2種類ある写真展
感動はお金では買えない

切れがある俳句のような写真集」で目的が全く違う写真集のことに触れた。実は写真展も同じ理由で目的別に大きく二つに分けられる。それは写真の展示自体を重視するイベント系と、写真を写真家の自己表現として展示するアート系だ。

日本で写真展という場合、イベント系をさすことが多い。これでは展示方法に様々な創意工夫がされている。商業施設、イベント会場、レンタルギャリーで開催される写真展はこの範疇にはいることが多い。意外かもしれないが美術館でもイベント系写真展は散見される。広告分野で活躍する写真家の個展はこの傾向が強い。
大規模の展示の場合、アート・ディレクターやデザイナーが設営を仕切ることになる。 写真は、年代別、撮影場所、モチーフごとに分類されることが多く、点数をできるだけ増やし、大きな作品を制作し、フレーム制作に凝るのも特徴。個別の写真作品と同じくらいに会場全体のデザイン・ワークが重要なのだ。つまりこれは、見栄えを重視する広告写真の延長上のようなもの。写真展示によるイベントになっている。

もう一つはアート系の写真展だ。ここでは深く述べないが、アート表現自体も、写真としてのアートを追求したものと、写真でアート表現を試みているものに分けられる。こちらの目的は写真自体を見てもらい、写真家のメッセージを展示空間を通して伝えること。特に年代別、撮影場所、モチーフなどで分類されることはない。フレームはシンプルなものを選ぶし、1点づつ広い余白スペースをおいて展示される。 だいたいイベント系よりも小さいギャラリー・スペースで開催される。写真の場合、作品の個別テーマは15~30点くらいで展示することが多い。広いスペースは適さないのだ。その空間で写真家は自分が世の中をどのように理解しているかを作品コンセプトを通して伝えないといけない。

展示目的が違うというのは、想定している観客が違うということ。アート系の場合、見る側にもある程度の作家や作品に対する知識と情報が必要。そしてそれらを読み解こうという姿勢も求められる。世の中に質の低い娯楽が蔓延するなかで、知的好奇心を満たすアートを求める層も徐々に増えているのだ。
もし見る側が能動的に作品に向き合わないとアート系展示は地味で難解に感じるだろう。
イベント系では、「良い展示だと」というほめ言葉をよく聞く、写真ではなく展示を見ているのだ。それは観客が作品の鑑賞とヴィジュアル面での刺激を求めているから。一方、アート系では知的面、精神面での刺激が求められるということなのだ。このように写真展でも全く違う種類が存在する。

日本では写真を取り扱うアートギャラリーは非常に少数。アート系の写真展は存在すらあまり知られていないのが現状だ。実際はギャラリーでもイベント系の写真展を開催するところがあるくらいだ。一方、欧米では全く逆になる。写真展とは規模に関係なく一般的にアート系のことを指す。
イベント系写真展は費用がかかる。お金かけたことをアピールすることもある。入場料を取る場合はなおさらその傾向が強い。写真家のキャリアを回顧するもの、複数写真家が参加するのグループ展には向いていると思う。アート系は規模が小さめでシンプルな展示なので比較的展示にはお金はかからない。しかし、見る側の心動かせるのはアート系の展示なのだ。イベント系はお金をかけたという点に対して見る側が感嘆することはあるが感動はない。資金力が全てかのような高度資本主義の中で、お金をかけないでも評価されるという痛快な現象が起こりうるのだ。人の心はお金では買えない、動かせない。ここがアートの面白みで、私たちを魅了するところなのだ。

アート系の写真展開催に興味のある人は、まず自分の作品のセルフチェックをしてみて欲しい。重要なのは本人が何を見る人に伝えたいか。それが時代との接点を持っているかだ。それは自分自身を正しく知る行為でもある。この場合、写真展は見栄を張る場ではなく、自分のメッセージがきちんと伝わるかの検証の場なのだ。作家活動とは、自分のメッセージの届く範囲を広げていく行為のこと。写真展開催は写真家キャリアの到達点ではなく通過点なのだ。

ヴィヴィアン・マイヤーを探して アマチュア写真家にとってのアートとは?

