“BOWIE:FACES”名古屋展
9月8日より開催
鋤田正義スペシャルトーク開催!

2017年の1~3月にかけて、東京の3会場で開催し好評だった“BOWIE:FACES”展。いよいよ今週から名古屋に巡回する。会場はJR名古屋駅からも近い納屋橋 高山額縁店。会期は9月8日(土)~16日(日)まで。

本展では、テリー・オニール、ブライアン・ダフィー、鋤田正義など7名の有名写真家による、1967年~2002年までに制作されたデヴィッド・ボウイの珠玉のポートレート、写真家とのコラボレート作品約30点を紹介する。ボウイによる9枚のアルバムのオリジナル写真、および関連するアート作品が含まれる。
参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。なお彼ら全員が、昨年春に東京展が行われたヴィクトリア&アルバート美術館企画の”DAVID BOWIE is”に協力している。

実は、”BOWIE:FACES”展の巡回先探しには非常に苦労した。本展は、2016年に亡くなったデヴィッド・ボウイとセッションを行った複数の有名写真家の珠玉のオリジナル・プリントを展示。“アラジンセイン”、“ダイヤモンド・ドック”、“ヒーロース”などの当時のLPジャケットを飾った写真のオリジナル作品が含まれる。超一流の展示コンテンツだといえよう。
ただしプロジェクトのビジネス・モデルが東京以外の地域ではなかなか理解されなかった。つまり、本展は日本の一般的な、入場料収入を主な売り上げとするものではない。入場は無料で、スポンサーの協賛金、展示作品、カタログ等の販売で経費を賄い、利益を目指すもののだ。
東京ではブリッツとテリー・オニールのエージェントである英国のアイコニック・イメージスが中心になって、主催の実行委員会を立ち上げた。会場費、輸送費(海外/国内)、フレーム、ブックマット、会場設営、カタログ製作費、広報活動、スタッフなどの経費はすべて主催者が負担しないといけない。またスポンサー探しも独自に行うことになる。ブリッツは写真作品販売の経験が豊富なのでプロジェクト全体のリスクとビジネスの可能性はすぐに把握できた。
またアイコニック・イメージスは国内の外資系中心にスポンサー探しに尽力してくれた。協賛企業にとってはボウイのヴィジュアルを使用してブランド力の向上が図れる。外資系はこの点をよく理解して協力してくれた。

私どもの決断を後押ししてくれたのが、過去に行ったテリー・オニール展の経験だ。アート・ファン以外に、写真作品の価値が判断できる非常にリテラシーが高いロック音楽ファンが顧客として存在することが確認できたのだ。お陰様で、2017年1月~4月までに3会場で開催した東京展は、予想以上のコストがかかった割に赤字を出さずに終わることができた。
しかし東京以外の地域では、自らが主催者となって写真展を実行する会場がなかなか見つからなかった。ほとんどの企画スペースは、交渉してみると実際は場所貸のレンタル・スぺースだった。日本では写真は売れないとよく言われるが、東京以外では、状況はさらに厳しいのだと思う。

名古屋巡回展が実現できたのは、ブリッツと長く付き合いがあるコピー・ライターの岡田新吾氏の協力があったからだ。実は、彼は筋金入りのアート写真コレクター。以前、好きが高じて自らのアート写真ギャラリーを名古屋市で運営していたこともあるくらいだ。もちろん、昨年の“BOWIE:FACES”東京展も見に来てくれた。この企画を持ち込んだら、すぐに名古屋の実行委員会立ち上げに動いてくれた。岡田氏の今までの経験から、これはいけると判断してくれたのだろう。彼は優秀なプロデューサーでもある。瞬く間にアートやビジネス関連のネットワークを駆使して、展示会場を提供してくれる納屋橋 高山額縁店、アートへの協賛に理解を持つ、株式会社マグネティックフィールド、諸戸の家株式会社を見つけてきてくれた。彼の実行力にはいつも驚かされる。
“BOWIE:FACES”名古屋展は、岡田氏をはじめ実行委員会のメンバーの尽力と、協賛企業の援助により開催決定までたどりつけた。心より感謝したい。

さて会場では幅広い価格帯のオリジナル・プリントを展示販売する。中心価格帯は、10~30万円。しかしお買い求めやすい作品も数多くある。憧れの鋤田正義作品も、一部の小さいサイズの作品だと、額・マット込みで約3万円から、ブライアン・ダフィーのあの有名作“アラジン・セイン”も、LPジャケットのサイズのマット付きエステート・プリントならで約2万円で購入可能。
週末には私も現地で接客に当たる予定だ。見かけたら気軽に声をかけてほしい。

また、デヴィッド・ボウイの“Heroes”のジャケット写真で知られる鋤田正義氏を招いてスペシャルトークを開催する。鋤田氏の名古屋でのトークは今回が初めてとのことだ。ボウイを含む、鋤田正義氏の数々の作品画像やミニ・ドキュメンタリー動画をプロジェクターにて紹介。鋤田正義の写真家キャリアの変遷と将来の計画、デヴィッド・ボウイ撮影にまつわるエピソード、撮影と作品制作の流儀、国内外での最近の活動などについて語ってもらう予定。ただし、鋤田氏による会場でのサインは行わない。ご本人が高齢であることと、会場の混乱を避けるためなのでどうかご理解いただきたい。
ただし鋤田氏がカヴァーにサインを入れたカタログを限定数だけ販売する。こちらは希望者が多い場合は抽選販売となる。

“BOWIE:FACES”展は、東京、名古屋に続く巡回先をまだ募集中だ。興味ある人はぜひ問い合わせてほしい。

・鋤田正義スペシャルトーク概要
日 時:9月8日(土)14:00~15:30(開場13:30)
会 場:電気文化会館イベントホール
定 員:200名 ※お申込み方法は オフィシャルサイトをご覧ください。
http://bowiefaces.com/

参加費:2,500円

・写真展の概要
開催時期:
2018年9月8日(土)-16日(日)9:00-19:00
(日曜/12:00-19:00)
最終日は18:00より撤収作業を開始します。お早めに来場ください!

開催場所: 納屋橋 髙山額縁店2F
名古屋市中村区名駅南一丁目1-17
http://nayabashi-gakubuchi.jp/publics/index/7/

写真展レビュー “TOPコレクション たのしむ、学ぶ 第2部 夢のかけら”
@東京都写真美術館

東京都写真美術館は、平成29年3月時点で約34,000点の作品・資料を収集しているという。本展は、2018年5月から行われている、同館コレクションを紹介する“TOPコレクション たのしむ、学ぶ”展の、第1部“イントゥ・ザ・ピクチャーズ”に続く、第2部の“夢のかけら”となる。今回の展示でも、日本人と外国人、有名と無名写真家、クラシック写真から現代写真、ゼラチン・シルバーのモノクロからカラーのダイトランスファー、大判から小さいサイズ、フォトグラムなどを含む多様な写真表現技法、ドキュメントから化学写真まで、多種多様な写真作品が、美術館が提示するテーマごとに組み合わされて展示されている。
ほとんどが、19~20世紀写真で現代アート系の写真の展示はない。ただし一部の日本人写真家の作品には現代アート的な大判サイズのものがある。

