平成時代のアート写真市場(7)
写真が売れる時代はいまだ到来せず

いままで、平成約30年のアート写真市場を、ギャラリー、写真集、フォトフェア、オークションなどの活動を通して振り返ってきた。

“The Photography As Contemporary Art” Thames & Hudson, 2004

当初はアート界の最後の成長分野として注目されていた写真。平成時代を通して、多くの人が様々なアプローチで、日本における欧米並みの市場構築のために尽力した。残念ながら、平成の終わりまでには欧米並みの市場は確立されなかった。
日本の平成時代、海外では「写真」の概念は大きく変化した。写真はデジタル化進行により真に表現技法として民主化された。かつては独立したアート分野として存在していたが、制作者のアート性を重視する現代アートにおける一つの表現方法を意味するようになっていった。かつてのモノクロの抽象美を追求する表現は20世紀写真と呼ばれるようになり、さらに現代アート的視点から再評価が行われた。
いまや国内外での大きな情報格差は存在しない。日本でも、現代アートでよく語られるアイデアやコンセプトという言葉自体は多くの人に知られている。現代アートとして提示される作品も数多く存在している。しかし、実際は最初に感覚やデザイン重視で制作されたヴィジュアルがあり、制作者は内観して作品の文脈を後付けで作り出している場合が多い。体裁や外見上は現代アートっぽいが、中身がない写真作品がほとんどなのだ。
日本に海外の写真表現が紹介される場合、その表層だけが取り入れられ、本質が伝わらないことが多い。例えばドイツのオットー・シュタイナートが20世紀中盤に提唱した写真表現の「サブジェクティブ・フォトグラフィー」。

“Subjektive Fotografie: Images of the 50’s” Museum Folkwang,1984年刊

自立した個人が世界の事象に対する自分の解釈や視点を、写真テクニックを駆使して表現する現代アート表現に通じるスタイルのこと。日本では、「主観主義」と訳され、当時流行のリアリズム写真に対抗する活動となった。しかし抽象写真のような撮影方法やテクニックの一種だと理解され、一時期に流行したものの次第に忘れ去られていった。現代アート風の写真も抽象作品が多い。それらが同じような経緯をたどらないことを願いたい。
一方、いまでも20世紀写真の価値観を踏襲するような「アート写真・芸術写真」は存在している。それは伝統工芸の職人技の写真版のような意味あいが強い。いわゆる現代陶芸と同じような位置づけなのだ。

日本では、写真を取り扱うギャラリーやディーラーの役割も独特だ。いまだに貸画廊の伝統が残っていて、多くの場合ギャラリーは不動産賃貸業者、ディーラーは写真家の作品を単純に売買するブローカーだと考えられている。日本では、写真家がギャラリーをオープン、運営することが多い。業者に手数料を払わないために制作者が顧客に直売するという単純な発想だ。陶芸家も工房に販売所を併設する場合が多い。それと全く同じなのだ。
一方で、欧米では繰り返しになるが写真はファインアートの中の現代アートの一部として存在する。ディーラーやギャラリーの存在は写真家にとって非常に重要となる。彼らには、見る側が気付いていない写真に秘められたメッセージを見出して、社会の価値観と比較して評価してメディアや市場に伝える、情報発信やプロデューサー的な役割があるからだ。
また写真はアート作品なので、売買される市場が存在している。暗黙の了解として、ギャラリー・ディーラーには主要な取扱いアーティストの相場を支える役目もある。彼らは、オークション(オンラインを含む)などの市場での取扱い作家の作品の売買動向を常に監視している。必要に応じて作品を購入したり、下値で仕入れのために入札したりする。一種の作家相場の買い支えを行っている。最近は、新人のプロモーションのためにオークションが活用される場合がある。これに関しては様々な意見があるのでここでは触れない。

