平成時代のアート写真市場(3)
写真集ブーム到来の前夜

日本でアート写真が注目されるようになったのはバブル経済終盤期の80年代後半期。前回に書いたように、当時アート(絵画)は土地、株に続く第3の財テク商品だと注目されていた。絵画価格は世界的に急上昇し、その影響が比較的価格の安い版画や、市場がまだ黎明期で市場拡大の可能性が高いアート写真が注目されたという構図。それでもアート写真の有名写真家の作品は最低でも10万円以上はしていた。そこで注目されたのがアート系の写真集の存在だった。アート写真市場で大きく注目されていたのは従来の20世紀写真ではなく、時代の気分や雰囲気を表現したアート系のファッションやポートレート写真だった。
その流れに呼応して新しいスタイルの写真集が海外から登場してくる。流通効率化を無視した大判で、費用がかかる高級紙を使用した高品位のグラビア印刷、文字情報が少なくヴィジュアルを重視したシンプルなレイアウトの写真集だ。
その代表が80年代初めに設立された米国カリフォルニアの独立系写真集専門出版社Twelvetrees Pressだろう。従来の薄利多売ではなく、多少高額でも売れる本を作るという新しいビジネスモデルを追求していた。彼らが手掛けたブルース・ウェーバー、ロバート・メイプルソープ、同系列のTwin Palmsからのハーブ・リッツの写真集は、本自体の美しい存在感が際立っており、写真やデザイン好きの人の間で話題になった。

写真集はハード版の高品位印刷による豪華本の場合が多い。実は写真集の制作数は数千冊程度のことが多い。しかし、読むのではなく、見ることが目的のヴィジュアル本の写真集市場は世界に広がっている。数千冊は国内だけでは多いが、世界にファンがいる人気写真家の本だと瞬く間に売り切れてしまう。日本でこれらのアート系写真集は、ギャラリーやイベント会場で開催される写真展に合わせて輸入販売された。アマゾンなどがない時代、大判の洋書の豪華本は非常に高価だった。しかし、もっと高価なアート写真を買えない人たちが先を争って購入した。いわゆる心理学のアンカー効果だ。そして、もともと輸入冊数はそんなに多くないので、店頭での在庫が売り切れになる場合が見られた。キャプション・ページに記載されていた「Limited edition XXXX copies」という限定数の記載や人気が高くて売り切れてしまうという心理も消費者の購買意欲を刺激したと思われる。

Bruce Weberのデビュー写真集

実際は出版社もしたたかで、ブルース・ウェーバーのデビュー写真集の初版は5000部、2刷が5000部も刊行されていた。ハーブ・リッツ「Pictures」は初版6000部、ロバート・メイプルソープ「Certain People」も初版5000部で、ともに再版が繰り返された。

Herb Ritts “Pictures”

90年代の個人は、まだ消費スタイルによってアイデンティティーを確立するような時代だった。流行に敏感な若い世代がインテリアの中でのお洒落アイテムだった洋書写真集に興味を持った面もあったと考える。

海外では、2000年代になってから、写真集の一部のフォトブックは、アート写真の自己表現の一形態だと認識されコレクションの対象になった。歴史的写真集のガイドブック「The Book of 101 Books」(Andrew Roth、2001年刊)、フォトブックの初美術館展のカタログ「The Open Book」(Hasselblad Center、2004年刊)、「The Photobook : A History Volume 1 & 2」(Martin Parr & Gerry Badger、2004-2005年刊) など、過去の優れたフォトブックのガイドブックの出版が相次いだのがきっかけとなった。

しかし、日本ではそれより早い時期から写真集のガイドブック的な情報が雑誌や単行本の一部で紹介されていた。
手元の資料を調べてみると、雑誌ブルータス1983年8/1号の「カメラの新境地を探検する」では、写真集18冊を1ページで紹介している。書店リストが銀座にあったイエナと丸善なのが興味深い。

ブルータス1983年8/1号の「カメラの新境地を探検する」

ブルータス1988年12/1号「時代を映した写真が見たい。」でも「エピソードに読む、写真家の肖像。」特集で、有名写真家の写真集13冊を4ページに渡り掲載。

「写真集をよむ ベスト338完全ガイド」と「現代写真・入門」

1989年8月10日刊行の別冊宝島97号「現代写真・入門」では、金子隆一氏が「写真集202冊で見る 現代写真入門」を、鈴木行氏が「本自体が面白い厳選101冊の写真集」という章を編集執筆している。

スタジオ・ボイス 172号/1990年4月号

ファッション誌の流行通信の関連会社インファスは、メディアミックス・マガジンと称して「スタジオ・ボイス」という月刊誌を出していた。毎号様々な若者カルチャーを特集していた。同誌の172号/1990年4月号は「特集PHOTO ALIVE 写真集の現在、全120冊」で写真集を本格的に特集した。文章は高橋周平氏が担当。同号では写真集の表紙写真と中身ページの写真を複写して紹介する手法を採用している。ブルース・ウェーバーの「O RIO DE JANEIRO」(Knopf、1986年刊)の見開きページ56点を、ピーター・ベアードの「THE END OF THE GAME」(Chronicle Books)は見開きページ68点を大々的に紹介。その後の写真ブームの盛り上がりと共に、「写真集の現在」は「スタジオ・ボイス」の定番のレギュラー特集となる。だいたい1~2年ごとにそれまでに刊行された人気写真集や絶版本を幅広く紹介していった。
ネット時代は情報へのアクセスや価格比較などで便利になったが、情報量が膨大になりすぎて自分の望む情報になかなかたどり着けない。「写真集の現在」は、雑誌1冊で主要写真集が網羅されていた。資料、レファレンスとして非常に役に立った。
352号/2005年4月号「写真集中毒のススメ」などは、当時の世界各都市のフォトブック・ショップやコレクター、写真家、コレクターを紹介したかなりディープでマニアックな特集号だった。 休刊前の373号/2007年1月号では「写真集の現在 特別総集編 写真のすべてを知るための最重要写真集250冊」が出されている。同誌が日本における写真集コレクションの火付け役だったのは間違いないだろう。

90年代から2000年代にかけて、女性誌、男性誌などでは頻繁に写真や写真集の特集が組まれた。フィガロ92年4月号では「刺激的、心地いい、愉快な、写真集をさがす。」という16ページの写真集特集を組んでいた。美術手帖1997年8月号では「特集 アートブックの魅力」でアーティストブックの1種として写真集を紹介。エスクァィア日本版は2002年3月号「写真は語る。」で、「写真集傑作選28」を掲載。なんと同号の付録は奈良美智の初写真集「days・・・」。モノ・マガジン403号/2000年3-16号は「写真術」、ブルース・ウェーバーの写真世界が巻頭特集だった。雑誌の編集的にも、写真集の紹介目的だと有名アーテイストのヴィジュアルが比較的自由に、また無料で使用できたというメリットもあったようだ。
1997年には、メタローグから「写真集をよむ ベスト338完全ガイド」という写真集のガイドブックが、2000年には、続編の「写真集をよむ ベスト338完全ガイド2」が刊行された。単行本だったので、ジャケットはカラー印刷だったが、中身の写真集表紙の紹介がすべてモノクロだった。資料としてのガイドブックというより、写真集を紹介する写真関連の読み物的な傾向が強かった。ちなみに同書には2000年当時の「写真集が豊富にそろう書店」を紹介。リストには、青山ブックセンター本店(神宮前)、On Sundays(神宮前)、Shelf(神宮前)、Mole(四谷)、PROGETTO(渋谷円山町)、洋書ロゴス(渋谷パルコなど)、NADiff(神宮前など)、嶋田洋書(南青山)、タワーブックス(渋谷)、紀伊国屋(新宿南店)、松村書店(神保町)が載っている。

2000年代になると、インターネットがより広く一般に普及して業界の構造が激変していくことになる。

次回、平成時代のアート写真市場(4)「写真集ブームの到来」に続く

平成時代のアート写真市場(2)
90年代初めのアート写真ブーム!