テーマは、“大人X子供+アソビ”、“なにかをみている”、“人と人をつなぐ”、“わからないことの楽しさ”、“ものがたる”、“時間を分割する/積み重ねる”、“シンプル・イズ・ビューティフル”、“時間の円環”など。そのなかに写真史上の名作がちりばめられている点も見どころになっている。
キュレーターの石田哲朗氏によると、この展示は同館の写真のスクールプログラムが発想の原点とのこと。子供に、“やわらか”、“のんびり”、“しずか”などの様々な感覚的なキーワード言葉を与えて、写真をグルーピングすることからヒントを得たとのこと。
オークションで高額に取引されている写真史上の巨匠の作品と、評価が定まっていない若手・現存写真家の作品が、多種多様なテーマごとに分類され同じ空間に展示されている。
たぶん欧米の美術館ならば、キュレーターがファイン・アート史上の新たな視点から作品を分類して展示されるだろう。本展では、被写体の種類/行為/関係性。見る側の感覚、印象、抽象的概念などで作品がグルーピングされている。いま欧米で主流の現代アートのテーマ性を重視する視点だけにとらわれず、写真による表現作品を自由に、より幅広く、かつ多様に紹介している。日本には多種多様な写真の評価軸が並存している。普段、それらは個別に独自の世界を形作っている。それぞれの価値観を取り去ってしまい、美術館空間に並列に放り込んで、全く別のキーワードで意味づけしての展示。まさに日本の写真界の現状の提示をテーマとした展覧会だと理解したい。全体の作品展示がシュールに感じるのは、戦後の日本文化が海外文化を取り込み極端に複雑化し、その結果として生まれた歴史にとらわれない自由な土壌が反映されているとも解釈できるだろう。
観客のほとんどの人は、正当なアートや写真の歴史を学ぶ機会は持たないだろう。そのような人が主要な観客であるならば、アートの歴史と関係づけられた専門的な視点でのキュレーションよりも、今回のような展示の方によりリアリティーを感じるのではないだろうか。上から目線が多い美術館展の中で、極めて観客視線の民主的な展覧会だと思う。
本展の第1部“イントゥ・ザ・ピクチャーズ”のメイン・ヴィジュアルに、ロベルト・ドアノーの“ピカソのパン,1952”が使用されていた。なんと同館のカフェ メゾン・イチでは、同作内のピカソの前に置かれたパンをイメージして焼き立てパンを手作りして販売していた。まさに全体の展示方針に符合したシュールな演出だったといえるだろう。個人的には、美術館は現在の日本の現状認識の提示を超えて、将来的にはその状況の理論化を行ってほしいと希望する。

前記のように、本展ではすべての写真が並列に並べられる中に意識的に名作が何気なくちりばめられている。それらは以下の作品だろう。

“パリ市庁舎前のキス”が表紙のロベール・ドアノーの写真集

キャプション番号
27.ジョセフ・クーデルカ“Rumania, 1968”、
83.ギャリー・ウィノグランド“Albuquerque, new Mexico, 1958”、
91.ダイアン・アーバス“A Widow in Her Bedroom, NYC, 1963”、
51.ロベ-ル・ドアノー“Kiss by the Hotel de Ville, 1950”(パリ市庁舎前のキス)、
52.ジュリア・マーガレット・キャメロン“The Kiss of Peace, 1908”、
123.ハロルド・ユージン・エジャートン“Milk Drop Coronet, 1957”
また、W.ユージン・スミスの“カントリー・ドクター”シリーズからの11点、瑛九の“フォトデッサン”シリーズの一連のフォトグラム作品なども一見の価値がある。
個人的には岩宮武二の“かたち”シリーズは、人の手により作られたか「ゆらぎ」のある構造物を撮影している点が興味深かった。
これら名作展示は特に特別扱いされていない、うっかりと見逃さないようにしてほしい。

さて、名作展示は本展ではどのような意味を持つのだろうか?名作とは、オークションなどのセカンダリー市場で高く資産価値が評価されている作品でもある。しかし本展タイトルが“たのしむ、まなぶ”が表すように、市場価値の高さは写真の価値基準の一部であってそれがすべてではないということだろう。最近の欧米市場で進行している、ブランド優先傾向への疑問符とも解釈できる。
いま特に20世紀写真では、名作に人気が集中してマネーゲーム化の兆候が見られる。有名写真家でも絵柄によっては人気が極端に二分化しているのだ。
また、アートで稼ぐ政府構想である“リーディング・ミュージアム”構造に対して。全国美術館会議が反対の姿勢を鮮明にしたという、朝日新聞の記事(2018年8月3日付)も思い起こさせた。

このような展示はキュレーションする側の個性がかなり明確に表れるだろう。たぶんすでに検討しているだろうが、今後は、美術館員だけではなく、複数の写真家や各分野のアーティストがそれぞれのキーワードを選んで、TOPコレクションから写真作品を選ばせたら興味深い展示になるのではないだろうか。キュレーションした人の世界観が反映された展示になれば、それはコレクションを利用した新たなアート表現にもなるだろう。ただし、美術館による全体のキュレーション、つまり選出者選びは非常に重要になる。複数の価値基準が併存する日本の写真界の現状をできるだけニュートラルに提示することに重点を置くべきでだと考える。知名度や人気度だけで人選しないようにしてほしい。

“TOPコレクション たのしむ、まなぶ 夢のかけら”
東京都写真美術館
開催情報
8月11日(土祝)~11月4日(日)
10:00~18:00、木金は20:00まで
ただし、8/30, 8/31は21:00まで
入館は閉館30分前まで
休館日 毎週月曜日
入場料 一般500円、学生400円、中高生・65歳以上250円
http://topmuseum.jp/

夏休み期間の営業について
各種相談会、イベントを開催!

まず最初に念のため”Heliotropism”展の会期延長を伝えておきたい。
同展は、会期中にわたって、豪雨、酷暑、台風に見舞われたことから
作家の提案で会期を8月12日まで延長している。まだ見てない人はどうかお見逃しなく!

さて商業ギャラリーを経営していると、どうしても作品販売と、写真展の運営・企画の業務を優先せざるえない。今年は”ROCK ICONS”展、”Heliotropism”展では、普段はセミナーなどを行う日曜も営業している。8月の夏休み期間には、普段は時間が取れなくてできなかったワークショップ・相談会を集中的に開催したい。アートは大衆向けの娯楽ではない。アート写真リテラシー向上に興味のある人を対象に考えている。全くの素人というよりは、ある程度の経験や知識がある初心者から中級者向けだと思う。多くの人に分かりやすいようなイベントではなく、知的好奇心が高い人向けのマニアックでディープな内容のイベントとなる。
複数人数のグループ、仲間などにも対応していく。興味ある人はぜひ参加してほしい。

(写真鑑賞が趣味の人・フォトグラファー、キュレーター向け)
・「写真の見立て教室」開催
今年も開催します。
ブリッツは日本の新しいアート写真の価値基準として限界芸術や民藝の写真版としてクール・ポップ写真を提案しています。
今回もその考え方をギャラリストが最新の実例を提示しながら紹介します。この提案に興味を持っている、意見交換に興味のある人はぜひご参加ください。

開催日時:8月19日(日) 午後2時~
場所:ブリッツ・ギャラリー
参加費:1000円
講師のスケジュールの関係で今年はお盆期間の開催となります。
参加希望者が少ないと延期になる場合があります。

