2023-1-23

  

アンディ・ウォーホル

WARHOL, Andy (1928-1987)

アンディ・ウォーホルはアメリカのポップアート・アーティストの中で最も有名な人物です。ウォーホルは1928年ペンシルバニア州ピッツバークでスロヴァキアの移民の家に生まれます。大恐慌の影響で家庭は非常に貧しかったそうです。体が弱かったウォーホルは家でラジオを聞いたり、本やマンガを読むことが多かったそうです。スーパーマン、ポパイ、バットマンに憧れる絵がうまい少年だったそうです。

1949年カーネギー工科大学を卒業後ニューヨークで商業アーティストとしての道を歩み始めます。彼の才能と技量がずば抜けていたことから雑誌“ヴォーグ”“ハーパース・バザー”の広告イラストやティファニーのウインドウ装飾などを手がけ、1950年代末までに商業分野である程度の成功を収めます。しかし貧しい家庭に育った彼は富と名声を求めてアーティストを目指すようになります。50年代前半からドローイングによるアート作品の制作を開始しています。

1962年、ウォーホルが34歳の時に写真をベースにするシルクスクリーンという手法を使いはじめます。反復と量産を意識してあのコカ・コーラ、キャンベル・スープ、プレスリー、マリリンを 制作するようになります。資本主義が生み出した工業製品や有名人のポートレートをモチーフにした作品は彼のスタジオ“ファクトリー”で工場の流れ作業を意識してアートとして量産されるようになります。

従来の難解な現代アートと違い、ウォーホルの作品はわかりやすいアートでした。大衆は彼の作品に一体感を感じ支持しました。1965年フィラデルフィアで行われた個展には入場者が多すぎて収拾がつかなくなり、作品を壁からはずさなければなりませんでした。ウォーホルの名声はこの時期に一挙に確立されました。

彼の仕事はアート作品制作だけにとどまらず、“チェルシー・ガールズ”など数多くの映画製作やナイトクラブのショー、ロックバンドのベルベット・アンダーグラウンドのプロデュースまで行なっています。1969年にはインタビューで誌面すべてを構成する雑誌“インタビュー”も創刊しています。
ウォーホルは彼のアート作品とともに意識的に自分自身がメディアとなっていったのです。数多くのスキャンダラスな話題を提供するウォーホルはマスコミ、ファッション界、ニューヨークの社交界でも注目を浴びる存在となります。 70年代には社交界からの注文で多くのポートレートを制作しています。トルーマン・カポーティー、ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、キャロライン王女など幅広い分野の有名人の依頼をこなしています。 80年代にはアート・ビジネスとの関わりが増え、個展開催が増大します。1987年1月にはロバートミラーギャラリーで初めてのウォーホル写真展が開催されました。

1987年2月22日突然心臓発作で急死するまで、ウォーホルは日本の家電メーカーのテレビCMに登場したりファッションショーに出演したりして常にマスコミや社交界の注目を浴び続けていました。1989年にニューヨーク近代美術館で回顧展が開催されています。