フォトブックで写真センスを磨く
いまコレクションする理由とは

ブリッツでは様々なカテゴリーのフォトブックを紹介する「フォトブックコレクション2026」を開催している。しかし若い世代の人たちの来廊があまり多くない印象なのが気になる。どうも彼らのフォトブックに対する関心が下火になっているようだ。確かにいま新刊洋書フォトブックの販売価格が150ドルを超えるものも散見される。最近の円安と送料高騰の影響もあり、アマゾンでも2万~3万円する場合も珍しくない。絶版のフォトブックも相場はだいたい外貨建てなので、新刊同様に上昇している。特に送料は物価高と戦争の影響で高額になっており、欧米の専門店から航空便で取り寄せると送料だけでフォトブック本体よりも高い場合もあるくらいだ。
いま特にフォトブックを買わなくても、写真関連の情報はネット上に溢れている。またフォトブックはサイズが大きく重いのでのでコレクション数が増えてくると収納場所の確保が問題になる。スペース・パフォーマンスも極めて悪いのだ。財布にあまり余裕がない一般の写真好きレベルの消費者にはフォトブック購入は決してコストパフォーマンスが良くないのだ。

いまやフォトブックは、ファインアート写真での自己表現の可能性を考えている人、キュレーターやギャラリストを目指す人達向けの専門書になりつつあるようだ。写真表現の高みを目指す人たちには、フォトブックは最適の教科書になる。私が教えている大学院生向けのファインアート写真概論では、アーティスト志望の人にはまず最初に温故知新の重要性を強調する。それは過去の先人たちの作品を見て、考えて、内容を理解する行為になる。主に展覧会を見たりフォトブックから学ぶことになる。アマチュア写真家で満足している限り、自分の主観で撮影して楽しめばよいので先人から学ぶ必要はない。しかしアーティストやアートの目利きを目指すのならフォトブックとの意識的な対峙は、最優先で取り組むべき出発点/土台となる。これは単純な算数で説明できるのだが、あまり多くの人に理解されてないので念のために説明しておく。つまりアート/写真史の文脈で、オリジナルだと評価される創作は自分の内部の自我から生まれるのではない。それは過去の先人たちの仕事から新しいかけ合わせの発見や、突然変異を発生させて生成される。できるだけ多くの種類の創作を見て、自らが豊富なビジュアルやテーマ/コンセプトのデータベースに持っている方が数学的にかけ合わせのバリエーションが豊富で、新しい何かが生まれる可能性が高いのだ。見ている作品数が少なければ、単純に社会/文化的な刷り込みや認知バイアスが反映された限定的な創作にしかならないのだ。人間のこのような特性はよく心理学の認知バイアスであるダニング・クルーガー効果で説明されている。人はあるテーマについて知らなければ知らないほど、知識の総体も小さいと思い込む傾向があるということだ。

しかし、実際のところフォトブックは新刊/古書などを含めると膨大な数が世の中に存在し流通している。ファインアート分野での専門家を目指す人にとっても、どの本から始めたらよいかの選択は悩ましいと思う。この最初の段階はどうしても無駄が生じ、時間もかかる。まずは購入するフォトブックの絞り込みを行う。そのために出版社や専門販売サイトなどから定期的に送られてくるニュースメール、メールマガジンなどを参考にして情報収集すればよいだろう。それらには展覧会カタログも含まれるので美術館情報もカバーできる。

最初のステップのスクリーニング、つまり自分好みをふるいに変えて選ぶきっけは、やはり写真の表層の好みになるだろう。そして自分好みの写真を撮る人が見つかったら、ぜひもう一歩踏み込んで、作品の紹介文や写真家の発信しているメッセージを読んでみよう。いまは精度の高い翻訳ソフトがあるのですべて日本語で読めるので本当に便利な時代になった。そして、作品から写真家の何らかのメッセージを読み解くことができ、作品の背景にあるストーリーが浮かんでくるかどうか、そして自分がそれに何らかの意味を感じるかどうかを自問自答してみよう。写真家と自分とのコミュニケーションが生まれるかの検証になる。

もし写真スタイルが自分好みで、写真家のメッセージに共感するようなフォトブックとの出会いがあればぜひ本の現物を購入しよう。多少高額のフォトブックであっても自分がその内容に意味を見出せるのなら、決してお金の無駄遣いとは感じないはずだ。知的好奇心が刺激され、どうしても欲しいという気持ちが湧いてくるかが目安になる。入り口が見つかったら、次に過去に出版された同じ人のフォトブックの記録も要確認だ。そしてその写真家が写真史上で誰に影響を受けたか、また誰に影響を与えたかを調べて、それらもチェックするのだ。1冊のフォトブックからいろいろな関連が見えてくると、興味がさらに展開していくだろう。もし関心があまり広がらない場合は、探求をやめて次の1冊との出会いを求めるようにすればよい。
実はこのような一連の行為は写真を通して行う自分探しとも重なるのだ。実際のところ、何を撮ったらよいかわからない人は、流された人生を送っており、自分自身がどのような人間なのか理解/把握していない場合が多い。

BALLET: 104 PHOTOGRAPHS BY ALEXEY BRODOVITCH – 2024 LITTLE STEIDL REISSUE EDITION

私自身は、モノクロでお洒落な戦後のファッション写真が入り口だった。写真家だとリチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、リリアン・バスマンなど。単純にミーハーだったのだ。そして、彼らに影響を与えた伝説のロシア出身のアーティスト、アート・ディレクターのアレクセイ・ブロドビッチの存在が重要だった。彼はハ―パースバザーを手掛けるとともに、Design Laboratoryという写真教室も主宰していた。ちょうど90年代前半にはデザイナーのファビアン・バロンが雑誌ハーパースバザー米国版の刷新を行っており、彼が影響を受けたブロドビッチが再評価された時期だった。実は日本でも雑誌「Dune」(Art Days)のいまは亡きエディター林文浩も彼らの影響を受けていた、余白のあるデザインを熱く語っていたのを懐かしく思い出す。そしてブロドビッチは、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、ロバート・フランク、アンリ・カルチェ=ブレッソン、ダイアン・アーバスなどにも影響を与えていた事実を知り、私のその他写真家への興味が大きく広がっていった。ブロドビッチを起点に20世紀の写真史を俯瞰できたのだ。画像はブロドビッチの1945年のフォトブック「Ballet」。当時の常識に反して、アレ・ブレ・ボケでダンサーの動きを表現した革新的な本。

BALLET: 104 PHOTOGRAPHS BY ALEXEY BRODOVITCH

このように自分が内容に意味を見出せる好みのフォトブックが増え、実際の世界での経験が蓄積されると、自然と写真に対する感性、直感などが養成されてくる。それらは持って生まれたものではなく、スキルアップ可能な能力なのだ。いまよく言われる、AIに勝つために求められる非認知スキル。そのなかの創造性の中の暗黙知のことだ。今までは読み取れなかった、展覧会やフォトブックが内包する複雑なメッセージの意味も、突然にまるで天から降ってきたようにすとんと理解できようになる。自分の写真リテラシー向上の実感は大きな快感だ。そして、これこそが自ら作品制作するときに、テーマやコンセプトに展開する可能性に気付く直観力、つまりひらめき力の養成につながる。ちなみにこのような自分のレベルアップを感じるのには、継続した努力が約10年程度はかかる、ライフワークだと考えて取り組むとようにと、学生向けの講義では解説している。タイパは非常に悪いが、他には優れた創作にたどり着く方法がないのだ。逆に言うと、このような時代だからこそ、結果がすぐに出ない努力を10年以上も継続する人は少ないと思われる。もし継続できればライバルはかなり少ないのではないだろうか。それが地道な努力を継続する人への唯一の慰めになるだろう。

有名ファインアート系写真家のオフィス写真を見ると、だいたい膨大な数のフォトブックが並んだ本棚がスペースを占領している。彼らは単にフォトブックを集めているのではない、それらはイメージとテーマ・コンセプトのヒント/手がかりが詰まった外部記憶装置で、創作の源泉になっているのだ。本棚にフォトブックが増えるに従い写真がうまくなる、という都市伝説は決して的外れではないのだ。アマチュア写真家でも、あまり費用対効果を考えすぎないで、写真センス向上のためだと思ってフォトブックに向き合ってほしい。興味ある人はぜひギャラリーに遊びに来てください!

