感動を起点にディープなテーマ探求を始動させる
丸山 晋一の写真世界

いまや写真は広い意味での現代アート表現のひとつになっている。現代アートでは表現者は作品を制作する理由や考え方を自らが語ることが求められる。いわゆる、作品のテーマ性の提示であり、これが社会でどれだけ共有されるかで評価が決まる。このような状況で、多くのアーティスト志望者は世の中を驚かすような斬新なアイデアをひねり出そうと頭でっかちになる。どうしても色々と考えすぎる傾向が強くなるのだ。
ところで、私たちは本当に誰も思いつかないようなオリジナルな何かを生み出せるのだろうか。私たち思い浮かべる考えの多くは、すでに社会で一般的に共有されているのではないか。また日本で生まれ育った人は、どうしても日本の文化/習慣や歴史の影響から逃れることはできないだろう。資本主義世界に生まれたら、微塵も疑うことなく、周りの人と競争してお金儲けを目指す。そしてそれらの思考や行動の背景にある自分の個性や自由な想像力だと思っていたものは、おおむね社会や組織での役割や関係性の中でしか存在しない。自分が気付かないだけで、子供からの成長過程に環境に影響を受けて作り上げられた私的な幻想、つまり思い込みにすぎないのだ。

だから作品作りでは、最初から何か新しいものを生み出そうと、いろいろとアイデアを考えすぎてはいけない。
美術家の杉本博司は、人類誕生前、そして人類滅亡後の世界にも存在する普遍的な風景として代表作「海景」を制作している。これは人類が存在しない、つまり「思考」が存在しない世界のシーンの表現を目指しているのだろう。頭で「思考」に依存しない作品の可能性を考えているのだ。非常に高レベルの創作だといえるだろう。

私がワークショップなどでいつも引用するのは、米国人写真家ジョエル・マイロウィッツさんの言葉だ。仕事のインタビューで若手/新人へのアドバイスを求めたとき、彼は米国の学生がテーマ性やコンセプト重視により頭でっかちになっている事例を挙げて、一番重要なのは、感動なのですと明言した。私は、米国では若手や新人アーティストは自分が作り出したテーマで見る側を説得しようとしていて、作品の説明がまるで相手を論破するディベートのようになっているのだ、と理解した記憶がある。
彼はまず頭で考えるのではなく、心で感じるのが重要だと指摘したのだ。つまり感動を起点にして思考を展開していくことで、過度の思い込みにとらわれない自由な創作の可能性が開かれるかもしれないということ。そして次に、一般的な創作の過程へと移っていくのだ。つまり表面的な関心を探究したいテーマへと展開していき、関連情報の収集・調査そして整理・分析を行い、作品制作へとつなげていくのだ。

“Ryoanji, 2010”

私は丸山晋一は、過度に思考にとらわれずに作品の課題を見つけ出し創作につなげている写真家だと理解している。彼は、“肉眼では見えない、儚すぎる、そのような隠れた美を発見し捉えたい”という撮影意図があると語っている。これまでの作品は人間の目では見られない美を写真というテクノロジーによって可視化する挑戦だったといえるだろう。
“空書”では、空間に水と墨を放つことで、肉眼では捕らえられない瞬間的に浮かび上がり消えていく造形をハイスピードストロボを駆使して写真で捉えている。
“Water Sculpture”は、空中に撒かれた水が形成する一瞬のフォルムを彫刻に見立て表現する試み。
“Nude”は、踊る女性の連続する動きとフォルムの美しさを可視化しようとした作品。
“Light Sculpture”は、虹の発生する原理を利用して、そこから生まれる美をとらえる長期プロジェクト。水玉に光が当たって色が現れる現象に注目して水滴の中の色の可視化する究極のビジュアル制作にも挑戦。その一貫として、誰も見たことがない、満月の真夜中に滝にかかるきれいな虹の風景撮影を厳密な計算と周到な準備の上でニュージーランドで行っている。

・「AIでなんでも画像が作れる時代に、あえて真夜中に虹を撮るためにニュージーランドで30時間挑戦した話

“Light Sculpture #31 Wishbone Falls, 2020”

今回の展示作品のなかで、やや趣向が違うのが小さいサイズの28点をタイポロジー的に展示している“Japanese Beer、2014”だ。他とは制作アプローチが違い、思考から作品テーマが導かれたように感じられる。しかし、ビールの作品に取り掛かるきっかけは、当時アメリカに在住していた丸山が感じた驚きにある。それは日本の成熟した消費社会の先進性、タレントを起用した商品差別化のマーケティング技術、優れた製造開発力、微妙な違いを味わうことができる日本の食文化への感嘆なのだ。アメリカには日本のような税率で区別された膨大な種類のビールは市場に存在しないのだ。

本作では、多くのブランドの多種多様のビールをグラスに注いで撮影している。丸山は、それぞれの銘柄の色味や質感の特徴や違いが可視化できるのではないかと予想して取り組んだのだと思う。様々なビール缶のパッケージを撮影してグリッド状で提示する可能性も考えたそうだが、あえて中身のビール自体を同じグラスに泡と液体を同じ比率で注いで撮影して、タイポロジー的に表現する方法を採用している。今回の展示は28点だ、総作品数はなんと80点もある。完璧な泡の比率のビールを繰り返し同じ手法で撮影し続ける行為は、一種の修行のような厳しい行為だったことが容易に想像できる。当時の撮影現場を知る人の話によると、集中している丸山の姿に狂気を感じたという。
その結果は展示作品を見てもらえば明らかなのだが、中身の色味には際立った違いが出現しなかったのだ。多くのビールは全く同じものにさえ見える。ちなみにギャラリー内では、QRコードが掲示されており、個別作品の展示画像をスキャンすると缶の画像が重なりビールの銘柄がわかるというARの仕掛けも用意されている。

あれだけ缶のパッケージデザインでは自己主張しているビールなのだが、その中身自体には大きな違いがない事実が視覚的に浮かび上がってくる。もちろん、ビール会社はそれぞれには微妙な味の違いがあると主張するだろう。しかし、多少味が違うこれだけの多くの銘柄が存在する理由を誰も明確に説明できないだろう。結果的に本作では日本という高度消費社会で、企業が商品の僅かな差別化で競い合って利益追求している状況が可視化されているのだ。
地球規模の持続可能な社会作りや環境保護問題を考えたとき、私たちは市場での過度の競争追求を問い直さなければならないという事実を直感的に思い知らされる。丸山は本作で“肉眼では見えない、隠れた社会の真実”を可視化しているのだ。このような、誰も否定できないような地球規模の大きな作品テーマを取り上げるのは極めて難しい。丸山は、本作でも感嘆を起点に実験的手法の実践を通して見事に作品メッセージを私たちに伝えてくれる。

丸山の創作では、完成した作品自体に意味を見出すのではなく、作品制作への取り組みを通して、自分発見や自分探しの追求を目指そうとする姿勢が見て取れる。“肉眼では見えない、隠れた美や真実”の可視化を目指す創作行為自体が大きなテーマとなっているのだ。また制作に取り組む際の尋常でない執念と行動力、その結果生まれる美しいビジュアルにギャラリー来場者は心動かされる。それとともに、彼が自らの感動/感嘆を起点として試行錯誤を行い、探し当てた宇宙観をもとに、思考にとらわれない科学的アプローチで創作を実践している点も見逃せないだろう。いま停滞している現代アート表現の新たな展開の可能性を秘めていると思う。彼の創作のこの部分が的確に理解されると、市場での作品評価はさらに高まっていくのではないだろうか。

