2026-7-3

  

リゼット・モデル

MODEL, Lisette (1901-1983)

リゼット・モデルはウィーン出身。父親の死後家族はパリに移り住んでいます。
若いときはピアノ、声楽などを学んでいますが1933年頃にアートに転向し、絵画、写真に取り組むようになります。写真は科学分野の写真家になった妹のオルガやアンドレ・ケルテスの最初の妻だった友人の写真家ロジ・アンドレに学んでいます。この時期は、ニースでレジャーを楽しむ金持ちの姿をユーモアをこめて撮影したり、パリのストリートで、ホームレス、貧民、盲人などに、憐れみを持ってカメラを向けていました。1937年、パリでロシア移民の抽象画家イブサ・モデルと結婚。その後欧州の政情不安の高まりから1938年にニューヨークに移住します。

彼女の作品は当時の新しい分野であるアート写真界で脚光を浴びます。1940年にラルフ・スタイナーが注目し、アレクセイ・ブロドヴィッチやニューヨーク近代美術館の新設された写真部門のキュレーター、バーモント・ニューホールに紹介されます。作品2点が直ぐにコレクションされ、同館の部門設立記念写真展でも展示されています。40年代の前半にはフォト・リーグという、写真で社会を変えようとするグループとの付き合いを深めます。この時期には、ウィージーとの関係が深まり、一緒に作品を展示したり、撮影を行っています。 その後も彼女の作家としての名声は高まります。1943年にシカゴ美術館で個展開催、1949年にはニューヨーク近代美術館の巡回展「Leading Photographers」にも選出されています。しかし、作家との成功とは裏腹に経済的には決して楽ではなかったといわれています。
1941年ころからファッション雑誌ハーパース・バザーとの関係が深まり、1946年までは同誌で集中的に仕事を行っています。編集長のカーメル・スノーとアート・ディレクーのブロドビッチは、彼女に在り来たりのファッション写真を撮らせるのではなく、作家性を生かされた写真を求めました。コニー・アイランドで撮影された巨大な水着女性のイメージ「Coney Island Bather」は彼女の最も有名な作品です。しかし、当時の保守的な空気の強かった時代には彼女の作品は強烈すぎ、写真が掲載されなかったケースも数多くあったそうです。その後、1951年まで同誌の仕事を断続的に行っています。彼女の興味を持つ、時にグロテスクな被写体はアメリカ人の見たくない部分や社会の矛盾を暴きだすことでもあったのです。その流れは50年代後半からの、ロバート・フランクの写真集「アメリカ人」やウィリアム・クラインの写真集「ニューヨーク」へと展開していくのです。

彼女は写真教育者としても知られています。1949年からサンフランシスコのカリフォルニア美術大学で 教鞭に立ちます。1951年からは、ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチでフルタイムの 教授として働く一方、自宅でもプライベート・クラスを持っていました。その後、教えることに忙しく、作品数は減りますが、彼女は次世代の写真家に多大な影響を与えています。特に生徒だったダイアン・アーバスとは彼女の死まで良好な関係が続きます。ファッション写真家のブルース・ウェ-バーも若いときに、モデルのクラスに参加しています。