(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(14)
アレクサンダー・リーバーマン関連本の紹介(Part-3)

ロシア出身のアレキサンダー・リーバーマン(1912-1999)は、1940年代初頭にニューヨークでヴォーグ誌を発行するコンデ・ナスト出版での仕事を開始する。1960年から1994年まで同社のエディトリアルディレクターを務めている。
彼は、長い伝統を持つヴォーグ誌を、斬新なヴィジュアルとデザインを取り入れ、大胆で生き生きとした現在の姿に変貌させた功績や、戦後の代表的ファッション写真家のアーヴィング・ペンを見出したことで知られている。彼はまた、写真家、アーティスト、グラフィックデザイナーとしても尊敬されていた。
リーバーマンの連載(Part-3)では、関連フォトブックを紹介する。

・”The Artist in His Studio” (Viking Press NY, 1960)
ハードカバー: 144ページ、サイズ 約24.8 x 2.5 x 33 cm、
多数の図版を収録

リーバーマンは、絵画や彫刻の分野で成功を収める前は、写真家として活躍していた。1948年から1950年代にかけて夏休みを利用して、ポール・セザンヌ、ジョルジュ・ブラック、アンリ・マティス、モーリス・ユトリロ、マーク・シャガール、マルセル・デュシャン、コンスタンティン・ブランクーシ、パブロ・ピカソ、アルベルト・ジャコメッリなど、主にエコール・ド・パリ時代に活躍した32名におよぶ画家、彫刻家たちのアトリエを訪れ、写真を撮影。当時は画家志望が強かった若きリーバーマンが、有名アーティストの創作のプロセスや秘密をアトリエ撮影で発見しようとしたのがプロジェクトのきっかけだった。1959年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で、リーバーマンが撮影したアーティストとそのスタジオの写真が展示される。これらの写真は、バイキング・プレス社から1960年に出版されたリーバーマン最初の本“The Artist in his Studio”に収録。1988年にはランダム・ハウス社から拡大判が再版されている。

・”The Artist in His Studio” (Random House NY, 1988)
ハードカバー: 292ページ、サイズ 約24.8 x 2.5 x 32.4 cm、
多数の図版を収録

1988年にランダム・ハウス社から再版された拡大判。カラー161点、モノクロ55点を収録している。表紙のカラー図版は、ピカソと共にキュービズムを始めたジョルジュ・ブラック(Georges Braque、1882-1963)のパリのスタジオ写真。カーテン・システムにより、アーティストが太陽光の強さを調節でき、また様々な場所に制作スペースがある様子を撮影している。

・”THEN / Alexander Liberman Photographs 1925-1995″
(Random House, 1995) ハードカバー、サイズ 23.5 x 30cm、約256ページ、約200点以上のモノクロ図版を収録

何気ないスナップなのだが、その中に世界的な各界の著名人のポートレートが何気なく含まれている。リーバーマンと被写体との深い関係性がこのような親しみのある写真撮影を可能にしたのだ。アート作品になりうるポートレート写真のお手本だと言えよう。1925年のフランス・シャモニーで12歳の時の学校の仲間の写真から、1995年にマイアミの自宅周辺で撮影した友人たちの写真まで、コンデナスト時代からのアーティスト、写真家、ファッションデザイナー、ライター、エディター、建築家などとの交流のドキュメント。

“Then” Page 150-151、カルチェ=ブレッソンのスナップ、撮影リーバーマン

それらには、アルベルト・ジャコメッリ、ジャスパー・ジョーンズ、パブロ・ピカソ、マルク・シャガール、リー・ミラー、ロバート・ヒューズ、ウラディミール・ホロヴィッツ、ココ・シャネル、イヴ・サンローラン、トルーマン・カポーティ、ル・コルビジェ、アナ・ウィンター、ティナ・ブラウンなど。写真好きな人には、アーヴィング・ペン、デヴィッド・ベイリー、ヘルムート・ニュートン、ブラッサイ、セシル・ビートン、写真を撮らせないことで有名なカルチェ=ブレッソンのスナップ、そしてリーバーマンの被写体とのエピソードが綴られたコメントが興味深いだろう。ペンのことを「彼は私たちの生活にモダニティをもたらした、写真と私たち人間のヴィジョンに革命を起こした」と記している。

・”It’s Modern.: The Eye and Visual Influence of Alexander Liberman” Charles Churchward (Rizzoli, 2013)
ハードカバー、サイズ 25.3 x 3.3 x 31.4 cm、約240ページ、
多数の図版を収録

リーバーマンは、世界で最もパワフルなエディトリアル・アートディレクターの一人であっただけでなく、写真家、アーティスト、グラフィックデザイナーとしても尊敬されていた。本書では、著者のファッション誌のアートディレクターとして名高いチャーチワードが、リーバーマンのヴォーグなどの商業的な仕事の実績と、アート作品を大胆にも並列に紹介。彼の両分野にまたがる創造的視点とインスピレーションを称賛。彼が、アート、写真、デザイン、雑誌の仕事、社会生活を通して、私たちの視覚文化に影響を与え、変化をもたらした事実を紹介している。本書には、個人的なアーカイブ写真、テキスト、アート作品と、重要な友人や協力者による写真を収録。パーソナルライフやインスピレーションが作品同様に魅力的であった天才リーバーマンの完全なる全体像が提示されている。マティス、ベアトン、リーボヴィッツ、ニュートン、リッツ、ブラッサイ、パークス、ホルスト、ピカソ、アヴェドン、ペンなどによる作品も収録。

つづく

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(13)
アレクサンダー・リーバーマン関連本の紹介(Part-2)

リーバーマンもファッション雑誌作りの制限の中で、できる限りの自由な表現の可能性を探求した。その姿勢はライバル誌ハ―パース・バザーのブロドビッチと全く同じだ。両者には、第2次世界大戦が終わり、社会における女性の存在が大きく変化したという確固たる認識があり、それを誌面で提示しようと考えた。大判カメラとスタジオで撮影されたセシル・ビートンやホルストのイメージは時代遅れと考え、新しい時代の女性に合致したファッション写真を世に送りたいという意思がともにあったのだ。

Irving Penn, Vogue cover, October 1, 1943 , Conde Nast

リーバーマンは自分が理想と考えるファッション写真を作り出すために、画家志望だった若きアーヴィング・ペンを写真家に転向させ、ジュニア世代のファッションが理解できる若い女性写真家のフランシス・マクラフリンを起用している。ちなみに、ペンの最初のヴォーグ誌のカヴァー写真は1943年October 1号となる。巧みにファッション小物を配置して構成されたスティル・ライフ写真は画家の視点が生かされている。また将来の可能性を感じさせる作品だ。リーバーマンは、ファッション写真の経験のないフォトジャーナリズム系写真家もファッション雑誌の撮影に起用している。なんと畑違いに感じるエルンスト・ハースやウィージ―にも撮影を依頼しているのだ。

Ernst Haas, Vogue, December 1951 / From “Appearances” by Martin Harrison, page 41

その中には、後にアフリカ系アメリカ人の最初のライフ誌のスタッフ・フォトグラファーになったことで知られるゴードン・パークス(1912-2006)も含まれる。1940年代後半、パークスはハーレムに移り住み、リーバーマンの下でヴォーグ誌の最初のアフリカ系アメリカ人フリーランスのファッション写真家となる。当時の社会には、いまとは比べ物にならない程の人種差別的な考えが蔓延していた。それにもかかわらず、リーバーマンは彼にハイ・ファッションのイブニングドレスのコレクション撮影を依頼している。パークスのファッション写真は主にストリートで撮影された。構図が非常に革新的で、モデルに動きが感じられ、またカラー作品は映画的な美しい色彩で表現されている。それらは、写真集「I AM YOU : Selected Works, 1942-1978」(Steidl、2016年刊)の「Fashion 1956-1978」セクションで紹介されている。
彼のファッション写真は財団管理下でエステート・プリントとしてエディション付きで販売されている。2020年の6月18日~25日にかけてフィリップスがオンラインで開催した「Tailor-Made: Fashion Photographs from the Collection of Peter Fetterman」オークションではパークスのエステート・プリント2点が出品、落札予想価格は5000~7000ドル(約55~77万円)。「James Galanos Fashion, Hollywood, California、1961」が7500ドル(約82.5万円)、「Untitled, New York, N.Y., 1956」が6250ドル(約68,7万ドル)で落札されている。ノーマン・パーキンソンなどと同様に、写真家死後の作品でも財団管理下で制作されたのリミテッド・エディションの相場は極めて安定している。
いまアート界ではアフリカ系アメリカ人や女性アーティストに注目が集まっている。パークスのファッションやポートレート作品も間違いなく市場で再評価されるだろう。

Gordon Parks “Untitled, NY 1956” / Phillips, Tailor-Made: Fashion Photographs from the Collection of Peter Fetterman Online Auction 18 – 25 June 2020

