ザビーヌ ビガール写真展「TIMEQUAKES 時のかさなり」

シャネル・ネクサス・ホールでパリを拠点とするアーティスト、ザビーヌ・ビガールの写真展が開催されている。
展示作品はカラーによるポートレートの連作だが、実はデジタルによる画像処理を駆使して制作されている。15~16世紀ルネサンス期の、ダビンチ、ラファエロ、ホルバイン、ファンエイク、クルーエなどの巨匠の宮廷肖像画と、現代の様々な人種のポートレート写真を重ねて制作されたものなのだ。ただ顔の部分を入れ替えただけではなく様々なパーツにもデジタル処理で手が加えられているとのことだ。さらに、その合体した写真の背景には彼女の以前の来日時に撮影された抽象的な東京の夜景が使われている。大判を含む様々なサイズの全50点がクラシカルな雰囲気のフレームに額装され、黒を基調としたシックな会場に展示されている。

資料によると、本作は彼女が東京で経験した東日本大震災においての心理的混乱が制作のきっかけになっているとのことだ。そして大震災での物質的破壊を一時的な堆積(たいせき)と解釈し、それを表現するために本作に取り組んだという。やや難解なので、これはどのような意味なのか考えてみたい。
ネットで調べると、堆積とは、地層を形成するに至るまでの過程を意味するとのこと。彼女は震災経験後に思索を重ね、地震や津波による地形や構造物の破壊をより宇宙的な視点と時間軸で解釈しようとしたのだろう。天変地異は、僅か80余年の寿命しかない人間にとっては非常に衝撃的な出来事である。 しかし、地球規模の時間軸でとらえた場合、この破壊と再生は幾度となく繰り返されその痕跡が堆積したうえで現在の状況があることも事実だろう。大震災で起こされた破壊も時間経過の末にやがて堆積物の一部となっていく。日本人は八百万の神というように古代から自然に神を見出してきた。また地震や台風などを何度となく経験しているので、自然災害に対して諦めの感覚を持ち、また自然が再生するという仏教の輪廻のような感覚を本能的に理解している。しかし、キリスト教を信じる欧米人は自然は神が作ったもので人間が支配するべきという発想を持っている。ザビーヌ・ビガールは地震の直接体験がきっかけとなり、日本人が生まれ持つ自然への畏れのような感覚に気付き、それを論理的に作品コンセプトとして自作に落とし込んだのだ。永遠に繰り返される自然の営みや輪廻のようなことを理解してもらうためにその考えを言葉と作品で提示しているわけだ。その方法は画像を重ね合わせることで試みている。複数の時間軸が1枚の写真の中に共存することを時間の堆積として暗喩的に表現しているのだ。タイトルの「TIMEQUAKES」は、時間の「TIME」と、揺れる、振動するを意味する「QUAKE」をくっつけた造語だと思う。自然で繰り返される堆積を、時間の堆積で表現しようとした意図が読み取れる。

ビガールの作品は、時代性が反映されたアイデアと、インテリアにも飾り易い親しみやすいヴィジュアルをあわせ持っている。まさに欧米で主流の、写真表現を取り入れた最先端の現代アート作品だと思う。日本ではややなじみの薄いこのようなタイプの写真作品が、欧米市場では熾烈な生き残り競争を続けているのだ。作品テーマと時代との関連性構築の考え方や、デジタル技術を多用した巧みな画像処理による作品制作アプローチはアーティストを目指す人にも大いに参考になると思う。

植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ 写真で遊び続けた天才たち

本展はジャック・アンリ・ラルティーグ財団と東京都写真美術館とによる共同企画とのこと。ではなんで植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグの二人展になったのだろうか。 二人の間に特に交流があったわけではないようだ。またともにキャリア後半に世間で認められたアマチュア写真家という切り口にはかなり無理があるように感じる。
色々と調べてみると図録の資料に、植田は「写真に関する自分のゆるぎなき師匠は”ジャック・アンリ・ラルティーグ”である」と1993年のインタビューで語っていたという記述を発見した。二人展のアイデアはこのあたりが発端らしい。

会場では、「実験精神」、「インティメイト:親しい人たち」、「インスタント:瞬間」、「自然と空間」のセクションに分けられて二人の作品が互いに展示されていた。
写真展タイトル「写真であそぶ」が示す通り、ともに写真を楽しむことを貫いた点に共通性を見出したという企画になっている。これは非常に興味深い二人展での見せ方だといえよう。
二人の写真に共通しているのはエゴが微塵も感じられないことなのだ。実はこれは本当に難しい。作家活動を長年続けている写真家は、年齢を重ねるに従いどうしても社会の評価が気になってくる。アマチュア写真家も最初は純粋に好きで写真を撮っている。しかし少し認められると自分が特別だと思い始める。そのような人たちは、もし思い通りにならないと焦りがでてくる。残念なのだが、エゴが次第に態度に出てきて環境などに責任転嫁するようになる。その結果、他人の心を動かすような写真が撮れなくなるのだ。結果を求めず純粋に写真撮影の行為自体に意味を見出し続けるのはとても困難なのだ。ラルティ-グと植田が「偉大なアマチュア写真家」だというの正確ではなく、かれらこそ作家性を追求し続けた真のアーティストなのだと思う。写真を遊ぶ、はそれを象徴した意味なのだ。だから写真自体の表層的な共通性というよりは、写真に対する共通の姿勢が二人展開催の主な理由になるのだろう。