日本では写真家と業者とに上記のような相互依存の関係性は存在しない。しかし日本人写真家でも、写真の販売価格だけは海外のアート写真の相場を基準に決められる場合が多い。商品として売られているのに値段が高すぎるのだ。
いまミニブームになっている現代陶芸。個展開催時に行列ができるような人気の高い「うつわ作家」の作品でも、サイズにより1万円前後から購入できる。器はすべて作家の手作りとなる。一方で写真ではデジタルのインクジェット作品が、ギャラリー以外の様々なショップで、若手でも数万円以上で売られている。
わたしは、いま潜在的に写真を買う人は、現代陶芸にも興味を持つ人と重なると考えている。もはや、単に気に入ったから、作家を支援するため、などの理由だけでは買ってもらえない。生活のクオリティーを高めてくれるかなど、値段もふくめて総合的に判断して購入を検討するのだ。誰でも撮れるデジタル写真が、手作りで用の美を持つ、生活でも役立つ現代陶芸よりも高価で売られている。これでは日本人写真家の作品をコレクションする人たちが増えないのは当然だろう。

話はそれるが、現代アート風作品や伝統工芸的写真でも、値段を適正化されればインテリア向けの写真として十分に市場性があると考えている。ファインアート系とインテリア・アート系では、写真の価値基準が異なるだけで、売れるということはそれぞれの規準で評価されるという意味に変わりはない。ギャラリーと称して、インテリア系写真を中心に取り扱う販売店も多数存在している。彼らは、売りやすい作品を制作する写真家をリクルートしてインテリア系ショップに作品を供給したりしている。
インテリア・アート系に市場性があると考えるのには根拠がある。ブリッツは平成時代を通して、ギャラリー以外の様々な場所で写真販売の実験を行ってきた。カフェ、バー、インテリア・ショップ、ブック・ショップ、写真のDPE店、デパートのインテリア・アート売り場、アパレル・ショップ、リゾート地のイベントスペース、住宅展示場、額縁販売店などだ。

リゾート地で企画開催した写真展

それらは写真をアート作品として販売する試みだったので大きな成果を上げることができなかった。
しかし、唯一売れたのは、デパートやショップでのインテリア向け商品として用意した作品だったのだ。特徴は、抽象系の絵柄の比較的小さめの写真作品。モノクロよりもカラーの方が比較的人気が高い。ただしカラーの自然風景は不人気。そして重要なのは額装作品で値段が安いこと。また版画同様に制作者のサインが表面に記載されている方が好まれる。
デパートのインテリア小物売り場には、額装された飾りやすいプリント小作品が1~5万円程度で売られている。そのカテゴリーと重なる絵画表現に近い写真作品には、写真家の知名度と関係なくある程度の市場性が存在するのだ。ただし、多くの業者が関わる典型的な薄利多売ビジネスとなる。事業として将来性の判断は極めて難しいだろう。

いまブリッツは、平成初期の90年代と同様のビジネスモデルである、海外で評価されている作品を日本に紹介するアート写真輸入販売業者に戻ってしまった。平成は、ビジネスを展開していく中で、そこで直面する数々の疑問点を解き明かす時代だった。いままでのさまざまな経験から、日本では写真家本人に作品の説明責任を求める手法は機能しないと気付いた。日本のファインアート系写真は、訪米とは違った流れで評価され、最終的に市場が確立されるという流れがあるのだ。私どもが何度も主張しているような、創作を継続している人の中から、第三者が「見立て」により写真家のアート性を評価するという考えだ。令和においても、引き続きこの「見立て」を生かした、日本独自のアート写真の価値基準を継続的に提案していきたい。これについては、ブログの別の連載で考えをしつこく紹介している。興味ある人はご一読いただきたい。
令和の時代には、見立てられた写真家の中から、国内外で評価される人が登場するのを期待したい。

今後、新たなプログラムを展開していく予定だ。

おわり

平成時代のアート写真市場(6)
写真オークションは日本に定着せず

日本でのアート写真アークション事情にも触れておこう。
オークションはセカンダリー市場と呼ばれている。かつてギャラリー店頭(プライマリー市場)で売られた作品が再度売買される市場のこと。ただし、オークションで取り扱われるのは、時間経過とともに市場で評価が高まった作品が中心となる。コレクター人気の高い作家が亡くなると、作品がギャラリーで買えなくなるので、売買の中心がオークションに移行していく。
多くの日本人写真家の場合、国内外のギャラリー店頭で継続的に作品が販売されていないことが多い。市場での作品の流動性がないので、そのような写真家のオークションでの市場は存在しない。

