定型ファインアート写真の可能性
Zen Space Photographyの提案 第6回
「決定的瞬間」を定型ファインアート写真から考える

定型ファインアート写真は様々に定義する可能性があると考えている。たとえば、カルチェ=ブレッソンの写真撮影スタイルの「決定的瞬間」。それはストリートでのスナップ写真において、構図の中で絶妙なバランスと調和がとれた一瞬をカメラで切り取り残す行為。その行為追求が撮影の目的であると解釈される場合が多いが、撮影者が無心の状態で世界と対峙して、ストリートシーンの中に絶妙な「決定的瞬間」を発見した時にフレーミングしてシャッターを押した場合もあるだろう。そのような調和を切り取った写真は定型ファインアート写真の「Zen Space Photography」と同様な意味合いを持つと考える。

Henri Cartier-Bresson: The Decisive Moment

定型ファインアート写真「Zen Space Photography」の基本を今一度確認しておこう。
そこで提案しているのは、決まり事として撮影者が思考(思い込み)にとらわれていない精神状態、つまり無心で自然や世界と対峙することが前提となる。ワークショップでは、頭ではなく心で世界と接するというように説明している。
そして調和して美しく整っている瞬間の訪れを発見した時に撮影した写真。
そのようなシーンは頻繁には出現しない。次々と自然と湧いてくる思考にとらわれないように、心を無の状態にして行動している時にふと現れるのだ。普段の忙しい日常生活から離れた旅行の際はそのような精神状態を維持しやすい。だから、普段に持ち歩くスマホやコンパクトデジカメが撮影に向いている。

自然と湧いてくる思考を消し去り無の精神状態になることで、私たちは日常の思い込みから解放される。社会生活を送っていると悩み事は多いのでこれは容易ではない。しかし写真撮影がそのきっかけになるかもしれない。
その行為の実践自体が「Zen Space Photography」の作品コンセプトになる。「決定的瞬間」に戻ると、それゆえに最初から頭でそのようなシーンを撮ることを目的としたもの、また人や背景の動きを予想して意図的に撮影されたものとは意味合いが違うと考える。自然風景の中に、モノクロームの抽象美、グラフィカル、デザイン・コンシャス、色彩、詩的な印象の美を意識的に発見しようとする、いわゆるインテリア用写真制作と同様の行為となる。それは人の思考により生み出された別の種類の写真となる。
写真史的にも、カルチェ=ブレッソンが無心で切り取った、すぐれた「決定的瞬間」の作品は、完璧な構図や抽象性、プリントの質を追求した伝統工芸の職人技とは一線を画している。それらは定型ファインアート写真の意味合いを持った作品であると再解釈可能なのではないか。20世紀写真市場での彼の代表作の高い評価はこのような背景があると理解している。「決定的瞬間」をとらえた写真には、撮影者の姿勢の違いにより、この2種類が混在しているのだ。

さらに私は「決定的瞬間」は、人間が最も気づきにくい思い込みを意識化するきっかけを作ってくれるかもしれないと期待している。それは私たちが普段接している世界のデフォルト状態は混沌であり、 「決定的瞬間」はその中から全く偶然に生まれた秩序だという気づきだ。心理学によると、人間の脳はパターン認識を得意として、混沌を嫌い予測可能な状況を好む傾向があるという。私たちは太古の時代から、環境の変化を予想できた方が生き残りの確率が高かった。それゆえに現代の社会や文化は共同体安定のために規則や秩序を強調されるようになっている。私たちは無意識のうちのその強い影響を受け、世界に横たわる混沌を無意識化する傾向がある。それが人間の作り出した文明の本質なのだ。

人間は社会に出ると自分の力で生活していかなければならない。多くの人はビジネスの世界で生きるうちに、世の中は原因と結果といった線形の単純な関係性で回っていると信じるようになる。つまり人は社会が作り上げた秩序を受け入れて、それが客観的に存在していると妄信するわけだ。確かにその方が安心して暮らせるだろう。
しかし、実際の世界は不思議だらけであり、カオスとランダムネスが支配している、自分の信じる秩序通りにまわることなどない。社会人なら、人生や社会は予想不可能なことだらけである事実を十分に経験しているはず。しかし私たちは、本能的にそれを無意識化しているのだ。私はこれこそが社会で長く生きている人間が最も気づきにくい思い込みなのだと考えている。

村上春樹の「風の歌を聴け」など初期作品の魅力は、社会に出る前の若いときには当たり前だった不思議だらけで混沌としているシュールな世界の情景を表現しているからだと個人的に思っている。実は秩序だった世界の方がシュールなのだ。大人になり社会のシステムに組み込まれても、若いときの感覚は潜在意識に残っている。そのような文章は読者の心に刺さるのだ。

「Zen Space Photography」は、写真撮影を通して無の精神状態になることを目指す。そして「決定的瞬間」を意識することで、世の中の通常状態が決して秩序ではなく混沌なのだと気付かせてくれる。これらがきっかけで、自分の思い込みに気付き、世の中を違う視点から認識できるようになれば全く異なる世界観が描けるようになる。間違いなく、私たちの生き方に影響を与えると思われる。世の中は混沌と偶然性が支配する。その中で、生き難いのは誰にとっても当たり前なのだ。それに気付けば開き直ることができ、少しは楽な気持になるのではないか。

いままでの定型ファインアート写真は説明がやや抽象的だったといえるだろう。しかし、「決定的瞬間」をキーワードに加えると、世界を別の視点からとらえることができて理解しやすくなるのでないか。
いま存在している宇宙や自然界、また都市のストリートのどこかで、誰も気付かない、見たことがないような、心が揺さぶられるシーンが人知れず全く偶然に生まれては消えているという認識。混沌の中のそのような調和して美しく整っている瞬間の訪れを発見して写真で表現する風景写真/ストリート写真のひとつ。キーワードの「禅/Zen」は、写真を撮ること自体が瞑想や座禅のように、「今という瞬間に生きる」禅の奥義につながる。それとともに、「決定的瞬間」と同じような意味合いになる。

今回も小難しい内容になってしまった。しかし読んでくれた人が、当たり前だと思い、疑うことすらしない考えに、少しばかり「?」を持ってほしいと期待したい。全く別に存在すると考えがちの「混沌」と「決定的瞬間」が実は共存していると意識するきっかけになればうれしく思う。自由なアーティスト的な生き方を求めている人は、必ず反応してくれると考えている。

写真展レビュー
TOPコレクション 見ることの重奏
@東京都写真美術館

ファインアート写真コレクターには嬉しい、珠玉の19~20世紀写真が一堂に鑑賞できる写真展だ。

東京都写真美術館は、1990年6月に第1次オープンしている。当時の新聞報道によると、都は開館前に約10億円かけ、国内外の写真コレクターや業者から主に写真の歴史的を語るときに欠かせない約6000点を買い集めた。本格開館までの3年間でさらに約20億円の収集費があったという。(朝日新聞90年5月30日夕刊) 今ではにわかに信じられないが、この潤沢な予算は好景気で余裕があった都の財政によるところが大きいと思われる。当時は「有名作品買いあさり?!」などの批判もあったようだが、開館に際してのコレクション構築は素晴らしい判断だったといえるだろう。80年代のオークションやギャラリー市場では、まだ写真自体が独立したカテゴリーとして存在していた。いまのように、ファンアートの一分野としての写真表現ではなく、どちらかというと写真プリントのコレクタブル系のように考えられていた。したがって、写真史上の重要作品でさえ、いまでは考えられないほど価格は安かった。東京都は本当に税金を極めて有効に使って基礎となるコレクションを構築したのだ。

本展で展示されている、アンナ・アトキンス、ウジェーヌ・アジェ、ベレニス・アボット、モーリス・タバール、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、ウィリアム・クライン、マイナー・ホワイトなどは、想像するに初期のコレクションだと思われる。多くが、写真史の教科書に掲載されている写真家たちの代表作となる。実はこれだけの数の逸品の写真がグループ展でまとめて展示される機会はあまりない。ウジェーヌ・アジェ作品では、鶏卵紙プリントと、アボットがプリントしたゼラチン・シルバー・プリント写真が同時展示。ブレ、ボケ、荒れ、大胆なトリミングの元祖ウィリアム・クライン作品は、人気の高い50年代のニューヨークで撮影された12点がセレクション。マン・レイ作品では、代表作の「黒と白、1926」、「アングルのヴァイオリン、1924」を鑑賞できる。

1987年2月号の雑誌ブルータスに高橋周平氏による「写真経済学」という特集が組まれている。当時のニューヨークのオリジナル・プリント(当時はそう呼ばれていた)の相場が紹介されている。それによると、アンドレ・ケルテスの相場は1300~2800ドル、本展で展示されている「水面下の泳ぐ人、1917」が1500ドルと書かれている。マン・レイは5000~1万数千ドル、ウジェーヌ・アジェのアボットのプリントは400~800ドルと信じがたい販売価格だったのだ。ちなみに1987年のドル円の為替レートの平均値は144円67銭だった。