全く無名の写真家が死後や晩年に作家として再評価されることがたまにある。
フランス人アマチュア写真家ジャック=アンリ・ラルティーグは68歳の時にニューヨーク近代美術館のジョン・シャーカフスキーに見出された。またE. J. ベロックの1910年代の作品群は死後にリー・フリードランダーにより再発見されている。
このようなことが起こるのは、かつて写真は自己表現ではなく記録目的とされていたからだ。アート表現は、写真というカテゴリー独自の中でのモノクロの抽象美とファインプリントのクオリティーを追求するものだった。いまのように写真としてのアート表現の可能性が理解されるようになったのは80年代以降なのだ。しかしそれ以前にも、本人が自覚していたかどうかは別にして写真でアート作品を制作していた人は存在していた。それらの作品が現在のアートの視点で再評価されるわけだ。
私が専門とするファッション写真でも同様の発見がある。戦前の欧州のアマチュア写真家のアルバムを見ると、だいたい1冊に数枚くらいは当時の時代性を偶然に写しとったアート作品と呼べるファッション写真が発見できるものだ。

さて今回紹介する米国人写真家ヴィヴィアン・マイヤー(1926-1989)の発見ストーリーもまるで嘘のような本当の話だ。発見の経緯はこんな感じ。2007年歴史史家ジョン・マーロフ氏は資料用としてシカゴの地元オークションで膨大な無名写真家のネガ、プリント類を落札する。それらがヴィヴィアン・マイヤー撮影のものだった。彼は調査を続けるうちにマイヤーの写真に魅了され、それらを紹介するウェブサイトを立ち上げる。そしてFlickr上で、入手した写真資料で何をすべきかを一般に問いかける。それがきっかけに写真界で怒涛のようなヴィヴィアン・マイヤーのブームが巻き起こるのだ。画像や発見の経緯は以下に詳しく紹介されている。
http://www.vivianmaier.com/

ヴィヴィアン・マイヤーのキャリア全貌はいまでも謎に包まれている。上記ウェブサイトによると、彼女は1926年ニューヨーク生まれ。母親の出身地フランスと米国とを何度も行き来するものの、1951年にニューヨークに戻る。その後、約40年間に渡り主にシカゴで育児教育の専門知識を持つナニーの仕事を行う。一生独身で、親しい友人もなく、撮った写真を誰にも見せなかった。 “keep your distance from me”タイプの人物だったというので、「私にあまりかかわらないで」タイプということだろう。また歯に衣きせない言い方をする人だったらしい。経緯は不明だが、キャリア後期の彼女は一時的にホームレス状態だったようだ。写真類がオークションに出たのも、倉庫代の未払いが原因だったとのこと。しかし、その後、2009年に83歳で亡くなるまでは、かつて彼女が面倒を見た子供たちがお金を出し合ってアパートの家賃を負担していたそうだ。

写真家としてのキャリアは、1949年ころにコダックのブローニー・ボックスカメラで開始。1952年に2眼レフのローライフレックスを入手している。彼女はアマチュア写真家として、50年代~90年代にかけて約10万にもおよぶ写真を、フランス、ニューヨーク、シカゴなどで撮影。その写真には、戦後アメリカの都市生活のリアルなイメージが、高いレベルの、美しさ、感動、ユーモラスさで表現されている。
2011年刊行の写真集”Vivian Maier/ Street Photographer”(powerHouse刊)の紹介文でGeoff Dyerは、”ストリート写真家は、細部を見つめる目線、光と構図、完璧なタイミング、ヒューマニストの視点、シャッターチャンスを逃さないタフさ、など数多くの素養が求められます。特別な写真教育を受けていないマイヤーがそれらをすべて持っていたのは驚くべきことです。”と記している。実際、ネガを調べてみるとほとんどの撮影はワンカットのみだったとのことだ。専門家からは、リゼット・モデル、ヘレン・レビット、ダイアン・アーバス、アンドレ・ケルテス、ウォーカー・エバンスからの影響が指摘されている。
私は、ショーウィンドーのリフレクションを利用したシティースケープやカップルの写真はルイス・ファー、セルフ・ポートレートはリー・フリードランダーを思い起こす。また、同じ女性写真家であるライカ使いのイルゼ・ビングとも共通の雰囲気があると感じる。当時の繁栄するアメリカの華やかな部分以外に、子供、黒人、低所得者、浮浪者などのダークサイドにカメラを向けていた点も評価されている。これは、スイス人のロバート・フランクの名著”The Americans”と同じ視点だろう。
資料によると、彼女は社会主義的考えに親しみを持ち、フェミニストだったという。60年代はフェミニズム運動や黒人による公民権運動が盛んだったことが影響しているのだろう。その理念が正しいかどうかは別にして、彼女の民主主義と平等を推し進めようという考えが社会のマイノリティーへのまなざしの背景にあると思われる。

