写真展レビュー
内藤正敏 異界出現
@東京都写真美術館

TOP MUSEUM 展覧会カタログ

東京都写真美術館は、写真史であまり注目されていないが、独自の視点持ち長年にわたり真摯に作家活動をしている人を取り上げ再評価している。”内藤正敏 異界出現”もそのような展覧会だといえよう。

私は日本写真が専門でないので、内藤正敏の仕事はほとんど知らなかった。海外で評価されているフォトブックから日本人写真家の仕事に触れる機会が多いのだが、彼の写真集は海外ではほとんど紹介されていない。
“日本写真家辞典”(2000年、淡交社刊)には入っているが、2014年に行われた”フジフイルム・フォトコレクション展”でも、日本の写真史を飾った101人には選出されていない。写真家よりも民俗学の研究者としてより知られているようだ。

内藤の作品シリーズの展開は極めてユニークだ。展覧会資料によると、彼は60年代の初期作品において、化学反応で生まれる現象を接写して生命の起源や宇宙生成を意識したシュールでサイケデリックな”SF写真”と呼ばれるヴィジュアルを制作。また、早川書房”ハヤカワ・SFシリーズ”のカヴァーのヴィジュアルを手掛けている。(会場で現物が展示されている)
しかし、山形県の湯殿山麓で即身仏との出会い、写真撮影したことをきっかけに民族学研究に取り組むようになる。即身仏とは厳しい修行を行い、自らの肉体をミイラにして残した行者のこと。その後は、民族学的な興味から、主に東北地方の民間信仰をテーマにした、”婆 バクハツ!”、”遠野物語”など発表している。
境界線を都市や日本の伝統文化の中に探し求め、”東京-都市の闇を幻視する”では、正常と狂気、平穏な生活の中で断片的に裂け目として出現するダークサイドの視覚化を行っている。彼は今は忘れ去られている日本文化の奥底に潜む思想を発見してきたのだ。
90年代には、それらを発展させて修験道の霊山における空間思想を解読する”神々の異界”を手掛けている。本展カタログでキュレーターの石田哲朗氏は”このシリーズで内藤は山々の隠された「空間思想」を民俗学で解読して、その成果に基づいて場所とカメラの方向を定め、撮影している。この方法を彼は「人間が一方的に自然を写すにネイチャーフォトとは逆の視線」と呼ぶ”と解説している。
富士山八合目の烏帽子岩付近から東京方面を撮影している”富士山、1992″(プレート166)がある。ここは食行身禄(じきぎょうみろく)という行者が、徳川幕府の政治に抗議して断食死した場所という。これがきっかけで、江戸で富士山を信仰する富士講ブームが起きた。同作はその身禄が視たであろう風景を写真で撮影して再現したものなのだ。同シリーズでは、空海、修験者、時の権力者が創出した異界を読み解きながら、石鎚山、室戸岬、月山、羽黒山、岩木山など日本各地で撮影が行われている。

それでは、内藤の意味する異界とは何を意味するのだろうか。”日本「異界」発見”(1998年、JTB出版刊)のあとがきには”私の旅の目的は、「異界」から現実を逆噴射すること。異界というと、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するおどろおどろしい世界を思いうかべがちだが、私の求める異界とは、そんな神秘主義来なものではない。人間が想像力で生み出した非日常的な世界を言う、異界を通して眺めると、忘れられた深層の歴史や人間の心の奥底が視えてくる”と書いている。

世の中には客観的な現実などは存在しない。それぞれの人が自分のフレームワークを通してみた見た現実が存在するだけだ。現実だと思える世界は社会の共同幻想に支えられて存在している。内藤は上記のあとがきに”日本人は、「この世の」のほかに、もう一つの幻の国、”異界”があると信じて生きてきたのではなかろうか”と書いている。社会を生きていると様々な辛いことがある。目の前の世界を盲信して埋没していると押しつぶられそうになる。生き残るためには、時に自らを客観視し枯渇した精神エネルギーを再注入しないといけない。一般民衆は悟りを開いた高僧ではない。古来から彼らを精神的に支えていたのが、内藤のいう”異界”だったのではないだろうか。念仏を唱えることで自分を無にするという庶民の知恵と同じく、異界を意識することで思い込みにとらわれる自分に気づくきっかけになったのだ。本展は、かつて日本の歴史上に様々な形で存在していた異界を写真作品として蘇らせている展示ともいえよう。

私が特に興味を持ったのは、内藤と民俗学とのかかわりだ。カタログ157ページで引用されている本人のエッセーに以下のような記述がある。
“写真家がカメラを肉体化し、身体感覚で科学を超えるとき、もう一つの写真の世界が出現する。優れた写真は人間の「感性」を刺激し、写真に呼び覚まされた感性は、人間の奥底に眠る「知」をたたく。私の場合、それがたまたま民俗学だったというわけだ”
世界的にアート写真市場で評価されている日本の写真家は、最初に作品の内包する問題点を意識していることは少なく、写真撮影の長い期間の継続があって、テーマ性が第3者に見立てられる場合が多い。上記の記述はその過程を見事に文章で表現されている。内藤がその他と決定的に違うのは、自らが写真撮影を通して作品のテーマ性に気づいたことだろう。そして、今度はテーマ性を意識して写真撮影を継続している。
もう気付いた人も多くいるだろうが、今まで述べてきたことは現代アート系写真作品の制作アプロ―チそのものなのだ。しかし、それは現代では忘れ去られている、きわめてディープな日本的な内容だけに、表層的な多文化主義の視点から評価する西洋の写真史家は気付かなかったと思われる。

大判シートによる最後のパートの作品展示は圧巻だ。彼が東北芸術工科大学にいた2004年にキャリアを振り返る”内藤正敏の軌跡”に出品された作品群が新たな視点で再構成された展示になる。大型インクジェットプリンターで制作された長編約1.5メートルもの巨大作品群だ。解説によると”内藤の世界観を表す一つのインスタレーション表現であるとみなし、今回新たな構成によって、この体感的な展示を再現、<コアセルベーション>を含む初期作と<出羽三山>を組み合わせた”(カタログ・163ページ)という。彼のキャリア全貌を明らかにする大規模な展示だ。内藤がどのように宇宙や世界を認識していたかが直感的に感じられる。それをコンセプトと呼ぶのなら、内藤は現代アート的な視点を持っていた20世紀写真家として再評価されるべきだろう。

キュレーターの石田哲朗氏によると、内藤は心眼で作品に触れてほしいとのことで、会場内の撮影を不許可にしたという。写真撮影はデジタル化で物事の表層だけを瞬間的にとらえ、メモをとるような安易な行為になってしまった。メモは多くの場合見返されることはない。現代生活で写真撮影が民主化したことで、人間はますます本来持っている思考システムを使わなくなった。撮影不許可は、意識的に世界と対峙しなくなった現代人への写真家からの警告なのだ。それは内藤の作品コンセプトの一部なのだと受け取りたい。

“内藤正敏 異界出現”は、一貫したテーマ性を持つ、現代アート系アーティストによる展覧会になっている。アート史で過小評価されているアーティストに注目するのが公共美術館の重要な役割といえるだろう。私はこれこそは、美術館による写真作品の”テーマ性の見立て”だと理解している。本展の開催は東京都写真美術館の大きな業績だと評価したい。
内藤作品は、実際に写真を見て、さらに文脈を読み解こうと努力するとその良さがわかってくる。”異界”などとついたタイトルに、アート系に興味ある人はやや引いてしまうかもしれない。しかし、本展はアート好きな人にこそ、先入観を持たずに見てもらいたい展覧会だ。

(展覧会情報)