現代アート系写真作品のいま
リヒター、クルーガー作品が100万ドル越えで落札

2026年春シーズンのニューヨークのモダン/現代アート系オークションは、5月中旬に開催された。今シーズンの最高額は、5月14 日にサザビーズで行われた“Robert Mnuchin: Collector at Heart Evening Auction”に出品された、マーク・ロスコ(Mark Rothko)の“Brown and Blacks in Reds, 1957”。Robert Mnuchin コレクションから出品されたトップロットで、8578万ドル(約132.95億円)で落札されている。

Sotheby’s, “Robert Mnuchin: Collector at Heart Evening Auction”, Mark Rothko, “Brown and Blacks in Reds, 1957”

写真系作品が出品されたオークションの名称は各業者によりことなり、サザビーズは、“Contemporary Day”、クリスティーズは、“20th Century Evening, Marian’s Richters and 21st Century Evening, Post-War and Contemporary Art Day, and Breaking Ground”、フリップスは、“Modern and Contemporary Art Evening and Afternoon Sessions”となる。

Christie’s NY, Gerhard Richter, “Strip, 2012″

今シーズンの写真系最高額落札は、クリスティーズに出品されたゲルハルト・リヒターの有名作“Strip, 2012″だった。これは、210 x 230 cmサイズのデジタル・プリント(digital print on paper between Alu-Dibond and perspex <Diasec>, in two parts)の1点もの作品、予想落札価格80~120万ドルのところ、176.53万ドル(約2.73億円)で落札された。本作が厳密に写真作品に分類されるかは様々な意見があると思うが、彼の手作業による絵画(oil on canvas)などとは区別してここでは写真系とした。ちなみに彼の、ろうそくを描いた代表作の絵画“Kerze (Candle)”は、おなじくクリスティーズ“Marian’s Richters & 21st Century Evening Sale”で、桁違いの3513.5万ドル(約54.4億円)で落札されている。

Christie’s NY, Aleksander Rodchenko, “Maquette for ‘War of the Future’, 1930”

同じくクリスティーズに出品されたロシア構成主義の主要人物アレクサンドル・ロトチェンコの“Maquette for ‘War of the Future’, 1930”が次点だった。50.8 x 34.9 cmサイズのフォトコラージュ(photomontage, collage and gouache on black paper)のマケット作品。ロット資料では、同作を”アーティストがアメリカ近代の象徴を取り込み再解釈。超高層ビルは進歩、資本、技術的成果の象徴でありながら、支配と破壊のより大きな機械の一部として再構築されている。建築、航空、兵器の融合を通じて、ロドチェンコは民間空間と軍事空間の境界を崩壊させ、現代文明の成果が権力と統制のシステムと密接に結びつく未来を示唆している”と解説している。落札予想価格45~65万ドルのところ、152.4万ドル(約2.36億円)で落札された。

Phillips NY, Barbara Kruger, “Untitled (My face is your fortune),1982”

続くのはフリップスでの最高額のバーバラ・クルーガー“Untitled (My face is your fortune),1982”。189.5 x 123.5 cmサイズ、エディション/アーティスト・プルーフが共に1点の銀塩作品(gelatin silver print)。落札予想価格60~80万のところ、103.2万ドル(約1.59億円)で落札された。ちなみに現存するもう1点はシンシナティー美術館(Cincinnati Art Museum, Cincinnati, Ohio)に収蔵されているとのこと。

Christie’s NY, Cindy Sherman, “Untitled Film Still #48、1979”

クリスティーズに出品されたシンディー・シャーマンの初期作も落札予想価格を大きく上回って落札されている。“Untitled Film Still #48、1979”は、サイズ20.3 x 25.4 cm、エディション10の銀塩作品(gelatin silver print)。落札予想価格25~35万ドルのところ、60.96万ドル(約9448万円)で落札された。彼女の初期作品の人気の高さが改めて強く印象付けられた。

今シーズンのモダン/現代アート系オークションに出品された、評価が5万ドル以上の高価格帯の写真関連作品の落札率は100%で、上位の高額落札作品は軒並み落札予想価格の上限越えだった。中東情勢の不安定さやインフレ懸念など、社会・経済状況の先行きに不透明さはあるものの、高額カテゴリーの写真分野の市場は好調が継続しているといえるだろう。

一方で低価格帯の写真作品に対する需要はあまり盛り上がっていない。4月のニューヨークの大手業者によるファインアート写真オークションの後には、米国/欧州で中小業者による低価格帯中心のオークションが開催された。Ragoニューヨーク、Lempertzケルン、Aderパリ、OstLichtウィーンなどの結果をみるに、1万ドル以下の低価格帯の20世紀写真の市場が苦戦している印象だった。

(為替 1ドル/155円換算)

ドウェイン・マイケルズが6月9日にマンハッタンで死去
シークエンスや手書きテキスト作品で知られる写真界の巨匠

20世紀を代表する写真家の一人ドウェイン・マイケルズ(Duane Michals)が、6月9日にニューヨーク市マンハッタンの病院で94歳亡くなった。
私が彼を初めて知ったのはロックバンド・ザ・ポリスの1983年アルバム「シンクロニシティー」のカバーなどの撮影を彼が行なっていることをLPスリーブの写真クレジットで確認した時だった。当時は記号消費財としてのレコードは若い世代のライフスタイルに多大な影響を与えていた。私もLPの写真から写真家を知る機会が多かった。いまでも印象に強く残っているのが、ジャズレーベルECMのLPの一連のジャケット写真。パット・メセニー・グループの1979年の「American Garage」の写真で初めてジョエル・マイロウィッツ(1938-)を知った。彼の写真はビル・コナーズのアルバムにも採用されていた。

さてマイケルズは1932年ペンシルバニアのマッキースポートにチェコスロバキアの移民を祖先とした労働者階級の家族に生まれる。14歳の時ドローイングのコンテストで入賞したことがきっかけで幾多の奨学金を得て、その後デンバー大学で学んでいる。卒業後、軍隊でドイツ滞在を経験し、退役後ニューヨークに出てパーソンズ・デザインスクールでデザインを学びアートディレクターを目指す。ダンス雑誌でアシスタント・アートデレクターを経験後タイム社に転職しキャリアを積み重ねていく。
しかし、彼は1958年頃までに安定した生活に疑問を持つようになる。そして当時外国人に観光が解放されたばかりのロシアに親から借金をして3週間の旅行に出かける。彼はそれまで写真撮影の経験が全くなかったが、この旅行のスナップで写真の魅力に取りつかれる。帰国後、タイム社を辞め、デザイナーから写真家を志すのだ。

彼は写真の経験もコネも全くなかったが、いくつかの幸運に恵まれる。商業カメラマンのダニエル・エンティンと出会い、手ほどきを受けることができ、またかつての仕事仲間も彼のデザイナー時代の仕事を覚えてくれていた。いくつかの幸運が重なり、写真家を目指しはじめて1年が経過した1961年には雑誌“エスクワイヤー”、“マドモアゼル”などの写真の仕事で生計が立てられるようになっている。

この時期に制作されたプライベート作品に“Empty New York”がある。世紀末のパリで19世紀の残り香や誰もいないパリの風景を撮影したフランス人写真家ウジェーヌ・アジェに触発されて撮影された、無人のバーやホテルなど、人影が絶えたニューヨークの作品だ。1964年から開始されたシリーズはその後2年間で70点ほど制作。それらの作品は1966年にはイーストマンハウスでネーサン・ライオンズが企画した60年代を代表する写真展である“Contemporary Photographers Towards A Social Landsacape(現代写真・社会的風景に向かって)”展にブルース・デビットソン、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランド、ダニー・ライアンとともに選出されている。日常生活の中の場面を演劇のように見る姿勢は、後に自身で写真によるドラマ上演を始めるきっかけとなる。

1965年、マイケルズは敬愛していたルネ・マグリットの家を訪れるためブリュッセルを訪れる。話す言語は異なるが彼はマグリットと5日間過ごし、多数の肖像画を制作。それらは後に1981年に「A Visit With Magritte」(Matrix刊)として刊行される。多重露光やその他の技法を用いた肖像写真は二人のアーティストが共有するシュルレアリスム的な視点を伝えている。

彼はキャリアを通じて、あらゆる種類のアーティスト――写真家、画家、俳優、作家、監督のポートレートを撮影し続けた。彼は「散文の肖像画」と呼んだ手法を開発し、自身の一貫したヴィジョンを持ちつつ、被写体のアイデンティティのオーラを明らかにし、彼らの個性や芸術的スタイルの要素を伝えている。

