アート写真の評価軸とは?フォトフェアでつかめる価格の相場観

今回の”ザJpadsフォトグラフィーショー”は、なかなか内容の充実したフォトフェアだったと思う。価値が未確定な現代アート系がほとんどなく、主にセカンダリー市場で売買されているものを中心に非常にバリエーション豊富な作品を各参加者が持ち寄った。
制作技法では、現代アートで中心のデジタル加工されたインクジェットが少なく、銀塩作品がほとんどだった。

20世紀写真では、制作年と制作者がどのように作品価値を決めるかについて明確な基準がある。これを伝説のディーラー、ハリー・ラン氏(1933-98)の意見として”Photographs:A Collector’s Guide”(Ballantine Books 1979年刊)が引用しているので紹介したい。 評価は満点100点として、以下のように序列が示されている。もちろん絵柄によっても価値は大きく変わるのでだいたいの目安と考えていただきたい。

100点   撮影年から数年以内に本人によりプリントされた、作家サイン入りのもの:ヴィンテージ・プリント

80点  撮影年から時間が経過した後に本人によりプリントされた、作家サイン入りのもの:モダン・プリント

40点  撮影年から時間が経過した後に作家管理下で、アシスタント等なおがプリント:これもモダン・プリントと呼ばれる

20点  作家の死後に彼に指導されたアシスタントなどによりプリントされたもの:ネガの管理団体によりエステート・プリント、トラスト・プリントなどと呼ばれる

5点  作家の死後に彼と仕事上の関係が薄いプリンターによりプリントされたもの

経験が少ない人は写真市場での相場観を得ることは非常に難しい。今回のフォト・フェアでは上記の様々な種類の写真作品が同時に展示されていたので、 価格が違う理由をとても説明しやすかった。
前回は、フォトクラシックからエドワード・ウェストンのヴィンテージ・プリントが出ていたが、今回は”ときの忘れもの”から植田正治のヴィンテージがでていた。鑑賞できるだけでありがたいプリントだ。
モダンプリントの出品は、ホルスト、エリオット・アーウイット、アンドレ・ケルテス、ウィリー・ロニス、ブルース・ダビットソンなどと非常に多かった。これだけ選択肢が多彩なことはあまりないだろう。
エドワード・ウェストンの死後に息子コールによりプリントされたいわゆるコール・プリントも出品されていた。上記リストでは得点は低いものの、コールも亡くなり、また市場拡大でヴィンテージが高騰したことで、こちらも決して安くない価格になっている。
ダイアン・アーバスのニール・セルカーク(Neil Selkirk)によるプリントも出品されていた。こちらも作家死後のプリントだがヴィンテージ高騰により値が上昇している。
アウグスト・ザンダーの孫によるプリント作品は同イメージが東京都写真美術館の”ストリート・ライフ”展に展示されていることなどから関心を集めていた。こちらも死後のプリントだが決して安くはない。
多くの人から聞かれたのが、アンセル・アダムスのヨセミテ・エディションだ。巨匠の写真が何と3万円代なのだ。これも上記序列をみると安い理由が明確だ。しかし私は個人的にはこれらはお買い得だと考えている。

上記リストはいまから約30年前に書かれた基準。現在はどのようになっているだろうか。特にヴィンテージ・プリントの価値急上昇が相場全体に影響を与えている。モダン・プリントでも、エステート・プリントでも特に古いものの価値は大きく上昇しているのだ。ただし注意が必要なのは、上記評価はまだアート写真市場が確立する以前に撮影された写真作品に当てはまる基準であること。20世紀後半以降のコンテンポラリー作品は最初からアート作品として制作されている。またエディションが導入されており、限定枚数の多さによって価格が左右される。
例えばマイケル・デウィックの場合、一番人気のあるのは”The End Montauk”なのだが、このシリーズはエディションが20~30点。その後のシリーズはエディションが10点になった。結果として人気のある初期作の方が、後期作よりも安いような状況もあった。実はこれこそがお買い得ということなのだ。

上記のような価値の序列はワークショップではよく話す。今回は現物が実際に展示されていたのでより説得力を持っていたと思う。アート写真には様々な値段がついている。しかし、それには明確な基準が存在するのだ。今回のフォトフェアは展示作品を通してそんな仕組みがあることを一般オーディエンスに少しばかり提示できたのではないかと思っている。相場観がつかめるようになると、コンテンポラリー作家につく値段が適正かどうかを判断できるようになる。今回の参加ディーラーは上記のセカンダリー作品を基準にしてコンテンポラリー作家も値付けしているのだ。

