欧米のフォトブック解説書を読み解く
(パート1)
写真集との違いを知っていますか?

ヨーグ・コルバーグ(Jorg Colberg、1968-)による、フォトブック解説書「Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book)」(A Focal Press Book)をタイトルに魅かれて読んでみた。アマゾンでは2016年刊と記載されているが、それはハード版で、ペーパー版は2017年に刊行されている。本書の著者ヨーグ・コルバーグは、写真家、ライター、フォトブックの教育者。写真関連メディアに数多くの文章を寄せている専門家だ。
序文には、フォトブックの重要性がアート写真界で高まっているのにフォトブックとはなにか、どのように機能するかのメカニズムや情報を解説したガイドが存在していない。作家と制作者のために、フォトブックのイメージ、コンセプト、シークエンス、デザイン、プロダクションの関係性をより良く理解してもらうことを目指して執筆したと書かれている。今回は本書を通して、海外の最新事情と、フォトブックがどのように認識されているかを確認しよう。

まず最初にフォトブックの意味を再確認しておこう。日本では写真が掲載されている本はすべて「写真集」と分類される。しかし、現在の欧米のアート写真界では、写真集は、フォトブック、モノグラフ、アンソロジー、カタログなどと色々な種類に分けられている。日本と同様の広い意味で使われるのが、フォトグラフィック・ブックやフォトグラフィカリー・イラストレイテッド・ブックとなる。そのなかでフォトブックは、作家のテーマやコンセプトを写真集のフォーマットで表現したものだと理解されている。いまやアート写真表現の一分野としてコレクションの対象にもなっているのだ。

本書には、海外の現実的なフォトブック事情がていねいに書かれている。2015年英国のフィナンシャルタイムズに、フォトブックがブームになっているという記事が掲載された。デジタル化進行で出版コストが劇的に下がって、フォトブック制作の敷居が低くなった。状況をあまり知らない人は、無名や新人の写真家でも優れた内容なら売れるようになったと勘違いしがちだと指摘している。
実際にそのような例はあるようで、例えばフォトジャーナリストのCristina de Middleによる”The Afonant” (2012年刊)が紹介されている。これは、1964年のザンビアの宇宙計画を事実とフィクションを混ぜて表現したもの。自費出版した1000冊が完売したという。昨今は有名写真家でも短期間に1000冊売るのは容易ではない、大変な快挙といえるだろう。
このような例は誇張され一般化されがちだが、実際は極めて稀なケースのようだ。過去15年で、アート関連本の市場は大きく変化した。90年代後半ごろまでは、一般的なフォトブックは4000冊程度を印刷するのが当たり前だったという。それが写真や印刷のデジタル化進行により、膨大な数のフォトブックが刊行され流通するようになった。市場が供給過剰となり、いまや1500冊程度しか作られなくなったというのだ。実際に新興出版社が発行部数を絞って良質な本を出して完売するケースも散見されるという。そして、売り切れたら再版するというビジネスモデルだ。同書によると全体の売り上げ冊数自体は90年代後半とほとんど変化がないという。新興フォトブック出版社を経営するマイケル・マック氏は、世界中のシリアスなコレクターは500名くらいしかいない。出版ブームはバブルの様相になってきており、それが持続するかは時間が証明してくれるとかなり慎重な見方をしている。
ニューヨークの専門店ダッシュウッド・ブックのデヴィット・ストレテル氏は、世界には数百人のコレクターがいるとしている。市場縮小が起きても、フォトブック表現における膨大な範囲の興味が存在することから、市場への関心は決してなくなりはしないとみている。
関係者により見方は様々なようだ。フォトブックの出版冊数は増加しているものの、市場規模自体には大きな変化がないようだ。つまりフォトブックの種類が増えたことで、1冊の販売数が減少傾向にあるという意味のようだ。たぶん販売が増えない理由の一つには、フォトブック情報の氾濫があるだろう。いま多くの出版社、販売店、ネットショップ、写真家からフォトブック関連情報が日々発信されている。以前にアート写真オークション分析の時に述べたように、読者は情報の洪水の中で消化不良を起こしているのではないか。

本書「Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book)」は英文だが、非常に簡素でわかりやすい表現で書かれている。全部で7章に別れていて、本文内容を最終章で17のフォトブック制作のルールという形式で丁寧にまとめている。英語があまり得意ではない人は、このルールを読んだ後に興味あるルールに関連した章を熟読すればよいだろう。実際例として”In Focus”というセクションで、5冊のフォトブックを取り上げて解説している。私の知っている写真家では、リチャード・レナルディ―の”Touching Strangers”(Aperture、2014年刊)のカバー写真が、編集とシークエンスの実例の項目で紹介されていた。

制作上で一番重要なのは、作品コンセプトをフォトブック形式で展開していくとしている。ルール#1の「”なぜこのフォトブックが作られなければならないか”という質問に対する良い回答を持とう」で語られている。コンセプトという言葉が出てくると多くの人が苦手意識を持つだろう。これに関して本書はわかりやすく解説している。つまり、それぞれのフォトブックはシンプルな写真家が認識した問題に対しての解決法を提示している。写真を使用してどのようにストーリーを語るか、また読者に特定な経験を提供できるかということだ。本作りで重要な全ての要素はここの部分の明確化と、関係者の共通理解にかかっている。たとえば、写真の配列を考えるシークエンスと編集作業。これも基本はコンセプト、つまり中心になるメッセージを伝えるために考えていかなくてはいけない。ここの部分が欠如していると、ただ写真を感覚で選んで並べるだけになってしまう。メッセージを伝えるための手段だったはずが、制作する行為自体が目的化するケースだ。その場合、判断基準がないので、どうしてもデザイン的な要素が優先されてしまう。

実は、私は最初に写真ありきのフォトブックもあると考えている。ただしそれには第3者による見立てが必要になる。これは、限界芸術の写真版として提唱しているクール・ポップ写真とまったく同じ構図となる。その場合、写真家ではなく、見立てる人が制作チームのまとめ役になると想定している。それは本書で書かれているような欧米の考え方とは全く違ったアプローチで作られる、日本独自のアート作品としてのフォトブックになる。

 パート2では、”フォトブックの作り方 17の基本ルール”を更に詳しく解説しよう。

2017年欧州アート写真オークション
ネット時代の情報氾濫は市場に何を起こしているのか?