平成の初めの時期、1990年代前半期には、アート写真のおいては東京と海外はつながっているというような感覚があった。欧米都市のギャラリーで開催された注目写真家の展覧会情報が次々雑誌で紹介され、しばらくして日本での巡回展が開催されていた。また外国人の新進気鋭写真家、日本人写真家の発掘も積極的に行われた。知名度や市場性のある写真家の企画はそんなに多くはない、またどうしても作品価格は高価になる。したがってネタ不足と低価格帯の作品が求められたのが背景にある。

”にっけい あーと”1993年1月号の写真特集

アート写真や写真展の情報が流行最先端のニュース・トピックで、週刊誌、情報誌、月刊の男性誌、女性誌、美術専門誌、ファッション誌などで積極的に国内外の写真関連特集が組まれた。日経BP社は1988年から”にっけい あーと”というアート専門誌を刊行していた。1993年1月号は”特集 写真の誘惑-最後の未開拓市場”。表紙には杉本博司の劇場シリーズのモノクロ作品が採用されていた。
テレビでも、NHKの衛星放送、テレビ東京のファッション通信でも写真展情報を紹介していた。
なんとフジテレビのクイズ番組カルトQでは、1992年(平成4年)に“フォトアート”をテーマに取り上げている。

アート写真を展示する場所も増加していった。渋谷パルコでは、パート1にパルコギャラリー、パート2に写真専門のイクスポージャーがあり、新宿にはバーニーズの上層階にはギャラリー・ヴィア・エイト、伊勢丹のICACウェストン・ギャラリー。商業ギャラリーも、高円寺にイル・テンポ、大塚にタカイシイ・ギャラリー、神宮前にバーソウ・フォト・フォト・ギャラリーなどが開業。ブリッツもこの時期に広尾でオープンしている。やや遅れて1995年には、赤坂に東京写真文化館がオープンした。
商業施設では百貨店、流通、不動産、ブライダルなどの企業の施設で、不定期だが写真展がかなり頻繁に行われていた。入場料収入が主目的だったがオリジナル・プリントも販売されていた。

1988年にプランタン銀座で開催された”ロベール・ドアノー”展

プランタン銀座、青山ベルコモンズ、シブヤ西部シードホール、有楽町西武アート・フォーラム、松屋東京銀座、横浜ランドマークタワー・タワーギャラリー、横浜エクセレントコースト、新宿小田急グランドギャラリー、二子玉川のC2ギャラリー、新宿伊勢丹美術館、日本橋三越本店、三越美術館新宿、渋谷文化村ギャラリー、ラフォーレミュージアム原宿、アニヴェルセル表参道、池袋西武ギャラリー、PISAギャラリー紀尾井町などだ。

1990年に二子玉川のC2ギャラリーで開催された”Great Contemporary Nude 1978-1990″展

実際のところは、写真が爆発的に売れるようになったのではない。しかし、コンテンツの質も比較的高く観客動員数は多かった、商業施設全体の集客や広告宣伝には魅力的だったと思われる。また将来的に市場が拡大するという確信を皆が共有していた。今では信じられないほどの活気がアート写真業界にあったのだ。

美術館の動向も簡単に記しておこう。メディアでは民間の写真ブームは権威の象徴である美術館が写真を購入するようになったというニュースと共に語られることが多かった。川崎市市民ミュージアム(1988年11月開業)、横浜市美術館(1989年11月開業)は、写真部門を持つ公共美術施設としてオープン。1990年6月には東京都写真美術館が暫定オープン、1993年に本格オープンしている。暫定オープン時まで約10億円の予算で国内外の約6000点の作品を購入して話題となり、新聞でも大きく取り上げられた。
美術系の学部を持つ大学も、日大、東京工芸大、大阪芸大、九州産業大などが写真コレクションを行っている。百貨店やギャラリーなどの業者にとって、美術館は重要な大口顧客になる。彼らが一番購入するのは本格開館前の時期となる。それがちょうどバブル経済の最後半期と重なる。しかし、オープン後は運営が重視され新規購入予算額は減少する。その後、運営する自治体の税収減少に伴い購入予算が減少していくこととなる。

オリジナルプリントの購入者は写真家、デザイナー、編集者などが多かった。特にまだ写真がアナログだった時代の写真家は高額所得者だった。広告写真家はもちろん、地方在住で写真エージェンシー向けにストックフォトを提供する写真家でも、1億円近く売り上げる人も珍しくなかった。写真家であるがゆえに写真購入費用の一部が経費扱いになったともいわれている。また、企業に勤める女性が、頑張った自分にご褒美としてアート写真を買う、といった今では都市伝説になっている事象が本当に見られた時代だった。
10万~30万円くらいの作品は普通に売れていた。しかし、多くの購入は信販会社が提供するショッピング・クレジットの利用だった。今では信じられないが、分割60回払いなどが一般的。同時期にブームになった、いわゆるハッピー系版画販売と同じ構図だったのだ。まだ個人に対する信用供与が甘く、また多くの個人もバブル崩壊の実感はなく、景気は循環して再び上向くと盲信していた。アート購入のための長期借金への不安など誰も感じていなかった。
しかし、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災以後くらいから潮目が変わっていった。個人への信用供与が厳しくなっていくのだ。不動産価格の下落・景気低迷によるいわゆるデフレにより企業の経営悪化が本格化。中小金融機関の経営破綻が相次ぐ。1997年には山一證券が自主廃業を決め、1998年には長銀が破綻する。その後、長期不況に突入してデフレ状態となる。モノが売れなく、物価が下がる状況になり多くの企業は本業不振に陥り、写真展開催事業やアート部門からも撤退する。アート関連事業は、最初は開催予算を持つ文化事業部が担当、それが広告宣伝部の直轄となり、最後には売上を求める営業部の一部門となる。最終的に単体業務としては採算が合わないので撤退するという流れだった。残念ながら上記の展示スペースの多くは、いまは消えてなくなってしまった。

海外の展覧会の美術館、ギャラリーでの日本巡回は激減、結果的に欧米のアートシーンと日本との情報が分断されることとなる。その状況は平成時代を通じて変わらなかった。

“平成時代のアート写真市場の変遷(3)”に続く

新連載 平成時代のアート写真市場(1)
平成前夜 新たなアート市場として注目される

新元号の令和になったので、平成約31年間の日本でのファインアート系写真市場の変遷を振り返ってみよう。何回かに渡って不定期の連載になる予定、記載している年月日や名称は手元資料による。もし間違いや勘違いを発見したり、新たな情報があったらぜひ連絡してほしい。

