日本のファッション系フォトブック・ガイド(第5回) ハービー・山口 「LONDON AFTER THE DREAM」(1985年、流行通信社刊)

今回はハービー・山口「LONDON AFTER THE DREAM」(1985年、流行通信社刊)を紹介する。前回の坂田栄一郎写真集と同じく流行通信社から刊行されている。よく本書は2003年にカラー・フィールド社から刊行され、2009年に改定版がでた「LONDON – chasing the dream (夢を追い求めて)」 と混同される。たしかに収録作品の内容がかなり重なるが、この2冊は全く別の写真集だ。ハービー・山口は1985年から2003年の間に、有名ミュージシャンを撮影する写真家として成功を収めている。「LONDON – chasing the dream」は、彼の知名度が高まったあとに再編集されたロンドン時代作品のベストセレクションもの。最近の日本の写真集によくありがちな作家性よりも、被写体、デザインが優先された作りになっている。

さて「LONDON AFTER THE DREAM」には83点のモノクロ作品が、「DON’T TREAD ON MY SHOELACES」、「CLIMB」、「AFTER THE DREAM」の3章にわかれて収録されている。「DON’T TREAD ON MY SHOELACES」では、子供の写真。「CLIMB」には、ミュージシャンのポートレートなど青年期の男女のポートレート。「AFTER THE DREAM」には、老人たちののポートレートがそれぞれ収められている。
不思議なことにまだ作家の知名度が低かったこちらの本の編集、デザインの方が、はるかに写真家や写真作品に対するリスペクトを感じられる。これはこの約18年間の間に写真家を取り巻く環境が変わったことを象徴している。
高度経済成長期、バブル崩壊、そして長期の景気後退が続く中、出版界では写真家の作家性よりも採算性の方が優先されるようになった。コストのかかる写真集は自費出版が一般的となり、写真家にとってもクオリティーよりも本が出ること自体が目的化してしまった。

本書は、ハービー・山口がロンドン生活で西欧文化と格闘した上で獲得した人生観が反映されたフォトブックだ。ちょうど彼のいた70年代から80年代のロンドンは不況で失業者が増え社会に閉塞感が蔓延して時期。ハービー・山口は、不況のなかでも音楽やファッションを通しての自己表現で現状打破を目指す若者に魅力を感じた。パンクとは単なる音楽のカテゴリーではなく、生き方や精神性なのだと実体験を通して理解したのだ。

彼は写真を通して西欧の精神と対峙し理解を深めている。彼の手がけるスナップ写真は被写体がいるので、相手とのコミュニケーションが非常に重要になる。写真家と被写体との対等な関係性構築には独立した個人の存在が前提としてある。彼は大学卒業後に、会社という運命共同体にはいることに違和感を覚え、自由に生きる可能性を求めて英国に渡った。ロンドンでの生活は、自由と個人として生きる意味を考える機会だったのだと思う。自由に生きるためには個人の自立が必要となる。それは同時に孤独をかみしめていきることでもある。しかし、人間は何かで自分を支えなければ生きていけない。多くの場合はそれは宗教になる。宗教をもたない日本人は何を支えに生きていけばよいのか? 本書の巻頭テキストで、ロンドンにいたジョゼフ・クデルカ(原文通り、最近はジョセフ・クーデルカと呼ばれることが多い)との会話が引用されている。
プラハの春で祖国チェコを逃れ放浪生活をしていたクデルカから彼が学んだのは、自由に生きる代償の孤独を写真で支えるということだった。ハービー・山口にとってしだいにロンドンは夢の国ではなく、リアルに生きる場所となっていったのだろう。タイトルの「AFTER THE DREAM」の意味は夢から覚め現実を生きることの重要性を悟った自分自身の意味もあるのだと思う。そしてそれを継続していくことで、本書最終章「AFTER THE DREAM」に収められているようなカッコいい老人になりたいという願望も込められているのだろう。
この時代の彼の写真がとてつもなく魅力的なのは、孤独をかみしめながら自由に生きることを実践していたからだと思う。彼は旅行者ではない、個人として生きるプロの写真家として認められ、リスペクトされるようになり、被写体たちと対等の立場で写真撮影ができたのだ。

最後に収録されている写真は遠景にビッグベンが望めるテムズ川の手前の鳩を1975年に撮影した作品「Ever」。「LONDON – chasing the dream (夢を追い求めて)」では表紙作品だ。彼は同作を、当時の将来の方向性が未決定だった自分を、どちらの方向に飛んでいいかわからない鳩に例えている、と解説している。
それから10年、写真集刊行時には目的地を定めて飛び立つことが出来たのだ。帰国後、彼は本場のパンクとニューウェーブのムーブメントを実体験した写真家として尊敬を集めるようになる。コミュニティーの内側から撮影したロッカーたちの素顔のポートレートが高い評価を受け、スナップ・ポートレート写真の第一人者のとしての地位を固めていく。

本書はダストジャケット付きのペーパーバック版。オレンジ色のダストジャケットの背部分が変色しているものが多い。1985年当時の定価は2,200円。その後、1988年に2刷が刊行されている。古書相場は、状態によってかなりばらつきがある。当時の定価以上の値段がついている。状態のよい、半透明の帯付きの初版本は流通量が非常に少なく高価だ。