「DUFFY… PORTRAITS」展開催!
ダフィの60~70年代セレブたちのカッコいいポートレイツ

新年のごあいさつが遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

ブリッツ・ギャラリーはダフィー(Brian Duffy 1933-2010)の写真展「DUFFY… FASHION / PORTRAITS」(ダフィー…ファッション/ポートレイツ展)のパート2「PORTRAITS(ポートレイツ)」を2025年1月15日から開催します。ダフィーは60~70年代に活躍した英国人写真家。彼は、デビット・ベイリー、テレス・ドノヴァンとともに60年代スウィンギング・ロンドンの偉大なイメージ・メーカーであるとともに、有名なスター・フォトグラファーでした。

ダフィーはパート1で展示したファッションとともに、各界で活躍していた時代を代表するセレブリティーのポートレイツを撮影しています。特に知られているのはデヴィッド・ボウイ(1947.1.8 – 2016.1.10)とのセッションです。70年代に、“ジギー・スターダスト Ziggy Stardust”(1972年)、“アラジン・セイン Aladdin Sane”(1973年)、“シン・ホワイト・デューク The Thin White Duke”(1975年)、“ロジャー Lodger”(1979年)、“スケアリー・モンスターズ Scary Monsters”(1980年)の5回の撮影を行っています。特にアラジン・セインのアルバムジャケットに使用された写真は極めて有名で、「ポップ・カルチャーにおけるモナリザ」とも呼ばれています。2013年夏、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された“DAVID BOWIE is”展では、ダフィーによるアラジン・セイン・セッションでのボウイが目を開いた未使用カット作品が展覧会のメイン・ヴィジュアルに採用され話題になります。同展は2017年東京で巡回開催されています。

ダフィー写真展パート2では、珠玉のポートレイツ合計約30点が展示されます。シドニー・ポワティエ、マイケル・ケイン、アーノルド・シュワルツェネッガー、テレンス・スタンプ、ブリジッド・バルドー、サミー・デイヴィス・ジュニア、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ニーナ・シモン、ウィリアム・バロウズ、デビー・ハリー、アマンダ・リア、ジョアンナ・ラムリー、ブラック・サバス、ポール・ジョーンズ(マンフレッド・マン)などが含まれます。また、本展ではデヴィッド・ボウイの作品の特集コーナーを設置、5回のセッションで撮影された珠玉の14点を紹介します。

ダフィーのポートレートの特徴はどんな有名な被写体でも彼の前ではとてもリラックスしていることです。つまり彼は人たらしで、相手の気分を乗せることに長けていたのでしょう。カメラの前の被写体は時に調子に乗って自然でユニークな動きを見せています。ファインアートになるポートレイツは、写真家と被写体が同等な関係性であり、お互いが見たことがないようなビジュアルを作り上げるのだという共通意識を持つことが重要になります。つまり二人は共犯関係で、写真は一種のコラボ作品なのです。だから彼のポートレートはカッコよく、見る人を魅了するのです。
そのような関係性がないほとんどのポートレイツは単なるセレブの広報や記録を目的とするブロマイド的なつまらない写真になってしまいます。しかし、現代では写真家と被写体がこのような関係性を構築するのは非常に困難でしょう。80年代以降は、大衆消費社会の到来とともにファッションと同様に音楽や映画はビックビジネスへと発展していき、セレブは多くの取り巻きに囲まれるようになります。写真家にとっては自由にコミュニケーションをとって関係性を構築する余地が次第に少なくなっていくのです。

本展で展示されるのは、作家の意思を受け継いだ息子クリス氏が運営するダフィー・アーカイブが監修/制作したエステート・プリント作品です。また日本のコレクター向けに、今回のブリッツでの写真展限定オープン・エディション・プリント(サイン入り作品証明書付き)もリーズナブル価格で特別販売されます。パート1で展示したファッション写真も写真展開催期間中はご注文可能です。またボウイの作品は、ファッション写真よりも小さいスタンダード・サイズ(約19X19cm 、19X12.7cm)のプリントの額装作品も用意しています。(フレーム約28X 36cmサイズ)

ダフィーによる、60~70年代の時代を代表する各界セレブリティーたちの珠玉のポートレイツ作品をぜひご高覧ください!

DUFFY…PORTRAITS ダフィー…ポートレイツ展
2025年1月15日 (水)~3月22日 (土)
1:00PM~6:00PM/休廊 月・火・/入場無料
ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064  東京都目黒区下目黒6-20-29

公式サイト

「DUFFY… FASHION / PORTRAITS Part-1」
ダフィーの傑作ファッション写真を見逃すな!

ブリッツ・ギャラリーは、主に60 ~ 70年代にかけて、ファッション雑誌、広告、ボートレイトの分野で活躍した英国人写真家ダフィー(Brian Duffy 1933-2010)の写真展「DUFFY… FASHION / PORTRAITS」(ダフィー…ファション/ポートレイツ展)を開催中。ファッション写真中心に展示するPart-1はいよいよ12月22日まで。お見逃しのないように!

彼のファッション写真の特徴は洋服をメインに撮っていないこと。60 ~ 70年代にかけての撮影では、写真家に多くの自由裁量が与えられていた。いまのように、エディター、アート・ディレクター、ファッション・ブランドが撮影に口をはさむことがあまりなかったのだ。ファッション写真は作り物のイメージだからアート性がないという指摘があるが、当時の状況は全く違っていた。広い意味で仕事の写真撮影だが、写真家の自己表現がある程度発揮できたのだ。ダフィーは、ドキュメントの手法をファッション分野に取り入れることで、時代性を作品に落とし込んでいるといえるだろう。いま市場で愛でられているファインアート系のファッション写真は、実はこのように撮影ができた時代の作品が中心になっているのだ。かつてアメリカ人作家スーザン・ソンダクは“偉大なファッション写真は、ファッションを撮影した写真以上のものだ”という発言している。つまり洋服の情報を正確に伝えるファッション写真が存在している一方で、最先端の写真家による洋服販売目的にあまりとらわれないファッション写真が存在するという意味だ。まさにダフィーのこの時代の写真そのものだろう。

その後、大衆消費社会の到来とともにファッションはビックビジネスへと発展していき、写真家の創造力を発揮する余地が次第に少なくなっていく。同時に各種圧力団体による社会的抗議活動が活発化して、雑誌や広告ではタバコや過度の性的表現が自己規制の対象になる。80年代以降、特に規制が厳しいアメリカの雑誌や広告のファッション写真が単なる洋服の情報を伝える面白みがない表現になってしまうのだ。

今回展示しているダフィーの作品では、当時の活気あるロンドンなどの都市のストリートに漂っていた気分や雰囲気が見る側に伝わってくる。ダフィーにとってそれを感じ取り、伝えるツールがモデルでありファッションだった。彼は時代をドキュメントする手段としてファッション写真を撮影していた。

そして彼が積極的に取り入れていたのが、当時の大衆の憧れだったラグジュアリー・カーのジャガーEタイプ、アストン・マーチン、メルセデス・ベンツなど。そして一般大衆にもなじみのある、ミニ、アルファスッド、スクーターのヴェスパなどもファッション写真の小物として取り入れている。元祖スーパーモデルのジーン・シュリンプトンがミニの運転席に座っている写真などは、60年代を生きる若い働く英国女性が、好みのファッションを身にまとい、自分の愛車で自由に動き回るライフスタイルを見事に表現している。また写真集「DUFFY…PHOTOGRAPHER」の表紙のクルマはジャガーEタイプ。お洒落なファッションのショーファー(運転手)とモデルとの気見合わせで、当時の憧れを表現している。