ラルティーグ作品に関するマルティーヌ・ダスティエ氏による図録巻頭掲載のエッセーは、作品を見る視点が明確に提示された素晴らしいものだった。図録を購入した人はぜひ読んで欲しい。
それによると、彼は若い時から自分の未来に希望を見出すことが出来ずに、楽しかった過去の記憶を写真アルバムと日記で残して満足しようとしていたという。その中でフランスの小説家ベルトラン・ポワロ=デルペシュが、陽気で軽薄だと評されるラルティーグ作品の二面性を指摘していることが引用されている。ラルティーグの写真には、彼の人生の苦悩の裏面も感じるということなのだ。つまり、彼は自然の中で生かされている人間の無力さ、生まれた瞬間から死に向かっているとい歴然たる事実をかなり若い段階から見抜いていたということ。たぶん幼いころから写真と日記をつけることで深い思索の世界で生きてきたのだろう。 しかし、彼はそれで絶望して厭世的になるのではなかった。逆にだからこそいまという瞬間を一生懸命、できるだけ明るく生きようとしている。それを支える手段として写真、日記などがあった。それらで楽しかった過去の蓄積を行い、それをベースに未来を信じるのではなく”いま”を生きようとした。将来天国に行くというキリスト教的な未来信仰にすがらない、強い意志を持った現実的な大人の人間だったのだ。その姿勢を理解した人には、ポワロ=デルペシュが指摘しているラルティーグ作品の闇の部分を感じることができ、彼のさらに深い写真世界に魅了されるのだ。それは見る人も作家本人と同じ世界観を持つことに他ならない。

専門家はラルティーグは一つのジャンルでは収まらない写真家と評価している。しかし、私は彼の写真こそはファッション写真だと思う。ラルティーグは、カメラで何かを記録しようとはしていない。また単に自分のフィーリングを重視していただけではない。自分がカッコいいと感じるものにカメラを向けている。
それはスポーツ、飛行機、自動車、自転車、着飾った上流階級の女性たちだった。カッコいいということは時代を感じさせるシーンであるということで、ベルエポック期の気分や雰囲気を伝えるものになる。それらは非常に移ろいやすいもので、見る側の趣味性や感受性に左右される。現代ではファッション写真家がその役割を担っている。ラルティーグは上流階級出身だったがゆえに当時の最先端の時代性を感じ取ることが出来たのだろう。
つまり彼の写真はアートになり得る優れたファッション写真と同様の要素を持つと考えればよい。誤解を避けるために確認しておくが、ファッション写真とは単に洋服を撮影したという狭義ではなく、時代性が反映されたという広義の意味だ。

被写体をモノのように並べる構図やポーズなど、演出がかった撮影アプローチが植田調と言われている。ある意味でこれは植田がディレクションしたファッション写真と言えないことはないだろう。ファッション写真は時代の最先端を意識するメデイアだが、植田作品には山陰の土着的なものローカル的なものが取り込まれている。しかしそれらは決して意識されたものではなく、彼は単純に当時の地元で自分がカッコいいと感じる写真を作りあげていただけなのではないかと思う。それが反映されたヴィジュアルは、当時の日本を知る人の記憶に残っている印象と重なり、懐かしいような感覚を覚えるのだ。
彼の作品は50年代~60年代くらいまでファッション写真同様に作り物のイメージとして低く見られていた。それが、70年代以降に優れたファッション写真のアート性が認められるに従い評価されるようになるのだ。90年代以降の海外での再評価は、土着的なところが逆に日本的で新鮮に感じられたからだろう。日本的なファッション写真と理解された面もあると思う。ラルティーグと植田には、ともにファッション写真的な要素を持つという共通性もあるのだ。

二人の写真家の「写真であそぶ」人生は、実は写真とともに生きることだったのだ。
いま日本では多くのアマチュア写真家、商業写真家がいる。二人の写真家人生は、アーティストになるには、アマチュア精神を持ち続けることが重要なのだと教えてくれる。
本展は、複数の奥深い視点が提示されている、見て考えて楽しむことができる優れた写真展だと思う。

ジョセフ・クーデルカ展(Josef Koudelka) 旅の人生からのメッセージ

ジョセフ・クーデルカ(1938-)は、ハイ・コントラストのモノクロ写真で知られるマグナム所属の写真家。彼はソヴィエト軍のプラハ侵攻を撮影、それが原因で国を離れて亡命者として旅の人生を送ることになる。代表作に「ジプシーズ(1962~1970年撮影)」、「エクザイルズ(1968~1994年撮影)」などがある。彼の本格的な展覧会が先ほど東京国立近代美術館でスタートした。初期作品から最新作の「カオス」までの約280点でキャリアを回顧するものだ。日本では2011年春に東京都写真美術館で開催された「ジョセフ・クーデルカ プラハ
1968」以来の写真展となる。

どの場所や時代でも写真だけで生活していくのは容易ではない。クーデルカも最初は航空技師として働きながら写真家活動を行っている。1962年ごろに劇場の撮影から写真家キャリアをスタートさせ、1967年にフリー写真家に転じている。
1962年~1970年までに撮影された劇場写真では、演劇のリアリティーや演技シーンのモノクロームでの抽象性を追求。虚構世界の演劇を単に記録ではなく作品として取り組んでいる。
ほぼ同時期に取り組んでいたチェコスロバキアのジプシーをテーマにしたシリーズでは、彼らの存在をドキュメントとしてではなくパーソナルな視点で撮影している。一般社会から離れて独自のコミュニティーの中で暮らすジプシーたち。彼らの存在はクーデルカにとっては劇場と同じ非日常の世界だったのだ。クーデルカの視線には、それはまるでストリートで演じられている演劇のように映っていたのだろう。