内藤正敏 異界出現
Naito Masatoshi: Another World Unveiled

会期:2018年5月12日-7月16日
会場:東京都写真美術館
開館時間:10:00~18:00(木金 20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月(7月16日は開館)
料金:一般 700円 / 学生 600円 / 中高生・65歳以上 500円
小学生以下無料

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3052.html

 

 

写真展レビュー
鋤田正義写真展「ただいま。」
@直方谷尾美術館

写真家の鋤田正義は、福岡県直方市古町で生まれ、幼少時代を同地で過ごしている。今年80歳を迎えるにあたり、本人の強い希望に地元の有志が賛同して直方谷尾美術館美術館での「ただいま。」展が実現した。

直方谷尾美術館

写真展実行委員会のウェブサイトには”この写真展は営利が目的の商業的なものではなく、「生まれ故郷で写真展をしたい」という氏の個人的な思いと、氏の成功体験をモデルケースに夢の実現を青少年に身近に感じ取ってもらいたいという地域の強い意思によって企画されたものです”。また”鋤田氏の存在を地元の人にもっと知ってもらいたい!”、”鋤田氏の生き方を通して、特に若い人には「夢を諦めない」「諦めない行動が夢を現実にしてくれる」ことを感じ取ってもらいたい!”と開催趣旨が記述されている。

本展は単に写真家の過去の一連の作品を見せるのではない、明確な開催意図がある回顧展なのだ。
鋤田がまだ学生だった1956年ごろに直方市周辺で撮影された、静物、ポートレート、風景、スナップ、自画像から、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン、イギーポップ、YMOなどの代表的なミュージシャンのポートレート、広告・ファッション写真、ライフワークの風景のパーソナル・ワークなどの作品群がカテゴリーごとに分けられて展示されている。

直方谷尾美術館

なお展示のディレクションは、これも直方市出身の画家上川伸氏が担当したとのことだ。美術館の別スペースでは同氏の絵画も展示されていた。

大小さまざまサイズの作品とともに、200㎝を超えるような超巨大な作品も散見される。総展示数は膨大で、すべてが新たに制作されたものではないと思われるが、かなりの作品制作費、輸送費、会場費などの開催コストがかかったと思われる。
本展は、鋤田をリスペクトする地元の人々の多大な人的協力と、プロジェクトに共感した人々からの寄付型のクラウドファンディングで実現したという。作品の設営も実行委員会の人たちが協力して行ったという手作り感が溢れる写真展になっている。
額装とパネル貼りによる作品展示は、すべてが美術館レベルのオリジナル・プリントのクオリティーとは呼べないかもしれない。しかし高い壁面を有効に利用した様々なサイズの作品の取り合わせによるカテゴリー別の作品配置は一瞬雑然としていると感じないではないが、微妙にバランスが保たれていて違和感はない。
また会場全体で見ると、それぞれの壁面が見事にコーディネートされている。画家の上川氏は、写真による大きな会場の空間構成を行う高い能力を持っているのだろう。東京などでみられる、アート・ディレクターがデザインしてレイアウトされた会場とは一線を画している。それらは時に写真家よりも、デザイナーの意図が優先され、隙のない展示自体が目的化している。広告やファッション系の写真家の写真展でよく見られる展示だ。

また本展は鋤田正義本人の地元への思いが感じられる会場空間になっている。まず作品展示は直方で撮影された高校時代の写真から始まる。この導入部分で地元の人たちは鋤田の写真に親近感やリアリティーを感じるだろう。そして広告・ファッションの最前線で活躍したときの作品、世界的なミュージシャンのポートレート、パーソナルワークが並ぶ。

直方市は大相撲で活躍した魁皇の出身地。駅前には銅像が建っている。同展をきっかけに、地元の人たちはアート・文化界でも高い功績をあげた写真家の存在を知り誇りに思うだろう。また開催趣旨である、地元の青少年に将来の夢を与える構成になっているのだ。
主催者と写真家の、来場者へのメッセージと思いが会場全体に見事に反映されている。鋤田・上川両氏と実行員会は事前に相当話し合ったのではないか。

東京にいる鋤田ファンはぜひ東京に巡回してほしいと願うだろう。しかし本展は大都市に巡回することを意識して企画されたわけではない。写真家の地元の直方市で開催され、地元の人たちに見てもらうことを意図しているのだ。鋤田本人が九州各地の巡回を希望しているのは、その開催趣旨によるところだろう。

同展は直方谷尾美術館の観客動員数の記録を更新する勢いだという。私が訪れたのは雨が降る肌寒い平日だった。地元のアーケードは閑散としていたのだが、美術館内は地元の人で一杯だった。鋤田、主催者、観客とのコミュニケーションが間違いなく成立していると感じた。

会期は5月20日まで。直方市は博多、小倉から電車で約1時間くらい。お土産は名物の成金饅頭がおススメだ。

(開催情報)

鋤田正義写真展「ただいま。」
直方谷尾美術館
4月3日(火)~5月20日(日)※毎週月曜日休館
一般400円(240円)、高大生200円(120円)、中学生以下無料

http://www.sukita.photo/

写真展レビュー サラ・ムーン「巡りゆく日々」 銀座 シャネル・ネクサス・ホール

Femme voilée ⓒ Sarah Moon

フランスのファッション写真家、映像作家としても知られるサラ・ムーン(1941-)の「D’un jour a l’autre 巡りゆく日々」展が、5月4日(金)まで銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催されている。

本展ではサラ・ムーン自身が構成を手掛け、日本初公開作・新作を含む1989-2017年に撮影された約100点が展示されている。日本での本格展示は、2016年4月に何必館 京都現代美術館で開催された「Sarah Moon 12345」展以来となる。

アーティスト活動を行うファッション写真家のキャリア回顧は非常に難しい。同じファッション系写真でも、時代性が反映されたアート性が高いものと、単に洋服の情報を提供しているものが混在しているからだ。後者の写真の展示だと、写真家の創作ではなくファッションを撮影した仕事の紹介になってしまう。これは、写真展、フォトブックでも同様となる。彼らはお金を稼ぐので、キャリアを記念碑的に振り返る豪華本を制作したり、豪勢な展覧会を開催したりする。これは展覧会や写真集を通しての仕事関係者へアピール的な要素が強くなる。広告と同様にアート・ディレクターが企画を行い、写真家の営業活動の一環として行われる。したがってこのような展示や写真集は、シリアスなアートファンや評論家にはなかなか評価されない。まして写真家作品の市場価値には何も影響を与えないのだ。
現在でもこのような種類の写真展が圧倒的に多い。しかしその中にファッション写真が成立していた時代の気分や雰囲気を表現したものも存在している。長い過小評価や無視の時代が続いたが、いまでは優れたファッション写真はアートのカテゴリの一部だと考えられるようになった。キュレーターやギャラリストは理論武装したうえで、その違いを見つけ出して、両者を明確に区別している。

今回のサラ・ムーン写真展”巡りゆく日々”は、そのタイトルが示唆しているように本人の回顧写真展的な性格が強い。しかし、決して過去のファッション写真の紹介に陥ることなく、パーソナルな視点で自らの表現者のキャリアを振り返ることに見事に成功している。過去の代表作の年代順展示ではなく、自らの手による作品セレクション、展示ディレクションが大きな特徴だろう。過去の作品をベースに、全く新しい世界を作り上げているのだ。頭のなかで過去と現在が行き来して、様々な思いが交錯するような状況を展示で表現しようとしている。