その後偶然のシャッターチャンスを待つのではなく、自分自身で状況をセットアップする写真に興味を持ちスタイルを大きく変化させる。これが彼を有名にしたストーリーを持ったシークエンス写真に展開していく。1966年ころから開始されたこのシリーズは一種の連続の組写真。彼がストーリーを練り上げ、状況を設定し、登場人物を選ぶもので、映画を何枚かの写真で行なうような手法だった。彼は現実を再現しようとするのではなく、内面世界、夢、形而上学的な問いの表現に関心を持っており、写真のシークエンスを演出し、映画のフレーム・バイ・フレーム形式を取り入れた。

19世紀に活躍したマイヤーブリッジが似たような連続写真を制作している。しかし、マイケルズは被写体の動きでなく、ストーリー展開を中心コンセプトに置き、見る側に色々な想念を思い浮かばせるアプローチを採用。この作風は彼オリジナルの作品制作方法だといえる。彼は、インタビューで、“正規の写真教育を受けなかったことが自由な作品制作の発想につながった”、また”この手法は日本の俳句を生み出すコンセプトに近い”とも語っている。一連の作品は1968年にニューヨークのアンダーグラウンド・ギャラリーで公開され、2年後に写真集“Sequences”としてまとめられる。その後、ニューヨーク近代美術館で個展が開催されアート界で次第に注目されるようになる。

1974年からはプリントされた写真に直接自筆の詩をキャプションとして書き加えることを始め、再び写真のタブーを打ち破る。彼の手書きテキストは説明的な役割を果たすのではなく、写真の意味にもう一つの次元を加え二重の物語性を持たせる。当時は写真プリントや写真が真実を表現する手段だという概念がまだ残っていたので、彼の従来の規範を完全に破壊するアプローチは極めて急進的だった。その後も、彼はキャリアを通じて写真の限界を押し広げ続け、絵画、コラージュ、彫刻、映画を自身の制作に取り入れている。

彼は商業写真の分野でも長年にわたって活躍。ヴォーグ米国版の為に映画「華麗なるギャッピー」の撮影、ライフ誌を含む各種雑誌の表紙撮影、前記のロックバンド・ポリスのアルバム『シンクロニシティー』のカバー撮影、広告ではエリザベス・アーデン、レブロンなどの仕事を手掛けている。

過去50年間にわたり、これまでに40冊以上のフォトブックを出版し、作品はニューヨーク近代美術館での初個展(1970年)以来、世界各地の美術館/ギャラリーで広く展示されている。日本では1990年5月にパルコギャラリー(渋谷)で個展「DUANE MICHALS STORIES」、1999年2月に「ドゥエイン・マイケルズ写真展」小田急美術館(新宿)で開催されている。

彼は自らの性的指向を、ロバート・メイプルソープ のように性的表象を前面化していない。また、ナン・ゴールディンのようにコミュニティの生態をドキュメントしたわけでもない。しかし、それは人生は幻想のように実体がなく演劇のようなものであるという達観につながり、作品に反映されていると考える。したがって、死、時間、スピリチュアリティ、アイデンティティなどを作品テーマに扱っているものの、それらを重くとらえるのではなく、一種の軽みが感じられる点が特徴といえる。またこのような人生観をもっていたからこそ、時にアーティストが思い悩む、商業写真とアーティスト活動の葛藤を少ないストレスで、バランスよくこなしていた。個人的な見解だがその姿勢により94歳まで長生きできたのだと思う。彼の作品は自らの人生哲学の提示とその実践自体が大きな作品テーマでコンセプトだったのではないだろうか。見る側は、まず彼の独自の構造を持った写真作品の前で立ち止まり、さらに興味ある人はその背景にある彼の人生観に触れることで作品に意味を見出し、自らを思い込みから客観視することができるのだ。

Sotheby’s NY, 2015, Duane Michals, “PORTRAIT OF ANDY WARHOL”

現在のセカンダリー・マーケットでの作品相場は、かなり控えめでおよそ1,000ドルから35,000ドルの範囲。今までの最高額落札は、2015年にサザビーズ・ニューヨークで落札された “PORTRAIT OF ANDY WARHOL”。キャリア初期の1973年にプリントされた3枚組の銀塩写真で、3.5万ドルで落札されている。彼の作品制作にはAIが生成できない、人間にしかできない手作業が大きな役割を果たしている。また文脈的には性的マイノリティーの作品を見直す流れにも乗っている。今後は、美術館で回顧展開催などが行われると再評価が進む可能性が高いと思われる。市場では、アンディー・ウォーホル、ルネ・マグリット、ジョゼフ・コーネルの人気シリーズで、特に初期制作のエディションの少ない銀塩写真は注目されるのではないだろうか。

ドウェイン・マイケルズ氏の写真界へのご功績を偲び、心より哀悼の意を表します。

2026年春ニューヨーク写真オークション・レヴュー
希少な名作ヴィンテージ作品が高額落札!

2026年春の大手3業者によるニューヨーク定例ファインアート写真オークション。今回は4月22日~26日にかけてPark Avenue Armoryで開催される世界最大フォト・フェアーのAIPAD Photography Showの前の時期にあわせて、複数委託者によるライブとオンラインの合計5件が開催された。

フィリップスは、4月10日に“”Sebastião Salgado: A Life’s Voyage(online)”、11日に複数委託者による “Photographs”を、サザビーズは、4月14日に“Print & Photographs Part 1″と、16日に”Photographs Part II(online)”を、クリスティーズは、4月17日に“Photographs(Online)”を開催した。

さてオークション結果だが、3社合計で720点が出品され、544点が落札。全体の落札率は約75.6%と秋の約78.9%よりも若干悪化した。総売り上げは約1274万ドル(約19.7億円)、昨秋の1581万ドルより減少、昨春の約1009万ドルより増加している。落札作品1点の平均落札金額は23,125ドルで、昨秋の約23,161ドルとほぼ同じ、昨春の約21,691ドルより増加している。過去10回のオークションの落札額平均と比較したグラフを見ても、総売上高は若干増加。総合的にほぼトレンドに沿った落札結果だったと判断できるだろう。サザビーズは比較的高額評価の20世紀のヴィンテージ作品、ファッション、現代アート系の写真作品28点を”Print & Photographs Part 1″で版画と同カテゴリーで、評価の低い作品は”Photographs Part II(online)”で取り扱っていた。いまやオークションでの写真作品は、評価額によって、高価格帯の現代アート/20世紀アート系、中価格帯の版画/プリント系、そして低価格帯のデザイン/フォトグラフス系にまたがって出品されるのが当たり前になりつつある。今後も各業者の実験的なカテゴリー分けの挑戦は続くと思われる。

Phillips NY, Tina Modotti, “Bandolier, Corn, Sickle, 1927”

今シーズンの最高額落札は、フィリップス“Photographs”に出品された女性写真家ティナ・モドッティ(Tina Modotti/1896-1942)が20年代のメキシコで撮影/制作したヴィンテージ作品の“Bandolier, Corn, Sickle, 1927”だった。イメージサイズは22.2×19.1cm、当時のメキシコ革命期の社会状況が色濃く反映された弾帯、トウモロコシ、鎌の静物写真。落札予想価格10~15万ドルのところなんと4倍以上の64.5万ドル(約9997万円)で落札された。

Sotheby’s NY, Tina Modotti, “Roses, Mexico, 1924”

2位もサザビーズ“Prints & Photographs Part I”に出品された由緒あるThe Jill and Marshall Rose Collection 収蔵のティナ・モドッティ“Roses, Mexico, 1924”だった。イメージサイズは21.6×18.7cmのpalladium print、落札予想価格25~35万のところ、40.96万ドル(約6348万円)で落札されている。資料によると、同作は1929年12月にメキシコシティの国立図書館で開催された彼女の存命中の数少ない展覧会に出品されていたと考えられているとのこと。また存命中に制作されたpalladium printは極めて貴重で、1点はエドワード・ウェストンがMoMA(ニューヨーク近代美術館)に寄贈したものが確認されているという。

Sotheby’s NY, Edward Weston, “Nautilus, 1927”