日本人では、奈良原一高、杉浦邦恵、寺田真由美、山崎博が展示されている。奈良原一高は、フイラデルフィア美術館収蔵のマルセル・デュシャンの「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも、(通称)、大ガラス」を1973年に撮影した作品を展示。奈良原は当時ニューヨーク在住。美術評論家、詩人、画家の瀧口修造による撮影依頼とのこと。この「大ガラス」の1980年制作の東京ヴァージョン・レプリカは東京大学駒場博物館に収蔵されている。2018年に東京国立博物館平成館で開催された「マルセル・デュシャンと日本美術」展に貸し出され展示されていたので覚えている人も多いと思う。今回のコレクション展のフライヤー、図録のカヴァーに使用されているメイン・ビジュアルは、この奈良原の「デュシャン/大ガラス」となる。作品の一部をクローズアップ気味に切り取った、抽象的でモダンなカラー写真なので、現代アート的作品が多く展示されているグループ展だとの印象を持つかもしれない。しかし、展示作の中心はクラシック写真の展示なので勘違いしないでほしい。

中国からはチェン・ウェイ作品が展示されている。令和5年度の新規収蔵作品とのことだ。彼のプロフィールには、メインの展示になっている「In the Waves」シリーズは、ダンスクラブで音楽に陶酔する若者を写しだし、彼が作り出すシーンにおいて、今日の中国における社会問題を表現している、と記載されている。
社会問題とは非常に幅広い意味を持つ。それは何なのかに疑問に感じたので、会場にいた本人に通訳を通して質問してみた。
私たちは、クラブは一般の若い世代が集う西洋的な息抜きやストレス発散の場だと感じる。しかし、彼によると中国のクラブ文化は80年代に独自に発展したとのこと。西洋のクラブ文化が中国に輸入されたのではないそうだ。したがって作品制作には西洋文化/民主主義と中国文化/共産主義とは関係性の提示はないそうだ。そして中国でそこに集うのは、一般人ではなくインテリ層だったとのこと。たぶん当時のクラブの若い人たちは中間層以上の社会的に恵まれた人々であり、彼らが日常生活のストレス発散目的で踊りに陶酔したのだろう。会場で展示されている2点の大判写真「In the Waves」のクラブシーンは2013年制作だ。
私は同じ政治思想を持つ国家のキューバを思い出した。米国人写真家マイケル・ドウェックは「Habana Libre(ハバナ・リブレ)」(2011年)で、西洋社会では知られていないキューバのクリエイティブ・クラスという階級の存在を私たちにドキュメントを通して知らせてくれた。キューバの多くの住民はいまでも経済的には非常に貧乏だ。しかしキューバ政府が文化振興に力を入れた結果、アーティスト、作家、俳優、モデル、ミュージシャンたちの一種の特権階級が生まれているとのこと。彼らは裕福ではないが、ファッショナブルな生活を楽しんでおり、そこにも彼らがダンスを楽しんでいるナイトクラブのシーンが撮影されていた。

しかし、チェン・ウェイの話によると、どうも中国の状況はキューバとは全く違うようだ。キューバのような新たな階級の存在の提示を意図してはいないようだ。彼は、その時にクラブで踊っている人たちが、我を忘れて真に心の底から楽しんでいるとは決して感じられなかった、その発見が作品を作るきっかけになったという。
今の中国社会では、若者の失業率の高さや格差拡大など様々な問題があるとマスコミで指摘されている。いまから10年前のまだ経済が絶好調だった中国でも、すでにインテリ層は社会の軋みを感じていたのだろう。つまり、当然のこととしてクラブやディスコは当局が承認しているストレス発散の娯楽なのだと思う。本来なら社会システムの抑圧から一瞬でも自由になるために若者はクラブに集うのだ。しかし息抜きの娯楽さえも社会システムに組み込まれていて、インテリの若者たちは狭い空間に押し込められて、お上からストレス発散という価値を与えられているのだ。個人的に自由がない隠れた独裁や横暴な官僚主義が存在するディストピア的な社会を暗示していると感じた。これは戦後の昭和日本の、経済的安定を対価に会社に人生をささげたサラリーマンと同じだと感じた。レジャーに出かけても死んだ魚のような眼をした、不自由な人生を生きるサラリーマンの絶望感/閉塞感と重なる印象を持った。
チェン・ウェイ作品は中国の80年代以降に生まれた「80後」世代の若者たちの、とめどもない閉塞感や精神的な抑圧感が反映されているのだ。たぶん現在の若者の絶望感はインテリから幅広い層に広がり、さらに深くなっているのではないか。
またこのクラブシーンはドキュメントではなく、完全に演出されたいわゆるステージド作品とのこと。これは、作品の含むメッセージが社会的な重い要素を含むがゆえに、あえてアーティスト自身が完全にコントロールできる環境で、美しいビジュアル制作を意図したのではないか。人物の配置やポーズは巧みに秩序だっている、とても美しいライトが織りなす色彩の幻想的なビジュアルとして制作されている。チェン・ウェイ作品は、作品の美しい表層と深淵な社会的メッセージを併せ持っていた。本展の現代アーティスト作品の中で一番見応えがあった。

本展はファインアート写真のコレクションに興味ある人、写真撮影が趣味の人には今年の夏休み必見の写真展だ。
地下1階の展示室では、絵本作家/メディア・アーティストの岩井俊雄の展覧会「いわいとしお X 東京都写真美術家 光と動きの100かいだてのいえー19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ」も開催中。こちらは子供や学生を意識した展示内容になっているので、家族で一緒に訪れても皆が十分に楽しめるだろう。

TOPコレクション 見ることの重奏
東京都写真美術館 公式サイト

年代別フォトブック・ガイド
2014年以降の紹介をスタート

私がフォトブックのガイド本「アート写真集ベストセレクション101 2001-2014」(玄光社)を上梓してから早くも約10年が経過した。2014年以降も数多くのフォトブックが刊行されたが、私の知る限りでは、それらを網羅して紹介しているガイド本は存在しないのではないか。この間に情報の発信と受信がコストの低いネットに大きくシフトして、紙媒体の出版業界が非常に厳しい環境に直面するようになる。
ネットでのフォトブック情報はとても手軽で便利だ。しかしメディアの性格上、発信者の主観的な情報が多様にまた局地的に存在することになる。またネットの世界は利用者ごとにパーソナライズされ最適化されたコンテンツが表示されがちで、どうしても自分の興味ある写真家やカテゴリーの本の情報しか見えなくなってしまう。過去約10年に起きたのは、フォトブック情報の多様化という名の無秩序化のカオス化であったともいえるだろう。

その混沌の中、多くの人は自分好みの情報だけに局地的に触れていて、それがすべての世界だと思い込んでいたのではないだろうか。
ではどのように膨大な情報を秩序化するかというと、できるだけ客観的な視点でセレクションされた発売年ごとのフォトブック・ガイドの制作だろう。そのようなブックリストが存在すれば、何を買ったらよいかの目安になると思う。

以上の考えで、あまたあるこのブログにまた新たにカテゴリー「発行年別フォトブック・ガイド」を追加することにした。前著は2001-2014年となっているが、実は2014年刊行の本は1冊しか紹介していない。したがって、これから機会のあるごとに2014年から現在までの年ごとの重要なフォトブックをリスト化して紹介していきたいと思う。
理想は紙の書籍の形式だ。一覧性がありページ数が多い雑誌や本だと色々なフォトブック情報を幅広く紹介できるので、自分の知らない分野のものを知るきっかけになる。だがとりあえずは、将来の書籍化の可能性にかけて、原稿を書き溜めていくつもりで取り組みたい。この出版不況の中、もし興味ある出版社があればぜひお声掛けいただきたい。このブログのもう一つのカテゴリーでもある「ファインアート系ファッション写真のフォトブック・ガイド」も、もちろんライフワークだと思って紹介予定の本を買い進めている。個人的にはこちらの方が幅広い層の人に売れると考えている。

またもしフォトブックのセレクションや編集に協力してくれる人がいれば大歓迎だ。一人なら内容に勘違いや間違いがあるかもしれないし、重要なフォトブックを見落としている可能性もある。多くの人が確かめてくれれば信頼できるフォトブック・ガイドになると思う。

フォトブック・ガイド 2014年版 (1)

・Robert Frank: In America
Robert Frank (ロバート・フランク)
出版社: Steidl (2014/11/30)
SBN-10: 3869307358
ISBN-13: 978-386930735
出版社のウェブサイト

ロバート・フランク(1924 – 2019)の「The Americans」(1959年刊)は、アメリカ人のアイデンティティーの試金石であるとともに、写真史上の名作フォトブックといわれている。しかしその後、彼がすぐに映画制作に転向し、また70年代に全く新しいスタイルで写真界に復帰したことから、同書掲載83点以外の初期作品は忘れ去られていた。

本書はスタンフォード大学のカンター・アート・センター(Cantor Arts Center)で2014年秋に開催された、50年代アメリカで撮影されたフランク作品に初めて注目した展覧会に際して刊行。1991~2011年までニューヨーク近代美術館の写真部門チーフ・キュレーターだったピーター・ガラッシ(Peter Galassi)が企画編集を担当。未発表作による「The Americans」の第2巻ともいえる内容だが、収録131点中の22点はオリジナル版収録作と重複している。ガラッシはエッセーで、フランクのルーツであるプロ・フォトジャーナリズムを探求。また当時主流だったグラフ雑誌と一線を画して、35mmカメラで作家性を確立させた彼の革新的な写真提示方法を分析。1949~1961年にわたる全米旅行の過程を記した見開きの詳細マップ”Locations of photographs in 「The Americans」 and 「Robert Frank in America」”も収録され、収録写真のページ・ナンバーが地図の撮影地横に記載。「The Americans」が好きな人は必読。
ハードカバー: 195ページ、サイズ2.5 x 23.5 x 24.8 cm、モノクロ131点を収録。
(マーケット情報)
状態により、50ドル(7,500円)~100ドル(15,000円)程度で購入可能