実はブリッツは代官山にギャラリーがあった1994年2月に「オリジナルプリント/絶版写真集/サイレント・オークション」を開催している。これは、入札制のオークションで、ヘルムート・ニュートン、ブルース・ウェバー、ハーブ・リッツ、ジャンル―・シーフ、カート・マーカス、ノーマン・パーキンソン、ロバート・メイプルソープなどの写真作品が出品されている。この時期は、1995年1月に起きた阪神・淡路大震災の前で、バブルは崩壊して株価は下落していたものの景気実感は悪くはなかった。予想以上の売り上げがあったと記憶している。

ブリッツ開催「オリジナルプリント/絶版写真集/サイレント・オークション」

また2000年には、アート写真総合情報サイトのアート・フォト・サイトを立ち上げて、オリジナルプリントと写真集に特化したオンライン・オークションも一時期運営していた。たぶんそれらのオークションは日本では初めての試みだったと思われる。

東京オークション・ハウス・アール・ローカスのフライヤー

2006年には写真専門のオークションが、東京駅八重洲の東京オークション・ハウス・アール・ローカスで開催されている。10月29日に開催された「Vol.1 写真・オリジナルプリントと写真集」では、ハリー・キャラハン、エルンスト・ハース、ヤン・ソーデック、アーヴィング・ペン、エリオット・アーウイット、リチャード・アヴェドンなどのオリジナルプリント29点と写真集24点の公開入札方式のライブオークションが開催された。2007年12月9日に「Vol.6 20世紀写真」の開催資料までが手元に残っている。委託者の希望だと思われるが、回を重ねるごとに次第にオリジナルプリントの落札予想価格が不自然に高くなり、落札率が低迷してきた記憶がある。アール・ローカスのオークションは、日本におけるアート写真の潜在需要を掘り起こすための極めて意欲的な試みだった。しかしその後に経済状況化が悪化したこともあり、撤退を余儀なくされている。

大手のシンワアートオークションは2007年ごろには写真に積極的で、「CONTEMPORARY ART AUCTION」の一部で取り扱っていた。しかし良質の作品の出品がなく、落札率も低迷したことから、その後は取り扱いに消極的になって現在に至る。

SBIアートオークション「Inaugural Auction」

SBIアートオークションは、2012年2月25日の最初の「Inaugural Auction」から、コンテンポラリーアート作品オークションの一部として継続的に写真を取り扱っている唯一の業者だ。昭和、平成初期に売買された外国人写真家の作品と、荒木経惟、森山大道、杉本博司、森村泰昌などの日本人作家が出品されている。

2010年代になると、インターネットの普及で日本開催のオークション情報が世界中のコレクター・業者で共有されるようになる。またネットでの入札も一般的になる。そうなると重要なのは出品作品の市場性と、最低落札価格、為替相場となる。ドル高傾向だった時期には、日本では業者が設定する最低落札価格が海外より低めに設定される傾向があったことから、転売目的の海外からの入札が積極的にあったときく。日本では写真は売れないものの、オークション市場は世界とつながっており、海外で市場性が高い優れた作品が相場以下で出品されるとほぼ確実に落札されるようになった。不落札作品もアフター・セールで売れていた。日本での落札作品が海外のネットオークションに出品されるケースも散見された。ネット普及の初期には、情報格差による国際間での転売が可能だったのだ。

アイアートオークションのカタログ

2018年7月28日に、普段写真を全く取り扱わないアイアートオークションがアンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、ビル・ブラント、杉本博司などの79点の写真作品の単独コレクションからのオークションを開催した。主催者は非常に控えめの落札予想価格を表示していたものの、海外で市場性が高い写真家の作品はほぼ実勢相場に収斂して落札された。理由は不明だが相場以上のレベルでの落札も散見された。海外相場の情報を持たない日本人どうしが競上げたのだと思われる。

平成後期になると、世界中がネットでつながったことから、国内オークションであっても、市場性のある作品の相場は海外の業者やコレクターが支えるという市場の仕組みが実現した。コレクターにとって、地域による情報格差による、相場から乖離した低価格でのバーゲンセールは起きにくい状況になってしまった。もちろん転売で利益を上げるのも極めて難しくなる。しかし、国内コレクターはコストのかかる海外オークションに出品することなく、国内でほぼ同様の相場での売却が可能となった。このような状況は今後に作品売却を考えている団塊の世代のコレクターには朗報だといえるだろう。