彼女は自分らしく生きることを追求していた人だと思う。自分なりに社会の仕組みを解き明かそうとし、写真撮影で現状を正しく把握しようとしていたのだろう。彼女は誰にも写真を見せなかった。写真が他者とコミュニケーションするものではなく自分の立ち位置を確認する行為だったと思う。そのキャリアを振り返るに、アーティストとは生きる姿勢のことなのだとよくわかる。それは結果を求めることなく、写真を通じて世の中と能動的に接する人のことなのだ。自らアーティストと名乗る人ほどエゴが肥大しており、本来の意味とは対極の存在なのである。ヴィヴィアン・マイヤーの魅力は、類まれなヴィジュアル能力とともに、この潔いほどエゴがない写真家人生に尽きるだろう。

2010年以降、彼女の写真展は欧米各地で開催。2011年に写真集が刊行されたことでブームはさらに拡大する兆しだ。オリジナル・プリントはいまではニューヨークの有名商業ギャラリーのハワード・グリーンバーグで取り扱われているというから驚きだ。生前の彼女が想像もできなかった高い評価だろう。 彼女の膨大な資料の調査はジョン・マーロフ氏のもとで現在も進行中とのこと。彼の情熱と信念には頭が下がる。まだカラー作品、フイルム、オーディオ録音も多数残されているとのことだ。今後の調査の展開とともに彼女のキャリアの全貌が明らかになり、写真史での評価が定まるのが楽しみだ。

写真集”Vivian Maier/ Street Photographer”(powerHouse刊)は以下で紹介しています。
http://www.artphoto-site.com/b_718.html

写真とともに生きるアマチュア
継続の先には何があるのか?

今年になってから、東京、札幌で約30名くらいの人の作品ポートフォリオを見させてもらった。皆さんお忙しいところありがとうございました。
私はギャラリーの立場で評価していくのだが、最近は作品レベルが上がってきた印象がある。以前は表層面だけの組み合わせで写真をまとめる人が圧倒的に多かった。写真に写っているのが現実の世界であると言われてきた影響がまだあるのだろう。しかし、それ自体がいまやコンセプトの一部になっている点には注意が必要だ。最近は写真を通して自分の生き方や人生を見つめている作品も確実に増えている。特に長期間継続して写真を撮影している人にその傾向が強い。

いくつか例を挙げてみよう。
学生時代に住んでいた町の風景を通して当時違和感を抱えていた自分の世界観をいま受け入れようとしている人、
自分の心地よいシーンだけをところかまわず撮ることで生き難い現代社会の中に一種ファンタジーの世界を作り上げている人、
一見カオスのような都市風景の中に抽象と色彩のパターンを見つけ出そうとする人、
パーソナルな視点の延長上に自分の周りにある自然や花を撮影している人、
自動販売機を擬人化してそれを通して日本社会の仕組みを明らかにしようとする人、
西欧と日本の都市風景の違いと共通点を通して文化の比較を試みる人、
などは印象に残っている。

また撮影方法やプリント制作方法も非常に多様になっている。フィルムで撮って、バライタにプリントする人がいる一方で、様々な個性的方法を駆使してまるで写真で絵を描いているような人も見られる。

普段は誰もが忙しい日常生活を送っている。みんな過去の失敗を悔い、将来の不安を抱えながら生きているのだ。写真とともに暮らす人にとって撮影は過去、未来に囚われず現在に生きている瞬間なのだと思う。それは一種の瞑想のような行為。心地よい感覚なのでやめられないのだ。同じスタンスで継続して撮っていると写真を通じて写真家自身が変化する。自分の感情に寄り添いながら撮っていると自分を客観視できるようになる。人によっては、意識的に世界の表層を撮り続けていることで自分の気持ちの流れがわかるようになる場合もある。写真を通して社会と対峙することで、自分がどのような考えや感情を持つ人間なのかが明らかになっていく。
そのような姿勢で撮られた写真はアマチュアであっても作品になる可能性がある。私が行うのは、写真家が伝えたいと思う気持ちが現在社会でどのような意味を持つかをみつけるヒントを提供すること。うまくいけば、本人は自分の現状を受け入れることが可能になり、一歩進んで人生とポジティブに向き合うようになる場合もある。それから後のステップは自分の気持ちをどれだけ外にオープンにできるかにかかっている。それが出来ると写真を通して、生き方で悩んでいる多くの人に新たな視点を提示できるのだ。
アマチュア写真家は、プロでないがゆえに写真で自分と社会との関わりを素直に見つめられる人が多いと感じている。日本では、プロと言われる写真家の方がロマンティストである場合が多い。