日本での久しぶりの個展となる。ぜひ丸山晋一の“空書”から進化していった一連の創作の軌跡を堪能してほしい。

「Shinichi Maruyama Photographs 2006-2021」
丸山 晋一 写真展
2023年 4月22日 ~ 7月30日
1:00PM~6:00PM / 木曜~日曜
(月/火曜休廊/ ご注意 水曜予約制)/ 入場無料

https://blitz-gallery.com/exhi_096.html

2023年春ニューヨーク
写真オークションレビュー
経済見通し不確実の高まりから低迷が続く

まずアート市場を取り巻く、今の経済環境を見てみよう。
米国ではインフレの高止まりから、昨年から米国連邦準備理事会(FRB)の急速の利上げが続いていた。ついにその影響が顕在化し、3月には米国地銀のシリコンバレーバンクなど2行が財務悪化で預金が流出して経営破綻した。さらに信用不安は経営悪化が取りざたされていたスイスの大手銀行クレディ・スイスに飛び火し、同行はスイス当局の介入でUBSに買収されることになった。インフレと利上げ継続、そして金融不安による信用収縮は間違いなく実体経済にマイナスの影響をあたえるだろう。早くも不動産市況悪化の兆しも見られるようで、景気悪化が心配されている状況だ。
NYダウは2023年1月3日に33,136.37ドルだった。3月の金融不安の広がりでいったんは下落したものの、当局が適切に対応して事態はすぐに鎮静化した。また景気悪化による年後半の利下げ観測から、オークションが行われる4月上旬には34,000ドル台まで持ち直している。
金融市場での先行きの不確実の高まりは、アート・オークション参加者に心理的な影響を与えると言われている。いまのアート市場を取り巻く状況はかなり厳しいといえるだろう。

2023年春の大手業者によるニューヨーク定例アート写真オークション、今回は4月上旬から4月中旬にかけて、複数委託者、単独コレクションによる合計4件が開催された。
フィリップスは、4月4日に複数委託者による“Photographs”(311点)と、昨秋に続いて“Drothea Lannge : The Family collection, Part Two (Online)”(50点)、サザビーズは、4月5日に、複数委託者による“Photographs (Online)”(87点)、クリスティーズは、4月13日に複数委託者による”Photographs (Online)”(107点)を開催した。サザビーズの出品数が少ないのは、5月1日~2日に単独コレクションセールの“Pier 24 Photography from the Pilara Family Foundation Sold to Benefit Charitable Organizations Sale”(合計188点)が予定されているからだと思われる。

ニューヨーク/写真オークション/大手3社 春秋シーズンの売り上げ推移

さてオークション結果だが、3社合計で555点が出品され、432点が落札。全体の落札率は約77.8%に改善している。ちなみに2022年秋は出品683点で落札率64.4%、2022年春は702点で落札率70.4%だった。総売り上げは約962万ドル(約12.7億円)、昨秋の約1050万ドルより減少、ほぼコロナ禍の昨春の約978万ドル並みだった。落札作品1点の平均金額は約22,273ドルで、昨秋の約23,876ドルより微減、昨春の約19,810ドルよりは上昇している。
過去10回のオークションの落札額平均と比較した以下のグラフを見ても、減少傾向が継続、またマイナス幅が若干拡大がした。今秋と比べると経済の不透明さが影響して出品数が大きく減少する中、落札率が改善して、総売り上げは微減だったといえる。中低価格帯の落札率はそれぞれ77.8%、79.7%と好調だったものの、5万ドル以上の高額価格帯は64.3%と低調だった。
業者別では、売り上げ1位は昨秋と同じく約654万ドルのフィリップス(落札率83%)、2位は約204万ドルでクリスティーズ(落札率79%)、3位は102万ドルでサザビース(落札率56%)だった。これは昨秋、昨春と同じ順位で、売り上げと落札率でサザビーズが苦戦している。

今シーズンの最高額は、フィリップス“Photographs”に出品されたアンセル・アダムスの「Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941」だった。落札予想価格15万~25万ドルのところ38.1万ドル(約5029万円)で落札されている。

Phillips NY, Ansel Adams「Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941」

フィリップスの資料によると、本作はニューヨーク近代美術館やプリンストン大学などで約35年のキャリアを積み、写真表現をプロ写真家の間の関心から、厳密な学問分野へと変貌させたことで知られる、キュレーター、写真史家ピーター・C・バンネル(Peter C. Bunnell、1937-2021)のコレクションの一部とのこと。彼が、1959年にアンセル・アダムスから直接に入手した極めて貴重な初期の大判サイズ作品となる。
この「Moonrise, Hernandez, New Mexico」は、1941年秋に夕陽に照らされるニューメキシコの小さな村を撮影した、彼のキャリアの中で最も有名な写真で、20世紀写真を代表する1枚ともいわれている。しかし、ネガの扱いが非常に難しく、彼の高い基準を満たすプリント制作にはきわめて複雑な工程の繰り返しが必要で、アダムスはプリント依頼をほとんど断っていた。しかし制作依頼注文はやむことがなかった。1948年、彼はネガを再処理して階調を強め、完璧なプリント作りを目指すという大胆な行動を決断する。再処理は見事に成功し、彼は非常にゆっくりとプリント注文に応じるようになるのだ。しかし、いま市場に流通するプリントの大半は1970年以降に作られたもの。今回のバンネルのコレクションは、由緒正しき来歴はもちろんのこと、アダムスがこのイメージの後期の解釈を確立する前の1950年代に制作された、81.3 x 95.3 cmという大判サイズのきわめて希少な作品となる。オークションでは、作品にまつわるサイドストーリーが多いほど高額落札されるのだ。

高額落札2位も、フィリップス“Photographs”に出品されたアーヴィング・ペン「Harlequin Dress (Lisa Fonssagrives-Penn), 1950/1979」、ロバート・メイプルソープ「Man in Polyester Suit, 1980」、シンディー・シャーマン「Untitled #546,2010」で、3作が同額の355,600ドル(約4693万円)で並んだ。

Phillips NY, Cindy Sherman「Untitled #546,2010」

経済の先行きの不透明感から、特に高額価格帯作品ではコレクターはいまだに売買への慎重姿勢を崩していないようだ。日本のコレクターも動きにくい状況が続いている。為替相場は、昨秋の150円よりは円高になったものの、130円台はまだ昨春よりはドル高水準だ。対ユーロ、対ポンドでも円安水準が続いている。作品の輸送コストも高止まりしている。しかし、米国のインフレ期待の沈静化と金利低下が視野に入ると、円高に振れる可能性が高いと思われる。もしかしたら今秋のオークションには、外貨資産を持つ意味での良品コレクション購入チャンスが訪れるかもしれない。

(1ドル/132円で換算)

TOPコレクション セレンディピティ
日常のなかの予期せぬ素敵な発見
@東京都写真美術館

定期的に開催されている東京都写真美術館のコレクション展。毎回、約3万7000点の収蔵作品を利用して、様々な切口で、色々な層の来場者を想定して写真展が企画されている。膨大なコレクションの中から自由な組み合わせが可能なだけに、担当する学芸員の発想力が問われる展示になる。

今回のコレクション展は、子供層への美術教育を意識して構想されたと思われる。日本での美術教育充実の必要性は多くのところで語られている。“13歳からのアート思考”(末永幸歩/ダイヤモンド社、2020年刊)でも、日本の美術教育は「技術/知識」偏重型であると分析している。
学芸員の武内厚子氏は、“美術館は「学習の場」、「社会情勢や現代の諸問題を知る場所」という役割が強くなった”と、本展カタログの解説文で現状分析を行い、その他の数々の役割の可能性に言及している。その新たな試みが今回のコレクション展なのだ。

“TOPコレクション セレンディピティ” 写真展カタログの表紙、イラスト 小池ふみ

本展には、もっと自由にアートに接して、感じてほしいとの狙いが隠されている。その意図が象徴的に表れているのは、参加写真家の吉野英理香が飼う小鳥のジョビンとエドワード・マイブリッジの展示写真から飛び出してきた子犬のマギーが、イラストで描かれて登場し、閉館後の美術館の展示を見て回るという設定が行われている点だ。これだけだと、まだ展示やカタログを見ていない人には全く意味不明だと思われるので、少しばかり説明を加えたい。
参加している写真家の吉野英理香は、2022年の外出制限されていたコロナ禍に、飼っている小鳥のジョビン(JOBIM)をインスタントカメラで撮影。今回そのシリーズから11点が展示されている。そのペットの小鳥ジョビンがイラスト化されているのだ。(上のカタログ表紙に描かれている) エドワード・マイブリッジは、連続写真で知られる19世紀の写真家。本展では走る犬の姿をとらえた1887年の連続写真作品が展示されている。そこから、飛び出してきたというシュールな設定で、ジョビンの相方として、子犬マギーのイラストが生まれているのだ。