そして有名なプラハの春の写真ではソ連軍の侵攻というリアルな出来事をドキュメントというよりも、これもチェコスロバキア人の視点でとらえ撮影している。 あたかも映画のワンシーンのように見えないこともない。図録収録のカレン・フィシダーラとのインタビューの中で、彼は当時の状況を以下のように語っている。
“写真をとることが重要だと思ったから撮影した。自分が何をしているかについては深く考えなかった。後になって、君は殺されるところだったかもしれないぞと言われたが、その時はそんなことなど考えもしなった”(図録インタビュー、P53)

東京国立近代美術館の増田玲氏は図録に収録されたエッセーで、クーデルカにとってのプラハの春を以下のように解説している。
“世界を陰影に富んだものとしてとらえる世界観を獲得していったプロセスだったと考えていいだろう。何しろ、クーデルカがその時プラハで目の当たりにした事態とは、「現実それ自体が非現実」な出来事だった”(図録 クーデルカの世界、P158)

彼は、プラハの春の写真がきっかけで亡命者として生きることになる。誰もが思い浮かぶ疑問は、なぜ彼が旅の中に生き続けてきたかだろう。彼はそれまでの両極端の実体験により、世の中には客観的な現実などは存在しない、すべて見る側の意識がつくりだしている虚構のようなものだと気付いたのだと思う。そしてカメラを通すことでそれらは並列して提示することが出来ると考えたのではないか。彼の写真に写されているのはこの社会に幻想を持たない人が目の当たりにしているシーンなのだ。

図録のカレン・フィシダーラとのインタビューの中で、彼は自分の人生を以下のように 語っている。
“私は私の生きたいように人生を生きてきた””私はつねに自分にできる最良のものは何かを見究めようとしてきた”(図録インタビューP122.)

多くの一般人は妥協した人生を送ることで不自由だが安定した生き方を選択する。好きに生きることの追求は社会の最下部の人生をいきることになるかもしれないのだ。 それでもそれを追求する人は、自分の中に強い心のよりどころを持たないと、本能から湧き出で膨張していく不安や欲望に負けてしまう。彼は旅の中で生き続けることで世界に客観的な実体がないことを確認しているのではないか。
依頼仕事を受けないのも、お金をもらうことで不自由になることを避けるためなのだ。 危険にさらされている人たちにカメラを向けるのも同じような理由があるだろう。やや乱暴だが、危険を感じることで人はいまこの瞬間に生きることが可能になるからだ。

図録のインタビューでこんなエピソードが語られている。(図録インタビューP23.)
あるジプシーがクーデルカの旅の人生を、”おまえが旅を続けるのは、まだ(1番と思える)土地をみつけていないからだろう。まだそんな土地を探しているからなんだろう”と質問している。それに対するクーデルカの答えは”それはちがうよ。私はそんな場所を見つからないように必死になってがんばっているんだよ”
つまり彼にとって旅は人生の何かを見つける手段ではなく、旅自体が人生であり目的なのだ。

展覧会のレセプションにご本人が参加していて遠目でゲストの人たちと歓談しているシーンを拝見することができた。一瞬だがお会いして短い会話を交わすこともできた。とても気さくで、気取りや、飾り気のないまるで童心を持ったような人物に感じられた。 彼は自らの高い意志と感情により行動する力強い人物なのだと思う。
日本人の私には、それがまるで旅の途中で亡くなった松尾芭蕉の「軽み(かろみ)」に通じる境地に達した写真家ではないかと感じてしまう。「軽み(かろみ)」を簡単に語るのは難しいが、人生は良いことばかりではないが他に選択肢があるわけではないのだから、逆にそれを楽しむ、のような意味。
そのように気付くと、1986年~現在まで取り組んでいるカオスシリーズには俳句のような「間」を感じられる。組写真の余白スペースはまさに「間」だ。またパノラマ作品では長さがあるので視点を何度か変えて見ることになる。その視点の移動が「間」を生むのではないだろうか。その効果の結果、私たちは現実からクーデルカの心の世界に誘われる。観客はいままで会場で見てきた彼の旅の人生そのものに思いをはせることになる。クーデルカのような人生を歩むことはできないことを思い知らされて、改めて彼の写真に惹きつけられるのだ。カオスシリーズは、クーデルカの回顧展でこそ魅力が強調されると感じた。

彼のオリジナルプリントはニューヨークの有名ギャラリー、ペース・マクギルが取り扱っている。オークションでの取扱いはまだ多くはないが相場は、数千ドル~4万ドル程度。2011年春、クリスティーズ・ニューヨークではジプシーからの1枚、銀塩の”Romaina,1968″が、43,750ドルで落札されている。これは80年代にプリントされた作品。ちなみに本展でも同作は展示されている。サイズも同じだ。(図録P.60)

本展は今秋開催のベストの写真展。アート写真ファンは必見だろう。

アンドレアス・グルスキー展 世界最高峰の写真世界を体験する!