・Josef Koudelka: Exiles (英語)
Josef Koudelka (ジョセフ・クーデルカ) 
出版社: Thames & Hudson Ltd; 2nd Revised版 (2014/9/22)
SBN-10: 0500544417
ISBN-13: 978-0500544419
出版社のウェブサイト

ジョセフ・クーデルカ(1938-)は、旅に生きるチェコスロバキア出身の写真家。60年代からエンジニアのかたわら劇場写真家としてキャリアを開始する。1961~1967年にかけて主に東欧でジプシーを撮影。1968年には反ソ連デモが続くプラハへのソ連軍侵攻をドキュメント。1970年に英国に亡命し、1971年よりマグナム・フォトのメンバーとなる。
被写体のジプシーのように、自由に放浪する生き方自体をテーマとしたクーデルカの作家性はアート界でも広く認められるようになる。いまでは世界中の美術館で展覧会が開催されるとともに、作品がコレクションされている。2013年に東京国立近代美術館で個展、2014年には米国で回顧展が行われている。
本書は、クーデルカが祖国を脱出後に欧州や米国を放浪しながら撮影した代表作「Exiles」の待望の改定版。「Exiles」は流浪者や亡命者の意味。彼は広告や報道の仕事を行うよりも、自由に放浪する生き方をえらび、世界各地の辺境で生きる運命を受け入れている人々の誕生、結婚、死などの日常生活を粘り強く撮影している。特にスペイン、アイルランド、イタリア、ギリシャなどの同じ場所を何度も訪れている。
本書のオリジナル版は、1988年にパリの国立写真センターとニューヨークのICP(国際写真センター)で行われた展覧会の際に刊行。(フランス語版、英国版、米国版が同時刊行)
新版では未発表作10点が追加収録されている。エッセーは、クーデルカの写真集や美術館展企画を手掛けているロベール・デルピエールが担当。
ハードカバー: 188ページ、 サイズ30.4 x 27.4 x 2.4 cm、約75点の図版を収録。
(マーケット情報)
状態により、50ドル(7,500円)~100ドル(15,000円)程度で購入可能

・The Open Road: Photography & the American Roadtrip
David Campany(デビット・カンパニー著)
出版社: Aperture (2014/10/31)
ISBN-10: 1597112402
ISBN-13: 978-1597112406
出版社のウェブサイト
著者のウェブサイト

アメリカでは、ロード・トリップは長きにわたり文化のシンボル的な存在だった。それは自動車が消費者に広く普及して、道路が国中に張り巡らされて以来、可能性と自由、発見と逃避、自己喪失とともに再発見する行為だった。第2次大戦後には、ロード・トリップが文学、音楽、映画、写真で目立って登場してくる。写真家のスティーブン・ショアは「この国は長い旅によって形づくられている。1940年代以降、ロード・トリップは夢と自由と未来の可能性の感覚を象徴しており、文化の中で重要な役割を果たしている」と書いている。

これまでに、ウォーカー・エバンス、ベレニス・アボット、エドワード・ウェストン、アンリ・カルティエ=ブレッソン、エド・ルシェなど、数多くの写真家たちは作品制作のために米国縦断の旅を敢行している。その中で最も有名な仕事はロバート・フランクがまとめた写真集「The Americans」だろう。それ以後も現在までに、スティーブン・ショア、アレック・ソス、ライアン・マッギンレイなど数百人もの写真家たちが写真によるロード・トリップの伝統を受け継いで活動を行っている。

本書では著者デビット・カンパニーは「アメリカのイメージは、ロード・トリップなしには考えられない」と主張し、写真によるロード・トリップを独立した作品ジャンルと取り上げ、この分野の写真家たちの物語を提示している。内容はロード・カルチャーの歴史を探求する紹介から始まり、アメリカのロード・トリップをポートフォリオ作品とともに深く探求した年代順の18章で構成されている。ロバート・フランク、エド・ルシェ、ゲイリー・ウィノグランド、ジョエル・スタンフェルド、ウィリアム・エグルストン、アレックス・ソス、ライアン・マッギンレイなどによる重要ロード・トリップ作品が含まれる。興味深いのは、欧米ではあまり知名度がない藤原新也の1988年作品「アメリカン・ルーレット」が収録されていること。1991年にかつてのジャパンが再結成したレイン・ツゥリー・クロウという英国バンドのアルバム・カヴァーで藤原の写真が採用され、海外で彼の米国の砂漠の写真が認知されるようになったと紹介されている。

またカンパニーは紹介分で「ロード・トリップが終わった後に何が起きるべきか?それは、現状への復帰か? 革命的な新しい人生の始まりか?将来の見通しのいくつかのマイナーな調整だろうか?明らかに西部にドライブしていくだけでは約束の地(Promised Land )に着くことはできないのだ」とも語っている。本書が伝えたいのはアメリカン・ドリームとその挫折の歴史なのだろう。
ハードカバー: 272ページ、サイズ 30 x 25.6 x 3.8 cm、約150点の図版が収録。 

(収録写真家)
Robert Frank, Ed Ruscha, Inge Morath, Garry Winogrand, Joel Meyerowitz, William Eggleston, Lee Friedlander, Jacob Holdt, Stephen Shore, Bernard Plossu, Shinya Fujiwara, Victor Burgin, Joel Sternfeld, Alec Soth, Todd Hido, Ryan McGinley, Justine Kurland, Taiyo Onorato and Nico Krebsなど
(マーケット情報)
状態により、200ドル(30,000円)~300ドル(45,000円)程度で購入可能

(フォトブック・コレクションの購入ガイド)

もし欲しい洋書フォトブックが見つかったら、まず通販大手のアマゾンで在庫を検索してみよう。アマゾンでは、新刊と古書を同時に販売している。本の大体の相場観を掴むのにとても便利だ。ここで紹介しているリストにはISBNを記載しているので、この番号をコピペして在庫を調べることから始めればよい。本によっては、流通在庫があり新品で購入可能な場合もある。特に名作の改訂版は、出版社も多めに印刷する場合が多い。売り切れて絶版になった場合、昨今の急激な円安と送料高騰により、もしAmazon Co.jpに日本の業者が本を売りに出していたら一番安い価格である可能性が高い。しかし、古書の場合は新品と違い状態は個別の本ごとにかなりばらつきがある。また状態の良し悪しの判断は主観的だ。もし状態にこだわるのなら、古書店や専門店に行って個別に状態を確認して納得したうえで購入することを薦める。ブリッツで定期的に行っている「Photo Book Collection」ではすべての本の状態を確認できる。

フォトブックの在庫は海外の専門サイトで豊富に発見できる。まずは、アマゾンの米国、英国などのサイトで在庫を検索してみよう。送付先の住所を日本に登録しておけば、個別の業者の送料も提示される。海外の大手検索サイトを利用すると専門店の在庫も簡単に見つかる。しかし海外から買う場合、いま円安とともに送料がかなり高額になっているので注意が必要だ。特にフォトブックはサイズが大きいうえに重量がある。本自体の値段を超える送料がかかる場合も普通に起きている。最初の見積もりよりも実際の送料が高くて、追加料金を請求される場合もある。もし状態に納得しなくて返品する場合も、送料がかかってしまう。私は興味深いフォトブックが出たら必ず新刊で買い求めるようにしている。

フォトブックを写真が掲載された「本」だと考えると高級品だと感じるだろう。しかし、趣味のファインアート写真コレクションの入門分野だと考えると、見方が変わるのではないか。写真やフォトブックと同様に、いまや他分野のすべてのアート作品やコレクタブルもとても高額になっているのだ。実はフォトブックはいまでも比較的低予算で開始できるコレクション分野なのだ。
(マーケット情報の為替レートは 1ドル/150円換算)

20世紀写真の高額落札が相次ぐ
ニューヨーク 20/21世紀/
現代アート系オークション

2024年春のニューヨーク・アート写真オークション・レポートでも触れたが、最近は写真で表現された作品と、絵画などのアート作品との区分けがあいまいになってきている。20世紀には写真作品は全く独立した分野で、他のアート・カテゴリーに出品されることはなかった。21世紀になり、写真がデジタル化して、かつては高い技術と経験が求められた写真表現の民主化が進行、写真家以外のアーティストも、カメラを使用するようになる。また現代アートが市場を席捲したことと相まって、写真はアートにおける一つの表現方法だと理解されるようになる。
そして2020年代になり、写真を含むアート作品は、希少性と市場価値がどこのオークションカテゴリーに出品されるかを大きく左右するようになった。今春のニューヨーク・オークションでは、その傾向が顕著だった。

20世紀写真の評価の高いダイアン・アーバス、アンドレ・ケルテス、エドワード・ウェストン、リチャード・アヴェドンなど有名写真家の貴重な銀塩のヴィンテージ・プリントや大判サイズ写真作品は、同程度の評価額の絵画などの作品が出品される、モダン、コンテンポラリーなどの20/21世紀や現代アート分野のカテゴリーに出品される傾向が強く見られた。主な高額落札を以下にリスト化したので参考にしてほしい。

