約583万円の写真集 ロバート・フランク「The Americans」

5月21日にロンドンのクリスティーズで毎年恒例の「Photobook」オークションが開催された(上の写真がオークションカタログ表紙)。今年の話題をさらったのが、ロバート・フランクの古典写真集「The Americans」が当日のオークション最高値の43,250ポンド(約583万円) で落札されたこと。落札予想価格の上限は15,000ポンド(約202万円)。もちろん、この本の史上最高値段でもある。プレスリリースによると、戦後に正規に流通した普及版写真集での最高価格とのことだ。
これ以上の値段をつけている写真集もあるが、オリジナルプリントがついていたり、1点物の実物大見本などだ。つまり今回は印刷され流通した写真集のオークション新記録ということだ。

「The Americans」は数多くの版があることは広く知られている。オリジナルは1958年の5月15日にフランスのRobert Delpire社から”Les Americains”。今回落札されたのは、1959年の米国Grove press刊行による、米国版の初版だ。最近では、米国版と欧州版は、出版社が違うだけで内容は全く同じ場合が一般的。しかし、上記の2冊は収録写真数は同じだが編集がかなり違い、別物と解釈されている。90年代くらいは、フランス版の方が最初に出たということで市場での価値が高かった。 しかし、フォトブック自体が再評価されるようになってからは、作家性がより反映されているということで米国Grove press版の評価が上昇した。状態にもよるが、現在では2冊は同じくらいの値段がつくこともある。

さて今回オークションで落札されたのは、1959年のGrove press刊行による米国版だ。何でこれほどの高評価を得たかというと、ロバート・フランクの直筆サインが、「For Leo Stahin. Dec. 1959 Robert Frank」と書かれているからだ。この1959年12月という記述が非常に重要。この本は1959年刊となっているが実際に店頭に並んだのが1960年1月だという。つまり、これは写真集「The Americans」のまさに刊行時のサインということ、アート写真でいうと、ヴィンテージ・プリントという意味になるのだ。クリスティーズによると、過去30年間で同時期にサインされた写真集はオークション市場には登場していないとのこと。
彼のオリジナルプリントは、サイン入りモダンプリントなら1万ドル(約92万円)以下でも購入可能だ。今回の高額落札は、もはや写真集はコレクターの資料という位置付けにとどまらず、それ自体が写真表現のカテゴリーの一つであることを明らかにしたことになる。
写真集「The Americans」はいままでに多くの出版社から数多くの再版が世界中で刊行されている。表紙デザインやサイズも様々だ。2008年にスタイドル社から刊行50周年記念版が刊行された(下の写真)。これは、原点回帰で本のサイズが再び1959年米国Grove press版に戻されている。現在、アマゾンや洋書店で売られているのは、約583万円で落札された写真集とほぼ同じたたずまいなのだ。興味ある人はぜひ手に取って本の雰囲気を確かめてほしい。

フォトブックス市場の動向にも少し触れておこう。他のアート市場と同様に世界的な景気後退の影響を受けて市場は弱含んでいる。ロンドンで開催のオークションを比較すると、景気の底は2009年だったようだ。総売り上げ285,562ポンド(約4000万円)、落札率約62%と低迷した。2010年は出品作を厳選したこともあり、総売り上げは353,438ポンド、落札率は約72%に回復している。ちなみに最高売り上げは2006年の643,832ポンド、落札率は約86%。ちょうどリーマンショック前の2008年春には市場の大きなニューヨークでもフォトブックス・オークションが開催され、その時はなんと約260万ドル(約2億6千万円)の総売り上げだった。 落札状況をフォローしてみると、アート写真市場の動きと全く同じだ。現在は、本当に資産価値があり、状態が良い写真集なら需要はある。しかし、いつでも買えるような流通量が比較的多い中級品の動きは鈍いといことだろう。 ヴィンテージは売れて、モダンプリントが苦戦するという構図だ。その状況が象徴的だったのが、今年5月19日ブルームズベリー・ニューヨークでアート写真の一部で開催されたフォトブックのオークション。際立った目玉がない中級品中心だったこともあり、約50点の出品で落札率はわずか30%だった。
従ってピークと比べて個別写真集の相場も下落気味。特定の欲しい写真集があったが手が出なかった人、特に高額本の場合は好機到来かもしれない。しかし、フォトブックには、アート・ギャラリーだけではなく膨大な数の古書店ディーラーが関わっている。10万円以下の本の場合、相場の下限ではこれらディーラーが仕入れの買いを入れる。参加者が少ない現代アートのように値段が急落することはない。以前より多少安く買えるくらいに考えてほしい。