アート写真の定例オークションは、4月のニューヨーク、5月のロンドンが終わり、6月にかけて、欧州各都市で低価格帯中心(約7500ユーロ以下)の中堅業者の、Villa Grisebach(ベルリン)、Kunsthaus Lempertz(ケルン)、WestLicht(ヴェストリヒト・ウィーン)によるオークションが開催された。ユーロ圏は底堅い個人消費や輸出の回復により経済の好循環が続いており、景気下振れリスクは和らいでいるようだ。以上から、将来的にECBが政策正常化に向かうとの観測もでているようだ。昨年と比べると円の対ユーロ為替相場は大きく円安になっている。欧州の経済状況は昨年よりは改善していると思われる。
さて3社の結果だが、昨年同時期と比べると、総出品数はほぼ同数の648点。売り上げはWestLichtが伸ばしたものの他の2社は減少。全体では約11%減の約165万ユーロ(約2.06億円)だった。落札率は3社ともわずかに改善。全体では約61%から約63.5%にわずかに改善した。
2017年前期の複数市場における落札率を比較すると、大手業者はニューヨーク73.8%、ロンドンが64%。一方で中堅はニューヨーク約66%、そして今回の欧州が約63.5%という結果だ。今年は高額作品の多いニューヨーク市場が改善しているものの、低価格帯中心の欧州市場は元気がない状況のようだ。
先週にフリップス・ロンドンで行われた”20th Century & Contemporary Art Evening Sale”では、今年になって相場が急騰しているウォルフガング・ティルマンズのFreischwimmerシリーズからの”Freischwimmer #84 ,2004″が、落札予想価格を大きく上回る60.5万ポンド(約9075万円)で落札されて大きな話題になっている。有名アーティストのエディションが少ない国際的に活躍する人気作品への強い需要が改めて印象付けられた。

今季の欧州アート写真オークションの結果を振り返るに、低価格帯カテゴリーの低迷が相変わらず続いている印象が強かった。ここからはその原因を考えてみたい。

そもそもは、2009年春のオ―クションで起きたリーマン・ショックによる市場規模の急激な縮小から始まる。それが2011年秋くらいから、高額価格帯の動きが次第に改善していく。しかし、中低価格帯は低迷からなかなか抜け出せないのだ。その後、株価の上昇、現代アート・コレクターのアート写真市場参入により高額セクターの市況の回復は続く。一方で中低価格帯の市場では、今度は内部での分断が始まるのだ。有名作家の人気作品に需要が集中して、知名度の低い作家の不人気作品の低迷という状況が顕在化する。現在でもその傾向は続いている。

いままでは、アート写真の主なコレクターだった中間層の没落がこの状況を引き起こした主因だとを考えていた。最近は、それとともにインターネットの普及も一因ではないかと疑っている。つまり、アートの情報がネットで発信・拡散され、また作品自体を販売されるようになったことだ。どのように考えているかを簡単に説明してみよう。

かつて、といってもわずか15~20年くらい前までは、アート写真をオークションで買う場合は、海外の業者からカタログを航空便で取り寄せる必要があった。もし入札する場合は、現地に赴くか、電話するか、事前に入札額の書類を提出する必要があった。銀行の残高照明を求められることもあった。落札結果はFAXか郵送されてきた。アート写真の情報にはかなり偏りがあり、コレクターやディーラーでさえすべての情報を持っていたわけではなかった。
現在は、その状況が大きく変化した。世界中で行われるアート写真のオークション情報はすべてネット上で公開されている。オンラインでの入札やカード決済も可能になり、結果も即時にわかる。従来の公開オークション以外にも、テーマごとのオンライン・オークションが大手競売業者や専門業者により頻繁に行われている。
かつてのコレクターはゆっくりと時間をかけてカタログを眺め、欲しい作品を吟味して入札していた。いまや自主的に情報を取りに行くと、おのずと膨大な情報の洪水に直面してしまう。アート関係のウェブサイトは世界中に無数にあり、日々情報満載のニュースレターが送りつけられる。
情報は多い方がよいに決まっている。しかし、問題は人間の情報処理能力なのだ。いまアート情報のオーバーロードが起きているのではないか?これが私がいま持っている素朴な疑問だ。心理学によると、情報が多いと人間は判断無能に陥り、コンテンツの内容判断が的確にできなくなり、しまいには選択を放棄するといわれている。

オークションは現状販売となる。高額作品は点数が少ないものが多く現物確認が必須だが、低価格帯作品はエディション数が多く、業者のコンディションレポートを頼りに入札することも多い。高額品は通常の公開オークションに、低価格帯はネットオークションに向いている。たぶん低価格帯作品の情報量がより増加したのではないか。結果的にコレクターは同じような作品の情報に触れる機会が多くなる。心理的に、いつでも買えるような気分になり、作品の競り合い少なくなったのではないか。情報量が少ない時代は、欲しい作品はいま買わないと二度と入手できないかもしれないという、脅迫概念があったものだ。

また人間は判断不能に陥れるとブランドに基準を求める傾向がある。その結果として、低価格帯カテゴリーでは知名度の高い写真家の作品が好まれ、その中でも代表作や有名作に人気が集中してるのではないだろうか。

いま業界では、ネット普及のアート市場への影響がホットな話題になっている。わたしどもも市場の最前線の動きを参考にしながら分析を継続していきたい。

(為替レート 1ユーロ/125円で換算)

日本の新しいアート写真カテゴリー
クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(8)
うつわ作家とクール・ポップ写真

今回は、クール・ポップ写真を撮影者がどのように把握したらよいかを説明していきたい。
念のために最初に確認しておくが、ここで述べるのは欧米で売買されているテーマ性を重視した現代アート系写真ではない。またインテリア・デコレーション用に制作された写真でもない。日本独自の新しい視点のアート写真の価値観に関わる説明になる。今までに語ってきた前提をもとに考え方を展開していく。もし興味ある人は過去に紹介した内容を読んでほしい。
 
私はこの分野の写真撮影者が参考にするべきは現代陶芸のうつわ作家だと考えている。陶芸作家が制作するうつわは手作り感や素材感が残るものの、あくまでも用の美を追求している。そこに作家性を最優先するようなエゴは存在しない。無心で土の中から形を呼び起こすような感覚だと想像している。
世の中には陶磁器は氾濫している。マーケティングを重視して巧妙にデザイン・制作されたものが大量かつ低価格で販売されている。手作業で作られるうつわは、大量生産品よりは高価だ。しかしそれらはアート作品ではないので一般の人に手が届かないほどの値段ではない。その上で購入者は生活の中で使えるし、うつわどうしをコーディネートしたり、料理と合わせることで一種の自己表現を可能にする効用もある。人気カフェは、料理とうつわとの相性、それを提供するインテリアという設えと取り合わせに心を砕いている。作家もののうつわで、同じようなことが家庭でも可能になる。ありきたりの表現だが、少しばかりのうつわの贅沢で生活者の心に潤いを与えてくれるのだ。このあたりが作家ものの陶芸コレクションが人気の理由ではないかと考えている。
 