展示は大きく5つのパートで構成されている。それぞれに特に明確なテーマは提示されていない。誰の人生においても、何らかの強い思い出があり、その前後の様々な意識や感情が連なって記憶として存在しているだろう。記憶はずっと継続して存在しているというよりも、時々のライフイベントが中心になって断片的な連なりとして点在しているのではないか。本展でサラ ムーンは、自分の頭と心の中に去来してまた消えていく記憶の連なりに思いをはせ、それらを振り返り、再び現実に戻る行為を繰り返し行っている。長年連れ添ったご主人で編集者のロベール・デルピール氏が2017年9月に亡くなったことも作品セレクションに影響を与えていると思われる。すべてのパートごとに、過去の写真と最近の写真が混在している。それゆえ1点の写真は特にインパクトが強いものである必要はない。今回の展示ではアイコン的なファッション写真はほとんど登場しない。結果的にファッション写真も、ポートレート、旅行、風景、静物などの写真と共に彼女の人生の一部として並列に登場してくる。
一見、日本で好まれるフィーリングの連なりのような写真展示ととらえられがちだ。しかしすべての背景に、ファッション写真制作のベースとなる時代認識が存在している。それが自分の人生と関連付けられ、ヴィジュアルのリズム・流れや作品フォーマットが決められているのだ。言い方を変えると、彼女がファッション写真家として人生体験を通して記憶化されたもの、頭の中で意識に上った気づき、考えが、展覧会の3次元時間軸のなかで写真を通して再構築されている。映像作家でもある、サラ・ムーンらしい展示といえるだろう。

このアプローチは、やや写真のカテゴリーは違うがドイツ人写真家のマイケル・シュミットに近く感じる。また、サラ ムーンが影響を受けたかは定かでないが、ロバート・フランクが近年になって続けている、”Tal Uf Tal Ab”(2010年刊)、”You Would” (2012年刊)などのヴィジュアル・ダイアリー・シリーズも彷彿させる。彼は同シリーズで、過去が現在にどのように影響を与え、またどのように人生がフォトブック形式で記述可能で、形作られるかの提示に挑戦し続けている。もしかしたら彼女が本展で提示している時代性に共感を持てない若い層の人もいるかもしれない。

ファッション写真は、それが成立した時代に、共通の価値基準が存在していることで共感を生む。彼女が活躍していた80~90年代前半くらいまでには多くの人が似通った夢や未来像を持っていた。彼女はそれを感じ取り巧みに作品に反映させてきた。これがファッション写真家のサラムーンの真骨頂なのだ。しかし、2000年以降は価値観が細かくばらけてしまい、多くの人が共感するファッション写真はもはや成立し得ない状況になった。本展を見て、共感するのはかつての時代を経験した人、共感しない人は、当時を知らない人ということになるだろう。

本展では2000年以降の作品が多数含まれ、それ以前の時代の強い共通の価値観が薄められている。それは、ファッション写真でのアート表現の現状を的確に提示しているともいえるだろう。価値観が多様化したことでファッションのアイコン的な作品が生まれにくい状況になっているのだ。本展では、21世紀のアート系ファッション写真が、展覧会やフォトブックを通して、パーソナルな文脈から提示される可能性があると感じた。

写真展タイトル:「D’un jour a l’autre 巡りゆく日々」
会期:2018年4月4日(水)~5月4日(金)
会場:シャネル・ネクサス・ホール(東京都)
オープン時間:12:00~19:30

http://chanelnexushall.jp/program/2018/dun-jour-a-lautre/

 

フランク ホーヴァット写真展
シャネル・ネクサス・ホール:パリ発 新時代のファッション写真誕生

フランク ホーヴァット(1928-)は、主に50年代から80年代にかけて取り組んだファッション写真で知られるフランス在住の写真家。70年にも及ぶキャリアで、フォトジャーナリズム、ポートレート、風景など幅広い分野の作品に取り組んでいる。

For “STERN”, shoes and Eiffel Tower, 1974, Paris, France ⓒ Frank Horvat

本展は、初期のルポルタージュから、ファッション、1976年制作の“The Tree”2000年代のラ・ヴェロニクシリーズまでの約58点でキャリアをコンパクトに紹介している。展示の中心となるファッション写真には、1951年にフィレンツェで撮影された最初の作品から、欧州時代のジャルダン・デ・モード、米国時代のハーパース・バザー、英国時代のヴォーグ 英国版などに掲載された代表作が含まれている。彼の写真展は、198812月に青山ベルコモンズで開催された「フランク・ホーヴァット写真展 – Mode, Paris, 60’s-」以来ではないだろうか。しかし、同展はタイトルの通り、60年代のファッション写真の展示だった。彼の幅広い分野の写真を紹介する回顧展は今回が日本初となる。

ホーヴァットのキャリアを振り返っておこう。
彼は、オパティア(現クロアチア領)生まれ。父はハンガリー人、母はオーストリア人で、ともに医師だった。20歳の時に、ミラノのブレラ画塾でデッサンを学ぶ。しかしその後は写真分野で頭角を現し、イタリアの新聞などの仕事を行うようになる。1951年にパリを最初を訪れ、アンリ・カルチェ=ブレッソンやロバート・キャパらに出会っている。1952年からは約2年間の予定でインドを訪問し、それらのフォト・ジャーナリスト的写真は “Paris Match” ” LIFE”などに掲載。本展でもインドでの作品が数点展示されている。1955年ニューヨーク近代美術館で開催された「ファミリー・オブ・マン」展にも参加した。

1956年に、パリに移住。その後、当時の欧州でもっとも革新的なファッション雑誌ジャルダン・デ・モードと契約する。1957年、雑誌カメラが彼の作品“Paris Au Teleobjectif”シリーズを掲載。それを見たジャルダン・デ・モードのアート・ディレクターだったジャック・ムータンから、レポルタージュの精神でファッション写真を撮るようにアドバイスを受ける。当時のホーヴァットはファッション写真の経験はなく、またスタジオも持っていなかった。彼はムータンのアドバイスを参考にして、自らが自然にふるまえて、リラックスできる環境の野外にモデルを連れ出して撮影を行う。また迅速に動けて、ルポルタージュでの撮影に近いカジュアルな撮影アプローチを取り入れるために、ファッション写真を35mmライカで撮影した。それは、今までにない革新的なファッション写真への取り組み方法だった。
ちなみに、カルチェ=ブレッソンはこのドキュメント的なファッション写真に批判的だったという。

“Please Don’t Smile”(Hatje Cantz)

ホーヴァットは、またモデルである女性へのリスペクトにも心を砕いた。2015年に刊行された写真集のタイトル“Please Don’t Smile”(Hatje Cantz)象徴しているように、男性目線を意識した笑顔の女性像ではなく、自立した女性像の表現を意識したのだろう。また彼は当時は当たり前だった、モデルの過度のメイク・アップを好まなかった。このアプローチは、60年代英国のスウィンギング・ロンドンのイメージ・メーカーだった、ブライアン・ダフィー、デビット・ベイリー、テレス・ドノヴァンを思い起こす人は多いのではないか。彼らはそれまで主流だったスタジオでのポートレート撮影を拒否し、ドキュメンタリー的なファッション写真で業界の基準を大きく変えた革新者だった。いまでは当たり前のストリート・ファッション・フォトの先駆者たちだったといわれている。
ちょうどファッションは注文服のオートクチュールから既製服のプレタポルテへの移り変わっていた。ロンドン同様にパリの若者層でも新しい時代を反映したヴィジュアルへの渇望があったのだ。ホーヴァットの、モデルのパーソナリティーを重視した、人形ではない生身のリアリティーを持つ女性像はまさに時代の流れに合致していたのだ。

当時のファッション写真家のあこがれは、戦後の経済発展を謳歌していた米国でハーパース・バザー誌の仕事を行うことだった。ちょうどジェット航空機が就航して大都市間の移動が容易になった時期と重なり、ファッション写真は一気の国際化する。
1961年、ホーヴァットもニューヨークへ行き、新たなキャリア展開を模索する。当時は、彼以外にも、ジャンルー・シーフ、デビッド・ベイリーなどもキャリア・アップを目指して渡米している。ホーヴァットとシーフはニューヨークのスタジオを半年にわたり共同利用した時期もあったという。米国の編集者は欧州のテイストを誌面に持ち込むことを好んだ。彼は、当時のハーパース・バザー誌のアート・ディレクターだったマーヴィン・イスラエルに気に入られ、1962年~1965年にかけて同誌の仕事を行っている。

