2023-1-22
STEICHEN, Edward (1879-1973)
スタイケンの写真家人生は20世紀始まりのピクトリアリズム(絵画的)の作品からミッド・センチュリーのストレート写真までおよびます。 その間、風景、ポートレート、ファッション、ヌード、報道と広い分野に渡って活躍しています。
彼は1879年ルクセンブルグ生まれ、1881年に家族とともに米国に移民しています。アートを勉強した後、15歳のときにミルウォーキーの印刷会社のデザイナー見習いとなります。1895年頃に最初の写真を撮影、その後印刷のデザインモデルとして写真を撮るようになりますが、次第に自己表現の手段として取り組むようになります。彼の初期の写真は絵画的で非常にソフトフォーカスな作品でした。
1899年に初めて写真が展示され、1900年にはロンドンで開催された「アメリカ写真界新傾向展」に出品します。数年のうちに彼は欧米の主要なピクトリアリズム写真作家だと認められるようになります。
1902年にはアルフレッド・スティーグリッツとの関係から、フォトセセッションに参加、雑誌「カメラワーク」第2号で彼の特集が組まれています。また有名な291ギャラリーの設立と運営を援助するとともに「カメラワーク」のデザインにも関わっています。第1次世界大戦では合衆国の航空隊の航空写真班員として参戦。このころまで彼は絵画の制作発表も続けており、この分野でも成功していました。しかし戦争で体験した航空写真で写真技術の可能性に新たな興味を持ちます。大戦後は写真製作に専念し、各種の表現方法の探究を行ないます。
1923年にヴォーグ誌などを発行しているコンデ・ナスト社のチーフフォトグラファーになり、 アート性を持った斬新なファッション写真のスタイルを確立します。彼の作品は1923~1938年まで定期的にヴォーグ誌やヴァニティー・フェアー誌に掲載されました。1938年以後しばらく写真から遠ざかりますが、第2次世界大戦では海軍大佐として航空写真の指導にあたります。
大戦後の1947年にニューヨーク近代美術館の写真部長に就任し、同館の写真部門の基礎を作るとともに、数多くの展覧会を 企画しアート写真の普及に貢献しました。1955年に世界各国の写真からセレクションした写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」展を 企画し、全世界に感動を与えています。2000年から2001年にかけてホイットニー美術館で回顧展が開催されています。
アート写真市場での作品の人気は高く、オークションでは頻繁に取引されています。初期オリジナルプリントは希少性が高く非常に高価です。1999年には“In Memoriam, 1904”が$399,340.(@125,49,917,500円)で落札。
2006年2月14日のササビーズ・ニューヨークで開催された アート・フォト・オークションで彼の1904年の作品"The Pond-Moonlight"が予想落札価格の約3倍となる$2,928,000.(@120,約351,360,000円)で落札されました。 これはオークション開催時においての1枚の写真の最高金額でした。本作品は1983年にギルマン・コレクションが購入したものです。メトロポリタン美術館の同コレクション取得に際して、重複作品売却のためにオークションに出品されました。もともとは、1906年にスタイケンのエージェントだった、アルフレッド・スティーグリッツにより当時としてはかなりの高額の75ドルでコレクターに売られたそうです。作品来歴が良いことが高値落札につながったのです。また本作は、スタイケンによるピクトリアル(絵画調)写真の最高傑作といわれています。プラチナのベースにgum bichromate printという顔料を使用してイメージを作る手法取り入れ、非常に高い技術力を要する手間のかかった大判作品(41X50.8cm) であった点も高評価の背景と考えられています。
2022年11月にクリスティーズ・ニューヨークで行われた故マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン(1953-2018)の「Visionary: The Paul G. Allen Collection」オークションでは、スタイケンの有名作「The Flatiron、1904」が出品されます。1905年にプリントされた正真正銘のヴィンテージプリントで、落札予想価格200~300万ドルのところ、なんと1184万ドルの高額で落札されています。