(アート写真コレクター向け)
・オリジナル・プリント無料鑑定
お持ちの写真作品の価値を無料で鑑定します。売却希望者には個別アドバイスを行います。予約制です。

・フォトグラフィー・コレクション無料相談
アート写真を買いたい初心者向けの個別相談会です。
資産価値を持つコレクションの構築法や考え方をアドバイス。
インテリアへの作品展示の提案もします。予約制です。

(フォトグラファー向け)
・ファインアート・フォトグラファー講座を開催
こちら有料になります。
参加希望者には夏休み期間中に個別で開催。
二人以上のグループでの開催も行っています。予約制です。

内容は、ファインアート写真の定義、日本市場の現状分析、デジタル時代の市場展望、ファインアート系写真家の実例研究、参加者の作品の評価、アドバイスです。

下記ウェブサイトの”をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

・ポートフォリオ・レビュー/コンサルテーション開催
過去にファイン・アートフォトグラフィー講座を受講した人が対象です。こちらは有料になります。予約制です。

下記ウェブサイトの”その他”の項をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

(お問い合わせ・お申し込み)
上記相談会・レビューは以下の日程で予約制で行います。
期間:8月13日~8月下旬まで
時間:午後1時~6時

ご予約・お問い合わせはすべてEメールでお願いします。
“「写真の見立て教室」参加希望”、”オリジナル・プリント無料鑑定希望”など件名、希望日を明記のうえで
ご連絡ください。

info@artphoto-site.com

写真展レビュー
杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年
@東京都写真美術館

杉浦邦恵(1942-)は、現在ニューヨーク在住の愛知県名古屋市出身のアーティト。お茶の水女子大で物理学科で学んでいたが、将来は教師になるしか道がないと悟り、アート方面にキャリア転換をはかる。
1963年、20歳の時に単身渡米。シカゴ・アート・インスティチュートに入学し、写真でのファインアート制作を学ぶ。1967年に拠点をニューヨークに移し、その後は様々な写真表現の可能性を探求。初期の魚眼レンズによるイメージの歪みの取り込み、人物や風景のモンタージュ、モノクロとカラー・ネガの使用、最も長く続けているカメラを使用しない写真表現のソラリゼーション、感光材を塗ったキャンバスへのプリント作品の制作、最新作では再び最新デジタル技術を使用してキャンバス作品を制作している。

本展は彼女のキャリアを5つのパートで紹介する回顧展となっている。
・パート1:”弧(Cko)”(1966-67年)、
シカゴ・アート・インスティチュートの学生時代にビル・ブラントの作品をヒントに制作した実験的手法の作品
・パート2:フォトカンヴァス(1969-1971年)、写真-絵画(1876-1981年)、フォトコラージュ(1876-1981年)
・パート3:フォトグラムとレントゲン写真のインスタレーション(1980年-)
・パート4:アーティスト、科学者、親愛な(1999年-)、
篠原有司男との出会いから始まった草間彌生、村上隆、蔡國強などのポートレートシリーズ
・パート5:DGフォトカンヴァス、(2009年-)、
2016年からは日本で撮影されたデジタルプリントによる最新作。

キュレーターの鈴木佳子氏はカタログの解説で杉浦の創作を以下のように分析している。
“杉浦は写真に絵画的表現や絵そのものとの組み合わせによって、写真の可能性を広げていく。彼女独自の方法を模索し、脱皮をしていくように次々に新たな手法を生み出し、同じ表現形式に留まることはない”。

この写真へのアプローチ自体は、カメラや撮影テクニックを通して、現実世界に存在する多様なフォルムやシーンを発見して自由に表現する20世紀中盤にドイツから起きたサブジェクティブ・フォトグラフィーに近いようでもある。
彼女が学んだシカゴ・アート・インスティチュートは、ドイツのバウハウス出身のラースロー・モホイ=ナジの創作理念を受け継いでいるイリノイ工科大学が近いことからことから影響があるのは当然だろう。
写真史的には、戦前に米国で写真を学び、その後は写真表現での様々な実験を試み、抽象的な作品“What I’m doing”シリーズを制作し、“写真としてのアート”の可能性に挑戦した山沢栄子(1899-1955)の流れの写真家だともいえると思う。

杉浦はキャリアを通して写真表現の限界を拡大しようと挑戦してきた。しかし彼女の作品は、文脈の中でテーマ性を提示するというより、方法論の追求が優先されている印象が強い。インタビューでも、“自分はプロセスを通じて新しい作品をつくることに興味がある”と語っている。
サブジェクティブ・フォトグラフィーに近いとも指摘したが、その要諦は、写真家が発見した世界の事象に対する解釈や視点を、写真テクニックを駆使して表現することだ。しかし彼女の作品からはこの世界の解釈の部分がいまひとつ見えてこない。現代アート系の人からは、方法論が目的化しているというようなツッコミが入るかもしれない。しかし、科学的な要素が強いアナログ写真の時代に、女性アーティストが50年以上に渡り創作を継続するのは並大抵のことではない。仮に方法論の目的化といわれても、それ自体が50年という十分に長いキャリアを通して行われたのならば、十分に作品テーマに純化しているともいえよう。その業績を東京都写真美術館が作家性として見立てたのだ。

私が興味を持ったのは、何が杉浦の50年間の創作活動継続のモーティベーションになったのかだ。キャリアを見て気付いたのは、若い時から彼女には多くの優れたメンター(指導者/助言者)がいたことだ。それは支援が必要な人に対して指導や助言をする人のことを意味する。仕事面から精神面まで支援するメンターは、日本語の指導者とはややニュアンスが違うが、ここでは指導者としておこう。
私は、キャリアを通して指導者たちの存在が杉浦のキャリア継続を支えてきたのだと考える。米国の教育心理学者ベンジャミン=ブルームの1985年の著書「Developing talent in young people」によると、音楽家、芸術家、数学者、神経学者など世界的に活躍する著名な人々を詳しく調査したが、IQと成功達成には全く相関がない。しかし若い時から優れた指導者について努力を重ねている、という。
なぜアーティストに指導者が必要なのか。彼らは自らを客観視することで創作のアイデアを捻りだす。一人でいくら努力しても自分の枠の中でぐるぐる回るだけになりがちだ。その枠の存在を指導者が気付かせてくれる。またオリジナリティーが認められるまでには厳しい修業が必要だろう。だいたい修業とは数々の失敗を乗り越えていくこと。その道の先輩である指導者はすでに同じ失敗を経験したり、見聞きしている可能性は高いだろう。彼らのアドバイスにより無駄な失敗を避けることができるかもしれない。また複数の指導者とのかかわりも重要だ。指導者が一人だと、言われたとおりに行動したり、指導者の創作をまねをしたりすることがある。複数の人がいることで創作スタイルや方法が多様に展開していくのだ。
またアーティストとしての評価を受けるために業界の重鎮である指導者の支援が欠かせない。指導者も自らの実績のために弟子を育てたいのが本音だろう。彼らからのアート業界への紹介や推薦は若いアーティストが注目されるきっかけになる。いくら自分に才能があると思っていても、誰かが認めない限り、それは独りよがりでしかない。
杉浦の指導者は、シカゴ・アート・インスティチュートでの指導教官だったハリー・キャラハン、アーロン・シスキンやケネス・ジョセフソン。ニューヨーク時代は、ジェーコム・デシン、アートディーラー/批評家ディック・ベラミー、個展を何回も開催しているレスリー・トンコノウ、日本ではツァイト・フォトの石原悦郎、鎌倉画廊の中村路子などだ。同じギャラリーで数多くの個展を開催しているのは、ギャラリストとアーティストとのコミュニケーションが極めて良好だった証拠だろう。杉浦が素晴らしい人たちと関係が持てたのは、彼女の優れた人間力があったからだろう。これは私の想像なのだが、彼女は見栄やプライドなどもたずに自分をオープンにできたからこそ多くの人から受け入れられたのではないだろうか。

