2024年春ニューヨーク
アート写真オークションレヴュー
経済見通しの不確実性から横ばいが続く

まず市場を取り巻く外部環境を見ておこう。3月の小売売上は好調、また雇用者数も20万人以上増加を4か月連続で上回っていた。米国経済は、年初から予想外の好調さを維持している。賃金インフレの懸念はないものの、インフレ指標のCPIは2%台のインフレ目標の達成には距離がある。FRBのパウエル議長がインフレ低下の確信を得るために「より長い時間がかかる」と述べ、利下げ開始を先延ばしする可能性を示唆。また昨年から予想されていた利下げ開始時期の後ずれを示唆するFRB高官発言が見られる。金融市場は年内の利下げ回数予想は当初の3回から1~2回の予想へと変更されるようになっている。米国株式市場は、2023年末から堅調な上昇が続いてきたものの、2024年4月に入ると利下げ観測の後退や中東情勢の悪化などのニュースが相場の上値を押さえるようになってきた。
政治経済の不確実性は、アート・オークション参加者に心理的な影響を与えると言われている。高額評価作品の出品が控えられる一方で、低価格帯作品の出品は増加する場合が多い。今春のニューヨーク・オークションもそのようなコレクター心理が反映されていた印象だった。

2024年春の大手業者によるニューヨーク定例アート写真オークションは、4月上旬から中旬にかけて、複数委託者、単独コレクションによるライブとオンラインの合計4件が開催された。
クリスティーズは、4月3日に複数委託者による“Photographs(Online)”(164点)を、フィリップスは、4月4日に単独コレクションのセール“ Photographs from the Martin Z. Margulies Foundation”(158点)、4月5日に複数委託者による“Photographs”(245点)を、サザビーズは、4月10日に複数委託者による“Photographs(Online)”(199点)を実施した。

さてオークション結果だが、3社合計で766点が出品され、563点が落札。全体の落札率は約73.5%と、ほぼ昨年の73.77%と同じだった。ちなみに2023年秋は出品668点で落札率70.4%、2023年春は555点で落札率77.8%だった。
総売り上げは約1159万ドル(約17.62億円)、昨秋の約903万ドル、昨春の約962万ドルより増加している。
落札作品1点の平均金額は約20,600ドルで、昨秋の約19,217ドルより微増、昨春の約22,273ドルよりは減少している。過去10回のオークションの落札額平均と比較したグラフを見ても、減少傾向が継続、マイナス幅も若干拡大がした。昨秋と比べると、経済先行きの不透明さが影響して、高価格帯の出品に変化がなく、中低価格帯出品数が増加。全体の落札率はほぼ横ばいで、中低価格帯作品の落札件数増により総売り上げは増加したといえる。
業者別では、売り上げ1位は昨秋と同じく約524万ドルのフィリップス(落札率75%)、2位は約358万ドルでサザビーズ(落札率72%)、3位は約277万ドルでクリスティーズ(落札率73%)だった。クリスティーズの売り上げが比較的少ないのは、既報の2月にエルトン・ジョンの単独コレクションセールの“The Collection of Sir Elton John”(合計364点)を行ったからだろう。

今シーズンの高額落札は、サザビーズ“Photographs(Online)”に出品された現代アート系2作品で、落札予想価格を大きく超えてともに38.1万ドル(約5791万円)で落札された。

ジェフ・ウォールの、「A Woman and Her Doctor, 1980-1981」は、落札予想価格7万~9万ドルで、上限の約4倍で落札。

Sotheby’s “Photographs(Online)”, Jeff Wall, 「A Woman and Her Doctor, 1980-1981」

デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチの「Untitled (Face in Dirt), 1991/1992-1993 (posthumous)」は、落札予想価格3万~5万ドルで、上限の約7倍で落札された。

Sotheby’s “Photographs(Online)”, David Wojnarowicz, 「Untitled (Face in Dirt), 1991/1992-1993 (posthumous)」

同じササビーズのオークションに出品された、20世紀写真の巨匠アンセル・アダムスの「The Golden Gate (Before the Bridge)1932,1965」が第3位で、落札予想価格10万~15万ドルのところ、35.56万ドル(約5405万円)で落札。

Sotheby’s “Photographs(Online)”, Ansel Adams, The Golden Gate (Before the Bridge)1932,1965」

第4位は、クリスティーズ“Photographs(Online)”に出品された、アーヴィング・ペンの「The Hand of Miles Davis, New York, July 1, 1986, 1986」で、30.2万ドル(約4596万円)で落札されている。