日本で写真専門の独立系アートギャラリーが生まれたのは70年代後半。1978年に日本橋に石原悦郎氏(1941-2016)がツァイト・フォト・サロンを、1979年に医療機器輸入商社である東機貿の佐多保彦氏がフォト・ギャラリー・インターナショナル(現在のPGI)を虎ノ門にオープンさせている。1986年には、城田稔氏が目黒碑文谷の当時のダイエー(現イオン・スタイル)の裏に主にアメリカ西海岸の現代写真を取り扱うギャラリーMINを、1989年には横浜に井上和明氏が欧州写真を紹介するパストレイズ横浜フォトギャラリーをオープンさせている。80年代、大阪心斎橋にピクチャー・フォト・スペース、京都には1986年にプリンツが開業している。残念ながら今ではほとんどのギャラリーが閉廊している。PGIは東機貿の“心の事業部”として東麻布に移転して、いまでも定期的に写真展を開催。2019年にオープン40周年の記念展を開催している。

ギャラリーMINは、マイケル・ケンナ、リチャード・ミズラックなどを初めて日本に紹介した

欧米でも写真がアート・コレクションとして本格的に注目されるのは70~80年代になってから。初の写真オークションは1967年にニューヨークのオークション業者のSotheby Parke Bernetが開催、定期開催になるのは1975年だ。リー・ウィトキンがディーラーとしてニューヨークにアート写真ギャラリーをオープンしたのは1969年、それ以来、約200余りの業者がアート写真マーケットに参加するようになる。


本格的な写真のコレクションのガイドブック”PHOTOGRAPHS: A COLLECTOR’S GUIDE”(Richard Blodgett著)が刊行されたのが1979年だ。同書では、米国での写真ブーム拡大は、(1)60年代のアートブームで他分野のアート相場が上昇して多くのコレクターが割安な新分野を物色していた、(2)テレビ普及で映像表現が多くの人にとってなじみ深くなり、カメラ普及で写真撮影する人が増え、また写真の歴史をキャンパスで学ぶ人が増えたこと、(3)低価格で推移していた写真相場がゆっくりと上昇していき、ついに売買するディーラーが商売としても成り立つレベルになった、という3点の相乗効果によるとしている。

日本でも、80年台になり当時の主要メディアだった雑誌で、海外でアートとして写真が取り扱われている記事が紹介されるようになる。
私が最初に読んだのはブルータス1983年8月1日号の見開き特集の“making the most of photography”という記事。そこで“オリジナル・プリント”が初めて紹介されていた。
本格的な紹介記事は、これもブルータス1987年2月号の4ページにわたる“写真経済論”。当時編集者だった高橋周平氏がコレクションのノウハウを記した記事を担当、田中弘子氏がニューヨークの写真ギャラリーの取材をしている。当時の国内外の作品相場が丁寧に紹介されている。
やがて新聞でも写真が取り上げられるようになる。1988年6月1日付の朝日新聞は「写真が売れている」という特集記事を掲載。PPS通信社が1988年3月に開催した「オリジナルプリント即売会」で、写真が40枚売れて約1千万円の売り上げがあったと報道している。
雑誌アエラの1989年の1989.1.3・10号でもオリジナルプリントを特集。写真が売れている、都会派女性が購入、と紹介されている。

日本でアート写真が本格的に注目されるようになったのはバブル経済終盤期の80年代後半期になってからだ。今ではにわかに信じられないが、当時はアート(絵画)は土地、株に続く第3の財テク商品だと注目されていた。絵画などのアート作品価格は世界的に急上昇して、市場がまだ黎明期で市場拡大の可能性が高いが相場が低めのアート写真に注目が集まるようになる。上記の朝日新聞の記事にも「絵は高価すぎて・・・ 写真なら十数万円」という囲みの見出しが書かれている。当時は、海外のトレンドは時間差で日本にも訪れると言われていた。その流れで、アート事業を検討していたが、高騰しすぎて手が出なかった企業が写真に注目する。
時を同じくして、ロバート・メープルソープ、ハーブ・リッツ、ブルース・ウェバーなどの新世代の写真家たちが海外で活躍するようになる。リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ヘルムート・ニュートン、ジャンル―・シーフなど、それまでは作り物の写真だと低く評価されていたファッション写真にもアート性が見いだされるようになる。
バブル時代には、モノクロの抽象美を愛でる20世紀写真は古めかしく感じられた。当時の活気に満ち溢れ、勢いがある時代の感覚とはズレがあった。新世代の写真家によるゲイの美意識で撮影された作品や、ファッション/ポートレート系の作品は時代の気分と合致していたと言えるだろう。

伊勢丹が運営したフォトギャラリーのICACウェストンギャラリー、オープン記念展のフライヤー

昭和から平成初期の90年代前半期にかけて、流通系、不動産系、ブライダル系企業が写真の将来性に期待して、次々と写真展を開催するようになる。企画を手掛けたのが、PPS通信社、マグナム、G.I.P.などの写真エージェンシーだった。流通系企業は特に積極的で、パルコや伊勢丹はアート写真を取り扱う専門の商業ギャラリーを一時期は運営していた。1990年に伊勢丹は新宿にICACウェストン・ギャラリーを、パルコはイクスポージャーを渋谷パルコパート2にオープン。当時の日本のアート系写真市場は、主に海外で評価された作品の輸入販売が中心だったといえるだろう。

平成当初には、海外写真家作品が売れたことで、値段が安い日本人写真家による作品の将来の値上がりが期待されるようになる。実際に若手新人写真家の作品も売れるようになるのだ。1991年8月17日の日本経済新聞の記事は、ツァイト・フォト・サロンの石原氏による、90年に開催した写真展で“40歳代初めの作家が3週間の会期で数千万円の売り上げがあった”というコメント紹介している。
しかし日本では、欧米市場のように長い文化歴史的背景があった上で、機が熟して市場が立ち上がったのではなかった。投資的な視点でのコレクションは、その後バブル経済崩壊と長期の不況の影響を大きく受けることになる。上記の日本経済新聞の一部の「ブームの落とし穴」という囲み記事では、写真家古屋誠一氏が当時の市場の活況を、“単なるブーム。金が余ってきたので絵画から写真に広がってきたのではないか”と分析している。また前記の朝日新聞記事で、写真家細江英公氏がオリジナルプリントが見直されている動きを的確に分析し、最後に“ただオリジナルプリントが単なる投機の対象になっては困る”と発言している。残念ながら彼らの予感は的中することになる。

“平成時代のアート写真市場の変遷(2)”に続く

ソール・ライター
見立ての積み重ねで評価された写真家(3)

Saul Leiter, Phillips London 2018 May “ULTIMATE EVENING & PHOTOGRAPHY DAY SALE”、”Through Boards,1957”

私どもは日本独自のアート写真の価値基準として限界芸術の写真版のクール・ポップ写真を提唱している。海外の20世紀写真家の中のクール・ポップ的な写真家にも注目している。ソール・ライターの歩んできたキャリアと、その評価過程はこの価値基準に見事に合致すると考えている。
連載3回目は、クール・ポップの視点からソール・ライターを分析してみたい。

