ファッション写真の歴史的1枚を見に行く エドワード・スタイケン写真展 世田谷美術館

アートとしてのファッション写真の歴史が美術館や専門家によって調査され系統だって書かれるようになったのは比較的最近のことだ。
1977年にジョージ・イーストマン・ハウスの国際写真美術館でナンシー・ホール=ダンカン企画により開催された「The History Of Fahion Photography」がそのさきがけだろう。それ以前、この分野の写真は広告目的の作り物イメージとしてアート性は認められていなかった。しかし、いまや一部の優れたファッション写真は、時代が持つ移ろいやすい気分や雰囲気を唯一伝えるメディアとして認識されている。それらの作品は美術館やギャラリーの壁面を飾るとともに、オークションでも人気の高い分野になっている。
戦後のファッション写真を系統だってサーベイしたのが写真史家マーティン・ハリソンにより英国ロンドンのヴィクトリ&アルバート美術館で1991年に開催された「APPEARANCES」展だ。幸運にも私はこの展示を実際に見ることができた。いままでは評価軸から漏れていた多くのファッション写真家がこの展示をきっかけに注目されるようになった。写真展カタログ表紙イメージののルイス・ファー、リリアン・バスマン、メルヴィン・ソコルスキー,ボブ・リチャードソン、ロナルド・トレーガーなどだ。また従来ファッション写真家と考えられていなかった、ロバート・フランク、ダイアン・アーバス、ブルース・ダヴィッドソンなどのイメージも紹介されている。

同展のカタログの中には数々の関係者のエピソードが収録されている。ハーパースバザー誌のアレクセイ・ブロドビッチとともに興味深いのは、ヴォーグ誌のアート・ディレクターだったアレクサンダー・リーバーマンの箇所だろう。彼が考える優れたファッション写真の定義は、アートとしてのファッション写真とほぼ同じ意味だと思う。
リーバーマンは、「ファッション写真の作りもののイメージの中に実際の人生の何気ない感じを落とし込んで欲しい。」と語っている。彼はその実践のために、ファッション経験のないフォトシャーナリストをヴォーグ誌に採用。なんとは畑違いのエルンスト・ハースやウィージーを起用している。
リーバーマンが考える最高の写真は、「撮影者の存在を感じさせない自然な感じの、良い意味でアマチュアのようなイメージ」という。これはファッション雑誌では極めて達成困難な要求だろう。つまり、クライエントの要望もありどうしてもカメラマンは服自体を撮影してしまう。実際いまでもほとんどの写真は服の情報を伝えるファッション写真なのだ。
リーバーマンは1940年代に新人のために上記の条件を満たした写真2例を紹介している。

1枚はウォーカー・エバンスが1932年にキューバのストリートで撮影した白いスーツの男性のイメージ。
2枚目がエドワード・スタイケンが1927年にヴォーグ誌用にマリオン・モアハウスを撮影した写真 “Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”だ。これは当時流行のドレスを撮影しているのだが、20年代のそれまでの道徳に囚われない自由に生きるフラッパーの女性のもっとも輝いている瞬間をとらえていると評価している。つまり好景気を背景としたジャズ・エイジの気分と雰囲気が見事に反映されているということだ。
以上は私がレクチャーなどで繰り返し引用するファッション写真の原点に関するネタだ。

何で今回紹介したかというと、先週末から世田谷美術館で始まった写真展「エドワード・スタイケン モダン・エイジの光と影 1923-1937」でこのアートとしてのファッション写真を語る上で極めて重要な1枚”Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”が展示されているからだ。写真展の英文のタイトルは「Edward Steichen in High Fashion The Conde Nast Years 1923-1937」。つまり、彼がコンデ・ナスト社が刊行していたヴォーグやヴァニティー・フェアーで活躍していた時代のファッション、ポートレートの写真展なのだ。2007年パリのジュ・ド・ポームから始まった世界巡回展の日本開催で、国内では世田谷美術館の単独開催とのこと。