2月21日から広尾のIPCでグループ展「ザ・エマージング・フォトグラフィー・アーティスト2012年(新進気鋭のアート写真家展)」が行われる。本展の特徴は、専門家が若手・新人を推薦する点だ。私は上記のような姿勢で写真に取り組んでいる人たちを選んでいる。しかし推薦者によりその基準は様々だろう。その違いを見比べるのもこの展示のもう一つの重要な見どころなのだ。
まだ今年の開催も行われてないのだが、今月に拝見させてもらった写真家の作品の中には制作を継続すれば次回展に推薦可能だと思える人が何人もいた。真剣に作品作りに取り組めば1年などあっという間に過ぎてしまう。短期、中期的に目標がないアーティスト希望者はぜひ来年のイベントのための準備をいまから始めてほしい。

東日本大震災から半年
写真家はどの様に向き合ったのか

大震災後、多くの写真家が東北に入り写真撮影を行っている。その中で、私がずっとフォローしているのは、震災以来ずっと被災地の撮影を続けている仙台在住の写真家木戸孝子さんだ。彼女が高知新聞に最新作とエッセーを寄せているので紹介したい。

http://www.kokkophoto.com/TK2.pdf

彼女は四国の四万十市出身なので高知新聞なのだ。木戸さんは、一切の邪念がなく、心をオープンにして被災地、被災者と接している。その写真とエッセーを通してのメッセージは読者の心にストレートに伝わってくる。最近は、被災地や被災者の写真で売名行為を行う人もいるので、なにかほっとした気持ちになる。
今回の記事からは、震災のショックから少しづつではあるが彼女を含む現地の人が心理的に立ち直っていく過程が伝わってくる。彼女のライフワークの作品テーマは、普段見過ごしてしまうような日常にある輝きや美の瞬間を写真でとらえること。「Oridinary Unseen」としてまとめられた、ニューヨークなどの都市の一瞬の断片をとらえた作品は業界の玄人筋に高く評価されている。昨年には仙台のカロス・ギャラリーで個展を開催するとともに、インスタイル・フォトグラフィー・センターで行われた広尾アートフォトマーケットにも出展している。

彼女の写真だが、震災直後の時期はともかく、決して被災地の記録を意図していないのが特徴だ。今回の写真を見るにそれが明らかに伝わってくる。つまり、震災の写真ではない、彼女の写真になっているのだ。壊滅的な状況の中にも、見過ごしてしまいがちな、一種のパターンのような、まだ美とは言えないかもしれない状況があることを中判カメラで表現している。自然とともに生きてきた日本人。自然災害からある程度の時間経過後は、自然の美しい面を再確認しながら次第に復興してきたのではないかと思ってしまう。
そんな太古から続いてきたであろう日本人の心理的な回復過程が彼女の一連の写真から感じとれる。自然に痛めつけられたが、再び自然とともに生きかえる。神道や仏教の輪廻のようなセンチメントだ。大昔の日本人が持っていた自然を神として崇拝するDNAが今回の震災で再び無意識のうちに蘇ってきた、というのはやや言い過ぎだろうか。しかし記事中で紹介されている仙台在住の女性の、「きれいな東北を撮ってくれてありがとう」という言葉はそんな気持ちの表れの様な気がする。
これは、自然豊かな四万十市で生まれ育った木戸さんだから撮れたのだと思う。人工環境の中で育った都会の写真家には絶対に撮れないだろう。彼女はこれからも復興する被災地を撮り続けるという。もう少し時間が経過し作品をまとめるときが来たらぜひお手伝いしたいとお考えている。

3月22日の高知新聞はこちら。これも素晴らしいフォトエッセーです。
http://www.kokkophoto.com/TK.pdf

目指せアート写真の世界
地方在住写真家の可能性

 