戦後ファッション写真史の資料を調べていると、写真家、デザイナーたちが雑誌ページ内での写真の取り扱いに不満を持っていた事実がよく記されている。洋服を中心に目立って見せて欲しいデザイナー/服飾メーカーや編集者と、それらをヴィジュアルの一部と考え、より自由な表現を目指すクリエーターとの軋轢には長い歴史がある。その後、ファッションが巨大ビジネスとなるに従い、表現の自主規制もさらに厳しくなる。お膳立てがすべて整っているファッションの撮影では、自分の感性を生かしてリスクを冒すことなどできないのだ。多くの写真家はファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないと失望して業界を去る。そして仕事での自己表現の限界を理解すると、自らの欲求を満たす行為を他のアート表現に求めるのだ。

リーバーマンも、ヴォーグ誌を初めとし、グラマー、バニティ・フェア、マドモアゼル、アリュールなどのコンデナスト出版の雑誌全般を率いるとともに、写真家、彫刻家、画家としてのキャリアも追求している。彼の多様なアーティストのキャリアと、特に長年にわたるコンデナスト出版での活躍を見るに、彼は仕事と自己表現のバランスがとれた類まれの人だった事実がわかる。彼は表現者にありがちな、エゴが追求するロマンチストではなく、極めてリアリスト的な生き方を追求したのだと理解したい。前回パート1で触れたように、彼は自分のフレームワークに囚われずに、変幻自在に時代の流れに聞き耳を立て、多くの才能を起用して雑誌作りを行っていた。回りくどい言い方だが、確固たるスタイルにあえて固執しないのも、一つのスタイルだといえるだろう。

ジャンルは違うが、ミュージシャンのデヴィッド・ボウイはキャリアを通して多彩な自身のヴィジュアル作りを行っている。各時代の最先端をゆく写真家を積極的に起用して、カメレオンのように自らのイメージを変化させている。
リーバーマンの創作スタンスはかなりボウイに近いと直感した。彼のファッション雑誌作り自体は一種の自己表現であり、彼はそれにある程度満足していたのではないだろうか。もちろん、彼の立場により、ほかの人と比べて格段に仕事上の自由裁量を持っていたのは明らかだろう。当時、コマーシャルと深く関わるファッション写真や雑誌作りはアート表現だとは考えられていなかった。彼は時代に横たわる気分や雰囲気を感じ取って、写真を通して社会に提示した。ファッション写真の持つアート性をいち早く見出した最初の一人だったのだ。時代が彼に追いつくのは90年代になってからだ。

“Alexander Lieberman” by Barbara Rose, Abbeville Press (1981/11/1)

以上から、リーバーマンのアーティトとしての創作は、自分のやりたいこと追及を求め、それがかなわないと去っていく他の多くの表現者とはかなり違っていたと考える。彼の巨大な彫刻作品は世界中の約40都市の公共スペースに展示されている。しかし実際のところ、彼はアーティストとしては美術評論家から高い評価は受けられなかった。アート・オークションへの出品も限定的だ。

彼が手掛けるヴォーグ誌は、ジャコメッティ、ユトリロ、マティス、ブラックなどのアート特集を掲載するとともに、デュシャンなどの重要な美術評論家によるエッセイをほぼ毎号掲載していた。執筆の仕事の依頼者がアーティストだったという極めてまれな状況だった。アートの専門家は、アートメディアを牛耳るリーバーマンによるアート作品は、利益相反から客観的評価は難しいと考えていたのだ。

わたしは、リーバーマンはその点は十分理解していて、アーティスト活動の評価については気にしていなかったと想像している。たぶん彼は雑誌作りである程度の自己実現ができて満足しており、アーティスト活動は自らの精神をバランスさせるための行為だったのだと思う。方法論の追求は趣味だと言われるが、たぶん彼にとってアートの創作はそのような位置づけだったのではないだろうか。

次回のパート3では、リーバーマン関連のフォトブックを紹介する。

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(12) アレクサンダー・リーバーマン関連本の紹介(Part-1)

前回まではロシア出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、写真家、教育者で、20世紀グラフィック・デザインの元祖として伝説化されているアレキセイ・ブロドビッチ(1898-1971)を紹介した。

ブロドビッチは1934年から1958年まで米国ハーパース・バザー誌のアート・ディレクターとして活躍している。ほぼ同時期にライバルのヴォーグ誌のエディター、アート・ディレクターなどとして活躍していたのが、同じくロシア出身のアレキサンダー・リーバーマン(1912-1999)だ。
彼は、ロシア革命後に国外に亡命した白系ロシア人で、ロシア、英国、フランスで教育を受けている。ブロドビッチと同様に、1924年にパリに移り住んで、同地でキュービズム画家のアンドレ・ロート(André Lhote、1885-1962)に絵画を、オーギュスト・ペレ(Auguste Perret、1874-1954)に建築を学んでいる。
彼は、1933年~1936年にかけて、1928年創刊の初期ヴィジュアル雑誌「Vu」で出版キャリアをアート・ディレクターとして開始する。1941年にドイツのパリ占領によりニューヨークへ移住。その後、ヴォーグ誌を発行するコンデ・ナスト出版での仕事に携わる。1944年から1962年まで約21年間アート・ディレクターを務め、1994年までの32年間はコンデ・ナスト出版のエディトリアル・ディレクターとして長年にわたり活躍を続ける。

Vogue November 1. 1944, Cover photograph by Erwin Blumenfeld

ファッション雑誌業界では、エディター、アート・ディレクター、写真家はまるで消耗品のような存在だ。時代の変化の先を走り続けるのは極めて困難なので、常に人材の新陳代謝が必要だともいえる。その中で、リーバーマンの長年にわたるコンデ・ナスト出版での存在は極めて異例だといえるだろう。あのブロドビッチでさえハーパース・バザー誌で活躍したのは約24年間だった。

「Alex: The Life of Alexander Liberman」By Dodie Kazanjian

彼の伝記「Alex: The Life of Alexander Liberman」(Dodie Kazanjian/Knopf 1993年刊)では、この点を以下のように分析している。「ひとつ考えられる説明は、リーバーマンには明確に定義するようなスタイルがなかったことだろう。彼がディレクションした雑誌に特徴的な視点がなかったこと、そして時代遅れだと決めつけられるものが何もなかったことが挙げられる。リーバーマンのスタイルは変幻自在であり、無限に継続可能だった。彼は常に、アート・ディレクターが追求する「グッドデザイン」を犠牲にしてでも、ジャーナリスティックな多様性を追求してきたのだ。彼はあらゆる種類の変化(社会的態度の変化だけでなく、写真やアート、ビジュアル・コミュニケーションの変化)に直観的かつ敏感に反応した。彼は自分の分野では、いつも誰よりも一歩も二歩も先を行っているようだった、そのせいで 彼がディレクションした雑誌は、常に新鮮で革新的で生き生きとしていた」

同書の分析は見事で、極めて的確だったといえるだろう。写真家の起用にもこの特徴が現れている。彼は1940年代に天才のアーヴィング・ペンを見出している。しかし、その後も定期的にアーウィン・ブルーメンフェルド、セシル・ビートン、ウィリアム・クライン、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートン、デビッド・ベイリー、デボラ・ターバヴィル、シーラ・メッツナー、アニー・リーボヴィッツなどを起用している。自分のいったん成功したフレームワークに固執することなく、常に変化を求め続けた姿勢こそが彼が活躍し続けられた秘訣だと思う。これはすべてのクリエイティブな仕事において、最も重要な資質だと私は考えている。でも一般的には自分の直感を信じてそれを追求することが重要だと勘違いされている。それは各分野の超ベテランと天才のみに当てはまるのだ。

1940年代のころ、リーバーマンは当時のファッション雑誌を以下のように批判している。「私はファッション誌でアートとして言われている言葉に憤りを感じていた。アート・ディレクターという言葉でさえ気取って使われている。エリクソンやウィヨメズのようなイラストレーターを相手に仕事をするのが、アートのディレクションではない。それらはカタログ的なファッションだ。私は何気ない感じに興味があった。この作り物(ファッション誌)の世界に生命力を吹き込みたかったのだ」また以前の(連載3)でも紹介しているが、リーバーマンが理想のファッション写真だとしているのは「最高のセンスをもったアマチュアで、カメラマンの存在を全く感じさせない(写真)」だった。新人編集者に、それに当てはまるアーティストの自己表現とファッション情報の提供がバランスしている2枚の写真を紹介しているのはあまりにも有名だ。

Phillips NY, 2017 April 3, “THE ODYSSEY OF COLLECTING” Edward Steichen “Chéruit Gown (Marion Morehouse) (Mrs. E.E. Cummings), 1927”