Christie’s “Photographs(Online)”, Irving Penn「The Hand of Miles Davis, New York, July 1, 1986, 1986」

最近は20世紀写真の評価の高いダイアン・アーバス、アンドレ・ケルテス、リチャード・アヴェドンなど有名写真家の貴重なヴィンテージ・プリントや大判サイズ作は、同程度の評価の絵画などの作品が出品される、モダン、コンテンポラリーなどの20/21世紀や現代アート分野のカテゴリーに出品される傾向が強い。写真もアート表現の一部だと認識されることは喜ばしいのだが、写真カテゴリー(Photographs)での高額落札が生まれにくい環境になってきたといえるだろう。

(1ドル/152円で換算)

写真展レビュー
TOPコレクション 時間旅行
@東京都写真美術館

私は、人間の主観的な行為はすべて広義のアート表現になりうると理解している。また写真、絵画、彫刻などの作品を制作する人だけでなく、作品をコレクションするコレクターやフォトブックの編集者もアーティストの一部だととらえている。さらにギャラリーの小規模な写真展から美術館の大規模展覧会など、作品を選んで組み合わせて展示するキュレーションや企画もアート表現に含まれると考えている。
これらの作品展示は主観的な判断で行われる、自己満足的なものが大部分なのだが、中には私たちが生きている時代の見過ごされている価値観を提示するものも含まれている。しかしながらポストモダンの現在では多くの人が同時の共感するような価値基準はなかなか存在しない。果てしなく多様化した価値観の一部に、興味を持つ人だけが局地的に反応するような状況なのだ。だから大成功するような展示企画は非常に生まれにくい構造になっている。
しかし、世の中の誰でもが問題意識を持つ、「気候変動」、「環境汚染」、「森林崩壊」などの大きなテーマを持ってくると、問題の上辺だけを提示した自己満足的な軽い企画に陥る。当たり前のことを偉そうに提示されても、オーディエンスはリアリティーを持つことができなくて、そっぽを向かれてしまう。結果的に、多額の予算がかかる美術館展の場合、どうしても人気の高いアーティストや、歴史的に有名な海外美術館やコレクションの収蔵作品であることを強調するイベント的な企画になりがちだ。商業ギャラリーも若手新人よりも、市場性がある作品を提供する人気アーティストの展示が主流になる。

今回のTOPコレクション展「時間旅行 / 千二百箇月の過去とかんずる方向から」は、この難しい課題にキュレーターのアイデアで果敢に挑戦した意欲的な企画といえるだろう。
「時間旅行」をキーワードに、そして誰もが知る詩人・童話作家の宮沢賢治の視点を取り入れながら、膨大なコレクションから各時代の写真を取り上げて多様なテーマごとにセレクションして展示している。この見せ方の評価は観客の主観にゆだねられるが、国内外の様々な時代の名作やあまり知られていない膨大な写真がまとめて鑑賞できるのは写真/美術ファンやコレクターにとってはありがたい機会だと思う。

それらの展示は、「プロローグ」、第一室「1924年ー大正13年」、第二室「昭和モダン街」、第三室「かつて ここでエビスビールの記憶」、第四室「20世紀の旅ーグラフ誌に見る時代相」、第五室「時空の旅ー新生代沖積世」で構成されている。総作品展示数は約156点におよぶ。

キービジュアルとして同展カタログの表紙およびフライヤーで使用されているのが、黒岩保美の「D51 488 山手貨物線(恵比寿)、1953」と宮沢賢治の肖像写真。同館が建つかつてのエビスビール工場の横を蒸気機関車が走る象徴的な写真が採用されている。2024年に東京・恵比寿ガーデンプレイスが開業30周年を迎えることを意識した企画なのだ。蒸気機関車が走るビジュアルは、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を意識したものだと思われる。

TOPコレクション 時間旅行、大久保好六「東京」シリーズ

私の専門のファッション写真では、特に「第2室 昭和モダン街」で展示されていた大久保好六による「東京」シリーズが興味深かった。これは1930~1935年の東京のストリートで撮影された作品。この時期の景気は良くなったが、日本の近代化が進み新しいデザインやファッションなどの文化が花開いた時期だった。女性のファッションでは、ボブカットやワンピースが流行、男性のファッションでは、スーツやネクタイが一般的だったという。
いま放映中の110作目のNHK連続テレビ小説「虎に翼」は、ちょうどこの時代が舞台に物語がスタートしている。大久保の作品は、日本では珍しい当時の時代の気分がファッションや被写体の動きを通して見事に反映されたファインアート系ファッション写真といえるだろう。彼は朝日新聞のカメラマンで、資料によるとこれらの展示作品は「アサヒグラフ」誌上で発表された作品のようだ。
ここでは、同時に桑原甲子雄「東京昭和十一年」のストリート写真も展示されている。大久保好六の写真と対照的にこちらで撮影されているのは和装の男性ばかりなのだ。つまり東京のストリートのドキュメントなのだ。時代の雰囲気をとらえたファインアート系ファッション写真と記録の写真との違いが非常にわかりやすい展示になっている。ぜひ見比べてほしい。