私どもはこの分野の写真を以下のように定義している。最も重要なのは「表現の欲求」、つまりどうしても自らの表現を通して世の中に伝えたい真摯かつ強い要求を持っていること。世の中の評価、名声、お金儲けなどへの一切の執着がなく、無意識のうちに社会の問題点(視点、価値観)との接点や関わりも持っている人だ。ファイン・アート系のように、社会と関わるテーマやアイデア、コンセプトを自らが紡ぎだして提示する必要はない。また、アート作品を発表して販売して生計を立てるような職業ではなく、生きる姿勢そのものになる。
彼らが評価されるきっかけは、第3者による見立てによる。その大前提は、上記のような姿勢で作品制作を長期にわたり継続することにある。
まず作家の真摯な制作姿勢が見極められ、関係者にその存在が認められるようになる。次に、複数の人がテーマ性を見立てることにより、写真家のブランド構築につながるのだ。

もう少し詳しく説明しよう。
まず作品制作の見極めだ。これは写真家が邪念を持たずに作品制作を行っているかの見立てになる。現代アートのように、明確にテーマを提示するのではなく、何かに関心を持って積極的集中からフロー状態になって撮影を続けている人かどうかが重要となる。フロー状態は、心理学者チクセントミハイによる、無我の境地に達して「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス Being at one with things」(物と一体化する)ような心理状態のこと。これは瞑想のような行為だと以前に指摘したが、瞑想そのものではない。瞑想的に作品制作する行為は、明確な定義がなく、感情の連なりに身を任せてだらだらと写真を撮る行為と混同されがちだからだ。フロー体験を生む活動にいたるには努力がいる。いったんは入ると自分の行為にあまりに没頭しているので、他の人からの評価を気にしたり、心配したりしない。フローが終わると、反対に、自己が大きくなったかのような充足感を覚えると言われている。しかし、現実には写真家がどのような姿勢で作品を制作しているか第3者が見抜くのは容易ではない。そこに他人からの承認欲求のような邪念がないかを見極めるのはほぼ不可能だろう。
結局、作家が長期間にわたって創作を継続しているかで最終的に判断されるのだ。ただし、アマチュア写真家のように趣味で長年にわたり写真を撮影する意味ではない。

続いてテーマ性の見立てだ。この新しい日本の価値基準では、現代アートと違い作品テーマを自らが語らない。第3者が見立てるのだが、単体作品でのテーマ性の見立ては困難だ。ここでも作品制作を継続する過程で、テーマ性が顕在化して見立てが行われる。継続できるとは、何らかの社会との接点が存在することを意味するのだ。作品のテーマ性が複数の人から継続的に見立てられれば、結果的にそこに価値が生まれる。その積み重ねにより、本人の意図とは別に写真家や作品のブランド化が図られる可能性がある。日本の有名写真家のブランド化はそのように構築された場合が多い。

ではライターのケースを考えてみよう。彼は、写真や絵画などの創作を通じて何らかの社会との接点を感じていた。それが評価を求めることなく継続できた理由だろう。また自らが作品のテーマ性を語ることがなかった。そして継続の末に80歳を超えてから再評価される。
シンプルな生活を送り、邪念を持たずに世界と対峙し、自分の持つ宇宙観を世界で発見する行為に喜びを感じ、それらを写真や絵画で表現し続けてきたのだろう。作品制作の継続の長い過程で、キュレーターのジェーン・リビングストン、写真史家マーティン・ハリソン、ギャラリストのハワード・グリーンバーグ、出版人のゲルハルト・シュタイデル、映画監督のトーマス・リーチなど様々な人が彼の作品のアート性を見立てた。キャリア後期になって、彼のリアリストの生き方自体が大きな作品テーマとして認められたのだ。そしてファッション写真だけでなく、ストリート、ヌード、ポートレート写真が時代性を見事に切り取っていたことが再評価される。特に初期カラー作品は、時代の気分や雰囲気は色彩により見る側により強く伝わる事実を提示した。ライターの場合、テーマ性の見立てと作品制作の見極めが同時進行したと解釈したい。

Saul Leiter, Sotheby’s London 2018 May “Photographs” “PHONE CALL,1957”

いま写真はデジタル化が進み、色彩や構図の美しいストリート写真を撮影する人はアマチュアを含めて世の中に数多くいる。しかしライターの作品は、その清らかな生き方と共に称賛され、多くの人の見立てが積み重なって今の高い評価につながった。
エゴやお金を追及する現代社会において、彼の生き方と実践そのものが大きな作品テーマだった。すべての写真と絵画などの作品はその表現手段だったと見立てられたのだ。彼の生前のインタビューなどをみると、ジョークなどを織り交ぜた語り口に暗さはあまり感じられない。もちろん自分を評価しない世の中への恨み節もない。普通の人はこのような人生は追及できないだろう。だから彼の作品は、いまでの多くの人を魅了し続けているのだ。

最後にソール・ライターの最近の相場情報をお知らせしよう。ちょうど、2018年5月に開催された、ササビーズ・ロンドンの”Photographs”オークションに、”SHOPPER,1953″、”PHONE CALL,1957″が出品されていた。ともに落札予想価格範囲内の1万ポンド(約150万円)で落札。

Saul Leiter, Sotherby’s London 2018 May “Photographs”, “SHOPPER,1953”

同じくフィリップス・ロンドンで開催された”ULTIMATE EVENING & PHOTOGRAPHY DAY SALE”では、写真集”Early Color”表紙の有名作”Through Boards,1957″が1.125万ポンド(約168万円)、”Foot on the El,1954″が1万ポンド(約150万円)で落札されている。
これらの作品は約11X14″サイズ、サイン入り、タイプCカラー、モダンプリント。
コレクター人気はいまだに続き、相場も高値で安定している。

 

ソール・ライター
見立ての積み重ねで評価された写真家(2)

・未発表ヌード/ポートレート作品が写真集化
前回、ソウル・ライターが50年代後半~80年代初めまでの期間に生活の糧としていたファッション写真との関わりについて触れた。
一方で彼のパーソナル・ワークは、ニューヨーク市の自宅周辺のストリートで撮影されたカラーのスナップが有名だ。自由に表現できない仕事の写真による精神的ストレスを解消する意味合いが強かったのだろう。当時は写真、特にカラー写真は広告写真用で、ファイン・アートではないと考えられていた。彼は、21世紀になってそれらのカラー写真のアート性が絶賛されるとは全く考えていなかっただろう。
しかしライターのパーソナル・ワークはほかにもあったのだ。ファッション写真家として活躍する以前の1940年代後半から、彼は親しい女性たちのヌードとポートレートも撮影していた。彼の死後、数千点にも及ぶ女性のヌードとポートレート写真がアパートから発見された。また90年代に制作されたアクリル絵の具で着色されたヌード作品も約数百点見つかったという。

今回刊行された”WOMEN ソール・ライター写真集”は、1960年代後半までの20年間に撮影された女性ヌード作品約90点と、着色写真の”Painted Nude”作品6点が収録されている。

“Woman Saul Leiter”(SPACE SHOWER BOOKS, 2018年刊)