何度も紹介しているのでここでは簡単に触れておく。1枚目がエドワード・スタイケン(1879-1973)によるヴォーグ誌1927年5月号に掲載された初期のセレブ・スーパーモデルだったマリオン・モアハウス(Marion Morehouse/1903-1969)をモデルとした写真。流行りのシェルイ(Cheruit)のドレスが写されているものの、女性に敬意を表し彼女の最高の魅力的な瞬間を表現している、としている。1920年代に欧米で流行した革新的なフラッパーの要素を従来の婦人像と融合させている写真といえるだろう。2013年に世田谷美術館で開催された「エドワード・スタイケン/モダン・エイジの光と影 1923-1937」にも展示されていたので、見覚えがある人も多いと思う。ちなみに同作“Cheruit Gown (Marion Morehouse) (Mrs. E.E. Cummings), 1927”は、フリップス・ニューヨークで2017年4月3日に行われた“THE ODYSSEY OF COLLECTING”オークションで、5万ドル(@110円/約550万円)で落札されている。スタイケンのファッション写真は「Edward Steichen In High Fashion: The Conde Nast Years, 1923-1937」(W W Norton、2008年刊)と上記展覧会のカタログで見ることができる。

Bonhams NY 2019 October 2, “Photographs” Walker Evans “Citizen in Downtown Havana,1932”

もう1枚はファッションとは縁遠いと思われがちなウィーカー・エバンス(1903-1975)の作品。彼がキューバのストリートで1923年に撮影した白いスーツを着た男性のドキュメント写真をあげ、「これは明らかにファッション写真ではないが、私はこれこそが根源的なスタイルのステーツメントだ」と語っている。同作“Citizen in Downtown Havana,1932”の大判サイズのエステート・プリントは、2019年10月2日にボナムス・ニューヨークで開催された“Photographs”オークションで17,575ドル(@110円/約193万円)で落札されている。同作品を含むキューバで撮影された一連の作品は写真集「WALKER EVANS: HAVANA 1933」(Pantheon、1989年刊)、「Walker Evans: Cuba」(J Paul Getty Museum、2001年刊)で見ることができる。

(Part-2)に続く

・「WALKER EVANS: HAVANA 1933」(Pantheon、1989年刊)
絶版、相場は8000円~

・「Walker Evans: Cuba」(J Paul Getty Museum、2001年刊)
  絶版、相場は4000円~、ペーパー版の新品は購入可能

・「Edward Steichen In High Fashion: The Conde Nast Years, 1923-1937」(W W Norton、2008年刊) 
絶版、相場は12,000円~

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(11)
アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介
(Part-3/ブックリスト)

アレクセイ・ブロドヴィッチ(1898-1971)本人が撮影して制作されたフォトブックは、「Ballet」(J. Augustin Publisher, New York, 1945年刊)だけとなる。

実は知る人ぞ知るもう一つのプロジェクトがあった。1960年代、ブロドヴィッチは抑うつとアルコール中毒に苦しみ、入退院を繰り返していた。彼は、入院中に超小型のミノックス・カメラを使用して数百枚の写真を撮影していたという。空のタバコ・ケースに入れて入院患者を密かに撮影したり、野外で島の工業施設などをスナップしていた。「Master of American Design / BRODOVITCH」(Andy Grunberg/Harry N.Abrams,1989年刊)には、そのコンタクトシートが見開きページで「In Focus : Ward’s Island」として、「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)には、1961年のコンタクトシートとドローイングが「Ward’s Island」として紹介されている。それらは、「Ballet」の雰囲気を持つ、アレ・ブレ・ボケが取り入れられたモノクロ写真。本人が意図しているかどうかはわからないが、撮影者と被写体の患者との存在が一体化されているのが特徴だ。しかしながらネガの所在が不明で、残念ながらいままでにフォトブック化されていない。

「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)に収録されているWard islandでの作品のコンタクトシート

彼のもう一つの重要な仕事は、グラフィックアートの季刊誌「Portofolio」(Zebra Press刊)のアート・ディレクションとアート編集だ。エディターは、George S. Rosenthalと Frank Zachary。広告収入で成り立つファッション誌「ハ―パース・バザー」では、様々なデザイン上の制約があった。「Portofolio」は、編集とデザインの自由度を優先するために、広告掲載を行わず定期購読での予算確保を目指した。この雑誌でブロドヴィッチは、アートの高級、大衆的かにこだわらず、すべてのヴィジュアルを民主的に取り扱っている。彼の真の能力がいかんなく発揮された、キャリアのピーク時の仕事といえるだろう。しかし制作コストがかさんだことから、1949年から1950年にかけて僅か3冊だけの刊行となった。いまでも伝説のグラフィック・デザイン雑誌として知られている。

「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)には、「Portofolio」の多くの主要ページが再現されている。古書市場での相場は、非常に古い雑誌なので状態によりかなりばらつきがある。状態の良いものは500ドル以上している。

〇 アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本リスト

(1)「Ballet」(J. Augustin Publisher, New York, 1945年刊)

ブロドヴィッチは1935~1937年にかけて、バレエ・リュス・ド・モンテ・カルロ・ニューヨーク公演のリハーサル、本公演、バックステージのシーンを35mmコンタックス・カメラでストロボなしでスロー・シャッターで撮影。当時の主流はシャープなストレート写真だった。彼はタブーだった、明暗、ブレ、ダブり、ボケなどを多用することで、バレーの動きと、演技が盛り上がる雰囲気を見事に表現する。ブロドヴィッチは本書で写真表現の可能性を大きく広げ、その後のデザイン、写真界に大きな影響を与えたと言われている。グラビア印刷による104点がパフォーマンスごとに11パートで紹介。しかし収録写真のほとんどのネガはブロドヴィッチの自宅の2度の火災で焼失している。オリジナル版の発行部数は500部、多くが贈呈され書店にはほとんど流通しなかったと言われている。
本書はかつて幻のフォトブックと言われ極めて入手が困難だった。しかし、いまネットで検索してみたところ約10冊がヒットした。価格は2500ドルから1万ドルくらいまで。約75年も前の本なので個別状態により価格は大きく影響されるが、ネットの一般普及の以前と比べて相場はかなり下がっている。90年代は、状態の悪い本でも希少性によりかなり高価だった。レアな写真集を本ごと完全に複写して販売する「Books on Books No.11」として再現されたのも多少影響しているかもしれない。本書は、松浦弥太郎氏が責任編集のユニクロ「Life Wear Story 100」の中でも取り上げられている。

(2)Alexey Brodovitch and His Influence
(George R. Bunker, Philadelphia College of Art, Philadelphia,1972年刊)

本書はブロドヴィッチの生前に企画され、没後の1972年にフィラデルフィア美術大学で開催された回顧展「Alexey Brodovitch And His Influence」に際し刊行されたカタログ。

(3)「Alexey Brodovitch」(Ministere de la Culture, Paris,1982年刊)

1982年10月27日~11月29日にかけてパリのグラン・パレ(Grand Palais)で開催された回顧展「Hommage a Alexey Brodovitch」展のカタログ。

(4)「Master of American Design / BRODOVITCH」
(Andy Grunberg/Harry N.Abrams,1989年刊)

その前の2冊のカタログと違い、カラー印刷で彼の多くの仕事を紹介しているのが特徴。新しい世代の写真家、デザイナーにブロドヴィッチの存在を紹介した功績が大きいだろう。

(5)「Alexey Brodovitch」(Gabriel Bauret, Assouline,1998年刊)

ヨーロッパ写真美術館パリで、1998年2月18日~5月17日までに開催された展覧会のカタログ。企画はフランスの著名なキュレーター、評論家、写真史家のガブリエル・バウレット。

(6)「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)

ブロドヴィッチのキャリアと仕事を総合的に回顧。著者は、英国の作家、フリーの写真エディターのケリー・ウィリアム・パースル。豊富なヴィジュアル、関わりのあった広い分野の人物とのインタビュー、未発表を含むデザインワークの紹介でブロドヴィッチの再評価と分析を試みている。 全272ページ、275のカラー、75のモノクロ・イメージを収録。絶版になったレアな写真集類の参考資料も多数掲載されており、ブロドヴィッチの現代に与え続けている影響を知るには格好の1冊。カヴァーは、1957年3月号のハ―パース・バザーに掲載されたリリアン・バスマンの写真。

(つづく)

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(10)
アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介(Part-2/伝説はどのように生まれたのか )

ブロドヴィッチのキャリア末期は不運続きだった。2度にわたる自宅の焼失、また夫人との死別によるショックで抑うつとアルコール中毒に苦しみ、入退院を繰り返す。ワークショップの「デザイン・ラボラトリー」を再開することもあったが、心臓発作を起こしたことから中断。1966年、最終的に親戚のいるフランスに戻る決断を下す。
アーヴィング・ペンはブロドヴィッチがフランスへ向かう直前にグリニッジ・ヴィレッジでランチを共にしたという。その時のエピソードが「Alexey Brodovitch and His Influence」に書かれている。
「私たちは、ともにもう二度と会うことがないことを知っていたと思う。彼は私が取り組んでいる作品プロジェクトについて尋ねた。彼は注意深く私の話を聞いていた。しかし、彼の理解力はすでに衰えていた。そして、私はあなたの言っている意味が理解できない。しかし、ペン、私はあなたのやってることを信じるよ」と語ったという。
ブロドヴィッチは、1971年4月15日、アビニオン近くのル・トールにおいて73歳で亡くなっている。