この時代、多くの写真家は経験を積むに従い、ファッション分野でいくら表現の限界に挑戦しても完全なる自由裁量が与えられない事実に気づくことになる。ファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないと失望して、ギイ・ブルダンやブライアン・ダフィーのように燃え尽きる人も多かった。ホーヴァットも創作に退屈してしまい、自らが刺激を感じなくなる。写真も次第にマンネリ化して、ワンパターンの繰り返しに陥ってしまう。
写真史家マーティン・ハリソンは、戦後ファッション写真の歴史を記した著書の「Appearances」で、ホーヴァットのファッション写真の最盛期は1957年から1964年としている。しかし彼は燃え尽きることなく新たな方向性を模索し、て再び創作意欲を取り戻し1979年に写真集“The Tree”を発表している。

Walnut tree,1976, Dordogne, France (c) Frank Horvat

90年代になって、優れたファッション写真は、単に服の情報を伝えるだけのメディアではないと理解されるようになりそのアート性が市場でも認識されるようになる。ホーヴァットが自らのファッション写真の延長線上にアート表現の可能性が描けなかったのは非常に残念だ。

本展の見どころは、5060年代の代表的なファッション写真とともに、あまり知られていなかったキャリア初期のパリのストリートなどで撮影されたドキュメント的なスナップだろう。
1956年のナイトクラブでの写真は、当時のパリの猥雑な雰囲気を感じさせる作品が数多く含まれている。また、展覧会フライヤーでメイン・ヴィジュアルとして採用されている、パリの路上でキスしているカップルを真上から撮影した写真“Quai du Louvre, couple, 1955, Paris”などは、戦後の自由な新しい時代の気分の芽生えが伝わってくる。これらは、いまでは時代性をとらえた広義のファッション写真となる。それらの作品をみた、当時のアートディレクターや編集者が彼にファッションを撮らせてみよう、と考えたのは容易に察しがつく。

Quai du Louvre, couple, 1955, Paris, France ⓒ Frank Horvat

展覧会ディレクターのダルガルカーによる作品セレクションは、優れた時代感覚を持つ写真家によるドキュメント的写真が、時代性をとらえたファッション写真だと認識されるようになる過程を見事に提示していると評価したい。パリでストリート発の新時代のファッション写真が誕生した背景が垣間見える。
また限られた空間展示数の中で、ファッション以外の作品を巧みに組み合わせて展示していた。ホーヴァットの持つ、幅広い創作ヴィジョンを見る側に提示しようという意図が強く感じられた。アート写真やファッションに興味ある人には必見の写真展だろう。

なお本展は例年通りに、20184月にKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭のプログラムとして京都に巡回予定とのこと。

・フランク ホーヴァット写真展 Un moment d’une femme

会期:2018117() – 218() 無休
時間:12:00 – 20:00 / 入場無料
会場:シャネル・ネクサス・ホール
住所:東京都中央区銀座3-5-3シャネル銀座ビルディング4

http://chanelnexushall.jp/program/2018/un-moment-dune-femme/

写真展レビュー
アジェのインスピレーション
ひきつがれる精神
東京都写真美術館

本展は、フランス人写真家ウジューヌ・アジェ(1857-1927)の20世紀写真史への影響を多角的に考察するもの。東京都写真美術館(以下、都写美)のプレスリリースによると、”アジェがこの世に遺した20世紀前後に捉えたパリの光景の写真が、なぜ現代も多くの写真家たちに影響を与え、魅了してやまないかを考察します”と書かれている。
アジェを評価した、マン・レイ(アーティスト)、ベレニス・アボット(写真家)、ジュリアン・レヴィ(ギャラリスト)、ジョン・シャーコフスキー(NY近代美術館ディレクター)の4人のアメリカ人の視点を通して、アジェの写真界への影響を探求。展示は、同館収蔵の12人の写真家の作品158点と写真集などの資料で構成されている。同展カタログに掲載されている学芸員の鈴木佳子氏の解説では、”ジャーコフスキーはアジェとウォーカー・エバンス以降のアメリカ写真家たちをリンクさせ、写真史の大きな流れを作り出すという、偉大な偉業を成し遂げている”と語っている。また、アジェが何で写真史で高く評価されてかの解説を前記の4人の言葉を引用して的確に行っている。
本展は、アジェを近代写真の元祖としているシャーコフスキーの写真史へのまなざしを、都写美のアジェ・コレクションをベースとしてその他収蔵作品を有効的に利用して再解釈したといえるだろう。アジェの影響をやや拡大解釈している印象はあるが、たぶん展覧会実現のために確信犯で行っている考える。

展示の見どころ解説は様々なところで書かれているので、ここでは展示されている個別作品に触れてみよう。アジェの詳しいプロフィールやキャリアは、展覧会カタログに掲載されている写真評論家の横江文憲のエッセーを参考にしてほしい。

まず本展の主役であるアジェの100年以上前に制作されたオリジナルの薄茶色の鶏卵紙作品は必見だろう。同館は開館時に114点を購入し、現在までに150点を収蔵しているとのこと。その中から約38点がセレクションされている。それと比較して展示されているのがベレニス・アボット制作のアジェの銀塩写真。黒白のトーンが強調されて感じられオリジナルとは印象が全く違う。しかし、モノクロームの抽象美が表現された作品群はアボットがアジェのプリントを再解釈して制作した全くの別物として鑑賞したい。

マン・レイの、カメラを使用せずにオブジェを感光材の上に置いて露光したレイヨグラム作品も必見だろう。これは同館が1990年にプレ開館するときに約8億円の予算をかけて収集した名品の一部。当時は“有名作品 買いあさり?”などと一部に批判があったものの、写真の相場はこの27年間で高騰している。買いあさりどころか、先見の明があったと高く評価できるだろう。1990年4月11日の朝日新聞の記事によると、同作品の購入費用は570万円だったいう。

ちなみに以前に紹介したが、今年の11月のクリスティーズ・パリで行われたアート写真オークションでは、マン・レイの“Noire et Blanche, 1926”が、落札予想価格上限の150万ユーロを大きく超える268.8万ユーロ(3.57憶円)で落札された。これはオークションでのマン・レイ作品の最高額となる。都写美のレイヨグラム作品の市場評価もかなり高価になっていると予想できる。写真の右下の黒い部分にはマン・レイの直筆のサインがあるので、じっくりと鑑賞してほしい。その他、同展では日本ではめったに鑑賞できない貴重な作品が目白押しだ。シリアスな写真コレクターは各コーナーごとに展示されている数々の名品に、唸ってしまうのではないだろうか。アジェ以前の19世紀の都市整備事業のパリ改造を記録撮影したシャルル・マルヴィル、アルフレッド・スティーグリッツの美しい銀塩作品“Poplars、Lake George、1920”とフォトグラビアの“The Steerage(三等船室)”、ウォーカー・エバンスの20年から30年代の12点の作品は必見。彼の“Flower Pedder’s Pushcar, 1929”には、右下のマット部分に直筆のサインが見られる。見逃さないようにしたい。
現代アメリカ写真ではリー・フリードランダーによる、おもに60年代に撮影された代表作が10点展示されている。
日本人写真家、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久、清野賀子の同時展示には違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、これはアジェとMoMAのジョン・シャーコフスキーとのかかわり、そして、彼とカメラ毎日の山岸章二とが1974年に同館で開催した「ニュージャパニーズ・フォトグラフィー展」でつながってくる。ちなみにMoMAでの展示には、深瀬、森山が選出。展覧会カタログも資料として展示されている。そして、出品日本人写真家は、みな自らのアジェからの影響を声高に語っていると紹介されている。