また杉浦が美術手帳へニューヨーク・アート・シーンの記事を“海外ニュース(NY)”で寄稿していたことにも注目したい。彼女は、1986年~2008年まで約20年間以上にわたり、展覧会などの取材や写真撮影を行い現地レポートを書いていた。年齢的には44歳から66歳まで、まさにアーティスト・キャリアのなかで肉体と気力が最も充実する重要期に当たる。レビューの総数は約400本以上にのぼるとのことだ。ちなみにカタログにエッセーを寄せている美術批評家の椹木野衣氏は、編集者時代に杉浦を担当していた時期があったそうだ。

この仕事が彼女のキャリア形成と創作継続に非常に大きな影響を与えたのではないかと考える。アーティストはだいたいが創作途中でマンネリに陥る。そこから脱出できないで消えていく人が無数にいる。前にも指摘したように、自分の狭い創作世界に囚われてしまい、新たな展開ができなくなるのだ。そのようなときに有効なのが、指導者のアドバイスとともに、自分以外の優れた表現に触れて刺激を受けること。それが自らを客観視するきっかけを作り、マンネリ脱出の突破口につながるのだ。だが、アーティストはなかなか自分以外の、特に成功している表現者の作品を見に行かない。しかし、杉浦は雑誌の連載の仕事なので、自分の好みや感情と関係なく、否応なしにアートシーンの最前線で活躍する幅広い人の作品を取材しなければならなかったのだ。彼女は、おのずと刺激を受けるとともに、自らのアート表現のデータベースの情報量が増えていったと思われる。
創作は過去の先人たちのアート表現を新たにかけ合わせたり、それらを突然変異させることで生まれてくる。当然のこととして、杉浦の持つ圧倒的な情報量は、新たな発想を生み出す際に役立ったはずだ。また自分より優れた能力を持つ人とも数多く接することになる。そのために、自信過剰になることもなく、新しい視点を柔軟に受け入れる姿勢が維持できたと想像できる。杉浦は、指導者に恵まれたこと、それに続く美術手帳の仕事により、長きにわたり創作キャリアを継続できたのではないだろうか。

本展“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”は、国内外の美術館による初めての回顧展になるという。彼女の仕事の全貌が初めて明らかになったことで、写真史やアート史とのかかわりが新たな視点から専門家により見立てられる可能性がでてきたでてきたのではないか。特に現代アート系で、生き物を使用したフォトグラム作品があるアダム・フスや、巨大な抽象作品で写真メディアの探求を続けているウォルフガング・ティルマンスとの関連が語られると、再評価がさらに行われると考える。

〇開催情報
“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”
東京都写真美術館
7月24日(火)~9月24日(月振休)
10:00~18:00、木金は20:00まで (7/26~8/31の木金は21:00まで)
休館日 毎週月曜日、ただし、9/17, 9/24は開館、9/18は休館

http://topmuseum.jp/

“Heliotropism”のメッセージを読み解く
異常豪雨や酷暑もテーマとつながっている!

ギャラリーでは、テリ・ワイフェンバックとケイト・マクドネルの二人展の“Heliotropism”を開催している。
会場でよく聞かれるのは、ケイト・マクドネルの作品タイトル“Lifted and Struck”の意味。そして、作品解説に書かれている、ネイチャー・ライティング系作家のアニー・ディラードの著作「ティンカー・クリークのほとりで」の世界観を写真で表現するの意味だ。これらが難解なのは私どもも承知しているので、色々なところで解釈を書いたり話したりしている。たぶん、それを読んでの質問でもあるだろう。
風景写真では、文脈の中で写真家のメッセージを読み解くことがほとんどないだろう。それは日本だけでもない。ある外国人来場者は海外でもテーマ性を明確に提示する自然風景がモチーフの写真は少ないと言っていた。多少は過去の解説の繰り返しになるが、いま一度ケイト・マクドネル作品の説明をしておこう。

Median, 2009 ⓒ Kate MacDonnell

作品タイトル“Lifted and Struck”は、彼女が本作で表現しようとしているアニー・ディラードの著作「ティンカー・クリークのほとりで」から引用されている。

I had been my whole life a bell, and never knew it until at that moment I was lifted and struck.
(“Pilgrim at Tinker Creek” Annie Dillard(1974年刊))

ここでのbellとは、広がった逆カップ状の鐘、もしくは鈴のようなものだとろう。“Lifted”は“Lift”の過去形・過去分詞で、持ち上げられた。“struck”は“strike”の過去形・過去分詞で鳴らされたという意味になる。

全文を直訳すると、
私のいままでの全人生はベルでした、しかし持ち上げられて鳴らされるまでそれに気づきませんでした、

となる。まるで禅問答のようだ。海外の英文による解説を探してみた。かなり有名な文章なのだろう、英語圏のウェブサイトに、膨大な数の個人的意見や解説が発見できた。解説自体も本文同様にかなり難解なものが多かった。その中で私が反応したのは以下のような解説だった。

“あなたが求めることを止めたとき、世界はあなたが探していたものしか見せてくれない事実に気付いた”というもの。これをさらに意訳してみると“私たちは自分の見たいものしか見ていない”、言い方を変えると“自分のフレームワークを通してしか世界を見ていない”のようなことではないか。

実はこの文章はいきなり登場するのではない。これは、女の子がティンカー・クリークのほとりで「内側から光る木」を発見したことがきっかけで起こった反応なのだ。女の子は作家自身と重なるのだろう。「内側から光る木」は原文では“the tree with the lights in it”となる。調べてみると、雷が木に落ちると、木の幹の中が燃えることがあるそうだ。どちらにしても極めてまれに起こる現象、自分の今まででの人生で出会ったことがないシーンに直面したことで、作者は自らを直感的に客観視できたのではないかと想像できる。以前にも述べたが、立花隆が”宇宙からの帰還”で書いている、宇宙から暗闇の中に浮かぶ地球をみた宇宙飛行士が直感的に神の存在を感じた、のような経験ではないだろうか。
これまでの説明で、マクドネルの、アニー・ディラードの「ティンカー・クリークのほとりで」の世界観を写真で表現するの意味が多少は理解できるようになるのではないか。

以前に、彼女は既存のどんなシーンにもとらわれないヴィジョンを持っており、いまの宇宙や自然界のどこかでで発生しているが、誰も気付かない、見たことがようなシーンを探し求めている、と解説した。それこそが、彼女にとっての、森の中で「内側から光る木」を探す行為なのだ。前回も書いたが、今回の展示作品はそのような一種の求道の旅の中で「はっ、ドキッ」とする瞬間を撮影したものなのだろう。しかしマクドネルは、まだディラードの「内側から光る木」のような強烈なインパクトがあり、意識が瞬間で裏返るようなシーンには出会ってないのだろう。本作は彼女の現在進行形のライフワークで、これからも「内側から光る木」を探し求める旅は続くのだ。彼女にとってその撮影旅行自体が作品であって、それに意味を見出しているのだろう。ぜひ、上記の作品解説を含んだうえで、いまいちど“Lifted and Struck”を見てみてほしい。