国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー展」が始まった。
グルスキーはその作品の市場価格が高額なことで知られる現代アート作家。同展でも展示されている1999年の作品 “Rhein II”は写真のオークション最高価格をつけたことでに知られている。2011年11月8日にクリスティーズ・ニューヨークで開催された”Post-War and Contemporary Art”のイーブニング・セールで$4,338,500.(@80.約3億4708万円)で落札されている。落札作は185.4 x 363.5 cmの巨大作品、国立新美術館での展示作は小ぶりサイズの作品だった。
実は、せっかくの「アンドレアス・グルスキー展」開催にやや水を差すのだが、同作はもはや世界一高額な写真作品ではない。2013年5月14日ササビーズ・ニューヨークで開催された”Contemporary Art”のイーブニング・セールで米国人作家ジェフ・クーンズ(1955-)が1980年に写真を使って制作した1点物の”THE NEW JEFF KOONS”が$9,405,000.(@100.約9億4050万円)で落札されたのだ。これは、掃除機をアクリルケースに入れ蛍光灯で照らし、新商品のショーケースのように見せる”The New”シリーズのなかの1点。しかし本作はオブジェではなく、モノクロのクレヨンを持つ男の子のポートレート写真が使われている。
さてこれが厳密に写真かどうかは議論が分かれるところだろう。まず本作は、蛍光灯ライトボックスにセットされたディスプレイ用デュラトラン(Duratran)の写真作品。アート作品としての耐久性には問題があると言われている。その上、モノクロの男の子の写真はクーンズが撮影したものではない。リチャード・プリンスのように、世間に流通している普通の写真から流用しているアプロプリエーション・アートなのだ。写真ベースの現代アート系オブジェ作品と理解した方が良いだろう。

さて、「アンドレアス・グルスキー展」だが、本展は彼のキャリア初期の1980年から2012年の最新作まで65点を展示する日本初個展。彼のキャリアを通しての代表作品がほぼすべて鑑賞できる。回顧展のように制作順に展示するのではなく、小ぶりの初期作品から巨大作品まで様々なキャリア期のものを2つの展示室内に並置している。一部のグルスキー作品はジャクソン・ポロックの絵画と比較されることが多い。ポロックのドリップ・ペインティングは適当なように見えて実はフラクタル性が強く反映された構図になっている。フラクタルは部分と全体の構造が類似の形状をしているということ。本展ではフラクタル的な作品要素を展示方法にも反映させているのではないかと思わせる。つまり全てがグルスキーの一貫した世界観につながっているので、適当のように並べられている個別作品は大きな作品コンセプトの一部である、という意味だろう。
しかし、図録は制作順に図版が掲載されているので作品制作の流れがよくわかる。ハードカバーだし、網点がわからない高品位の印刷が採用されている。図録というより写真集と呼んでよいだろう。そのように思えば図録としてはやや高い3500円も逆にお買い得に感じる。アート写真好きの来場者は絶対に買いたい。

アンドレアス・グルスキーの簡単なキャリアをアート・フォト・サイトの情報をベースに簡単に紹介しておこう。
グルスキーは1955年旧東ドイツのライプツィヒ生まれ。1978~1981年までエッセンのドイツ有数の写真学校フォルクワンクシューレで学んでいる。一時期ハンブルグでフォトジャーナリストを志すが、1981年にアンセルム・キーファーやゲハルト・リヒターなどを輩出した前衛教育で有名なデュッセルドルフ美術アカデミーに入学、その後7年間に渡ってトーマス・シュトゥルートらとともに学んでいる。彼の指導者はベッヒャ-夫妻、写真家であるとともに表現者としてのキャリア形成の重要性を教え込まれたとのことだ。彼はベッヒャ-夫妻のように客観的な写真表現法を5X7″フォーマットのカラー写真で実践し評価されるようになる。

1980年代後半には、広大な風景に人間が点在している焦点のない均一な作品を制作。プールに点在するスイマー、山登りのハイカーなど、人間を風景の一部とした作品は初期の重要作だ。1987年にデュッセルドルフ空港において初個展を開催している。

1990年代には東京証券取引所から始まった世界の取引所シリーズが大きな転機になる。本展にも、”Tokyo, Stock Exchange, 1990″が展示されている。事前に計算し尽くされて撮影、制作された作品群はベッヒャ-夫妻の影響をうかがわせる。同シリーズの5点はちょうど2013年6月にササビーズ・ロンドンで開催された”Contemporary Art”オークションに出品され、総額約5.5百万ポンド(約8億5250万円)で落札されている。

それ以降、90年代を通してデジタル技術を駆使し試行錯誤を繰り返しながら新自由主義のなかで進行するグローバル経済化をモチーフに超リアルで巨大な作品制作に挑戦していく。証券取引所、港湾地帯、工場、巨大オフィス・ホテル、空港、ショップなど、経済の最先端の現場を巨大で眩いカラー作品で表現することで高い評価を受けるようになる。2001年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された米国初の美術館展がきっかけで一気に世界的人気作家に躍り出る。いまでは世界的なスーパースター・ディーラーのラリー・ガゴシアンが作品を取り扱っている。

彼の作品のなかでも、資本主義のシステムの中で、閉じられた巨大空間の中で消費という価値感を与えられた一般大衆を表現した、小売店舗、ショップなどのシリーズはグローバル経済のダークサイドに深く切り込んだ秀作だ。続いて、大衆の娯楽、レジャー、生活なども同じようなシステムのなかに組み込まれていることを暴きだし、ロックコンサート、巨大クラブ・シーン、F-1サーキット、ツール・ド・フランス、登山、ツーリスト、美術館などのシリーズに取り組んでいる。また図書館を撮影した”Library, 1999″や、長編小説から内容を断片的に抜きだして新たなテキストを作り、本のページを複写したように見せている”Untitled XII,no1,2000″などでは、人類の知的財産や文学は一種のミームであることを示しているのではないだろうか。ミームとは、人の脳や書物のなかにあり、模倣によってつたわる文化の一要素のこと。
さらに、より大きい社会システムとして宗教を意識させられる大聖堂、国家システムに目を向けた独裁国家北朝鮮ピョンヤンでのマスゲームなどを撮影テーマに作品を制作。最近は衛星写真を加工したオーシャンシリーズ、 バンコクのラプラタ川の抽象作品などで、彼の視点は地球や環境問題にも向かっている。