被写体は、2002年まで約50年近く人生を共にしたパートナーでファッション写真でモデルも務めたのソームズ・パントリーや妹のデボラ、また親しい友人たち。ほとんどの写真は自らのニューヨーク・イーストヴィレッジの自宅アトリエで撮影されている。70年代に編集者ヘンリー・ウルフによる写真集化の企画があったが実現しなかったそうだ。
本書収録作品の一部は”ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)にも収録されている。こちらの本には、珍しいカラーのヌード作品”Lanesville, 1958″(Page 200)も収録。また作品タイトルに、バーバラ、イネス、キム、ドッティ、ジェイ、リン、フェイ、マリアンヌ、ジーン・ピアソンなどの女性の名前が記されている。

カルチェ=ブレッソンは、写真はスケッチ・ブックのようで、絵画は瞑想のようなもの、と語っていたという。ライターにとって、今回のヌード・ポートレートも絵画のための下絵のスケッチ的な意味合いが強かったのだろう。一部の写真は文字通り下絵となり、経済的に苦しかった90年代に着色されて新たな作品として蘇っている。彼にとってヌード・ポートレート作品は、カラーとモノクロのファッションやストリートなどの写真、絵画作品、スケッチなどと全く同等の表現だったのではないだろうか。彼の作品はカテゴリー分けするのではなく、すべてを織り交ぜて提示するのが一番適切だと思う。そのようなライターの世界観を提示する見せ方は”Saul Leiter:Retrospektive”(KEHRER、2012年刊)が最も的確に行っていると考える。

“Saul Leiter:Retrospektive”(KEHRER、2012年刊)

今回のヌード・ポートレートの写真集には新たな発見があった。それらには女性フォルムの探求を目指すような強い創作意図が感じられず、非常にカジュアルな雰囲気で撮影されている。結果的に、女性のファッション、ヘアスタイル、メイク、インテリアの背景などから、撮影された1940から1960年代の時代の気分と雰囲気がとても色濃く伝わってくるのだ。広義のアートとしてのファッション写真に当てはまるといえるだろう。それらは、光の使い方、構図、被写体との関係性など、ルネ・グローブリの”The Eye of Love”(1954年)を思い起こす人が多いだろう。またテーマ性が異なるが、撮影アプローチはトミオ・セイケの”ポートレート・オブ・ゾイ”(1994年)に近い作品もある。
今後、ライターの時代性を切り取った広義のファッション系作品にフォーカスした展覧会や写真集を企画するときは、ストリート作品はもちろんだが、ヌード・ポートレート作品もその一部として提示されるべきだろう。

次回は”日本のアート写真の新価値基準”とのかかわりを見てみたい。

(3)に続く

ソール・ライター
見立ての積み重ねで評価された写真家(1)

“SAUL LEITER Early Color”Steidl, 2006

ソール・ライター (1923-2013)は、83歳の時にシュタイデル社から刊行された“SAUL LEITER Early Color”(2006年刊)がきっかけで再評価された米国人写真家。2013年11月に亡くなっているのだが、ここにきて再び注目を集めている。
昨年春に渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムにて開催された「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」は、総入場者数8万3000人を超え、図録の“ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)は異例のベストセラーになったという。
その写真展が2018年4月から伊丹市美術館に巡回、また今月には彼の女性ヌード作品を紹介する“ソール・ライター写真集 WOMEN”も刊行された。シュタイデル社からも同様のヌード写真を集めた“In My Room”が刊行予定だ。ニューヨークでは限定250部の豪華本“The Ballad of Soames Bantry” (Lumiere Press/Howard Greenberg Gallery刊)が刊行され話題になった。

私どもは日本独自のアート写真の価値基準として限界芸術の写真版のクール・ポップ写真を提唱している。その定義はかなり複雑なのでここでは触れない。興味ある人はぜひ過去のブログで”日本のアート写真の新価値基準”を読んでみてほしい。
実は海外の20世紀写真家のなかに、長年作品制作を続けた結果、複数の人に見立てられて最終的に作家性が認められた、いわゆるクール・ポップ的な人がいたことに注目している。ソール・ライターもその写真家に含まれるのではないかと考えている。

“All about Saul leiter” 青幻舎, 2017

“ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)の195ページにマックス・コズロフ(美術史家、評論家)のライターへの発言が引用されている。「マックス・コズロフが、ある日私にこう言った。『あなたはいわゆる写真家ではない。写真は撮っているが、自分自身の目的のために撮っているだけで、その目的はほかの写真家たちと同じものではない』彼の言葉が何を意味するかはちゃんと理解できたかどうかは分からないが、彼の言い方は好きだ」また、「仕事の価値を認めて欲しくなかった訳ではないが、私は有名になる欲求に一度も屈したことがない」(211ページ)とも語っている。また別のインタビューでは「無視されることは、大きな特権です」とも語っている。

今回は、彼のファッション写真とヌード写真を通して彼のキャリアを振り返り、彼の作品創作の背景と、どのように彼のアート性が見立てられたのかを探求してみたい。

・ファッション写真でのアート性の追求
私はアートとしてのファッション写真を専門にしている。ファッション写真は、長い間作り物のイメージであることからアート性が低いとされていた。本格的に美術館で展示され、ギャラリーやオークションで取り扱われるようになったのは1990年代になってからだ。それ以前のファッション写真家は2種類に分けられる。仕事と割り切っクライエントが求める服の情報を伝えるヴィジュアルを制作し続けた人。そして、ファッション写真の延長線上にアート性追及の可能性があると信じて、数ある制約の中で独自の表現に挑戦した人だ。いま市場でアート性が再評価されているのは後者の人たちだ。
しかし実際のファッション写真の現場は、クライエントやエディターからの強い要求があり、写真家の自由裁量の余地はあまり大きくなかった。その状況でできる限り自分の創造性を発揮しようとしてきたのが、ギイ・ブルダン、ブライアン・ダフィー、ポール・ヒメル、ルイス・ファーなどだ。
ソウル・ライターもその中に入ると考えている。以前も紹介したが、彼はファッション写真について「私が行った仕事を否定する気はないが、ファッション写真家としてだけ記憶されるのは本意ではない」と語っている。また「仕事で撮影した写真が結果的にファッション写真というよりも、それ以上の何かを表現する写真に見えることを望んでいる」と語っている。
彼は1958年の高級ファッション誌“ハーパース・バザー”の仕事をかわきりに、80年代まで、“ELLE”、“Queen”、“ヴォーグ英国版”、“Nova”、“Snow”などでも仕事を行っている。彼のキャリアの特徴は、写真家として活躍していた時期も常に画家として創作を継続してきたこと。画家を目指していて、結局写真家になる例は多いが、ライターは写真と絵画の両分野で表現を行っていたのだ。彼のファッションやストリートの写真の特徴の、大胆な構図、叙情的・絵画的な色遣いなは、画家の視点があったからこそ表現できたのだ。
キュレーターのジェーン・リビングストンは、“The New York School”(1992年刊)で、ライターのカラー作品は、いままでの他のファッション写真と比べても唯一無二だ、と指摘している。