本展は、二人の写真で重層的なテーマを見る側に提供している。マクドネルは、人生で出会ったことがないシーンを探し求める。これは宇宙を集中して観察する行為に他ならない。これこそは西洋社会の自然観を象徴しているといえるだろう。
一方で、ワイフェンバックの”The May Sun”は俳句のような写真作品。伊豆の山河で自然に神々しさを感じるという、古来の日本の自然観が反映されている。
西洋と古来の日本の自然観を対比させているのは、神が創造した自然を人間が自由にコントロールできるという考えの背景にある西洋の自然観、つまりその延長上の化石燃料を燃やして経済成長を続けることが、いまや地球の温暖化などの顕在化で持続できないという問題提起がある。最近の異常豪雨や酷暑は温暖化と関係があるといわれている。
しかしワイフェンバックは、単純に世界の人々は古の日本の自然観を見習うべきだとは考えていない。私たち日本人も、明治以降は自然と人間が一体という優美の美意識を忘れて、西洋の考え方を取り入れて経済成長を果たてきたのだ。彼女には、近代社会では生物と自然との関係のバランスが崩れて、一方へ傾きすぎていると認識があるのだと思う。西洋の自然観一辺倒になったので、そろそろ東洋の自然観の方への揺り戻しが必要ということだろう。
私は専門家でないので詳しくは触れないが、その背景には地球と生物は相互に関係しあいながら環境を作り上げている、という思想があると想像している。

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック / ケイト・マクドネル
2018年 6月1日(金)~ 8月5日(日)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 月・火曜日(本展では日曜も営業) / 入場無料
ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

 

“BOWIE:FACES”展が名古屋に巡回決定
鋤田正義スペシャルトーク開催!

 

2017年春に東京の3会場で行い好評だった”BOWIE:FACES”展。9月に名古屋に巡回することが決定した。会場は納屋橋 高山額縁店。会期は9月8日(土)~16日(日)までとなる。

本展では、テリー・オニール、ブライアン・ダフィー、鋤田正義など7名の有名写真家による、1967年~2002年までに制作されたデヴィッド・ボウイの珠玉のポートレート、写真家とのコラボレート作品約30点を紹介する。ボウイによる9枚のアルバムのオリジナル写真、および関連するアート作品が含まれる。

参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。なお彼ら全員が、昨年春に東京展が行われたヴィクトリア&アルバート美術館の”DAVID BOWIE is”に協力している。

会場では幅広い価格帯のオリジナル・プリントを展示販売する。中心価格帯は、10~30万円。しかし憧れの鋤田正義作品も、一部の小さいサイズの作品だと、額・マット込みで約3万円から、ブライアン・ダフィーのあの有名作“アラジン・セイン”も、LPジャケットのマットサイズのエステート・プリントならで約2万円購入可能。

東京展では、初めてアート写真を購入したという人が多数いた。実際に買うかどうかは別にして、買おうと思って会場に行くと展示作品への興味が一段と増す。コレクション初心者は、提示されている写真の価格が適正なのかが判断できないだろう。まずは買うつもりになって、作品を色々と見比べて、情報を集めていくと、自分なりの相場観ができてくるのだ。販売価格が、割安、割高、適正かがなんとなくわかってくる。高額作品は、現存するエディション数、イメージの人気度、サイズなどの高くなった理由がある。まず最初は安い作品からコレクションを始めて経験を積めばよい。そのきっかけになる作品が見つかる写真展だと思う。また、経験豊富なコレクターにも、真剣に探せば、名古屋で好まれる“お値打ち感”のある作品がかなり見つかるだろう。私は週末にはだいたい会場にいる予定だ。興味ある人はぜひ声をかけてほしい。ディープな情報を提供するつもりだ。

また、デヴィッド・ボウイの“Heros”のジャケット写真で知られる鋤田正義氏を招いてスペシャルトークを開催する。鋤田氏の名古屋でのトークは今回が初めてとのことだ。“BOWIE:FACES”展・展示作品を含む、鋤田正義氏の数々の作品画像やミニ・ドキュメンタリー動画をプロジェクターにて紹介。鋤田正義の写真家キャリアの変遷 と将来の計画、デヴィッド・ボウイ撮影にまつわるエピソード、撮影と作品制作の流儀、国内外での最近の活動などについて語ってもらう予定だ。ただし、サインは会場内で販売する限定カタログのみとなる。ご本人が高齢であることと、会場の混乱を避けるためなのでどうかご理解いただきたい。販売方法は、会期前に実行委員会から発表になると思う。

・鋤田正義スペシャルトーク概要
日 時:9月8日(土)14:00~15:30(開場13:30)
会 場:電気文化会館イベントホール
定 員:200名 ※予約制、全て自由席
参加費:2,500円

詳しくは以下をご覧ください

http://www.artphoto-site.com/inf_press_bowiefaces_nagoya_talk.pdf

・写真展について

開催時期: 2018年9月8日(土)-16日(日)
9:00-19:00(日曜/12:00-19:00)

開催場所: 納屋橋 髙山額縁店2F
〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南一丁目1-17

オフィシャルサイト
http://bowiefaces.com/

2018年前期の市場を振り返る
アート写真のオークション高額落札

アート写真市場は前半のオークション・スケジュールをほぼ消化した。昨年前期と比べると、出品数は約15%減少して3488点、落札率は若干改善して69%。総売り上げは、1点の落札単価が約14%上昇したことでほぼ同じ約36億円だった。6月末までにオンライン・オークションが6回開催されているのが今年の特徴。とりあえず前半は予想通りの結果で、波乱なく無事に終了したといえるだろう。

私どもは現代アート系と20世紀写真中心のアート写真とを区別して分析している。厳密には、アンドレアス・グルスキー、ロバート・メイプルソープなどは評価額によって両方のカテゴリーに出品される。しかし、ここでは便宜上、出品されたカテゴリー別の高額落札作品のランキングを制作している。
それではアート写真オークションでの高額落札をみてみよう。

  1. ヘルムート・ニュートン
    “Panoramic Nude with Gun, Villa d’Este, Como, 1989”
    フィリップス・ロンドン、5月18日
    72.9万ポンド(1.09億円)
  2. ピーター・ベアード
    “Heart Attack City, 1972”
    フィリップス・ニューヨーク、4月9日
    60.3万ドル(約6633万円)
  3. ラースロー・モホリ=ナジ
    “Untitled, Weimar, 1923/1925”
    ヴィラ・グリーゼバッハ、5月20日
    48.75万ユーロ(約6240万円)
  4. リチャード・アヴェドン
    “Dovima with Elephants, Paris, 1955”

    クリスティーズ・ニューヨーク、4月6日
    45.65万ドル(約5021万円)
  5. ロバート・メイプルソープ
    “Double Tiger Lily, 1977”
    フィリップス・ロンドン、5月18日
    29.7万ポンド(4455円)