ダフィーが撮影しているモデルのジーン・シュリンプトン(Jean Shrimpton、1942年11月7日生まれ)にも注目したい。彼女は今までの貴族的でグラマラスな雰囲気のモデルとは異なり、長い脚とスリムな体型が特徴。60年代のスウィンギング・ロンドンのアイコンで元祖スーパーモデルなのだ。英国発祥のミニスカートの伝道師としても知られている。シュリンプトンは、写真家デビッド・ベイリー(David Bailey)が見出したと思われているが、実はそれ以前にまだ無名の彼女を起用していたのはダフィーだった。その後に、ベイリーのミューズとして知られるようになる。彼女のニッネームは「The Shrimp」、和訳するとエビちゃん。ある写真家が日本のモデル蛯原友里が彼女にスタイルやヘア・メイクが似ていると指摘していた。本展では、シュリンプトンがモデルのファッション写真コーナーも設置されている。興味深いのは、写真を見比べるに、展示作品がすべて同じモデルだと全く気付かないこと。つまり制作側の意図により、ヘア・メイクやファッションで自由自在に雰囲気やイメージを作り上げることができるモデルだったのだ。同じ英国人モデルのケイト・モスの元祖ともいえるだろう。

ダフィーはその他にも当時を代表するモデルたちを撮影している。昨年に亡くなった、英国生まれの歌手、モデル、俳優のジェーン・バーキン(Jane Birkin, 1946-2023)。フランスの老舗メゾンエルメスの定番バッグ「バーキン」の由来にもなったのはあまりにも有名だろう。ダフィーは、若かりしまだ20歳前後の彼女を1965年に撮影している。そのほかにも、ドイツ出身の元祖スーパーモデルのヴェルーシュカ( Veruschka, 1939-)や、イナ・バルケ(Ina Balke, 1937 )なども起用している。

ダフィーが撮影したカラー写真にも注目してほしい。彼の輝かしい業績にピレリー・カレンダーの撮影を1965年と1973年に行ったことがある。同カレンダーは、イタリアタイヤメーカーのピレリーが1964年から制作されている。一般販売は行われてなく、取引先や重要顧客に配られている。かつてリチャード・アヴェドン、ハーブ・リッツ、ブルース・ウエーバー、ピーター・リンドーバークなど超有名写真家が手掛けている。ちなみに2025年は、イーサム・ジェームス・グリーンが担当。時代が反映された有名写真家によるイメージは、過去に何度も写真集化されている。最近では、2015年に過去50年の作品を収録した「Pirelli. The Calendar. 50 Years And More」(Taschen刊)が刊行。本展ではダフィーが1973年度に撮影した2点を展示している。その他、フレンチ・エルやテレグラフ・マガジンでのカラーによる仕事も紹介。1978年の黄色いアルファスッドを背景に取り込んだ作品などは、何気ないストリートの雰囲気の中で撮影されたように感じるが、実はすべてが完全に計算されつくされているのです。ヴォーグ誌のアート・ディレクターだったアレクサンダー・リーバーマンが、理想の写真だと語ったといわれる”最高のセンスをもったアマチュアで、カメラマンの存在を全く感じさせない(写真)”を思い越す、見ていて飽きない素晴らしいファッション写真の傑作だ。

作品のコレクション情報も伝えておこう。展示作品には、3種類の購入オプションがある。

・Signed Limited Edition Print
有名な代表作品の限定/銀塩写真で、ブライアン・ダフィーのサイン、
アーカイブのスタンプ、クリス・ダフィー直筆サイン入り証明書付き
シートサイズ35X24cm、35X28cm(長方形)、30X30cm(スクエア)
Edition 12~18

・Unsigned Limited Edition Print
主に代表作以外の作品となり、シートにサインはなし、
アーカイブのスタンプ、クリス・ダフィー直筆サイン入り証明書付き
シートサイズ35X24cm、35X28cm(長方形)、30X30cm(スクエア)
Edition 15
デジタル・アーカイバル・プリント

・Open Edition Print /オープン・エディション作品
(ブリッツ・ギャラリーの写真展用限定販売プリント)
アーカイブのスタンプ、財団のクリス・ダフィー直筆サイン入り証明書付き
シートサイズ31X21cm(長方形)、27X27cm(スクエア)
デジタル・アーカイヴァル・プリント、16X20“で額装済

販売価格は、美術館やシリアスなコレクター向けの銀塩プリントによるダフィーのサイン入りのリミテッド・エディションは約50万円からと高額になる。しかしその他の仕様の作品はかなりお買い求めやすい価格設定になっている。特にコレクション初心者向けのブリッツでの写真展限定のカスタム・プリントは、ダフィー・アーカイブの協力により実現したリーズナブル価格の作品。こちらはオープン・ンエディション作品なのだが、アーカイブの作品証明書が付く。展覧会の会期中のみ受注生産作品となる。おかげさまで初心者はもちろんシリアスなコレクターにも大好評だ。

本展パート1ではダフィーの珠玉の28作品を展示、店頭では素敵な写真展カタログも限定数製作して販売中。パート1の会期は12月22日まで、ダフィーのファッション写真の傑作を日本で見る機会はたぶんこれが最後になるだろう。目黒方面にお出かけの際は、ぜひご来廊ください。お見逃しのないように!

パート2では、デヴィッド・ボウイをはじめとしたダフィーの珠玉のポートレイト作品を1月15日より展示する。

20世紀の写真ギャラリー経営
アナログ時代の仕事術(2)

ニューヨークのフォトフェア ”フォトグラフィー・ショー”

21世紀のいま、ネット普及により海外アート情報は現地に行かなくても低コストで手に入るようになった。一方で展覧会やフォトブックの情報は膨大になりすぎて、人々の関心が一気に希薄化している。
私はこの分野を専門にしているのだが、すべての展示や新刊フォトブックの中身を確認するなど不可能だ。質の良い情報の理解と評価にはある程度時間を使っての内容の吟味が必要になる。超多忙な現代人は溢れる情報に対して瞬間的な感情による反応だけになりがちだ。特にSNSではその傾向が顕著になっている。情報の良し悪しの時間をかけての判断がますます行われ難くなっている。

私たちはどうしても、知名度のあるアーティスト、有名美術館、ブランド・ギャラリー、人の目を引くビジュアルに関連する情報に偏って反応しがちになる。新興ギャラリーや出版社が斬新な視点を持った若手アーティストを写真展やフォトブックで紹介しても、その情報が多くが人の目に留まらないで消えていく状況なのだ。
そして一方では多くの業界関係者は、最近は良い作品や優れた新人がいない、文化が停滞していると嘆いている。いま多くの情報の受送信を担う商業的なインターネット環境では、主流でないアートの内容が注目されにくい構造になっているのだ。

ニューヨーク/ソーホー地区のフォト・ギャラリー

また作品の海外での市場価格も誰でも簡単に入手可能になった。20世紀は売り手と買い手の持つ情報が非対称性だった。つまりアート作品やフォトブックについて、両者が持つ情報に大きな格差があり、国内コレクターが海外の作品相場を簡単に知るすべはほとんどなかったのだ。
いまや個人でも海外からの直接購入が可能になったので、輸入業者の利益率は大きく下がった。輸入作品の国内販売価格は、いまでは現地価格に送料を上乗せするくらいになっている。かつては、現地価格に20~50%程度のマージンを上乗せして国内価格が決められていた。インターネット普及による情報の民主化により利益率は一貫して下がり続けた。独自の専門分野を持たない、小売り流通企業経営による高コスト商業ギャラリーは2000年代にはすべてが撤退していった。
企業系ギャラリーは、アートで自身の差別化を目的に運営されるラグジュアリー・ブランド系のみになっている。