高額落札第3位も、サザビーズ“Prints & Photographs Part I”に出品された、同じくThe Jill and Marshall Rose Collection 収蔵のエドワード・ウェストン“Nautilus, 1927”だった。イメージサイズは24.1×18.7cmの1930年代にプリンとされた銀塩写真、落札予想価格30~50万のところ、38.4万ドル(約5952万円)で落札されている。本作は、20世紀初頭の数十年間に、多くのアメリカ人写真家がストレート・フォトグラフィーへと移行したことを示す代表例。特に20~30年代のプリントは極めて希少でオークションへの出品はほとんどない。

Christie’s NY, Irving Penn, “Ginkgo Leaves, New York, 1990”

続いたのはクリスティーズ“Photographs(Online)”に出品されたアーヴィング・ペンの“Ginkgo Leaves, New York, 1990”。サイズ57.8 x 49.5 cm、エディション22のダイ・トランスファー作品。写真集“Passage: A Work Record”(Alfred A. Knopf/Callaway, 1991年刊)の有名なカヴァー作品だ。落札予想価格25~35万のところ35.56万ドル(約5511万円)で落札されている。

私が注目していたのはサザビーズ“Print & Photographs Part 1”に出品されていたアーヴィング・ペンが1950年から1951年に手掛けた“Small Trade”シリーズ7点の動向だった。これはパリ、ロンドン、ニューヨークの様々な職業の無名の職人たちを、仕事着と職に欠かせない道具と共に自然光スタジオで撮影したもの。華麗なファッションと比べると職人たちのポートレートはやや地味な印象を受ける。すべてplatinum-palladium printで多くが60年代にプリントされた作品になる。落札予想価格は4~7万ドルのレンジだったが、4点が落札予想価格の上限を超え、残りも予想落札価格の範囲内で全作が落札された。最高額は“Gas Company Mechanic, N. Y.’、1951”。1967年にプリント、エディション4/4、サイズ42.4X30.6cm で、7.68万ドル(約1190万円)で落札された。“Small Trade”は、いまやペンのファッション、静物に次ぐ人気シリーズになったのだ。

Sotheby’s NY, Irving Penn, ”‘Gas Company Mechanic, N. Y.’、1951″


今シーズンで高額落札が期待されたのがヘルムート・ニュートンの巨大な2枚組“Sie Kommen, Paris (Dressed and Naked)、1981”だった。壁画サイズの銀塩写真4点からなる2枚組作品。落札予想価格120~180万だったが残念ながら不落札。ちなみに同作は2002年4月17日にサザビーズ・ニューヨークのオークションで落札予想価格20~25万のところ18.55万ドルで落札されている。約24年で評価が6~7倍になっているので、ファッション系はブームではあるものの、やや過大評価だったかもしれない。

今回のティナ・モドッティ作品の高額落札は、極めて流通量が少ない本人がプリントしたヴィンテージ作品であったことと、いま世界的なトレンドになっている女性写真家の再評価に流れが影響していると思われる。また“Bandolier, Corn, Sickle”は、1920年代のメキシコ革命後の社会主義的象徴(弾帯・鎌・トウモロコシ)を扱った作品であり、重要な歴史的写真の価値を見直す動きとも呼応しているだろう。また2位のサザビーズの“Roses, Mexico, 1924”、3位のウェストンの“Nautilus, 1927”は、由緒ある“The Jill and Marshall Rose Collection” からの出品であったことも高額落札の一因だと思われる。

ニューヨーク・ファインアート写真オークションの2026年春シーズンは、貴重なヴィンテージ作品、ファッション系、20世紀写真の有名作への需要の強さ、という最近のトレンドに沿った驚きの少ない落札結果だったといえるだろう。

(1ドル/155 円で換算)

「ブリッツ・フォトブック・コレクション2026」開催中!
日本のフォトブック市場を振り返る

ブリッツは、5月の連休明けに定期的に行っている、コレクター人気の高い、貴重な写真集を紹介する国内外の貴重な絶版写真集(レア・フォトブック)、限定写真集、サイン本、プリント付き特装版を紹介する、「ブリッツ・フォトブック・コレクション2026」を開催中。

フォトブックを中心に紹介する企画の原点になるのが、いまはなき渋谷のパルコパート1地下1階のロゴスギャラリーで2004年から2010年までに7回開催した「フォトブック・コレクション」展となる。同ギャラリーは洋書販売の洋書ロゴスの横にあるパルコ主催のイベントスペースだった。同企画は書店での新刊とレアブックの相乗効果を狙ったものだった。

2000年代の日本は、洋書写真集のコレクションがミニ・ブームだった。このブームのきっかけはネット普及によりアマゾンで洋書がかなり割安で購入できるようになったからだと分析している。90年代、洋書店で売られていた写真集は高額の高級品だった。よく雑誌のインテリア特集のページ内でお洒落な小物として使用されていた。アマゾンの登場は衝撃だった。とにかく重い写真集が送料込みで、ほぼ現地価格で入手可能になったのだ。当初は一部の目ざといマニアや専門家が欧米のアマゾンで購入していた。2000年11月に日本語サイト“amazon.co.jp”が登場して日本の一般客も今まで高価だった洋書写真集がほぼ現地価格で購入可能になるのだ。このブームは、高価で高級品だった洋書写真集が信じられないような低価格で買えるようになったから起きたのだ。そして、洋書写真集ブームがきっかけになり、同時に絶版写真集も注目されるようになった。

コレクター拡大きっかけは、1999年以降に歴史的な写真集を紹介するガイドブックの相次いでの発売も影響している。それまでは、写真集の出版歴、流通の情報がなく、評価基準となるフォトブック史が存在しなかった。
“The Book of 101 Books: Andrew Roth, PPP Editions, 2001”と“The Photobook: A History –Volume 1-3 by Martin Parr, Gerry Badger, 2004、2006、2014”がフォトブックのガイド本の代表になる。これらのガイド本自体がいま絶版になりレアブック化している。

時間経過とともに、人々が今までに持っていた高額だった洋書写真集の価格基準が、次第に下がってくる。洋書価格が安く買えるという驚きがさめ、その価格の認識が一般化し始めるのだ。そのようなときに2008年のリーマンショックが起きた。アート系商品は、心は豊かにするが、お腹を満たしてくれない不要不急の際たる商品だ。それ以降は、本当にファインアート写真が趣味の人が興味を持つ写真家の本を購入するという従来のパターンに戻っていく。

2010年代には、アベノミクスによる円安で輸入価格が上昇して、景気の長期低迷とともに市場規模は縮小均衡してしまった。レアブックの方は、フォトブックのインターネットでの情報が一般普及するようになる。大手のアマゾンやヤフオクでもレアブックや絶版写真集を取り扱うようになる。レアなフォトブック販売価格の相場は、だれでもネット検索で調べられるようになる。価格情報が民主化したことで、レアブック売買での利益率が下がり世界的に取り扱い業者数が減少していくのだ。この辺の経緯は「ファインアート写真の見方」(玄光社2021年刊)に詳しく書いたので、興味ある人は読んで欲しい。

ところで昨今の外国為替相場での円安/ドル高の進行は、フォトブックコレクターにとって本当に悩ましい状況だ。
約10年前と比べると、アマゾンでの販売価格の上昇は目を見張るものがある。だいたい10年間に渡り継続して販売されるフォトブックはかなり限られる。いまでも人気の高く販売されている“”Stephen Shore: Uncommon Places: The Complete Works”が好例になるので紹介しておく。なんと2016年は5,042円、2017年には6,631円、そして2026年のいま11,080円なのだ。もちろん価格上昇は為替だけでなく、物流コストの影響もあると思われる。しかし、10年で円貨での販売価格が2倍以上になっているのは驚くべき事実だ。特に新刊になると、本のサイズが大きくなり生産コストも上昇している。ブルース・ウェバーの最新刊「Bruce Weber. My Education」は150ドルもして、送料込みのアマゾンの販売価格は24,101円。決して気軽に買える値段ではなくなってしまった。とても残念なのだが、洋書のフォトブックは30年前と同じく高額な高級品に戻ってしまったのだ。

ブリッツは90年代から2,000年代までは、写真作品とともにレアブックを常時取り扱ってきた。しかし、その後は数年に1回程度、写真作品とともにレアなフォトブックを展示するイベントを開催するようになる。さて2年ぶりの開催となる今回の企画では、特定の写真モチーフのテーマを設けずに、ファッション、ポートレート、ドキュメンタリ、ヌード、風景、ネイチャーなど幅広い分野のフォトブックを紹介する。また、壁面ではギャラリーが取り扱う写真家/アーティストの写真作品を紹介するとともに、コレクションしている貴重な写真作品も同時展示する。海外で行われるフォトグラフス・オークションのプレビュー会場を意識した展示構成になっている。