「Alexey Brodovitch and His Influence」より

実は生前に、フィラデルフィア・カレッジ・オブ・アートでブロドヴィッチの回顧展が企画されていた。死の約1年後の1972年に「Alexey Brodovitch And His Influence」展が開催されている。その後、1982年10月~11月にかけてパリのGrand Palaisで回顧展「Hommage a Alexey Brodovitch」が開催。二つの展覧会では、ともにペーパー版のカタログが製作されている。

ブロドヴィッチの存在は、彼の死後かなり長いあいだ忘れ去られていた。本格的な再評価は、80年代後半以降になってからとなる。彼が追求していた「時代の気分や雰囲気を写したファッション写真」のアート性が新たに見いだされるのを待たないといけない。
彼は生前「写真はアートではないが、良い写真家はアーティストだ」と語っている。彼が活躍していた時代は、写真自体はともかく、作り物のファッション写真はアートではないと考えられていた。それゆえに、生前は彼の才能と実績は、アートの視点からは全く評価されなかった。
1989年に、彼の仕事を本格的に回顧する写真集「Master of American Design / BRODOVITCH」(Andy Grunberg/Harry N.Abrams刊)が刊行される。しかし、80年代後半におけるブロドヴィッチの評価はタイトル一部の「Master of American Design」が示すようにデザイン分野の視点からだった。

「Appearances」、「The New York School」

ブロドヴィッチがアート写真界にとって偉大な存在であった事実を本格的に再評価し紹介したのは、この連載で以前に紹介した1991年にロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催された、戦後のファッション写真のアート性を提示した「Appearances: Fashion Photography Since 1945」だった。同展キュレーターの写真史家マーティン・ハリソンは、1991年刊の同展のカタログで、「戦後に欧州から米国に移住して建築や絵画を教えたジョゼフ・アルバース、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウス、ラースロー・モホリ=ナジと比べて、つい最近までブロドヴィッチの存在はほとんど知られていなかった」と書いている。90年前半、まだブロドヴィッチは知る人ぞ知る存在だったのだ。その理由は、前回に書いたように、ブロドヴィッチが当時の人たちが認識していなかった「ファッション写真におけるアート性」を教えようとしていたからだ。多くの人がその価値を理解する知識と経験を持たなかった。90年代以降にやっと時代がブロドヴィッチに追いついてきたのだ。同展サブタイトルは、「1945年以来のファッション写真」だが、1945年はブロドヴィッチの写真集「Ballet」が刊行された年。ハリソンは同カタログで「Ballet」にも触れており、ブレを利用してバレーの動きの本質の表現、動きや偶然性を駆使し、感情的な部分を優先させた作品は、ファッション写真に多大な影響を与えた。その長期的影響を予想するのは難しいが、その遺産は現在にも受け継がれている、と書いている。彼の認識しているアート系ファッション写真の歴史は1945年の「Ballet」から始まっているということだろう。

90年代に訪れたブロドヴィッチ再評価には、フランス出身のアート・ディレクター、編集者のファビアン・バロン(1959-)も貢献している。彼はスティーブン・マイゼルが撮影して話題になった、マドンナの写真集「Madonna’s Sex」(1992年刊)のデザインを手掛けたことでも知られている。1992年、ハ―パース・バザー誌のアート・ディレクターに就任。マリオ・ソレンティ、デビット・シムなどの若手写真家を積極的に起用する。かつてのブロドヴィッチを彷彿させる、余白を生かした、シンプル、クラシック、エレガントな要素を持つ大胆なデザインで雑誌リニューアルを成功させるのだ。同じく欧州出身であることなどから、ブロドヴィッチの再来などとも言われていた。
当時の日本にも、ブロドヴィッチを崇拝する編集者の林文浩(1964-2011)がいた。彼が創刊した、独立系のハイ・ファッション誌「リッツ」、「デューン」では、白バックを利用したファッション、ポートレート写真を積極的に取り入れていた。

「Harper’s Bazaar, February 1997」,「dune 1993 No.2 AUTUMN」

90年代を通しブロドヴィッチの再評価の流れは続いていく。キュレーター・ジェーン・リビングストンが編集企画した「The New York School : Photographs, 1936-1963」(Stewart Tabori & Chang, 1992年刊)では、1930年代から1960年代にかけてニューヨーク市に住み、活動していた写真家16人「ニューヨーク・スクール・フォトグラファー」と大まかに定義。ブロドヴィッチもその一人に選ばれ、「Ballet」の写真が紹介されている。ほとんどのネガが消失しているので、写真集から作品を複写している。その他に、リゼット・モデル、ロバート・フランク、ルイス・ファー、ウィリアム・クライン、ウィージー、ブルース・デビットソン、ダイアン・アーバス、リチャード・アヴェドン、ソール・ライターなどが含まれる。ブロドヴィッチが主宰していた伝説のワークショップに参加していた写真家が多く含まれている。ニューヨーク・スクール・フォトグラファーは、雑誌の仕事を行う一方で、ストリートで撮影したパーソナル・ワークでこの分野の表現の境界線を広げてきた。なかには、ソール・ライターやルイス・ファーのように、ストリート写真の伝統を取り入れているものの、さらにその背景にある社会の思いやフィーリングまでを探求していると評価されている写真家も含まれる。彼らの評価は、上記のマーティン・ハリソンの著作が語るアート系ファッション写真の評価と重なってくる。

以下は次回「Part-3/ブロドヴィッチ関連本の紹介」に続く

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド
(9)アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介
(Part-1/デザイン・ラボラトリー)

連載の9回目からは、ロシア出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、写真家、教育者で、20世紀グラフィック・デザインの元祖として伝説化されているアレキセイ・ブロドビッチ(1898-1971)のキャリアと関連本を数回に分けて紹介する。

彼を取り上げる理由は、アート系ファッション写真の歴史の原点は、1945年刊行のブロドビッチのフォトブック「Ballet」にあると考えるととともに、彼の主宰したワークショップ「デザイン・ラボラトリー」が、同分野で活躍する写真家たちに多大な影響を与えたからだ。

「Ballet」(Augustin Publisher、1945年刊)

ブロドビッチは1934年から1958年まで米国ハーパース・バザー誌のアート・ディレクターとして活躍。フォトブックでは、アンドレ・ケルテスの「Day of Paris」(1945年)、リチャード・アベドンの「Observations」(1959年)のデザインを手掛けている。

写真家としては、写真集「Ballet」が1945年に刊行されている。
当時は写真撮影のタブーだった、明暗、ブレ、ダブり、ボケなどを多用することで、バレーの動きと盛り上がる雰囲気を表現。写真表現の可能性を大きく広げ、その後のデザイン、写真界に大きな影響を与えている。彼の写真はデジタル化が進行した現在では目新しさはないかもしれない。しかし、ブロドビッチの時代のアート系写真は、ストレート写真の「f/64」グループと、FSA (米国農業安定局)プロジェクト関連のドキュメンタリー写真だった。
アーヴィング・ペンは、彼の戦後ファッション写真への長きにわたる影響について「すべての写真家は、その人が知っていようがいまいが、すべてがブロドビッチの生徒だ」と指摘、リチャード・アヴェドンは「彼は天才だった、そして、彼は気難しかった。いまや、彼は自らが人生を通して蔑んでいた栄誉ある存在として扱われるだろう。彼は、私の生涯でただ一人の先生だった。私は、彼の苛立ち、彼の傲慢、彼の不満から多くを学んだ」と語っている。

Richard Avedon “Observations”(1959年刊)

ブロドビッチの重大な功績には、「デザイン・ラボラトリー」と呼ばれるワークショップで、若手写真家やデザイナーを育てたことだ。1936年にフィラデルフィアで、その後は1941年から約20年間に渡りニューヨークで、写真、グラフィック・ジャーナリズム、広告、デザイン、ファッションなどの指導を行っている。ブロドビッチは、その場をクリエーターが表現方法の実験を行う場所と位置付けていた。彼はかなり厳しい指導者だった事実は多くの資料に書かれている。その教育理念の背景には20世紀初頭の欧州の規律を重んじる考え方があったからだと言われている。カジュアルな米国文化の中では多くの反発があったであろうことは容易に想像できる。彼の評判には、多くの才能を発掘した一方で、多くの才能を潰したという厳しいものもある。

「Ballet」の掲載写真

彼の指導法は欧州バウハウスの教育学に影響を受けていた。特徴は、教えない、判断しない、育てない、提案しない、教義もないというスタイル。彼はアートの教育には懐疑的で、生徒は先生に教わることでそれを真似するようになり、先入観を持つようになると考えていた。ここの部分はかなり分かり難いので、私の解釈を追加しておこう。