会場内の壁面には、作品を鑑賞しているマギーとジョビンのイラストが所々に描かれている。明らかに子供受けを意識した設えだろう。また同展カタログ内の巻頭には、写真作品の前で自由に自分の感じ方を語り合っているマギーとジョビンの会話とイラストが「ジョビンとマギーの素敵な探検」として、まるで絵本のように紹介されている。たぶん ジョビンとマギーの 存在は、来場者の子供たちと重なっていて、彼らにも同じような姿勢で美術館で作品に向かい合って欲しいという意図だろう。
一方展示会場内には、床に座って壁面の作品と向き合うように、人工芝やクッションが置かれる仕掛けも考えられていた。

“TOPコレクション セレンディピティ” 写真展会場 東京都写真美術館

日本では、自分が作品をどのように感じているかを、言葉にして誰かに伝えるような美術教育は行われていない。子供は、作品に対しては、親、先生、友達に対しては言えないことでも、自分の気持ちを自由に主張できる。相手が作品なので誰も傷つかない。そして自分の気持ちを言葉にするのは、かなり難しい行為だという事実に気付くのだ。最初は自分の気持ちが伝えられないことをもどかしく感じるだろう。しかし、これは経験を積めば段々うまくできるようになる。実はこの行為こそはアーティストが何で自分が作品を制作しているかを説明する行為につながるのだ。
子供に、そのきっかけを与える願いが込められた、小鳥のジョビンと子犬のマギーを取り入れた企画はとても斬新だ。大人たちは、ぜひ子供とともに鑑賞に来て、彼らに作品に対しての自分の気持ちを自由に語らせてほしい。また自分の感じを子供にも伝えてはどうだろうか。

出品作家は以下の通り。膨大な収蔵作品から幅広い年齢の人の写真作品がセレクションされている。
(参加者)
相川勝、石川直樹、井上佐由紀、今井智己、潮田登久子、葛西秀樹、
北井一夫、牛腸茂雄、齋藤陽道、佐内正史、島尾伸三、鈴木のぞみ、
中平卓馬、奈良美智、畠山直哉、浜田涼、本城直季、ホンマタカシ、
山崎博、吉野英理香、エリオット・アーウィット、エドワード・マイブリッジ

タイトルのSerendipityは、思いもよらない素敵な偶然との出会いや、予想外の新しいものを発見すること。余談になるが、私はこの言葉から、ニューヨーク市にある有名なスイーツ・ショップを思い出す。90年代に、巨大サイズのデザートを食べに現地の友人に連れられて訪れたのだが、店名が特異で発音が難しかったのでよく覚えている。ここは予期せぬ素敵なスイーツを提供して来店者をもてなしていた。
本展のサブタイトルは“日常のなかの予期せぬ素敵な発見”となっている。これは写真家が日常生活で素敵なシーンを発見したという意味のようだ。しかし、私は一見は統一性がないのように感じるものの、妙に全体のおさまりが絶妙な、本展の参加写真家や作品のセレクション、そしてイラスト化された本展の影の主役である子犬のマギーと小鳥のジョビンの存在にセレンディピティを感じた。

もちろん、子供だけでなくアマチュア写真家やコレクターなどの大人でも十分に楽しめる展示内容だ。貴重で市場で高価なヴィンテージ・プリントなどの展示はないが、見どころは満載。ちなみに、本展フライヤーに掲載されている白い猫の組写真は、アジアを代表する画家の奈良美智の作品になる。プリント・クオリティーも非常に高い。彼は、写真を「その時感じた気持ちを思い出すための「記憶の栞」」であり、「後でそれを見ながら自分の感性チェックをする」ためと語っている。(図録 P-109) 有名画家の感性に写真で触れることができる貴重な機会といえるだろう。

今回の斬新な展示方法の評価は人によってかなり分かれると思う。個人的には、日本の美術館ではあまり見られない、作品展示の方向性や学芸員のメッセージが明確に感じられる優れた企画の写真展だと評価したい。

写真展情報

定型ファインアート写真の可能性
Zen Space Photographyの提案
第4回

私は定型ファインアート写真への取り組みは、自分探しに展開する可能性があると考えている。若いときは多くの人は自分を発見するために、思いつく範囲内で様々な行動に取り組んで経験してみる。例えば自分好みの音楽を求めて、多くのジャンルやミュージシャンの曲を聞いてみた経験は誰でも少なからずあるだろう。人によってそれは読書だったり、映画だったかもしれない。
しかし自分の個性で求めていたと感じたものは、案外人気ランキング上位で多くの人の好んでいる表現だったりする。
社会にでると、学生時代には知らなかった多種多様な価値観が存在することを知り、多くの人は迷路に迷い込む。選択肢の多さのなかで、自分自身がどのような個性をもった人間かわからずに、外界から浴びせられる様々な刺激に翻弄される。多くの人は社会で一般的に共有されている、会社での尊敬/評価や、お金持ちになるなどの私的幻想を作り上げ、社会の中で他人との共同化の競争を行う。
しかしこれが自分だと思ったものは、おおむね社会や組織での役割や関係性の中でしか存在しない。私たちが頭のなかで作り上げられた思い込みにすぎないのだ。それらが思い通りになるかどうかは偶然性が大きく左右しており、個人の努力では変えられない場合も多い。現代人の悩みや生きにくさは、この思い込みへの過度のこだわりから生じる。
ここまでは前回の主張を違う視点から繰り返して述べた。

ⓒ Shinichi Maruyama

さて私が提案している定型のファインアート写真のZen Space Photographyは実践自体を通して、思い込みにとらわれない生き方を提供してくれかもしれないのだ。まず頭に浮かんでくる思考/邪念を消しさり、無心状態で自然や世界と対峙して、心が動いて「はっ、ドキッ」とする瞬間を見つけようとする。この一連の行為は自分を発見する入り口になる可能性があるかもしれない。
まず最初のステップは、自分は何が得意で苦手で、どんな個性や興味を持つ人間かを知ることになる。表現や創作は自分がどのような意思を持った人間かを発見する行為。その中で写真が最も手軽に実践できる技術なのだ。言い方を変えると、ここで提案しているのは、定型ファインアート写真の制作を通して、思い込みにとらわれずに、自分発見に取り組み、その先に自分探しを行うことなのだ。

写真で作品制作といっても、どのような考えをもって、何を撮ってよいかわからない人が多いだろう。しかし、ここでは作品テーマやアイデアなどの枠が用意されているので、写真を撮る人はそれに従って創作に集中すればよい。写真では、撮影場所やカメラの選択など、自分一人で様々な判断を下す必要がある。そして現場では、カメラをどの方向に向けるか、なにを被写体に選び、どこでシャッターを押すかを決断する。これらの撮影プロセスにはすべて自分の意思が反映される。いまのデジタル写真時代では撮影後の編集作業も含まれる。また過去に撮影した写真を見直す一連の作業の中にも自分の意思が反映されるだろう。
ここで極めて重要なのは、アマチュア写真家のように、人にほめてもらう、承認欲求を満たすための写真でない点。それだと、自分の思い込みを他人に証明するような、また社会/組織の中での役割や関係性に依存する写真表現になってしまう。他人指向ではなく、自らを探求して作品の制作意図を再確認する自分志向の行為に意味があるのだ。

定型ファインアート写真を通して意識的に世界と対峙し、自分自身の特徴が把握できるようになれば、その先に思い込みにとらわれない、やりたいことや夢が見えてくるかもしれない。写真を通しての自分発見の行為はライフワークだと考えて取り組めばよい。もし写真を通じて社会に対して意識的になれるのなら、それはそれで充実した生き方ではないだろうか。

実のところ思い込みから自由になれば、案外自分の夢やその実現などにこだわらなくなり、肩の力が抜けた素直な写真が撮れるのだ。私はいつもそのような写真家と作品との出会いを待ちわびている。


ⓒ Shinichi Maruyama

実は次回展で約10年ぶりに紹介する丸山晋一の一連の写真作品は、無心状態で自然や世界と対峙して、心が動いて「はっ、ドキッ」とする瞬間を見つけようとする写真作品だ。継続した作品制作自体が作品テーマに展開している実例になっている。5月11日から「Shinichi Maruyama Photographs:2006-2021」を開催する予定だ。興味ある人は写真展のプレスリリースを参考にしてほしい。