写真で参考にしたいのはうつわの販売価格だろう。アートには作品の相場がある。アート写真市場の中心地である米国では、だいたい11×14インチ程度のサイズの写真作品は新人でも200~350ドルくらいから販売されている。日本でもディーラーがそれに合わせる形で新人の写真でも2.5万円くらいの値段をつけるケースが多い。アート作品は専門教育を受けた人により制作され、将来的に作家のキャリアによっては資産価値が上昇する可能性がある。このような真摯にアーティストを目指す若手の作品なら2~3万はかなり割安といえるだろう。
しかし日本ではほとんどの場合、写真はアート作品ではない。価格設定の前提が全く違うのに、混同されている。それらの写真は商品としての価値しかない。売れた後は中古品だ。使用価値がインテリア装飾に限定される1枚のシートの商品としては、2~3万円は高価だといえるだろう。インテリア系の写真を取り扱う専門業者は、飾り易い絵柄のマット付シートで8900円から販売している。額装込みでも1.5万円くらいだ。デパートなどのインテリア小物売り場では、額装されたインテリア用の版画が売られていることがある。それらは、A4サイズ、インクジェット作品が額込みで1~3万くらいだ。
ちなみに陶芸作家の器は、茶碗で3000円くらい、大皿でも1万円以下で買えるものが多いのだ。また1枚売れたから値段が上がることはない。もちろん生活食器として日常生活で使える。
市場で価値が受け入れられない商品はあまり売れないのが経済原則だ。クール・ポップ写真ではまず市場の適正価格を探ることが必要だろう。そして、それは制作に関わるコストや投入時間とはなんら関係がない。たぶん写真家が考えているよりも低価格になる。この点も作品制作の見極めと関わってくる。低価格の販売をためらう人は、お金儲けのために写真を売りたい人なのだ。

写真にとって、うつわの用の美に該当するのは、インテリアで生かされる設えと取り合わせの可能性だろう。しかし、ここは多くの誤解を生むので注意が必要だ。それらは、写真家や業者がマーケティングを行いアート・リテラシーが低い層向けに綿密にデザインされて制作されたハッピー系版画やインテリア系の写真ではない。これはプロ写真家や業者の仕事として特に欧米では一つのカテゴリーを形成している。日本では、感情の連なりと色彩・デザインを追求した同様のスタイルを持つ写真が非常に多い。そこには良い写真を撮りたい、評価されたいという撮影者の意図が見え隠れする。また本人がそれを無意識だと思いこんでいる場合も多い。作品完成後、写真に現代アート的なストーリーを後付けする人もいる。どうしても何か撮りたいという強い衝動がない場合、撮影自体が目的化してしまう。どうしても何かを頼りにしがちになるのだ。

仕事としてインテリア用の作品制作をするのでなければ、中途半端にグラフィックやデザイン性を意識した写真作品を制作しない方が良いだろう。また本当に無心で作品を生みだしたのならば、撮影者はそれについて語らない方が良い。無理して語ろうとすると、それは作り話になってしまう。それらの特徴は、経験を積んだ専門家が見れば一目瞭然だ。
それ故にクール・ポップ写真では第3者による作品制作の見極めとテーマ性の見立てが必要だと考えているのだ。
 
話は陶芸に戻る。では新人や無名の作家のうつわはどのように買われていくのだろう。それは鑑賞する側がうつわの質感や、手作業の痕跡から感じられる作り手の精神性のような感覚を共有できるときではないだろうか。また作家ものであるにもかかわらず、いわゆるお値打ち価格である点も重要だろう。一方でイケア、無印良品、100円ショップでは、デザイン性や値段がうつわ購入の決め手になる。
これを写真に当てはめると、前者がクール・ポップ写真で後者がインテリア系写真となる。写真の被写体は様々だ。したがってこの範疇の写真は、ポートレート、シティースケープ、ランドスケープ、抽象など広範囲に存在する。
サイズ的には、作品テーマに見る側を引き込むことを意図した現代アートのような大判サイズではなく、複数作品のコーディネートが可能な小ぶりな作品が中心になると考えている。
手軽に買える作家もののクルー・ポップ写真。毎回の繰り返しになるが、まずは作品制作の見極めが行われ、写真家が作品制作を継続する過程でテーマ性の見立てが行われるようになる。その先に、写真家のブランドが構築されていくかもしれない。それはうつわ作家のブランド構築に近い過程になると考えている。また流通にも新たな可能性が生まれるだろう。特にギャラリーに販売を頼ることなく、オンラインショップなどを通して自らが顧客に直接販売する流れが生まれると予想している。

夏休み期間には、「写真の見立て教室」(仮称)を、実例を紹介しながら行いたいと考えている。

写真展レビュー
ソール・ライター展
Bunkamura ザ・ミュージアム

本展は、ペンシルヴァニア州ピッツバーク出身のアメリカ人写真家、画家、ソール・ライター(1923-2013)の日本における初回顧展。ニューヨークのソール・ライター財団から提供された、写真(カラー・モノクロ)、絵画、その他資料を含む約200点を展示している。最近の写真関係の展覧会は大判サイズのデジタル写真を見せる現代アート系が多い。本展は小さいサイズの銀塩オリジナルプリントをマットに入れて展示する20世紀写真の中規模の展覧会。写真の題材は、ファッション、ストリートのスナップ、ポートレート、ヌードが含まれる。
ライターは、従来はモノクロ中心だった写真の抽象美をカラーで追求した写真家。元々抽象画家で色彩感覚が優れていた。また日本の北斎などの浮世絵の構図にも多大な影響を受けている点も注目されている。そのようなカラー作品は写真を叙情的に捉えがちな日本の観客には受け入れられやすいだろう。
展示作は、シュタイデルから刊行された”Early Color”(2006年刊)、”Early Blck and White”(2014年刊)、”In My Room”(2017年刊予定)からの作品が数多く含まれている。青幻舎からも同展に際して日本向けにヴィジュアルを重視したカタログも刊行されている。
ソール・ライターの波乱万丈のキャリアやプロフィールについては、Bunkamuraザ・ミュージアムのウェブサイトに詳しく掲載されているのでそちらを参考にしてほしい。
ここではライターのファッション写真のアート性に注目してみよう。彼は50年代後半から70年代までに主にファッション写真家として、ハーパース・バザーやエスクアィアなどの雑誌で活躍している。しかし、当時は写真はともかくファッション写真のアート性は全く認識されていなかった。実は20世紀後半に商業写真分野で活躍し、写真によるアート表現に限界を感じて作家性追及を諦めた多くの人がいる、リリアン・バスマンの夫のポール・ヒメール、ルイス・ファー、英国ではギイ・ブルダン、デヴィッド・ボウイのアラジンセインのジャケットで知られるブライアン・ダフィーなどが直ぐに思い浮かぶ。ライターもそのような写真の可能性に絶望した一人だった。しかし、彼のファッション写真は単に服の情報を撮影したもののではなかった。彼はファッション写真について”私が行った仕事を否定する気はないが、ファッション写真家としてだけ記憶されるのは本意ではない”と語っている。また”仕事で撮影した写真が結果的にファッション写真というよりも、それ以上の何かを表現する写真に見えることを望んでいる”とも語っている。
彼は野外のストリートでのファッション撮影を好んだことで知られている。当時はまだスタジオでの仕事が一般的で彼は”アウトサイダー”と呼ばれていたそうだ。結果的に彼のファッション写真には、ストリートで展開されていた時代背景が写り込まれていた。当時の米国ニューヨークの軽やかな時代の気分や雰囲気を表現されていたのだ。
写真史家マーティン・ハリスンは、ライターが1963年にハーパース・バザーの仕事の合間にダブリンで撮影したアイルランド人少年のポートレート写真”Irish Boy,1963″をハーパース・バザーに掲載されたカラー作品5点とともに”Appearances: Fashion Photography Since 1945″で紹介している。