マンハッタンの野外アート

また写真メディアのアナログからデジタル化への移行にともない、作品種類も多様化した。現代アート系、ファインアート系、コレクタブル系、インテリア系が生まれた。また低価格の写真関連商品を取り扱うショップ/専門店も現れては消えていく状況繰り返されている。20世紀の海外都市のハイストリートによくあったポスター/フレーム販売業者の新形態だといえるだろう。

特に市場が未整理の日本の業界では、いま作品がランダムに局地的に存在する傾向が顕著だ。それぞれの業者がエゴを抑えて、業界全体を発展させようという機運が盛り上がった時期もあった。しかし伝統的なハイコンテクスト的社会であることと、最近のリベラルな考えが相まって、様々な組織、写真家、業者がバラバラに混在/乱立する状況になっている。グローバルな共通の価値評価基準である、作品制作の背景にあるアイデア/コンセプトの共通理解と、その延長線上の市場確立は成功しなかった。残念ながら90年代の混とん状態に戻ってしまった。

いま作品の情報量が増大し、選択肢が膨大になった。このような状況では、コレクターの将来に残るコレクション構築を手伝うファインアート系ギャラリーの役割は極めて重要になっていると思う。今まで以上に専門性を明確にする必要性に迫られている。そしていまの社会の価値観を見極め、作品への高い目利き力が求められるようになったと感じている。予算額が決まっている美術館は運営自体が目的化する傾向があり、次第に魅力がなくなっていくことがある。最近は、ギャラリーでも同じような状況に陥ることがあり、非常に危険だと考えている。継続を目的化して、運営趣旨を逸脱して取り扱い作品を選ぶようになる事態はぜひ避けたいものだ。情熱を持って語れる取り扱い作品がなくなった時がギャラリスト引退の時だと思う。

20世紀の写真ギャラリー経営
アナログ時代の仕事術(1)

ロンドンの老舗フォト・ギャラリーのハミルトンズ

私どものギャラリーは開業以来、主に海外アーティストの作品を日本に紹介してきた。ネットが存在しなかった20世紀後半にどのように仕事を行ってきたかを記録を残す意味も込めて紹介しておこう。

すべてはニューヨーク、ロンドンなどの気になる写真家の作品の取り扱いギャラリー訪問から始まる。日本の新設ギャラリーが信用を得る方法はただ一つ、何回か現地を訪問して、そのたびに作品購入して顔を覚えてもらい個人的な信頼関係を構築していくのだ。
日本での写真展開催には、海外から作品を借りてくる必要がある。信頼されることで作品を提供してくれるようになるのだ。通常は、ギャランティーという、作品の一部買い取りが借りる条件となる。

NYで開催される世界最大のフォトフェアのフォトグラフィー・ショー


いまは海外のギャラリーやアーティストのスタジオとの連絡はeメールだが、インターネット普及前の連絡はFAXだった。事務の流れは、まずワープロでレターを書くことから始まる。翻訳ソフト/サイトなどないので辞書片手に悪戦苦闘したものだ。文章をプリントアウトしてFAXで先方に送る、そして返答も同じくFAXでの受け取りだ。写真作品を取り扱うので、画像を先方に送る機会も多い。それもすべてモノクロのFAXでの時間もコストもかかる受送信だった。毎朝の送られてきた受信FAXの確認、機械のロール紙管理は重要な仕事だった。その上、FAXはすべてアナログなので、膨大な量の紙が残ることになる。毎日、送受信しているeメール、受信トレイやフォルダーに保存されているものすべてが紙として物理的に残ることを想像して欲しい。いまのメールと同様に5年くらいは保存していたので、その量は膨大になった。保存方法も物理的なフォルダーやファイルに紙を入れて残していた。

NYの書店Rizzoli、ちょうどアヴェドンの写真集” An autobiography”が刊行された時

海外の最新写真展情報を得る手段は、実際に現地に行くしかなかった。現地ギャラリーに行って、お願いすると日本にも写真展のDMを郵送してくれた。彼らも情報提供の手段はDM郵送しかなかったのだ。それも顧客に存在感をアピールするためにデザインやサイズにはかなりこだわりがあった。海外の家庭では、美しいデザインのカードはインテリア内に飾る習慣があり、それを意識していると聞いたことがあった。それらのカードは今でも保存している。機会があれば展示やブログなどで紹介したいと考えている。

ファインアート写真の中心地はNYだったので、春か秋のオークションやフォトフェアーには可能な限り出張して情報収集と作品/フォトブック仕入れを行っていた。90年代前半、ドル円の為替レートは125~140円程度に推移していたが、その後は円高になって少し仕入れが楽になった。いまの為替レートは当時以上にドル高/円安だ。海外から作品を輸入するには厳しい環境だといえるだろう。業界を見渡すに、最近は外国人写真家の日本での展示が美術館、ギャラリーでも減ってきている。東京都写真美術館では、いまアレック・ソスの展覧会を開催中だが、外国人写真家の個展は約5年ぶりだそうだ。 

90年代、広尾時代のブリッツの展示風景、デボラ・ターバヴィル展

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  20世紀には写真展をアピールする方法もいまとは全く違っていた。ギャラリーは公式サイトやメールマガジンなどのメディアを持たなかったので、既存の新聞や雑誌メディアに情報拡散を依存していた。写真展のプレスキットは、展示内容を紹介するプレスリリースと代表的ビジュアルを紹介するプレスプリントによる。プレスプリントは、オリジナル作品を複写して、封筒に入るサイズのサービス版くらいの紙焼きを用意していた。それらを思いつく限りのメディアに郵送していたのだ。特に新しいギャラリーは、どこかのメディアで紹介されない限り誰にも存在が知られることがなかったのだ。したがってギャラリー来廊者の個人情報は非常に貴重だった。
若い人は芳名帳という言葉を知っているだろうか。ギャラリー来場者が名前や住所などの個人情報を記載する一種の名簿で、ギャラリーの入り口付近には必ず置かれていた。レンタルギャラリーが多い日本では、知り合いが見に来たことを主催者の写真家に伝える意味で用意されていた。来場者の情報収集のために芳名帳は必需品で、店頭では次回展の案内のDMを郵送するので、と伝えて名前と住所を書いてもらうように営業したものだ。そして、実際に写真展のDMはすべての芳名帳記入者に郵送していた。来廊者にも自分の個人情報公開に関する意識は今のように高くはなった。カメラ付き携帯電話など存在しないので、芳名帳の記載者情報が外部に漏れる心配もあまりなかったのだ。

次回、アナログ時代の仕事術(2)に続く

2024年秋NY写真オークション・レヴュー
サザビーズのアンセル・アダムス・セールがホワイト・グローブ達成

2024年秋の大手業者によるニューヨーク定例アート写真オークション。今回は10月上旬から中旬にかけて、複数委託者、単独コレクションによるライブとオンラインの合計6件が開催された。

クリスティーズは、10月2日に“An Eye Towards the Real: Photographs from the Collection of Ambassador Trevor Traina”(132点)を、フィリップスは、10月9日に春に続く単独コレクションのセール“Photographs from the Martin Z. Margulies Foundation Part II”(122点)と、複数委託者による“Photographs”(205点)を、サザビーズは、10月16日に“Ansel Adams: A Legacy | Photographs from the Meredith Collection(Online)”(96点)、10月17日に複数委託者による“Photographs(Online)”(122点)、10月18日に“The World of Eugène Atget: Photographs from The Museum of Modern Art(Online)”(60点)を開催した。