定型ファインアート写真の可能性
Zen Space Photographyの提案
第3回

定型ファインアート写真について、今までその概要を披露してきた。おかげさまで、ギャラリー店頭でいろいろな感想や質問をもらっている。どうも方法論に多くの人の関心が集まっているという印象を持った。
私が最も伝えたいのは、写真を撮影する行為、つまり表現による自分探しの可能性なのだ。少しばかり小難しい話になるが、今回はこの点を説明したい。

人間は社会生活を送る中で、自分自身が成長し、表現することに喜びや幸福感を感じる。将来の夢を実現したいと考えるのだ。これは米国の心理学者アブラハム・マズローの提唱する「欲求5段階説」による。心理学を学んでなくても、最近はビジネス書でもよく引用されるので聞き覚えのある人も多いだろう。
マズローは人間の欲求には階層あり、それは生理的欲求、安全欲求、所属と愛情欲求、承認欲求、自己実現欲求の5段階に分かれていると提唱した。つまり社会が豊かになって、生存にかかわる低次の欲求が満たされるとより高次のものを求めるようになる。このうち最も高度で、同時に最も人間的な欲求が自己実現なのだ。これは説得力のあるわかりやすい理論なのだが、もちろん実際面では様々な批判も存在している。ここではとりあえずマズローの考えを参考にして私の考えを進めていく。

自己実現の前に、まず自分の内面の欲求である、将来の夢や理想の自分像が何かを見つけなければならない。何を社会で実現するかを知ることだ。
子供の時は社会にいろいろな職業が存在する事実は知っているが、スポーツや自分が実際に接したもの以外はその仕事内容は知る由もない。日本FP協会が2021年に実施した作文コンクールで、小学生が「将来なりたい職業」は、男子の1位は「サッカー選手・監督」、2位は「野球選手・監督」、女子の 1 位は「医師」で、2位は「看護師」だったという。また、「ユーチューバー」が初めて男子のトップ5入りを果たして話題になった。しかし、大人になってプロのスポーツ選手のように子供時代でも知っているような仕事に就くことは非常に困難だろう。一芸に秀でた才能がないほとんどの人は、受験や就職を通して自分探しを行い、その延長線上に自己実現をめざすことになる。
学生から社会人になってからの若者期(18~29歳)には、学生時代のクラブ活動、アルバイト、趣味、社会人になってからの新入社員時代に与えられた仕事を通していろいろな経験を積み、自分の得意分野や適職の候補が探すことになる。
具体的な自分探しはこのように始まり、しだいに自分にどのような可能性があるかを意識するようになる。これは最初のうちは私的な幻想であり、自分探しとはこれを社会で疑似現実化しようと悪戦苦闘する行為なのだ。しかし実際は、ごく一部の人だけが会社で立身出世し、転職や起業で成功する。
若いうちは誰にも可能性があると妄信するのだが、年齢を重ねると可能性がなくなっていく事実を意識するようになる。残念ながら多くの人は、自分探しがうまくいかず、何で自己実現してよいかがわからないのだ。色々なことに挑戦する中で、自己喪失状態に陥ってしまう。そして自分らしさや個性がわからないまま、ほろ苦さをかみしめながら日々の生活を送り、定年を迎え、年老いていくのだ。社会生活で実際に自己実現している人は本当に数少ないのだと思う。

前振りが少し長くなったが、だから写真を通しての自分探しのための表現の可能性を提案したい。

以下、次回第4回に続く。

サザビーズ・ニューヨークで開催
ロバート・フランク写真の単独セール

Sotheby’s NY, “On the Road: Photographs by Robert Frank from the Collection of Arthur S. Penn”

2023年のファインアート写真のオークションがいよいよスタートした。
2月22日、サザビーズ・ニューヨークで20世紀写真を代表するスイス人写真家ロバート・フランク(1924-2019)の主要作品109点のセールが行われた。「オン・ザ・ロード(On the Road: Photographs by Robert Frank from the Collection of Arthur S. Penn)」と命名された同セールは、世界で最も大規模なロバート・フランク作品の個人コレクションのアーサー・ペン(Arthur S. Penn)コレクションからの出品。

Sotheby’s NY, “On the Road: Photographs by Robert Frank from the Collection of Arthur S. Penn”

20世紀を代表する写真作品として知られる“Hoboken N. J.’ (Parade),1955”や、「The Americans」などの主要写真集に収録されている作品、コニーアイランド、ロンドンのビジネスマン、ウェールズの鉱夫のシリーズ、1950年代後半の映画的な「From the Bus」シリーズからの印象的な写真、そして家族の肖像写真まで、ロバート・フランクの輝かしい写真家キャリアを網羅する出品内容になっている。

Sotheby’s NY, “On the Road: Photographs by Robert Frank from the Collection of Arthur S. Penn”

しかし今回のオークション、ロバート・フランクの質の高い作品が多い単独セールだったが、かなり厳しい落札結果だった。
109点のうち落札は53点で、落札率は50%割れの約48.6%。総売り上げは991,235ドル(約1.28億円)だった。最高額の落札が期待された注目作の“Hoboken N. J.’ (Parade), 1955”。1978年までにプリントされた20.6X31.1cmサイズ作品で、落札予想価格12万~15万ドルの評価だったが不落札だった。
1万ドル以下の低価格帯の落札率は60%台だったものの、1万~5万ドルの中間価格帯、5万ドル以上の高額価格帯の落札率が約50%程度と不調が目立った。

Sotheby’s NY, “On the Road: Photographs by Robert Frank from the Collection of Arthur S. Penn”

最高額落札は2作品が同額の63,500ドル(約825万円)で並んだ。
“From the Bus NYC’ (Woman and Man on the Sidewalk), 1958”は、落札予想価格6万~9万ドル、もう一点の“Chicago (Car), 1956”は、落札予想価格4万~6万ドル。2点とも50年代から60年代にプリントされたヴィンテージ・プリントの可能性の高い作品だった。今回のサザビーズの企画は、市場の閑散期の活性化を狙った珠玉のロバート・フランク・コレクションの単独オークションだった。しかし開催時期がちょうど経済状況の先行きの不透明が強まったに時期と重なり、不運だったといえるだろう。

金融市場では、2月発表の米国の経済指標が予想よりもよく金利が上昇した。景気後退入りリスクが高まっているにもかかわらず、米連邦準備理事会(FRB)の利上げが当初の予想以上に長引くとの観測からNYダウの株価も1月来の安値になっていた。このような金融市場の先行き不透明感がコレクターのセンチメントに悪影響を与えた可能性が高いだろう。特に貴重な代表作品のヴィンテージ・プリントでない限り、いくらロバート・フランク作品でも無理に急いでいま購入する必要はないという姿勢の表れだと思われる。4月になると定例のニューヨークでのPhotographsオークションが開催される。金融市場の状況をもう少し見極めたうえで判断するという、様子見を決め込んだコレクターが多かったのだ。

私は市場心理に悪い影響を与えたのは将来的な景気の後退予想だと考えている。景気が悪くなると、特に高額価格帯の作品の相場が悪化する傾向が強い。コレクターにとっては、今より安く購入できる可能性が将来的に訪れることを意味する。長期的な景気後退シナリオは、4月の定例オークションにも影響を与える可能性があるだろう。これからの各価格帯の相場動向を注視していきたい。

春の大手業者のニューヨークの「Photographs」オークションは、フィリップスが4月4日、サザビーズが3月29日~4月5日、クリスティーズ(Online)が3月31日~4月13日に予定されている。

(為替レート/1ドル130円で換算)

定型ファインアート写真の可能性
Zen Space Photographyの提案
第2回

日本人の文化的な背景を考慮したときに考えついたのが、定型のファインアート写真の可能性。最初から作品テーマやアイデアなどを用意しておき、写真を撮る人はそれを意識したうえで、そのルールに従って創作を行うというアイデアだ。
前回はその中の一つの可能性として「Zen Space Photography」という、一種の風景や都市ストリートを撮影するなかで、心で「はっ、ドキッ」とする瞬間を写真でとらえる考え方を提案し、概要を解説した。定型詩の短歌や俳句で、普段は見過ごしがちな季節の移ろいや自然の美しさを発見して表現するのと同じアプローチだと考えてほしい。