フォトブックは、初心者にとってコレクションが比較的低予算で始められる魅力的分野といえる。かつてのように写真を掲載した本だと認識すると最近のフォトブックは非常に高価格になっている。しかし視点を変えて、さらに高騰しているファインアート写真作品の一部の、いわゆるマルチプルなのだと考えると、一転して極めてリーズナブルな価格だと感じられるのではないだろうか。
ギャラリーがお薦めするのは、小振りのプリントが付いた特装版のフォトブック。エディション数が多く設定されているので、通常のファインアート写真のプリントと比べてはるかにリーズナブルな価格設定になっている。今回の展示でも、多くの種類のプリント付き特装版を用意している。

ファインアート写真コレクションに興味ある人は、まずフォトブックの収集を検討してはどうだろうか。多くのカテゴリーのフォトブックを比較検討できる本展が、そのきっかけになれば幸いです。

(ご注意) 本展会期中は水、木曜は予約制の営業になります。ご注意ください。

・写真作品/フォトブックが紹介される予定の写真家の一部

ブルース・ウェバー、デヴィッド・ベイリー、スティーブン・ショアー、マイケル・ドウィック、テリー・オニール、ノーマン・パーキンソン、ホルスト、ジャンルー・シーフ、アーヴィング・ペン、ウィリアム・エグルストン、アンドレ・ケルテス、メルヴィン・ソコルスキー、ジャック・ピアソン、ライアン・マッキンレイ、アレック・ソス、リリアン・バスマン、テリー・リチャードソン、テリ・ワイフェンバック、川田喜久治、横須賀功光、鋤田正義、篠山紀信、倉田精二、奈良原一高、ノブオ中村、丸山晋一、ハービー山口、ヒロミックスなど、その他多数

以上

ブリッツ・フォトブック・コレクション 2026
2026年5月15日(金)~ 7月12日(日)
1:00PM~6:00PM
休廊 月曜火曜、
予約制 水曜木曜
入場無料 ブリッツ・ギャラリー

日本の写真オークション市場最前線
「LIVE STREAM」@SBIアートオークション

欧米では写真はファインアート表現として定着しており、ギャラリーのプライマリーとともに、オークションのセカンダリー市場も大きな取り扱い規模を誇る。かつては、「Photographs」として独立した分野で取引されていたが、最近は写真が現代アートの表現方法のひとつだと考えられるようになり、その境界線はかなりあいまいになってきている。高額評価の作品は現代アートやコンテンポラリー分野で他のアート作品と一緒に取り扱われている。また中低価格帯は、「プリント / マルチプル」分野で版画などと一緒に売買される場合も多い。

最近は日本でも、SBIアートオークションが中低価格帯の写真作品をデザイン、オブジェ、ペインティング、イラストレーション、ペーパーワーク、プリントなどの幅広い分野のコレクタブルのカテゴリーの一部として主にオンライン・オークションで取り扱っている。たいがいは写真の出品数は少ないのだが、ちょうど4月10日から11日にかけて行われた「LIVE STREAM」オンライン・オークションでは珍しく65点の写真関連作品が取引された。日本の写真市場の今を知るために、今回はその結果を分析してみよう。なお銀塩写真以外に、オフセット・リトグラフ、フォトグラヴュール、ライトジェット・プリント、ポストカードも写真作品にカウントした。

内訳は出品65点のうち不落札は8点、落札率は約87.7%だった。総売上高は1189.1万円(15%の手数料込/税別)、落札予想価格の下限以下の落札が14点、上限越えは20件だった。やはり欧米市場と同じく20世紀写真の人気が今一つ盛り上がらなかったという印象だ。

杉本博司は出品6点すべてが上限越えでの落札だった。杉本は6月から東京国立近代美術館で「杉本博司 絶滅写真」展開催を控えている。今回は低価格帯のオフセット・リトグラフや印刷物が中心だったが、今後のオークションで人気の高い「海景」の銀塩写真が出品されると国内外のコレクターは大いに注目すると思われる。最近は安定していた作品相場が上振れする可能性があるかもしれない。

SBI ART AUCTION, 植田正治「小狐登場、1947」

最高額はLOT197の植田正治「小狐登場、1947」。東京都写真美術館にも収蔵されている有名作だ、イメージサイズ 13.7 X 20.7cmの銀塩写真、落札予想価格30万~50万円のところ149.5万円(手数料込)で落札された。カタログには作品の詳細の記載はないが、たぶん落札者は貴重な撮影時に近い時期にプリントされたものだと判断したと思われる。

今回の出品作の来歴で注目されたのが、ツァイト・フォト・サロンの取り扱い作が18点あったこと。アンドレ・ケルテス、エドワード・ウェストン、ロベルト・ドアノー、リー・フリードランダ―など欧米の20世紀写真の代表写真家を同ギャラリーが取り扱っていた事実がよくわかる。私が注目したのは、なんとファッション系のブルース・ウェバー作品も販売していたことだ。1983年にTwelvetrees Pressより刊行された初写真集「Bruce Weber」に収録されている2作品が出品されていた。改めて写真市場黎明期での、石原悦郎氏(1941-2016)の優れた目利きには本当に驚かされる。


ツァイト・フォト・サロン 取り扱い作品は、日本における写真市場の黎明期の80年代に輸入販売された作品になる。当時のコレクターはいまではかなり高齢になっていると思われる。今回の多くの出品作は終活を意識したコレクションの整理の一環だと思われる。これからは、バブル期の80年代後半から90年代前半に流通系企業ギャラリーが販売したファッション/ポートレート系の作品が市場に出てくると思われる。今後も日本のオークションにおける写真関連作品の出品状況に注目していきたい。

詳しい落札結果はコチラからどうぞ

写真がコレクタブルとして紹介!
雑誌ブルータス1980年8月号の予言

個人的な研究テーマの一つに、日本における写真作品の流通および市場の歴史がある。その一環として、写真がいつ頃からコレクションの対象だと認識されるようになったかの資料として、新聞や雑誌の記事を収集している。以前にも紹介したが、私が写真市場に興味を持ってギャラリーを開業したきっかけになったのは、雑誌ブルータスの1987年2月号に掲載された高橋周平氏によるコラム「写真経済論」だった。そこでは写真のオリジナル・プリントという概念を紹介して、写真がコレクションの対象になりつつある日本の状況の紹介と、その最大の生産地がニューヨークだと解説されていた。ツァイト・フォト・サロン、p.g.i、ギャラリーWIDE、ギャラリーMIN、プリンツなどの日本の写真コレクション市場の礎を築いたギャラリーと取り扱い作品が紹介されていた。ちなみにマイケル・ケンナやリチャード・ミズラックを日本に最初に紹介したのがギャラリーMINだった。ちょうど当時の住まいの近くのダイエー碑文谷店(現在のイオン・スタイル)の裏にあり、よく行ったものだ。

私は長らく日本で写真がコレクションの対象だと世間一般で認識されるようになったのは、80年代後半から90年代にかけてだと認識していた。ちょうど東京都写真美術館が1990年6月1日に第1次オープンし、写真を美術館が収集することが物珍しく、主要新聞や雑誌で取り上げられたのがきっかけだと考えていた。しかし、最近になって、なんとそれよりもはるか前の雑誌ブルータスの1980年8月号(Issue 2)の「Brutscope」という情報ページに写真オリジナル・プリントの記事を発見した。記事のタイトルは「1枚2万ドルもするA・アダムスの写真は別格として、オリジナル・プリントのコレクションはこれからの趣味だ。」というもの。記事内では、アンセル・アダムスが当時のアメリカで一番人気がある写真家で、1979年のクリスティーズのオークションで代表作の「Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941(ムーンライズ)」が2万ドルで落札され、当時の現存写真家の1枚のプリントの最高額を更新したと紹介されている。ちなみに1980年の年間平均ドル/円の為替レートは1ドル/226.7408円だったので、上記作品の円貨は約453万円だったことになる。しかしこれは事実ではなく、1948年にプリントされた貴重な初期作品はすでに1971年に7.15万ドルで取引されている。(同作は2006年のサザビーズのオークションに再出品され60.96万ドルで落札)