唯一のカラーが清野賀子の作品。シャーコフスキーが引用されているので、一部にアメリカのニューカラー作品を展示すれば、展示作の関係性がより重層化したのではないかと感じた。

フォトブックの展示にも注目したい。数ある有名フォトブック・ガイドに例外なく収録されているのが、“Atget Photographe de Paris”だ。ニューヨークの有名なウエイー・ギャラリー(Weyhe Gallery)で1930年に開催された写真展に際して、米国版、フランス版、ドイツ版が刊行。本展の展示物はドイツ版だと紹介されている。アメリカ版はワイン・レッドの布張りで知られている。同書のタイトル・ページ左側には、アボット撮影のアジェのポートレートが収録されている。本展でもこの見開きページが展示されている。

シャーコフスキーが1981年から1985年にMoMAで4回開催した“The Works of Atget”展の4分冊のカタログも展示されている。もっとも忠実にアジェの鶏卵紙プリントを印刷で再現しているといわれている。アジェのファンなら全4巻揃えたいだろう。実はこれらの本は出版数が多いので、いまでも古書市場で比較的容易に入手可能。一番人気が高く高価なのが第2巻の“The Art of Old Paris”だ。

アジェの写真が初めて印刷物で紹介されたのが、
“LA REVOLUTION SURREALISTE(シュルリアリズム革命)”の1926年刊の第7号。”バスティーユ広場で日食を見上げる人たち”が表紙に掲載されている。アジェの写真にシュールレアリスム的な要素を見出して初めて評価したのがマン・レイだった事実は広く知られている。その時にいつも同書が引用される。私も初めてオリジナルを見たが、現在のニュースレターや冊子に近いのがわかった。(写真は上記美術館チラシに掲載のものと同じ)

アジェのストレートな写真とシュールレアリスムとの関係性はややわかりにくいかもしれない。同展カタログに掲載されている学芸員の鈴木佳子氏の解説は非常にわかりやすいので紹介しておこう。一見まったくかけ離れている2種類の作品について、「ストレート写真にこそ現実を超えた世界がある、というシュールレアリスム本来の概念に注目する必要があるだろう」と説明している。

本展は、都写美の珠玉のコレクションを有効利用した、写真史の教育的な要素も持った優れた発想の企画だと評価したい。アート写真やフォトブックのコレクション、写真でのアート表現に興味ある人には必見の展覧会といえるだろう。様々な写真家や関係者たちの影響が複雑に提示されているので、写真史の知識がない人はつながりが見えない場合もあるかもしれない。関係性が不明だと感じたら、ぜひその部分の写真史を詳しく学ぶきっかけにしてほしい。
個人的には、現代アート系のアーティストたちも展示して、アジェの美術界全体への関わりを提示して欲しかった。
本展はコレクション展なので、同館にはその関連性を提示するような適当な収蔵作品がなかったかもしれない。現代アート分野は20世紀写真と比べてもかなり高額になっている。現在では、このカテゴリーの優れたコレクション構築は極めて困難だと思われる。コレクション展の枠の中ではなく、作品を他美術館から借りたりして、アジェの影響をもっと大規模に展開したような展覧会企画を将来的に期待したい。

TOP
Collection
アジェのインスピレーション ひきつがれる精神
東京都写真美術館

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2878.html

写真展レビュー : 東京都写真美術館
長島有里枝 “そして ひとつまみの皮肉と、愛を少々。”

本展は、長島有里枝(1973-)の公共美術館での初の展覧会。初期作のセルフ・ポートレートから新作までを一堂に展示する、キャリア中期の回顧展になっている。
彼女は学生時代から約24年間にわたり写真を撮影し続けているが、本展に至るまでに、いくつかの幸運に恵まれている。まず90年代のヘアヌード・ブームに乗ってキャリア初期に注目されたことだろう。当時、アート表現ならへアヌードも当局に容認されるという解釈が巻き起こった。出版業界はヌード写真バブル状態になった。どのようなスタイルでも、ヌードを撮影する写真家は一夜にしてアーティストになったのだ。それにはセルフヌードを撮影する写真キャリアの浅い若い女性も含まれた。この辺のきっかけは荒木経惟が登場してきたのと同じ構図だ。ちなみに長島は荒木に評価されて、1993年に“アーバナート#2”展でパルコ賞を受賞している。
また90年代中頃に起きた、若手女性の写真を評価する“ガーリー・フォト”のブームに乗ることもでき、2001年に木村伊兵衛賞を受賞している。この女の子写真ブームに対する的確な評価と解説は、同展カタログの掲載のエッセーで編集者のレスリー・マーチン氏が行っている。興味ある人は一読を奨めたい。
キャリア初期に評価されたことや、社会的ブームに後押しされた幸運を多くの人は羨むかもしれない。しかし人生はその後も続いていく。認められたワンパターンの撮影スタイルに陥り、そこから永遠に抜け出せない場合や、初期作を超えられなくて消えていく人も数多くいる。特に日本では若い女性が目新し方法論を駆使して表現しただけで面白がられる傾向がある。しかし、若い表現者は次々あらわれ、また誰しも年齢を重ねていく。
長島の素晴らしさは、キャリア初期に評価された後も、約24年間にわたり、留学、結婚、出産、離婚などのライフイベントを乗り越えて活動を継続してきたことに尽きるだろう。資料によると、最近は活動の幅を広げてエッセー執筆や、共同作業で縫い合わされたテントやタープのインスタレーション作品も発表している。写真展では異色の、巨大なインスタレーションは同展会場で鑑賞することができる。
最初に注目されても、まったく評価されなくても、作家活動を何10年も継続するのは普通の人には絶対にできない。それが可能だったのは、本人にカメラや写真を通じて社会とコミュニケーションを行うという強いモーチベーションがあったからだ。作家活動を継続した末に、本人の持つ社会と関わりを持つ語られないテーマ性に専門家が気付くようになるのだ。長島の場合、一般的に認識されている作品のテーマ性は、本展キュレーターの伊藤貴弘氏が指摘するように“社会における「家族」や「女性」のあり方への違和感”となるだろう。
同氏は、本展のカタログでは、英国の女性小説家のヴァージニア・ウルフ(1882-1941)の評論『自分だけの部屋』から「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」を引用。見事に長島作品と歴史との関係性も見立てている。
またカメラがデジタル化して、誰にでも簡単に写真が撮れるようになった。いまセルフィー(自撮り)といい、自分自身の写真を撮影する人たちが数多く存在する。写真の専門家は、カメラはアナログだったものの、長島はその元祖的な存在だと評価している。
今回、初めて彼女の話を聞く機会をえた。美大出身で挑発的なセルフ・ヌードなどを撮影しているので、かなり個性的で自我が強い人かと先入観を持っていた。しかし意外にも、ナチュラルで虚勢を張ることない、全く嫌みのない人に感じられた。自分のプライベートなことも抵抗感なく晒すことができるのだが、そこには見る側に同情を求めるような嫌らしさは微塵もないのだ。無理して格好をつけて、自分が消化していない現代アート的なコンセプトを語ることもない。初期作品での、女性肉体のヴィジュアルが男性に消費されることやその背景の社会構造への違和感を淡々と語っていた。ここらへんがキュレーターや編集者などが、上記のようなテーマ性の提示だと指摘したいところだろう。しかしこれは意識的というよりも、自然と湧き上がってきた感覚的なものではないだろうか。
ビジュアルの良し悪しにこだわることなく、彼女は自然体で被写体に向かいあって撮影しており、人に褒められる良い作品を制作しようなどといった邪念が少ないのだと思う。キャリア初期に写真家として認められた後も偉ぶり虚勢を張ることもないスタンスに変化がないのだ。
想像するに、初期作で全員が躊躇なくヌードになるような家族環境が彼女のような社会のしがらみをあまり気にしない存在を育んだのだろう。写真には撮影者の人格が投影されるといわれるが、このような取り組み姿勢があるからこそ、彼女の写真に多くの人が引きつけられのではないか。