彼が生徒に何を学んでほしかったかを正しく把握しないといけない。ここの部分の認識と理解によって彼の評価は大きく変わる。多くの人は、生徒はいわゆる「良い写真、上手な写真」を撮影する方法を学ぼうと考える。しかし、ブロドビッチの考えは違う。彼は生徒には自らが生きている時代をどのように認識、解釈して写真で提示するかを学んでほしいのだ。言い方を変えると、生徒に写真の撮影スタイルを教えるのではなく、時代に能動的に接して、自分の才覚でそこに横たわる言葉にできない時代性を探し、写真で表現する方法を教えようとしていた。「過去の創作に囚われることなく、イマジネーションを最大限に生かして新しい独立したものを見つけなければならない」という主張もこれを意味するのだ。生徒に対して「私が今までに見たことのある写真を見せるな」と言ったという。また「surprise quality」という言葉を引用。見る側に「驚き」、「ショック」を与えろと言った。しかしそれらは生徒に誤解されることが多かったようだ。このように言われると写真家は奇をてらった写真を撮影したり、暗室作業で新しい方法論を追求しがちになる。そして、それが目的化してしまうのだ。
アヴェドンの解釈によると「“少しばかりに驚きの快感を与える写真”は、非常にシンプルで手が加えられていない写真」とのこと。それはより洗練された作品を意味し、まさに方法論が目的化した写真と真逆なのだ。さらに「“驚き”と“ショック”は、探求をさらに進めろ、見えないものを可視化しろという意味だ」と語っている。
これこそは、過去の思い込みにとらわれない姿勢を心がけて、イノベーションを呼び起こせという、現代のアートのテーマ探しにつながるだろう。現代アートでは時代に横たわるテーマを言語化してコンセプトとして提示すること。ブロドビッチは、時代に感じられる気分や雰囲気を心で感じてヴィジュアルで表現しろということなのだ。両者は、頭で思考するのと、心で感じるのとの違いだけなのだ。いま、この考え方は私が写真を評価するときの一つの規準になっている。
しかし実際にその意味がなんとなく分かるようになるには10年以上もかかった。たぶんこの部分に初めて触れた人は、禅問答を聞いているよう印象を持つのではないだろうか。

デザイン・ラボラトリーの様子。”Alexey Brodovitch”(Phaidon, 2002年刊)より

ワークショップ参加者が互いを知るようになると課題がだされるようになる。それは、「人間とその感情」、「ハロウィーン」、「ブロードウェイ」、「新聞スタンド」、「青春」、「カフェテリア」、「デキシーカップ」などだったそうだ。課題研究では写真表現について生徒間の激しい作品批評が行われた。
参加者は、リチャード・アベドン、アービング・ペン、ロバート・フランク、リリアン・バスマン、 アーノルド・ニューマン、ブルース・ダビッソン、ダイアン・アーバス、ヒロ、バート・スターン、ルイス・ファー などの錚々たる写真家のほか、デザイナー、アート・ディレクター、モデルらが参加している。
もう1点重要な点は、このワークショップはあくまでも「アート系ファッション写真」の方向性を持っていたことだ。当時ファッション写真はアートではないというのが一般的な認識。そのようなカテゴリーの存在は生徒には認識されてなったと想像できる。したがって、作品制作の方向性が違う、アーバスやフランクなどはやがてこの場を離れていくことになる。また上記のような、当時としては極めて難解だったと思われる彼の指導目的を理解した参加者は少なかったと思われる。実際のところ、写真クラスの初回には60名以上が参加したが、厳しいブロドビッチの指導で参加はどんどん減少していき、最後のセッションのころに残ったのは多くて8名くらいだったそうだ。
「デザイン・ラボラトリー」は、厳しい海兵隊の訓練のようだったという意見もあるぐらいだ。

次回「Part-2/伝説はどのように生まれたか」に続く

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (8)
アート性が再評価される写真家 “James Moore: Photographs 1962-2006”

James Moore: Photographs 1962-2006 “The Headstart Dress”,Harper’s Bazaar,August 1967

前回、マーティン・ハリソン著の”Appearances : Fashion Photography Since 1945″(1991年刊)を紹介した。
私は同書を読み返すたびに、欧米のアート専門家の、歴史を自らの手で修正し、新たに作り上げようとする情熱に感心させられる。それは、まだファッション写真がアート表現ではないと考えられていた90年代以前に活躍した写真家の再発見と作品の再評価を行い、歴史に新たなページを書き加える仕事のことになる。ここでの評価基準は、単に編集者やクライエントの言われるままにファッションつまり洋服を撮影してきた人か、厳しい仕事の要求の中で、自己表現の可能性を追求してきたかによる。この点は、写真を見ただけでは判断が難しい場合が多い。写真史家や編集者は、一緒に仕事を行った多くの関係者に広範囲のインタビューなどの調査を行い、その写真家の持っていたアート志向の全体像を描き出そうとするのだ。

2017年に中国系2世のアメリカ人写真家ジェームス・ムーア(James Moore、1936-2006)の初写真集が、死後10年たって刊行された。これこそは、上記の写真史で忘れ去られていた才能の発掘を提示する仕事といえるだろう。

James Moore: Photographs 1962-2006

彼は、映画的、またシュールな構図を持つファッション写真で60年代の時代の雰囲気をヴィジュアル作りで担ってきた写真家。私が彼の写真を初めて見たのは、上記の”Appearances”でのこと。そこでは、マーティン・ハリソンにより6ページにわたり7点の作品が紹介されている。1991年から約四半世紀が経過して、やっとムーアの本が刊行されたことになる。出版までに時間かかったのは、自己アピールする人が多い中で、彼の自己PR下手が理由だと書かれている。またキャリア後期は病気がちで、2006年に比較的若くなくなったことも影響しているだろう。編集に携わったのは子息のニコラス・ムーア、これは2007年に同じくDamiani Editoreから、息子のテリー・リチャードソン編集で刊行されたボブ・リチャードソン(Bob Richardson, 1928-2005)の写真集と同じ構図となる。同様にギイ・ブルダン、ブライアン・ダフィーなども、死後に息子の尽力で本格的写真集が初めて制作されている。

やや本筋から離れるが、私が最近興味を持っているのは、死後やキャリア後期に過去の仕事が再評価される人と、全く忘れ去られる人の違いについてだ。
上記の”Appearances”には、マーティン・ハリソンが数多くの当時未評価だったファッション写真家を紹介している。その後、作家性の再評価が行われ写真集刊行、展覧会開催が行われる人がいる一方で、全く名前を聞かない人も数多い。
それはどうも単純に仕事が歴史的に優れていたかどうかではないと感じている。ジェームス・ムーアの本の解説によると、彼は、ジミーと愛称で皆から呼ばれ、永遠の少年で、幅広い人たちに愛されていたとのことだ。写真集出版には資金が必要だ。写真集が売れない中で、いま出版社が全額資金を出すことなど、よほどの人気作家でない限りないのだ。本書版元のDamiani Editoreも例外ではない。ある程度人気のある写真家の本でも、実は高額なプリント付きの限定本を出して、出版コストを回収している。本だけの売り上げでコストを回収するのは、同時に大規模な美術館展などがない限り非常に難しいのだ。
現在の写真界では、金額の違いはあるが、出版には作家本人かそれ以外の誰かが資金を拠出する必要があるのだ。本人以外が資金を出す場合、作品が素晴らしいことはもちろん、その人が皆から愛されていて、生きていた証を皆で残そうという強い思いが結集するのが前提となる。
死後に出版が相次いでいるソ―ル・ライターや、今回のジェームス・ムーアは、そのような人心を集める邪念がない人だったのだろう。実際は彼らのような人は少なく、評価されないことから不機嫌で怒りっぽく、すぐに感情をぶつけてくる写真家が多いのだ。愛される人たちは、評価されることを目指して創作してこなかったともいえるだろう。不機嫌な人の特徴は、自分のやりたいことを追求するのがアート表現だと盲信していること。思い通りにいかないことで、怒りっぽくなるのかもしれない。
不機嫌な人との関りは非常にストレスフルなので、誰も資金を拠出しないし、深く関わろうとはしない。まして手間暇がかかる本造りの仕事を一緒に行うことはないだろう。結局、自分が全資金を出さない限り、過去の仕事が写真集にまとめられることはなく、誰もその人について語らないので死後には存在が忘れ去られてしまう。
晩年のウォーカー・エバンスは機嫌が悪いことが多かったそうだが、彼ぐらいの実力レベルなら態度は関係ないだろう。ヴィヴィアン・マイヤーも気難しかったといわれるが、彼女は自分の写真を社会から評価してもらおうとは考えていなかった。死後に作品がアート関係者の目に留まり、逆に存在が伝説化され注目されるようになる。アマチュアでも彼女くらいの才能があると、全くの第3者が投資価値を見出してくれる。もし存命時に、彼女が評価を求めていたら違う展開になっていたかもしれない。