最近、海外のオークションを分析して気になる事象が目立つようになってきた。情報格差のない時代なのに、中小業者が開催するオークションでは、特に20世紀写真で従来の規準ではかなりバーゲンセール価格の作品でも買い手が付かないことがあるだ。もしかしたら従来のアート写真の価値基準が変化してきているのかもしれないと感じている。

平成時代のアート写真市場(7)に続く

平成時代のアート写真市場(5)
アジアのフォトフェア・ブーム

2000年代に起きたフォトブックの世界的ブームで注目されたのは、1970年代くらいまでの日本人写真家によるフォトブックだった。前記の欧米で出版されたガイドブックに取り上げられたのがきっかけだった。海外のコレクターが注目するようになり相場も上昇する。
相場のピークだった、2008年4月10日にクリスティーズ・ニューヨークで開催された「Fine Books」オークションでは、川田喜久治の「地図(美術出版社、1965年刊)」が2.5万ドル(@102/約255万円)で落札されている。同書はプライベートセールではもっと高額で取引されたそうだ。

それに伴い同時代に活躍した日本人写真家のオリジナル・プリントにも関心が集まった。しかし、海外のアート写真業界の基準は日本には当てはまらないという事実がしだいに明らかになる。ヴィンテージ・プリントの概念、エディションの理解、写真家が複数のギャラリーに同時に写真作品を提供するシステムなどだ。2008年のアートフェアのパリ・フォトでは日本が招待国としてフィーチャーされ、特別に14業者や出版社が招待されて参加した。残念ながら、全体の参加者の展示作品をコーディネートするという視点が抜けていた。複数の参加業者が、特定の写真家の同じような作品を、異なるエディションや販売価格で展示したことから、海外のコレクターはかなり混乱したと言われている。
今では、日本は浮世絵の国なので、日本人写真家のヴィンテージプリントに該当するのは、初版のフォトブックだと理解されている。70年代くらいまでのガイドブック収録の初版フォトブックはいまでも高価で取引されている。それは、写真集ではなくヴィンテージプリントの代替品だと考えられているからだ。その他のモダンプリント作品は、主に作品の人気度により相場が決まってくる。

アート界では、経済のグローバル化に伴い、富裕層を目当てにした様々な規模のアートフェアが世界各地で開催されるようになる。
写真は、ニューヨークの「ザ・フォトグラフィー・ショー」と「パリ・フォト」が有名だ。日本でも、フォトフェアを通して欧米のようなファインアート系写真の市場確立を目指す様々な試みがあった。これの動きはアジア全体で盛り上がり、ソウル、タイペイ、上海でも同様のフォトフェアが行われた。

Photo Shanghai 2014

日本では、2009年から東京フォトが6回にわたり開催された。
たぶんピークだったのが2012年に六本木ミッドタウンで開催されて時期で、主催者の誘致活動により、世界中の有力写真ギャラリーが参加した国際的なイベントになった。しかし、それはあくまでの表層的な状況であり、実際のところフォトフェアに対する考え方には参加者と来場者で根本的な違いがあった。

Tokyo Photo 2012 at Midtown Tokyo

つまり、参加者は世界で有数の経済規模を持つ日本での、新規コレクターの発掘と販売機会を求めて参加する。一方で来場者は世界のトップ・アーティストの高価な写真作品を鑑賞する場だと理解していた。多くの人が来場するものの、売り上げは期待通りではなったと推測できる。次第に、海外ギャラリーの参加者が減少し、日本人写真家の展示と国内ギャラリーの参加が中心となっていった。それに伴い来場者も減少し、最終的に2014年を最後に中止となった。

Seoul Photo 2011 at Coex

2008年から開催されていたソウル・フォトも同様の経緯をたどった。最初は世界中から多くの参加者が集まったものの、売り上げが上がらないことから海外からの参加者が減少していき開催中止となった。

アジアでは写真は撮影するもので、ファインアートとしてコレクションの対象ではないようだ。フォトフェアでは海外の優れた作品が日本に紹介された。しかし欧米市場で評価されている作品は、日本人には非常に高価に感じられたのだと思われる。アート作品の適正価値が判断できる人がほとんど存在せず、多くは鑑賞するものだと理解したのだ。