〇クリスティーズ
「21st Century Evening Sale」、5月14日

・ダイアン・アーバス 「Identical twins, (Cathleen and Colleen), Roselle, New Jersey, 1966/1967-1969」

Christie’s「21st Century Evening Sale」, Diane Arbus, 「Identical twins, (Cathleen and Colleen), Roselle, New Jersey, 1966/1967-1969」

落札予想価格80万~120万ドルのところ、1,197,000ドル(@155/約1.85億円)で落札。本作は、1967~1969年にかけて、 ダイアン・アーバス本人によりプリントされた、イメージサイズ38.1 x 36.1 cmの極めて貴重なヴィンテージ作品。来歴を見ると、「Sotheby’s, New York, April 27, 2004, lot 11」 と記載されている。当時の落札価格は、約47.8万ドル、約20年で約2倍になっている。

・リチャード・アヴェドン 「Marilyn Monroe, Actress, New York City, 1957」

Christie’s「21st Century Evening Sale」, Richard Avedon, 「Marilyn Monroe, Actress, New York City, 1957」

アヴェドンの代表作が、落札予想価格60万~80万ドルのところ、882,000ドル(@155/約1.36億円)で落札。エディション10、AP2、イメージサイズ100.3 x 77.4 cmの大判サイズ作品。

〇クリスティーズ
「20th Century Evening Sale」、5月16日

・アンドレ・ケルテス 「Satiric Dancer, 1926」

Christie’s「20th Century Evening Sale」, ANDRÉ KERTÉSZ, 「Satiric Dancer, 1926」

落札予想価格50万~70万ドルのところ、567,000ドル(@155/約8788万円)で落札。本作は、イメージサイズ9.5 x 7.5 cmの極めて貴重なヴィンテージ作品。

・エドワード・ウェストン 「Shell (Nautilus), 1927」

Christie’s「20th Century Evening Sale」, Edward Weston, 「Shell (Nautilus), 1927」

落札予想価格80万~120万ドルのところ、1,071,000ドル(@155/約1.66億円)で落札。本作は、イメージサイズ24.1 x 18.4 cmのヴィンテージ作品。来歴を見ると、「Sotheby’s, New York, 13 April 2010, lot 122」 と記載されている。当時の落札価格は、落札予想価格30万~50万ドルのところ、評価上限の2倍の1,082,500ドルだった。約15年で価値がほとんど変わっていないのが興味深い。2010年、写真分野ではまだ20世紀写真の評価が高かった。たぶん落札者が過大評価したのだろう。

〇クリスティーズ
「POST-WAR AND CONTEMPORARY ART DAY SALE」、5月17日

・杉本博司 「North Pacific Ocean, Ohkurosaki, 2002」

Christie’s「POST-WAR AND CONTEMPORARY ART DAY SALE」, Hiroshi Sugimoto, 「North Pacific Ocean, Ohkurosaki, 2002」

落札予想価格25万~35万ドルのところ、327,600ドル(@155/約5077万円)で落札。エディション5、イメージサイズ119.4 x 149.2 cmの大判作品。2013年に、サンフランシスコのフレンケル・ギャラリーが販売した作品。

〇サザビーズ
「Contemporary Day Auction」、5月14日

・シンディー・シャーマン 「Untitled #420, 2004」

Sotheby’s「Contemporary Day Auction」, Cindy Sherman,「Untitled #420, 2004」

二つのパートから成るカラー作品、落札予想価格25万~35万ドルのところ、330,200ドル(@155/約5118万円)で落札。エディション6、イメージサイズはそれぞれ186.1 by 120 cmの大判作品。

いま写真の大判サイズ作品は20世紀写真を含めて現代アート作品の一部だと認識されている。一方で通常サイズの20世紀写真は、需要の強い高価格のものと、弱い低価格のものとの市場2極化が進んでいる。今回紹介した高額落札作品は前者のコレクター需要がある貴重な作品の例だといえるだろう。
一方で、需要が弱い方の作品は大手が取り扱わないので、中小業者のオークションに数多く出品されるようになった。残念ながら、最近のオークションでも有名写真家の代表的作品以外の落札率はかなり低迷している。今後もこの傾向は進むと思われる。
これは需給関係の悪化が理由の一つだろう。つまり20世紀にこの分野をコレクションしていた人が高齢になり作品整理を検討する中、若い層の新しいコレクターは違う価値観を持つので、結果的に需給が悪化しているということ。今後は20世紀写真の在庫を抱えるディーラーやコレクターの動向に注目したい。

この2極化傾向は、20世紀写真の写真作品だけではなく、フォトブックにも波及してくると思われる。実際に、最近は同分野のフォトブック作品のオークションでの取り扱いは大きく減少している。

(1ドル・155円で換算)

コスパとタイパが悪いアート・コレクション
それでも興味ある人へのアドバイス
「Blitz Photo Book Collection 2024」

アートのコレクションは、単に自分の感覚に合ったアーティストの作品を表層の好みで買う行為ではない。また資産家が業界や市場の評判をたよりに、高級外車や腕時計などと同じように、資産ポートフォリオの一部として資金力に任せて短期間に買い集めるのでもない。よく混同されるが、特定のファッションやカルチャーのアイテムに熱狂的に興味を持ち、それらを収集している、いわゆるハイプビースト・コレクターとも違う。地道に専門書を読み、情報を収集し、美術館やギャラリーを回り経験を積み重ね、色々と自分自身に問いかけていくことが必要。様々な努力を通して自らのアート理解力を高めていかなければならない。そのように獲得した自らの視点を頼りにアート作品を購入していく行為なのだ。
それはビジネスと同じで、厳しい自己管理能力が求められる。いまは自由に生きるのが当たり前の時代、昔のようにだれも厳しい指導やアドバイスなどしてくれない。すべて自分でやり方を学んで、判断を下して、実践しなければならない。そのためには無駄になるかもしれない膨大な時間と多額なお金を投入する必要がある。
きわめてタイパやコスパの悪い、とてつもなく面倒な行為なのだ。しかしもしうまくいけば、自分のアートの評価軸が生きる指針のひとつになりうる、数少ない人のみが持てるライフワーク的な極上の趣味になるかもしれない。企業家に真摯なアート・コレクターが目立つのは、起業や経営とコレクションに親和性があるからだと思う。

ブリッツで開催中の「Blitz Photo Book Collection 2024」では、特に若い人はさらっと展示作品を見て帰っていくことが多い。これは単純に展示している1点の作品、1冊のフォトブックの背景に横たわる情報を持ってなく、それらの価値を知らないからだと思う。声をかけてきてみると、私の世代では誰もが知っている超有名写真家の名前する知らない人が多いのだ。自分の感覚に合わない写真家には興味があまりないようだ。
多くの若い人はどのような音楽を聴くかと同じようなスタンスで、ただ自分好みの写真を求めているのではないかと思えてくる。ただ感覚的に好きなイメージを探し、その連なりを追い求めるのはイメージの消費行為でしかない。なかなかコレクションへと興味が展開していかない。主観による表層的な好みの追求では、常に新しい誰かのイメージを求める行為の繰り返しになる。暇つぶしのような行為になってしまう。個性だと思っている自分の写真に対するテイストだが、実は様々な社会からの影響を受けて成立している事実にも気づかないだろう。耳に心地よいヒット曲を追い求めて聴くだけでは、すぐに飽きて次の新しい刺激を求める行為の繰り返しになるのと同じ構図なのだ。

いまアート写真やフォトブックも、他分野と同様に情報量が増えすぎている。写真関連の表現はデジタル化で制作コストが下がり情報発信の敷居も低くなった。厳しい編集者、ギャラリスト、デザイナーの目を通さずに、誰でも自由に創作できて発表できるようになった。かつては、専門家が認めたものだけが作品として発表された。その評価はコレクションの際に参考になったものだ。いまや写真関連の表現の質は本当に玉石混交になっている。情報量があまりにも多いので、いくら専門家でも、すべてに目を通すことなど不可能な状況といえるだろう。

コレクションは一人の写真家の一枚の写真との運命的な出会いからはじまり、そこから展開していく。では何を手掛かりにコレクションに値する自分好みのアート写真やフォトブックを膨大な数の中から見つけ出せばよいのだろうか?コレクターの理想は、まだ誰も知らない隠れた才能を見つけ出していち早く購入することだろう。しかし、それは運が良いコレクション上級者のみが可能な夢物語。
初心者がコレクションを始める際には、まずはキャリアの長い写真家により創作されて、社会で多くの人に共感されているものの中から、自分好みを見つけ出すことを薦めたい。フォトブックのガイド本に掲載されたもの、老舗ギャラリーの企画展で複数回紹介されている人の作品に注目してほしい。
こちらは古書になっているが、私が書いた「アート写真集ベストセレクション101」(2014年/玄光社刊)には、洋書のフォトブックガイド本のガイドがリスト化して掲載されているので参考にしてほしい。単純に言えば、上記のような作品やフォトブックは、売れている、客がついていると判断できるのだ。