寒波の中、本当に多くの人が来場してくれました。ありがとうございました。

(第1回)日本のファッション系フォトブック・ガイド 横須賀 功光 「射」

最初の1冊は横須賀功光(よこすか・のりあき)(1937-2003)の「射」(1972年刊、中央公論社刊)。
横須賀は、日大芸術学部卒業後にフリーカメラマンになり、資生堂などの仕事を行っている。1983年からは欧州各国のヴォーグ誌のフリーランスのスタッフ・フォトグラファーとして活躍。キャリアを通して主に広告分野の仕事を行っている。

本書は、1971-72年に中央公論社から出版された「フォトシリーズ・映像の現代」の第9冊目。このシリーズで選ばれた写真家は、奈良原一高、植田正治、深瀬昌久、東松照明、佐藤明、立木義浩、石元泰博、横須賀功光、富山治夫、森山大道の10人。古書市場での評価が一番高いのが森山大道による映像の現代10 「狩人」。現在の相場は、状態より約15万円~。良い状態のものは高価だ。これだけが、”The Photobook:A History Volume 1″(Martin Parr &Gerry Badger,2004年刊)に選出されている。
また、植田正治、深瀬昌久、東松照明、石元泰博も人気が高い。相場は3万円~。広告、雑誌、ポートレートで活躍している立木義浩や横須賀功光は本シリーズの中では人気が低い。
ちなみに、神田神保町の老舗古書店の小宮山書店さんでは、10冊揃いで65万円の値をつけている。

この企画ではガイドブックに収録されていない本を紹介すると前回書いた。しかし「射」はAlessandro Bertolotti著のヌード系写真集をセレクトとした「BOOKS OF NUDES」(2007年、Abrams,NY刊)に収録されている。
それも、褐色のヌードダンサーをスタジオで撮影した「亜」のページがダストジャケット表紙にそのまま使われているのだ。そのシンプルでモダンな写真は日本人離れした魅力を持っている。この本が何で海外のガイドブックに掲載されていないかは中身を見れば一目瞭然だろう。収録作のほとんどは欧米的な感覚を持ったクールでドライな写真ばかり。つまりいくら日本人離れした感覚でも、しょせん本家本元の欧米人にはかなわないということなのだ。 彼らが好んで選ぶのは、欧米とは異質な文化を持ったウェットな日本人写真家によるフォトブック。つまり価値基準が違うがゆえに選ばれているのだ。
残念なのは、日本では欧米と同じ評価軸で現代日本のアート写真が論じられていること。これが、いまの日本で写真作品とオーディエンスとのリアリティーのギャップが生じている理由でもあるだろう。

本書で興味深いのは、巻末にあるカメラ毎日の山岸章二氏の作品解説だ。一部を以下に抜粋しておく。

・・・だがここにたいへん日本的な状況が彼を待っていた。
それは写真雑誌を中心とした創作活動で、時には写真展、写真集の形をとるにせよ
とにかく作家としての力量を問い、問われる試練である。
写真家は手の内にした職人芸だけに満足せず、企業もまた完成されたスタイルで技術にだけ着目するのではない。
つまり一流を保つためには、与えられた課題にはプロとして応え、一方で倦まず自分の殻を破って作品を作り出す努力が要求される。・・・
(山岸章二)

60年代にかけて写真は真実を伝えるメディアとしての地位はテレビなどに代わられてしまう。 その後、自己表現のツールとして展開していくことになる。興味深いのは70年代前半の日本では欧米と同じように写真家にとっての作品制作の重要性が語られていることだ。その後、山岸氏は、海外の写真家やキュレーターと交流を持ち、 欧米の視点で日本写真を評価しようと努力を続けるが、79年に亡くなってしまう。70年代後半から80年代にかけて、特に米国では写真はよりアートへと接近していく。しかし日本は高度経済成長による消費社会の拡大により広告写真が中心になっていく。実際、好景気による広告予算増大により、コマーシャル・フォトの世界でも写真家が自由裁量を持って表現できるという幻想を多くの写真家が見てしまったのだと思う。アートとコマーシャル・フォトとは分断してしまい現在にいたっている。山岸氏の早すぎる死が日本の写真界にかなり大きな影響を与えたと思う。