さてオークション結果だが、3社合計で737点が出品され、557点が落札。全体の落札率は約75.6%と春の約73.5%よりも若干改善した。ちなみに2024年春は出品776点で落札率73.5%、2023年秋は出品668点で落札率70.4%だった。
総売り上げは約1466万ドル(約22億円)、今春の約1159万ドル、昨秋の約903万ドルより増加している。
落札作品1点の平均落札金額は約26,328ドルで、今春の約20,600ドル、昨秋の約19,217ドルより増加している。過去10回のオークションの落札額平均と比較したグラフを見ても、7期ぶりに増加に転じている。

業者別では、売り上げ1位は久しぶりに約684万ドルを達成したサザビーズ(落札率82%)、2位は約456万ドルのフィリップス(落札率68%)、3位は約325万ドルでクリスティーズ(落札率80%)という結果だった。年間ベースでドルの売上を見比べると、2024年ニューヨーク・セールの年間売り上げは約2626万ドル(落札率約74.5%)だった。ちなみに2023年は約1865万ドル(落札率約73.7%)、2022年は約2029万ドル(落札率67.4%)だった。
後で詳しく触れるが、これらの好調な結果はすべてサザビーズで開催された珠玉のアンセル・アダムス作品セールの影響によるものだ。同セール単体で96点が完売、約456万ドルを売り上げている。これがなければ、総売り上げ、落札率、平均落札金額ともに、ほぼ最近のトレンドに沿った結果となる。

今シーズンの目玉は前述したサザビーズで開催されたアンセル・アダムスの単独セールだった。
「Ansel Adams: A Legacy, Photographs from the Meredith Collection」と銘打って開催されたセールは、オークションに出品されるアンセル・アダムス写真コレクションとしては、最も重要なもののひとつであるとの前評判だった。同コレクションは、アンセル・アダムス本人が選び、後にフレンズ・オブ・フォトグラフィーに贈られた写真で構成されている。フレンズ・オブ・フォトグラフィーは、写真というメディアへの情熱を追求する写真家の多くの世代にインスピレーションを与えた非営利団体。そこには、1960年代初期のプリントから大判の壁画サイズの1970年代のプリントまで、珠玉の美しい作品が含まれている。象徴的な「Moonrise, Hernandez, New Mexico」、ドラマチックなヨセミテ渓谷の景色、そして非常に貴重な太平洋岸のサーフ・シークエンスなど、アンセル・アダムスの最も愛されている写真を包括的に概観するコレクションになっている。
出品点数は96点、すべてが落札される業界用語のホワイト・グローブを達成。総売り上げは約456万ドル、1点の平均落札額47,580ドルだった。そして高額落札の上位3位までが同オークションに出品されたアンセル・アダムス作品だった。

アンセル・アダムスに続いた高額落札4位は、クリスティーズは、10月2日に“An Eye Towards the Real: Photographs from the Collection of Ambassador Trevor Traina”に出品されたアンドレアス・グルスキー作品の$352,800、高額落札第5位は、フリップス“Photographs”に出品されたアルフレッド・スティーグリッツ作品の$304,800だった。

Sotheby’s NY, “Ansel Adams: A Legacy | Photographs from the Meredith Collection(Online)”

1.Ansel Adams, “Aspens, Northern New Mexico (Vertical), 1958”
Sotheby’s NY, lot63
mural-sized gelatin silver print
image: 33⅜ by 26⅜ in. (84.8 by 67 cm.)
Executed in 1958, probably printed in the 1970s.
落札予想価格 $150,000~250,000 .-
$720,000(約1.08億円)

Sotheby’s NY, “Ansel Adams: A Legacy | Photographs from the Meredith Collection(Online)”

2.Ansel Adams, “Surf Sequence, San Mateo County Coast, California, 1940”Sotheby’s NY, lot19
5 gelatin silver prints(5点セット)
images approximately 11 by 13 in. (27.9 by 33 cm.)
Executed in 1940, printed between 1981 and 1982.
落札予想価格 $200,000~300,000 .-
$576,000 (約8640万円)

Sotheby’s NY, “Ansel Adams: A Legacy | Photographs from the Meredith Collection(Online)”

3.Ansel Adams, “Moon and Half Dome, Yosemite National Park, California, 1960”
Sotheby’s NY, lot15
mural-sized gelatin silver print
image: 29¼ by 26 in. (74.3 by 66 cm.)
Executed in 1960, probably printed in the 1960s.
落札予想価格 $100,000~200,000.-
$384,000 (約5760万円)

Christie’s NY, “An Eye Towards the Real: Photographs from the Collection of Ambassador Trevor Traina”

4.Andreas Gursky, “Dortmund, 2009”
Christie’s NY, lot77
chromogenic print
image: 113 ½ x 80 in. (288.2 x 203.2 cm.)、edition 2/4
落札予想価格 $300,000~500,000 .-
$352,800 (約5292万円)

Phillips NY, “Photographs”

5.Alfred Stieglitz, “From the Back Window–291–Snow Covered Tree, Back-Yard, 1915”
Phillips NY, lot282
Platinum print
9 5/8 x 7 5/8 in. (24.4 x 19.4 cm)
落札予想価格 $250,000~350,000.-
$304,800 (約4572万円)

米国の中央銀行に当たるFRBは9月に0.5%の利下げを決断した。一方、先行きに関しては経済活動は案外腰が強く、大幅利下げの予想が少なくなっている。今後の利下げ幅の判断に関しては経済指標次第という曖昧さが残る状況だ。また来年には新大統領が就任することから、米国政治・経済を巡る先行きの不透明感は強い。そのような外部環境では、高額価格帯市場では今回のアンセル・アダムス・セールのように資産価値が確かな作品に人気が集中し、若手新人のコレクションは様子見するような状況がしばらくは続きそうだ。一方で、中低価格帯市場で価値ある作品を狙っている買い手には有利な状況だともいえるだろう。外部環境の不透明さが解消されてくると市場が活性化するのではないだろうか。しかし日本のコレクターは、いまだに続いている円安により、積極的購入には動き難くい状況だと思われる。

(1ドル/150 円で換算)

「DUFFY… FASHION / PORTRAITS」開催!
ダフィーによる60~70年代の珠玉のファッション/ポートレイト

ブリッツ・ギャラリーは、主に60 ~ 70年代にかけて、ファッション雑誌、広告、ボートレイトの分野で活躍した英国人写真家ダフィー(Brian Duffy 1933-2010)の写真展「DUFFY… FASHION / PORTRAITS」(ダフィー…ファション/ポートレイト展)を2024年10月から開催する。本展ではダフィーのキャリアの軌跡を本格的に紹介。彼の作品をパート1ではファッション写真中心に、パート2ではポートレイト写真を中心に展示する。彼は、デビット・ベイリー、テレス・ドノヴァンとともに60年代スウィンギング・ロンドンの偉大なイメージ・メーカーだった。また彼ら自身も、被写体の有名俳優、ミュージシャン、モデルと同様のスター・フォトグラファーだった。3人の写真家はそれまで主流だった、ライティングで厳密にコントロールされた写真スタジオでのポートレイト撮影を拒否。ファッション写真にドキュメンタリー的な要素を取り込んで、業界の基準を大きく変えた革新者だった。彼らこそは、いまでは当たり前のストリートでのファッション・フォトの先駆者たちだったのだ。

