連載の9回目からは、ロシア出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、写真家、教育者で、20世紀グラフィック・デザインの元祖として伝説化されているアレキセイ・ブロドビッチ(1898-1971)のキャリアと関連本を数回に分けて紹介する。
彼を取り上げる理由は、アート系ファッション写真の歴史の原点は、1945年刊行のブロドビッチのフォトブック「Ballet」にあると考えるととともに、彼の主宰したワークショップ「デザイン・ラボラトリー」が、同分野で活躍する写真家たちに多大な影響を与えたからだ。
ブロドビッチは1934年から1958年まで米国ハーパース・バザー誌のアート・ディレクターとして活躍。フォトブックでは、アンドレ・ケルテスの「Day of Paris」(1945年)、リチャード・アベドンの「Observations」(1959年)のデザインを手掛けている。
写真家としては、写真集「Ballet」が1945年に刊行されている。
当時は写真撮影のタブーだった、明暗、ブレ、ダブり、ボケなどを多用することで、バレーの動きと盛り上がる雰囲気を表現。写真表現の可能性を大きく広げ、その後のデザイン、写真界に大きな影響を与えている。彼の写真はデジタル化が進行した現在では目新しさはないかもしれない。しかし、ブロドビッチの時代のアート系写真は、ストレート写真の「f/64」グループと、FSA (米国農業安定局)プロジェクト関連のドキュメンタリー写真だった。
アーヴィング・ペンは、彼の戦後ファッション写真への長きにわたる影響について「すべての写真家は、その人が知っていようがいまいが、すべてがブロドビッチの生徒だ」と指摘、リチャード・アヴェドンは「彼は天才だった、そして、彼は気難しかった。いまや、彼は自らが人生を通して蔑んでいた栄誉ある存在として扱われるだろう。彼は、私の生涯でただ一人の先生だった。私は、彼の苛立ち、彼の傲慢、彼の不満から多くを学んだ」と語っている。
ブロドビッチの重大な功績には、「デザイン・ラボラトリー」と呼ばれるワークショップで、若手写真家やデザイナーを育てたことだ。1936年にフィラデルフィアで、その後は1941年から約20年間に渡りニューヨークで、写真、グラフィック・ジャーナリズム、広告、デザイン、ファッションなどの指導を行っている。ブロドビッチは、その場をクリエーターが表現方法の実験を行う場所と位置付けていた。彼はかなり厳しい指導者だった事実は多くの資料に書かれている。その教育理念の背景には20世紀初頭の欧州の規律を重んじる考え方があったからだと言われている。カジュアルな米国文化の中では多くの反発があったであろうことは容易に想像できる。彼の評判には、多くの才能を発掘した一方で、多くの才能を潰したという厳しいものもある。
彼の指導法は欧州バウハウスの教育学に影響を受けていた。特徴は、教えない、判断しない、育てない、提案しない、教義もないというスタイル。彼はアートの教育には懐疑的で、生徒は先生に教わることでそれを真似するようになり、先入観を持つようになると考えていた。ここの部分はかなり分かり難いので、私の解釈を追加しておこう。
彼が生徒に何を学んでほしかったかを正しく把握しないといけない。ここの部分の認識と理解によって彼の評価は大きく変わる。多くの人は、生徒はいわゆる「良い写真、上手な写真」を撮影する方法を学ぼうと考える。しかし、ブロドビッチの考えは違う。彼は生徒には自らが生きている時代をどのように認識、解釈して写真で提示するかを学んでほしいのだ。言い方を変えると、生徒に写真の撮影スタイルを教えるのではなく、時代に能動的に接して、自分の才覚でそこに横たわる言葉にできない時代性を探し、写真で表現する方法を教えようとしていた。「過去の創作に囚われることなく、イマジネーションを最大限に生かして新しい独立したものを見つけなければならない」という主張もこれを意味するのだ。生徒に対して「私が今までに見たことのある写真を見せるな」と言ったという。また「surprise quality」という言葉を引用。見る側に「驚き」、「ショック」を与えろと言った。しかしそれらは生徒に誤解されることが多かったようだ。このように言われると写真家は奇をてらった写真を撮影したり、暗室作業で新しい方法論を追求しがちになる。そして、それが目的化してしまうのだ。
アヴェドンの解釈によると「“少しばかりに驚きの快感を与える写真”は、非常にシンプルで手が加えられていない写真」とのこと。それはより洗練された作品を意味し、まさに方法論が目的化した写真と真逆なのだ。さらに「“驚き”と“ショック”は、探求をさらに進めろ、見えないものを可視化しろという意味だ」と語っている。
これこそは、過去の思い込みにとらわれない姿勢を心がけて、イノベーションを呼び起こせという、現代のアートのテーマ探しにつながるだろう。現代アートでは時代に横たわるテーマを言語化してコンセプトとして提示すること。ブロドビッチは、時代に感じられる気分や雰囲気を心で感じてヴィジュアルで表現しろということなのだ。両者は、頭で思考するのと、心で感じるのとの違いだけなのだ。いま、この考え方は私が写真を評価するときの一つの規準になっている。
しかし実際にその意味がなんとなく分かるようになるには10年以上もかかった。たぶんこの部分に初めて触れた人は、禅問答を聞いているよう印象を持つのではないだろうか。
ワークショップ参加者が互いを知るようになると課題がだされるようになる。それは、「人間とその感情」、「ハロウィーン」、「ブロードウェイ」、「新聞スタンド」、「青春」、「カフェテリア」、「デキシーカップ」などだったそうだ。課題研究では写真表現について生徒間の激しい作品批評が行われた。
参加者は、リチャード・アベドン、アービング・ペン、ロバート・フランク、リリアン・バスマン、 アーノルド・ニューマン、ブルース・ダビッソン、ダイアン・アーバス、ヒロ、バート・スターン、ルイス・ファー などの錚々たる写真家のほか、デザイナー、アート・ディレクター、モデルらが参加している。
もう1点重要な点は、このワークショップはあくまでも「アート系ファッション写真」の方向性を持っていたことだ。当時ファッション写真はアートではないというのが一般的な認識。そのようなカテゴリーの存在は生徒には認識されてなったと想像できる。したがって、作品制作の方向性が違う、アーバスやフランクなどはやがてこの場を離れていくことになる。また上記のような、当時としては極めて難解だったと思われる彼の指導目的を理解した参加者は少なかったと思われる。実際のところ、写真クラスの初回には60名以上が参加したが、厳しいブロドビッチの指導で参加はどんどん減少していき、最後のセッションのころに残ったのは多くて8名くらいだったそうだ。
「デザイン・ラボラトリー」は、厳しい海兵隊の訓練のようだったという意見もあるぐらいだ。
次回「Part-2/伝説はどのように生まれたか」に続く