本書は、帯、ビニールカバー付きで完本。当時の定価は2500円だった。古い本なので販売価格は状態による。だいたいの相場は、1.5~3万円くらいです。

写真のオークションの最高額が更新!アンドレアス・グルスキー作品が430万ドル(約3.4億円)で落札

オークションでの写真作品の最高金額が、2011年11月8日にクリスティーズ・ニューヨークで開催された”Post-War and Contemporary Art”のイーブニング・セールで更新された。最高額をつけたのは、ドイツ人アーティストのアンドレアス・グルスキー(Andreas Gursky 1955-)の1999年の写真作品 “Rhein  II”。ドイツのライン川を撮影しデジタル可能された抽象的な巨大カラー作品だ。彼は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で2001年に個展を開催している世界的なアーティスト。実は、この”Rhein II、1999” は2005年~2006年にかけて、東京国立近代美術館などで開催された「ドイツ写真の現在」にも出品されていた。たぶん今回の落札分とはエディション番号が違うと思うがまったく同じイメージだ。

さてオークションでは、落札予想価格が250万~350万ドルだったところ、$4,338,500.(@80.約3億4708万円)で落札され、今年5月にシンディー・シャーマンが付けた$3,890.500. (@80. 3億1124万円)の記録を抜き去った。

実はこのオークションは写真(Photographs)のカテゴリーではない。巨大なグルスキーの写真は1点物作品としてコンテンポラリー・アート分野の扱いなのだ。ちなみに、同オークションでの最高値は、ロイ・リキテンスタイン(1923-1997)による1961年の作品で、$43,202,500. (@80. 34億5620万円)の作家オークション最高金額で落札されている。1点ものの絵画の価値は写真とはけた違いだ。

グルスキー作品の詳細は以下の通り.
作家名 ANDREAS GURSKY (B. 1955) “Rhein II、1999”
Chromogenic color print(タイプ C プリント)
Plexiglasにマウント
作品サイズ 185.4 x 363.5 cm
エディション 1/6

この作品はトータルのエディション数が僅か6点。そのうち4点がすでにMoMA、テート・モダンなど4つの有名美術館に収蔵されている。世界的な有名アーティストの代表作であるとともに、市場で出ることが極めて稀な1枚であったことが高額落札の背景にあると考えられる。 いままでの写真の高額落札はほとんどが、リーマン・ショック前だった。それが、今年になって2回も更新されたということは、金融商品の価値が揺らいでいる中でブランド作家の貴重作品は優良な資産であることを改めて印象付けた。市場の2極化が更に進んでいるのだと思う。

ちなみに高額落札された写真作品の2位以下は下記の通りになります。

・シンディー・シャーマン(Cindy Serman)
“Untitled, 1981”Ed.10 24X48inch  Christie’s May,11 2011
$3,890.500.
・リチャード・プリンス(Richard Prince)
“Untitled(Cowboy), ”Sotheby’s Nov. 2007
$3,401,000.
・アンドレアス・グルスキー(Andreas Gursky)
“99 Cent II diptych ,2001” Sotheby’s London Feb, 2007
$3,346,456.

日本のファッション系フォトブック・ガイド 近日連載開始予定!

フォトブックのガイドブックが発売されて日本人写真家は世界的に注目されるようになった。”The Book of 101books”(Andrew Roth, 2001年刊)、”The Open Book”(Hasselblad Center,2004年刊)、”The Photobook:A History Volume 1 & 2″(Mrtin Parr &Gerry Badger,2004-2005年刊) が相次いで刊行され、いままであまり知られていなかった60年代~70年代の日本のフォトブックが欧米に紹介されたのだ。当時の好景気によるアートブームと相まってそれらの古書の相場は大きく上昇した。そして、金子隆一氏による、日本のフォトブックのガイドブック”Japanese Photobooks of the 1960s &’70s”が2009年に発売されるにいたった。
私は上記ガイドブックのセレションにやや不満があった。収録されている日本人写真家のものはアート系ばかり。当時のコマーシャル・フォト、ファッション分野の最先端で活躍していた写真家のフォトブックがほとんど含まれていないのだ。
一方で外国人の場合は、ファッション系の、アレクセイ・ブロドビッチ、リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ブルース・ウェーバーも収録されているのだ。特に”The Open Book”にはファッション系写真家が多くセレクションされている。実は、金子氏にそのことを話したことがある。彼は、日本におけるその分野の写真は歴史が語られていないことから評価軸が存在しないと指摘された。欧米のファッション写真の一部はアート作品として認められている。それは、80年代から90年代に独自の歴史が専門家により書かれたからだ。日本でも同様の歴史研究が行われないと、コマーシャル、ファッション系写真家が評価できないということ。またリサーチに必要な雑誌などの資料がなかなか揃わない事情もお話しいただいた記憶がある。
ファッション系写真家の本が選ばれない理由はもう一つあると思う。この分野は当時の日本人のあこがれをビジュアル化していた。つまり欧米的なクールでドライな感覚の写真が多かったのだ。しかしこれは欧米の写真家では当たり前のセンス。だから、欧米の評論家は日本独特の文化が反映された、ウエットな感覚のものを選んでいる。ここにも多文化主義の考えが色濃く反映されているのだ。