写真を撮る行為自体が、「今という瞬間に生きる」禅の奥義と重なるので、この「Zen・禅」というキーワードと定型写真とは親和性があると考えたのだ。今回は「Zen Space Photography」の心構えを以下にまとめてみた。

ブリッツ・ギャラリーでの写真展示/Kate MacDonnell

1.撮影時の心構え
・世界の認識
前回は、アメリカ人写真家ケイト・マクドネルと作家アニー・ディラードの世界観を紹介した。それはいま存在している宇宙や自然界、また都市のストリートのどこかで、誰も気付かない、見たことがような心が揺さぶられるシーンが発生し存在するはずという認識。考えるのではなく、心で「はっ、ドキッ」とする瞬間、理想的には調和して美く整っている奇跡的な瞬間の訪れを発見して写真で表現する。しかし、次にジョン・ポーソンの著作を引用したように「誰も気付かない、見たことがようなシーン」は、何か特別なものではない。普段の忙しい社会生活の中で、頭が思考でフル状態では気づかない。しかし思考を消して、無心状態で自然や世界と対峙すると、ありきたりの世界の中にも見つかるかもしれない。心が動いた時にとらえたそんなビジュアルすべてなのだ。ただし、意識して何気ないシーンやありきたりの風景を撮影するのは、ミイラ取りがミイラになる。注意が必要だ。

“Pilgrim at Tinker Creek” by Annie Dillard

・技術的考察
頭で考えて、決定的瞬間、正確なフォーカス、色彩の調和/抽象美、フレーム内のバランス/構図などのデザインやグラフィックを意識しない、デザインを過度に重視すると、独特の視覚的美学を持つ映画監督ウェス・アンダーソンWes Andersonの提示する風景「Accidentally Wes Anderson」になってしまう。  彼らは、「私たちにインスピレーションを与えてくれるユニークなもの、シンメトリーなもの、非定型なもの、特徴的なデザイン、素晴らしい建築を探求しています」と公表している。
またかつての20世紀写真では、モノクロで抽象化された世界のなかに調和を見出していた。それらはグラフィック・デザイン感覚を生かして写真での抽象表現が目的化したスタイルだ。

・意識のコントロール
浮かんでくる様々な思考/雑念と関わらにようにし、判断を避けて注意を払わないでそのままにしておき、次第に頭から消し去る。それは今この瞬間に生きるという、瞑想やマインドフルネスの実践に近いともいえる。既存のどんなシーンにもとらわれない、エゴを捨てる、よい写真、他人の評価、作品の販売の可能性などを気にしない。これが実践できるようになれば、本当に自分らしい人生を送れるようになる。そのような生き方を目指すために写真撮影による「Zen Space Photography」に取り組むのだと解釈してもよいだろう。 この行為の実践自体が、第1回で解説したように、定型ファインアート写真「Zen Space Photography」の作品コンセプトになる。

・撮影場所
世界中を移動することでそのようなシーンは発見できる可能性は高まるだろう。旅は非日常に身を置くことで、自らを日常のマンネリから脱して客観視するきっかけを無理やり提供してくれる。しかし世界に対して能動的に接すれば、身の回りにもそのようなシーンが存在している事実を発見できるのだ。

・キャプション/メッセージ
撮影場所、撮影地、撮影年月、また自分の撮影時に感じた印象などを自らが語り、記述する行為も作品の一部になりうると考える。

“A Visual Inventory” by John Pawason、 対で提示された写真にはそれぞれ撮影時のインプレッションが書かれている

・注意点
しかし、さあこれから「Zen Space Photography」を撮ろうとするのは、どうしても気負ってしまうだろう。最初は、自分の意識が消えて良い作品ができたと、この行為自体を”意識”する場合が多いのではないだろうか。
禅には野狐禅(やこぜん)という言葉がある。本当の悟りに達していないのに、自分だけは悟ったと思い込んで自己満足に陥いる状態。これは自意識がまだ消えていないのに、無我の境地で作品ができたと勘違いする状況だ。自分や他人の能力を的確に把握できないことで起こる、認知バイアスとして知られる、ダニング=クルーガー効果に近い状況だとも考えられるだろう。普段はあまり強く意識することなく、よい作品を制作するんだと、エゴむき出しにならないように、気軽に取り組めばよい。

2.作品の編集/エディティング
過去の撮影したアーカイヴスの中からの、無心で撮影された写真を探し、セレクションを行う。無意識のうちに偶然出会ったシーンを切り取った写真は、後から見直すと「Zen Space Photography」かもしれない。

3.他人の写真を見立てる/鑑賞する
自分以外の写真家や他の一般人が撮影した写真の中にも「Zen Space Photography」は存在する。それらを「見立てる」、また鑑賞して楽しむ可能性もあるだろう。
ソール・ライター、ウィリアム・エグルストン、ルイジ・ギッリ、リチャード・ミズラック、テリ・ワイフェンバックなど。またスティーブン・ショアーやマイケル・ケンナの初期作などの写真の中にも発見できる。

4.どのように始めるか
上記の”注意点”で触れたように、最初はどうしても写真撮影時に様々な邪念が浮かんでくるだろう。この心掛け自体が、新たな思い込みになるかもしれない。また禅問答のようになってきたが、「Zen Space Photography」の追求は、もしかしたら禅の修行やマインドフルネスの実践に近いかもしれない。ぜひ一生追求するライフワーク的な行為だと認識してほしい。

ここでの提案に興味ある人は、まず過去に撮影した写真アーカイブの、上記の「Zen Space Photography」の視点で見直しから始めてはどうだろう。もしかしたら全く違う時間、場所空間で撮った写真の中に精神性のつながりが発見できかもしれない。また好きな写真家やフォトブックがあれば、それらの要素を取り込んでオマージュ的な作品への取り組みも可能性があると考える。
杉本博司も写真技法を日本古来の和歌の伝統技法である「本歌取り」の技法を取り入れて、創作の幅を大きく広げている。2022年9月に姫路市立美術館で「杉本博司 本歌取り」展を開催したのは記憶に新しい。定型ファインアート写真でも好きな写真や撮影スタイルの「本歌取り」的な作品から開始してもよいだろう。

杉本博司 “本歌取り”

そして、次のステップについても述べておきたい。自分の中に明確な社会における問題点がテーマや問いとして生じてきたら、それを意識して世界や宇宙に対峙して撮影を行って欲しい。
テリ・ワイフェンバックも初期作品は「Zen Space Photography」的なアプローチで自分の周りの世界と接していた。その後に独自の宇宙や自然のヴィジョンを確立させ、今度はその視点で世界と接して創作表現を行っている。それは正当なファインアート写真の製作アプローチになるのだ。以上は、私が考えた日本的なファインアート写真のたたき台になる。久しぶりに小難しい考えを展開してきたが、いかがだっただろうか?興味ある人はいろいろな意見や感想をぜひ聞かせてほしい。反応が多ければ、勉強会などの開催を検討したいと考えている。

E-mail <fukukawa@blitz-gallery.com>

定型ファインアート写真の可能性
Zen Space Photographyの提案 
第1回

久しぶりに「日本の新しい写真カテゴリー」への文章の追加になる。今回はいままでとは全く別の角度から日本的なファインアート写真の可能性を考えてみたい。
日本人はその文化的背景から、自分の考えや思いを他人に伝える習慣があまりない。いわゆる、忖度が中心で情緒的で空気を読むハイコンテクストの文化を持つ社会だからだ。文化のローコンテクスト型とハイコンテクスト型については、日本写真芸術学会の記念講演で紹介したようにエドワード・ホール(1914-2009)の「文化を超えて」(1976年)を参考にした。現代アートの必要十分条件の、テーマやアイデア/コンセプトを自分で論理的に考えて語る行為に日本人はなじみがないのだ。
それでは、一般の人がファインアートの視点を持って写真撮影を行う別の方法がないかを考え続けてきた。日本人の文化的な背景を考慮したときに浮かんできたのが、定型のファインアート写真の可能性だ。最初から作品テーマやアイデアなどを用意しておく、写真を撮る人はそれを意識したうえで、そのルールに従って創作を行えばよいのではないかと考えた。
例えば、日本の茶道、華道などもルールやパターンの型があり、その中で創作を行う。定型詩の俳句や、短歌の叙景歌なども日本人にはなじみがあるだろう。
写真で同じような方法を行うアイデアだ。私は、「ファインアート写真の見方」(玄光社/2021年刊)やブログなどで、創作を長年継続している写真家の、無意識のアート性を第三者が見立てる方法を主張してきた。それは継続するが、今度は新たなアプローチとして、最初に見立てありきで、その枠の中で写真を撮る行為の提案をしてみたい。