フォトブック評価の場合、私が参考にしているのが、写真家が過去に出したフォトブックの古書市場での評価だ。毎年膨大な数のフォトブックが刊行される。残念ながらほとんどは売れ残って、しばらく時間が経過しても、新品で購入可能な状況が続く。時間経過とともにしだいに取り扱い業者が減少していき、それらは中古市場では二足三文で売られるようになる。それでも売れ残っている場合は、書店/古書店も店頭やサイトで取り扱わなくなる。本を検索しても出てこなくなるし、だいたい検索する人もいなくなるだろう。
一方で、完売して古書市場で高額で売られている写真家のフォトブックも存在する。それは、最初は一部の人の主観的評価だったのが、より多くの人の評価につながり、需要が存在しているということ。自分の好みの写真を撮る人がみつかり、過去のフォトブックが高価な場合は、更なるチェックをしてみよう。
フォトブックが高価な理由は、市場ではそれらは本ではなくアート写真表現のフォトブック形式のマルチプル作品だと認識されているからなのだ。本ではなく作品だと認識すると見方が変わるだろう。

ではどのようにアート・コレクションを展開すればよいのだろうか。気になった写真家の作品やフォトブックがみつかったら、次のステップとして意識的にその人の一連の作品集を買って見てみよう。何冊か本を見ると、しだいにその人の写真スタイルが把握できるようになる。そして、その人が誰に影響を受けたか、また同様のスタイルの人の存在を調べてみる。これは写真史/アート史でのその人の位置づけを把握することだ。更に好きになるかもしれないし、やや自分の感覚とは違うと感じるかもしれない。自分の興味が続かず、投入した時間やお金が無駄になる可能性もある。コレクションの入り口はその繰り返しになるので、極めてタイパとコスパの悪い趣味の世界なのだ。

もし更に写真への関心が高まった場合、次のステージでは制作の背景にある写真家のメッセージに注目し、何でその本が市場で評価されているかの読み解きを行ってみる。ここが気に入ったイメージを繰り返し消費するのとは大きく違う点になる。まずその人が作品を制作している背景を能動的に読みとこうとするのだ。
写真はいまや現代アートにおける表現方法の一部になっている。たぶん聞いたことがあるだろうが、写真家が追求してきた作品のアイデア、テーマ、コンセプトなどのことだ。
これからは、従来の「20世紀写真」は伝統的な写真表現として残るものの、それ以降の現代写真での表現は全く違う分野になる。従来の「20世紀写真」でも、写真家が表現するその背景にどのような当時の社会との接点があったかが再評価の基準になっている。ぜひ写真の表層を感覚的にとらえるだけでなく、写真のポートフォリオやフォトブックを通して写真家が何を社会で感じて見る側に伝えようとしているかを、能動的に読み取る努力を惜しまないでほしい。

そして次のさらに高度なステップとなる。
写真家が問題提起しているメッセージが自分のエゴの押し付けや自己満足であっては、多くの人に共感されない。社会における、一般の人が見落としている、もしくは気づかない様々な価値観との関係性が重要になる。写真作品により、私たち見る側は新たな視点を獲得して、社会生活で思い込みにとらわれている自らを客観視するきっかけを与えてくれる。コレクションを続けていると、多くの人が一生気づかない、自分独自の世界を評価する視点が獲得できるかもしれない。これこそがアート・コレクションが高度な知的遊戯と言われる理由であり、現代写真の面白さであり魅力なのだ。このあたりの状況は「ファインアート写真の見方」(2021年/玄光社刊)で詳しく書いているので、興味ある人は参考にしてほしい。

ギャラリーが今回のような雑多な写真作品とフォトブックを展示する企画を行う意図に触れておこう。展示されている写真作品は、かつて国内外のギャラリーの個展で発表後に、オークションなどのセカンダリー市場で取引されているもの。
フォトブックは新刊で発売され、完売後に市場での評価を獲得した末に古書市場で高価になっているもの。このイベントではギャラリーがセレクションしたこのような時代の評価の荒波の中で生き残ってきた写真作品とフォトブックが展示されている。コレクションに関心のある人に自分好みの写真作品との出会いの場を手っ取り早く提供をしているのだ。取り組みがやや面倒なアート・コレクション、それでも興味ある人はぜひ本展を見に来てほしい。知らないこと、不明な点があれば勇気を出してギャラリーの人に質問してみよう。その方が自分で全部の情報収集をするよりもはるかにコスパ/タイパが良い。

Blitz Photo Book Collection 2024
2024年5月8日(水)~7月7日(日)
13時~18時、月/火曜 休廊

2024年春ニューヨーク
アート写真オークションレヴュー
経済見通しの不確実性から横ばいが続く

まず市場を取り巻く外部環境を見ておこう。3月の小売売上は好調、また雇用者数も20万人以上増加を4か月連続で上回っていた。米国経済は、年初から予想外の好調さを維持している。賃金インフレの懸念はないものの、インフレ指標のCPIは2%台のインフレ目標の達成には距離がある。FRBのパウエル議長がインフレ低下の確信を得るために「より長い時間がかかる」と述べ、利下げ開始を先延ばしする可能性を示唆。また昨年から予想されていた利下げ開始時期の後ずれを示唆するFRB高官発言が見られる。金融市場は年内の利下げ回数予想は当初の3回から1~2回の予想へと変更されるようになっている。米国株式市場は、2023年末から堅調な上昇が続いてきたものの、2024年4月に入ると利下げ観測の後退や中東情勢の悪化などのニュースが相場の上値を押さえるようになってきた。
政治経済の不確実性は、アート・オークション参加者に心理的な影響を与えると言われている。高額評価作品の出品が控えられる一方で、低価格帯作品の出品は増加する場合が多い。今春のニューヨーク・オークションもそのようなコレクター心理が反映されていた印象だった。

2024年春の大手業者によるニューヨーク定例アート写真オークションは、4月上旬から中旬にかけて、複数委託者、単独コレクションによるライブとオンラインの合計4件が開催された。
クリスティーズは、4月3日に複数委託者による“Photographs(Online)”(164点)を、フィリップスは、4月4日に単独コレクションのセール“ Photographs from the Martin Z. Margulies Foundation”(158点)、4月5日に複数委託者による“Photographs”(245点)を、サザビーズは、4月10日に複数委託者による“Photographs(Online)”(199点)を実施した。

さてオークション結果だが、3社合計で766点が出品され、563点が落札。全体の落札率は約73.5%と、ほぼ昨年の73.77%と同じだった。ちなみに2023年秋は出品668点で落札率70.4%、2023年春は555点で落札率77.8%だった。
総売り上げは約1159万ドル(約17.62億円)、昨秋の約903万ドル、昨春の約962万ドルより増加している。
落札作品1点の平均金額は約20,600ドルで、昨秋の約19,217ドルより微増、昨春の約22,273ドルよりは減少している。過去10回のオークションの落札額平均と比較したグラフを見ても、減少傾向が継続、マイナス幅も若干拡大がした。昨秋と比べると、経済先行きの不透明さが影響して、高価格帯の出品に変化がなく、中低価格帯出品数が増加。全体の落札率はほぼ横ばいで、中低価格帯作品の落札件数増により総売り上げは増加したといえる。
業者別では、売り上げ1位は昨秋と同じく約524万ドルのフィリップス(落札率75%)、2位は約358万ドルでサザビーズ(落札率72%)、3位は約277万ドルでクリスティーズ(落札率73%)だった。クリスティーズの売り上げが比較的少ないのは、既報の2月にエルトン・ジョンの単独コレクションセールの“The Collection of Sir Elton John”(合計364点)を行ったからだろう。

今シーズンの高額落札は、サザビーズ“Photographs(Online)”に出品された現代アート系2作品で、落札予想価格を大きく超えてともに38.1万ドル(約5791万円)で落札された。

ジェフ・ウォールの、「A Woman and Her Doctor, 1980-1981」は、落札予想価格7万~9万ドルで、上限の約4倍で落札。

Sotheby’s “Photographs(Online)”, Jeff Wall, 「A Woman and Her Doctor, 1980-1981」

デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチの「Untitled (Face in Dirt), 1991/1992-1993 (posthumous)」は、落札予想価格3万~5万ドルで、上限の約7倍で落札された。

Sotheby’s “Photographs(Online)”, David Wojnarowicz, 「Untitled (Face in Dirt), 1991/1992-1993 (posthumous)」

同じササビーズのオークションに出品された、20世紀写真の巨匠アンセル・アダムスの「The Golden Gate (Before the Bridge)1932,1965」が第3位で、落札予想価格10万~15万ドルのところ、35.56万ドル(約5405万円)で落札。

Sotheby’s “Photographs(Online)”, Ansel Adams, The Golden Gate (Before the Bridge)1932,1965」

第4位は、クリスティーズ“Photographs(Online)”に出品された、アーヴィング・ペンの「The Hand of Miles Davis, New York, July 1, 1986, 1986」で、30.2万ドル(約4596万円)で落札されている。

Christie’s “Photographs(Online)”, Irving Penn「The Hand of Miles Davis, New York, July 1, 1986, 1986」

最近は20世紀写真の評価の高いダイアン・アーバス、アンドレ・ケルテス、リチャード・アヴェドンなど有名写真家の貴重なヴィンテージ・プリントや大判サイズ作は、同程度の評価の絵画などの作品が出品される、モダン、コンテンポラリーなどの20/21世紀や現代アート分野のカテゴリーに出品される傾向が強い。写真もアート表現の一部だと認識されることは喜ばしいのだが、写真カテゴリー(Photographs)での高額落札が生まれにくい環境になってきたといえるだろう。

