。作品サイズは、17.5X 22.8cm、制作年は1926年で1935年までにプリントされた初期のゼラチン・シルバー・プリント。落札予想価格は1,500,000 – 2,000,000ポンド、落札額は1ポンド/1.37ドルで換算すると、2,896,180ドル、1ポンド/197円で換算すると約4.16億円となる。

本作「Noire et Blanche」は、マン・レイの恋人でありミューズでもあるキキの「完璧な楕円形」の頭と様式化されたバウレ族のマスクを対比させたもの、制作から100年近く経った今でも画期的で斬新なイメージだ。1926年5月にパリ版『ヴォーグ』に初めて掲載された、1920年代半ばにおけるパリでのマン·レイとキキの驚くべき創造的なコラボの象徴だと言われている。当時のマン・レイは米国291ギャラリーのスティーグリッツとの交流があったものの、パリではダダイストの仲間、デュシャンとトリスタン・ツァラに励まされたと言われている。彼は当時の主流だった写真制作の慣習に逆らい、想像力を駆使することで現実を代替的に提示する写真の可能性を追求した。

作品の来歴も極めて由緒正しいといえるだろう。オークションの作品解説によると、本作はロンドンで写真オークションが開始されてから数年後の1978年に、サザビーズ・ベルグラビアで取引された写真作品のうちの一点とのこと。次に、1980年11月にクリスティーズ・イーストのオークションに出品され、 米国の写真商業ギャラリーの創始者のひとりのMargaret W. Westonのコレクションに加わっている。彼女のコレクションは、2007年4月にサザビーズ・ニューヨークでオークションにかけられ、本作は落札予想価格は200,000 – 300,000ドルのところ、落札額396,000ドルで今回のコレクターが入手している。2025年までの約18年の利回りは各種手数料などのコストを考慮しなくて1年複利で単純計算すると約11.68%となる。

マン・レイは決して失敗を恐れない実験家で、その作品制作では常に即興的なアプローチを行っていた。この「Noire et Blanche」のプリントは、意図的な異なるトリミング、多種多様な写真用紙の使用、そして異なるレベルのレタッチにより、厳密には2つとして同じものは存在しないと言われている。現存するほとんどの作品は、修正が施されたプリントより作成されたインターネガティブから制作されている。しかし、今回出品されたプリントは、2つの顔の形状とその影のバランスが慎重に計算されており、キキの腕と彼女が頭を乗せている表面に影が落ちている他のプリントとは異なる点が見られる。 専門家はこの特徴的な緊密なトリミングと明らかな修正の痕跡から、マン・レイのカンパーニュ・プルミエール通りの暗室で、オリジナルのガラスプレートネガティブから直接制作された可能性が高いと評価している。本作同様のトリミングを施した初期プリントは、ヒューストン美術館のマンフレッド・ハイティング・コレクションに所蔵されている。 


Modern print from a copy negative at Centre Pompidou

ちなみにこ「Noire et Blanche」の最高額落札は、2022年11月17-18日のクリスティーズ・ニューヨーク、“20th Century Evening, 21st Century Evening, and Post-War & Contemporary Art”で落札された4,020,000ドル。同プリントは、マン・レイがカンパーニュ・プルミエール通りの暗室で、オリジナルのネガから制作したもの。おそらく、より大判の、よりタイトにトリミングされ、その後何枚ものコンタクトプリントを制作するネガ制作以前の貴重なものだと高く評価されたのだ。同様のプリントはMoMAに収蔵されている。

今回の出品作のような初期プリントのほとんどは美術館のコレクションに収められており、コレクターの入手機会は極めて稀なのだ。それに加えて、上記のような高い作品評価や一流の来歴が今回の高額落札の理由だと考えられる。マン・レイ作品は、市場では写真ではなく絵画同様の価値があると認識されているのだ。