日本でのフォトフェア開催は日本人写真家に、「写真が売れるかもしれない」と感じさせた。2000年代後半から、商業写真家からアマチュア写真家までが写真販売に乗り出し、数々の販売イベントが行われるようになる。
しかし、フォトフェアで写真が売れるのは、それがアート作品として市場で評価されているという意味だ。そのアートの意味も2000年代に入り、現代アート市場の拡大とその影響を受けて大きく変化。写真は現代アート分野の一つの表現方法になっていった。しかし、多くの人は自分の感性を生かした写真や、モノクロームの抽象美とファインプリントの高品質を追求する工芸的な写真がアートだと考えていた。これについては様々なところで書いているのでここでは詳しく取り上げない。
またフォトフェアの影響で、写真が商品として簡単に売れると勘違いした人もいた。確かに世界的に写真は版画同様にインテリア向け商品として販売されている。販売される写真作品は、商業写真家が仕事の一環として取り組んで制作している。それには、企業が関わっており、綿密なマーケティングと商品開発が行われる典型的な薄利多売の手間がかかるビジネスなのだ。個人ベースでビジネスモデルの理解なしに簡単に売れるものではない。ちなみに平成の終盤期には、海外のインテリア向けの写真プリント販売店が日本上陸している。

アートとして作品を売るには写真家のブランディングが必要。それには多額の先行投資と膨大な時間がかかる。インテリア向け写真は、家賃の高い場所にショップを出店する必要がある。多くの写真家が様々な種類の写真販売を試みたものの、彼らが期待したような短期的ビジネスとしては成功しなかった。
フォトフェアの開催と共に盛り上がった平成の写真を売るブームは、いつしか消え去ってしまった。

平成時代のアート写真市場(6)に続く

平成時代のアート写真市場(4)
写真集ブーム到来と終焉 

90年代から2000年代にかけて、当時の主流メディアだった雑誌媒体で写真集特集が繰り返し組まれていた。そして、記事で紹介された写真集の実物は、現物を撮影用に提供した洋書専門店や古書店の店頭で手に取り見ることができた。当時の若い世代の人たちはそれらの情報を通して自分の好きな写真家やカテゴリーを絞り込んでいった。マーケティング上の世代区分では、1961年生まれから1970年生まれの「新人類世代」くらいの人が主に含まれると考える。
いま思い返せば、洋書店や古書店の店頭はメディア的な機能を果たしていた。各店には写真集情報に詳しいカリスマ店員や店主がいたものだ。過去に出版された写真集の情報も豊富に紹介されていた。それが自分の興味ある写真家がどのような影響を受けてきたかの興味につながり、フォトブック・コレクションに目覚めた人が生まれてきた時代だった。「高度な知的遊戯としてのフォトブックのコレクション」というセールス・トークはこの時代に生まれた。

2000年代前半の日本は、洋書写真集コレクションのミニ・ブームに沸いた時代だったといえるだろう。ブームのきっかけは、上記のような90年代以降に雑誌メディアなどにより多種多様な写真集情報が豊富に消費者に提供されことにあると考える。これにより興味を持つ人が増え、潜在的な需要が拡大した。その様な状況下でネット普及によりアマゾンなどで洋書が割安で購入可能になったことでブームに火が付いたと分析している。
90年代、洋書店で売られていた写真集は高額の高級品だった。よく雑誌のインテリア特集や広告ページ内でお洒落な小物として使用されていた。興味があっても気軽に何冊も買えるものではなかった。私は30年くらい洋書を買っているが、かつてのニューヨーク出張ではスーツケースの持ち手が破損するくらい膨大な数の重い写真集を持ち帰ったものだ。
アマゾンの登場は衝撃的だった。とにかく重い写真集が送料込みで、ほぼ現地価格で入手可能になったのだ。最初は欧米のアマゾンでの購入だったが、2000年11月に日本語サイト「amazon.co.jp」が登場する。日本の一般客も今まで高価だった洋書写真集がほぼ現地価格で購入可能になったのだ。2008年のリーマン・ショックくらいまで続いたブームは、かつて高価で高級品だった洋書写真集が信じられないような低価格で買えるようになったから起きたのではないか。今まで高額だったカジュアルウェアをユニクロが高機能かつ低価格で発売してブームになったのと同じような現象だろう。新刊が売れたことで、顧客の興味が絶版写真集いわゆるレアブックにも広がった。