ファッション系写真の魅力とは何だろう。それはアートとしてのファッション写真の魅力と同じと考えている。この分野の写真家は何かの記録ではなく、自らがカッコいいと感じた瞬間にシャッターを押している。それらにはその時代独特の気分や雰囲気が色濃く反映されている。難解なアートではなく、現代に生きる一般人でも視覚的、感覚的に共感できるイメージなのだ。前述のように、欧米ではそれらはアートの一分野として認められたが、日本では基準がないので評価されていない。しかし21世紀以降は価値観が多様化した。作家に独自性があれば歴史以外の評価軸があってもよいのではないか。現代アートのように、様々な価値観をベースに過去の写真家の仕事の評価は可能だろうと思う。いまや皆が共通の夢を持っていた時代が写っている写真なら、それだけでも現在を考えるきっかけになる。
それらの優れた仕事を見つけ出し評価することが歴史を綴ることになると思う。彼らの仕事は雑誌の中や写真集として残っている。しかし、雑誌類を集めるのはかなり難しいので写真集を探して紹介することが現実的だと考えた。
日本のファッション系フォトブック・ガイドは、フォトブックを通して日本のアートとしてのファッション写真を語る試みなのだ。まとめて紹介することは永遠にできそうもないので、時間がある時に書きためていこうと決意した次第だ。

ここでは、ガイドブックに掲載されていない、コマーシャル、ファッション系写真家のフォトブックを不定期の連載で紹介していきたい。いままで、古書店を回る機会があるごとにそのような本を探し、買い集めてきた。ほとんどが、古書店の棚の隅で非常に安く売られているものばかりだ。紹介することで、それらの真の価値が再認識され相場が多少なりとも上昇することを願いたい。コレクションを続けるうちに、この分野の写真家による優れた本の多くは自費出版であることが分かってきた。儲かった写真家の中には、その資金を写真集制作につぎ込む人がいる。お金に糸目をつけずに制作されたものも数多くある。しかし、それらは少量生産で一般に出回ることはない。私の知らないところにもまだ素晴らしいフォトブックが眠っている可能性があると考えている。そのようなフォトブック情報があればぜひ教えていただきたい。

さて最初に紹介する1冊だが、色々と悩んだ末に比較的知られているものを選んだ。横須賀功光(よこすか・のりあき)(1937-2003)の「射」(1972年、中央公論社刊)だ。

楽しみにしていてください!

歴史の重みとブランド力
アート市場の二極化の先

最近の日本経済新聞の記事、「高価で長持ちに向かう消費」を興味深く読んだ。不況が続いているなかで、最近のデパートでは高価な腕時計、宝飾品、美術品が売れているという。この記事は、高額品は従来好景気時に売れるもの、いまのような株価低迷と長期不況時代に売れるのは新しい傾向ではないか、という問題提起だ。その理由を、高価でも長持ちするものに向かう新しい消費者心理と分析していた。記事によると、3500万円の横山大観、500万円の棟方志功が売れたという。10月に開催されたあるデパートの絵画催事の売り上げはきわめて好調だったという。

横山大観、棟方志功という巨匠の作家名をきいて感じたのは、日本のアート市場でも消費の二極化が進んできたということ。二極化は、一般的に高級ブランド品と価格の安い商品しか売れない状況。実は私の専門のアート写真界では、リーマンショック以降その傾向がずっと続いている。
2011年秋のニューヨーク・アート写真オークションではその傾向がさらに強まった印象だ。
ちなみに、今シーズンの最高額は、フィリップス(Phillips de Pury & Company)で落札された、リチャード・アヴェドンによる1967年撮影のビートルズ・ポートフォリオの$722,500.(@80、約5780万円)。巨匠アヴェドンとビートルズというダブルネームの作品だ。
2位が同じくフリップスのNadarとAdrien Tournachonによる19世紀作品"Pierrot with Fruit,1854-1855"の$542,500.(@80、約4340万円)。
次が、ササビーズが取り扱った写真季刊誌カメラワークの50冊セット。これはスティーグリッツが編集に携わった写真史に残る代表雑誌。フォトグラビア、ハーフトーンによるエドワード・スタイケン、ポール・ストランドなどの写真が多数収録されているもの。 カメラワーク・セット最高価格の$398,500.(@80、約3188万円)で落札された。
マン・レイの"Untitled(Self Portrait of man Ray)1933"もフィリップスで同金額で落札されている。
上記の作家以外には、アンセル・アダムス、ピエール・デュブレイユ、アルフレッド・スティーグリッツなどが目立って高額落札されていた。作家名を見るに、まだ現代アート系やファッション系が未評価だった90年代のオークションを思い出す。作家のブランドとともに、古い時代の作品であることがより注目されている印象だ。