写真はビジュアルなので、本当に様々な定型創作の可能性はあるだろう。その中の一つとして私の頭の中でまとまってきたのが「Zen Space Photography」という、風景や都市ストリートを撮影する写真の考え方だ。風景写真では、文脈の中で写真家のメッセージが提示されるケースはあまりない。強いてあげると、グローバル経済や、環境破壊、地球温暖化などの非常に大きな問題になってしまう。それ以外は、カメラやレンズの性能検査になる、コンテスト応募用のアマチュア写真となる。この分野は定型ファインアート写真と相性が良いのではないかと考えたのだ。また都市やストリートのスナップの中にも同様の写真が含まれるだろう。
まずキーワードの、ややわざとらしく感じる「禅/Zen」。写真を撮ること自体が、「今という瞬間に生きる」禅の奥義につながる。「いまに生きる」手段の実践として、瞑想や座禅のように、写真撮影自体には可能性があるのだ。
定型のテーマ作りでヒントになったのは以前に「Heliotropism」というテリ・ワイフェンバックとのグループ展を行ったアメリカ人写真家ケイト・マクドネルの以下のような認識だ。「いまの宇宙/世界/自然界のどこかで、誰も気付かない、見たことがないようなシーンが発生していて、存在するはず。世の中の美しさやきらめき、つかの間の閃光など。私たちの知らないうちに世界のどこかで発生して、誰も気づかないうちに消えてしまっている」

「Heliotropism」展でのケイト・マクドネルの展示

彼女は、ネイチャー・ライティング系作家のアニー・ディラードの著作「ティンカー・クリークのほとりで」に影響され、上記のような世界観を写真で表現しようとしている。そのアニー・ディラードは、以下のように語っている。「美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです」そのようなシーンの出現を求めて、目の前の世界や宇宙の観察に集中するのは、今に生きるという禅の奥義と通底している。瞑想のように心を無にして世界や自然と対峙し、丹念に観察する。頭に邪念が浮かんだら、それを意識的に考えないようにする。頭でデザイン的にバランスの良いシーンを求めるのではなく、心が動き「はっ、ドキッ」とする瞬間、調和して美しく整っている奇跡的な瞬間の訪れを待って作品化する。

「A Visual Inventory」John Pawson, Phaidon刊

しかし実際のところ、そのような奇跡的なシーンは簡単に、また頻繁に私たちの目の前に出現しないだろう。さらに探求していたら、ミニマリズム建築家として知られるジョン・ポーソンの2012年の写真集「A Visual Inventory」に行き着いて、その著作からもヒントをもらった。彼は1996年にPhaidon社から出版された「Minimum」で、様々な歴史的・文化的文脈におけるアート、建築、デザインにおけるシンプリシティという概念を検証し、それが体現したビジュアルを1冊の本にまとめている。ミニマムの視点で見立てたモノ、建築。アート、自然や都市のシーンを提示しているのだ。「A Visual Inventory」では、 自らが長年に渡り、世界中で撮影したスナップ・ショットを見開きのペアの写真にまとめて発表している。彼は、建築家やデザイナーとしての仕事に役立つようなパターン、ディテール、テクスチャー、空間の配置、偶然の瞬間を常に探し求めている。被写体は、モノの表面テクスチャーのクローズアップ、建築物の外観やインテリアのディテール、自然や都市の風景などまで。主観を排して、実際の事物に即して撮影しているのが特徴。トリミングなしの写真は、私たちが実際に見ている何気ないシーンに近いと感じられる。彼は「その瞬間には二度と起こらないようなことを、いつも見ているのだということを強く意識しています」と語っている。この本に含まれているのは、一部にデザイン的な視点の強いものあるが、ほとんどが「Zen Space Photography」の範疇に含まれると直感した。ポーソンの写真は、マクドネルが語る、「誰も気付かない、見たことがないようなシーン」は、何か特別なものではなく、普段は見過ごしてしまうような世界に現れるシーンの中にも存在する事実を教えてくれる。

「A Visual Inventory」John Pawson, Page 20-21

先日、世田谷美術館で開催されていた「藤原新也 祈り」展を鑑賞してきた。藤原は写真家というよりも、文章を書く作家、画家、書道家として多分野で創作しているアーティストだ。同展は半世紀にわたる彼が世界を見てきた批判的な視点を、写真、文章、書で本格的に回顧する展覧会だった。展示作品の一部には、文章が添えられていない、テーマが明確に提示されないスナップ、風景、ストリートなどの写真が含まれていた。それらは撮影場所などでカテゴライズされて展示されているのだが、まさにここで展開している「Zen Space Photography」に他ならないと直感した。それは、いろいろな人の作品の中に発見できるのだ。

「藤原新也 祈り」展 図録 世田谷美術館

人間は普段生活しているとき、常に頭で思考している。そして自らの作り上げた思考のフレームワークを通して、世界の中にある自分の見たいものだけに反応している。思考の過程で様々な解釈が行われるのだが、それは過去の経験との比較になる。自分の過去の経験の範囲内で比較対象がないシーンは見えていないのだ。「Zen Space Photography」の、心で「はっ、ドキッ」とする瞬間を撮影する行為は、思考にとらわれていない、今という瞬間に生きているときのビジュアルを記憶する行為になる。
通常のファインアート作品は、新しい視点の提示を通して見る側に自らの思い込みに気づくきっかけを提供する。ここで提案しているのは、思い込みにとらわれていない精神状態で撮影した写真を、決まり事として提示すること。撮影者が無心の状態で自然や世界と対峙して、心が動いた瞬間をとらえたビジュアルは、本人がエゴを捨て評価を求めないがゆえに、すべて「Zen Space Photography」になるなのだ。そのような無の状態での撮影の実践自体が、自らを客観視している行為だと理解して取り組めばよい。
本作では、それらが社会生活の中で様々な思い込みにとらわれている人たちに提示されるわけだ。デフォルトの撮影意図を理解したうえで接すれば、彼らにとっても、自分を違う視点から見直すきっかけになるかもしれない。これが定型ファインアート写真「Zen Space Photography」の作品コンセプトになる。この「禅/Zen」のタイトルゆえに、禅問答的になっているのをどうかご容赦いただきたい。
(以上が第1回。次回は 「Zen Space Photography」の心構えや実践のアイデアを詳しく解説する予定だ )

2022年アート写真オークション・レビュー
マン・レイ/エドワード・スタイケン作品
1000万ドル超えの衝撃落札!

2022年アート写真市場では、2点の1000万ドル越えの落札作品が最大の話題になった。ちなみにいままでの写真のオークション最高額は、2011年11月にクリスティーズ・ニューヨークで落札されたアンドレアス・グルスキー「Rhein II」の433.8万ドルだった。2022年はいきなり以前の最高額の2倍以上の高額落札が2点もあったのだ。
年間最高額の1241万ドルを記録したマン・レイ作品「Le Violon d’Ingres, 1924」は、5月にクリスティーズ・ニューヨークで開催された“The Surrealist World of Rosalind Gersten Jacobs and Melvin Jacobs”セールに、年間2位の1184万ドルのエドワード・スタイケン作品「The Flatiron, 1904/1905」は、11月にクリスティーズ・ニューヨークで行われた故マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン(1953-2018)の“Visionary: The Paul G. Allen Collection Parts I and II”セールに出品された。いずれも写真に特化したカテゴリーのオークションではない。
ポール・アレン・コレクションのセールは、ゴッホ、セザンヌ、スーラ、ゴーギャン、クリムトなどの20世紀美術界巨匠のモダンアート絵画とともにスタイケンの写真作品が出品されている。落札額の1184万ドルは、同オークションでスタイケンと同時期に活躍した画家ジョージ・オキーフ(GEORGIA O’KEEFFE /1887-1986)の油彩画「Red Hills with Pedernal, White Clouds」の1229.8万ドルとほぼ同じ額になる。これは20世紀写真の貴重なヴィンテージプリントは、1点もの絵画と同じ価値があるという意味でもある。
アート作品のカテゴリー分けは固定的に決まっているわけではなく、いつの時代でも流動的に変化している。2022年は、写真とその他の分野のアート作品とのカテゴリー分けがより一層困難になった。かつては独立した分野として存在していた写真が、完全に大きなアート作品分野の中の一つの表現方法になったと理解してよいだろう。アート史で、写真家と画家が同じアーティストとして取り扱われるようになったともいえる。