本展では、「昭和モダン街」、「かつて ここでエビスビールの記憶」のセクションで多くの広告写真も展示されていた。日本ではファッション写真や広告写真のアート性はあまり研究されていない。今回写真専門の美術館が取り上げたのは非常に意義がある。かつてファッションやポートレート写真は作り物の写真でアート性は低いと考えられていた。1990年代以降、欧米の美術館はこの分野の作品の評価基準を確立させ、同時に市場も拡大した経緯がある。しかし日本では全く手が付けれれていない分野なのだ。戦前の昭和時代の調査は、戦後の高度経済成長期のファッション写真をファインアートの視点から評価する原点となる。同館の膨大なコレクションから、欧米のファッション/広告写真との同時展示を行うことで、文化の違いや共通性を幅広くに探求してほしい。

第四室「20世紀の旅ーグラフ誌に見る時代相」も見どころが多い。同館のエントランスに続く外壁にある巨大な写真作品3点のうち2点のオリジナル作品を鑑賞することができる。いずれもグラフ雑誌「LIFE」掲載作品で、ロバート・キャパによる第2次世界大戦時のノルマンディー上陸を撮影した「オマハ・ビーチ、コルヴィユ・シュル・メール付近、ノルマンディー海岸、1944」と、ロベール・ドアノーの「パリ市庁舎前のキス、1950」だ。写真が掲載された雑誌のオリジナルも同時展示されている。

ライフ誌、1950年6月12日号

ドアノー作品には数々のエピソードがあることが知られている。展示しているようにライフ誌1950年6月12日号の「パリの恋人」という企画で発表された1枚の作品で、1986年にポスターになったことで大人気となった。世界中で50万枚以上がポスターに複製されたとのこと。実は写真のモデルだった元女優のフランソワ・ボネが90年代に写真の肖像権料の支払いをドアノーに求めた裁判を起こし、この写真が純粋なドキュメントでなかったことが明らかになった。彼女によると、写真は演出して撮影されたが当時恋人だった二人のキスには偽りがなかったそうだ。実は数々の名作のコンタクトシートを収録した写真集「The Contact Sheet」(編集Steve Crist、2009年 Ammo Books刊)に、本作が収録されている。実際のコンタクトを見ると、ドアノーがカップルを様々な場所で演技させて撮影していることが分かる。

「The Contact Sheet」(2009年 Ammo Books刊)より

本作のエピソードはさらに続く。彼女は裁判では敗れるものの、2005年4月25日にパリArtcurial Briest Pulain le Fuで開催されたオークションで、彼女が所有する同作のオリジナル作品が155,000ユーロ(当時のレート@140、約2千2百万円)、落札予想価格の十倍以上でスイスのコレクターが落札されたのだ。同作は1950年に撮影された数日後にドアノーからプレゼントされた非常に貴重なヴィンテージ・プリントで、裏面にはドアノーのスタンプが押されていた。超人気イメージの来歴が確かな正真正銘のヴィンテージ・プリントだったことが高額落札の理由だった。今回の展示作品は特に記載はないので、年月経過後にプリントされたモダンプリントだと思われる。

本展は一般観客向けに用意された「時間旅行」と宮沢賢治という、大きな切口のほかにも、本当に様々な視点で作品がセレクションされて展示されている。いま写真が好きな人の興味は本当に多様化しているが、必ず自分の関心のある分野の作品に出会えるだろう。

コレクターにとっては、エドワード・ウェストン、ラースロ・モホイ=ナジ、マン・レイ、W.ユージン・スミス、フィリップ・ハルスマンなどの20世紀写真のオリジナル作品や同館収蔵の国内外の現代写真を鑑賞できる展覧会になっている。

「TOPコレクション 時間旅行」
(千二百箇月の過去とかんずる方角から)
東京都写真美術館 (担当学芸員 石田哲朗)
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