歴史的作品を愛でる傾向は、ブランド作家だけにとどまらない感じがする。古い時代の作品であることが一種のブランド価値になっている。実際、同業者の話では19世紀の古いダゲレオタイプ、ティンタイプ、ヴィンテージ・ポストカードなどの写真は無名作家だが良く売れているとのことだ。
また、写真制作の技法に関しても同じような傾向がみられる。多少高額になるが、古典的手法のシルバープリントやプラチナプリントを好んでコレクションする人がここ数年明らかに増えている。

不況が続くと人は安定を求めて保守的になる。どうしても新しいことよりも基本に戻るようになる。時代の価値観が多様化し評価軸が不安定になっていることもあるだろう。アートの基準を、作家のブランドと歴史の重みに求める人が増えているのだと思う。現在の市場では、中間価格帯の、特にブランドが未確立で歴史的背景がない作品が苦戦している。このような流れだと、一時期高額で取引されていた現代アート系写真、コンテンポラリー系ファッション写真には厳しい時代が続くような予感がする。
2011年秋のアート写真オークションの詳しいレビューは、11月のロンドン・オークション終了後にアート・フォト・サイトに掲載します。

ファッション写真の現在
日本人写真家の挑戦

ファッション写真は時代の憧れを提示するメディアだった。戦前は上流階級に憧れる中流階級の憧れを、戦後はしがらみから自由になり社会進出する女性の理想像を表現するものだった。それが90年代に入り、欧米から始まった高度情報化、グローバル化が進むとともに変化していく。大きな物語が消失して、ファッションもブランド一辺倒から、個人のセレクト、着こなしなどの表現が注目されるようになる。つまりファッションにおいて、服以外の世界とのつながりが重要視されるということ。人々の生き方がばらけてくる中で、ファッション写真は、時代のライフスタイルや若者文化、大衆文化を語るメディアへとなっていくのだ。

2004年にMoMAで開催された、”Fashioning ficition in photography since 1990″展(カタログは上のイメージ)では、それを表現する手段として、シネマティックとスナップ、ファミリー・アルバム的なアプローチが増えていると分析している。簡単に説明すると、映画的なテクニックは見る人の記憶とつながりやすい、スナップや家族アルバム的写真は見る側の感情と結びつき、リアリティーを感じやすい点が指摘されている。
それから7年くらいが経過し私はファッション写真の意味がより広く解釈されるようになった考えている。いまという時代が語られている限りにおいて、その拠り所は、歴史だけにとどまらず。パーソナルワーク、現代アート、他分野の表現や思想などにも求められるということだ。

先週末にinifinityに参加している3人の写真家とのトーク・イベントに参加した。写真家が感じている時代性と、それを語るアプローチが様々で非常に興味深かった。
北島明はシネマティックなアプローチで若きシンガーソングライター加藤ミリヤを起用して日本のいまのユースカルチャーのリアリティーを伝えようとする。撮影時には、詳細なストーリーとキャラ設定をモデルとの間で作り上げるという。まさに上記のシネマティックのアプローチを実践している。
舞山秀一は動物園の動物たちの撮影を通して、人間社会のありそうもなさを明らかにする。彼にとって撮影する行為自体が自分を確認する行為なのだと思う。やや難解なコンセプトなのだが、会場では多くの人が意味を読み解こうと作品と対峙している。舞山の策略はうまく機能しているようだ。12月に開催される個展が楽しみだ。
半沢健は、シュールな非現実的な世界を様々なプリント技法やセッティングで構築する。不思議なヴィジュアルで現実とは何かを意識させ、現代社会の嘘っぽさを撃つ。前回のinfinityの作品”blink”とは印象がまったく違うがメッセージは一貫している。
3人の写真家とも無意識のうちに、いまや多様化したアートとしてのファッション写真の流れとつながっている。彼らがそれを意識することでアーティストとしてのキャリア展開に踏み出してほしいと願う。