しかし、彼は1981年に商業用スタジオを閉鎖してしまう。年齢的にはちょうど60歳手前なので引退を考えた可能性はある。もしかしたら、彼のあこがれるアンリ・カルチェ=ブレッソンのように、キャリア後期は絵画制作に費やそうと考えたのかもしれない。しかし当時の状況を鑑みるに、たぶん彼もファッション写真でのアート性追求に限界を感じた面もあったのだろう。実際のところ、90年以前に活躍した多くのファッション写真家はその将来の可能性に失望して、業界を去るか、他分野の創作に取り組むようになる。ここからは私の一方的な想像なのだが、ライターは他の多くの写真家のように絶望したり自暴自棄に陥ることはなかったのではないか。絶望は未来の希望がかなわないという精神状態だ。ライターの関係資料には、彼が禅的な思想をもって生きていたと書かれている。それは、彼は未来のために現在を生きるのではなく、今という時間に生きようと考えたことを意味する。キリスト教などは未来に生きる宗教だ。時間は過去、現在、未来と継続していて、将来に天国に行くことを目指して現在を生きる面がある。多分、ライターはそのような考え方に違和感を感じて、親の希望した宗教指導者の道に反して画家を目指したのだろう。彼は親の意思に反して生きることを決めた時期から、未来のためではなく、今という時間を集中して生きようと考えたと推測できる。彼はファッション写真のアート性追求に限界を感じても腐ることなく、また未来に期待することなく、今という時間に写真以外のアート表現を続けたのだ。また作品制作は精神を安定させる一種の瞑想のような行為だったのかもしれない。

(2)につづく

スティーブン・ショアMoMAで回顧展開催
巨匠は良い写真やデジタル時代をどう考えているのか?

Stephen Shore MoMA回顧展カタログ

 

 

 

 

 

スティーブン・ショアー(1947-)は、70年代初期からカラーでシリアス作品に取り組んでいる。写真史ではウィリアム・エグルストンとともに70年代のニューカラーの代表写真家と分類されている。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)では、2017年11月から2018年5月まで大規模な回顧展が開催されている。キューレションは同館のクエンティン・バジャックが担当、ショアーの一連の作品を新たな視点から紹介して、ニューカラーの写真家というステレオタイプのイメージを覆そうという挑戦を行っている。

同展は50年以上のショアーのキャリアを、60のテーマ別セクションで構成して紹介。10代に撮影されてMoMAに購入されたモノクロ銀塩写真、アンディ・ウォーホール・スタジオだったファクトリーの日常生活を撮影した作品、ファウンド・フォトのコラージュ作品、古き良きアメリカン・シーンを撮影した代表的なカラー作品、イスラエル、ヨルダン川西岸地区、ウクライナを探求した作品、最新のデジタルによるインスタグラム作品までを年代順に紹介している。

彼は使用するカメラや撮影手法をキャリアを通して変化させ、様々なフォームの写真作品に取り組んでいる。70年代には安価なオートマチック・カメラ、その後は8X10″の大判カメラに切り替えてカラーフィルムを使用する先駆者となる。1990年にはモノクロ写真に再び戻り、2000年代にはデジタル写真、デジタル・プリント、ソーシャルメディアによる新たな表現の可能性を追及している。

昨年、彼が行った記者会見の様子をMoMAのウェブサイトで見ることができる。彼の創作の背景にある深遠な思想が垣間見れて非常に興味深い。彼はどのように考えて様々な写真作品に取り組んでいるかを自分の言葉で明確に語れる人なのだ。私が興味を持ったのは、参加者からの質問への彼の示唆に富んだ回答だった。
写真を教えているという女性から、生徒はみんなスティーブン・ショアのような良い写真(good pictures)を目指している。どうすれば、あなたのような独自のオリジナリティーを持つことができるのか、というようなストレートな質問があった。彼はやや視点を変えると前置きして以下のように回答している。
「私や生徒が尊敬する良い写真はそれ自体を追及して生まれたのではない。写真家が何らかのヴィジュアルを通して解決したい問題点を持っていて、それを追及した過程で誰かが評価するものが生まれている。良い写真は結果的にたまたま生まれたもので、それを目指したものではない。良い写真を撮ろうと誰かの真似をするのは本末転倒だ」

アマチュア写真家は良い写真を撮ろうと悪戦苦闘する。自己表現するファインアート作家は、写真撮影の段取りが全く違うようだ。撮影前に何らかの問題点を世の中で見つけ出しており、写真を通してそれを提示・追及するとともに、それに対する答えを探している。
ショアーによればその制作過程で見る側がよいと感じる写真が生まれるというのだ。彼は決して、グラフィカルや色彩的にバランスが取れたヴィジュアルを良い写真と定義してないのがよくわかる。

私はショアーの言う良い写真は、見る側にとって意味がある写真のことだと思う。写真家がアーティストとして認められるには、提示されたテーマやコンセプトが見る側にも共有されなければならない。そのようなコミュニケーションが成立すると、見る側は写真に意味が見いだす、つまり良い写真になるということだろう。だから見る側の知識、経験、理解力によって、良い写真が全く違っているともいえるだろう。

インスタグラムなどが登場してきた現代写真界の現状についての質問もあった。70年代と比べて写真は進化したのか、変化したのかの意見を聞かせてほしいというものだった。
ショアーの回答は、「技術進化で誰でもカメラをいつでも持ち写真を撮る環境が訪れた。この事実はアーティストの写真による作品制作を何ら減少させることはないだろう。誰でも文字を書ける、伝票を書くし、法律的な文章も書く、しかしそれは小説家の仕事に影響を与えるわけではない。デジタル化で写真もそのようになったと考えればよい。誰でも写真を撮るが、偉大なアート作品はそれらとは違う」というようなものだった。

ショアーが例えた”文字”は国によって違い、また文法などがある。私は彼の意図は、写真が絵やイラストなどのヴィジュアルと同等になり、絵筆やペンのような制作手段の一つにデジカメやスマホが加わったという風に理解したい。写真デジタル化の良いところは、技術がなくてもそれなりの高いクオリティーのヴィジュアルが制作可能になったことだ。また現代アートが主流となったことで、作品クオリティー自体の追及が昔よりも重要視されなくなった。いまやすべての分野のアーティストが写真を使用する。デジタル化で写真は真に民主的な表現メディアとなったのだ。しかし子供を含めて、誰でも絵やイラストは描けるがプロのイラストレーターにはなれない。趣味で絵を描く人は、若い時から専門教育を受けてアート界でキャリアを積んできた画家にはなれない。同じようにいまや誰でも良い写真は撮れるが、それだけではスティーブン・ショアのようなアーティストにはなれないのだ。

ニューヨークを訪れる機会があればぜひ行きたい展覧会だ。それができそうもないファンは、MoMAのウェブサイトのヴィデオ映像を見て展示の気分を味わってはどうだろうか。またやや高価だが豪華なカタログを購入してもよいだろう。大手通販サイトでは日本にいても現地とほぼ同価格で購入可能だ。同書は、約400点にも及ぶ図版を駆使して、アーティストの広範囲な経歴の斬新かつ、万華鏡的な展望を行っている。独特の百科事典スタイルの本のフォーマットを通して、アーティストのテクニックと作品の多様性の提示を試みている。