アート・フォト・サイトの年間オークション売り上げは、主に写真に特化したセールの落札結果を集計している。いまや現代アート系オークションにはアーティスト制作の写真作品、20世紀モダンアートのオークションには、上記のマン・レイやスタイケンなどの高額20世紀写真が当たり前に出品されている。それらを取り出して、集計に加えるという考え方もあるが、ここでは今まで継続して行ってきた統計の一貫性を保つために除外している。ただし高額落札ランキングには、現代アート系/20世紀モダンアートのオークション結果も反映させている。しかしデイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(1954-1992/David Wojnarowicz)などの写真を使用したコラージュ作品は、写真作品に含めるかどうかの解釈は分かれると思う。今回は写真オークションへの出品実績が少ないことから除外した。
またオークションは世界中で開催されている。今回の集計から漏れた高額落札もあるかもしれない。
また為替レートは年間を通じて大きく変動している。どの時点のレートを採用するかによって、ランキング順位が変わる場合もある。2022年は為替レートが大きく乱高下した。ドル円の為替レートは年初の110円台から150円台まで下落して、その後年末には130円台まで戻している。例年はオークション開催月の為替レートを採用していたが、2022年は三菱UFJリサーチ&コンサルティングが発表している年間の平均TTSレートを採用した。ドル円132.43円、ユーロ円139.54円、ポンド円165.92となる。
これらの点はご了承いただくとともに、もし漏れた情報に気付いた人はぜひ情報の提供をお願いしたい。

以上から、以下のランキングは写真作品の客観的順位というよりも、アート・フォト・サイトの視点によるものと理解して欲しい。2022年は、新型コロナウイルスの感染拡大による大きな混乱はなくなり、ほぼ通常通りのスケジュールでオークションが開催された。しかしコロナ禍は収束が見えない中、ウクライナ戦争、エネルギー危機、インフレ、金利急上昇などの深刻な課題に直面した1年だった。2022年は世界中の写真作品中心の35オークションの売り上げを集計した。総売り上げは約56億円と、2021年比で約6%減少。出品点数は5080点とほぼ横ばい、落札率は約71.6%から約66.56%に低下している。1点の単純落札単価は168万円から165万円に微減した。合計金額は通貨がドル、ユーロ、ポンドと別れているので、円貨に換算して計算している。取引シェアが最大通貨のドルは、年平均で比較すると約20%もドル高/円安になっているので、円貨換算の総売り上げは為替の影響で過大評価されているといえるだろう。
したがってドルベースで結果を比較している、ニューヨークの春と秋シーズンの大手3社の定例オークション実績のほうが市場の実態を反映しているだろう。春と秋シーズンを合算した、年間ベースでドル建ての売上を見比べると、2022年の市場状況が良く分かる。政治経済の不透明さが続く中、2022年の売り上げは約2029万ドル(落札率67.4%)だった。新型コロナウイルスの感染拡大により落ち込んだ2020年の約2133万ドルを下回るレベルまで落ち込んでいる。これはリーマンショック後の2009年の約1980万ドルをわずかに上回る数字となる。
年間の落札率推移も、2019年70.8%、2020年71.6%、2021年71.8%から、2022年は67.4%に下落している。相場環境が悪いと、特に高額作品を持つ現役コレクターは売却時期を先延ばしにする傾向がある。つまり高額で売れない可能性が高いと無理をしないのだ。そして買う側も、将来的により安く買える可能性があると考える。結果的に全体の売上高と落札率が伸び悩む傾向になる。2022年はそのようなコレクター心理が反映された年だったといえるだろう。特に2022年秋は、私が専門としているファッション分野でも有名写真家の代表作品の不落札が散見された。コレクターは売買に慎重姿勢である事実がよく分かる。

さて2021年のオークション市場では、秋のクリスティーズ・ニューヨークのオ―クションに出品されたジャスティン・アベルサノ(Justin Aversano/1992-)の、「Twin Flames」シリーズのデジタルアート写真NFT(Non-Fungible Token)作品が落札予想価格10万~15万ドルの、予想をはるかに上回る111万ドル(約1.22億円)で落札され大きな話題になった。しかし、2022年は暗号資産市場は世界有数の暗号資産取引所のFTXの破綻などの影響で価格が大きく調整した。NFT市場の取引量も大きな影響を受けた。ブロックチェーン調査データを公開するDuneによると、2022年に入ってからNFT取引は急減し、9月末までに年初比で97%減少したという。金利が上昇した金融市場の動向もオークション参加者に心理的な影響を与え、かなり厳しい状況が続いた。中長期的には可能性のある市場だが、2021年のような価格レベルに市況が回復するにはかなりの時間と市場関係者の努力が必要だろう。

2022年オークション高額落札ランキング

1.マン・レイ「Le Violon d’Ingres, 1924」
クリスティーズ・ニューヨーク、“The Surrealist World of Rosalind Gersten Jacobs and Melvin Jacobs”、2022年5月14日
$12,412,500.(約16.43億円)

Man Ray「Le Violon d’Ingres, 1924」Christie’s NY

2.エドワード・スタイケン
「The Flatiron, 1904/1905」
クリスティーズ・ニューヨーク、“Visionary: The Paul G. Allen Collection Parts I and II”、2022年11月9日
$11,840,000.(約15.67億円)

Edward Steichen 「The Flatiron, 1904/1905」Christie’s NY

3.マン・レイ
「Noire et Blanche, 1926」
クリスティーズ・ニューヨーク、“20th Century Evening, 21st Century Evening, and Post-War & Contemporary Art”、2022年11月17-18日
$4.020,000.(約5.32億円)

Man Ray 「Noire et Blanche, 1926」Christie’s NY

4.ヘルムート・ニュートン
「Big Nude III (Variation), Paris」
クリスティーズ・ニューヨーク、“21st Century Evening and Post-War and Contemporary Art Day Sales”、2022年5月10-13日
$2,340,000.(約3.09億円)

Helmut Newton「Big Nude III (Variation), Paris」 Christie’s NY

5.バーバラ・クルーガー
「Untitled (My face is your fortune), 1982」
サザビーズ・ニューヨーク、“Contemporary Evening and Day Auctions”、2022年11月16-17日
$1,562,500.(約2.06億円)

Barbara Kruger「Untitled (My face is your fortune), 1982」 Sotheby’s NY

6.リチャード・プリンス
「Untitled(Cowboy), 1998」
サザビーズ・ロンドン、“Modern and Contemporary evening”、20221年6月29日
GBP942,500.(約1.56億円)

Richard Prince「Untitled(Cowboy), 1998」Sotheby’s London

7.リチャード・アヴェドン
「The Beatles Portfolio: John Lennon, Ringo Starr, George Harrison and Paul McCartney, London, 1967/1990」
フィリップス・ロンドン、“Photographs”、2022年11月22日
GBP809,000.(約1.34億円)

Richard Avedon「The Beatles Portfolio: John Lennon, Ringo Starr, George Harrison and Paul McCartney, London, 1967/1990」Phillips London

8.シンディー・シャーマン
「Untitled, 1981」
クリスティーズ・ニューヨーク、“21st Century Evening and Post-War and Contemporary Art Day Sales”、2022年5月10-13日
$882,000.(約1.16億円)

Cindy Sherman「Untitled, 1981」Christie’s NY

9.リチャード・プリンス
「Untitled (Cowboys), 1992」
サザビーズ・ニューヨーク、“Contemporary Art Day Auction”、2022年5月20日
$724,000.(約9594万円)

Richard Prince「Untitled (Cowboys), 1992」Sotheby’s NY

10.ゲルハルド・リヒター
「Ema (Akt auf einer Treppe) (Ema <Nude on a Staircase>), 1992」
サザビーズ・ロンドン、“Contemporary Evening and Day Auctions”、2022年10月14-15日
GBP567,000.(約9407万円)