彼は、この写真は正確には雑誌に掲載されるような洋服の情報を伝えるようなファッション写真ではないが、着ている服装とともに伝わってくる少年の自信に満ちた姿はとってもスタイリッシュだと指摘している。彼は、これこそが広義のアート表現になり得るファッション(時代性)の反映された写真だと分析しているだと思う。

ライター作品の相場をみてみよう。ちなみに、彼の作品はニューヨークの有力ギャラリーのハワード・グリンバーグが取り扱っている。しかし、オークションでの取引実績はあまりない。だが相場は最初に紹介された90年代よりも明らかに上昇気味だ。2000年代は、ちょうど現代アートの価値観が従来のアート写真の価値観を飲み込んだ時期。同時に多くの20世紀に活躍した写真家のアーティストとしての再評価が行われた。ライターの時代性が反映された写真・絵画はその流れの中でアート性が注目されるようになったのだろう。展覧会のフライヤーにも利用されている代表作”Snow(雪)、1960″は2016年5月のフィリップス・ロンドンのオークションに出品されている。
こちらはエディション10、サイズ34.2 x 22.8 cm、ハワード・グリーンバーグで売られたモダン・プリント作品。落札予想価格は4000~6000ポンド(@150で約60~90万円)のところ9,375ポンド(@150で約140万円)で落札されている。写真作品としては高額だが、同じくカラーの巨匠であるウィリアム・エグルストンや、同じニューヨーク・スクール系のロバート・フランクと比べると評価が低いようだ。彼らとの違いは何かといえば、撮影時の米国社会の価値観との関わりが感じられない点、つまりテーマ性の弱さなのだろう。

私どもは日本独自のアート写真の価値基準として限界芸術の写真版のクール・ポップ写真を提唱している。最近は海外の20世紀写真家のなかにクール・ポップ的な人がいたことに気付かされている。実はソール・ライターもそのような写真家に含まれるのではないかと考えている。これについては別の機会に分析してみたい。

Bunkamuraザ・ミュージアムでの東京展は6月25日まで。
2018年春には大阪の伊丹市立美術館に巡回予定。

2017年春NY現代アートオークション
マン・レイのヴィンテージ作品が高額落札!

ロンドンのアート写真オークションに先立つ5月17~19日にニューヨークで戦後美術・現代アートの定例オークションが行われた。ササビーズ”Contemporary Art Evening Auction”では、スタートトゥデイ社長の前沢友作氏が、ジャンミシェル・バスキアが1982年に制作した”UNTITLED”を約1.1億ドル(約121.5億円)で落札。高額落札がマスコミで大きな話題になったのは記憶に新しいだろう。
いまや写真は現代アート系アーティストの表現方法としても完全に定着している。一方で歴史的経緯から、アート写真と現代アート/戦後美術のオークションは個別のカテゴリーとしていまでも開催されている。しかし、二つの分野にまたがる写真は確実に融合が進行中だ。最近は、だいたい作品の価値評価によってカテゴリーの振り分けが行われている。現代アート系でも知名度が低い若手・中堅や、有名アーティストでもエディション数が多いものはアート写真カテゴリ―。これらは、写真コレクターには高額だが、現代アートコレクタ―にとっては低額の作品となる。20世紀写真も、極めて貴重で価値評価が高いヴィンテージ作品は現代アートカテゴリーのオークションに出品されるケースが多い。
今回の現代アート・オークションにも、マン・レイやダイアン・アーバスのヴィンテージ作品が含まれていた。現代アートのオークションは、だいたい価値評価の低い順に、午前(Morning)、午後(Afternoon)、夜(Evening)に別れて出品される。マスコミに取り上げられるような有名作品のオークションは夜のイーブニング・セールにかけられる。
これから先は、5万ドルくらいまでのエディション数が多い中間価格帯の写真作品のカテゴリーの整理整頓が行われると考えている。最終的には、19~20世紀写真というカテゴリーが残り、21世紀の現代写真や現代アート系の評価が低い作品は、午前や午後の現代アート、および写真と親和性が高いデザイン・インテリア系のオークションでの取り扱いになっていくだろう。
今回の現代アート系オークションの写真系作品の最高額は、クリスティーズの”Post-War and Contemporary Art Evening Sale”に出品されたマン・レイの”Portrait of a Tearful Woman,1938″だった。なんと216.75万ドル(約2.38億円)で落札されている。
Man Ray”Portrait of a Tearful  Woman,1938″ Christie’s NY “Post-War and Contemporary Art”Auction

これはゼラチン・シルバー・プリントに着色が施された貴重なヴィンテージ作品。同じく20世紀写真を代表するダイアン・アーバスのヴィンテージ作品”A Jewish giant at home with his parents in the Bronx, N.Y., 1970″は、58.35万ドル(約6418万円)で落札された。

その他、今シーズンは、リチャード・プリンス、アンドレアス・グルスキー、シンディー・シャーマン、ウォルフガング・ティルマンズらの常連アーティスト作品が好調に落札されていた。この中でもリチャード・プリンスは別格。ササビーズ”Contemporary Art”に出品された”Untitled(Cowboy), 2001″は、100万ドル超えの約181.25万ドル(約1.99億円)での落札だった。

ティルマンズも予想落札価格を超える高額での落札が相次いだ。英国のテート・モダンで開催中の回顧展の影響だと思われる。出品8点すべてが落札され、ササビーズ”Contemporary Art”に出品された全4点は落札予想価格上限を大きく超えて落札。181X240cmの大作”Freischwimmer 123, 2004″は、予想上限の約2倍の66.05万ドル(約7265万円)だった。
フィリップスでも、186.7 X 233.4cm.、エディション1/1でAP1点の”quiet mind,2005″が落札予想価格上限の約3倍の32.2万ドル(約3542万円)で落札。クリスティーズでも227.3 x 170.8 cmの”Freischwimmer
102″が40.35万ドル(約4438万円)で落札されている。
彼の作品は大判サイズで、エディション1/1でAP1点が多い。写真でも1点ものに近い点数が限られた大判作品は需給関係により絵画同様に高額になる。ティルマンズの抽象作品は、プリンスのカウボーイ作品のようにブランドが確立されつつあるようだ。
次回のオークション・レビューでは、5月下旬~6月上旬に欧州各都市で開催された中堅業者のアート写真オークションを取り上げたい。
(1ドル/110円で換算)