スタイケン(1879-1973)は20世紀初頭の米国で、アルフレッド・スティーグリッツとともに写真のアート性を追求した巨匠のひとり。有名な写真雑誌カメラワークを手がけている。戦後はMoMAの写真部長として「ザ・ファミリー・オブ・マン」展を企画したことで広く知られている。
2006年2月14日のササビーズ・ニューヨークで開催されたオークションでは、スタイケンのピクトリアル(絵画調)写真の最高傑作と言われる”The Pond-Moonlight”1904年作が予想落札価格の約3倍となる$2,928,000.(@120、約351,360,000円)で落札。これは当時のオークションで取引された1枚の写真の最高金額だった。
一方で彼は1923年~1937年までは、ファッション誌のヴォーグやヴァニティー・フェアーで活躍していた。しかし最初に紹介したようにファッション写真はずっと広告目的でアート作品ではないと考えられていた。それゆえ彼のこの分野の写真はいままであまり注目されなかった。本展のオリジナルの企画も上記ヴィクトリ&アルバート美術館と同様。いままで忘れ去られていた彼のファッション写真を調査し再評価しようという意図なのだ。ミネアポリスとパリを拠点とする写真家財団が中心になって、コンデ・ナスト社の写真アーカイヴスの広範囲にわたるリサーチが行われたとのこと。その結果、再発見されたヴィンテージ写真が今回展示されているという。
雑誌掲載用に利用された後、全く人目に触れず保存されていたらしく、約200点におよぶ展示作品の保存状態は非常に良い。写真のクオリティーも素晴らしい。 最近のデジタル写真を見慣れた目には、きちんと保存されている古いモノクロ写真のまろやかで優雅なトーンはとても心地よい。
“Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”の市場価値は、60年代にプリントされたモダンプリントでさえ、100万~150万円くらいだ。もし展示作品がコンデ・ナスト社に残る雑誌入稿時に制作された数少ない現存するヴィンテージ・プリントであるならばその市場価値は計り知れないだろう。

階級が残っていた戦前のファッション写真は中流の人に上流階級のセンスを垣間見せる役割を持っていた。それらはいま見るとどうしても不自然で堅苦しさが感じられる。写真の面白みは女性の生き方が多様化する戦後のファッション写真の方が勝る。しかし戦前の作品だが”Marion Moorehouse in a Cheruit Gown”は特別だ。第1次大戦後に一瞬だけ訪れた、中流女性が伝統から解放されたと感じられた時代を色濃く写しているのだ。その後、恐慌の訪れでその流れは中断し、女性が真に自由に生きれるようになるのは第2次大戦後となる。
美術展では1枚の歴史的名画を見行くためだけに行くこともあるだろう。本写真展でも、アートとしてのファッション写真の原点である本作を見るためだけに行く価値があるだろう。ファッション写真が好きな人は必見の写真展だ。

何で海外で評価が高いのか?木村肇 写真集「谺(KODAMA)」

百瀬俊哉写真展を見に来た窓社の西山社長が昨秋に刊行された写真集を持ってきてくれた。まだ30歳を超えたばかりの写真家木村肇がマタギの里の四季を2007年~2010年にかけて撮影した「谺(KODAMA)」(窓社、2012年刊)だ。夏場の焼畑や、雪山での猟のシーン、その周辺部の風景をとらえたコントラストが強く粒子感のあるモノクローム写真約30点が収録されている。
最近の報道によると、マタギの用具が伝統的な狩猟文化を伝えるものとして重要有形民族文化財に指定される見込みとのことだ。しかしこの本は消えゆくマタギの記録を目指したものではない。マタギの人たちのライフスタイルをパーソナルな視点で撮影しているのだ。写真家本人が彼らをリスペクトし、その生き方がカッコいいと思っているのが感じられる。それぞれの写真はドキュメント風だがきちんと構図が計算されて撮影されており、モノクロで抽象化された世界はまるで水墨画のような感じでもある。印刷にマット系用紙を採用していることも写真の雰囲気作りに一役買っている。