アート写真の上位の1位、2位、3位と5位は、すべて1点ものだとオークションハウスが判断している作品。現代アート系や絵画同様に希少性がある作品が高額になる傾向が一段と強まっている。それを考えると、4位のリチャード・アヴェドン作品は約124X101cm、エディション50点。極めて人気が高いのがわかる。90年代前半のアヴェドン存命時の価格は2,7万ドル(@130/約351万円)だった。ちなみに2010年11月のクリスティーズでは、美術館展用に特別制作された約216X166cmサイズの同作品が約84.1万ユーロ(@112/約9419万円)で落札されている。
なおダイアン・アーバス“A box of ten photographs, 1970”が、4月6日のクリスティーズ・ニューヨークにおいて79.25万ドル(約8717万円)で落札されている。しかしこれは10点のポートフォリオ・セットとなる。

現代アート系の高額売り上げ上位には、お馴染みの顔ぶれが並んでいる。

  1. リチャード・プリンス
    “Untitled (Cowboy), 1999”
    ササビーズ・ロンドン、3月7-8日
    102.9万ポンド(1.54億円)
  2. シンディー・シャーマン
    “Untitled Film Still #21A, 1978”
    ササビーズ・ロンドン、6月26-27日
    94.6万ポンド(約1.41億円)
  3. アンドレアス・グルスキー
    “James Bond Island I, II, & III, 2007”
    ササビーズ・ロンドン、6月26-27日
    67万ポンド(約1億円)
  4. アンドレアス・グルスキー
    “Avenue of the Americas, 2001”
    ササビーズ・ニューヨーク、5月16-17日
    75.9万ドル(約8349万円)
  5. デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ
    “Science Lesson, 1982-1983”

    クリスティーズ・ニューヨーク、5月17-18日
    70.8万ドル(約7793万円)

現代アート系ではアンドレアス・グルスキーの人気が高く、高額ベスト10に4点が入っている。これは2018年1月~4月にロンドンのヘイワード・ギャラリーで開催された英国初の回顧展による影響だと思われる。5位のデイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(David Wojnarowicz)は、落札予想価格上限を超える高額落札。彼は、70年~80年代のニューヨーク・アート・シーンで活躍した話題の多いアーティスト、映画製作者。写真を含むマルチジャンルの表現で知られている。写真家ピーター・ヒュージャー(1934-1987)と個人的に親しく、本人もエイズで1987年に亡くなっている。7月13日からホイットニー美術館で“David Wojnarowicz: History Keeps Me Awake at Night”が開催されることから注目されたのだろう。主要美術館での展覧会開催は、現代アート系オークションの高額セクターには確実に影響を与えているようだ。

昨年の最高額落札は、クリスティーズ・パリで11月9日に開催された“Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”に出品されたマン・レイのヴィンテージ作品“Noire et Blanche, 1926”。約268万ユーロ(約3.63億円)。2位はアンドレアス・グルスキー。フィリップス・ロンドンで10月に開催された“20th Century & Contemporary Art”に出品された“Los Angeles, 1998-1999”の、約168万ポンド(約2.53億円)だった。

ちなみに、これらは年後半の出品作。いまのところ米国の景気は堅調だが、景気循環サイクルの最終局面との見方も根強くある。中期的には米国と中国の貿易摩擦やその影響も懸念されている。貿易戦争が激化して長期化すれば消費者心理が悪化すると思われる。2018年後半期の、高額で貴重なアート作品の出品にも影響がでてくる可能性もあるだろう。不安要素を抱えつつも、とりあえずアート写真市場は夏休み入りだ。

(1ドル/110円、1ポンド・150円、1ユーロ・128円)

2018年欧州アート写真オークション・レビュー
低価格帯分野で進行する人気・不人気の二極化

アート写真の定例オークションは、4月のニューヨーク、5月のロンドンが終わり、6月にかけて欧州で開催。欧州の経済状況は、昨年よりは弱くなったものの景気拡大傾向が続いている。しかし通商面では、EUと米国の対立が表面化しており、貿易戦争への懸念から企業業績の先行きには慎重な見方が増えている。またイタリアの政局が混迷してきており、将来的な財政悪化への懸念から国債の利回りが上昇しているのも懸念材料だろう。

Villa Grisebach lot 2062, László Moholy-Nagy, “Untitled, Weimar, 1923/1925”

5月30日にベルリンのヴィラ・グリーゼバッハ(Villa  Grisebach)、6月1日~2日にかけてケルンのレンペルツ(Lempertz)でオークションが開催された。2社合計で472点が出品され、落札率は約58%、総売り上げは167万ユーロ(約2.13億円)。低価格帯(約7500ユーロ以下)の出品が約90%だった。
最高額はヴィラ・グリーゼバッハで落札された、ラースロー・モホリ=ナジの“Untitled, Weimar, 1923/1925”。これは1点物の12.5 × 17.6 cmサイズのヴィンテージ・フォトグラム作品。落札予想価格30~50万ユーロのところ、48.75万ユーロ(約6240万円)で落札された。これはドイツのオークションで落札された最高額の写真作品とのことだ。
5月29日には、ササビーズ・パリで”Photographs Online”が開催。
低価格帯中心に57点が出品され、落札率約63%、総売り上げ約18万ユーロ(約2310万円)だった。

全体的に、ロバート・メイプルソープ、ウィリアム・クライン、ヘルムート・ニュートン、エリオット・アーウィット、杉本博司など知名度の高いアーティストの人気作は順調に落札されている。しかし、土地柄だろうか米国人アーティストの現代写真はあまり人気がない。特に知名度の低い20世紀写真の落札率は低くなっている。それらは落札予想価格は低めに設定されているのにかかわらず。コレクターの反応は鈍いのだ。欧州でも米国同様にコレクターのブランド志向の強まりを感じられる。低価格帯のなかでも、作品/アーティストの人気と不人気という、ふたつの二極化が進行しているようだ。

6月なってからニューヨークでも中堅業者の、ヘリテージ(Heritage)、ドイル(Doyle)で中低価格帯中心のオークションが開催されている。ヘリテージでは、423点が出品され、落札率は約76%、総売り上げは約135万ドル(1.48億円)だった。同社のオークションは、まるで90年代の大手のカタログを見ているような気がした。知名度が高いが、エディション数が多く、比較的低価格帯の良作が多数出品されている。ウォーカー・エバンス、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、ベレニス・アボット、アンリ・カルチェ=ブレッソンなどの20世紀写真から、ホルスト、ヘルムート・ニュートン、アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ハーブ・リッツなどの人気の高いファッション系が多数みられる。大手が積極的に取り扱わない作品がこちらに出品されている印象だ。
最高額は、アーヴィング・ペンの“Cuzco Children, Peru, December, 1948”。落札予想価格10~15万ドルのところ、9.375万ドル(約1031万円)で落札された。本作は“World in the small room”からのペンの代表作。落札予想価格の下限付近の落札と、上値がやや重たい印象だ。
一方で、ドイルは、さらに低価格帯の19~20世紀の写真作品が多く出品されている。184点が出品、落札率約82%、総売り上げ約34.9万ドル(約3839万円)だった。

6月27日には、中堅のボンハムス(Bonhams)ニューヨークによるオンライン・オークション“Photographs Online”が行われた。こちらは低価格帯中心に117点が出品されるが落札率が約29%、総売り上げ約15.1万ドル(約1661万円)にとどまった。