日本の新しいアート写真カテゴリー
クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(7)
見立ての勘違いについて

いままで日本写真の新しい価値基準として、クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(クール・ポップ写真)を提案してきた。それは鶴見俊輔による限界芸術、柳宗悦による民藝の写真版だと解釈可能で、また夏目漱石がエッセー「素人と黒人」で述べている、素人にも近いと紹介している。写真家が無心で撮影した作品と、買う側、評価する側の"見立て"がセットになって成立する。過去6回ほど書き続けながら考え方を展開してきた。興味ある人はぜひ読んでみてほしい。その考えは日々進歩・展開している。いままでの主張が一貫性を欠き、多少の矛盾点があるかもしれない。どうかご容赦いただきたい。今後も変わるかもしれないが、最新の考え方が最善だと理解して欲しい。今回はいままでに気付いた"見立ての勘違い"に触れたい。
 
写真の見立ての最初のステップは写真家の撮影スタンスを見極めることだ。経験の浅い人は、デザインやテクニック重視で制作された写真に惑わされしまう。表層に好印象を感じることが、本質の評価だと勘違いしてしまうのだ。第一印象が良い写真ほど直ぐに飽きてしまう、自分の印象による判断を疑ってみてほしい。写真に能動的に接してみよう。写真家が何を感じているのか、また何を伝えたいから撮影しているかに思いを馳せてみよう。撮影者の問いかけが読みとり可能かが判断基準になる。特にデジタル化進行で急増化している抽象写真には注意が必要だろう。

私はアマチュアリズムの徹底的な追及からこの分野の写真が生まれてくると考えている。ここにも勘違いが多いようだ。いまのアマチュアの中には、あわよくば写真家と認められたい、写真で生活の糧を一部でも得たいと考えている人が散見される。また写真での所属欲求、承認欲求を持つ人もいる。そうなると、どうしても自分のエゴが写真に反映されてしまう。アマチュア精神がプロ化して失われているともいえるだろう。アマチュアとは自由な精神性のことだ。純真に好きでやりたいことを追求し続け、プロ写真家のように写真界の評価を気にすることがなければ、真に主観的な撮影スタイルが実践できる。そのような写真が結果的に第3者から見立てられるのだ。ただし、自分のアイデアやコンセプトを自らが考えだして作品として提示する現代アート系写真はこの範疇に含まれない。ここの部分も混同や勘違いしないでほしい。

撮影や作品編集以外の写真の楽しみ方も紹介してきた。作品制作意図の見極めを行った写真を材料に、"設え"、"空間取り合わせ"を"見立てる"行為だ。ギャラリー空間のように、写真はシンプルな額にいれて、白い壁面に展示するのが一般的だ。しかし、どの写真を選んで、額装するかなど、展示方法を考える"設えの見立て"、それがどのようなスペースに合うのかを考える、"空間取り合わせの見立て"も可能ということだ。最初に展示したい場所があって、写真セレクションと設えを考えても良い。このような過程は古美術や骨董の世界では一般的。写真を素材としてもこのような一種の自己表現も可能ということだ。日本で真に写真が売れるには、欧米とは違うこのような買う側と写真との独自の関係性も必要かもしれないと感じている。
これには注意点がある。それは上記の行為はインテリア向けの写真のプロデュースと類似していることだ。多くのギャラリーやインテリア・ショップが販売手段として写真とフレームとの相性などを顧客に提案するのはよく知られている。インテリア向けの写真は、写真自体もインテリア・コーディネーションの素材でそのデザイン性を重視する。しかし、クール・ポップ写真は技術やデザインで制作された写真は評価しない。そこには"作品制作意図"の見極めが抜け落ちているのだ。インテリア・コーディネートと見立てとの混同や勘違いがよくあるので注意してほしい。

"作品制作意図"の見極めが、どのように"テーマ性の見立て"につながるかにも勘違いが多い。少し複雑なので整理整頓しておきたい。写真家にテーマ設定の意図があり、そのテーマ性を第3者が社会の価値観のなかで見立てるのが現代アート系の"テーマ性の見立て"。一方で、ここで展開しているように写真家が無心で作品を制作していて、そのなかにテーマ性を第3者が社会の価値観のなかで見立てるのがクール・ポップ写真の"テーマ性の見立て"となる。 テーマ性の見立てには見る側が能動的に写真に接するとともに、アート写真リテラシーの高さが求められる。日本では見る側にも写真のメッセージ性を読み解こうとする態度が強くないという状況もあるだろう。邪念がない写真家の内在的なテーマ性は、自分が語らないがゆえに現代アート系のように作品単体では顕在化しないのが特徴だ。長年にわたる作品制作の継続、また同様なパターンの繰り返しの中で育まれていく。

時間経過の末に、しだいに第3者から写真家本人や作品の社会との関わりのあるテーマ性が発見され、語られるようになるのだ。一人や少数の人の印象のようなものから始まり、それに共感する人がでてくれば、評価はより広く広がる。現代アートのように写真家自身の言葉でメッセージを発信するのではなく、作品の社会とのテーマ性が自然発生的に語られるようになるのだ。複数に見立てられた制作者の無意識のテーマ性が、外国人のキュレーター、評論家、コレクターに理解されようになれば写真家のブランド構築につながる。実際に過去の日本人写真家の多くはこのような過程を経て世界的に評価されたと考えている。
 
繰り返しになるが、ここに至るまでには写真家の作品制作の継続が不可欠になる。何10年もかかることもあるだろう。ここにも勘違いが多いので確認しておこう。それは商業写真家やアマチュア写真家が単に写真撮影を継続することではない。世界からの評価も認知もない中で、写真を通して何らかのメッセージの発信が継続できるかだ。それは何で写真を撮影するかを自分自身の問う行為でもある。それができるのは、写真家の継続の動機が何らかの社会との接点を持つからだろう。時間の経過の中でそれを誰かが発見して語ることになる。ただ写真を撮影しているだけでは、見立てられることはないのだ。
 
私どもができるのは、写真家の"作品制作意図"の見極めを行い、ライフワークとして写真に取り組むことを奨めるしかないと考える。クールでポップなマージナル・フォトグラフィーの価値基準を知ることが作品制作継続のモーチベーションになると期待したい。多くの人は、評価されることなく作品制作は継続できないだろう。それに気付いた人は、ぜひ写真を見立てる側での自己表現を試みてほしい。
 
いままで、ずっと予告していて実現できてないのが講座やワークショップでこの新分野の写真を解説すること。また実際に写真家の"作品制作意図"を見極め、それらをフォトフェアなどで展示したいとも考えている。決して忘れたり諦めたわけではなく、準備は着々と進行している。どうか今しばらく時間をください。