(1ドル/152円で換算)

写真展レビュー
TOPコレクション 時間旅行
@東京都写真美術館

私は、人間の主観的な行為はすべて広義のアート表現になりうると理解している。また写真、絵画、彫刻などの作品を制作する人だけでなく、作品をコレクションするコレクターやフォトブックの編集者もアーティストの一部だととらえている。さらにギャラリーの小規模な写真展から美術館の大規模展覧会など、作品を選んで組み合わせて展示するキュレーションや企画もアート表現に含まれると考えている。
これらの作品展示は主観的な判断で行われる、自己満足的なものが大部分なのだが、中には私たちが生きている時代の見過ごされている価値観を提示するものも含まれている。しかしながらポストモダンの現在では多くの人が同時の共感するような価値基準はなかなか存在しない。果てしなく多様化した価値観の一部に、興味を持つ人だけが局地的に反応するような状況なのだ。だから大成功するような展示企画は非常に生まれにくい構造になっている。
しかし、世の中の誰でもが問題意識を持つ、「気候変動」、「環境汚染」、「森林崩壊」などの大きなテーマを持ってくると、問題の上辺だけを提示した自己満足的な軽い企画に陥る。当たり前のことを偉そうに提示されても、オーディエンスはリアリティーを持つことができなくて、そっぽを向かれてしまう。結果的に、多額の予算がかかる美術館展の場合、どうしても人気の高いアーティストや、歴史的に有名な海外美術館やコレクションの収蔵作品であることを強調するイベント的な企画になりがちだ。商業ギャラリーも若手新人よりも、市場性がある作品を提供する人気アーティストの展示が主流になる。

今回のTOPコレクション展「時間旅行 / 千二百箇月の過去とかんずる方向から」は、この難しい課題にキュレーターのアイデアで果敢に挑戦した意欲的な企画といえるだろう。
「時間旅行」をキーワードに、そして誰もが知る詩人・童話作家の宮沢賢治の視点を取り入れながら、膨大なコレクションから各時代の写真を取り上げて多様なテーマごとにセレクションして展示している。この見せ方の評価は観客の主観にゆだねられるが、国内外の様々な時代の名作やあまり知られていない膨大な写真がまとめて鑑賞できるのは写真/美術ファンやコレクターにとってはありがたい機会だと思う。

それらの展示は、「プロローグ」、第一室「1924年ー大正13年」、第二室「昭和モダン街」、第三室「かつて ここでエビスビールの記憶」、第四室「20世紀の旅ーグラフ誌に見る時代相」、第五室「時空の旅ー新生代沖積世」で構成されている。総作品展示数は約156点におよぶ。

キービジュアルとして同展カタログの表紙およびフライヤーで使用されているのが、黒岩保美の「D51 488 山手貨物線(恵比寿)、1953」と宮沢賢治の肖像写真。同館が建つかつてのエビスビール工場の横を蒸気機関車が走る象徴的な写真が採用されている。2024年に東京・恵比寿ガーデンプレイスが開業30周年を迎えることを意識した企画なのだ。蒸気機関車が走るビジュアルは、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を意識したものだと思われる。

TOPコレクション 時間旅行、大久保好六「東京」シリーズ

私の専門のファッション写真では、特に「第2室 昭和モダン街」で展示されていた大久保好六による「東京」シリーズが興味深かった。これは1930~1935年の東京のストリートで撮影された作品。この時期の景気は良くなったが、日本の近代化が進み新しいデザインやファッションなどの文化が花開いた時期だった。女性のファッションでは、ボブカットやワンピースが流行、男性のファッションでは、スーツやネクタイが一般的だったという。
いま放映中の110作目のNHK連続テレビ小説「虎に翼」は、ちょうどこの時代が舞台に物語がスタートしている。大久保の作品は、日本では珍しい当時の時代の気分がファッションや被写体の動きを通して見事に反映されたファインアート系ファッション写真といえるだろう。彼は朝日新聞のカメラマンで、資料によるとこれらの展示作品は「アサヒグラフ」誌上で発表された作品のようだ。
ここでは、同時に桑原甲子雄「東京昭和十一年」のストリート写真も展示されている。大久保好六の写真と対照的にこちらで撮影されているのは和装の男性ばかりなのだ。つまり東京のストリートのドキュメントなのだ。時代の雰囲気をとらえたファインアート系ファッション写真と記録の写真との違いが非常にわかりやすい展示になっている。ぜひ見比べてほしい。

本展では、「昭和モダン街」、「かつて ここでエビスビールの記憶」のセクションで多くの広告写真も展示されていた。日本ではファッション写真や広告写真のアート性はあまり研究されていない。今回写真専門の美術館が取り上げたのは非常に意義がある。かつてファッションやポートレート写真は作り物の写真でアート性は低いと考えられていた。1990年代以降、欧米の美術館はこの分野の作品の評価基準を確立させ、同時に市場も拡大した経緯がある。しかし日本では全く手が付けれれていない分野なのだ。戦前の昭和時代の調査は、戦後の高度経済成長期のファッション写真をファインアートの視点から評価する原点となる。同館の膨大なコレクションから、欧米のファッション/広告写真との同時展示を行うことで、文化の違いや共通性を幅広くに探求してほしい。

第四室「20世紀の旅ーグラフ誌に見る時代相」も見どころが多い。同館のエントランスに続く外壁にある巨大な写真作品3点のうち2点のオリジナル作品を鑑賞することができる。いずれもグラフ雑誌「LIFE」掲載作品で、ロバート・キャパによる第2次世界大戦時のノルマンディー上陸を撮影した「オマハ・ビーチ、コルヴィユ・シュル・メール付近、ノルマンディー海岸、1944」と、ロベール・ドアノーの「パリ市庁舎前のキス、1950」だ。写真が掲載された雑誌のオリジナルも同時展示されている。

ライフ誌、1950年6月12日号

ドアノー作品には数々のエピソードがあることが知られている。展示しているようにライフ誌1950年6月12日号の「パリの恋人」という企画で発表された1枚の作品で、1986年にポスターになったことで大人気となった。世界中で50万枚以上がポスターに複製されたとのこと。実は写真のモデルだった元女優のフランソワ・ボネが90年代に写真の肖像権料の支払いをドアノーに求めた裁判を起こし、この写真が純粋なドキュメントでなかったことが明らかになった。彼女によると、写真は演出して撮影されたが当時恋人だった二人のキスには偽りがなかったそうだ。実は数々の名作のコンタクトシートを収録した写真集「The Contact Sheet」(編集Steve Crist、2009年 Ammo Books刊)に、本作が収録されている。実際のコンタクトを見ると、ドアノーがカップルを様々な場所で演技させて撮影していることが分かる。

「The Contact Sheet」(2009年 Ammo Books刊)より

本作のエピソードはさらに続く。彼女は裁判では敗れるものの、2005年4月25日にパリArtcurial Briest Pulain le Fuで開催されたオークションで、彼女が所有する同作のオリジナル作品が155,000ユーロ(当時のレート@140、約2千2百万円)、落札予想価格の十倍以上でスイスのコレクターが落札されたのだ。同作は1950年に撮影された数日後にドアノーからプレゼントされた非常に貴重なヴィンテージ・プリントで、裏面にはドアノーのスタンプが押されていた。超人気イメージの来歴が確かな正真正銘のヴィンテージ・プリントだったことが高額落札の理由だった。今回の展示作品は特に記載はないので、年月経過後にプリントされたモダンプリントだと思われる。

本展は一般観客向けに用意された「時間旅行」と宮沢賢治という、大きな切口のほかにも、本当に様々な視点で作品がセレクションされて展示されている。いま写真が好きな人の興味は本当に多様化しているが、必ず自分の関心のある分野の作品に出会えるだろう。

コレクターにとっては、エドワード・ウェストン、ラースロ・モホイ=ナジ、マン・レイ、W.ユージン・スミス、フィリップ・ハルスマンなどの20世紀写真のオリジナル作品や同館収蔵の国内外の現代写真を鑑賞できる展覧会になっている。

「TOPコレクション 時間旅行」
(千二百箇月の過去とかんずる方角から)
東京都写真美術館 (担当学芸員 石田哲朗)
詳細

「SUKITA X SCHAPIRO PHOTOGRAPHS」
日米二人の巨匠の写真展を振り返る(2)

鋤田正義(1938 -)と米国人写真家スティーブ・シャピロ(1934 – 2022)による「SUKITA X SCHAPIRO  PHOTOGRAPHS」が先月末に無事に会期を終えた。前回に続き、二人展の主要な見どころの振り返りのパート2をお届けする。