グルスキーは、現代社会において私たちが当然のことと信じ込んでいる様々な思い込みを撃つのだ。いま何でアートが私たちに必要なのかの答えを作品で示している作家なのだ。
現代アートのコンセプトは難解なのだが、彼は比較的私たちの生活に身近なシーンを取り上げている。つまり見る側がリアリティーを感じやすいのだ。また巨大なサイズだが、作品は大きいほどオーディエンスを画面の中に取り込む効果があると言われる。つまり自分の体験と作品が重なってくるのだ。社会のシステムに取り込まれている一般大衆はまさに美術館のオーディエンスのことでもある。巨大作品は彼の作品コンセプトの一部でもあるのだ。

「アンドレアス・グルスキー展」は、いまのアート界そして市場で、世界的に最も高い評価を受けている現存作家の展覧会だ。戦後日本で開催された写真作品の展覧会のなかで間違いなくベスト・スリーに入ると思う。グルースキーのメッセージを受けとめるために、見る側も、視覚、頭脳と心を総動員して能動的に作品と対峙することが求められる。l

横須賀美術館「街の記憶」写真展レビュー

横須賀美術館で「街の記憶-写真と現代美術でたどるヨコスカ-」が開催中だ。
同館は2007年にオープンした比較的新しい施設。コンセプトは「環境全体が美術館」とのこと。ガラスに覆われたモダンな低層の建物は広大な観音崎公園のなかの山の斜面に建てられている。前面には広大な芝で覆われたガーデンスペースがある。遊歩道のゆるやかな坂を歩き建物の裏に回ると屋上広場につながっている。そこからは目の前に東京湾が広がっている。
最近はアートとグルメの共存はお約束。海を見ながら食事やお茶が楽しめるイタリアンレストランも併設されている。美しい環境の中にたたずむモダンな外観から、雑誌のファッション・ページの撮影にもよく使われている場所だ。
横須賀市と同館は集客プロモーションに力を入れており、2012年には人気ロックバンド「ラルクアンシエル 20周年特別展」なども開催している。ハイアートとポップカルチャーが混在している日本ならではの企画だ。

「街の記憶-写真と現代美術でたどるヨコスカ」は、横須賀の街や人を題材とした、戦後の写真と現代美術作品を展示するグループ展。15名の作家による2部構成の展示になっている。1部は街の記憶を呼び起こすとともに現在を感じる写真作品を展示。2部では、美術館が作品制作を依頼した、いまの横須賀をテーマとした二人のアーティストの現代アート系作品が展示されている。
戦前の横須賀は軍事施設の存在や東京湾を望む地形から写真撮影が厳しく制限されていた場所だった。それを踏まえて、アートの題材となった戦後の横須賀を写真作品で振り返っている。
1960年代~1970年代の日本は写真史的に最も活況を呈した時代だったと言われている。冷戦時代の日本は、米国の軍事的傘の下で過去の歴史を否定されるとともに進駐軍から文化的影響を多大に受けた。戦後の日本社会が抱え込んだ矛盾がこの時代の写真家のテーマとなる。戦後の横須賀は、米国軍基地の存在が色々な面で市民生活に影響を与えている。横須賀の戦後史は日本の縮図的な面もある。横須賀の記憶をたどるのは、日本の記憶ともリンクしてくるのだ。
園部澄、東松照明、北井一夫、森山大道、浜口タカシなど、写真家がこの時代を強く意識して取り組んでいるモノクロ写真からは感情のエネルギーを感じる。これらの写真作品の展示が本展の見どころだろう。
それ以降は横須賀をバックグラウンドにパーソナルな視点で世界をとられた、田村彰英、石内都の作品が続く。本展では写真を使用した現代アート系作家も展示されている。なかでも若江漢字による写真、鉄、ネオンなどを組み合わされたインスタレーションは街の記憶を喚起させることを意図した作品だ。
現代アートの範疇で捉えられることが多いホンマタカシのタイポロジー的な代表作「東京郊外」からの作品も展示されている。一瞬、横須賀との関連に戸惑うのだが、実はこの街の郊外には東京近郊の典型的な新興住宅地が広がっており、ホンマタカシはこの地の家や人々を撮影していたのだ。
高橋和海の「ムーンスケープ」シリーズからも瞑想的な巨大作品が2点展示されている。彼は夜空の月と、シースケープを対比して見せることで、宇宙の営みの中で生かされている人間を喚起させようとしている。実は、彼は横須賀出身で展示作を含む多くの写真はこの地で撮影されている。夜の浦賀水道を眺めると作品が生まれてきた背景に思いをはせることが出来る。禅的なエッセンスを持つ本シリーズは海外で絶賛されているのだが、この地で鑑賞すると作品と地元とのつながりも意識される。グローバル性とローカル性を併せ持った優れた作品なのだと思う。