オークションレビュー
2017年春ロンドン・アート写真オークション 好調な現代アート系 苦戦する20世紀写真

5月18日~21日に行われたフォト・フェア”Photo London 2017″の時期にあわせてアート写真オークションがロンドンで集中的に行われた。5月18日~19日にかけて複数委託者のオークションが、大手のクリスティーズ、フィリップス、ササビース、中堅のドレワッツ&ブルームズベリー(Dreweatts&Bloomsbury)で開催。ササビーズでは、単独コレクションからのオークション”The Discerning Eye: Property from the Collection of Eric Franck, Part I”も19日に行われた。
大手3社の実績を昨年春と比べてみよう。昨年の総売り上げは約533万ポンド、388点が出品されて250点が落札、落札率は約64.4%。今年は、総売り上げ約502万ポンド、408点が出品されて261点が落札、落札率は約63.97%だった。全体の結果は、売上高がやや減少しているもののほぼ昨年並みと判断できるだろう。しかし中身を分析してみると変化の兆候も見られる。
まず、高額価格帯で落札予想価格が5万ポンド(約750万円)以上のトップエンド作品が好調なことだ。特に中~高価格帯の現代アート系作品の人気が高かった。また作家の写真史上の知名度よりも、欧米のコレクターが好む大判サイズの、室内に展示しやすい絵柄の作品の人気が高かった。
ちなみに今春の最高額はフリップスの現代アート系作家ジョン・バルデッサリの”Transform (Lipstick),1990″の38.9万ポンド(約5835万円)。これは1点ものの、186.5 x 171.5 cmサイズの作品だ。通常は比較的小さいサイズが多いブルース・ウェバー。フリップスには、177.8 x 127 cmの巨大作品”Ric and Natalie, Villa Tejas, Montecito, California,1988″が出品された。こちらは1点ものの銀塩プリント。落札予想価格上限を超える8.75万ポンド(約1312万円)で落札されている。
クリスティーズでは、ファッション写真の巨匠ピーター・リンドバークの180 x 120 cmの巨大作品”Christy Turlington, Los Angeles, American Vogue,
1988″が落札予想価格上限の3倍に近い18.5万ポンド(約2775万円)で落札された。
ササビーズでの最高額落札は、迫力のある野生動物の写真で知られ、金融ビジネスを手掛けるスコットランド出身の話題が多い写真家デビッド・ヤロウの”Mankind, 2014″。こちらはピグメント・プリントによる125.8 x 264.6 cm の大作で6万ポンド(約900万円)だった。
一方で、ササビーズの単独コレクション・オークション”The Discerning Eye: Property from the Collection of Eric Franck, Part I”は残念な結果だった。落札率は40.3%に低迷。全般的に20世紀写真が不振で、写真界の巨匠カルチェ=ブレッソンは32点出品されてわずか13点しか落札されなかった。20世紀写真では抜群の知名度のアンリ・カルチェ=ブレッソン作品でも、人気度の低いスナップ的作品への需要は高くないようだ。
一方でフリップスに出品された彼の代表作”Behind the Gare Saint-Lazare,
Paris,1932″(サン・ラザール駅、水たまりをジャンプしている男のイメージ)は、落札予想価格を大きく上回る13.1万ポンド(約1965万円)で落札されている。こちらは1947年にプリントされ、MoMAへの寄贈などの来歴が確かな作品だった。
サイズが小さめのファッション写真もかつての勢いは見られなくなっている、しかしクリスティーズのヘルムート・ニュートンのキャリアを網羅する代表作45点からなるポートフォリオ”Private Property Suites I, II & III, 1984″は、22.1万ポンド(約3315万円)で無事落札された。ただし落札予想価格20~30万ポンド(約3000~4500万円)の下限近くだった。同ポートフォリオ3点セットは2014年秋のニューヨークでフィリップスとクリスティーズで38.9万ドル(当時の1ドル105円の為替で約4084万円)で落札されている。ニュートンの相場もピークをつけて落ち着きどころが模索されているようだ。
20世紀写真の不人気作品の低迷は18日に開催された中堅のドレワッツ&ブルームズベリーでも明らかだった。こちらも落札率が42%と厳しい結果だった。
ロンドンのオークションで売れているのは巨大サイズの絵柄のわかりやすい現代アート的作品と、有名写真家の代表作だった。アート写真としては高額だが、現代アートとしては割安な価格帯の動きが良かった印象だ。
結果を見るに、総売上(約234万ポンド、約3.51億円)、落札率(87.1%)と、ともに大手業者での最高成績を上げたフィリップスが上記の傾向を的確にとらえたエディティングを行ったと思われる。
ちなみに、同社のカタログ表紙にはインパクトのある倉田精二の写真集”FLASH UP”の表紙に採用された”入墨の男、1975″が採用されている。

これは1978年の初個展時に本人が制作した53X42cmサイズの銀塩プリント。日本人写真家の初期プリントは残存数が非常に少ないことで知られている。本作は落札予想価格上限の約2倍の約5.6万ポンド(約840万円)で落札された。

次回のオークション・レビューでは、写真作品の高額落札が相次いでいるニューヨークの現代アートオークションを取り上げる。

為替レート(1ポンド/150円で換算)

写真展レビュー
「TOPコレクション-平成をスクロールする 春期  いま、ここにいる」
東京都写真美術館

平成を迎えたばかりの90年代の日本は、ちょうど資本主義が発展し多くの人が便利な生活を送れるポスト工業社会へ移行した時期だ。それ以降、IT社会化、グルーバル社会化が進展することになる。昭和のような大きな物語が世の中からなくなり、人々が多様な生き方が可能になった時代でもある。それは価値観が相対化していった時代ともいえる。昭和には、多くの人が共感可能な時代の気分や雰囲気が反映された写真作品の提示が容易だった。特に現代アートのようにテーマ性がなくても、写真家と見る側のコミュニケーションが成立した。
平成が進んでいくと、多くの人が共感するような将来の夢、幸福が減少していき、また時代の気分や雰囲気もあいまいになっていく。時代性がどんどん相対化していったのだ。自分の実感している世界を表現する創作行為は、細分化した時代感覚をすくい上げることとなり、複雑な社会の中でテーマを見つけ出す現代アートと変わらなくなった。
そのような平成という時代を「いま、ここにいる-平成をスクロールする 春期」で美術館がどのように解釈しているかは非常に興味あるところだ。同館のキュレーター伊藤貴弘氏は90年代の中ごろに評論家の宮台真司氏が主張していた「終わりなき日常」を引用していた。佐内正史、ホンマタカシ、高橋恭司などの風景写真にはそのような時代状況が反映されていると見立てているようだ。しかし、「終わりなき日常」もまた、平成の数多くある価値観のひとつに過ぎないともいえるのではないか。冷徹なる現実として、いくら意味が見いだせない世の中でも人間は社会の中で生きるしか選択肢がない。このような価値観が相対化した時代の写真は、アートとしてパーソナルな視点での写真家の世界の認知がテーマとして提示されない限りは、それぞれの撮影者のその時の個人的な感覚の連なりが反映されたものになりがちになると考える。
本展にはそのような感覚が重視された写真作品が中心に展示されている印象を持った。感覚は撮影した人の数だけ存在して、それぞれに優劣がないのが特徴だ。誰もそれらを比較して価値の上下を付けられないということになる。