さてジェームス・ムーアだが、彼は同じファッション写真家のHiroと同様に、伝説のアートディレクターと言われるアレクセイ・ブロドヴィッチに学び、リチャード・アヴェドンのアシスタントを務めている。ブロドヴィッチに最初に写真を見せたとき、“うまく撮られた良い写真だが、そのアイデアのオリジナル写真家はもっとうまい作品を撮影している”と厳しく指摘されたという。彼は、その言葉により自らの視点構築の重要性に気付いたと語っている。
ムーアもHiroと同じく静物の写真撮影からファッション写真家のキャリアを開始している。彼は、1960年に自身のスタジオを開設し、1962年にブロドヴィッチの次にハ―パース・バザー誌のアートディレクターとなったマーヴィン・イスラエル(Marvin Israel)に初の仕事を依頼されている。それは“The Fair Foot”という1962年5月号に掲載される特集のアサインメントだった。写真は、彼がモントークで拾ってきた大きな石の塊の上に女性の素足が乗ったもの。ムーアは、砂浜を素足で歩くのが気持ちよくて好きだったので、このアイデアが浮かんだという。今では彼の代表作の1枚として知られている。

James Moore: Photographs 1962-2006 “Open Season: Resort Sandles” Harper’s Bazaar, December 1962

同年12月号には“Resort Sandals”というサンダルをはいた3名の女性の足元と、手先やボディーのシルエットによる抽象的な構図の作品も製作。“アイデアを出さないといけない。しかし結論を考えすぎるとそれを生み出すことはできない”ムーアは、ブロドヴィッチの言っていた、“あなたは空白の白いページを持っている。あなたは何でもやりたいことができる”を思い出したとハリソンに語っている。

また彼は、私の写真には構造(structure)と構成(architecture)がある、とも語っている。優れた静物専門だった写真家がその視点を持ってファッションを撮影した背景が垣間見える。
彼のキャリアの黄金期は、60年代におけるハ―パース・バザー誌米国版での仕事だった。70年代になると商業主義の台頭により、雑誌の経営方針が大きく変化する。編集者は写真家に自由裁量を与えなくなるのだ。編集方法に失望して欧州に渡る写真家も多かったが、ムーアもファッション写真の未来に失望して、TVのコマーシャル・フィルム制作に仕事の軸足を移すことになる。

本書は回顧写真集で、ムーアのファッション写真の資料的な役割を意識して編集されている。写真配列は厳密ではないがほぼ年代順になっている。一部には、当時の雑誌の複写が収録されていて、ファッション誌での写真の取り扱い方を知ることができる。彼が手掛けたファッション誌、ハ―パース・バザーの米国版、イタリア版、フランス版、VIVIなどの表紙が再現され収録。今までに写真集がなかったので、まず1冊目としてこのような写真家の全仕事をレビューする叩き台のような本が必要だろう。

133ページの見開きには、プライベート作品と思われる“Guggenheim Museum, November 1959”という美術館の内部の4フロアの人々の散らばりを撮影した写真も収録されている。モノクロによるアレブレのヴィジュアルはブロドヴィッチの“Ballet”の影響を感じさせる。また211ページにも、プライベート作品と思われる“Cardbord corner, 1961”という静物の抽象作品が収録されている。

ファッション写真でもページ139-131に、モデルと風景など複数のイメージをコラージュした1966年のハーパース・バザー用作品がある。

James Moore: Photographs 1962-2006

間違いなくファッション写真の先に自由なアート表現の可能性を探求した痕跡だと思う。将来的に、さらなるプライベート作品が発見され、それらとファッション写真との関連性の研究が進めことを期待したい。

さて日本でも70年代以降は経済成長により広告写真がアート写真を凌駕した。多くの写真家は豊富な予算を持つ広告写真の先に自由な表現があると信じた。しかし、バブル崩壊でそのような夢は無残にも破れてしまった。今や日本では、欧米人が好む写真がアート写真なのだと考えられ、評価されている。好況期にそのような人よりも注目され、活躍した写真家は写真史の評価軸から完全に抜け落ちている。日本では欧米のようなアートとして認識されている、ファッションやポートレート系写真の評価軸が存在しないのだ。しかし、日本にも欧米のようにアート性を持ち、時代性が反映された写真での自己表現に挑戦した人がいたはずだ。そのような人を見つけ出して、再評価することこそが私が夢としている仕事だ。

さて本書は、刊行時は75ドルという1万円近い高価本だった。しかし、いまでは40-50ドル台で購入可能になっている。この種類の写真集は新刊後、いったん価格が下落する。しかし、売り切れるになると価格が上昇する場合が多い。それは、ムーアの評価が今後さらに高まるかどうかにかかっているのは言うまでもない。ファッション写真に興味のある人は、とりあえず、底値と思われるいまのうちにキープしておいた方が良いだろう。

“James Moore: Photographs 1962-2006”
ジェームス・ムーア
Damiani Editore (2017/4/25)
ハードカバー: 278ページ、約250点の図版を収録
出版社のウェブサイト
アート・フォト・サイトの紹介ページ

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (7)
“Appearances : Fashion Photography Since 1945”の紹介

前回に続きロンドンのケンジントンにあるヴィクトリア&アルバート美術館で1991年に開催された、1945年以降のファッション写真に焦点を合わせた展覧会カタログを紹介する。

戦後のファッション写真のアート性を定義したのはロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館なのだ。歴史学者のエマニュエル・トッドは“問題は英国ではない、EUなのだ”(文春文庫)で、絶対核家族のアングロサクソン文化の不安定性、柔軟性を指摘し、イギリスを断絶文化と呼んでいる。イギリス文化を遡ると突然の変化にぶつかるとし、とても振幅の激しい文化だからこそ、ビートルズやデヴィッド・ボウイがでてくると書いている。いままで無視されていたファッション写真をアートの文脈で評価する柔軟性を英国の美術館は持っていたのだと思う。
そういえば、ロックスターのデヴィッド・ボウイのアート性に注目して、展覧会“David Bowie is”を企画したのもヴィクトリア&アルバート美術館なのだ。

本展は“SHOTS OF STYLE”も手掛けたマーティン・ハリソンがキュレーションを担当。前回の展示でファッション写真のアート性に確信を持ち、さらに調査を進めて自らの価値基準を展開していったと思われる。
カタログとなる本書は、ファッション写真を扱うディーラーにとっての教科書。私も何度も読み返し、多大な影響を受けている。ちなみに、1991年に開催された実際の展覧会をロンドンで見てギャラリーの方向性を決めた。

ハリソンは、本書巻頭でスーザン・ソンダクの”偉大なファッション写真は、ファッションを撮影した写真以上のものだ”という発言を引用。洋服の情報を正確に伝えるファッション写真が存在している一方で、最先端の写真家による洋服販売目的にあまりとらわれないファッション写真が存在するとしている。

彼はいままで美術館やギャラリーで紹介されることがなかったリリアン・バスマン、ギイ・ブルダン、ソ-ル・ライターなどのファッション写真家を初めて本格的に取り上げている。本書がきかっけで、90年代後半にファッション写真家の再評価が行われ、ギャラリーでの写真展開催や写真集刊行につながっている。
またハリソンは、リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ヘルムート・ニュートンなどのようにファッション分野中心に活躍していた人以外の、ドキュメント系のウォーカー・エバンス、ブルース・ダビットソン、ロバート・フランク、ルイス・ファー、映画監督として知られるジェリー・シャッツバーグ、現代アート系のナン・ゴールディン、シンディー・シャーマン・ロバート・メイプルソープらのファッション写真にも注目している。

表紙に採用された動きのある美しいファッション写真は、ニューヨークのストリート写真で知られるルイス・ファーの“French Vogue、March 1973”(fashion:Gres)。(上記画像を参照)

アレクセイ・ブロドビッチの“Ballet”の画像

本書は、過小評価されていたハーパース・バザー誌アート・ディレクターだったアレクセイ・ブロドビッチも積極的に取り上げている。彼はファッション写真、に動きのフィーリングの取入れを求め、ドキュメンタリー写真の方法の採用を写真家にアドバイスしている。それは、動きのブレ、カジュアルなフレーミング、力強いクローズアップで、ヴィジュアルの力強さをページ内で最大限に生かすことだった。ブロドビッチはその信条を、自らの写真集“Ballet”(1945年刊)で提示し、それはハーマン・ランドショフ、そしてリチャード・アヴェドンに受け継がれていく。彼は1941年から約20年間に渡り、いわゆる“デザイン・ラボラトリー”で、グラフィック・ジャーナリズム、広告、デザイン、ファッションの指導を行っている。アーヴィング・ペンは、彼の戦後ファッション写真への長きにわたる影響について指摘。“すべての写真家は、その人が知っていようがいまいが、すべてがブロドビッチの生徒だ”と語っている。

本書では、1980年代に登場したブルース・ウェバーも高く評価している。彼は新鮮味がないプロのモデルを採用しないことで知られるが、自分のテイストを追求した写真をファッションでも追及し、ファッション写真をブルース・ウェバー写真にしたとハリソンは指摘している。ウェバーは自身のファッション写真観を、“人がライフスタイルを表現し、とてもパーソナルな着こなしをしているとき、それらを撮影した写真は私たちの人生に何かをもたらす”と語っている。ウェバーは、ロバート・メイプルソープとともに、男性がモデルのファッション写真を作り上げた点も重要だろう。
1980年には、ヴォーグ英国版、イタリア版がブルース・ウェバー、パオロ・ロベルシ、ピーター・リンドバークなどに多くの自由裁量を与えた点にも注目している。この時代にファッション写真が洋服の情報を提供するメディアから大きく変化していくのだ。いわゆるアート系のファッション写真は、洋服を撮影した写真だけではなく、時代の気分や雰囲気が反映された写真であることを多くのヴィジュアルを通して提示している。それらは、洋服の情報をうまく美しく伝えることを意識するのではなく、ファッションが存在する時代に対する明確な認識があり、鋭い嗅覚でその時代の持つフィーリングを写真で見る側に伝えようとしている写真家による作品を意味するのだ。