本作「ムーンライズ」は人気が高く、なんと約1300枚もプリントされたという。流通量が多いというのは市場に流動性を提供し、換金などのための取引が容易になる利点がある。本作は初期写真市場の成立に大きく貢献したと思われる。また本作はプリント制作時期とサイズによって相場は大きく異なる。1970年以前のプリントは、ネガの扱いが難しかったため非常に希少で高額だ。その後、アダムスはネガを作り直し、コントラストを強めることで、高品質なプリントを容易にできるようにしている。ブルータスの記事には、この2万ドルで落札された作品のプリント制作年などの詳細の記述はない。たぶん70年以降に大量にプリントされた作品だと思われる。ネガを作り直した後のプリントの最近の相場は、約40X50cmサイズで評価は4~6万ドル、あまり値上がりしていないという印象を持つ人もいるかもしれないが、1000点以上プリントされた20世紀写真でこれだけ高価な風景作品はほかにないだろう。ちなみに同作のオークション最高落札額は、103.8 x 150.4 cmの超巨大の壁画サイズ作品で、2021年10月にクリスティーズNYで93万ドルで落札されている。市場ではゾーンシステムという独自技法を開発し制作されたアンセル・アダムスの壁画サイズ作品は、いま高騰しているアンドレアス・グルスキーなどの現代アート系の風景写真の原点だという文脈が出来上がっている。ゾーンシステムはアナログの画像編集ソフトのフォトショップなのだという理解だ。

Ansel Adams, 「Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941」

記事でもう1枚大きく紹介されているのがリチャード・アヴェドンの有名なパリ・ファッション・ポートフォリオからの「Carmen, Homage To Munkasci, Coat By Cardin, Place François Premier, Paris, 1957」。ギャルリー・ワタリの取り扱い作で25万円と紹介されている。上記レートでドル換算すると約1,100ドルになる。ちなみに同作は2022年4月にクリスティーズNYのオークションで4.788万ドルで落札されている。2022年4月の平均為替レートは1ドル/125.98円なので、約603万円となる。数字だけ見ると1980年当時にアヴェドンを買っとけばよかったということだが、1980年ころの大卒の初任給は約10万だったので、まだ価値が定まってない25万円のファッション写真を買う勇気を持っていた人はあまりいなかったと思う。実はファッション写真は1990年代に再評価されて、今では最も人気があり、80年代と比べて相場が大きく上がっているファインアート写真のカテゴリーなのだ。

Richard Avedon 「Carmen, Homage To Munkasci, Coat By Cardin, Place François Premier, Paris, 1957」

記事の最後には1979年にフォト・ギャラリー・インターナショナル(現在のPGI)がオープンしたと紹介されていた。同ギャラリーは専門商社東機貿が運営に参加し経営が安定している。虎ノ門、芝浦を経て、現在でも東麻布で活動中だ。

神宮前のギャルリー・ワタリも積極的に写真と取り組んでいると書かれている。同ギャラリーは、現代アート系のアート・プログラムをさらに展開させ、1990年9月にワタリウム美術館をオープンさせ、現在に至っている。

今回は1980年8月号の雑誌ブルータスを紹介した。もしそれ以前に写真のオリジナルプリント関係の新聞や雑誌の記事情報を持っている人はぜひ資料のコピーを提供して欲しい。
その後、私の興味はコレクタブルのカテゴリーになった写真が、どのようにファインアートや現代アートの一部としてとして認識されるようになったかの探求に展開していく。機会を見てその長い変遷を紹介したいと考えている。

圧倒的なリアリティーが支配する世界
ファインアート写真は何を表現するのか(3)
定型ファインアート風景写真の可能性

・はじめに
前回に紹介したオマージュ作品への取り組み。しかし、それには本当に自分が尊敬、敬愛するアーティスト/写真家との出会いが必要になる。最初から好きな人の作品のスタイル、アイデア、コンセプト、テーマ性などを取り上げて、それらを意識して、その枠やルールの中で表現を行うアプローチになる。しかし、そこに行きつくまでには、美術館/ギャラリーでの実物の作品鑑賞/コレクションなどの経験の積み重ねや、関連フォトブックなどの資料収集。読み込みが必要になる。どうしても時間も費用もかかってしまう。特にコスパやタイパを重視する学生や若手/新人には敷居が高いかもしれない。

・定型のオマージュ作品
そこで、いま何を撮ってよいかわからない人のために、今回はオマージュ作品を特定のアーティストや作品ではなく、一般的なスタイル、アイデア、コンセプト、テーマ性などに絞り込んで、その定型ルールの中で表現するアプローチを紹介したい。これは日本文化の背景を思い浮かべたときに閃いたファインアート写真の可能性だ。日本には伝統的に、定型表現のルールあり、その中で創作を行う茶道、華道がある。また定型詩の俳句や、短歌の叙景歌などもある。

既存のルールに従う撮影なので、自らが創作の理由、動機、方法を見つける必要がない、すぐに創作を開始できる。また写真撮影を通して、思考(思い込み)にとらわれずに自由に自分と向き合えるメリットがある。エゴ/邪念がないので、自尊感情への良い影響や、自己発見につながる可能性もあるだろう。今という瞬間に生きた時のビジュアルの記憶/記録行為にもなる。

・定型ファインアート風景写真
このような定型創作のひとつに定型ファインアート風景写真がある。撮影対象は自然/都市やストリートのスナップ的な写真になる。自分で撮影するほかに、ファウンド・フォトや古写真など、第3者の作品をこの視点で見立てた上でセレクションするアプローチもある。

Photographs By Toshiya Momose

なぜ風景の定型ファインアート写真なのか、という突っ込みが入るかもしれない。20世紀から現代までの写真の歴史を俯瞰するに、タイル、アイデア、コンセプト、テーマ性が提示されないが、似通った視点を持って撮影された自然や都市風景を対象とした作品群があり、カテゴライズされることなく、大きな鉱脈のように横たわっている事実に気付いたのがきっかけだ。それらの写真では、撮影者は無心の状態で自然や世界と対峙しており、心が動いた瞬間をとらえたビジュアルなのだ。例えると、瞑想しているときに目の前に立ち上がったシーンを、一瞬我に返って撮るような写真なのだ。心から邪念が消えると、普段は誰も気づかないシーンが目の前に立ちあがってくることがある。頭で考えるのではなく、心で「はっ、ドキッ」と感じる、カオス世界の中に調和して美しく整っている奇跡的な瞬間を発見して写真で表現している。

・撮影時の意識について
撮影時の前提となる写真家の意識は、いま存在している宇宙や自然界、また都市のストリートの混沌の中で、誰も気付かない、見たことがないような、心が揺さぶられる美しいシーンが発生しており、今この瞬間にも存在するはずという感覚があると想像している。参考になるのは、ネイチャー・ライティング系作家アニー・ディラードの「ティンカー・クリークのほとりで」(1974年刊)の世界観。”美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです”という認識。
親和性があるキーワードは「禅/Zen」。自我が消えた精神状態で風景と対峙する。写真を撮ること自体が、「今という瞬間に生きる」という禅の奥義につながる。「瞑想や座禅のように、いまに生きる」手段の実践として、ここでの写真撮影がある。

Photographs By Terri Weifenbach

・取り組み方法
定型ファインアート風景写真の取り組みは、自動で浮かんでくる様々な思考/雑念(記号消費などを含む)をスルーして、頭から消し去ることから始まる。それは今この瞬間に生きるという、瞑想やマインドフルネスの実践に近いともいえる。そして、よい写真、他人の評価などのエゴを捨てて、無心状態で世界と対峙して心で何かを感じた瞬間に写真を撮る。写真撮影を通して、自らを客観視して、自分らしさを取り戻し自由な人生を探求する行為になる。現代社会におけるこのような撮影行為の実践自体が定型ファインアート風景写真の作品コンセプトだといえるだろう。
また無心で撮影している風景写真作品は、社会生活の中で様々な思い込みにとらわれている人たちに提示される。見る側にも、自分を客観視して違う視点から見直すきっかけを提供する。

・2種類のタイプ
定型ファインアート風景写真は、撮影時に被写体に近寄ったものと、離れたものの2種類に分類できる。独断と偏見でセレクションした、それぞれに該当すると思われるフォトブックのリストも掲載しておく。このカテゴリーに含まれると思われる写真を撮影しているのは、ソール・ライター、ウィリアム・エグルストン、ルイジ・ギッリ、リチャード・ミズラック、テリ・ワイフェンバック、ヴィヴィアン・サッセン、ヴィム・ヴェンダース、ジョン・ポーソンなど。またスティーブン・ショアーやマイケル・ケンナの初期作、藤原新也、百瀬俊哉などの自然/都市の風景写真の中にも同じ視点の作品が発見できる。