海外での評価が高く、2012年バッテンフォール・フォト・プライスにおいて2位に入賞したそうだ。これはドイツのC/Oベルリンとスェーデンの電力会社バッテンフォールが才能のある35歳までの写真家を紹介し活動をサポートするための賞。4回目の昨年のテーマは「Tension」だった。写真家本人がパリフォトに写真集を50部位手持ちしたところ完売したそうだ。
西山社長はこの若い写真家の自品をアピールするフットワークの軽さが気に入っている印象だ。手ごろな値段ということもあるが、写真集はもちろん、オリジナルプリントも関係者や仲間中心にかなり売れたそうだ。いくら良い写真でも写真家はそれを伝える努力を自ら汗をかいて行うことが必要だ。それは写真家自身が表現者として生きていくことの意思表示でもある。日本では優れた写真を撮影している人は多いが、ここの部分のプロ意識がかけている場合が多い。特に昨今の長引く不況の中では、写真が売れなかった90年代と同じく写真家本人の人間力、営業力が極端に重要になる。この点に関しては出版とギャラリーも同じで西山社長と話がよく合う。

写真史的には同じく雪国がモチーフとなった濱谷浩と小島一郎の写真集の延長上にあると評価されたと思われる。この2冊は金子隆一、アイヴァン・ヴェルタニアン著の「日本写真集史 1956-1986」(赤々舎、2009年刊)に収録されている。同書の解説によると、濱谷浩の写真集「雪国」(カメラ毎日、1956年刊)は、”日本人のアイデンティティーの礎となるもの、つまり日本人を日本人たらしめているものは何かを土着の文化のなかに探ろうとしている”という。
小島一郎の写真集「津軽」(新潮社、1963年刊)は、ハイコントラストの写真と構図によりとてもモダンな雰囲気を持っている。津軽を記録するのではなくパーソナルな視点で撮影しているのが特徴だ。木村の写真はよりこちらに近い雰囲気を持つ。
「日本写真集史 1956-1986」はアパチャー社から英語版が刊行されている。このガイドブックの存在が木村の写真集の写真史での位置づけを明確にしてバッテンフォール・フォト・プライス入賞につながったのは明らかだ。

上記の「日本写真集史 1956-1986」だが、収録されているのはほとんどが70年代までの本。81年以降は深瀬昌久の「鴉」(1986年刊)だけなのだ。80年代以降は高度経済成長により、それまで繰り返されてきた、戦争の総括、欧米文化の影響、日本人のアイデンティティー探求のようなテーマが写真家にあまり意識されなくなった。日本社会はバブル経済に突入し、多くの写真家も商業写真の世界に取り込まれていく。どうしても読者に伝えなければならないような大きなテーマが喪失していくのだ。
では21世紀の現代になんでマタギの写真なのか?どうしてそれが欧州で評価されるたのだろうか?それは自然を支配することが前提のキリスト教を背景とする近代化が数多くの問題に直面しているからだろう。欧米人は東洋人以上にその点に無力感を抱いているのだ。多くの産業は地球の有限の自然資源を消費しながら成長を続けてきた。その結果、環境が悪化し、気候の温暖化などを引き起こしている。さらにリーマンショックを経験して多くの人が経済成長が必ずしも善ではない事実に気付き始めている。そこで繰り返しでてくるのが、自然に神を見出す東洋の神道や仏教のような考えなのだ。アート写真、現代アートの世界では何でもテーマをここに安易に関連付ける悪癖があるくらいだ。
しかし伝統的な狩猟文化をテーマに撮影を続けた木村の写真はそれらと明らかに一線を画している。マタギは山に神を見出しているという。現代の日本人が明治以降に忘れ去った伝統的な意識がマタギの世界には残っている。それを若い写真家がテーマにしたということは、時代が変化したものの日本の伝統的な精神性のDNAは私たちに潜在的に流れているということなのだろう。
結果的にはまず海外での評価が先行したのだが、発行人の西山社長は作品の背景にあるテーマを感じ取り、現代の日本人へメッセージとして新人作家の写真集化を英断したのだと思う。