ハリソンは、本書を通して戦後ファッション写真が洋服の情報を提供するメディアから写真家の自己表現の一部のメディアに進化していく過程を紹介している。最後に、彼はそれを“ファッション写真の終わり”と表現している。その象徴として最終ヴィジュアルに、リチャード・アヴェドンが1989年に雑誌エゴイストのために女優イザベル・アジャーニを起用して撮影した作品を紹介している。(上記画像を参照)何かにとりつかれたかのようにやや不気味な表情のアジャーニを墓地で撮影したアレ・ボケ写真を、アヴェドンは“ファッション写真の終わり”と関わると説明しているという。彼女は、撮影用に用意されたハイ・ファッションの洋服ではなく、アヴェドンが所有する古いボロボロのコートを着て、自己が無視され虚構の中に生きるセレブリティーの苦悩を表現。文字通りこの写真こそはファッションの墓場で笑っているモデルということなのだろう。

ハリソンは、90年代に入り洋服の情報を提供するファッション写真は残るが、今やそれを超えた新しい種類の、人のスタイルや意思表示を語るファッション写真が存在するとしてまとめている。これは、現代アート表現の一部として、価値観が多様化した現代社会における時代性が反映されたシーンを切り取った写真表現として存在すると解釈したい。それ以降のアート系ファッション写真の論理的な背景は本書により明確に示されたのだと思う。
また彼の考え方はアート系のポートレート写真にも同様に適応されると考えてよいだろう。

“Appearances : Fashion Photography Since 1945”
(Martin Harrison著、1991年刊), 310 x 290 mm, 312 p

本書には、英国版(Jonathan Cape)、米国版(Rizzoli)、フランス版、またハード版、ペーパー版がある。ハード版は重くて分厚いので状態が悪いものが多い。古書市場の流通量は豊富。相場はハード版の普通状態で5000円~、良い状態だと1万円~。海外から取り寄せる場合は重い本なので送料が高くなるので要注意。
ファッション写真に興味ある人には、まず本書を買って自分好みの写真家を探すようにアドバイスをしている。

以下が収録写真家リスト。
Anthony Armstrong-Jones
Diane Arbus
Richard Avedon
David Bailey
Gian Paolo Barbieri
Lillian Bassman
Cecil Beaton
Guy Bourdin
Bill Brandt
Alexey Brodovitch
Erwin Blumenfeld
Alfa Castaldi
Cliford   Coffin
Ted Croner
Stephen Colhoun
Baron Adlf de Meyer
Louise Dahl-Wolfe
Bruce Davidson
Terrence Donovan
Richard Dormer
Arthur Elgort
Walker Evans
George Hoyningen-Huene
Robert Frank
Louis Faurer
Nan Goldin
Jean-Louis Gregoire
Leslie Gill
Ernst Haas
Bill Helburn
Hiro
Paul Himmel
Frank Horvat
Horst P.Horst
Constantin Joffe
Art Kane
William Klein
Genevieve Naylor
Norman Parkinson
Irving Penn
Harman Landshoff
Saul Leiter
Gerge Platt Lynes
Richard Litwin
Peter Lindbergh
Frances MacLaughlin-Gill
Robert Mapplethorpe
Kurt Markus
James Moore
Jean Moral
Sarah Moon
David Montgomery
Duane Michals
Martin Munkacsi
Helmut Newton
Gosta Peterson
Harri Peccinotti
John Rawlings
Paolo Roversi
Bob Richardson
Francesco Scavullo
Jerry Schatzberg
Jeanloup Sieff
Bill Silano
Melvin Sokolsky
Edward Steichen
Bert Stern
Cindy Sherman
Ronald Traeger
Deborah Turbeville
Chris-von Wangenheim
Bruce Weber
以上

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (6)
“Shots of Style ” の紹介

美術館や公共機関で開催されたファッション写真の展覧会カタログの紹介を続けよう。今回は、ロンドンのケンジントンにあるヴィクトリア&アルバート美術館で1985年10月から1986年1月にかけて開催された“Shots of Style – Great Fashion Photographs Chosen by David Bailey” のカタログを取り上げる。

タイトル通り、英国人写真家デビット・ベイリー(1938-)が20世紀のファッション写真約174点をセレクションしている。
ベイリーは、60~70年代に活躍した英国人ファッション写真家。彼は、ブライアン・ダフィー、テレス・ドノヴァンとともに、60年代スウィンギング・ロンドンの偉大なイメージ・メーカーであるとともに、モデルやロック・ミュージシャンと同様のスター・フォトグラファーだった。60年代には、女優のカトリーヌ。ドヌーブと結婚していた時期もある。この3人はそれまで主流だったスタジオでのポートレート撮影を拒否し、ドキュメンタリー的なファッション写真で業界の基準を大きく変えた革新者だった。彼らこそは、いまでは当たり前のストリート・ファッション・フォトの先駆者たちだったのだ。
当時のザ・サンデー・タイムズ紙は彼らのことを「Terrible Trio(ひどい3人組)」、写真界の重鎮ノーマン・パーキンソンは「The Black Trinity(不吉な3人組)」呼んだそうだ。

ベイリーは、本書掲載のファッション写真の大まかな定義を“ファッション雑誌のエディトリアル・ページのために掲載された、服を1点かそれ以上を着ている女性の写真”としている。また前文では、以下のように記している。

“偉大なファッション写真は極めて稀だ。それは他の分野の写真と同様だ。いくつかの例外を除いて、ここに選ばれた写真は他の優れた分類の写真と同様のクオリティーを持っている。それは、ポートレートのアヴェドン、ルポルタージュのクライン、スティルライフのペンなど。本書で紹介している写真はすべての分野のアートを網羅しているともいえる。その意味で「ファッション写真」という言葉は当てはまらないだろう”

また、彼は35mmカメラとモータードライブの登場、一般の女性たちに多様なファッションが普及するようになったことがファッション写真を激変させた。ファッション写真が、時代の、姿勢、テクノロジー、セクシーさ、環境を反映させるメディアとなった、とも指摘している。
80年代くらいまでに、西洋先進国の中間層はかつてのタブーや因習、家族や他人の期待から自由になる。しかし複数の価値観が混在し、多くの人は何を着たらよいか、どのように暮らせばよいか、拠り所がわかりにくくなってしまう。そのような人たちはスタイルを求めるようになり、ファッション写真が世の中のスタイル構築に重要な役割を果たしたのだ。スタイルは明確な定義が難しい単語だが、物事がどのように見え、どのようになっているかということ。本書タイトルの“SHOTS OF STYLE”は、まさに新しい時代にスタイルを提供しているファッション写真という意味なのだ。
ベイリーの文章は、現在考えられている、20世紀におけるアートとしてのファッション写真の定義に近いといえるだろう。

掲載されている写真家は以下の通りとなる。
Diane Arbus、
Richard Avedon、
Gian Paolo Barbieri、
Lillian    Bassman、
Cecil Beaton、
Erwin Blumenfeld、
Louise Dahl-Wolfe、
Bruce Davidson、
Baron Adlf de Meyer、
Andre Durst、
Arthur Elgort、
Hans Faurer、
Toni Frissell、
Hiro、
Horst P. Horst、
Frank Horvat、
George Hoyningen-Huene、
William Klein、
Francois Kollar、
Germaine Krull、
Barry Lategan、
Peter Lindbergh、
Sarah Moon、
Jean Moral、
Martin Munkacsi、
Genevieve Naylor、
Helmut Newton、
Norman Parkinson、
Irving Penn、
Denis Piel、
John Rawlings、
Man Ray、
Paolo Roversi、
Jeanloup Sieff、
Melvin Sokolsky、
Edward Steichen、
Bert Stern、
Deborah  Turbeville、
Bruce Weber

前回に紹介した“The History of Fashion Photography”と比較してみよう。写真家数は、59名から39名に減少。新たに加わったのが14名、2冊で重複しているのが25名となる。前者は物理的にファッション写真を撮影している人を紹介している一方で、本書では、よりアート性(写真家の創造性)が重視されていると思われる。特に当時の若手を積極的にセレクション。マーティン・ハリソンはイントロダクションで、ヘルムート・ニュートン、ギイ・ブルダン、ブルース・ウェバーの登場で、コマーシャルとプライベートの作品2分法が成り立たなくなったと分析。彼はブルース・ウェバーを高く評価しており、彼の写真にはもはやファッション写真とパーソナル・ワークとの境界線がなくなっていると指摘している。
そして、“Fashion Photography of the 80s”の章で、ベイリーが当時の有力な若手として、ピーター・リンドバーク、デニス・ピール、パオロ・ロベルシの3名を上げていることを紹介、彼らが80年代以降のファッション写真の中心人物になると指摘している。ベイリーはこの時代に、既にリリアン・バスマン、アーサー・エルゴート、メルヴィン・ソコルスキーの仕事を評価し作品をセレクションしている。彼の優れたキュレーション力と先見性には感心させられる。