今回の展示には既視感を感じた。以前に同館で開催された東京をテーマにした展覧会「東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13」を思いだした。巨大都市東京もあまりにも多様で、認知も感じ方も細分化している。上記の平成の認識も東京とかなり重なっている。どのような断面で切り込んで撮影しても、それは撮影者の心と頭で認識された東京がある。東京と場所が限定されるだけで、撮影した人の数だけ東京の認識と心象が存在していて、それを誰も否定できない。ある写真家が同展を見て、共感できる写真がなかったという意見を述べていた。それは、その写真家が認識している東京が反映された写真が展示に見つからなかったことを意味する。それがさらに大きなくくりの平成となると、もっと表現の範囲は大きくなってしまうだろう。

最近は自分が理解できない写真が多いという意見を、写真家や写真趣味の人からよく聞く。同じような疑問として、なんで今回の写真家と作品が同展に選ばれたか理解できないという意見も、たぶん多くあるかもしれない。しかし、それらは見る人が持っている時代の気分や雰囲気と、展示されている写真作品のものが合致しなかった理解すればよい。自分と違う感覚の写真を理解できないのは当たり前なのだ。当然だが、感覚がシンクロする人も存在しているだろう。そのような状況は、写真の時代感覚が多様化、相対化が進んだ平成という時代には当たり前だ。それは、アート写真が美術史や写真史を知らないがゆえに理解できないのとは意味が違う。
本展は秋にわたって3回にわけて3人のキュレーターが選んだ作品群が展示される予定とのことだ。多様化している状況をできる限り適切に提示するには、幅広い年齢の写真家の多種の写真を複数のキュレーターが選んで展示するしかないだろう。それらの中には、必ず見る人の感覚とシンクロした写真が発見できるはずだという意図だと思われる。本展は、現在の日本の「写真」の現状を的確に示しているといえるだろう。
7月15日からは夏期の「コミュニケーションと孤独」が始まる。多くの現代人が立ち止るキーワードが含まれたタイトルで、実際の展示がいまからとても楽しみだ。
総合開館20周年記念 TOPコレクション
平成をスクロールする 春期 「いま、ここにいる」
東京都写真美術館
参加写真家

佐内正史、ホンマタカシ、高橋恭司 、今井智己、松江泰治、安村崇、花代 、野村佐紀子 、笹岡啓子

2017年春ニューヨークのアート写真市場 中堅業者のオークション・レビュー

現在のアート写真オークションには、5万ドル(約550万円)以上の評価の高価格帯、1~5万ドル(約110~550万円)までの中間価格帯、1万ドル(約110万円)以下の低価格帯のカテゴリーがある。カテゴリー分けは、オークション市場での取引実績により決まってくる。今どれほど高価な作品であっても通常は低価格帯から取引が始まった。取引実績と需給関係により、売れるごとに価格帯が上昇していく。
ちなみに、約38年前の1979年に刊行された”Photographs:A Collector’s
Guide”によると、アンセル・アダムスの代表作”Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1944″は作家が存命していた1975年末にわずか800ドルだったという。現在は3万ドル以上の評価だ。また1970年代後半には、ウィリアム・エグルストンの全作品は600ドルで購入可能だったという。現在の評価は絵柄によるが、約10~30倍以上はするだろう。
ある程度高価な写真作品は資産価値があるといわれる理由は、現在の評価額にいたるまでの取引の積み重ねに裏付けされている。それは低価格帯の評価の作品はまだ取引実績が少ないという意味となる。以上から、撮影年が古いのにこの価格帯にとどまっているのは不人気作品の可能性が高いということだ。ここには、ギャラリーの店頭市場で人気があるがオークションでの取引実績が少ない作品と、20世紀写真としての骨董的価値はあるが不人気作が混在しているのだ。つまり、低価格帯作品の中には、将来市場価値が上昇する可能性を持つ作品と、それ以外が混在しているのだ。
通常はギャラリー店頭で販売中の現存作家はオークションでは取り扱われない。ただし例外もある。現存作家でも、長期間にわたりギャラリーで販売され続けている人気作や、エディション数が完売、もしくは残りが少ないものは出品されることがある。それにはオークション会社による、売り上げ増加のためにギャラリー店頭市場に食い込もうという思惑がある。特に英国でこの傾向が強い。アート写真の中心地であるニューヨークとの違いを出そうとしている印象だ。
余談だが、欧米では5000ドル(約55万円)くらいまでの価格帯にはインテリア系の写真作品が多く含まれる。それらは、資産価値はないのでアート系オークションでの取り扱いはないから安心してほしい。
大手のクリスティーズ、ササビース、フイリップスの低価格帯分野では市場性の高い作品が中心に出品されている。中堅業者は大手で取り扱わないような作品を取り扱う。そこには当然不人気作や状態の悪いものも含もまれてくる。大手は、それらの出品作をかなり綿密に選別してカタログリストを制作する。中堅業者は目玉作品以外は、市場性にこだわっている余裕はない、目玉作品がない場合も散見される。市場性はオークション結果に反映され、通常は大手の方が中堅業者よりも落札率が高くなる。景気が良くて市場に先高観があるときは、人気作が競りあがり高額になる場合が多い。不人気作を市場が過小評価していると考える業者やコレクターが増えて、中小業者の落札率も上昇して大手に収斂する傾向がある。
以上のような基礎知識を知っていると、オークション結果をより興味深く見ることができるだろう。
4月の大手の春の定例オークションの後に、スワン(Swann Auction Galleries)、ボンハムス(Bonhams)、ドイル(Doyle Auctions)3社のオークションが開催された。3社で599点が出品され、全体の平均落札率を単純比較すると、昨年の春(61.9%)、秋(56.8%)よりも改善して66.1%だった。ただし総売り上げは、中間価格帯の勢いがなく200万ドルを切る約192万ドル(約2.11億円)と昨年の春秋レベルよりも低下。先立って行われた大手の低価格帯作品の好調な売り上げが、中堅業者のシェアを奪ってしまったようだ。
全体のトーンは大手同様といえるだろう。とりあえず2016年秋に底をつけて、緩やかな改善傾向になっている。
高額落札はボンハムスのアンセル・アダムス”The Grand Tetons and the Snake River, Grand Teton National Park, Wyoming, 1942/1973-1977″。こちらは落札価格上限を超える6万ドル(約660万円)で落札。続くのはスワンのエドワード・マイブリッジの”A selection of 60 plates from Animal Locomotion, 1887″。最低落札価格に近い4.5万ドル(約495万円)で落札された。
アート写真オークションは5月に英国で集中的に行われる。5月18日~19日にかけてロンドンで複数委託者のオークションが、クリスティーズ、フィリップス、ササビース、ドレワッツ&ブルームズベリー(Dreweatts&Bloomsbury)で開催される。ササビーズでは、単独コレクションからのオークション”The Discerning Eye: Property from the Collection of Eric Franck, Part I”も19日に行われる。昨年後半のロンドンのオークションは、英国のEU離脱による急激なポンド安で海外からの入札が活況で比較的好調な結果だった。しかし今年になって為替レートは落ち着いてきた。またフランスの大統領選挙も終了して欧州の政治不安も和らいできた。このような新しい市場環境でのオークションの動向が注目される。
(為替レート 1ドル/110円で換算)