東日本大震災から半年
写真家はどの様に向き合ったのか

大震災後、多くの写真家が東北に入り写真撮影を行っている。その中で、私がずっとフォローしているのは、震災以来ずっと被災地の撮影を続けている仙台在住の写真家木戸孝子さんだ。彼女が高知新聞に最新作とエッセーを寄せているので紹介したい。

http://www.kokkophoto.com/TK2.pdf

彼女は四国の四万十市出身なので高知新聞なのだ。木戸さんは、一切の邪念がなく、心をオープンにして被災地、被災者と接している。その写真とエッセーを通してのメッセージは読者の心にストレートに伝わってくる。最近は、被災地や被災者の写真で売名行為を行う人もいるので、なにかほっとした気持ちになる。
今回の記事からは、震災のショックから少しづつではあるが彼女を含む現地の人が心理的に立ち直っていく過程が伝わってくる。彼女のライフワークの作品テーマは、普段見過ごしてしまうような日常にある輝きや美の瞬間を写真でとらえること。「Oridinary Unseen」としてまとめられた、ニューヨークなどの都市の一瞬の断片をとらえた作品は業界の玄人筋に高く評価されている。昨年には仙台のカロス・ギャラリーで個展を開催するとともに、インスタイル・フォトグラフィー・センターで行われた広尾アートフォトマーケットにも出展している。

彼女の写真だが、震災直後の時期はともかく、決して被災地の記録を意図していないのが特徴だ。今回の写真を見るにそれが明らかに伝わってくる。つまり、震災の写真ではない、彼女の写真になっているのだ。壊滅的な状況の中にも、見過ごしてしまいがちな、一種のパターンのような、まだ美とは言えないかもしれない状況があることを中判カメラで表現している。自然とともに生きてきた日本人。自然災害からある程度の時間経過後は、自然の美しい面を再確認しながら次第に復興してきたのではないかと思ってしまう。
そんな太古から続いてきたであろう日本人の心理的な回復過程が彼女の一連の写真から感じとれる。自然に痛めつけられたが、再び自然とともに生きかえる。神道や仏教の輪廻のようなセンチメントだ。大昔の日本人が持っていた自然を神として崇拝するDNAが今回の震災で再び無意識のうちに蘇ってきた、というのはやや言い過ぎだろうか。しかし記事中で紹介されている仙台在住の女性の、「きれいな東北を撮ってくれてありがとう」という言葉はそんな気持ちの表れの様な気がする。
これは、自然豊かな四万十市で生まれ育った木戸さんだから撮れたのだと思う。人工環境の中で育った都会の写真家には絶対に撮れないだろう。彼女はこれからも復興する被災地を撮り続けるという。もう少し時間が経過し作品をまとめるときが来たらぜひお手伝いしたいとお考えている。

3月22日の高知新聞はこちら。これも素晴らしいフォトエッセーです。
http://www.kokkophoto.com/TK.pdf

2011年秋のオークション・プレビュー
アート写真市場のニューノーマルとは?

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欧州の債務危機が騒がれている。私も特に意識していたわけではないが、ギリシャ国債の1年物利回りが100%を超え、2年物が70%超えと聞いてさすがに驚いた。ちなみに日本国債の1年物は0.12%、2年物は0.14%くらい。ギリシャ国債の異常な高利回りは明らかにデフォルトを織り込み始めている感じだ。最近の日経の記事はそれにもかかわらず金価格が下落していると報道していた。原因は、欧州の銀行が資金繰りのために手前期日で金を売却しているからだという。銀行の資金繰りが逼迫していたリーマンショック前も同様の現象が起きていたらしい。
米国経済も厳しい状況が続いている。住宅市場は改善の見通しがたたず、雇用も失業率は高止まり、長期失業者が増加。それらの影響で消費見通しも悪化している。長期金利は、景気悪化懸念と中央銀行による低金利政策長期化の見通しから、10年債が2%割れまで低下している。株価は、経済見通しは悪いものの、金利低下によりレンジ内取引の乱高下が続いている。

さてこの厳しい市場環境下で、いよいよニューヨーク秋のアート写真オークション・シーズンが到来だ。そろそろ、オークション・ハウスからカタログが送付されてきた。
第一印象としては、厳しい経済状況のわりに各社ともにニュートラルからやや守りのスタンスかなと言う感じ。実はカタログを編集するのは入札の数ヶ月前になるので、相場環境の急変を反映させるのが難しいのだ。当然、夏場に起きたギリシャ情勢の変化とユーロ危機、米国の国債格下げなどは織り込んでいない。
全般的に、モノクロのクラシカルな作品が増えている。ファッションも同様でカラーのコンテンポラリー系はほとんどない。また、現代アート系もブランドが確立した作家の作品が厳選されている。カタログ編集も、作品価値を高めるために、イメージや、テーマの関連性を意識した配置が行われている印象だ。