Gerhard Richter「Ema (Akt auf einer Treppe) (Ema <Nude on a Staircase>), 1992」Sotheby’s London

繰り返しになるが、いま市場での写真表現の定義は極めて複雑になっている。「ファインアート写真の見方」(玄光社/2021年刊)で詳しく触れているが、これからは「19-20世紀写真」、「21世紀写真」、「現代アート系写真」へと分かれていくとみている。21世紀になって制作された写真作品は、すべて現代アート系写真だという考えもある。しかし内容的には、19-20世紀写真の延長線上にある「21世紀写真」と「現代アート系」とに分かれるのではないだろうか。
オークションハウスのカテゴリーでは、戦後の20世紀写真/21世紀写真の中で、サイズの大きく、エディションが少ない作品は現代アート・カテゴリーに定着している。そして2022年には、1000万ドル越えの1945年以前の20世紀写真が誕生した。これにより高額ヴィンテージ作品は従来の「19-20世紀写真」とは区別して、新たに「モダンアート系写真」というカテゴリーで呼ぶのが適切ではないかと考えている。この新しい超高額分野が市場として確立するかは今後にどれだけ貴重な逸品がオークションに出品されるかにかかっている。

2023年は世界的な不況が到来するとの経済専門家の見通しが一般的だ。外国為替市場では日米の金利差縮小の期待から、年初から急激に円高が進行している。日本のコレクターにとってはもしかしたら買い場があるかもしれないと考えている。今年も引き続きアート写真市場の相場動向を注視していきたい。

(為替レート/ドル円132.43円、ユーロ円139.54円、ポンド円165.92)

アート&トラベル
杉本博司 小田原文化財団
江之浦測候所

ブログのカテゴリーに「アート&トラベル」を新たに追加した。いま日本各地で地域振興のために現代アートを紹介するイベントが開催されている。また美術館の展覧会も東京中心ではなくなってきた。ファインアート写真のコレクターやアマチュア写真家の、写真趣味を刺激する旅の参考になるようなカテゴリーがあってもよいと考えた。ここではメディア取材のような情報提供ではなく、観客目線のよりパーソナルな感想を書きたい。

最初は日本を代表するアーティスト杉本博司(1948-)が手掛けた「小田原文化財団 江之浦測候所」を取り上げる。
杉本は、2009年に伝統芸能の次世代への継承と現代美術の振興発展に努め、世界的視野で日本文化の向上に寄与することを目的とする小田原文化財団を設立。2017年には箱根外輪山を望む小田原江之浦の地に、ギャラリー、茶室、庭園、光学硝子舞台、石舞台、門などを含む総合施設の江之浦測候所を開館した。同測候所は、なんと現代文明が滅びた後も古代遺跡として残ることを想定して作られているとのことだ。この地の詳しい見どころ/観光案内は、雑誌などいろいろなメデイアで取り上げられているのであえて触れない。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

まずアーティストの頭の中にある様々な作品制作意図や世界へのまなざしなどが、実際の地球上の小田原の地に物理的に出現して、可視化されているいる事実に感動を覚えた。これは2016年に東京都写真美術館で開催された「ロスト・ヒューマン」展にかなり近い発想で作られていると感じる。同展では、いま私たちが直面している現実をもとに、最終的に文明が終わるというストーリーを想像し、杉本自身のコレクションや作品を組み合わせてインスタレーションで表現したもの。「江之浦測候所」は、美術館の枠をとびだし、小田原の約1万坪の広大な土地の中で、自らの想像力を思う存分展開させ「人類とアートの起源」という大きなテーマに取り組んだのだ。全体が杉本ワールドを総合的に表現したテーマパークで、一種のインスタレーション作品なのだ。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

代表的建築物が「夏至光遥拝100メートルギャラリー」だ。
その中心線は夏至の太陽軸と同一線上にある、日の出の光は先端の展望台に直接当たる。現在、内部には杉本の代表作「海景(Seascapes)」の大判作品が展示してある。この作品制作の発想の原点となるのが、杉本が幼少の時に熱海から小田原に向かう湘南電車から見た相模湾の大海原のシーンだったという。100メートルギャラリー先の展望台からは、幼いに杉本が見たのと同じ海景が広がっていた。

もう一つの注目作の「冬至光遥拝隧道70メートルトンネル」は冬至の太陽軸上にあり、冬至の朝日はこの普段は暗いトンネル内を一直線に照らし、出口にある巨石に当たる仕掛けなのだ。受付時に入り口で配られるパンフレット表紙にその写真が紹介されている。
春分、秋分の日の出の方向には、古墳時代の石像鳥居、そして巨石で作られた石舞台の軸線が合わせて立てられている。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

古の日本人は森羅万象に神が宿るという「八百万の神」の精神を持っていた。太陽の高度変化の周期で季節の移り変わりを意識していたのだ。北半球球にある日本では、夏至の頃に太陽の高度が高くなり、それだけ地表面が熱くなり夏になり、冬至の頃は反対に太陽高度が低くなり、地表面が冷えて冬になる。夏至、冬至、春分、秋分を意識する感覚は、農作業など生活に密着した自然歴に繋がっているわけだ。現代日本人が忘れ去っていた自然や太陽とともに生きるという感覚。この地の構造物と一種のインスタレーションは、来場者がその中に身を置くことで、直感的に昔の日本人の持っていた自然と共に生きる感覚を蘇らせて欲しいという、杉本の意図なのだろう。夏至方向の100メートルギャラリー棟のかなり下に、冬至方向の70メートルトンネルがあることは、「夏至の日」には太陽高度が高く、逆に「冬至の日」の太陽高度が低い事実にも気付かせてくれる。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

ちなみに2022年の冬至は12月22日。天候が良くて冬至の朝日がこの中を貫く光景を見たいものだ。今年は日の出の6時48分ごろに合わせて、ライブ配信が予定されているとのこと。
https://www.odawara-af.com/ja/news/wwn2022winter/

広大な測候所の敷地内各所には長い時間が刻まれた様々な石材や石塔などが設置されている。それらはすべて、杉本が長年にわたり蒐集してきたものなのだ。パンフレットで石材の年代や来歴を確認すると、それらは、明治、江戸、室町、鎌倉、平安、白鳳、天平、飛鳥、桃山、縄文、古墳などの時代にまたがる。外部環境から隔離された美術館のような屋内ではなく、野外の自然環境で自分のコレクションを展示している。石材はこの地の自然環境の中で、さらにその歴史を積み重ねていくのだ。

「小田原文化財団 江之浦測候所」


測候所の案内では、この広い敷地内をすべて見て回るのには2時間から2時間30分くらいかかると書かれている。 ギャラリー棟から、茶室を回り、さらに榊の森の斜面を下っていくと道具小屋を改装した「化石窟」にいたる。そこには文字通り多種多様な化石や桃山時代の秀吉軍禁令立て札などがある。竹林エリアを更に下ると片浦稲荷大明神に行きつく。そこからみかん道を上って、展望台を経てギャラリー棟に戻ることになる。急こう配の上り下りがあるので、ここまでの全工程で60~90分となる。未舗装道なので、来場者はスニーカーなどを履いたほうが良いだろう。またトイレは待合棟にあるが、離れた竹林エリアにはない。スマホを確認したら歩数は全部で約7000程度だった。しかし高低差があったので、もっと歩いた感じだった。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

多くの人は、点在する展示物をパンフレットの記載をみて、製作意図や年代などを頭で確認する。これは美術館でのアート鑑賞と同じ構図だろう。しかし高低差のある土地を長時間にわたり歩き筋肉を酷使すると、しだいに疲労が蓄積されてくる。しだいに様々な邪念が消えて、頭の中が空っぽになって杉本作品/コレクション/インスタレーションと無の境地で対峙できるようになるのだ。自然の中を歩き回って見る行為も杉本の仕掛けなのではないかと感じた。
100メートルギャラリー棟の下の崖部分はいま工事中だった。そこには2025年に新展示施設がお目見えするという。杉本の頭の中の創造の世界は今でもさらに広がっているようだ。

小田原文化財団 江之浦測候所