今後、低価格帯のオークションは開催コストが低いオンライン・オンリーに移行していくと思われる。今までは、価格帯により大手と中小業者の棲み分けが行われていた。しかし、今回のボンハムスの結果を見るに、オンライン・オークションでも、高いブランド力とマーケティング力を持つ大手がシェアーを伸ばしていく予感がする。特にクリスティーズは積極的で、オンライン・オークションでの高ブランド低価格帯作品の取り扱いを強化している。5月には“Stephen Shore : Vintage photographs”を開催。結果は、落札率約60%、総売り上げ15.9万ドル(1749万円)だった。7月9日から19日には、クリスティーズ・ニューヨークで、先日に日本で内覧会が行われたオンライン・オークションの“MoMA: Tracing Photography’s History ”の開催が予定されている。中堅のヘリテージ・ダラスは、オンラインとライブを組み合わせた低価格帯中心の101点のオークション“Online Photographs Fine Art”を企画している。7月5日からオンライン・オークションを開始、最終日の7月25日にライブ・オークションを行うという。ここにきて伝統のあるオークション業界でも、デジタル技術を利用した効率化への試行錯誤が行われるようになってきた。

(1ユーロ・128円)(1ドル・110円)

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (6)
“Shots of Style ” の紹介

美術館や公共機関で開催されたファッション写真の展覧会カタログの紹介を続けよう。今回は、ロンドンのケンジントンにあるヴィクトリア&アルバート美術館で1985年10月から1986年1月にかけて開催された“Shots of Style – Great Fashion Photographs Chosen by David Bailey” のカタログを取り上げる。

タイトル通り、英国人写真家デビット・ベイリー(1938-)が20世紀のファッション写真約174点をセレクションしている。
ベイリーは、60~70年代に活躍した英国人ファッション写真家。彼は、ブライアン・ダフィー、テレス・ドノヴァンとともに、60年代スウィンギング・ロンドンの偉大なイメージ・メーカーであるとともに、モデルやロック・ミュージシャンと同様のスター・フォトグラファーだった。60年代には、女優のカトリーヌ。ドヌーブと結婚していた時期もある。この3人はそれまで主流だったスタジオでのポートレート撮影を拒否し、ドキュメンタリー的なファッション写真で業界の基準を大きく変えた革新者だった。彼らこそは、いまでは当たり前のストリート・ファッション・フォトの先駆者たちだったのだ。
当時のザ・サンデー・タイムズ紙は彼らのことを「Terrible Trio(ひどい3人組)」、写真界の重鎮ノーマン・パーキンソンは「The Black Trinity(不吉な3人組)」呼んだそうだ。

ベイリーは、本書掲載のファッション写真の大まかな定義を“ファッション雑誌のエディトリアル・ページのために掲載された、服を1点かそれ以上を着ている女性の写真”としている。また前文では、以下のように記している。

“偉大なファッション写真は極めて稀だ。それは他の分野の写真と同様だ。いくつかの例外を除いて、ここに選ばれた写真は他の優れた分類の写真と同様のクオリティーを持っている。それは、ポートレートのアヴェドン、ルポルタージュのクライン、スティルライフのペンなど。本書で紹介している写真はすべての分野のアートを網羅しているともいえる。その意味で「ファッション写真」という言葉は当てはまらないだろう”

また、彼は35mmカメラとモータードライブの登場、一般の女性たちに多様なファッションが普及するようになったことがファッション写真を激変させた。ファッション写真が、時代の、姿勢、テクノロジー、セクシーさ、環境を反映させるメディアとなった、とも指摘している。
80年代くらいまでに、西洋先進国の中間層はかつてのタブーや因習、家族や他人の期待から自由になる。しかし複数の価値観が混在し、多くの人は何を着たらよいか、どのように暮らせばよいか、拠り所がわかりにくくなってしまう。そのような人たちはスタイルを求めるようになり、ファッション写真が世の中のスタイル構築に重要な役割を果たしたのだ。スタイルは明確な定義が難しい単語だが、物事がどのように見え、どのようになっているかということ。本書タイトルの“SHOTS OF STYLE”は、まさに新しい時代にスタイルを提供しているファッション写真という意味なのだ。
ベイリーの文章は、現在考えられている、20世紀におけるアートとしてのファッション写真の定義に近いといえるだろう。

掲載されている写真家は以下の通りとなる。
Diane Arbus、
Richard Avedon、
Gian Paolo Barbieri、
Lillian    Bassman、
Cecil Beaton、
Erwin Blumenfeld、
Louise Dahl-Wolfe、
Bruce Davidson、
Baron Adlf de Meyer、
Andre Durst、
Arthur Elgort、
Hans Faurer、
Toni Frissell、
Hiro、
Horst P. Horst、
Frank Horvat、
George Hoyningen-Huene、
William Klein、
Francois Kollar、
Germaine Krull、
Barry Lategan、
Peter Lindbergh、
Sarah Moon、
Jean Moral、
Martin Munkacsi、
Genevieve Naylor、
Helmut Newton、
Norman Parkinson、
Irving Penn、
Denis Piel、
John Rawlings、
Man Ray、
Paolo Roversi、
Jeanloup Sieff、
Melvin Sokolsky、
Edward Steichen、
Bert Stern、
Deborah  Turbeville、
Bruce Weber

前回に紹介した“The History of Fashion Photography”と比較してみよう。写真家数は、59名から39名に減少。新たに加わったのが14名、2冊で重複しているのが25名となる。前者は物理的にファッション写真を撮影している人を紹介している一方で、本書では、よりアート性(写真家の創造性)が重視されていると思われる。特に当時の若手を積極的にセレクション。マーティン・ハリソンはイントロダクションで、ヘルムート・ニュートン、ギイ・ブルダン、ブルース・ウェバーの登場で、コマーシャルとプライベートの作品2分法が成り立たなくなったと分析。彼はブルース・ウェバーを高く評価しており、彼の写真にはもはやファッション写真とパーソナル・ワークとの境界線がなくなっていると指摘している。
そして、“Fashion Photography of the 80s”の章で、ベイリーが当時の有力な若手として、ピーター・リンドバーク、デニス・ピール、パオロ・ロベルシの3名を上げていることを紹介、彼らが80年代以降のファッション写真の中心人物になると指摘している。ベイリーはこの時代に、既にリリアン・バスマン、アーサー・エルゴート、メルヴィン・ソコルスキーの仕事を評価し作品をセレクションしている。彼の優れたキュレーション力と先見性には感心させられる。

ハリソンのイントロダクションからは、80年代初期のファッション写真の状況が伝わってきて興味深い。写真展開催に際して、展示作品を集めるのに極めて苦労したようだ。当時はファッション写真の多くは作品だとは考えられていなく、雑誌編集部や写真家のもとにきちんと保存されていなかった。ファッション写真の多くは、雑誌掲載後は廃棄され、編集部や写真家の引っ越し時に処分されたという。
ルイス・ファーやボブ・リチャードソンの代表的ファッション写真は、当時には入手できずに展示を諦めたという。
またアート批評の世界でも、作り物のファッション写真は全く無視されていた事実にも触れられている。それが、アート界で、シンディー・シャーマン、ジョエル・ピーター・ウィトキン、ベルナール・フォーコンなどによる、作りこんで制作される写真作品が登場してきたことで、ファッション写真への偏見が徐々に減少していったそうだ。
ハリソンの本書にけるファッション写真の分析が、1991年に同じくヴィクトリア&アルバート美術館で開催された戦後のファッション写真に特化した展覧会“Appearances : Fashion Photography Since 1945” のキュレーションに発展していったと考えるが自然だろう。