細江英公氏が語る日本人写真家のヴィンテージ・プリント

先週、日本写真家ユニオン主催の講演会があり、細江英公氏(1933-)のお話を聞くことができた。
以前、日本人写真家の60~70年代の写真集が海外で非常に人気が高いことを紹介した。 フォト・ブックの歴史検証作業が行われ、日本人写真家はオリジナルプリントではなく写真集を重要視すると理解されるようになったのがきっかけだ。いまや日本人写真家のヴィンテージ・プリントに当たるのが初版写真集という解釈なのだ。
細江氏はまさにその時代に、「おとこと女」(1961年刊)、「薔薇刑」(1963年刊)、KAMAITACHI」(1969年刊)などの、いまや貴重なコレクターズ・アイテムになった写真集を発表した中心人物なのだ。今回の講演は、当時の日本におけるオリジナル・プリントや写真集についてのお考えが聞けるもので、非常に面白かった。

やはり、当時の写真家はプリントとしての写真作品に価値を置いていなかったらしい。 この時代は印刷されて初めて原稿料がもらえたので、雑誌などに印刷されることの方が重要だと考えられていたのだ。その究極の形が写真集化されることだったのだろう。プリントと写真集は全く別物と考えていたと細江氏は断言された。お金にならないプリントよりも、明らかに写真集を重要視していたことがよくわかる。プリントはネガがあればいつでも安価で制作できるという発想だったのだ。
なんと木村伊兵衛氏は邪魔になるということで、自らのヴィンテージプリントを燃やしてしまったとのこと。もし、それらが残っていたらビルが3つ位建っただろうと細江氏は残念がっていた。
実は収納スペースの問題もプリント軽視の風潮にかなり影響していたという印象だ。つまり、当時の日本の住宅はスペースが狭く、多くの写真家はプリントで作品を収蔵するより、ネガを整理して保存する方法を選んだようなのだ。桑原甲子雄氏は家業が質屋で倉があったからプリント作品が残っているそうだ。細江氏もガウディー作品保存のため、自宅ガレージから車をだしてスペースを確保したとのことだ。

彼がオリジナル・プリントの重要性に気付いたのは、ワシントンD.C.のスミソニアン協会で開催された写真展がきっかけだった。現地キュレーターが写真集「おとこと女」を見て企画されたものらしい。会期終了後、一部作品がコレクションとして購入されることになった。購入用の作品にはサインを入れる必要がある。彼は万年筆でサインをして作品を送ったところ、鉛筆で書き直すようにと指摘されたのだ。これがきっかけで、細江氏はプリント自体に価値を見出す欧米の価値観を知るようになるのだ。
その後の細江氏の啓蒙活動がなかったら、日本にはヴィンテージプリントなどほとんど残っていなかったかもしれない。写大ギャラリーの持つ土門拳コレクションなどは彼の尽力なしでは存在しなかったのだ。

講演の参加者の多くはオリジナル・プリント販売を目指す写真家だった。「いま写真を取り扱うギャラリーが増加しており、日本のアート写真市場もやっと動き出す気配を強く感じる。」写真界の重鎮による彼らへの激励の言葉に私も勇気付けられた。

ジョエル・マイロウィッツ
70歳にして変化を恐れない伝説の写真家

 