長島はまだ40歳代中盤、美術館での回顧展を開催するには異例の若さだ。キャリア初期での成功が大きく影響しているものの、邪念を持たずに長い期間に渡って表現を継続すると、第3者が作家性を見立ててくれる好例といえるだろう。
本展開催は都写真美術館にとっても英断だったと思うが、写真文化の振興を標榜するという同館の方向性と見事に合致していると思う。エゴとお金にまみれた現代アートやマーケットとは一線を画す、独自の写真文化萌芽の可能性を感じた。本展は写真を撮る若い人に、写真家のキャリア展開のひとつの道筋を示しているのではないだろうか。

長島有里枝
そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。

荒木経惟 写真展レビュー
「センチメンタルな旅」/「東京墓情」24年後の”オリジナルプリントとしての
荒木経惟の作品”

 2017年は、春ころから東京各所の美術館やギャラリーで荒木経惟の写真展が相次いで開催されている。
その中で、最も注目されている東京都写真美術館(以下TOP)とシャネル・ネクサスホールの展覧会を紹介しよう。

荒木の長いキャリアをどのように写真展で紹介するかはキュレーターの腕の見せ所だろう。TOPは彼の原点である妻陽子との新婚旅行を撮影した「センチメンタルな旅」からのキャリア全貌提示に挑戦している。そこを彼のキャリアの原点として、陽子の死、その後の現在に至るまでのつながりのある作品群をセレクション。彼のキャリア自体を「センチメンタルな旅」と重ね合わせているのだ。
荒木は有名人として様々な活動や発言を行っている。ともすれば話題先行となり、作家性は不明瞭になりがちだ。TOPの展覧会では、原点を深堀することて見事に彼の作家像を明確化している。本展が、いままでに開催された複数の荒木写真展のコアとなり、すべてが関連付けられる構図になっている。

新婚旅行の写真というと、スイス人写真家ルネ・グローブリ(Rene Groebli)の“Eye of Love”を思いだす。全く同じモチーフなのだが、それは東洋の「センチメンタルな旅」の真逆の西洋の写真作品になっている。作品はフランスの雰囲気のあるホテル室内で撮影されている。そこには若い新婦のヌードや着替えのシーンなども含まれる。光と影を巧みに操ってシルエットで表現された被写体は絵画的であり、月並みの言葉になるがアートしているのだ。荒木のストレートな写真はまさに対極だといえるだろう。開放的な旅館での撮影、新婦の野外のヌードなど、西洋人が生々しい荒木作品を見て驚愕し、そこに東洋のオリジナリティーを見たであろうことは容易に想像できる。海外で評価される彼の作家性のエッセンスが本作に散りばめられている。
一方でシャネル・ネクサス・ホールの「東京墓情」展は、フランス国立ギメ東洋美術館で開催された荒木の回顧展「ARAKI」がベースとなり、亡くなった妻陽子や猫のチロ、ストリートのスナップ、依頼された写真、有名人のポートレート、新たな撮り下ろし作品がセレクションされている。それに加えて、荒木が選んだ、同館の花、ポートレート、風景などの19世紀日本写真コレクションも展示されている。現在を含む長く多彩なキャリアのエッセンスをコンパクトに紹介する展示になっていた。モダンにデザインされた空間で、フレームの外枠がない設えで作品が展示されている。荒木作品の濃さが失われていない上に、シャネル・ネクサス・ホールとの取り合わせにも違和感がなかった。海外コレクターの荒木作品の展示が想像できる空間だった。荒木経惟が世界的なブランド・アーティストであることが本展では高らかに謳われている。
私はいままで仕事で荒木経惟の作品を取り扱ったことがない。
しかし、1993年6月発行の雑誌“SH・I・N・C”の荒木経惟特集号で“オリジナルプリントとしての荒木経惟の作品”という巻頭エッセーを書いている。いま読み返してみると、様々な興味深い点があったので一部を紹介してみよう。
 まず2ページにわたるエッセーの最後の部分を引用しておこう。

「(前略)いままで述べてきたように、現代の日本を象徴する荒木経惟の作品はファインアートフォトグラフィーとしての独自性は持っているが、国内のプライベート・コレクターには買い難い作品である。一方、あまりにも日本的であることから価値観が違う海外コレクターには理解されにくいとも思われる。しかし、楽しみなのが日本のコンテンポラリー作家のコレクションを避けて通れない写真専門美術館もできた公共美術館の動きだ。一般的に彼らはコンテンポラリー作品の積極的な評価を下しにくい。プライベートではコレクションが難しい世紀末の日本を代表する荒木経惟を(美術館は)どう評価していくだろうか」

約24年が経過して“オリジナルプリントとしての荒木作品”の評価は確定した。彼はその後も作品制作を継続し、現在でも現役として活躍している。その過程で複数のアート性の見立てが行われて、いまや確固たる作家のブランドを確立させている。実際のところ、90年代から継続して作家活動を行っている日本人写真家はほとんどいないのだ。私が読み間違えたのは、荒木作品の見立てを行ったのが海外のコレクターや美術館だったことだ。当時の私は、欧米とは違う価値観を持つ荒木写真は外国人には理解されないと考えていた。しかし、実際は多文化主義の流れで、西洋の価値観にない日本文化の独自性が海外で評価されたのだ。逆に、西洋的なテイストを持つ日本人写真家の作品は、海外の作家との熾烈な生き残り競争の中で苦戦を強いられることになったのだ。残念ながら彼らは思いのほか評価されなかった。

そして、海外での評価があったことから、日本の美術館が荒木の展覧会を開催するようになった。私は、まず国内美術館で評価され、その流れで海外に紹介されると考えていた。残念ながらここでも予想は外れてしまった。
荒木作品の展示は年末にかけてさらに続く。締めくくりは12月17日から丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開かれる「荒木経惟 私、写真。」展。これまでの膨大な作品のなかから、プリントへの着色やコラージュ、フィルムの腐食などによって生と死を強く意識させたり、反転、撹乱させる作品を中心に展示するという。
2017年の日本の写真界は荒木経惟の年として記憶されるだろう。
東京都写真美術館 「センチメンタルな旅 1971-2017-」
シャネル・ネクサス・ホール「東京墓情」(会期は終了)
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