A.  フラクタル的要素を持つシーンの発見(接写/近景) 
AIによると、“フラクタルとは自己相似性を持つ図形のことで、自然界に多く存在するものの一つ。フラクタルは、繰り返しの規則性を持ちながら、その形状が複雑であるため、美しいとされている。また自己相似性を持つため、どこから見ても同じような形状をしており、その形状が複雑であるため、美しいとされている”と説明されている。
年代を経て劣化/風化した建物の一部、壁面、ポスターなどの都市に存在するシーンのなかに、際立った色彩やグラフィカルな調和、侘び/寂び/渋みを発見して撮影。「やつれ」、「風化美」という、被写体の持つ古さや使用感、経年変化などの味わい深さを見出す。
通常よりも被写体に近寄って撮影されており、平面や人工物、空間、人物などの複数要素が重なって偶然に生まれるシーンだ。複雑性や規則性を持つフラクタル的な微妙な調和の美を、自然ではない人工的な要素を含むカオス化している都市風景のなかに見出す。

・“Places Aaron Siskind Photographs” Aaron Siskind, Light Gallery1976
・“Kodachrome” Luigi Ghirr,i Mack 2013
・“Waiting for Los Angeles” Anthony Hernandez, Nazraeli Press 2002
・“Tingaud Intérieurs” Jean-Marc Tingaud, Contrejour 1991
・“Pikin Slee” Viviane Sassen, Prestel 2014

B.   偶然から生まれたシーンにある必然的な美(中景/遠景) 

自然が彫刻的と呼べるような3次元の美を偶然に目の前の世界に作り出す。対象は自然や、人工的な都市や建造物、もしくはその組み合わせ。それに太陽光線、月の光、闇、霧、雨、雪、虹、雲などの天候や自然現象が関係して、3次元のシーンの中にフラクタルのような美を偶然的に作り出している。

・“Democratic Forest” William Eggleston, 1989
・“Written in the West” Wim Wenders, Schirmer Mosel 1987
・“Kodachromes” William Christenberry, Harry N.Abrams 2010
・“Topologies” Edgar Martin, Aperture 2008
・“HENRY WESSEL” Henry Wessel, Steidl 2007
・“Early Color” Saul Leiter, Steidl 2006
・“Hyper Ballad: Icelandic Suburban Landscape” Takashi Homma, Swaitch Pub. 1997
・“A Visual Inventory” John Pawson, Phaidon 2012

・注意点/撮影場所
一見すると、定型ファインアート風景写真に表層は似ているが、実は全く違う種類の写真も存在するので注意が必要だ。それらはグラフィックや色彩のデザイン的な視点で撮影されたもので、インテリアへの展示を目的とした写真となる。また20世紀写真では、モノクロや色彩で抽象化された世界に価値を見出していた。それらはグラフィック・デザイン感覚を生かして写真での抽象表現が目的化したスタイルなので勘違いしないようにしたい。また意識して何気ないシーンやありきたりの風景を撮影するのは、ミイラ取りがミイラになるので注意が必要だ。

撮影場所についても触れておこう。世界中を移動すれば確率的にそのようなシーンを発見する可能性は高まる。旅は非日常に身を置くことで、自らを日常のマンネリから脱して客観視するきっかけを無理やり提供してくれる。しかし世界に対して能動的に接すれば、身の回りにもそのようなシーンが存在している事実を発見できるだろう。

このような写真は過去に撮影したアーカイヴスの中から発見できるかもしれない。いったん撮影を小休止して、何も考えずに偶然に出会ったシーンを切り取った写真を探し、編集/セレクションを行ってみよう。全く違う時間、場所空間で撮った写真の中に精神性のつながりが見つかるかもしれない。違う視点で過去の写真を見直すと思いがけない新発見があるかもしれない。

・そしてファインアート作品への展開を目指す
私たちは、日常生活で様々な思考や思い込みにとらわれて生きている。ここでは写真を撮ることで自らを客観視しようという姿勢が重要になる。頭でっかちになり、作品制作自体が目的化してはいけないのだ。基本になるのは意識のコントロール。自然と浮かんでくる様々な思考/雑念への判断を避けてスルーする。そのような心がまえで世界と対峙したら、もしかしたら平面や空間に「はっ、ドキッ」とする瞬間が立ち上がり、定型ファインアート風景写真が生まれるかもしれない。

このようなアプローチで撮影された写真作品が蓄積されてくると、そこから、個性、強み、好きなこと、価値観などの本当の自分らしさが見えてくるかもしれない。次のステップとして、それを意識して情報収集/調査/整理を行い、自らの問いや課題(テーマ)を見つけるのだ。自分の中に気になるテーマや問いが立ち上がってきたら、それを意識して世界や宇宙に対峙して撮影を開始する。その繰り返しの先に、社会の見えない前提を問いかける作品が生まれるかもしれない。この段階で正当なファインアート写真の製作アプローチにつながってくる。定型ファインアート風景写真は、そのように創作が展開していくきっかけを提供してくれると考えてほしい。

余談だが、 「定型ファインアート風景写真 」は少しばかり固い呼び名だと思っている。趣旨を踏まえて「Zen Space Photography」はどうだろうかと思案中だ。
自分の写真のファインアート分野でのカテゴライズに悩んでいる人は、ぜひ自分の作品がここで紹介した定型写真の要件に当てはまらないか検証してみて欲しい。それは写真史との接点の検証になるのだ。

圧倒的なリアリティーが支配する世界
ファインアート写真は何を表現するのか(2)
オマージュ作品

アメリカとイスラエルが2月28日、イランに対して大規模な戦闘作戦を実施した。このような現実社会が世界中で常時激動しており、未来予想が極めて困難な時代では、アーティストが多くの人が共感する作品提示は極めて難しいといえるだろう。また世の中の多様化、複雑化が進行する中で、作品のヒント発見までにも従来以上の長い暗黙知の養成期間が必要になる。創作を続けてもすぐに結果は出ないので、ブランド価値が未構築の学生、若手、新人がキャリアを継続するのは極めて困難な環境なのだ。またもともと私たちは社会生活を送る以上、様々な認知バイアスや社会/文化的刷り込みの影響を受け、思い込みにとらわれやすい。表現を行う人は自己が起点となって作品創作を始める場合が多い、どうしても思い込みがアイデンティティーと重なり強化されがちだ。特に経験や学習量が少ない人はその傾向が強くなる。そうなると非認知スキルを養成する重要性を感じなくなり、創作の自由度が失われてしまう。柔軟な思考ができる人は自らを客観視する術を持っている。しかし痛々しいのがエゴの押し付けのような創作に陥ってしまう人だ。そのような人は他人を自我の延長線上にしかとらえられない。ギャラリーやキュレーターが、作品の見立てやアドバイスを試みても聞く耳を持たないのだ。思い込みにとらわれている自分に気付かないので、永遠に成長ができない悲劇的な状況に陥ってしまう。

今回は、このような現代アート的創作に厳しい環境の中、アーティストの創作アプローチのひとつを提案する。まずは、自らが作品のアイデア、コンセプトやテーマ性を見つけるのではなく、既存作品のオマージュ、もしくは本歌取りを行う方法を提案したい。最初から好きで尊敬する写真家/アーティストのポートフォリオの持つ作品テーマやアイデアなどを意識、そのルールや見立てを意識して写真を撮る行為になる。

さてオマージュはフランス語の「hammage」が語源。英語では「homage」と表記。好きな写真家のスタイル/作品アイデアを取り入れる創作になる。芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事を指す用語で、しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。(参考 Wikipedia) 単純に元の作品をそのまま流用するのではなく、尊敬・賞賛の意味を込めて、独自の手法で表現される。オマージュやパロディは一つの芸術スタイルとして確立されているのだ。実際のところ、創作自体は過去の先人たちの作品の要素をベースとして、アーティストが新たな組み合わせの発見や、突然変異を起こして生まれるもの。もともと無意識の中で起こるオマージュ的な要素を持つのだ。また写真史やアート史とのつながりの提示は、過去の作品と現代の作品への影響を可視化するので、両者にオマージュ的要素の関係性を発見するのと同じような意味になる。