ダフィーのキャリアは、ザ・サンデータイムズの仕事から始まる。その後1957~1963年まではブリティシュ・ヴォーグ誌で仕事を行い、ジーン・シュリンプトンなどのトップ・モデルを撮影。60年代はフランスのエル誌など英国以外の雑誌、新聞で活躍する。70年代以降は、ベンソン&ヘッジス、スミノフの広告キャンペーン、2度に渡るピレリー・カレンダー(1967年、1973年)の仕事で知られている。本展パート1では、これらのファッション写真を中心に約28点を展示する。特に、時代の憧れであったスポーツカーとファッションの斬新な融合が見どころだ。ジャガーEタイプ、アストン・マーチン、メルセデス・ベンツ、ミニ・クーパー、アルファスッドなどが積極的に作品に取り上げられている

またダフィーは時代を代表する、シドニー・ポワティエ、マイケル・ケイン、トム・コートニー、サミー・デイヴィス・ジュニア、ニーナ・シモン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、チャールストン・ヘストン、ウィリアム・バロウズ、アーノルド・シュワルツェネッガー、ブリジッド・バルドーなどのセレブリティーを撮影している。特にミュージシャンのデヴィッド・ボウイ(1947.1.8 – 2016.1.10)と深い交流があり、70年代には“ジギー・スターダスト Ziggy Stardust”(1972年)、“アラジン・セイン Aladdin Sane”(1973年)、“シン・ホワイト・デューク The Thin White Duke”(1975年)、“ロジャー Lodger”(1979年)、“スケアリー・モンスターズ Scary Monsters”(1980年)の5回の撮影セッションを行っている。特にアラジン・セインのアルバムジャケットに使用された写真は極めて有名で、「ポップ・カルチャーにおけるモナリザ」とも呼ばれている。これらの珠玉のポートレートはパート2で約25点が展示される。ボウイの特集コーナーも設置する予定だ。

ダフィーは、撮影に多くの自由裁量が与えられたファッションやポートレイト写真の延長線上にアート表現の可能性があると信じていた。しかし彼の活躍した時代のファイン・アート写真界では、モノクロの抽象美やプリントのクオリティーを愛でるものが主流だった。作り物のイメージであるファッション写真にアート性はないと考える人も多かった。ファッション写真家が繊細な感性から紡ぎだす、時代の気分や雰囲気はアート表現だとは認識されていなかったのだ。彼は、「In my time there was no such things Art photography(私の時代にはアート・フォトグラフィーのようなものは存在していなかった)」と語っている。アート志向が強いダウィーは写真表現の未来に絶望する。そして1979年には写真撮影の仕事をやめてしまい、スタジオ裏庭で多くのネガを燃やしてしまう。ファッションやポートレートがファイン・アートとして業界や市場で認識されるのは1990年代になってから。いまでは最も注目されるコレクション分野に成長している。

しかしこれには後日談がある。2006年から息子のクリスがダフィーの資料精査を開始するのだ。幸運にも全てのネガが消失していないことが判明し、新たに多くのネガが再発見された。その後2011年に、ダフィー作品は「DUFFY… PHOTOGRAPHER」(ACC Art Books)として写真集化が実現するのだ。その後、60年代ブームの訪れとともに、当時に活躍したベイリー、ドノヴァンに次ぐ第3の男として再注目され、写真展が世界中で数多く開催されるようになる。2013年夏、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された“DAVID BOWIE is”展では、ダフィーのアラジン・セイン・セッションでのボウイが目を開いた未使用カット作品がメイン・ヴィジュアルに採用され大きな話題になり、ダフィー人気が再燃するのだ。(同展は2017年東京で巡回開催)。

ブリッツでは、2014年の「DUFFY… PHOTOGRAPHER」(ダフィー・フォトグラファー展)、2017年の「Duffy/Bowie-Five Sessions」(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ展)以来の開催となる。本展で展示されるのは、作家の意思を受け継いだ息子クリス・ダフィーが運営するダフィー・アーカイブが監修/制作したエステート・プリント作品。また日本のコレクター向けに、今回のブリッツでの写真展限定プリントもリーズナブルな価格で特別販売される。サイズ約31 X 21cm/27 X 27cm、プリントにアーカイブのエンボス/サイン入り作品証明書付きとなる。コレクター初心者には最適の写真作品だろう。60年代~70年代の気分や雰囲気が楽しめる、ダフィーによる珠玉のファッション/ポートレート作品をぜひご高覧ください。

DUFFY…FASHION/PORTRAITS ダフィー…ファッション/ポートレイト展
Part 1 FASHION : 2024年10月16日 (水)~12月22日 (日)
Part 2 PORTRAITS : 2025年1月15日 (水)~3月22日 (土)
1:00PM~6:00PM/休廊 月・火・/入場無料


ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064  東京都目黒区下目黒6-20-29  TEL 03-3714-0552
JR目黒駅からバス、目黒消防署下車徒歩3分 / 東急東横線学芸大学下車徒歩15分

公式サイト

細江英公さんを偲ぶ
Eikoh Hosoe, 1933 – 2024

ソウル・フォト2013年

写真家の細江英公さんが、2024年9月16日(月)、91歳で永眠されました。私は生前の細江さんに何回か会って話をしたことがあります。
最初は、たしかファインアート写真市場についての業界団体の講演会にともに参加した時でした。君の話は講義だな、と言われた記憶があります。たぶんまだ若かった私の話の内容が小難しかったのだと思います。その時の、自身の体験がもとに話された写真プリントに関するトークは経験の浅いギャラリストには非常に参考になりました。
細江さんが海外で展覧会を開催した時に、先方が写真を買い上げてくれたことになったそうです。帰国後に、プリントして万年筆でサインをして現地に送ったところ、インクは色が抜けたり変色するので鉛筆でサインするようにと返却されてきたというエピソードはいまでもよく覚えています。私の記憶は定かではないのですが、たぶんそれは1969年に米国スミソニアン博物館で開催された海外初個展の「Man and Woman」の時のことではないかと思います。

おとこと女 : 細江英公 写真集、カメラアート社、昭和36年刊

そして写真撮影から数年以内にプリントされたヴィンテージ・プリントの価値とそれらの保存の必要性についても語られたと記憶しています。
20世紀写真の場合、写真撮影時の感覚が一番的確に写真に反映されているのが撮影時に近いときにプリントされたものという考え方です。時間経過に従い、当初の感動してシャッターを押した感覚が薄れてしまうという解釈です。いまでは、撮影時のプリント制作データはきちんと記録されています。これは写真がファインアートとしての認識が薄かった時代の価値観でした。特に日本ではネガがあればいつでもプリントできるという考えが主流で、ネガは大事に収蔵するが、プリント自体は重要視にされていなかったのです。引っ越しの際には紙の印画紙は大きな荷物になるので処分することも多かったそうです。細江さんは海外との交流から、その価値に気付き、ガレージを写真プリントの収蔵庫に改装して保存したと語っていました。実際のところ日本の写真界の重鎮といわれる木村伊兵衛などの写真家でもヴィンテージ・プリントはほとんど残っていないと聞いています。

たぶん細江さんこそが海外での経験から日本の写真家で初めて写真プリントがアート作品になりうると気付き、公共機関でのコレクションの必要性を意識した人だと思います。それがのちの 東京工芸大学のコレクション、清里フォトアートミュージアムの設立、またワークショップの開催につながったのでしょう。

清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)