Jazz, 1969 (C)Delta Monde & Sukita

本展では、鋤田とボウイとの出会いのきっかけとなったキャリア初期1969年のメンズ・ブランド「JAZZ」のファッション写真が展示されていた。これは、鋤田がシュールレアリスム画家ルネ・マグリットの絵画作品に触発されて制作した作品。当時の日本は女性ファッションが花盛り、メンズは超マイナー分野だった。逆にそれが鋤田に幸いして、表現に数多くの制限があるファッション写真で写真家に多くの自由裁量が与えられたのだ。つまり本作は、仕事の写真なのだが鋤田の自己表現の作品でもあるのだ。
本展には、ちょうどスティーブ・シャピロが撮影したルネ・マグリットの有名なポートレートも展示されていた。二人のつながりは、デヴィッド・ボウイ、ユージン・スミス、映画のスチールだけではないのだ。その後のストーリーは、ボウイ・ファンにはよく知られている。鋤田は「JAZZ」のファッション写真のポートフォリオを持って当時の若者文化の最先端地ロンドンに行くのだ。その作品がきっかけでT-Rexの撮影につながり、シュールレアリスムを愛するボウイに注目される。「JAZZ」のファッション写真がなければ、鋤田とボウイの約40年にもわたる関係は生まれなかったのだ。

鋤田が1980年に京都で撮影したモノクロのボウイ作品も好評だった。特に人気の高かったのは姉小路麩屋町にある老舗画材屋「彩雲堂」で撮られた1枚。実はこのお店は、ほぼ当時のままの姿をとどめているファンの聖地なのだ。満面の笑顔をたたえているボウイは、完全に素顔のデヴィッド・ロバート・ジョーンズに戻っている。鋤田とボウイの深い信頼関係があったから撮れた名作だ。もう1枚は、地下鉄東山駅東側出口付近、三条通の南側にあった、いまはすでにない電話ボックスでのショット。これは1972年に発表したアルバム「ジギー・スターダスト」のレコードジャケットの裏面を彷彿とさせる写真。以前、鋤田は意識的に電話ボックスでの撮影をボウイに提案したと語っていた。こちらでは、対照的に彼はロック・ミュージシャンのデヴィッド・ボウイのモードに入っている。ボウイは、京都をこよなく愛したことで知られており住居を持っていたという都市伝説もあるくらいだ。その発信源といわれているのが、彼がまるで京都で暮らしているかのように鋤田が撮影した一連のスナップなのだ。鋤田の京都作品は美術館「えき」KYOTOで2021年と2022年に、立川直樹氏プロデュースで開催された大規模展覧会「時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA」で紹介されていた。興味ある人は同展開催を機に刊行された同名フォトブック(ワニブックス /2021年刊)を見てほしい。

Mother & Neice, 1957 – 2018, Nogata, Fukuoka (C)Sukita

鋤田は本展で最新プロジェクトも紹介している。彼は、目に見えない「時間経過」の写真での可視化を試みている。会場入り口横に展示していたのが、「Mother、1957」と「姪、2018」の2枚組写真。彼は、母親をモデルにした名作「Mother」と全く同じ場所で、同じ衣装/格好の「姪」を撮影。アナログのモノクロ、デジタルでカラーの写真は、時間経過による環境変化、そして二人の全く同じようなあごのラインを通して、受け継がれて変わらない人のDNAを、組み写真で表現している。

もう1枚がボウイの組み写真。本作制作のヒントになったのが複数の写真家が撮影したボウイのポートレートをまとめた「David Bowie: Icon(FLAMMARION、2020年刊)」という写真集。そのフランス語版が、鋤田の2枚のボウイの写真を表と裏のカバーに採用している。

David Bowie: Icon(FLAMMARION、2020年刊)

一方で日本に一般的に輸入されている英語版のカバーは複数の小さなサイズの写真がグリッド状に羅列されたデザインなのだ。カバー違いで、中身はまったく同じなのだが、本の印象は全く違う。一人の被写体の変化を写真で見せるには、同じ環境とフレーミング/ライティングでの撮影が必須になる。そして二人の関係性や心理的距離感が変化しないことも重要。特に相手が有名人だと極めて実現困難なプロジェクトなのだ。同作は1973年と1989年にニューヨークで撮影された写真が組み合わされている。鋤田は、ほぼ同じカットのボウイの顔の表情としわなどで時間の経過を表現している。二人に長きにわたる確固たる信頼関係があったからこそ生まれた名作だ。鋤田の写真表現の限界を広げる挑戦は、85歳のいまでも継続中、今後の展開がとても楽しみでだ。本展でこの2点の組作品は、非売品扱いだった。しかし、本当に多くのお客様から販売を開始したらぜひ購入を検討したいという声が聞かれた。

今回の二人展はカラーのパート1とモノクロのパート2の2部構成で開催した。写真展を続けていくうちに、将来的に特にシャピロ作品はモノクロとカラーを同時に展示したいという思いが強くなった。いま鋤田の大規模展の企画が地元福岡で進行中だと聞いている。新型コロナウィルスの感染拡大で中断された企画が再び動き出したとのことだ。しかし大きな展示企画は関係者が多く、利害の調整に長い時間がかかる。たぶん実現しても、まだ数年先のことだろうと思う。しかし、鋤田の大規模展の際には、何らかの形でスティーブ・シャピロの全作品を紹介する展示の可能性を探求したい。またそれとは別に、70年代のボウイを撮影した、アラジン・セイン、ロジャー、スケアリーモンスターのダフィー、ダイヤモンド・ドッグのテリー・オニール。そして今回のスティーブ・シャピロ、もちろん鋤田正義を含めた作品展示の可能性を考えている。これらは将来を見据えて写真家の関係者との交渉を始めたいと思う。

さてブリッツの次回展は5月の連休明けからスタートする。様々なジャンルのフォトブックと写真作品の展示になる。この企画は今はなき渋谷パルコ地下1階のロゴスギャラリーで、2000年代から行ってきた「Rare Photobook Collection」が始まり。覚えている人も多いだろうが、あれはブリッツの企画だったのだ。
今回、写真作品は、アーヴィング・ペン、ハーブ・リッツ、ジャンルー・シーフ、リリアン・バスマン、シーラ・メッツナー、ベッテイナ・ランス、ダフィー、テリー・オニール、テリ・ワイフェンバック、ロン・ヴァン・ドンゲン、マイケル・ケンナなどを壁面に展示する予定。ミュージシャンのポートレート関連では、鋤田正義、ダフィー、テリー・オニールのボウイのコンタクト作品を展示する予定。フォトブックのセレクションはいま進行中だ。どうか楽しみにしていてほしい。

「Blitz Photo Book Collection 2024」
2024年5月8日(水)~7月7日(日)
13時~18時、月/火曜 休廊

「SUKITA X SCHAPIRO PHOTOGRAPHS」
日米二人の巨匠の写真展を振り返る(1)

鋤田正義(1938 -)と米国人写真家スティーブ・シャピロ(1934 – 2022)による二人展「SUKITA X SCHAPIRO  PHOTOGRAPHS」が先週に無事に終了した。カラー/モノクロの二つのパートで開催された日米二人の巨匠による写真展に、本当に多くの人が来廊してくれた。写真コレクター、ボウイ・ファン、アート/写真愛好家の人たちから寄せられた写真展への応援/サポートに心から感謝したい。

本展は2022年に亡くなったシャピロが生前に望んでいた日本での写真展示を、同時代に活躍した鋤田正義のアイデアで二人展として実現したもの。シャピロ作品は日本初公開だった。
鋤田は本展の開催終了に際し、以下のようなコメントを寄せている。
「今回はスティーブ・シャピロさんとの写真展が開催できて本当に良かったです。シャピロ写真事務所、ギャラリー関係者、そして来場してくれた皆さま、どうもありがとうございました。シャピロさんの生前に直接関わることはありませんでしたが、同世代の写真家として、ボウイを撮影した写真家として、作品を通じてシャピロさんのことはよく知っていました。こういう形で一緒に写真展が行えて本当に光栄です。私自身は東京から福岡に拠点を移しましたが、いずれまた何かシャピロさんと一緒にやれたら良いなと思います。私もまだまだ写真家として元気に頑張ります」
(鋤田正義)

©Steve Schapiro

それでは会期終了に際して、本展の主要な見どころを今一度振り返っておこう。特にボウイ・ファンに注目されたのが、シャピロが1974年ロサンゼルスで撮影したデヴィッド・ボウイのポートレートだろう。本展ではシャピロによるボウイ作品の代表作で、LPジャケットに採用された「The Man Who Fell to Earth」、「Low」などが展示された。70年代のカラー作品はボウイのキャリアを語るうえで重要だが、モノクロの銀塩写真もプリントに趣があり本当に素晴らしかった。

©Steve Schapiro

一連の作品は、シャピロの写真集「Bowie」(powerHouse Books、2016年刊)に収録されている。同書によると、初対面だった二人は、シャピロが自分は喜劇俳優バスター・キートンを撮影したことがあるとボウイに語ったところ、二人はすぐに打ち解けたとのことだ。キートンはボウイにとって憧れの人物。パート2で展示した、ルディ・ブレッシュ著のキートンの本を顔の横に並べて撮影された作品からは、ボウイのキートン愛が伝わってくる。また同書によると、1976年のアルバム「Station to Station」発売時に行われたIsolar Tourのツアープログラムブックにはボウイの希望でシャピロ1964年撮影のキートンの写真が収録されているとのこと。