写真展レビュー
ソール・ライター展
Bunkamura ザ・ミュージアム

本展は、ペンシルヴァニア州ピッツバーク出身のアメリカ人写真家、画家、ソール・ライター(1923-2013)の日本における初回顧展。ニューヨークのソール・ライター財団から提供された、写真(カラー・モノクロ)、絵画、その他資料を含む約200点を展示している。最近の写真関係の展覧会は大判サイズのデジタル写真を見せる現代アート系が多い。本展は小さいサイズの銀塩オリジナルプリントをマットに入れて展示する20世紀写真の中規模の展覧会。写真の題材は、ファッション、ストリートのスナップ、ポートレート、ヌードが含まれる。
ライターは、従来はモノクロ中心だった写真の抽象美をカラーで追求した写真家。元々抽象画家で色彩感覚が優れていた。また日本の北斎などの浮世絵の構図にも多大な影響を受けている点も注目されている。そのようなカラー作品は写真を叙情的に捉えがちな日本の観客には受け入れられやすいだろう。
展示作は、シュタイデルから刊行された”Early Color”(2006年刊)、”Early Blck and White”(2014年刊)、”In My Room”(2017年刊予定)からの作品が数多く含まれている。青幻舎からも同展に際して日本向けにヴィジュアルを重視したカタログも刊行されている。
ソール・ライターの波乱万丈のキャリアやプロフィールについては、Bunkamuraザ・ミュージアムのウェブサイトに詳しく掲載されているのでそちらを参考にしてほしい。
ここではライターのファッション写真のアート性に注目してみよう。彼は50年代後半から70年代までに主にファッション写真家として、ハーパース・バザーやエスクアィアなどの雑誌で活躍している。しかし、当時は写真はともかくファッション写真のアート性は全く認識されていなかった。実は20世紀後半に商業写真分野で活躍し、写真によるアート表現に限界を感じて作家性追及を諦めた多くの人がいる、リリアン・バスマンの夫のポール・ヒメール、ルイス・ファー、英国ではギイ・ブルダン、デヴィッド・ボウイのアラジンセインのジャケットで知られるブライアン・ダフィーなどが直ぐに思い浮かぶ。ライターもそのような写真の可能性に絶望した一人だった。しかし、彼のファッション写真は単に服の情報を撮影したもののではなかった。彼はファッション写真について”私が行った仕事を否定する気はないが、ファッション写真家としてだけ記憶されるのは本意ではない”と語っている。また”仕事で撮影した写真が結果的にファッション写真というよりも、それ以上の何かを表現する写真に見えることを望んでいる”とも語っている。
彼は野外のストリートでのファッション撮影を好んだことで知られている。当時はまだスタジオでの仕事が一般的で彼は”アウトサイダー”と呼ばれていたそうだ。結果的に彼のファッション写真には、ストリートで展開されていた時代背景が写り込まれていた。当時の米国ニューヨークの軽やかな時代の気分や雰囲気を表現されていたのだ。
写真史家マーティン・ハリスンは、ライターが1963年にハーパース・バザーの仕事の合間にダブリンで撮影したアイルランド人少年のポートレート写真”Irish Boy,1963″をハーパース・バザーに掲載されたカラー作品5点とともに”Appearances: Fashion Photography Since 1945″で紹介している。

彼は、この写真は正確には雑誌に掲載されるような洋服の情報を伝えるようなファッション写真ではないが、着ている服装とともに伝わってくる少年の自信に満ちた姿はとってもスタイリッシュだと指摘している。彼は、これこそが広義のアート表現になり得るファッション(時代性)の反映された写真だと分析しているだと思う。

ライター作品の相場をみてみよう。ちなみに、彼の作品はニューヨークの有力ギャラリーのハワード・グリンバーグが取り扱っている。しかし、オークションでの取引実績はあまりない。だが相場は最初に紹介された90年代よりも明らかに上昇気味だ。2000年代は、ちょうど現代アートの価値観が従来のアート写真の価値観を飲み込んだ時期。同時に多くの20世紀に活躍した写真家のアーティストとしての再評価が行われた。ライターの時代性が反映された写真・絵画はその流れの中でアート性が注目されるようになったのだろう。展覧会のフライヤーにも利用されている代表作”Snow(雪)、1960″は2016年5月のフィリップス・ロンドンのオークションに出品されている。
こちらはエディション10、サイズ34.2 x 22.8 cm、ハワード・グリーンバーグで売られたモダン・プリント作品。落札予想価格は4000~6000ポンド(@150で約60~90万円)のところ9,375ポンド(@150で約140万円)で落札されている。写真作品としては高額だが、同じくカラーの巨匠であるウィリアム・エグルストンや、同じニューヨーク・スクール系のロバート・フランクと比べると評価が低いようだ。彼らとの違いは何かといえば、撮影時の米国社会の価値観との関わりが感じられない点、つまりテーマ性の弱さなのだろう。

私どもは日本独自のアート写真の価値基準として限界芸術の写真版のクール・ポップ写真を提唱している。最近は海外の20世紀写真家のなかにクール・ポップ的な人がいたことに気付かされている。実はソール・ライターもそのような写真家に含まれるのではないかと考えている。これについては別の機会に分析してみたい。

Bunkamuraザ・ミュージアムでの東京展は6月25日まで。
2018年春には大阪の伊丹市立美術館に巡回予定。

写真展レビュー
「TOPコレクション-平成をスクロールする 春期  いま、ここにいる」
東京都写真美術館

平成を迎えたばかりの90年代の日本は、ちょうど資本主義が発展し多くの人が便利な生活を送れるポスト工業社会へ移行した時期だ。それ以降、IT社会化、グルーバル社会化が進展することになる。昭和のような大きな物語が世の中からなくなり、人々が多様な生き方が可能になった時代でもある。それは価値観が相対化していった時代ともいえる。昭和には、多くの人が共感可能な時代の気分や雰囲気が反映された写真作品の提示が容易だった。特に現代アートのようにテーマ性がなくても、写真家と見る側のコミュニケーションが成立した。
平成が進んでいくと、多くの人が共感するような将来の夢、幸福が減少していき、また時代の気分や雰囲気もあいまいになっていく。時代性がどんどん相対化していったのだ。自分の実感している世界を表現する創作行為は、細分化した時代感覚をすくい上げることとなり、複雑な社会の中でテーマを見つけ出す現代アートと変わらなくなった。
そのような平成という時代を「いま、ここにいる-平成をスクロールする 春期」で美術館がどのように解釈しているかは非常に興味あるところだ。同館のキュレーター伊藤貴弘氏は90年代の中ごろに評論家の宮台真司氏が主張していた「終わりなき日常」を引用していた。佐内正史、ホンマタカシ、高橋恭司などの風景写真にはそのような時代状況が反映されていると見立てているようだ。しかし、「終わりなき日常」もまた、平成の数多くある価値観のひとつに過ぎないともいえるのではないか。冷徹なる現実として、いくら意味が見いだせない世の中でも人間は社会の中で生きるしか選択肢がない。このような価値観が相対化した時代の写真は、アートとしてパーソナルな視点での写真家の世界の認知がテーマとして提示されない限りは、それぞれの撮影者のその時の個人的な感覚の連なりが反映されたものになりがちになると考える。
本展にはそのような感覚が重視された写真作品が中心に展示されている印象を持った。感覚は撮影した人の数だけ存在して、それぞれに優劣がないのが特徴だ。誰もそれらを比較して価値の上下を付けられないということになる。

今回の展示には既視感を感じた。以前に同館で開催された東京をテーマにした展覧会「東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13」を思いだした。巨大都市東京もあまりにも多様で、認知も感じ方も細分化している。上記の平成の認識も東京とかなり重なっている。どのような断面で切り込んで撮影しても、それは撮影者の心と頭で認識された東京がある。東京と場所が限定されるだけで、撮影した人の数だけ東京の認識と心象が存在していて、それを誰も否定できない。ある写真家が同展を見て、共感できる写真がなかったという意見を述べていた。それは、その写真家が認識している東京が反映された写真が展示に見つからなかったことを意味する。それがさらに大きなくくりの平成となると、もっと表現の範囲は大きくなってしまうだろう。