ハリソンのイントロダクションからは、80年代初期のファッション写真の状況が伝わってきて興味深い。写真展開催に際して、展示作品を集めるのに極めて苦労したようだ。当時はファッション写真の多くは作品だとは考えられていなく、雑誌編集部や写真家のもとにきちんと保存されていなかった。ファッション写真の多くは、雑誌掲載後は廃棄され、編集部や写真家の引っ越し時に処分されたという。
ルイス・ファーやボブ・リチャードソンの代表的ファッション写真は、当時には入手できずに展示を諦めたという。
またアート批評の世界でも、作り物のファッション写真は全く無視されていた事実にも触れられている。それが、アート界で、シンディー・シャーマン、ジョエル・ピーター・ウィトキン、ベルナール・フォーコンなどによる、作りこんで制作される写真作品が登場してきたことで、ファッション写真への偏見が徐々に減少していったそうだ。
ハリソンの本書にけるファッション写真の分析が、1991年に同じくヴィクトリア&アルバート美術館で開催された戦後のファッション写真に特化した展覧会“Appearances : Fashion Photography Since 1945” のキュレーションに発展していったと考えるが自然だろう。

(写真集紹介)
“Shots of Style – Great Fashion Photographs Chosen by David Bailey”
Victoria and Albert Museum、London、 1985年刊
ハードカバー(ペーパーバック)、サイズ 約33 X 24cm, 256 page.
Foreword : David Bailey
Introduction : Martin Harrison
約174点の図版を収録。

表紙はバロンド・メイヤーによる、米国化粧品ブランド“エリザベス・アーデン”用の1935年撮影の作品。本書にはハードカバーとペーパーバックがある。古書市場に流通しているのはほとんどがペーパーバック。前半がカラーで後半がモノクロの部分となる。モノクロは2色印刷と思われ、クオリティーは今一つ。本書はあくまでも資料だと考えたい。
古い本なので状態によって小売価格はかなりばらつきがある。一部にはカバーに変色が見られるものもある。状態が良好なものは75ドル(約8250円)程度から、ただし大判で割と重い本なので、海外から購入する場合は送料には注意してほしい。本自体は安くても、本体以上の送料がかかる場合がある。

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (5)
“The History of Fashion Photography”の紹介

アート系ファッション写真の意味はよく誤解される。それは洋服の情報を提供している写真が単純にアート作品になるという意味ではない。ファッションの意味を辞書でひくと、流行の洋服以外に、時流、風潮のような幅広い意味を含んでいる。ここではファッションを幅広い意味で解釈した、時代性が反映された写真がアート作品になりうると理解してほしい。

この点の理解をより深めるために、私たちの生きている時代は、どのようにアーティストによって作品として提示されるかを考えてみよう。
いま主流の現代アート系の人は、時代にある様々な価値基準を頭で色々と考えてテーマとして抽出する。一方でアート系ファッション写真は、人々が心で感じる、言葉では表せない時代の気分や雰囲気をヴィジュアルで提示しているのだ。時代の価値を作品として提示するのは同じなのだが、一方は頭で考えるもの、他方は心で感じるものとなる。ファッション写真家の作品が過小評価されていたのは、多くの自由裁量が与えられるファッション誌のエディトリアル・ページの仕事やファッション的なパーソナルワークがある一方で、クライエントの意図が強く反映される、高額のギャラが支払われる広告写真が共存するからだ。欧米のアート界では、広告はアートと比べて一段低く見られる。日本とは全く逆の構図なのだ。
それは、リチャード・アヴェドンのような大物でも例外でなかったようだ。昨年、彼の長年のマネージメントを担当していたノーマ・スティーブンスらによって書かれた“Avedon: Something Personal”という一種の暴露本が発売された。それによると、アヴェドンが存命中に行った数々の美術館の展覧会に対して多くのアート評論家の評価は厳しいものだったそうだ。アヴェドンは、常にファッション写真家を超えてアーティスととしての評価を期待していた。しかし、レヴロン、シャネル、ヴェルサーチなどの高額ギャラの広告も手掛けるアヴェドンの作家性は、当時の正統なアート界には理解してもらえなかったのだ。

さて、ずっと過小評価されていたファッション写真にアート性が見いだされるきっかけの一つは、ニューヨーク州北東部ロチェスター市にあるジョージ・イーストマン・ハウスにあるInternational Museum of photography 1977625日~102日に開催され、その後に全米を巡回した“The History of Fashion Photography”展なのだ。
前回に美術館や公共機関で開催されたファッション写真の展覧会のカタログをリスト化した。今回はリストの最上位の、1979年に Alpine Book Co.Inc New Yorkより刊行された同展のカタログの内容を紹介しよう。

キュレーション担当はナンシー・ホール・ダンカン。最初の系統だったファッション写真の歴史を記した解説書だと同書紹介文には書かれている。表紙はサラ・ムーンのフレンチ・ヴォーグ1973年2月号掲載の作品。
“The Beginnings”“Pictrialism”“Modernism”“Realism”“Surrealism and Fantacy”“The Hiatus:World War II”“Avedon and Penn”“The Photographer-Hero”“The Seventies”の9章で構成されている。
イントロダクションには、ファッション写真の中身は洋服だけではなくそれを身にまとう人の態度や習慣を現している。それは文化と社会においての、人々の希望やテイストのコンパクトな索引のようなものです。それはモードの移り変わりを提示しますが、最高のファッション写真はただの流行を超越して、その時代が持つスタイルが反映されています。その時代の人々の自己イメージとともに、夢や欲望を反映していますと書かれている。
現在のアート系ファッション写真の解説とほぼ重なるといえる。しかし、当時はここで書かれている内容の意味は多くの人には理解されなかったと思う。

紹介されているのは以下の写真家。簡単なプロフィールも巻末に掲載されている。

“Avedon and Penn” page 144-145

James Abbe, Diane Arbus, Richard Avedon, David Bailey, Cecil Beaton, Bissonnais and Taponnier, Erwin Blumenfeld, Guy Bourdin, Anton Bruehl, Hugh Cecil, Henry Clarke, Clliford Coffin, Louise Dahl-Wolfe, Baron Adlf de Meyer, D’Ora, Andre Durst, Joel, Feder, Felix, John Fremch, Toni Frissell, Arnold Genthe, Hiro, Emil Otto Hoppe, Horst P. Horst, George Hoyningen-Huene, Andre Kertesz, Art Kane, William Klein, Francois Kollar, Herman Landshoff, Remie Lohse, George Platt Lynes, Henri Manuel, Frances McLaughlin-Gill, Harry Meerson, Lee Miller, Sarah Monn, Jean Moral, Martin Munkacsi, Arik Nepo, Helmut Newton, Norman Parkinson,  Irving Penn, Phillipe Pottier, John Rawlings, Man Ray, Charies Reutlinger, Bob Richardson, Peter Rose-Pulham, Egidio Scaioni, Seeberger Freres, Charies Sheeler, Jeanloup Sieff, Edward Steichen, Bert Stern, Maurice TRabard, Deborah Turbeville, Chris von Wangenheim

リストを一覧するに、今では名前を聞かない写真家の名前が数多く見られる。本書が書かれた70年代後半の時点では、写真自体がまだコレクションの対象としては目新しいカテゴリーだった。ましてや広告の匂いがするファッション写真がアート作品としての市場性を持つとは多くの人は考えていなかった。現在では、写真家が撮影時の時代性を的確に感じ取り、それが反映されたファッション写真が評価されるようになっている。たぶん当時のファッション写真家は、知名度や露出度などを基準に評価されていたのだと思う。

1979年に写真コレクションのガイドブック“Photographs : A Collector’s Guide”(Richard Blodgett著、Ballantine)が刊行されている。同書がファッション写真でコレクション候補として挙げているのは、Erwin Blumenfeld, Horst P. Horst, Richard Avedon, Irving Penn, George Platt Lynes, James Abbe
ちなみにペンの相場は7002000ドル、アヴェドンの8X10″プリントが300900ドル、ホルストが200600ドルと記載されている。ちなみに1979年のドル円の為替レートの平均は1ドル/219円。

写真家のセレクションはともかく、今に至るアート系ファッション写真の歴史はこの展覧会から始まったのは間違いない。資料的価値が高いので、この分野に興味ある人はぜひ同展のカタログを古書市場で探してみてほしい。なお本書は、ハードカヴァーとペーパーバックがあり、英語版とフランス語版がある。フランス語版は安いが読めない人は注意してほしい。流通量は多いが、ダストジャケットの状態が悪い場合がある。古書の相場は普通状態で10,000円~。