第2部の鈴木昭男、秋山さやかの展示を地元住民はどのように感じるかとても興味がある。これは美術館から彼らへのメッセージなのだと思う。ただし作品がコンセプト重視の現代アートであるがゆえに、もう少し丁寧な接し方のガイダンスが必要かもしれない。ここから何らかのコミュニケーションが生まれるのなら、それは美術館が横須賀の未来を提示する役割を果たしていることになるだろう。
本展は、独自の歴史を持つ横須賀の過去をアートで振り返るとともに、様々な価値観が混在する現在のこの地の状況をも伝えようという優れた企画だと思う。

ここは交通のアクセスが良いとは言えない。東京からならばクルマで訪れるのが現実的だろう。道が空いている平日ならば1時間くらいで行ける。もし時間的余裕があればついでに横須賀や三浦半島観光を行えばよいだろう。周りには立ち寄り温泉施設も数多くある。横須賀では有名な海軍カレーやハンバーガーなどのB級グルメも楽しめる。
アマチュア写真家にお勧めなのが「走水坂上」。ここは横須賀随一の富士山の撮影スポットなのだ。横浜横須賀道路終点の馬堀海岸ICから美術館へ通じる海沿いの国道16号の小さな峠にある。天気が良ければ東京湾、横須賀市越しの富士山が拝める。近くの走水水源地に広い駐車場もあるのでそこから歩くのがよいだろう。

横須賀美術館は、関東地方で気軽な「アートな旅」、「建築を見る旅」を楽しめる最適の目的地だと思う。ただしこの季節の海沿いは紫外線が強いので注意が必要。特に女性の人は予防をお忘れなく。

「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」展 東京都写真美術館

写真展のカタログに、写真家の孫ナディア・ブルーメンフェルド=シャルピが興味深いコメントを書いている。
「過去の巨匠たちの視覚的な創造の産物やそれから再創造された素晴らしさに対する真の信念と、写真技術とそれに関わる実験の全てを芸術に役立てたいとの真の情熱持って、芸術を広告/ファッション写真に「こっそり持ち込んだ」」

彼が米国のファッション写真界で活躍していたのは1944年~1955年まで。その時代はまだファッション写真はアートとしては認知されていなかった。
ヴォーグ誌のアレクサンダー・リーバーマンは、優れた写真家はプライベート作品で自己表現の可能性を探求し、広告やファッションは仕事と割り切って行うものだと語っていた。しかし、私はファッション写真家は完全に割り切ってファッションに取り組んでいたとは考えていない。
この分野の優れた写真家はエディターやクライエントと戦いながらも自由な表現の可能性を目指していたのだ。
現在、ファッション写真はアートのひとつの分野として認知されている。ファッション写真の歴史を見渡してみると、アート作品としてオークションで高値で取引される作家がいる一方で、オークションどころか写真集も刊行されない人も数多くいる。
この違いの理由は何かというと、厳しい環境の中でも自由な自己表現の可能性を追求したか、それともただ依頼された通りに服を着たモデルの写真を撮影していたかの違いによるのだ。
上記のようにブルーメンフェルドはファッション写真の中にアート性を追求した戦後第一世代の写真家なのだ。ちなみに、リーバーマンはブルーメンフェルドの写真を「最もグラフィカルでアートに根ざしている」と評価している。

展示作品を見ると、彼のファッション写真が後世の非常に多くの写真家に影響を与えていることがよくわかる。顔や体に布を巻きつかせた写真などははまさにハーブ・リッツ作品そのものだ。その他、アービング・ペン、ピーター・リンドバーク、パオロ・ロベルシ、ラルフ・ギブソン、ジャンルー・シーフなどは間違いなく多大な創作のヒントをブルメンフェルドより得ているだろう。

しかし、彼の作家性が現れているのはファッション以外の作品群なのだ。実は彼はドイツ出身のユダヤ人。明確に反ファシストの立場だった。本展の「ヴィンテージ写真作品」のパートにはそれらの写真がいくつか展示されている。 作品82の、「ヒットラーの肖像」はヒットラーが総統になった1933年のフォトモンタージュ作品。死を暗示するガイコツにヒットラーのポートレートが組みつけられている。
作品83の、「ミノタウロスか独裁者か」はパリで1936年に撮影されたもの。ミノタウロスはギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪物のこと。異端者を痛めつける象徴であることからこれもヒットラーを意識した作品だろう。

このシュールな作品にはあまり手が加えられていないという。スタジオにあった石膏のトルソーにシルクをかけ、顔には肉屋から買ってきた子牛の頭をかぶせているのだ。
これらの作品にはファッション写真からはうかが知れない彼の反骨精神が感じられる。

この2点の写真はともに「My One Hundred Best Photos」(A.Zwemmer、1981年刊)の収録作品だ。なお本展ではこの本の制作時のプリントも展示されている。彼の作家としての世界観はこの本の作品セレクションに的確に現れていると思う。この作家性を知るとファッション写真の印象が多少変わるのではないか?
展示は華やかなカラーのファッション写真から始まっている。しかし順番としては、まずヴィンテージ写真作品を見てからファッションを鑑賞した方が良いだろう。

彼のオリジナル・プリントについても見てみよう。
過去のデータを調べてみたが作品の流通量はあまり多くないようだ。ファッション写真のアート性が認められる前に亡くなっていることが影響していると思われる。またヴィンテージプリントでも、スタジオのスタンプはあるがサインがないことで知られている。最新のオークションでは、上記の「ミノタウロスか独裁者か」3万から5万ドル(約300~500万円、1ドル@100円)ハーブ・リッツ作品への影響が感じられる”Nude under Wet Silk, Paris, 1939″は2万から3万ドル(約200~300万円)の落札予想価格。
80年代にエディション50で制作されたダイトランスファー10点のポートフォリオも2万から3万ドル(約200~300万円)の落札予想価格だ。

「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」展は、東京都写真美術館で5月6日まで開催。 ファッション写真ファンは必見です!