今春に一番の売り上げだったクリスティーズが最も元気な感じだ。カタログ数は3冊から2冊に減少したものの、複数委託者のオークション出品数は、春の約419点から、約473点に増加している。注目作品は、アンセル・アダムスの珍しい5枚組の水墨画のような銀塩作品セット。予想落札価格は、20~30万ドル(@80、1600万円~2400万円)その他、ロバート・フランクの70年代にプリントされた複数作品、ユージン・スミスのコレクション約20点などだ。
ササビーズは今秋も複数委託者によるオークションのみの開催。出品数は、春の173点から微増の195点。目玉はこちらもアンセル・アダムス。代表作"Moonrise, Hernandez, New Mexico"の約76.5X101.6cmという巨大作品。このサイズの場合、サインが入らないことが多い。しかし本作は2回のサインされている超レア・アイテム。予想落札価格は、30~50万ドル(@80、2400万円~4000万円)
フィリップス(Phillips de Pury & Company)は、前回は好調だったが、今回は慎重な見通しの様子だ。出品数が261点から200点に減少している。現代アート系やコンテンポラリーのファッションが多いのだが、今回はクラシックな写真が目立つようになっている。不況で人気が落ちている分野を意識的に少なくしているのだろう。メインになるのは、リチャード・アヴェドンのダイランスファーによるビートルズ・ポートフォリオ。1968年1月号の雑誌LOOKマガジンの表紙になった有名作だ。予想落札価格は、35~45万ドル(@80、2800万円~3600万円)

リーマン・ショックのすぐ後に、経済界で「ニューノーマル」という表現が使われた。景気循環とは違い、危機後の経済はもはや前にはもどらない。まったく別物になるというもの。米国中心の自由化と規制緩和による市場主導型経済から、多極化した政府の役割が重要視される低成長経済へ移行するとのことだ。しかし、各国政府の財政支出により景気が盛り返し、一時期は以前のオールドノーマルに戻るかのような印象があった。しかしここにきてユーロの構造問題が顕在化して、やはりいまの状況は以前とは違うことが再認識された。
リーマン・ショック後のアート写真オークションは、上記のセンチメントが如実に反映された形で上下した。ここにきて低成長がしばらく続くことは多くの識者が認めるところ。今秋のオークションは、その本当のニュー・ノーマル時代の相場水準を探る重要なイベントになるだろう。

日本の写真市場の現状
幅広い選択肢、消費される写真

過去1年間くらい、ギャラリーの仕事以外に、JPADSでフォト・フェアの企画、運営や、IPCでの各種写真展開催に携わってきた。おかげ様で多くの種類の人たちと接することができた。これら一連の活動を通して、日本でのアートの意味が欧米とはかなり違うことを改めて実感した。つまり、日本では様々な価値観のアートとしての写真が混在していているということ。 それらは混ざり合うことなく個別に存在しているのだ。ニューヨークなどは人種のるつぼではなく、共存するが混じり合わないサラダボールというたとえがあるが、それと同じ感じだ。

日本では、個人という存在が前提で、論理的な思考の上に構築されたアイデアや世界観を作品で他者に伝えていくというようなアートの考えが希薄だ。従って、特に写真はどうしても表層でとらえられる傾向が強い。感覚、イメージ、デザインによるインテリア系、作品クオリティが基準の工芸品系、などが多く見られる。それが、現代アート系、欧米ファイン・アート写真系、その派生の日本的ファイン・アート系などと混在しているのだ。同じようなたたずまいのギャラリーでも、実は価値観がみな違うのだ。
また、日本の特色として事業多角化の一環でギャラリー経営を行っているところもある。彼らは、広告宣伝を重視した事業スタンスをとる場合が多い。また空き不動産の有効利用のためのギャラリーも多い。ギャラリー以外でも、デパートの美術画廊、同インテリア小物売り場、催事場、フレーム専門店、レンタル・スペース、インテリア・ショップ、カフェなどでも写真は売られている。
欧米だと、アート系が、現代アート、伝統的写真にカテゴリー別けされ、それとは区別されて業販系があるくらいだ。日本はこれらがすべて混在して、膨張しながらカオス化している感じだ。