細江さんの功績のひとつは1995年に清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)設立に尽力されたことです。ブリッツ・ギャラリーは、2013年の韓国ソウルで開催されたフォトフェアのソウル・フォトに出品しましたが、細江さんもKMoPAのフェアでの展示に合わせて参加されていました。細江さんは美術館の「ヤング・ポートフォリオ」プログラムを通して、世界の多くの若い才能を発掘し育成することに力を置いてきました。韓国からの参加者募集のためにソウルに来たとのことでした。私どものブースにも気さくに来てくれ声をかけてくれましたので、その時の写真を紹介しておきます(最初の写真)。その際、細江仕様にカスタマイズされたリコーGRカメラにみんなの目が釘付けでした。ネーム・タグには、Hosoe Toshihiro(ほそえ としひろ)と本名が書かれていました。

細江さんとお会いできて、お話をきくことができ本当に光栄でした。彼こそは日本に写真がファインアートとしてコレクションになりうることを紹介し、写真市場の発展に尽力した最初の写真家でした。細江さんの写真家の多方面にわたる業績はこれからも語り継がれることになるでしょう。ご冥福を心からお祈り致します。

清里フォトアートミュージアム(K・MoPA)
略歴などが紹介されています。

アート&トラベル
岡田紅陽「湖畔の春」撮影地
本栖湖/中ノ倉峠展望デッキ

風景写真が趣味の人は、機会があれば名作が生まれた撮影場所を訪れてみたいと思うものです。
北海道にはイギリス人写真家マイケル・ケンナが撮影した写真愛好家の聖地が点在しています。洞爺湖のおすすめフォトスポットでもある「ケンナの桟橋」、またいまは伐採されてしまった屈斜路湖畔のミズナラの木は「ケンナの木」と呼ばれていました。

岡田紅陽「湖畔の春」、1935年

今回の「アート&トラベル」は、東京からも日帰りが可能な、岡田紅陽(1895~1972年)が撮影した富士山撮影の聖地を紹介します。財布に入っている2004年に発行された1000円札の裏面には、桜越しの富士山と湖に映る「逆さ富士」の絵柄が描かれています。またいまは見られなくなった1984年の旧5千円札にも湖畔の松の木越しの富士山が描かれています。
これらお札に描かれたデザイン図のもとになっているのが、山梨県の富士五湖の一つ本栖湖(もとすこ)で岡田紅陽が1935年に撮影した「湖畔の春」なのです。お札の富士山は写真をベースに桜や松を加えたりしてデザインされているのです。

撮影地は本栖湖の北西湖岸の身延町にあり、実際のポイントは青湖峠の頂上のにある岩の上で撮影されたとのことです。さすがに一般の人が行くには危険が伴うので、近くの中ノ倉峠(標高1082m)に2016年11月に展望デッキが整備設置されています。いまでは湖畔の駐車場から山道を約30分登ると到達できます。

ここが湖畔の駐車場横にある登山道入り口。看板の裏側を登っていきます。

ここへはJR「下部温泉駅」からバス、タクシーでのアクセスも可能ですが、クルマが便利だと思います。東京方面からは中央自動車道河口湖IC経由で国道300号を西に進んで、中ノ倉トンネル手前を県道709号へ左折します。所要時間はICから約35分程度です。本栖湖畔の浩庵セントラルロッジ、公衆トイレが登山道入り口に近いので、ここを目指すとよいでしょう。 周りに駐車場がありますが、スペース数は多くなく、休日にはすぐに満車になりそうです。
ちなみに浩庵キャンプ場や公衆トイレ前のベンチは、アニメ『ゆるキャン△』第一話に登場した聖地とのことです。

この中ノ倉峠展望デッキとそこに至る山道については現地のパンフレットやガイド本を調べてもあまり詳しい情報がありませんでした。入り口で山から降りてくる女性を含む若者グループに出会いました。どのくらいかかりますかと聞いてみたところ、約20分くらいで行けますよと平然と言っていたので、初心者向けのハイキング・コースのようなイメージを持って出発しました。

このような急斜面のワイルドな登山道が続きます!

しかし、登り始めるとそのような甘い気持ちはすぐに吹っ飛びました。道は最低限の整備しか行われてなく、かなり急こう配が多く、またゴツゴツとした岩場や足場の不安定な場所をぬう細い道でつづら折りで登りが続くという状況で、完全に登山でした。急な山の斜面を登るので、靴が滑ったり、体のバランスを崩すと転げ落ちそうなスリルがあります。しかし、一本道なので道に迷う心配はないでしょう。
当日はローカットのソールが柔らかいスニーカー着用でしたが、登山靴・トレッキングシューズの方が登りやすいでしょう。また、ペットボトルを持って行かなかったのも失敗でした。ハードな運動で汗をかきまくるので、水分補給は絶対に必要です。私の当日の服装は半袖のカジュアルウェアでしたが、道中には大きな岩や倒木もあるので危険です。長袖、長ズボンの方が賢明、短パン、サンダルは絶対にやめた方が良いでしょう。

約30分のかなりハードな登山ののち、展望デッキに到着です。
厳しい肉体運動で日常の邪念は完全に消え去り、真っ新な心で富士山や本栖湖と対面できます。デッキは木製の階段状の作りになっており、座って景色を堪能できます。
ここから見られる、濃い緑の山肌、ブルーの本栖湖、そして壮大な富士山の風景はまさに絶景。疲れも吹っ飛んでしまいました。かなり寒いと思いますが、富士山の山頂に雪が残っている季節に来てみたいと、すぐに邪念がわいてきました。平日だったこともあり、展望台には外国人カップル一組がいただけ、登山、下山の途中に誰とも会いませんでした。

湖畔の駐車場の周りでも、十分に美しい富士山と湖の風景は満喫できます。しかし、峠の高い位置にある展望デッキから風景は全く違って感じられました。ちなみに、スマホの運動データを確認したところ、当日の歩数は5500歩くらいでしたが高低差はなんと38階と出ていました。

本栖湖畔の看板を改めて確認すると、「中ノ倉峠登山道」展望地まで680m(約30分)と記載されていました。これは楽なハイキング30分ではなく、ハードな登山30分だったのです。

実際に撮影地に赴くと名作が生まれた背景に思いを馳せることができます。当時40歳くらいだった岡田江陽は、まだ山道が整備されていなかった戦前に、それも雪が残る寒い時期に大型カメラを背負って、常宿にしていた民宿の浩庵と峠を何度も往復したのだと思います。ちなみに逆さ富士は年間を通して春に1~2回くらいしか見られない稀な現象とのことです。
富士山の名作を撮影するための写真家の並々ならぬ執念が感じられます。撮影と登山は一体で、それ自体が一種の修行のような行為であり、作品コンセプトの一部だったのです。

身延山ロープウェイ、奥に富士山の頂が見えます。

本栖湖がある山梨県身延町には東京から日帰りは可能です。もし時間的余裕があれば日本の名湯百選にも選出された下部温泉郷に一泊して、歴史と文化が息づく日蓮宗総本山身延山久遠寺も訪れたいです。

身延山久遠寺と身延山山頂・奥之院思親閣を結ぶ関東一の高低差763mを誇る身延山ロープウェイもお薦めです。全長1,665m、片道所要時間約7分で、富士山や南アルプス、八ヶ岳連峰や駿河湾までの絶景の大パノラマを満喫できます。