よく盗作と混同されるが、「パクリ」とは他の作品やアイデアを盗用し、利益のために自分の創作として提示する行為で、著作権の侵害となる。この判断は、主に第三者により行われるので、作家本人はオマージュのつもりでも、他人が見るとパクリだと受け取られてしまう可能性もある。

写真表現では、方法論やテーマ性など、様々なオマージュ作品がある。また日本には先行作品への敬意を前提にする古来の和歌の伝統技法である本歌取りがあり、これは西洋のオマージュに近いものといえる。杉本博司は写真技法を「本歌取り」のアプリーチを取り入れて、創作の幅を大きく広げている。最近では、松濤美術館で2023年秋に「杉本博司 本歌取り 東下り」が開催されている。

Aaron Siskind (1903 – 1991)

実際にどのような写真表現での可能性があるのだろうか。まず抽象表現主義の絵画に触発されて写真で作品制作を行ったアーロン・シスキン(1903-1991)をとり上げる。抽象表現主義は、1940年代後半に米国で起こった美術界のムーブメント。抽象表現を行った代表作家には、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、ロバート・マザウェルなどがいる。シスキンは、テーマがないこと自体をテーマにしている写真家。写真で絵を描いたともいわれる。ストリートの壁面などを絶妙なフレーミングとクローズアップで抽象的に撮影。しかし当時の写真界では理解されず、抽象表現主義の画家が最初に評価した。シスキンの70年代の作品をまとめた写真集「Places」(Light Gallery1976年刊)には、作品タイトルがなく、撮影場所と撮影地の制作番号のみが記載。抽象表現主義絵画とシスキンの写真とは、カラーとモノクロとの違いがあるだけだ。絵画との比較参考例として、ロバート・マザウェル(Robert Motherwell, 1915 – 1991) の《Elegy to the Spanish Republic No. 110》(1971年)を挙げておく。

Robert Motherwell, 《Elegy to the Spanish Republic No. 110》、1971年

この流れで90年代からカラー写真で抽象的表現に挑戦してきたのがテリ・ワイフェンバックだ。彼女はもともと抽象画を描く画家だった。写真家に転向して、眩い太陽が照った野外での風景写真で画面上の複数のフォーカスを利用し、ボケを積極的に取り入れてカラーによる抽象的世界の表現に挑戦している。 

Terri Weifenbach

ドイツのベルント&ヒラ・ベッヒャーは、グリッド状に提示されるタイポロジー(類型学)作品で、アートとしてのドキュメント写真の可能性を開拓。これは考古学や考現学などにおいて、物質をその特質・特性によって分類し、その結果を考察すること共通性や差異を明確にして、対象の理解を深める手法。「テーマ」よりも方法論(typology)へのオマージュ作品だといえるだろう。二人は59年から、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る、戦前の建築物をともに撮影し、「無名の彫刻」と命名。それらの写真を比較対照し機能種別に組み合わせたタイポロジー(類型学)的作品により、過去を内在した現在を指し示そうとしたのだ。

Bernd & Hilla Becher Gravel Plants 1988–2001

さらに、彼らのタイポロジー、ドキュメント、コンセプチュアル・アートの要素を併せ持った写真作品は、20年代ドイツで発生した徹底的な客観描写を掲げて絵画から写真を自由化した「新即物主義」のアルベルト・レンゲル・パッチュやアウグスト・ザンダーなどの延長上にあるオマージュ作品とも認識できるのだ。

Cindy Sherman, Untitled Film Stills

シンディー・シャーマンの初期シリーズ「Untitled Film Stills」もオマージュ的作品。1950–60年代のB級映画スチル写真の手法を取り入れ、当時の偏見に満ちたステレオタイプの女性像を可視化している。またジェフ・ウォール、グレゴリー・クリュードソンなど写真で表現する現代アート系アーティストの作品も創作ヒントにオマージュ的要素が見られる。

しかし、オマージュ的作品への取り組みには、本当に自分が尊敬、敬愛するアーティスト/写真家との出会いが必要になる。そして作品文脈の的確な理解の上にオマージュ作品が生まれる土壌が作られる。そこに行きつくまでには、膨大な時間と、関連フォトブックなどの資料収集などの金銭的負担、美術館/ギャラリーでの実物の作品鑑賞などの実経験の積み重ねが求められる。現代アート系作品と同様に、タイパ、コスパはあまり良くない。特に学生や若手/新人にはかなり敷居が高いと思われる。そこで、次に比較的手軽に取り組みが可能な定型ファインアート写真の可能性を提案したい。
(ファインアート写真は何を表現するのか(3)に続く)

圧倒的なリアリティーが支配する世界
ファインアート写真は何を表現するのか(1)

21世紀のファインアート写真では、従来の自己表現の背景にある作者の意図よりも、作品自体の社会や時代への問いかけが重視される。それは、私たちが普段は意識しない社会に横たわる、様々な前提、認知、偏見、思い込みなどを露呈させ、可視化するもの。当たり前になっている価値観や構造を組み直すような作品だ。そして作者と見る側とのコミュニケーションが機能する仕組みとして、アイデア、コンセプト、テーマが求められる。アイデア(意図)は、作品制作の基盤となる考え方。コンセプト(概念)は、アイデアを具体化するための土台。テーマ(問題点)は、社会、文化、政治などの表現分野のことだと理解すればよいだろう。それらを通して見る側は作品からストーリーを読みとり、何らかの意味を生み出すのだ。
しかし、アート作品により何らかの新しい視点が社会に展示され、それが機能するのは平時の時だ。いまは地球規模の大きなテーマがあらゆるところで顕在化している社会の激動期だ。すぐに思いつくだけでも、世界的な戦争の勃発、気候変動、脱炭素化、SDG’s、感染症、自由主義経済/グローバル化の揺れ戻し、所得/地域格差の拡大、民主主義の危機、インフレ懸念、過剰債務問題、ワクチン格差、中国の不動産バブル崩壊などが挙げられるだろう。これらの現実の前では、個人レベルでの作品の問いかけは些細なことのようにさえ感じてしまう。いま世の中では、アートがなくても誰もが容易に意識できる大きなテーマだらけなのだ。このような圧倒的な強度のリアリティーを持つ現実を前に、多くの個人は生き残りに必死で、アートを愛でるどころではないのだ。ファインアート市場でブランドが確立した人の作品に人気が集中するのは、このような状況が反映されているからではないか。

アーティストにとって、多くの人が共感するような作品の提示は極めて難しい環境だといえるだろう。また世の中の多様化、複雑化が進行する中で、新たな作品のヒントを見つけ出すためにも従来以上の長い経験と暗黙知の養成期間が必要になるだろう。いまの環境では、創作を続けてもすぐに結果は出ないので、ブランドが構築されていない、学生、若手、新人が作品作りを継続するのは極めて困難なのだ。ファインアート写真に携わる一人として、新たな才能が育たないことによる市場の将来の先細りを懸念しないわけにはいかない。そこで、写真家/アーティストが写真でファインアート作品を制作する従来とは違うアプローチはないか考えてみた。

私が提案したいのは、自分の外側に広がる、変動や不安定が当たり前の社会的、文化的な事柄への視線を持つ作品ではなく、より本源的な人間の存在に向いた作品への取り組みだ。人間は空蝉(うつせみ)のような空虚な存在と言われるが、それは幻想のように実体のない世界に生きる事実を私たちに気付かせてくれる作品になる。私はそれこそがすべてのアーティストが表現を行う究極の動機だと考えている。現代アート的表現の王道である、感動を起点に発見された新たな視点を提示するような作品作りはライフワークとして時間をかけて取り組んでもらいたい。そしていま取り組み可能な、2つの創作アプローチを提案したい。最初から既存の作品の文脈を用意し、撮影者はそれを意識したうえで創作を行う方法だ。

まず「オマージュ作品/本歌取り」。好きなアーティスト/写真家のスタイル/作品アイデアを取り入れる方法になる。
そして「定型ファインアート写真」。これもオマージュ作品の一種になる。最初に既存作品から見立てられた文脈ありきで、それを意識して、その枠の中で写真を撮る行為の提案となる。ビジュアルの定型創作のアプローチは数多くあるが、私はその中で「定型ファインアート風景写真」を推したい。詳しくは次回以降で解説していく予定だ。もともとは経験が浅い学生向けのファインアート写真制作取り組みアプローチとして考えたものだが、創作に行き詰っている人にも役に立つと思う。

(2)につづく