写真の取り扱いギャラリーでも、同じ考えを持って業務を行う業者数は思いのほか少ない。業界団体は、基本的な考え方やビジネススタイルが同じ業者の集まりのことだ。日本ではこの前提がみな違う、つまり同じ写真の扱いギャラリーでもみな分野が違うともいえる。
日本のフォト・フェアでアート写真の啓蒙活動がうまくできないのは、様々な思いの業者が、ただ写真も販売しているという理由で、イベント業者の掛け声で集まっているからだ。つまり全体で一貫した基準の情報発信が難しいということ。従ってアート・フェアは、見る人が喜ぶ企画を前面に立てた、観客動員数を目指したイベントになる。

この状況は、作品を作る写真家、購入する消費者にも当てはまる。それぞれの市場にそれぞれの考え方があり、それをサポートする、作家、ギャラリー、消費者が存在するということだ。写真家が写真を売る場合、その中のどの分野を目指すかは非常に重要になる。私どもで開催する、ワークショップでもここの解説には時間をかけている。
日本的だなと感じるのは、モラル感覚と同じようにそれぞれの考えを他人も共有するはずだと信じている人が多いこと。個別の基準を持つ様々な村が乱立しており、独自に勢力を拡大させようとしているイメージだ。

これが現在の日本の写真市場の現状認識だ。これを欧米市場と比較しても意味がないだろう。私は単純に市場が違うと理解している。写真を売り買いする様々なチャンネルが存在する環境は、写真家にとって欧米よりも写真を売ること自体が容易かもしれない。あまり高い目的を掲げずに、正しい現状認識を持って、確信犯で売っていくのも一つの考え方だ思う。
写真を取り扱う者としては、この中から将来にオークション市場で取り扱われるような人が輩出してほしいという希望を持っている。欧米市場でも、写真家が売れるきっかけは表層のイメージによる場合も多い。その後、写真家が作家として成長していくためには、ギャラリーやディーラーの役割が非常に重要になると考えている。
これは写真というインテリア関連グッズの商品開発ではなく、時間のかかる作家のブランド作りをおこなうことだ。巧みな仕掛けを考え、実践することが必要で、商売人ではなく、専門家しか担うことが出来ない仕事だろう。課題は、この部分で活躍できる人材作りと環境整備にかかっている。具体的に考えているアイデアは折に触れて紹介していきたいと思う。

キューバのシークレット・ライフ
マイケル・デウィック”Habana Libre”

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先日、マイケル・デウィックの新刊"Michael Dweck: Habana Libre"を紹介したら写真展の問い合わせが多かった。写真展は、ブリッツで12月2日(金)よりスタートする予定です。

新刊に収録されているのは、ナイトクラブのパーティー、若者のナイトライフ、スケートボーダー、ファッションショー、音楽ライブ、ビーチライフ、サーフィンなどのシーン。作品をみて多くの人は、マイアミかリオという印象を持つだろう。しかしすべて共産主義国キューバの写真なのだ。キューバと言うと、ライ・クーダとヴィム・ヴェンダース監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の、古い街並みと50年代のアメリカ車が走っているというイメージを持つ人が多いだろう。
いまでも多くの住民は経済的には非常に貧乏だ。しかし、キューバの社会には違う面があるという。それはアーティスト、俳優、モデル、ミュージシャンたちの階層。デウィックが撮影したのは、西側はもちろん、キューバ内でも知られていない同国内に存在するクリエィティブな特権階級のシークレット・ライフのドキュメントなのだ。どうも実際のお金が平均以上の生活のために必要なのではなく、社会的なコネクションが重要らしい。お互いに才能を認め合った多分野のクリエイティブな人たちのコミュニティーということだろうか。
そのような人材が育った背景には、1959年の革命以来、政府がキューバ文化の振興に力を入れたことがあるようだ。本書に収録されている、"キューバは経済的には貧乏だが、人材的には豊かだ" というUNICEFのLimpias氏のコメントがそれをよくあらわしている。私はこの視点こそは、「お金がなくてもそれぞれが自分磨きをして魅力的になれば、仲間が集まってきて幸せになれる」、という不況で苦しんでいるアメリカ人へのメッセージではないかと感じている。私たち日本人にも当てはまるだろう。このあたりの事情は写真展開催の前にデウィックに聞いてみたい。

デウィックの写真集はプレミアムが付くことで知られている。"The End: Montauk"(2004年刊)の帯付き初版などは、誰が買うのだと思うくらい高額になっている、"Mermaids" (2008年刊)も価格上昇中だ。"Michael Dweck: Habana Libre"も初版限定3000部なのでフォトブックコレクターは要注意だ。なお、プリント付きの箱入り特装写真集も限定100部発売予定。収録作品イメージや値段はまだ未定。詳しい情報がわかりましたらご案内します!