岡田紅陽(おかだ・こうよう)OKADA,Koyo
1895(明治28)年~1972(昭和47)年
1895年、新潟県十日町市中条生まれ。1918年、早稲田大学法律科を卒業。早稲田大学在学中からライフワークとして約60年以上に渡り富士を撮り続けた富士山写真の第一人者。富士山に関わる多数の写真集があります。最初は富士の秀麗な姿、美しいフォルムを追求していましたが、50歳を超えたくらいから撮影スタンスが変化。次第に自分の精神状態や心が反映した富士を撮影するようになります。1935年に本栖湖で撮影された作品「湖畔の春」は旧五千円札、千円札の図版デザインのベースになっています。

(参考記事)
新旧お札・逆さ富士の不思議
日本富士山協会のウェブサイト

定型ファインアート写真の可能性
Zen Space Photographyの提案 第6回
「決定的瞬間」を定型ファインアート写真から考える

定型ファインアート写真は様々に定義する可能性があると考えている。たとえば、カルチェ=ブレッソンの写真撮影スタイルの「決定的瞬間」。それはストリートでのスナップ写真において、構図の中で絶妙なバランスと調和がとれた一瞬をカメラで切り取り残す行為。その行為追求が撮影の目的であると解釈される場合が多いが、撮影者が無心の状態で世界と対峙して、ストリートシーンの中に絶妙な「決定的瞬間」を発見した時にフレーミングしてシャッターを押した場合もあるだろう。そのような調和を切り取った写真は定型ファインアート写真の「Zen Space Photography」と同様な意味合いを持つと考える。

Henri Cartier-Bresson: The Decisive Moment

定型ファインアート写真「Zen Space Photography」の基本を今一度確認しておこう。
そこで提案しているのは、決まり事として撮影者が思考(思い込み)にとらわれていない精神状態、つまり無心で自然や世界と対峙することが前提となる。ワークショップでは、頭ではなく心で世界と接するというように説明している。
そして調和して美しく整っている瞬間の訪れを発見した時に撮影した写真。
そのようなシーンは頻繁には出現しない。次々と自然と湧いてくる思考にとらわれないように、心を無の状態にして行動している時にふと現れるのだ。普段の忙しい日常生活から離れた旅行の際はそのような精神状態を維持しやすい。だから、普段に持ち歩くスマホやコンパクトデジカメが撮影に向いている。

自然と湧いてくる思考を消し去り無の精神状態になることで、私たちは日常の思い込みから解放される。社会生活を送っていると悩み事は多いのでこれは容易ではない。しかし写真撮影がそのきっかけになるかもしれない。
その行為の実践自体が「Zen Space Photography」の作品コンセプトになる。「決定的瞬間」に戻ると、それゆえに最初から頭でそのようなシーンを撮ることを目的としたもの、また人や背景の動きを予想して意図的に撮影されたものとは意味合いが違うと考える。自然風景の中に、モノクロームの抽象美、グラフィカル、デザイン・コンシャス、色彩、詩的な印象の美を意識的に発見しようとする、いわゆるインテリア用写真制作と同様の行為となる。それは人の思考により生み出された別の種類の写真となる。
写真史的にも、カルチェ=ブレッソンが無心で切り取った、すぐれた「決定的瞬間」の作品は、完璧な構図や抽象性、プリントの質を追求した伝統工芸の職人技とは一線を画している。それらは定型ファインアート写真の意味合いを持った作品であると再解釈可能なのではないか。20世紀写真市場での彼の代表作の高い評価はこのような背景があると理解している。「決定的瞬間」をとらえた写真には、撮影者の姿勢の違いにより、この2種類が混在しているのだ。

さらに私は「決定的瞬間」は、人間が最も気づきにくい思い込みを意識化するきっかけを作ってくれるかもしれないと期待している。それは私たちが普段接している世界のデフォルト状態は混沌であり、 「決定的瞬間」はその中から全く偶然に生まれた秩序だという気づきだ。心理学によると、人間の脳はパターン認識を得意として、混沌を嫌い予測可能な状況を好む傾向があるという。私たちは太古の時代から、環境の変化を予想できた方が生き残りの確率が高かった。それゆえに現代の社会や文化は共同体安定のために規則や秩序を強調されるようになっている。私たちは無意識のうちのその強い影響を受け、世界に横たわる混沌を無意識化する傾向がある。それが人間の作り出した文明の本質なのだ。

人間は社会に出ると自分の力で生活していかなければならない。多くの人はビジネスの世界で生きるうちに、世の中は原因と結果といった線形の単純な関係性で回っていると信じるようになる。つまり人は社会が作り上げた秩序を受け入れて、それが客観的に存在していると妄信するわけだ。確かにその方が安心して暮らせるだろう。
しかし、実際の世界は不思議だらけであり、カオスとランダムネスが支配している、自分の信じる秩序通りにまわることなどない。社会人なら、人生や社会は予想不可能なことだらけである事実を十分に経験しているはず。しかし私たちは、本能的にそれを無意識化しているのだ。私はこれこそが社会で長く生きている人間が最も気づきにくい思い込みなのだと考えている。

村上春樹の「風の歌を聴け」など初期作品の魅力は、社会に出る前の若いときには当たり前だった不思議だらけで混沌としているシュールな世界の情景を表現しているからだと個人的に思っている。実は秩序だった世界の方がシュールなのだ。大人になり社会のシステムに組み込まれても、若いときの感覚は潜在意識に残っている。そのような文章は読者の心に刺さるのだ。

「Zen Space Photography」は、写真撮影を通して無の精神状態になることを目指す。そして「決定的瞬間」を意識することで、世の中の通常状態が決して秩序ではなく混沌なのだと気付かせてくれる。これらがきっかけで、自分の思い込みに気付き、世の中を違う視点から認識できるようになれば全く異なる世界観が描けるようになる。間違いなく、私たちの生き方に影響を与えると思われる。世の中は混沌と偶然性が支配する。その中で、生き難いのは誰にとっても当たり前なのだ。それに気付けば開き直ることができ、少しは楽な気持になるのではないか。

いままでの定型ファインアート写真は説明がやや抽象的だったといえるだろう。しかし、「決定的瞬間」をキーワードに加えると、世界を別の視点からとらえることができて理解しやすくなるのでないか。
いま存在している宇宙や自然界、また都市のストリートのどこかで、誰も気付かない、見たことがないような、心が揺さぶられるシーンが人知れず全く偶然に生まれては消えているという認識。混沌の中のそのような調和して美しく整っている瞬間の訪れを発見して写真で表現する風景写真/ストリート写真のひとつ。キーワードの「禅/Zen」は、写真を撮ること自体が瞑想や座禅のように、「今という瞬間に生きる」禅の奥義につながる。それとともに、「決定的瞬間」と同じような意味合いになる。

今回も小難しい内容になってしまった。しかし読んでくれた人が、当たり前だと思い、疑うことすらしない考えに、少しばかり「?」を持ってほしいと期待したい。全く別に存在すると考えがちの「混沌」と「決定的瞬間」が実は共存していると意識するきっかけになればうれしく思う。自由なアーティスト的な生き方を求めている人は、必ず反応してくれると考えている。

写真展レビュー
TOPコレクション 見ることの重奏
@東京都写真美術館

ファインアート写真コレクターには嬉しい、珠玉の19~20世紀写真が一堂に鑑賞できる写真展だ。

東京都写真美術館は、1990年6月に第1次オープンしている。当時の新聞報道によると、都は開館前に約10億円かけ、国内外の写真コレクターや業者から主に写真の歴史的を語るときに欠かせない約6000点を買い集めた。本格開館までの3年間でさらに約20億円の収集費があったという。(朝日新聞90年5月30日夕刊) 今ではにわかに信じられないが、この潤沢な予算は好景気で余裕があった都の財政によるところが大きいと思われる。当時は「有名作品買いあさり?!」などの批判もあったようだが、開館に際してのコレクション構築は素晴らしい判断だったといえるだろう。80年代のオークションやギャラリー市場では、まだ写真自体が独立したカテゴリーとして存在していた。いまのように、ファンアートの一分野としての写真表現ではなく、どちらかというと写真プリントのコレクタブル系のように考えられていた。したがって、写真史上の重要作品でさえ、いまでは考えられないほど価格は安かった。東京都は本当に税金を極めて有効に使って基礎となるコレクションを構築したのだ。