ブリッツは90年代から絶版写真集の海外からの輸入販売を積極的に行っていた。ネットが普及する前の時代には、年に何回もニューヨークを訪れて古書店で仕入れを行った。また各地の古書店が制作する在庫カタログを送ってもらい、FAXで注文していた。手間はかかったが業者と顧客との価格情報の大きな格差があった。顧客が求める本の的確な仕入れができればビジネスとして魅力的だった。
2000年代以降は、前回に紹介したように海外でフォトブックのガイドブックが相次いで販売されたので、それらに収録されているレアブックを積極的に取り寄せた。この時期、ギャラリーでは将来を見据えたつもりで日本人写真家の写真展を中心に行っていた。残念ながらこの試みは失敗、写真の売上が低迷していたことから、レアブックに力を入れたという経緯がある。

2004年から2010年までの7年間に渡り、5月の連休明けや夏休み期間の約2週間、渋谷パルコパート1地下1階のロゴスギャラリーで洋書のレアブックとオリジナルプリントを展示販売する「レブック コレクション」の企画運営を手掛けた。

2004年~2009年、ロゴスギャラリーで開催された”レアブックコレクション”のDMの一部

同ギャラリーの隣には写真集の新刊を販売する洋書ロゴスがあった。目黒のギャラリーよりはるかに集客が多い好立地。当時は、場所が良ければ偶然通りがかった富裕層の人が興味を示してアート写真を買うようなことがあるかもしれないと想像していた。この企画では集客が多いことを生かし、レアブック販売と共に、会場の壁面を使用して顧客の興味を探るために様々な実験を行った。ストレートに資産価値の高い額装写真の展示、日本人写真家のミニ個展開催、8X10″サイズのフレームに入れた額装1万円のミニプリント約60点販売、額装したフランスのファウンドフォトの販売、額装ポスター、ポストカード、ヴィンテージ・ファッション・マガジンの販売も行ってみた。
2009年には「渋谷・アート・フォト・マーケット」と称して、会場全体を一種のフォトフェアとブックフェアの合体したようなスペースにプロデュースした。1万円から100万円越えまで、様々な価格帯と多種多様なジャンルの写真作品を展示。しかしいくら立地が良く来店客数が多くても、イベント会場に来る一見客には写真作品は売れないことがよくわかった。アート作品を取り扱う商業ギャラリーは立地がすべてではないのだ。たぶんインテリア向けのアート写真の場合はショップの立地は極めて重要だろう。

“レアブックコレクション2009″渋谷パルコ・ロゴスギャラリーの展示風景

写真は売れなかったものの、レアブックはかなり売れた。当時はこのイベントのために1年間かけて在庫の仕入れを行っていた。しかし2000年代後半になるとインターネットが広く普及し、世界中の業者在庫の価格が比較可能になった。それまでは神田神保町と田舎の古書店では、同じ写真集でも家賃や運営費の差が販売価格に反映されていた。ネット上では経費に関わらず完全な値段勝負となる。
そしてプラットフォーム企業のアマゾンでも絶版写真集が販売されるようになるのだ。業者と顧客の情報格差が縮小していき、人気本は個人がネットオークションで販売するようにもなる。次第に業者の利益率、売り上げは減少していき、レアブックの販売は単体では事業として成り立たなくなった。

その後の状況をまとめておこう。時間経過とともに、洋書写真集が安く買えるという当初の驚きがなくなり、次第にコモディティー化し始める。そのような時期にリーマン・ショックが起き市場が一気に縮小するのだ。ブームが過ぎ去ったもう一つの理由は、欧米ではアート写真コレクションの一分野として写真集(フォトブック)が存在しているが、日本では自分の感覚にあったビジュアルが収録されたお洒落なファッション・アイテムとして買われていた面があっただろう。消費財としてみると、アート系商品は、心は豊かにするが、お腹を満たしてくれない、不要不急の典型的商品だ。
2010年代には、アベノミクスによる円安で洋書の輸入価格が上昇して、景気の長期低迷とともに市場規模は縮小均衡してしまった。いまや、本当にアート写真が趣味の人が、自分が好きなアーティストの本を購入するという従来のパターンに戻ってしまった。
これから新しい市場の中心となっていくミレニアル世代の動向は気になるところだ。しかし彼らは「シェアリング・エコノミー」を好み、モノの所有に関して消極的と言われている。スペースを占有する写真集コレクションにはあまり魅力を感じないかもしれない。

平成時代のアート写真市場(5)に続く