ファッション写真の歴史的1枚を見に行く エドワード・スタイケン写真展 世田谷美術館

アートとしてのファッション写真の歴史が美術館や専門家によって調査され系統だって書かれるようになったのは比較的最近のことだ。
1977年にジョージ・イーストマン・ハウスの国際写真美術館でナンシー・ホール=ダンカン企画により開催された「The History Of Fahion Photography」がそのさきがけだろう。それ以前、この分野の写真は広告目的の作り物イメージとしてアート性は認められていなかった。しかし、いまや一部の優れたファッション写真は、時代が持つ移ろいやすい気分や雰囲気を唯一伝えるメディアとして認識されている。それらの作品は美術館やギャラリーの壁面を飾るとともに、オークションでも人気の高い分野になっている。
戦後のファッション写真を系統だってサーベイしたのが写真史家マーティン・ハリソンにより英国ロンドンのヴィクトリ&アルバート美術館で1991年に開催された「APPEARANCES」展だ。幸運にも私はこの展示を実際に見ることができた。いままでは評価軸から漏れていた多くのファッション写真家がこの展示をきっかけに注目されるようになった。写真展カタログ表紙イメージののルイス・ファー、リリアン・バスマン、メルヴィン・ソコルスキー,ボブ・リチャードソン、ロナルド・トレーガーなどだ。また従来ファッション写真家と考えられていなかった、ロバート・フランク、ダイアン・アーバス、ブルース・ダヴィッドソンなどのイメージも紹介されている。

同展のカタログの中には数々の関係者のエピソードが収録されている。ハーパースバザー誌のアレクセイ・ブロドビッチとともに興味深いのは、ヴォーグ誌のアート・ディレクターだったアレクサンダー・リーバーマンの箇所だろう。彼が考える優れたファッション写真の定義は、アートとしてのファッション写真とほぼ同じ意味だと思う。
リーバーマンは、「ファッション写真の作りもののイメージの中に実際の人生の何気ない感じを落とし込んで欲しい。」と語っている。彼はその実践のために、ファッション経験のないフォトシャーナリストをヴォーグ誌に採用。なんとは畑違いのエルンスト・ハースやウィージーを起用している。
リーバーマンが考える最高の写真は、「撮影者の存在を感じさせない自然な感じの、良い意味でアマチュアのようなイメージ」という。これはファッション雑誌では極めて達成困難な要求だろう。つまり、クライエントの要望もありどうしてもカメラマンは服自体を撮影してしまう。実際いまでもほとんどの写真は服の情報を伝えるファッション写真なのだ。
リーバーマンは1940年代に新人のために上記の条件を満たした写真2例を紹介している。

1枚はウォーカー・エバンスが1932年にキューバのストリートで撮影した白いスーツの男性のイメージ。
2枚目がエドワード・スタイケンが1927年にヴォーグ誌用にマリオン・モアハウスを撮影した写真 “Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”だ。これは当時流行のドレスを撮影しているのだが、20年代のそれまでの道徳に囚われない自由に生きるフラッパーの女性のもっとも輝いている瞬間をとらえていると評価している。つまり好景気を背景としたジャズ・エイジの気分と雰囲気が見事に反映されているということだ。
以上は私がレクチャーなどで繰り返し引用するファッション写真の原点に関するネタだ。

何で今回紹介したかというと、先週末から世田谷美術館で始まった写真展「エドワード・スタイケン モダン・エイジの光と影 1923-1937」でこのアートとしてのファッション写真を語る上で極めて重要な1枚”Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”が展示されているからだ。写真展の英文のタイトルは「Edward Steichen in High Fashion The Conde Nast Years 1923-1937」。つまり、彼がコンデ・ナスト社が刊行していたヴォーグやヴァニティー・フェアーで活躍していた時代のファッション、ポートレートの写真展なのだ。2007年パリのジュ・ド・ポームから始まった世界巡回展の日本開催で、国内では世田谷美術館の単独開催とのこと。

スタイケン(1879-1973)は20世紀初頭の米国で、アルフレッド・スティーグリッツとともに写真のアート性を追求した巨匠のひとり。有名な写真雑誌カメラワークを手がけている。戦後はMoMAの写真部長として「ザ・ファミリー・オブ・マン」展を企画したことで広く知られている。
2006年2月14日のササビーズ・ニューヨークで開催されたオークションでは、スタイケンのピクトリアル(絵画調)写真の最高傑作と言われる”The Pond-Moonlight”1904年作が予想落札価格の約3倍となる$2,928,000.(@120、約351,360,000円)で落札。これは当時のオークションで取引された1枚の写真の最高金額だった。
一方で彼は1923年~1937年までは、ファッション誌のヴォーグやヴァニティー・フェアーで活躍していた。しかし最初に紹介したようにファッション写真はずっと広告目的でアート作品ではないと考えられていた。それゆえ彼のこの分野の写真はいままであまり注目されなかった。本展のオリジナルの企画も上記ヴィクトリ&アルバート美術館と同様。いままで忘れ去られていた彼のファッション写真を調査し再評価しようという意図なのだ。ミネアポリスとパリを拠点とする写真家財団が中心になって、コンデ・ナスト社の写真アーカイヴスの広範囲にわたるリサーチが行われたとのこと。その結果、再発見されたヴィンテージ写真が今回展示されているという。
雑誌掲載用に利用された後、全く人目に触れず保存されていたらしく、約200点におよぶ展示作品の保存状態は非常に良い。写真のクオリティーも素晴らしい。 最近のデジタル写真を見慣れた目には、きちんと保存されている古いモノクロ写真のまろやかで優雅なトーンはとても心地よい。
“Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”の市場価値は、60年代にプリントされたモダンプリントでさえ、100万~150万円くらいだ。もし展示作品がコンデ・ナスト社に残る雑誌入稿時に制作された数少ない現存するヴィンテージ・プリントであるならばその市場価値は計り知れないだろう。