(写真集紹介)
“Shots of Style – Great Fashion Photographs Chosen by David Bailey”
Victoria and Albert Museum、London、 1985年刊
ハードカバー(ペーパーバック)、サイズ 約33 X 24cm, 256 page.
Foreword : David Bailey
Introduction : Martin Harrison
約174点の図版を収録。

表紙はバロンド・メイヤーによる、米国化粧品ブランド“エリザベス・アーデン”用の1935年撮影の作品。本書にはハードカバーとペーパーバックがある。古書市場に流通しているのはほとんどがペーパーバック。前半がカラーで後半がモノクロの部分となる。モノクロは2色印刷と思われ、クオリティーは今一つ。本書はあくまでも資料だと考えたい。
古い本なので状態によって小売価格はかなりばらつきがある。一部にはカバーに変色が見られるものもある。状態が良好なものは75ドル(約8250円)程度から、ただし大判で割と重い本なので、海外から購入する場合は送料には注意してほしい。本自体は安くても、本体以上の送料がかかる場合がある。

ケイト・マクドネルの風景写真
「はっ、ドキッ」とする瞬間の訪れ

ⓒ Kate MacDonnell “Caddis fly hatch by the Gallatin River, MT, 2014”

ケイト・マクドネルは、“Lifted and Struck”のアーティスト・ステーツメントで自作を以下のように語っている。

「見ることはなんと素晴らしいことでしょう!それでも、美の事例を捕まえるのは本質的に悲しい行為です。捉えたつかの間の閃光はすぐに消えていくからです。人生は時によって長くも短くも感じます。私は人生で努力して、これらの言い表せない瞬間の痕跡を集めるために働きます。時間をかけて、もっと近くで世の中の美しさやきらめきを見てほしい、そして不安で未知数だけど次のステップへと進んでほしい、私は皆さんにそう伝えたいのです」

マクドネルが、ネイチャー・ライティング系作家アニー・ディラードの“ティンカー・クリークのほとりで”(1974年刊)という著作に多大な影響を受けている事実は以前に紹介した。ディラードと同様に彼女は自然と対峙する。それを丹念に観察し自分との関係性を見出して、独自の宇宙や自然のヴィジョンを確立させている。それをヴィジュアルで作品として表現しているのだ。
このような説明だとアートに詳しくない人は意味が不明だと感じるだろう。それでは彼女の宇宙のヴィジョンとは何か?もう少し探求してみよう。やや難解なのだが、風景写真のアート性に興味ある人はどうか付き合ってほしい。
それはもちろん多くのアマチュア写真家のように、ただ感覚的に優雅で美しい瞬間や情景を探しているのではない。多くのアーティストは、自分の持つビジョンを自然や宇宙に探し求め、それが出現したシーンを作品化する。しかし、彼女は既存のどんなシーンにもとらわれない、というヴィジョンを持っている。まるで禅問答のようなのだが、そこには、いまの宇宙や自然界のどこかで発生しているが、誰も気付かない、見たことがようなシーンが存在するはずという認識がある。彼女の創作とはそのような現象を新たに発見して写真で表現することに他ならない。その作品制作のアプローチは、まるでビジネスでイノベーションを起こすための過程のように感じられる。
これは、上記のアニー・ディラードの語る以下の文章からの影響だと思われる。

「美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。 我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです」

作品制作時には、彼女は自分をニュートラルな心理状態にして、自然と対峙しながら「はっ、ドキッ」とする瞬間の訪れをひたすら待つのだ。一般的な美しい風景とは、見る側の解釈に他ならない。それは時にデザイン的要素が強い。彼女は目の前のシーンの観察に集中することで、その先入観から自由になろうとする。マクドネルは”心理学者と脳神経学者によると、混乱している状態は何か新しい知識を得ることと関連している”という引用を2017年のステーツメントで行っている。なにか自分に居心地がよくない状況こそが、宇宙での新たなシーンとの出会いにつながと認識しているのだ。普通の人は嫌な感じを避けようとする。しかし、彼女には自分の既存のフレームワークだけで世界を見ていても新たな発見がないという確信があり、あえて自分を追い込むのだ。たぶんその瞬間の訪れまでシャッターはむやみに切らないのではないか。
繰り返しになるが、それは美しいから、優雅に見えるからという認識ではなく、上記のように言葉で言い表せない「はっ、ドキッ」とする瞬間をとらえる行為だと思う。デジタルカメラ使用は、この作品コンセプトと見事に合致している。気候や光の状態や被写体の移動速度など、アナログでは再現できなかったシーンも作品として表現が可能になったのだ。

彼女は、自然風景だけでなく自分の身の回りにも同じ視線を向けている。これは自分の日常の中で作品制作を行うワイフェンバックの影響もあるだろう。被写体が異なるが、二人の対象を見つめる撮影アプローチは非常に類似している。それが今回の二人展につながるとともに、作品タイトル「Heliotropism」になったのだろう。二人の違いは、マクドネルが意識的に幅広く移動することを心がけている点だろう。それは自分を新鮮な状況に置くことが、新たな作品が生まれる可能性を高めるという考えによる。

今回の展示作の中に、2羽のフクロウと3匹の鹿の写真が含まれている。

ⓒ Kate MacDonnell “Broken winged owls, 2009”
ⓒ Kate MacDonnell “Deer corn, 2013”

これもアニー・ディラードの著作「イタチのように生きる」からの影響だろう。そこで彼女は、イタチは“必然”に生き、人は“選択”に生きる、と書いている。自らを客観視するきっかけとして、自我を持たず目的なく生きるイタチに思いをはせている。本作のマクドネルの動物たちも、人間が自然の一部である客観的な事実に気付くために意識的に収録されているのだ。写真のシークエンスのアクセントとして登場しているのではない。

マクドネルの“Lifted and Struck”は、フォトブックのフォーマットにより、より多くのヴィジュアルが紹介されることで、メッセージの強度が増すと思う。実際に来場者の多くがもっと多くの写真を見てみたいという意見を聞かせてくれる。ぜひ多くの出版関係者に見てもらい、フォトブックの可能性を検討してもらいたい。

また、本作は日本では珍しい、写真で自己表現する米国の若手アーティストの紹介となる。開催期間は8月まである。アート写真を学びたい人には絶好の教材となるだろう。ぜひ多くの人に見てもらいたい作品展示だ。

ケイト・マクドネル(Kate MacDonnell)
1975年米国メリーランド州、アッパー マールボロ出身。大学時代にワシントンD.C.移り住む。
子供のころから両親のサポートで写真を学ぶようになる。ハイスクール時代には、ヴィジュル・アートのカリキュラムの中で、絵画やドローイングと共にモノクロの暗室写真クラスを受講。1997年、コーコラン・アート・デザイン大学を卒業。自分が理想とするヴィジュアルつくりに写真が適していることに気づき、カラー写真による表現を開始する。
2000年代から、様々な研究奨励金を得て創作活動を行い、主にワシントンD.C.やニューヨークのギャラリーや美術館で作品を展示。2013年には、 ワシントンD.C.のシビリアン・アート・プロジェクツ(Civilian Art Projects)で個展「Hidden in the Sky」を開催。本展は初めて彼女の作品を日本で紹介する写真展となる。

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック / ケイト・マクドネル
2018年 6月1日(金)~ 8月5日(日)
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日(本展では日曜も営業)
入場無料
ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com