カラー作品を展示したパート1では、ボウイの1977年のLPジャケット「Low」の作品が最注目作だった。しかし上記写真集「Bowie」の表紙写真にもディープなボウイ・ファンが反応していた。この時期のボウイはオカルトに興味をもっていたことが知られている。同セッションの写真でボウイは手描きの斜めの白いストライプの入った青いスーツを着て、壁には複雑に連なった一連の円でカバラ図のような落書きをしている。それが2016年の「ラザウス」のビデオにつながってくるのだ。この死を意識した一種のお別れのメッセージで、ボウイは約40年前と同じように見える衣装で踊り、机に座り、考え、ページの余白から恍惚状態でノートに必死に走り書きをする。個人的な印象だが、1974年に始まった何らかの探求の続きを改めて行い、その答えを発見したかのようなのだ。最後に、後ろ向きにワードローブの暗闇の中に去っていく。ボウイ・ファンなら約40年の時を隔てた二つのイメージのつながりの意味を色々と考えるだろう。今回のシャピロの展示写真はその原点となるオリジナル写真2点を日本で初公開したものだった。

©Steve Schapiro

余談ではあるが、2024年の第96回アカデミー賞で映画『オッペンハイマー』が作品賞などを含む7部門で受賞した。主演のキリアン・マーフィーの衣装がデヴィッド・ボウイのシン・ホワイト・デューク期から影響が受けたことが明らかになった。このことから、この時代のボウイを撮影しているシャピロのパート2での展示作品があらためて注目された。

二人の写真家の活躍範囲は、ボウイのポートレートだけではない。二人の事務所は本展開催に際して、ボウイの写真展にはしたくない、幅広い分野で活躍していた写真家がボウイも撮影していたことを示すものにしたい、と 強調していた。二人の活動範囲はドキュメンタリー、ポートレート、映画のスチールにわたる。シャピロが激動する60年代に全米を旅して撮影した作品は「AMERICAN EDGE」(Arena Edition, 2000年刊)にまとめられている。鋤田も50年~60年代に、戦後混乱期の地元福岡のストリート・シーンや長崎の原爆被爆者や原子力空母入港反対デモなどの社会問題を撮影、それらは「SUKITA : ETERNITY」(玄光社, 2021年)の「EARLY WORK」の章で初めて紹介された。彼の創作の原点は、プロヴォ―クの写真家たちと全く同じだったことが明らかになったのだ。

Anti-US nuclear submarine demonstration,
Sasebo, Nagasaki, 1965 ⓒ Sukita

本展では主にパート2で二人の60年代に撮影された初期ドキュメンタリー系作品が展示された。特にシャピロ作品は市場で実際に取引されている貴重なオリジナル作品だった。パーソナルな視点で撮影された、モノクロ作品はロバート・フランクやヴィヴィアン・マイヤーのように経済的な繁栄に浮かれる戦後アメリカ社会のダークサイドに注目した名作なのだ。実は欧米ファインアート写真市場では、彼のドキュメンタリー作品は非常に高く評価されており、市場価格も上昇中なのだ。いまの写真界は作品自体よりも、現代アート的なテーマ性が重視された表現が中心だが、彼の写真は銀塩写真のプリントの美しさやモノクロの抽象美が再発見できる逸品だった。特にアナログ写真を愛するアマチュア写真家にとても評判が良かった。多くの作品はエディションが進んでおり、すでに高価になっていた。作品が多く売れると、残りの供給が少なくなるので値段が上昇するのだ。昨今の1ドル150円を超えるドル高/円安の状況では、欲しいけど手が出ないというコレクターの悲鳴が聞こえた。嘘偽りなく、美術館で展示しても遜色のない写真史上でも重要な作品だったといえるだろう。写真展は終了したが、作品はもう少しの期間ギャラリーで保管する予定だ。美術館のキュレーターやシリアスなコレクターで作品に興味のある人は、事前連絡の上でぜひ見に来てほしい。

©Steve Schapiro / ©Sukita

次回 日米二人の巨匠の写真展を振り返る(2)に続く

エルトン・ジョン・コレクション(続報)
オンライン・オークション開催!

前回にレポートした、クリスティーズNYで開催されたポップミュージック界の巨匠エルトン・ジョンの「The Collection of Sir Elton John」セール。ライブと同時に、2月9日から月末まで中低価格帯の、アート作品、衣装/装飾品、インテリアなどのオンライン・オークション、「Honky Château」、「Elton’s Versace」、「The Jewel Box」、「Elton’s Superstars」、「Love, Lust and Devotion」、「Out of the Closet」が開催された。

全593点の出品うち写真関係は177点。そのうち約75%が落札予想価格1万ドル以下の低価格帯、25%が1~5万ドルの中間価格帯、高額価格帯の出品はなかった。ライブオークションで取り扱われた高額価格帯の作品は、落札予想価格の範囲内での落ち着いた金額での取引がほとんどだった。高額落札上位3点も落札予想価格の下限付近での落札にとどまった。しかし中低価格帯では、落札予想価格上限を超える落札が多く、特に1万ドル以下のカテゴリーにはエルトン・ジョン・コレクションのプレミアムが明らかに見られた。

今回のオンライン・オークションでも引き続きその傾向が顕著だった。特にファッション系、ポートレート系の落札が極めて好調、落札予想価格上限を超える落札が多く見られた。
特筆すべきは、エディション付き作品、モダンプリントでも、落札予想価格上限を大きく超えての取引が多く見られたことだ。作品相場を熟知しており、作品の流動性が高く他オークションで購入可能だと知る、一般のファインアート写真コレクターなら絶対に買わない高価格レベルだ。また普段はあまりに人気が高くない、ブルース・ウェバー、ハーブ・リッツのメール・ヌードも落札予想価格上限をはるかに超えて落札されていた。

Christie’s NY, Terry O’Neill, 「Elton John Performing a Handstand, 1972」

またオークションの特性上当たり前なのだが、エルトン・ジョンが所有していた、エルトン自身が被写体の写真作品は高額で落札されている。普段のオークションだとあまり人気が高くない、テリー・オニールの1975年のドジャーズ・スタジアムのライブ写真も落札予想価格を超えて落札。エルトン作品の最高額は、「Elton’s Superstars」に出品された、テリー・オニールの「Elton John Performing a Handstand, 1972」で、50.&X60.6cmサイズのゼラチン・シルバー・プリント、落札予想価格8000~12000ドルのところ、2.268万ドル(約340万円)で落札されている。

Christie’s NY, ANDRÉ KERTÉSZ, 「Melancholic Tulip, 1939」

また「HONKY CHÂTEAU」に出品されたアンドレ・ケルテス作品にも注目したい。彼のアイコニック作品「Melancholic Tulip, 1939」は、普段のオークションでも見られる25 x 20 cmサイズのゼラチン・シルバーのモダンプリント作品。落札予想価格6000~8000ドルのところ、2.016万ドル(約302万円)で落札された。これは明らかに、ファインアート写真の価値だけではなく、高い名声を誇るエルトン・ジョンが所有していたことに価値を見出した新規コレクターが購入したのだと思われる。本作のフレーム裏には「Sir Elton John Photography collection」ラベル、美術館展出品の作品ラベルが貼られていた。最高の来歴だといえるだろう。

Christie’s NY, Bruce WEber, 「Peter at my loft, NYC, 1997」

メール・ヌード系では特にブルース・ウェバーが好調で、落札予想価格上限の10倍を超える驚異的な落札も見られた。「Love, Lust and Devotion」に出品された「Peter at my loft, NYC, 1997」は、35.2X27.6cmのエディション1/10のゼラチン・シルバー・プリント。落札予想価格2000~3000ドルのところ、なんと3.276万ドル(約491万円)で落札されている。

Christie’s NY, Shirin Neshat,「Stripped, from Women of Allah, 1995」

一連のオークションで高額評価で注目された写真作品が、「Love, Lust and Devotion」に出品されたシャリン・ネスハット(Shirin Neshat)の「Stripped, from Women of Allah, 1995」。彼女は、イラン生まれニューヨーク在住のアメリカ人アーティスト。写真、ビデオ、長編映画で、抑圧的な社会で女性がいかに自由を見出すかを探求している。同作は、121.6 x 81.9 cmサイズ、エディション2/3のゼラチン・シルバー・プリント。落札予想価格3~5万ドルだったが、2.772万ドル(約415万円)での落札だった。

Christie’s NY, Radcliffe Bailey,「PINNIN LEAVES、1999」

写真関連作品での最高額落札は、「Honky Château」に出品されたラドクリフ・ベイリー(Radcliffe Bailey/1968-2023)による、111.7 x 146 cmサイズの写真コラージュ作品「PINNIN LEAVES、1999」だった。彼は、ミックス・メディア、ペイント、彫刻、写真、既製のオブジェやイメージを通してアフリカ系アメリカ人の過去、現在、未来を探求してきた米国人アーティスト。落札予想価格1~1.5万ドルのところ、9.45万ドル(約1417万円)で落札されている。2023年11月に55歳で亡くなっていることも高額落札の背景にあるかもしれない。

Christie’s NY, 「CARTIER, PLATINUM AND DIAMOND-SET ‘SANTOS OCTAGON’ WITH ONYX DIAL, REF. 2965」

その他の私物ではコレクタブルとして人気の高い腕時計が高価で落札されていた。「The Jewel Box」に出品された「CARTIER, PLATINUM AND DIAMOND-SET ‘SANTOS OCTAGON’ WITH ONYX DIAL, REF. 2965」は、落札予想価格7000~10000ドルのところ、なんと8.19万ドル(約1228万円)で落札されている。やはりスーパースターが実際に身に着けていたことがコレクターに大きくアピールしたのだろう。

(為替レート 1ドル/150円で換算)

クリスティーズ