階級が残っていた戦前のファッション写真は中流の人に上流階級のセンスを垣間見せる役割を持っていた。それらはいま見るとどうしても不自然で堅苦しさが感じられる。写真の面白みは女性の生き方が多様化する戦後のファッション写真の方が勝る。しかし戦前の作品だが”Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”は特別だ。第1次大戦後に一瞬だけ訪れた、中流女性が伝統から解放されたと感じられた時代を色濃く写しているのだ。その後、恐慌の訪れでその流れは中断し、女性が真に自由に生きれるようになるのは第2次大戦後となる。
美術展では1枚の歴史的名画を見行くためだけに行くこともあるだろう。本写真展でも、アートとしてのファッション写真の原点である本作を見るためだけに行く価値があるだろう。ファッション写真が好きな人は必見の写真展だ。

夏休み必見の写真展!東京都写真美術館コレクション展「自然の鉛筆」

東京都写真美術館で開催中のコレクション展「自然の鉛筆」は写真コレクターをはじめ、学生、美術愛好家、アマチュア写真家など、写真を愛する全ての人々にとって必見の写真展だ。本展は「技法と表現」とサブタイトルが付いているように、写真の化学面に焦点を絞り、プリント制作技法の変遷や印画紙の古典的手法と現代表現にスポットを当てる展示、のようにマスメデイアに紹介されている。一見、つまらなそうな写真展の印象を受けるだろう。
しかし、小難しい写真技法の解説などは全く無視してかまわない。実は本展、同館コレクションの貴重な名作写真の展示を通じて、写真の誕生から現代アートの写真までを網羅した「写真の歴史」展なのだ。いままでに米国や欧州の写真史という切り口でのグループ展示は何度も行っているので、こんどは展示のグループ分けの基準を制作技法にしたのだ。珠玉のコレクションを多くの人に見てもらう為の企画で、キュレータのアイデアの勝利といえる写真展なのだ。もちろん趣旨の通りに、オーディエンスは展示作品を鑑賞することで、直感的に写真表現の変化や移り変わりが体験できる。要は、表現の変化は技法の変化なのだ。

作家を目指す人は、写真史、美術史のどこと自分がつながっているかを明確に把握する必要がある。新人は自身のヴィジュアル・データベースが充実してないのでこのつながりを探しだすのに悪戦苦闘する。本展は全体を鑑賞することで写真史の流れを体感させてくれる効果がある。概観するだけで、直感的に自分がどことつながるかのヒントを見つけられるのではないか。
コレクターにとっては究極の学習の場になるだろう。目利きになるためには本物を数多く見ることが重要。今回は普段はなかなか見られない逸品が展示されている。例えばタイトルにもなっている自然の鉛筆。これは世界初の写真集といわれる、W.H.F.タルボットの作品のこと。ガラスケース内に24点セットの一部が展示されている。じつはこれ、美術館開館時に「有名作品 買いあさりと?!」と批判された収集作の一部なのだ。1990年4月11日の朝日新聞掲載の写真美術館関連記事によると購入価格は1570万円だったとのこと。今では信じられないが当時はバブル期で都財政も潤っていたのだ。幸運にも現在ではたいへんな市場価値を持つ貴重コレクションになったのだ。ちなみに最近のオークション落札記録では、2009年10月8日にクリスティーズ・ニューヨークで開催された”The Miler-Plummer Collection”のセールで11作品が収録された1冊が3万ドルで落札されている。また上記記事に570万円で購入されたと掲載されていたマン・レイの1926年作のレイヨグラフ(カメラを使用しないで露光した作品)も今回展示されていた。その他、ウィリアム・エグルストンの野外のカラフルなソファーに老女が腰掛けたダイトランスファー作品”Untitled,1970″。ダイアン・アーバスの”Identical Twins, Roselle NJ, 1967″、アンセル・アダムスのクラシック作品”Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941″などは必見だろう。アルフレッド・スティーグリッツ、ポール・ストランド、エドワード・ウェストンらのモダニズム写真、現代アメリカ写真の元祖であるロバート・フランク、ウィリアム・クライン、ゲイリー・ウィノグランドらの作品も見ることが出来る。
個人的にはハリー・キャラハン、フランコ・フォンタナ、石元泰博、山沢栄子らのカラーによる抽象適写真は非常に興味深かった。
現代アートよりの作品は、ドゥイン・マイケルズ、リチャード・ミズラック、チャック・クローズなどを展示。たぶんこの分野の同館コレクションはあまり充実していないのだろう。

これだけの名作の展示を通して写真史をカバーする写真展は海外の美術館でもなかなか鑑賞できないだろう。かつてのバブルのおかげで私たちはいま世界的な名品を鑑賞することが出来るのだ。これこそは高度成長期がもたらしてくれた数少ない正の文化遺産だろう。写真ファンの人はぜひ夏休みの一日は同展で過ごしてください。