本展で展示されている、アンナ・アトキンス、ウジェーヌ・アジェ、ベレニス・アボット、モーリス・タバール、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、ウィリアム・クライン、マイナー・ホワイトなどは、想像するに初期のコレクションだと思われる。多くが、写真史の教科書に掲載されている写真家たちの代表作となる。実はこれだけの数の逸品の写真がグループ展でまとめて展示される機会はあまりない。ウジェーヌ・アジェ作品では、鶏卵紙プリントと、アボットがプリントしたゼラチン・シルバー・プリント写真が同時展示。ブレ、ボケ、荒れ、大胆なトリミングの元祖ウィリアム・クライン作品は、人気の高い50年代のニューヨークで撮影された12点がセレクション。マン・レイ作品では、代表作の「黒と白、1926」、「アングルのヴァイオリン、1924」を鑑賞できる。

1987年2月号の雑誌ブルータスに高橋周平氏による「写真経済学」という特集が組まれている。当時のニューヨークのオリジナル・プリント(当時はそう呼ばれていた)の相場が紹介されている。それによると、アンドレ・ケルテスの相場は1300~2800ドル、本展で展示されている「水面下の泳ぐ人、1917」が1500ドルと書かれている。マン・レイは5000~1万数千ドル、ウジェーヌ・アジェのアボットのプリントは400~800ドルと信じがたい販売価格だったのだ。ちなみに1987年のドル円の為替レートの平均値は144円67銭だった。

日本人では、奈良原一高、杉浦邦恵、寺田真由美、山崎博が展示されている。奈良原一高は、フイラデルフィア美術館収蔵のマルセル・デュシャンの「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも、(通称)、大ガラス」を1973年に撮影した作品を展示。奈良原は当時ニューヨーク在住。美術評論家、詩人、画家の瀧口修造による撮影依頼とのこと。この「大ガラス」の1980年制作の東京ヴァージョン・レプリカは東京大学駒場博物館に収蔵されている。2018年に東京国立博物館平成館で開催された「マルセル・デュシャンと日本美術」展に貸し出され展示されていたので覚えている人も多いと思う。今回のコレクション展のフライヤー、図録のカヴァーに使用されているメイン・ビジュアルは、この奈良原の「デュシャン/大ガラス」となる。作品の一部をクローズアップ気味に切り取った、抽象的でモダンなカラー写真なので、現代アート的作品が多く展示されているグループ展だとの印象を持つかもしれない。しかし、展示作の中心はクラシック写真の展示なので勘違いしないでほしい。

中国からはチェン・ウェイ作品が展示されている。令和5年度の新規収蔵作品とのことだ。彼のプロフィールには、メインの展示になっている「In the Waves」シリーズは、ダンスクラブで音楽に陶酔する若者を写しだし、彼が作り出すシーンにおいて、今日の中国における社会問題を表現している、と記載されている。
社会問題とは非常に幅広い意味を持つ。それは何なのかに疑問に感じたので、会場にいた本人に通訳を通して質問してみた。
私たちは、クラブは一般の若い世代が集う西洋的な息抜きやストレス発散の場だと感じる。しかし、彼によると中国のクラブ文化は80年代に独自に発展したとのこと。西洋のクラブ文化が中国に輸入されたのではないそうだ。したがって作品制作には西洋文化/民主主義と中国文化/共産主義とは関係性の提示はないそうだ。そして中国でそこに集うのは、一般人ではなくインテリ層だったとのこと。たぶん当時のクラブの若い人たちは中間層以上の社会的に恵まれた人々であり、彼らが日常生活のストレス発散目的で踊りに陶酔したのだろう。会場で展示されている2点の大判写真「In the Waves」のクラブシーンは2013年制作だ。
私は同じ政治思想を持つ国家のキューバを思い出した。米国人写真家マイケル・ドウェックは「Habana Libre(ハバナ・リブレ)」(2011年)で、西洋社会では知られていないキューバのクリエイティブ・クラスという階級の存在を私たちにドキュメントを通して知らせてくれた。キューバの多くの住民はいまでも経済的には非常に貧乏だ。しかしキューバ政府が文化振興に力を入れた結果、アーティスト、作家、俳優、モデル、ミュージシャンたちの一種の特権階級が生まれているとのこと。彼らは裕福ではないが、ファッショナブルな生活を楽しんでおり、そこにも彼らがダンスを楽しんでいるナイトクラブのシーンが撮影されていた。

しかし、チェン・ウェイの話によると、どうも中国の状況はキューバとは全く違うようだ。キューバのような新たな階級の存在の提示を意図してはいないようだ。彼は、その時にクラブで踊っている人たちが、我を忘れて真に心の底から楽しんでいるとは決して感じられなかった、その発見が作品を作るきっかけになったという。
今の中国社会では、若者の失業率の高さや格差拡大など様々な問題があるとマスコミで指摘されている。いまから10年前のまだ経済が絶好調だった中国でも、すでにインテリ層は社会の軋みを感じていたのだろう。つまり、当然のこととしてクラブやディスコは当局が承認しているストレス発散の娯楽なのだと思う。本来なら社会システムの抑圧から一瞬でも自由になるために若者はクラブに集うのだ。しかし息抜きの娯楽さえも社会システムに組み込まれていて、インテリの若者たちは狭い空間に押し込められて、お上からストレス発散という価値を与えられているのだ。個人的に自由がない隠れた独裁や横暴な官僚主義が存在するディストピア的な社会を暗示していると感じた。これは戦後の昭和日本の、経済的安定を対価に会社に人生をささげたサラリーマンと同じだと感じた。レジャーに出かけても死んだ魚のような眼をした、不自由な人生を生きるサラリーマンの絶望感/閉塞感と重なる印象を持った。
チェン・ウェイ作品は中国の80年代以降に生まれた「80後」世代の若者たちの、とめどもない閉塞感や精神的な抑圧感が反映されているのだ。たぶん現在の若者の絶望感はインテリから幅広い層に広がり、さらに深くなっているのではないか。
またこのクラブシーンはドキュメントではなく、完全に演出されたいわゆるステージド作品とのこと。これは、作品の含むメッセージが社会的な重い要素を含むがゆえに、あえてアーティスト自身が完全にコントロールできる環境で、美しいビジュアル制作を意図したのではないか。人物の配置やポーズは巧みに秩序だっている、とても美しいライトが織りなす色彩の幻想的なビジュアルとして制作されている。チェン・ウェイ作品は、作品の美しい表層と深淵な社会的メッセージを併せ持っていた。本展の現代アーティスト作品の中で一番見応えがあった。

本展はファインアート写真のコレクションに興味ある人、写真撮影が趣味の人には今年の夏休み必見の写真展だ。
地下1階の展示室では、絵本作家/メディア・アーティストの岩井俊雄の展覧会「いわいとしお X 東京都写真美術家 光と動きの100かいだてのいえー19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ」も開催中。こちらは子供や学生を意識した展示内容になっているので、家族で一緒に訪れても皆が十分に楽しめるだろう。

東京都写真美術館 公式サイト