最近は自分が理解できない写真が多いという意見を、写真家や写真趣味の人からよく聞く。同じような疑問として、なんで今回の写真家と作品が同展に選ばれたか理解できないという意見も、たぶん多くあるかもしれない。しかし、それらは見る人が持っている時代の気分や雰囲気と、展示されている写真作品のものが合致しなかった理解すればよい。自分と違う感覚の写真を理解できないのは当たり前なのだ。当然だが、感覚がシンクロする人も存在しているだろう。そのような状況は、写真の時代感覚が多様化、相対化が進んだ平成という時代には当たり前だ。それは、アート写真が美術史や写真史を知らないがゆえに理解できないのとは意味が違う。
本展は秋にわたって3回にわけて3人のキュレーターが選んだ作品群が展示される予定とのことだ。多様化している状況をできる限り適切に提示するには、幅広い年齢の写真家の多種の写真を複数のキュレーターが選んで展示するしかないだろう。それらの中には、必ず見る人の感覚とシンクロした写真が発見できるはずだという意図だと思われる。本展は、現在の日本の「写真」の現状を的確に示しているといえるだろう。
7月15日からは夏期の「コミュニケーションと孤独」が始まる。多くの現代人が立ち止るキーワードが含まれたタイトルで、実際の展示がいまからとても楽しみだ。
総合開館20周年記念 TOPコレクション
平成をスクロールする 春期 「いま、ここにいる」
東京都写真美術館
参加写真家

佐内正史、ホンマタカシ、高橋恭司 、今井智己、松江泰治、安村崇、花代 、野村佐紀子 、笹岡啓子

写真展レビュー
テリ・ワイフェンバック「The May Sun」 IZU PHOTO MUSEUM

米国人女性写真家テリ・ワイフェンバック(1957-)の「The May Sun」展がIZU PHOTO MUSEUMでスタートした。彼女は写真で表現するアーティストとして20年以上のキャリアを持つが、国内外の美術館では初個展とのことだ。

本展は、4つのパートから構成されている。導入部分で初期作品の紹介的な意味合いで「In Your Dreams」などのフォトブックを紹介している。続く2つのメインギャラリーでは「The May Sun」と「The Politics of Flowers」を展示。出口近くのスペースでは彼女の新しい試みの映像作品やインスタレーションを展示している。同作はデジタルカメラ使用で制作可能になった動画作品の可能性を探求した実験的な要素が強い。
本展の中心展示は「The May Sun」、「The Politics of Flowers」となる。前者は数年前の伊豆滞在時にデジタルカメラで撮影された、デジタルCプリントとアーカイバル・ピグメント・プリントで制作されたカラーによる自然風景の大判サイズ写真。後者は2005年にフランスの出版社onestar pressに招待されて制作したフォトブックからのセレクションとなる。現在でも紛争が絶えないパレスチナの地。19世紀、聖地巡礼者の間では、同地で咲く花で制作された押し花帖がエルサレム土産として人気があったという。展示作品は、ワイフェンバックがネットオークションで購入した押し花帖からスキャニングされて制作された小ぶりのモノクロのアーカイバル・ピグメント・プリントだ。この制作アプローチは現代アート分野の表現で見られる、ファウンドフォトを再解釈して作品化する方法に近い。
この二つはあらゆる面で全く性格の違う種類の写真といえるだろう。それゆえ本展全体のテーマとコンセプトがやや分かり難くなっている。彼女の写真を知らない人は、まったく関係のない2作品の展示と受け取るかもしれない。
4月9日にワイフェンバックと写真史家の金子隆一氏のトークイベントが開催され、上記2作について本人の口から断片的かつ間接的に展示意図が語られた。ここでは、私なりに彼女が本展で何を表現しようとしているのかを分析してみたい。
「The Politics of Flowers」は、21世紀の現在でも世界中で紛争が絶えない状況を暗喩した作品ではないか。彼女は母親の死をきっかけに同作制作を思いついたという。押し花帖を手にとることで、彼女の思いは母との死別で精神的に打撃を受けている自分と同じように、家族、友人、仲間、親戚の死や負傷に直面しているパレスチナの地の人々の存在へと及んだという。
海外のアーティストは、自由平等、差別反対などの様々なメッセージを世界に対して作品や行動で発信する人たちだ。ワシントンD.C.在住のワイフェンバックも、女性に差別的な発言を繰り返してきたトランプ氏に抗議するデモに参加したという。最近でも、世界各地で発生するテロ事件、シリアやアフガニスタンでの紛争のニュースがマスコミで報道されている。彼女が本展を構想し始めた時期よりも世界の状況は混迷を深めている。彼女が理想としている状況が遠のいているといえるだろう。彼女はモノクロは破壊や衝突を表すとしている。色のない押し花作品はまさにこのような状況が現存するという問題点の提示なのだ。
「The Politics of Flowers」が破壊なら、「The May Sun」はそれに対する再構築を意味すると語っている。つまり前者で行った現状認識および問題提起に対する彼女の回答だと理解したい。ワイフェンバックは場所の持つ気配を感じ取って写真で表現するのを得意とする。それはオランダ北東部のフローニンゲンで制作された時代の変遷により歴史から消えた場所の残り香を紡ぎだした”Hidden Sites”(2005年)などで見ることができる。
私は本作を見て、彼女は歴史を大きく遡って古の日本人が伊豆の山河に感じた神々しさ、言い方を変えると八百万の神を表現していると直感した。
それは自然を神の創造物ととらえ、人間が支配し管理するものだという西洋の考え方への疑問符なのだ。一方で日本では、優美という価値観を持ち、自然に神の存在を感じて共に生きるというメンタリティーを古来から持っていた。天然資源を消費することで経済が発展し人類は豊かになったものの、世界的な環境破壊、それが原因とみられる気候変動も引き起こした。いま西洋の合理主義的な考え方に多くの人が限界を感じ始めている。それに対して様々な対処方がある。自然とともに生きるという考え方の採用も一つの選択肢として説得力を持つだろう。ワイフェンバックは、その思想が文明が犯してきた破壊に対しての再構築の意味合いを持つと考えているのだ。
「The May Sun」の多くの写真はクレマチスの丘で撮影されている。その広大な庭園の美しい自然は多くの人によって手入れがされて育まれている。このような配慮が生まれてくる背景にある哲学が、自然との一体感だと彼女は見ているのだ。ただし彼女の伝えたいメッセージは100%の西洋否定、東洋称賛ではない。アーティストは決して夢見るロマンチストではなく、現実的に世界を見ているのだ。つまり極端に行き過ぎないバランス感覚を持つことが重要ということだろう。
歴史的背景の違う西洋人のメンタリティーが急に変わることはない。また今まで続いてきた経済成長優先の社会システムも同様だ。しかし彼らでも、自然を愛して共存する感覚を持てれば、考えが違う人に対する配慮が多少なりとも可能になるのではないかというメッセージなのだ。もちろん、それはトランプ大統領にも向けられているのだろう。
これは本人の意図はともかく、日本人に対してのメッセージだとも受け取れる。私たちは自然を愛する感覚やメンタリティーも持つが、感覚や共同体の空気に流されがちで、自ら考えることができないという欠点も持つ。私たちも西洋人とは逆の方向で、意識的にバランス感覚を持たなければならないのだ。
本展は非常に大きいテーマを取り扱っている。オーディエンスは作品の表層を鑑賞するだけでなく、意識的にアーティストのメッセージを読み解く努力が必要になる。それができれば、彼女が長年にわたり植物、自然を被写体として作品を制作してきた理由を理解できるだろう。もしかしたら、ウェイフェンバックは無意識のうちに撮影していたのが、本展企画に際して日本の山河を初めて本格的に撮影する機会を得て、新たな気付きがあったのかもしれない。そうであるならば美術館のキュレーションが見事だったということだ。
また同館が彼女のカラー作品と比べて地味な印象だった「The Politics of Flowers」に光を当てた点も重要だ。同作は彼女のカラーの風景作品と対をなして存在する事実が見事に提示された。かつてギャラリーの来場者から、彼女の明るくカラーフルな写真に何か怖さを感じる、デヴィット・リンチの映画ブルーベルベットを思いだしたという意見を聞いたことがある。彼女の中での「The Politics of Flowers」の意味を知ると、そのような印象を持つ人がいるのに納得できるだろう。

本展は、ワイフェンバックのキャリアの中で極めて重要な展示になっている。

IZU PHOTO MUSEUMS