伝えたいメッセージを持ち、作品作りを真摯に継続している人には無名でもチャンスが必ず訪れるのだ。

2012年のアート写真市場をレビューする

あけましておめでとうございます。皆様にとって2013年が素晴らしい年になりますようにこころよりお祈り申しあげます。

ササビーズ・ジャパンの石坂泰章社長は直近の同社ニュースレターで2012年のアート市場を振り返り、「グローバルな分野でも、質と値ごろ感に対する選別はより厳しくなっていて、人気化する作品と、そうでない作品の差がはっきりしてきた年でもあった。」と分析している。これはまさにアート写真市場にも当てはまると思う。
それを象徴していたのが12月にニューヨークで開催された二つの写真オークションだ。

12月12日、13日にササビーズで行われた、「A Show Of Hands」。これはヘンリー・ブール(Henry Buhl)の写真作品コレクション437点の一括セール。2004年に、グッゲンハイム美術館をはじめ全米9館および、欧州、アジアを巡回した質の高いコレクションだ。人間の手がモチーフの写真作品を集めたもので、19世紀の写真黎明期から現代までの写真史も網羅している。
コレクターにはまさに最高の来歴を持った高品質の作品が入手できるオークションだったことから、なんと1231万ドル(@85、約10億4700万円)もの売り上げを記録した。ちなみに恒例の秋のオークションのササビーズの売り上げは448万ドルに過ぎない。落札率は約65%と普通だったものの、レアな作品は落札予想価格上限を2倍以上超える高額落札が続出。マン・レイ、エドワード・ウェストンなど予想価格の3倍以上がついたものがなんと8ロットもあった。
また久しぶりに100万ドル超えの作品が登場。ハーバート・べイヤーとラースロー・モホリ=ナジの2作品がともに148万ドル(@85、1億2600万円)をつけた。

一方で12月11日にスワン・ギャラリーで行われた「Fine Photographs & Photobooks」オークションは低調な結果だった。フォトブックを含むトータル417の入札だったが、 普通レベルの作品が中心だったことから落札率は約55%程度とかなり厳しい結果だった。予想落札価格の下限以下での落札も多かった。写真作品よりは流通量が多いフォトブックの不調が目立っていた。ロット数が多く、また低いリザーブ価格が散見されたことは、中間層の写真コレクターによる売却が増えてきたからと予想できる。

米国の「財政の崖」問題はとりあえず解決がみられた。コレクターのアートへのパッションは増税により影響を受ける。現代美術分野では主要顧客である富裕層への増税議論が注目されていたが、アート写真では中間層への影響の方が重要だ。新聞報道によると給与税の減税措置の失効で年間所得5万ドルの中間層世帯では1000ドルの負担増になるという。消費の収縮を連想させるアート写真市場には悪いニュースだ。株価の上昇がそれらのネガティブなセンチメントを打ち消すことを期待したい。
以前の市場見通しで、2013年春のオークションでは特に高額商品の落札予想価格が見直されるだろうと記した。最近の動きをみるに、もしかしたら1万ドル以下(約90万円)の低価格帯作品についても多少下方修正されるかもしれないと感じている。リーマン・ショック前の相場高騰が一種のバブルだったとすれば、昨年の低価格帯の落札予想価格もバブル以前の相場と比べてまだ多少の割高感があるのだ。
海外の良品を物色している日本人コレクターにとっては、春のオークションは買い場探しになるのではないかと考えている。年末年初の急激な円安には驚かさせたが、2004年ころは1ドル100円を超える為替相場だった。実はいまでもまだ十分に円高レベルなのだ。しかし為替の中期トレンドが変わったことは非常に重要だ。アート写真自体の相場が底に近いとするならば、ある程度のレベルで買うと決めて市場と接することが求められる。コレクションで良いものを底値で買うのは本当に難しいのだ。