テリ・ワイフェンバック
2冊の展覧会カタログ

IZU PHOTO MUSEUM で開催中のテリ・ワイフェンバックの「The May Sun」展。待望の展覧会カタログが完成して今週になって手元に届いた。展示は4月9日からスタートしたのだが、美術館はアーティストの来日を待って色校正やデザイン確認を行った。印刷所で本人立ち合いで色味の調整を行っているので、かなりアーティストの意図に近い完成度の高い仕上がりになっていると判断できる。
“The May Sun” Izu Photo Museum, 2017

同展の中心展示は「The May Sun」、「The Politics of Flowers」となる。カタログのカバーは、この主要2シリーズを表現するための苦心の跡が見られる。ウグイス色の布張りの装丁と、銀色のタイトル名とアーティスト名の印字で「The May Sun」を表現しつつも「The Politics of Flowers」からのモノクロの押し花のイメージを貼り付けている。図版は前半で伊豆の自然の八百万の神を表現したカラー作品24点、映像作品「Gotemba approach to Mt.Fuji」からシークエンス作を含む8点、そして「The Politics of Flowers」約60点を収録。

やや専門的になるが、カラー作品とモノクロ作品が混在すると、それぞれの色味のトーンをアーティストの意志通りに揃えるのが非常に難しくなる。本書では、なんとカラーとモノクロの印刷別に用紙を変えてこの難問を解決している。
前者は彼女の代表的フォトブックを参考にしつつ、オリジナルの質感再現を目指して採用したそうだ。後者のマット系用紙は、実際の展示作品に近いものをわざわざ探して選んだという。オリジナルに近い印刷を目指すとは、凄いこだわりだと思う。もちろん制作コストもかさむわけで、美術館のアーティストへの多大なリスペクトと配慮を感じる。
全体のデザインはナズラエリ・プレス(Nazraeli Press)から刊行されたワイフェンバックの過去のフォトブックが強く意識されている。今までに刊行された彼女のフォトブック・デザインは非常にシンプルで、個別作品タイトル・リストが記載されていない場合もある。本カタログもそれらが踏襲されている。日本では、デザイナーが自己主張しすぎて写真を素材としか見ていないように感じられる場合が多い。写真家の側もデザイナーに頼りすぎて、実際に丸投げしたりする。本カタログは写真が中心となり、それが生かされた好感が持てる仕上がりだと思う。
「The May Sun」展には、伊豆で撮影された作品展示とともに、過去に制作した「The Politics of Flowers」を組み合わせることで、いままでの一連の作品を新しい視点から見せたいという意向がある。(詳細は以前に紹介したレビューを参照してほしい。)それゆえ、同展カタログは、単に展示作を収録したのではなく、アーティストの自己表現であるフォトブックだと判断すべきだろう。
同展のテーマやアイデア、またコンセプトがアーティストから語られていないと感じる人もいるかもしれない。しかし、欧米ではアーティスト・ステーツメントが求められるのは学生や新人アーティストなのだ。ワイフェンバックのような20年以上のキャリアを持つアーティストは、評論家、編集者、キュレーター、ギャラリストなどのまわりの専門家が展覧会の視点や歴史的な意味を語ってくれるのだ。本カタログにも、サラ・ケンネル(ピーボディ・エセックス博物館)、山田 裕理(IZU PHOTO MUSEUM )の文章が掲載されている。またアート系だけでない多様なメディアによる展覧会レビューも重要になる。日本における、写真展の情報提供と感想が語られるだけの展覧会紹介とはかなり違うのだ。
実際に、彼女の過去の多くのフォトブックにもアーティストのメッセージや解説などが記載されていない。欧米のアート界では、作品制作するアーティスト、展示するギャラリーや美術館、評価・解説を行う評論家、文筆家、編集者の分業が成り立っている。やや気になるのが、どれだけ多くの欧米のアート界の人たちが彼女の伊豆での展覧会を見に来て語ってくれるかという点だ。それには美術館の国際的な広報活動の成果が問われることになるだろう。
IZU PHOTO MUSEUMによると、「The May Sun」展覧会カタログの発行数は1000部で、販売価格は3780円(税込)。洋書で同様のフォトブックは倍以上で売られている。たぶん会期終了までには完売して近々にコレクターズ・アイテムになると思う。

ブリッツでも「Certain Days」全展示作品と展示フォトブックを掲載した小ぶりのカタログを制作している。表紙は「In Your Dreams」からの作品。いままでの彼女の出版物では表紙の写真は独立して扱われてきた。今回はあえて写真上にタイトルとアーティスト名を重ねたデザインを提案してみた。ワイフェンバック本人は、とても綺麗なカタログだと文句ひとつなく了解してくれた。

“Certain Days” Blitz Int’l,2017

こだわったのが、フォトブックのパートだ。コレクターの資料になることを意識して、彼女の代表的なフォトブック情報をマニアックに紹介している。
写真集は、アーティストの自己表現として認識されているフォトブック、第3者がアーティストの作品を編集したモノグラフやアンソロジー、展覧会の資料的価値の強いカタログに分けられる。ただし優れたキュレーター、評論家が編集したものはフォトブックに含まれることもある。今回は私どもがフォトブックと判断したものを選んで紹介している。こちらは通常版の限定350部が1400円(税込)、サイン付リミテッド・エディション50部4,320円(税込)で販売中。

「The May Sun」カタログはブリッツの店頭でも販売予定。「Certain Days」カタログもIZU PHOTO MUSEUMでも販売している。2冊揃えることで、テリ・ワイフェンバックの約20年のキャリアを俯瞰できるだろう。
なお、デジタルカメラで撮影された最新作は「As the Crow Flies」展カタログ(限定400部、2160円(税込))で見ることができる。こちらも2カ所の会場で購入可能だ。
『The May Sun』
NOHARA、2017年刊 /日英バイリンガル/
寄稿:サラ・ケンネル
ハードカヴァー:120ページ、サイズ 約305x232mm、
多数の図版を収録
3780円(税込)
『Certain Days』
Blitz International、2017年刊
パーパーバック:38ページ、サイズ 約210x148mm、
多数の図版を収録
通常版限定350部:1400円(税込)、サイン付リミテッド・エディション50部 4320円(税込)