最近、地方の写真家の作品を見てアドバイスすることが多い。私が出張することもあるし、わざわざ上京してくれる人もいる。彼らは地元で活躍する商業写真家や、ハイアマチュアの人たちで、キャリアの一環としてアート作品に取り組みたいと考えている。だいたいの人が生活ベースを持った上で、自分のペースで地道に活動を続けている。作品を見る前に、市場の現状解説や、アート写真の価値観のことを一通り説明する。都市部の人よりも真剣に聞いてくれる印象だ。

彼らは全般的に心がオープンで、素直な気持ちで写真に取り組んでいる感じだ。そしてアドバイスを積極的に受け入れてくれる場合が多い。何か新しい分野のことを学ぶときには、自分を空っぽにして専門家の意見や解説を受け入れてみるのが有効だ。それにより、いままで気付かなかった自分が発見できたり、新しい価値観が生まれる。アート写真を目指す人の作品自体のレベルは、都市部でも地方でも大きくは違わない。それらの背景にある感動を、収集、集約して、さらに考えていく過程が重要になる。最終的にテーマを明確化して作品ポートフォリオとしてまとめていく。地方在住写真家の場合、シンプルなアドバイスで、テーマが顕在化したり、視点がひらめいたり、ステーツメントの内容が飛躍的に改善したり、作品作りの方向性が突然見えてくることが多い。たぶん、自分の心を開いて素直な気持ちで取り組んでくれるから、見えなかった色々なつながりが顕在化するのだろう。それは、複雑なパズルが解けたような感じで、写真を見る側にとって極めて心地より瞬間だ。

一方、地方在住写真家とは全く逆のタイプの写真家にも遭遇することがある。都市部に比較的多いだろう。彼らは、自分の中に凝り固まった考えや、好みの感覚があってそれを認めてもらうため、補強するために写真を見せにくる。アドバイスをしても、自分に都合のよいことだけを受け入れる。アートの世界は、個人の存在と自由が重んじられるはずだ。しかし不思議なことに、彼らは自分が感覚で良いと感じる写真を、他人も良いと感じるはずという思い込みを持っている。これは、多くの人が同質の価値観やモラル観を持っていた時代の名残を引き継いでいるのかもしれない。
戦後に自由と民主主義が導入されたことで、”同質性を前提とした日本人の文化”はもはや存在しない。同様に、個人の(美的)感覚も人によって様々になっている。90年代以降はさらにばらけている。日本社会でいま起きている様々な問題は、同質性は崩れているのに、多くの人が自分と同じモラル基準を持っているはずで、それに従うべきと考えるからだ。
アートは作品を通して人間どうしのコミュニケーションが行われること。そのコミュニケーションは、それぞれが違うことを認め合うのが前提だ。従って、みんな同じと考える人とは会話が成立しない。アートとしての写真を語りあう場で、永遠に不毛な平行線の会話が続くのだ。あるキュレーターは、運悪くそのような人と出会ったら、場の雰囲気を壊さないため逆に作品を徹底的に褒め倒すという。やや極端な対応だと思うが、気持ちはよく理解できる。

上記のように、作品制作の過程では思い込みにとらわれることなく、自由な気持ちで周りの意見を聞きながら、自分の内面を深く探求する必要がある。しかし、作品が完成するとこんどはまったく別の素養が求められる。一転して外界への積極的な働きかけが必要となるのだ。シャイな地方在住の人はこの部分が弱いことが多い。作家を目指すなら、これらの外向きの活動は仕事の一部であると認識してほしい。社会に存在する仕事には営業系が多いだろう。知らない人に会ってと話すのが苦手でも、営業活動に従事して実績を上げている人は数多くいる。なぜできるかと言えば、生活のために必要な仕事と割り切っているからだろう。作家を目指す人にとって、営業活動は作品制作と同じくらい重要な仕事だと理解してほしい。
特に新人の場合は、どれだけ自分を広くアピールして、多くの人をギャラリーに動員できるかにかかっている。最初はだれでも作品は売れないもの、興味を持って見に来る人の数が作家の将来性を占う目安になる。本人が行動して、それにギャラリー、友人、仲間の営業努力が重なることで、情報が広く多くの人に伝わるようになる。

日本のアート写真界の問題点は、プライマリー市場で継続的に活躍する作家が育たないことに尽きる。上記の理由から、新たな新人は東京だけでなく、地方部からも出てくる可能性が高いのではと感じている。今後も、東京以外でのワークショップ開催や、その後の作品フォローアップに取り組むとともに、彼らの作品を一番大きな東京市場に紹介するシステムを構築していきたいと思う。