・カタログは以下で紹介しています。

www.artphoto-site.com/b_977.html

・MoMAのウェブサイト

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3769

デヴィッド・ボウイ
“The Bowie/Collector” 評価された高い見立て力

“アートは、本当に真剣に、私が心から所有したかった唯一のものだ。それらは私に安定した栄養を与えてくれた。私はそれを利用した。私の朝の感じ方を変えてくれることができた。何を経験しているかによって、まったく同じ作品が全く違う私に変えてくれたのだ”
これはデヴィッド・ボウイのアートに対する姿勢があらわれている、としてよく引用される1998年のニューヨーク・タイムズのインタビューでの発言。下手な和訳で申し訳ありません。
11月10日、ササビーズ・ロンドンで彼の膨大な数のアート・コレクションのオークション”The Bowie/Collector”が開催された。マスコミ報道によるとロンドンで開催されたササビースのオークションで最も多くの入札希望者が登録したとのことだ。ロンドンで開催された内覧会には約5万人が参加、カタログは約2万冊が売れたそうだ。その結果は、予想をはるかに超えていた。356点の作品が全部落札されるホワイト・グローブ・オークションで、トータル売上は事前予想の約3倍の3290万ポンド (約44.41億円)だった。
オークションで最も話題になったのはジャン・ミッシェル・バスキアの2点だ。”Air  Power、1984″が710万ポンド(約9.58億円)、”Untitled、1984″が280万ポンド(約3.78置く円)で落札された。近年のバスキアの再評価の流れと、ボウイ所有という最上の来歴から高額落札が実現したのだ。

今回のオークションで、ボウイはミュージシャンであるとともに、情熱的かつ真剣なアートコレクターだったことが明らかになった。彼はアートを評価する目を持っていた多彩なアーティストとして新たに認められたのだ。今まで過小評価されていたアートに光を当てる行為は一種の自己表現だと考えられている。実際に彼はキャリアを通して絵画を描いてきた。また1990年代はアート雑誌で文章も書いている。

今回、今まであまり市場で知られたいなかった20世紀英国アートやイタリア・デザインの作品が高額で落札されている点が重要だ。その背景には彼の知名度とともに、その見立て力に対する信頼と評価がある。なんと20世紀の英国人アーティスト11人のオークション最高額落札が記録されたのだ。上記の画像はFrank Auerbachの” Head of Gerda Boehm, 1965″。約378万ポンド(約5.1億円)という、落札予想価格上限の約7.5倍で落札された。
イタリアの建築家・デザイナーのエットレ・ソットサス(Ettore Sottsass)とメンフィス・グループのデザイン関連の出品作などは、軒並み落札予想価格の何10倍で落札。ステレオ・キャビネットの”Achille and Pier Giacomo Castiglioni RADIO-PHONOGRAPH, MODEL NO. RR126″は落札予想価格上限1200ポンドの約200倍を超える25.7万ポンドで落札。また赤色のオリベッティー製で1969年デザインの”Ettore Sottsass and Perry King、Valentine”タイプライターは、落札予想価格上限500ポンドの約90倍の4.5万ポンドで落札されている。
ササビースは、特にデザイン関連の出品作に関してはボウイの見立て力を過小評価していたといえるだろう。今後、同オークションで落札されたアートやデザインの関連作品はボウイ見立て品という輝かしい来歴を持つことになるだろう。

さてデヴィッド・ボウイといえば、2017年1月8日からは、英国ヴィクトリア&アルバート美術館企画による”David Bowie is”の巡回展が、東京のテラダ倉庫GIビルディングで開催される。同展は、いままでに世界中を巡回し8会場で約150万人の来場者を動員したという。ちょうど1月8日は、彼が生きていれば70歳の誕生日、1月10日はボウイ1周忌に当たる。新年の日本はボウイ関連の話題で持ちきりになるだろう。

実は、私どもは同美術館展に作品を提供している、テリー・オニール、ブライアン・ダフィーなどを日本・アジアで取り扱うギャラリーでもある。それに合わせて、テリー・オニール(Terry O’Neill)、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーブ(Justin de Villeneuve)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko) 、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)による、”Bowie : Faces”展を開催する。
開催場所は、代官山 蔦屋書店 2017年1月6日(金)~2月7日(火)、アクシスギャラリー・シンポジア 2月10日~11日、ブリッツ・ギャラリー 2月17日(金)~4月2日(日)を予定している。
また、ブリッツではブライアン・ダフィー(Brian Duffy / 1933-2010)の写真展「Duffy/Bowie-Five Sessions」(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ)を2017年1月に開催する。「David Bowie is」では、メイン・ヴィジュアルにダフィーによるアラジン・セインのセッションで撮影されたボウイが目を開いたアザーカットが使用され話題になっている。これらの展示を通しては、ボウイのヴィジュアル・アートへ与えた多大な影響の軌跡を見てもらいたい。

(為替レート/1ポンド・135円で換算)

オークション・セールの最前線 キュレーション力が問われる時代

いままで各オークション業者は、アート写真を売るために多くの優れた作品を集め、写真史を意識しての作品提示に力を注いできた。これは作品のエディティングなどと呼ばれていた。取り扱いが20世紀写真だけの時代はそんなに難しいことではなく歴史の流れに沿って、ばらつきなく並べればよかった。20世紀の写真オークションはまさに写真史が反映されていた。オークションの下見会は下手な写真展よりも歴史的な名作を一堂に目にすることができたものだ。
90年代になりファッションやドキュメントがアートとして認められ、さらに21世紀になると現代アート分野の写真も登場してくる。オークションの出品作品のエディティングはどんどん複雑化してくるのだ。
2010年代になると、作品供給面でも壁にぶつかることになる。優れた作品の委託獲得が困難になるのだ。特に19世紀から20世紀初頭の名作写真は、ほとんどが美術館や有名コレクションの所蔵となり市場出品数が非常に少なくなった。
また、オークションに参加する顧客層も変化した。いままで写真を買っていたのはある程度の経験と知識を持つ中間層のマニア的コレクターが中心だった。彼らは自らの眼でアート史で過小評価されていたカテゴリーやアーティストを見つけ出していた。彼らの活動によりアート写真の価値観が多様化してきたともいえる。
それが急拡大した現代アート市場がアート写真を飲み込んでしまい、主要な客層が変化する。オークション参加者の中で経験や知識が蓄積されていない富裕層の比率が大幅に高まっていったのだ。またグローバル経済の進行により、従来の中間層コレクターの勢いがなくなっていく。
このような状況でオークションハウスには、作品の”見立て”と”提案力”が求められるようになってきた。いままで誰も気づかなかった視点で写真史や写真家を評価して新たな価値を創出し提案するということだ。アート写真オークションのセレクトショップ化ともいえるだろう。オークションの落札結果は、業者のキュレーション力の優劣により大きく左右されるようになってきた。当然それは人的能力により違いがでてくる。優秀な人材が豊富な大手が圧倒的に有利になる。
そのような状況が明確に見られたのは今秋にロンドンで行われたフィリップスとDreweatts & Bloomsburyのアート写真オークションだろう。
フィリップスは大手の中でも極めて明確にオークションのいままでの流れに新しい輪郭を作り上げようというキュレーションの意志が感じられる。複数の委託者の作品を集めるのが一般的の中で、作品のテイストが同じになる単一コレクションを積極的に導入したり、ULTIMATEという新セクションを構築し、様々なカテゴリーの作品からフィリップスのオークションでしか買えない作品を集めて毎回提示している。

オークションの格は、どれだけ過去の出品歴が少ない高額落札が期待できる有名作をメイン作品に採用できるかで決まってくる。今回、フリップスが持ってきたのはドイツのベッヒャー派の最重要人物の一人のトーマス・シュトルートの美術館シリーズから出品。90年にコレクションされてからずっと収蔵されていた逸品だ本作は、何と落札予想価格の上限の約4倍の、63.5万ポンド(約8572万円)で落札された。

またアーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ウィリアム・エグルストン、アニー・リーボビッツ、ニック・ナイトなどを持つGeorges Bermannコレクションを紹介。全体で89%という非常に高い落札率だった。特にウィリアム・エグルストンの”Untitled 1971-1974″は、落札予想価格の上限の約2倍を超える、19.7万ポンド(約2659円)で落札された。これは2012年に制作された 80.8 x 121.8 cm サイズのピグメント・プリント作品だ。リチャード・アヴェドンの”Blue Cloud Wright, slaughterhouse worker, Omaha, Nebraska, August 10, 1979″落札予想価格の上限の約2倍の、16.1万ポンド(約2173万円)で落札されている。
またフランス人コレクター所蔵の珍しい南アメリカ写真12点のオークションにも挑戦。こちらも12点中10点が落札されていた。
ULTIMATEでも、ヴォーグ誌のエクゼクティブ・ファッション・エディターを長年勤めるピュリス・ポゾニック(Phyllis
Posnick)に焦点を当てている。今秋に刊行される”Stoppers: Photographs from My Life at Vogue”とのコラボ企画が実現。”stopper”とはヴォーグ誌の伝説的なアート・ディレクターのアレクサンダー・リーバーマンがアーヴィング・ペンの写真を表現したもの。彼の写真を見た人は、その際立った魅力で急に立ち止まらされる、という意味。アービング・ペンの”Bee on Lips, 1995″をはじめ、スティーブン・クライン、パトリック・デマルシェリエ、ティム・ウォーカー、マリオ・テスティノという5名の超有名写真家のアートになり得るファッション写真をセレクションしている。今秋はファッション系はあまり元気がなかったが、今回の全作品は落札予想価格内で見事に落札された。全体の結果は最近のオークションでは異例の76.3%という高い落札率を記録した。総売上高も、予想落札価格上限合計額を超える274万ポンド(約3.69億円)だった。

一方、Dreweatts & Bloomsburyロンドンで行われた低価格帯作品中心262点の”Fine Photographs”オークションは総売上高14.1万ポンド(約1903万円)、落札率36%という対照的な結果だった。知名度の低い英国や欧州の写真家が多かったことが一番影響していると考えられる。

またこのオークションは20世紀から続く複数委託者の作品を並べるだけの従来型のもので、特に専門家によるキュレーションが積極的に行われた形跡はない。このような状況はかつては一般的で、従来は地元のシリアスなコレクターやディーラーが積極的に入札していた。やはり英国経済の先行きの不透明さからだろうか、どうも彼らはあまり積極的ではないようだ。
ただし世界的に美術館がコレクションするジュリア・マーガレット・キャメロンは、出品された4点がすべて落札予想価格を超える価格で落札されていた。また世界的に人気のあるセレブのアイコン的なポートレートも確実に落札されていた。これらはポンド安を享受している英国外からの入札ではないだろうか。
今週はパリ・フォトに合わせて、パリでクリスティーズとササビーズのオークションが、また12月かけて欧米の中小業者のオークションも開催される予定だ。2016年アート写真オークション・シーズンはいよいよ終盤を迎えつつある。
(為替 1ポンド/135円で換算)

アート写真市場レビュー
2016年前半を振り返る

まだ夏休みが続いているが、海外ではこの時期に業務から撤退するギャラリーや関連業者も多い。つまり秋になっても休みが続いているのだ。ギャラリーは個人経営が多いので倒産はない。アート・シーンから知らぬ間に消えていくのだ。
ドン・トンプソン氏のアート業界を分析した著書"The $12 Million Stuffed Shark"によると、裕福なスポンサーのない現代アート・ギャラリーの4/5は5年以内に撤退し、5年以上継続しているギャラリーの10%が毎年廃業しているという。アート関連業務の運営には多額のコストがかかる。売上の見通しが立たないとすぐに撤退を余儀なくされるのだ。
最近はギャラリー以外でも、オンラインでのアート販売を目指すベンチャーのネット関連業者もすぐに撤退する。特にマンハッタンやロンドンなどは家賃が高く、冷徹に市場原理が働く場所なので、非常に新陳代謝が激しいのだ。今年の前半のアート市場を振り返るに、どうも永遠に夏休みが続く業者が多いような予感がする。

2016年の前半のアート・オークションの決算が発表されはじめている。クリスティーズは、前期の売り上げは約30億ドルで、前年同月比で約33%減少。特にコンテンポラリー・アート部門の売り上げが約45%も減少しているという。ライバルのササビーズの売り上げも同様に減少している。これらの要因として指摘されているのが、市場の不安定要因から委託者が希少作品の出品を見合わせている状況だ。欧米での売り上げが低下している中で、中国関連のみの売り上げが上昇している。Artpriceによるとこの地域は約18%の上昇とのこと。色々な分析が行われているが、これは中国景気が他地域よりも良いという訳ではないらしい。どうも長期的な景気低迷と為替下落傾向を予想して、富裕層の資産が香港などを通してアートなどのオフショアの実物資産に移されているからだそうだ。

アート写真市場は昨年秋から明らかな変調が見られるようになってきた。私どもがフォローしている中小を含む欧米のオークション売り上げは、2016年前半は前年同月比で約2.5%増加した。しかし2061年前期には特殊要因がある。例年は閑散期の2月17~18日にクリスティーズ・ニューヨークで"MODERN VISIONS (EXEPTIONAL PHOTOGRAPHS)"という、貴重なヴィンテージ作品が目白押しの大注目のオークションが開催されたのだ。イーブニング・セールとデイ・セールにわかれて279点が入札され、252点が落札。なんと落札率は驚異的な90.32%トータルの売り上げは、なんと最近では珍しい落札予想価格上限の約800万ドル(約9.2億円)を超え、約889万ドル(@115/約10.2億円)を記録した。同オークションを除くと、売り上げは前年同月比で約23%減少している。前半の平均落札率は約64%、ほぼ2015年通年の63%と同じレベルだった。しかし出品作品の1/3は落札されないのだ。オークションの世界では35%以上の不落札率(落札率65%以下)は危険水域といわれている。特に低価格帯の不落札率が高くなっている。
中間から高額価格帯を中心に取り扱うニューヨークでの大手3社の結果だけを比べると、売り上げは前年同期比で約32%減少している。昨秋と比べると約17%増加しているものの、これはリーマンショック後の2009年春を除くと、ほぼ2004年秋のレベルとなる。直近のピークは2013年春で、同期と比べると約61%減だ。平均落札率はかろうじて危険水域以上の67.8%に踏みとどまっている。ちなみに2013年春は81.8%だった。
このような状況では、オークション業者は落札予想価格の下方への変更を行ってくる。日本の顧客には昨今の円高傾向によりさらに割安感がでてくるといえるだろう。為替のドル円が120円を超えていた2015年と比べると、約10~20%程度は購入コストが安くなると思う。興味ある人はぜひ相談してほしい。
秋の大手業者のニューヨーク定例アート写真オークションは、クリスティーズ"Photographs"10月4日~5日、フィリップス"Photographs" 10月5日~6日、ササビーズ"Photographs"10月7日の予定で開催される。