新作展のオープニングで来日したジョエル・マイロウィッツ氏(1938-)にエッセーの取材インタビューをすることができた。
彼は最近入手したというライカM8を持って現われた。長旅と時差、タイトなスケジュールでたいへんお疲れだったと思う。しかし非常に紳士的な態度で、また丁寧に言葉を選んで私の質問に答えてくれた。インタビューは近日中にアートフォトサイトで紹介します。

ギャラリー・ホワイト・ルーム・トウキョウで展示されている「The Elements:Air/Water Part1」で、彼は従来の3次元の写真表現に挑戦し、フラット感の中に新たな可能性を捜し求めている。また古代の四大元素である空気・火・土・水の表現をテーマにしたコンセプト優先の巨大作品は完全に現代アートだ。

彼は美術を学び、最初は抽象画家だった。生活のためにデザインの仕事を行うようになる。ロバート・フランクの撮影現場をみたことで衝撃を受けて写真家に転身する。最初はフランクの真似をしてストリートでモノクロ写真を撮影していた。この当時の写真はシャーカフスキーの名著「Looking at photographs」に収録されている。
シャーカフスキーの助言がきっかけで、こんどは写真のファーマットとカラーで世の中を描写しつくそうと考える。それを突き詰めた結果が8X10カメラだったのだ。
カラーを選んだときから彼は現代アートの方向性を持っていたのだと思う。しかし彼は早くからアナログ写真での表現に限界を感じていた。自分が感動したようにイメージを作りあげたかったがその性格上、どうしても妥協の連続が続いた。ダイトランスファーではかなり近いものが制作できたが、非常に高価だったので表現の追求はできなかったようだ。
それでも70~80年代にかけて、”Cape Light”、”Wild Flowers”などの優れたシリーズを次々と発表している。90年代には、フランクのように先入観をも持たないことを心がけながら、様々なアメリカンシーンを求めて旅をしている。この時期は作家として次のステップへの助走期間になっている。
やがてデジタル技術との出会いが彼のアーティストの可能性を押し広げることになる。多くの写真家はデジタルにより手軽に派手でコントラストの強いカラー写真ができることに魅了されがち。彼はヴューカメラで撮影されたネガの持つ微妙な色合いの表現を追求したことが特徴。かなりの初期段階から独学でフォトショップの探求を行い、数多くのプリンターをテストしたとのこと。
そして、HP Desogmket 130とHPプレミアム・サテン紙と出会い、初めて納得がいくデジタルプリントが制作可能になる。現在では顔料ベースのインクを使用するHP Designjet Z3100を使用して全ての作品を制作しているという。デジタルにより、サイズの限界から開放されたことも彼の創作意欲を掻き立てたのだろう。最新作の最大作品はなんと約1.5X1.8メートルもある。過去の作品も大きくして新たにエディション化している。たぶん最初から大判サイズで制作したかったのだろう。

多くの人は写真集”Cape Light”,”Summer days”などのルミナスな風景、シティースケープなどを彼のイメージとして持つだろう。だから、グランドゼロを撮影した、”Aftermath”や最新作では意外な印象を持ったはずだ。しかし、そのキャリアを振り返ると、極めて当たり前の展開であることが見えてくる。
彼も、”Cape Light”のような作品は作家としての自分のひとつのベクトルに過ぎないと語っている。話を聞いて感じたのは、彼が意識的に変化しようと試行錯誤していることだ。テーマやスタイルを変えることは危険なことだ。失敗したら自分の評価を落とすことになるかもしれない。特に優れた作品を残した作家ほど過去と比較されるのでそのリスクが大きくなる。しかし、アート史に残る偉大な作家はそのリスクを積極的に引き受けて変化してきた。 “Aftermath”で評価を高めたマイロウィッツ氏は、立ち止まることなく新たな方向のチャレンジを開始したのだ。

3月6日はマイロウィッツ氏の70歳の誕生日だったとのこと。すごいバイタリティーだ。最後に、いいインタビューだったとねぎらいの言葉までかけてくれた。写真史に残るような写真家は人間的にも魅力的なのだ。

*協力:ギャラリー・ホワイト・ルーム・トウキョウ