地方都市での、レクチャーやワークショップに興味ある人はぜひご連絡ください。

フィーリングを意味づける
写真を考えるためのヒント

自分自身で考えることは当たり前だ。しかし、日本ではそれが当たり前でないという意見がある。その理由は、わたしたちは伝統的に世間の中に生きてきたから。そのしきたりに従って生きていれば特に個人が自分で考え、決断を下さなくてもよかった。戦後には世間は会社組織に置き換わり、終身雇用崩壊後は「空気」が代用するようになったというのが最近の識者の主張だ。自分で考えて判断する習慣がないから「空気」を読んでそれに従おうとするわけだ。意見を求められると、空気に合った発言をしている識者の主張を取り入れて自分の考えのように話す人が多い。受け売り知識なので、妙にすっきりした断定的な意見になる。これらの分析は、実生活での経験と照らし合わせても納得する部分も多い。この辺のことは、最近のベストセラー「日本辺境論」(新潮新書 内田樹 著)や、「検索バカ」(朝日新書 藤原智美 著)に書かれている。興味ある人は読んでほしい。

私は、日本で感覚重視の写真作品が多いのは、上記のような歴史的な背景があるからではいないかと疑い始めている。学校ではテーマについて徹底的に考えることを教えない。それでもまったく問題視されない理由もここにあるだろう。そもそも一般人が個人として考えを追求する必要はなかったのだ。しかし、作家を目指す人にはこれは大きな弱点になる。自分が見て感じたことを総合化しテーマを明確に提示しないと見る側にメッセージは伝わらない。アート作品としての評価が非常に難しくなる。

もし考えるのが苦手なら、いっそ海外作家の作品テーマとのつながりを考えることからはじめてもよいと思う。色々なきっかけで訓練すれば自然と慣れてくるはずだ。
現在ブリッツ・ギャラリーで開催している下元直樹の作品で説明してみよう。
彼は抽象表現の絵画が好きで、同じような写真を撮影しようとしたという。作品をいきなり絵画との関連で語ることもできるだろう。しかし、彼は写真家なので写真史との関連で語られた方が立ち位置が明確になる。彼の作品のベースになるのはアーロン・シスキン(1903-1991)の作品だ。シスキンは、テーマがないこと自体をテーマにしている作家。写真で絵を描いたともいわれる。町の壁面などを絶妙なフレーミングとクローズアップで抽象的に撮影している。写真界では理解されず、抽象表現主義の画家が最初に評価した。シスキンの70年代の作品をまとめた写真集「Places」(Light Gallery1976年刊)には、アーティスト・ステーツメントも作品タイトルがない。写真には撮影場所と撮影地の制作番号のみが記されている。下元作品は、まさにカラー版のシスキンだ。
抽象表現主義絵画とシスキンの写真との違いは、このカラーとモノクロということ。これをつなげる写真家としてウィリアム・エグルストンが登場する。彼は、最初はモノクロで作品を制作していた。しかしテーマの一部の米国ディープサウスの色彩はモノクロで表現できないとカラーに取り組んだ。下元も東北の漁村の抽象的でカラフルなシーンを的確に表現するためにカラーで撮影しているのだ。
もうひとつのつながりは、ドイツ現代写真の重鎮ベッヒャー夫妻だ。彼らのタイポロジーは、作品をグリッド状に組み合わせることで互いを関連づけ、比較可能にしている。ドキュメント写真をアート作品としてコレクターの部屋に飾りやすくした、ともいわれている。下元作品のアプローチはまさにこれそのもの。彼の作品のベースは寂れた東北の漁村のドキュメント。影が出来ないように曇天の日を選び、できるだけ同じポジションでの撮影を心がけている。ギャラリーではベッヒャーを意識して複数作品をグリッド状に並べて展示している。

このように海外作家の仕事との関連から作品の様々な視点を引き出したり、明確にすることは可能だ。現代写真はその上で時代との接点が重要だ。それは、経済成長から取り残された東北人のメンタリティー。日本の伝統的美意識とのつながりが見られる点も忘れてはならないだろう。そして最後に、彼が撮影した海岸地帯が今回の大津波で流されてしまったことで作品は時代の記憶と重なった。
作家を目指す写真家には本作のコンセプトとテーマ性をぜひ見てもらいたいと思う。

写真をどこで売るか?多様化する販売チャンネル

 

プロ、アマチュアでも写真を売りたい人は多いと思う。しかし販売経験のない人は、どこでどのようにして売ればよいか分からないことが多いだろう。ワークショップや講演会ではこの手の質問を非常に多く受ける。今回はどのように販売チャンネルを見つけるか簡単にアドバイスをしてみたい。

まず思い浮かぶのは顧客に直接販売する方法だろう。現在はほとんどの人が簡単にウェブサイトを持つことが出来る。ネットを通じて直接顧客に販売できれば中間業者に手数料を払わなくてもよいことになる。一番効率的のように感じられるだろう。
しかし、ウェブサイトの大衆化は集客が難しいということでもある。かつての電話のようなものだ。電話帳に番号が記載されていてもビジネスにつながらないように、サイトがあるだけでは販売はおろか集客も難しいのが実情だ。
それゆえ多少費用がかかるが専門のオンライン・ギャラリーで作品を公開して販売するのが実際的だろう。しかし世界中にはオンラインギャラリーが数多くある。そのほとんどは、販売を謳っているものの、実は参加者を多く集めてその手数料で利益をあげる仕組みなのだ。本気で売りたいなら、腕試しだと思って審査があるサイトに挑戦してほしい。審査がないものは手数料依存のビジネスモデルのサイトの可能性が高い。実は作品審査には経費と時間がかかる。非常に労力の多い面倒な仕事なのだ。それをあえて行うところは真剣に顧客に良い写真を提供しようと考えている。

では作品販売を専門家に委ねる場合はどうだろう。販売業者は大きくはアートとして写真を扱う商業ギャラリーと、商品として扱うところに区別できるだろう。しかし、その違いはかなり分かり難い。インテリア・ショップやレンタル・ギャラリーでも時たま企画展を開催する。商業ギャラリーのなかにも、グラフィックやデザイン重視の作品をアートとして販売するところもある。企画ごとに展示趣旨が異なる場合も珍しくない。
だいたいの目安だが、インテリアやデザインとアートとの融合というようなことをキャッチコピーにしている業者は写真を取り扱い商品の一部として考えている。一方、継続的に一定レベルの企画展を開催しているギャラリーはアート系と考えて良いだろう。

どの種類の業者に自分の作品を委ねるかは写真家の制作スタンスによる。収入目的で販売を考えるのなら、商品として扱っている業者がよいだろう。それらのギャラリーやショップはデパート内、ショッピングモール内、都心一等地など立地の良いところにある場合が多い。ただし、イメージ中心で販売するので作品価格は安めになってしまう。また写真家の取り分が少ないことも多い。 ある程度の収入を得るためには巧みなマーケティングを行い薄利多売の実現が必要になる。また個別性が強いアートと違い、均一の商品として販売されるので品質の高さと一貫性が強く求められる。コレクターではなく一般消費者に販売されるということだ。写真家は商品の納品業者という弱い立場であることも特徴だ。最近は、欧米同様にインテリア向けの写真を集めたフェアも開催されるようになってきた。

もし、自分が写真を通して世の中に伝えたいメッセージがあるならば、アート系ギャラリーやディーラーを選んで欲しい。これらの業者は写真家のメッセージというソフトを写真を通じて伝えようとしている。作家のキャリア形成とともに長期的なブランド構築を目指している。ただし収入的にはかなり厳しい。最初は新人作家の低めの相場で販売することになるので、制作費で赤字になることも多い。しかし作家のブランド力向上とともに作品価格も上昇する。グローバルに認められる可能性もある。写真家だがアーティストととしてリスペクトされるようにもなる。ただし継続には強いパッションが必要不可欠だ。
またギャラリーの中には作品販売よりもプロモーションや展示自体を重視するところもある。ステータス・アップを求める写真家にはこの手の業者が向いているだろう。

昨年、JPADSというアート写真を扱うギャラリーのグループを設立させた。これには写真を売りたいと考える人の販売業者探しの指針になればという思いもある。欧米では、どこの組織の一員かによってギャラリーやディーラーのスタンスが明確なのだ。実はまだJPADSメンバー内でも考え方が様々だ。活動の継続を通じて日本の写真市場での販売業者の緩やかな棲み分けが出来ればよいと考えている。また商業ギャラリーに作品を持ち込む時は、大まかなプレゼンのスタンダードが決まっている。残念ながらまだ知らない新人写真家も多いようだ。今後はワークショップなどを通してこれらの啓蒙活動も行いたい。